だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第46回 移り変わる宇宙の捉え方(2)『見かけの重力・量子論』 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

光は粒子なのか波なのか

これだけでは意味がわからないと思うので、順を追って説明していきます。
くどい様ですが、私は科学者でもなければ専門家でもないので、理解不足のところや間違って認識している部分もあると思います。
これを聞いて興味を持たれた方は、自分自身で調べてみることをお勧めします。

という事で、量子論について簡単に話していきます。
相対性理論が光の特性を研究したところから始まったように、量子論も、光とは何なのかという光の観測から始まります。 光の正体は、『波』なのか『粒子』なのか、どちらなんだろうという疑問ですね。
科学者として有名なニュートンは、光は粒子だと主張しました。 例えば、物体に強い光を当てた場合、その物体の影は、くっきりと境界線を持って映し出されますよね。

しかし、波の場合はその様に、くっきりとした影が浮かび上がるのでしょうか?
想像してみてください。 皆さんの前に水槽を用意して、水を張り、水面から飛び出すような大きさの物体を水槽の真ん中に置きます。
そして、その物体に対して波を起こしたと想像してみてください。 その波は、物体にぶつかると、どうなるのでしょうか。 物体にあたった波だけきれいに反射して、物体の反対側は一切波が起こっていない状態になるでしょうか?
そうはなら無いですよね。 波は物体の側面を回り込み、波の動きは水槽全てに伝達されますよね。

でも、光が物体である『粒子』であるとすれば、どうでしょう?
光が物体であれば、物にあたった際には物理法則に従って反射するので、物体には影の部分が出来ます。 つまり、辻褄が合うということです。

しかし、光は『波』だと主張する人達から、反論も出てきます。
その反論は、『仮に、光が物体である粒子であるのなら、光と光をぶつければ、粒子同士がぶつかって軌道が変わるのではないか?』という反論です。
その一方で、波の場合は、衝突したとしても軌道が変わる事もないし、干渉することは有っても、そのまますり抜けることが可能です。
つまり、光を波だと考えれば、光を衝突させた時の現象は、辻褄が合って説明できるというわけです。

二重スリット実験

この様な感じで、『粒子派』と『波派』に分かれて対立が起こっていたのですが、どちらの方が強かったのかといえば、『粒子派』のほうが優勢だったようです。
なぜなら、粒子派の代表格がニュートンというビッグネームだったので、『ニュートンさんがいうから間違い無いだろう』と納得する人が多かったからだそうです。
この様な現象は、今でも見られますよね。 有名な人物がお墨付きを与えているから信じるという風潮。 そういったモノを利用するのが、ステルスマーケティングだったりしますよね。

話を戻しますと、最初は劣勢に立たされていた『光は波派』の人達ですが、二重スリット実験によって光が干渉する事を発見したことで、形成が逆転します。
干渉というのは、波が持つ独特の性質で、2つの波をぶつけた際に起こる現象の事です。
水面にたつ波を想像してもらえれば解りますが、波というのは、高い部分の山となる部分と低い部分の谷という部分が交互に連続する構造になっています。

この波が衝突すると、先程言ったようにすり抜けるのですが、その際に、山と山が重なると、更に高い山になり、谷と谷がぶつかると、更に低い谷へとなり、谷と山がぶつかると、その部分は打ち消し合って波の無い状態になるんです。
これを波の干渉というようなのですが、これが光でも起こることがわかったんです。
実験方法としては、まず光を置いて、それを遮る形で1枚の壁を置いて、その壁に、2つの穴を空けて、その先にスクリーンを置きます。

こうすると、一つの光源から出た光は、2つの穴を通ってスクリーンにぶつかるわけですが、この際に、2つの光が干渉し合います。
イメージとしては、一切、波がたってない池の中に、2つの小石を投げ入れるようなイメージです。そうする事で、2つの波紋が出来て、その波紋同士が鑑賞し合いますよね。
光の場合も同じで、2つのスリットをすり抜けた光は、その後、一部が重なり合って、干渉することになります。

波の山の部分が重なって、より山が高くなった部分と、谷同士が重なり合って、谷が深くなった部分、また、谷と山とがぶつかって凪になった部分が出来ます。
その結果として、光が、より強くなる部分や光が消える部分などに分かれて、それが、スクリーン上に縞模様を描き出すことになります。
この様な縞模様の事を干渉縞といって、この現象は、光が波でなければ説明がつかない為、光は波だという主張が勢力を伸ばしていき、その後行われる実験なども、光が波だという前提で行われていきます。

最小単位の波?

この様な環境で行われたのが、プランクという人物が行った、黒体放射の観察を行う実験です。
この実験が行われた当時なんですが、鉄の精錬が盛んな時期だったようなのですが、その精錬方法が、職人の勘によるところが多かったようなんです。
鉄を熱し続けると、鉄が赤く光を放つようになり、高温になると、その光は強くなっていくわけですが… その光具合などを職人が目で観て、鉄の温度の状態などを見極めて、様々な作業を行っていたそうなんですが…

その様な方法では、鉄の性格な温度が分かるはずもなく、品質にバラつきなどが出ていたようなんですね。鉄というのは、建設や車のフレームなどに使われるので、品質にばらつきがあると、強度計算なども狂ってくるので、かなり問題が出てきます。
それを解消する為に、物体を熱する事で出た光を計測したり、プリズムなどの光を分ける分光器を使って分析して、物体の温度を正確に知ろうという研究や実験が行われたんです。

ただ、この実験によって、おかしな現象が観測されてしまうんです。
従来の物理学の考え方では、物体の温度が上昇すればするほど、比例して、光のエネルギーも増えていくという推測が成り立ったので、それを期待して、実験が行われたのです。まぁ、この推測自体にも無理があったようなんですけれどもね。
というのも、温度に比例して光のエネルギーが上昇していくと、理論上は、光のエネルギーは無限にもなり得るからです。

これは、以前に出てきた『アキレスと亀』のパラドクスと同じで、仮に、物体に熱を加え続けることが可能であるなら、物質は無限の光を放つ事になリ、溶鉱炉という限定された空間に無限の光を収めることになるからです。
ただ、推測はどうであれ、実験が可能であれば、実験して確かめてみなければ話は進みません。という事で実験した結果、事前に経てていた予測とは全く違ったものになってしまったんです。
この実験結果のグラフを音声だけで正確に伝えるのは無理が有るので、興味の有る方は、黒体放射などで検索してみてくださいね。

実験結果を受けてプランクさんは、一つの仮説を立てるんです。それは、光には最小単位が有るのではないのかという考えです。
この考え方は、物理の世界ではかなり画期的な考えだったようです。というのも、今までは、波のようなエネルギーは連続的な動きをすると思われていたんです。
しかし実際には、最小単位というものが存在して、連続的だと思われていたものが、実は、不連続なものだったという可能性がでてきたからです。

この後、この考え方を利用して、アインシュタインが光の性質について新たな主張をするわけですが、それはまた、次回にしようと思います。
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【映画感想】緊急検証!THE MOVIE ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー

もう、2月も中旬になりましたが、今年はじめての映画鑑賞に行ってきました。
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見に行った作品のタイトルは『緊急検証!THE MOVIE ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー
この作品はもともと、ファミリー劇場という衛星放送内の番組の一つのようで、それが、クラウドファウンディングによって資金を集めて映画化した作品のようです。

最初に書いておきますが、ネタバレ情報を含んだ形での感想になりますので、映画館に観に行く予定の方は、これを読まずに観てから読まれることをオススメします。

作品を観に行ったきっかけ

まず最初に、何故、この作品を観に行ったのかを書いておきますと、去年の年末辺りから、この作品に関する情報を聞き続けるという環境に、私が置かれていたからです。
私は、ここ数年、Podcastというネットラジオをよく聴いています。
それなりの数を聴いているので、ここで、聴いている番組を全て書いたりはしないのですが、その中で特にお気に入りで、更新されると直ぐに聞く番組が幾つかあります。

その中の一部が、これらの番組です。

とうもろこしの会presents僕は怖くない 新館

とうもろこしの会presents僕は怖くない 新館

  • とうもろこしの会presents僕は怖くない 新館
  • 宗教/スピリチュアル
  • ¥0
中沢・穂積のピータン通信

中沢・穂積のピータン通信

  • 中沢健・穂積昭雪
  • テレビ番組/映画
  • ¥0
大宇宙の王者 タケシ&タカシ

大宇宙の王者 タケシ&タカシ

  • 中沢健・飯塚貴士
  • テレビ番組/映画
  • ¥0

ここに挙げたポッドキャストの話し手の方が、番組関係者で、実際にこの作品に出演されている方々の様で、この映画作品の宣伝やら制作秘話などを結構な頻度で聴く環境に置かれていたんです。
一つの作品の制作秘話などを頻繁に聞いていると、観たくなってしまうのが人情というもので、さっそく、京都での公開日を調べてみると、2月16日から出町座で公開する事がわかり、出町座にも興味があったという事も有り、公開日に見に行くことを決めました。

出町座

出町座というのは、京都の出町柳に有る商店街の中に最近できた小さな映画館です。
元々は、京都の木屋町という呑み屋街のど真ん中にそびえ立つ『立誠小学校』という元小学校の建物の教室の一室で、『立誠シネマ』として営業していたのが、小学校を再開発するということで、出町柳に移転してきた映画館です。
立誠シネマ時代には、何回か訪れたことが有ったのですが、出町に移ってからは行ったことがなく、行く機会を伺っていた映画館です。

この映画館ですが、先程も書きましたが、商店街の中にあるわけですが、その商店街自体が『たまこマーケット』というタイトルで、京アニによってアニメ化された事でも有名な商店街だったりします。
tamakomarket.com


(画像クリックはAmazonリンクです)

初めての訪問だったので、どんな感じになっているのかが楽しみだったわけですが、行ってみると、一階部分に結構な書籍が置いてあり『本屋か?』と思いきや、中央にはカウンターが有ってカフェになっていて、上映までの待ち時間を有意義に過ごせるおしゃれなスペースになっていたりします。
私は、上映ギリギリに出町座に入ったので、そのスペースでくつろいだりは出来ませんでしたが、次回に機会があれば、コーヒーでも飲んでみたいと思います。
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オカルトについて

映画の感想を書く前に、長々と映画以外のことを書いてきましたが、もう少しだけ、私とオカルトについて書いていきます。
というのも、取り扱う作品がオカルト作品で、登場する人達も日本のオカルトスターの方々なので、もしかすると、ゴリゴリのオカルトファンがこの記事を読んでいるかもしれないので、最初に言い訳をしておきたいからです。

最初にハッキリさせておきますと、私はオカルトにそこまで詳しくはありません。

小学生や中学生の頃は、ビートたけしさんの『TVタックル』でたまに行われていた超常現象バトルや、『特命リサーチ200X』などを観ていました。
しかし、高校ぐらいになると、その様な番組を積極的には観なくなり、今では、『やりすぎコージー』の都市伝説スペシャルなども、偶然、テレビを付けた際に放映していれば観るけれども、わざわざ録画をしてまでは観ないという程度にまでなってしまいました。
この様な感じなので、興味が全く無いかと聞かれれば否定しますが、積極的に情報を取りに行くオカルトファンかと聞かれれば、それも否定する程度にオカルトと付き合っている感じです。

映画のネタバレ感想

冒頭でも書きましたが、ネタバレ要素ありで感想を書いていきますので、まだ観ていない方で、これから見る予定の有る方は注意してください。


この作品ですが、まず、始まる前なのか、それとも、既に始まっていたのか…厳密にはわからないのですが、とにかく、最初の1分で大爆笑させてもらいました。
『始まっているのか、始まっていないのかが分からない。』と書いたのは、笑わせてもらった部分が本編ではなく、映画館で最初に行われる、マナー啓発の映像だったからです。
映画館といえば映画を上映する前に、『携帯の電源を切れ』だとか、『映画泥棒はやめよう』『前の座席を蹴らない』といった、マナーを伝える動画が流れますよね。
大抵の場合、『そんなのは、分かってるよ!』という気にしかならない映像なのですが、あの部分がかなり面白い作りになっています。 あれを観るだけでも、1800円中で500円ぐらいの価値が有ったのではないかと思わせる程でした。

そして、いざ本編が始まったわけですが、この作品のテーマというのが、1970年代に起こったオカルトブームを緊急検証!し、あわよくば、ブームをもう一度と行った感じのものでした。
これを書いている私自身は、1970年代後半に生まれなのですが、物心がついた頃には80年代ということで、これ以降のことしか経験していませんが、80~90年代という残り香程度でも、結構な頻度でオカルト番組が制作されていたように記憶しているので、70年代のオカルトブームというのが本当に凄かったというのが想像できますね。

取り扱うテーマは、タイトルにもなっている『ネッシー』『ノストラダムス』『超能力』という事で、30半ばより上の人はほぼ確実に知っているテーマを、今の時代に再検証しようという話です。
この3大テーマが、どの様なものだったのかを、当時を知る人にインタビューして軽く説明をした後に、オカルト三銃士に依頼しに行くという進行でしたが、この部分で、私が一番『おぉ!』と思ったのが、虚業化の康芳夫さんの登場。
私はこの人物の事に詳しいわけではないのですが、ジョジョの奇妙な冒険が大好きで、その作者である荒木飛呂彦氏が書いた『変人偏屈列伝 』で、人と猿の中韓の存在であるオリバー君を日本に連れてくるというエピソードが紹介されていた為、興味を持っていたんです。

(画像クリックはAmazonリンクです)

生で動いている康芳夫さんを観れたというのも印象的でしたが、2億円かけて石原慎太郎らと共にネッシーを探しに行ったという話にも度肝を抜かれました。
2億円あれば、この『緊急検証!』の映画が何本取れるんでしょうね。。。

テーマの紹介とオカルト三銃士への調査依頼が終わると、番組はプレゼンコーナーに移るのですが… このプレゼンコーナーのネタバレは、自粛しようと思います。
気になる方は、映画館に行くか、DVDの発売を待って、自身で検証されることをオススメします。

このプレゼンコーナーですが、私の印象では、かなりアッサリと終わった印象でした。
というのも私は、この映画は取材映像とプレゼンで2時間の映像に仕上がっていると思いこんでいたわけですが、体感で1時間もしない間に、取材とプレゼンが終了してしまったからです。

しかし映画は、ここから後編に入ます。

ということで、ここまでの前半部分での感想ですが、プレゼン部分は置いておいて、それ以外で一番印象に残っているのが、大槻ケンヂさんという存在ですね。
私の認識では、筋肉少女帯というバンドの人という印象だったのですが、オカルト関係の仕事もされていたんですね。
そういえば、Amazonの広告か何かで、山口敏太郎さんと対談本を出されているのを見たことがありますが… ここまでガッチリとオカルトの方だったというのは、個人的には意外でした。

(画像クリックはAmazonリンクです)

この大槻ケンヂさんのコメントというのが、普段、緊急検証!シリーズを見ていない私には、非常に助かりました。
というのも、映画で初めて『緊急検証!』を観た方の立場に立ってコメントされている為、私のようなニワカでも置いてけぼりをくらわなかったのは、大槻ケンヂさんのお陰です。
その他の出演者も、辛酸なめ子さんは、VTRやプレゼント直接関係がない、印象深いコメントをされていたり、オカルト研究家の吉田悠軌さんは、オカルトの専門家としてのコメントをしっかりされていて、それぞれの役割がハッキリしている点が、楽しみやすかったです。

前半と後半で全く違った作品になる

この作品は、映画の前半と後半部分で、全く違った作品になる映画です。
前半部分は先程も書いた通り、3つのテーマをオカルトを通して面白おかしくプレゼンし、それにコメンテーターがツッコミを入れるという作りになっているのですが、後半部分は、一気にシリアスな展開になります。
個人的には、この部分が非情に面白かったし、胸を打たれた部分でもあります。 この、後半部分を見るためだけに、映画館に行って1800円支払う価値があるんじゃないかと思わせる程でした。

この後半部分がどの様な作りになっていたのかというと、前半部分でプレゼンをしていたオカルト三銃士である『飛鳥昭雄』さん『山口敏太郎』さん『中沢健』さんの3人が、オカルトとどの様に向き合っているのかというのを視聴者に伝えるドキュメンタリーとなっています。
このパートで、一番印象に残ったのは、山口敏太郎さんのオカルトとの向き合い方です。

私自身は、山口敏太郎さんが番組に登場するのを数える程しか知らないのですが、その際の印象としては、オカルト関係の方なのに物凄い理論的な話をされる方で、説得力が有る方という印象でした。
何でもかんでも超常現象につなげるわけではなく、科学で説明できる部分は科学的に説明し、オカルトを使わないと説明できない部分だけ、推論という形で説明されている感じで、かなり信頼できる印象を持っていました。

この方が、何故、この様なスタンスになったのかというのが、ドキュメントパートによって明らかになったのですが、この部分が非情に感情移入して観れました。
というのも、この方は敵味方をハッキリと分けて考える性格の方の様なのですが、何故、その様な性格になったのかというのが、オカルトが好きすぎるからといった理由でした。
オカルトが好きであるが故に、何でもかんでもオカルトと結びつけて、お笑いのネタにしたり金を稼ぐ道具にしか思っていないような人が許せない。

この方にとっての敵は、オカルト否定派の科学者ではなく、むしろ、オカルトを軽んじているオカルト研究家。
オカルトというのを、自身の欲望の為に適当に消費し、オカルトから信用をなくしていっている人達に敵意が向けられている。逆の言い方をすれば、オカルトという現象に真摯に向き合っているのであれば、科学サイドの否定派の意見の方が重要だと考えるタイプの人なのでしょう。
オカルトに限らず、どの分野でもそうだとは思うのですが、一番厄介な人というのは、反対意見を主張する人ではなく、無茶苦茶な主張や適当な事を主張したり行動に移す身内だったりするもんですからね。
過去には、ヒッピーなど沢山のカウンターカルチャーや社会現象が生まれましたが、結局の所、質の悪い人間が大量に流入してくることにより、それは沈静化してしまいます。大切に思っているからこそ、クオリティを大切にしたいと思う気持ちは、非常に好感が持てました。
その態度が、私が現在勉強中のソクラテスと重なって見えて、非情に興味深かったです。

これは私事になるのですが、この記事の冒頭部分ではポッドキャストの話題を出しましたが、私自身も哲学をテーマにしたポッドキャストを配信していて、ここ最近では、その配信の為に古代ギリシャの哲学者の勉強をしているのですが…

プレトンが描くソクラテスという人物も、アレテーと呼ばれる人間の卓越性の研究をし、それを知っていると吹聴している賢者を訪れては、対話を行うというのを繰り返していましたが、このソクラテスが一番忌み嫌ったのが、『知らない事を知っていると思い込んで、探求をやめた人間』でした。
誤解しないで欲しいのは、ソクラテスは馬鹿な人間が嫌いというわけではありません。 知らないものに対しては『知らない。』と自覚し、真摯な態度で探求していこうという人に出会った場合は、『私も、その事については知りませんが、興味があるので、共に探求しましょう。』という態度で接しました。
山口さんも同様に、例え、雑誌に投稿する2~3行程の原稿であっても、日本全国を飛び回って、知らないことや分からないことに対しては徹底的に調査をされている。 だからこそ、適当なことをして足を引っ張る身内が許せないというのは、非常によく伝わってきました。

後半のドキュメント部分で、他にも興味深かったパートとしては、中沢さんの普段の格好についての解説です。
この方は、普段から画用紙を身に着けて生活をされているようなのですが、何故、その様な格好をされているのかの理由が、大変興味深く聞くことが出来ました。
その格好をすることで、主に人間関係などで結構なデメリットも有るようなのですが、それに対しても『自分が好きな人に嫌われなければ、それが良い』と言われていた部分に、胸を打たれました。

よくよく考えてみると、私達は小学校に入学する頃から『友達100人できるかな!』なんて洗脳を受けて、友だちが多い=人間性が高いと思わされてきたわけですが、そもそも、人間関係というものが数値で表せるものなのかも不明ですし、友達が多いということが人間性の高さにも、自身の幸福にも直結はしませんよね。
人間関係を広げる方法としては、自身の自我を閉じ込めて他人に迎合して生きていけば、表面上の人間関係を広げることは出来ますが、それが自分自身にとって良いことなのかと問われれば、そうではないように思えます。
地球には70億人を超える人類がいるようですが、その人達全員と仲良くすることは不可能ですし、どれだけ取り繕ったとしても、嫌われる人には嫌われる。
そうであるなら、無理をして自分が嫌いな人に調子を合わせて友達の人数を確保するよりも、自分の全てを晒け出して、それでも自分に対して行為を持ってくれる人間と深い付き合いをする方が、自分の人生にとっては良い事なのではないだろうか?といった態度は、非情に共感できました。

飛鳥昭雄さんのパートに関しては… 飛鳥さんが物凄く明るい方である為に、根暗な僕は共感することが出来ませんでしたが、『あの様に振る舞えたらな…』という憧れを少し感じました。

この作品は2回観たほうが良い?

この様に、この作品は、前半部分では、オカルトを少しバカバカしい感じのバラエティー番組に仕上げて放送し、その後に、プレゼンターがオカルトに対してどの様に接してきたのかをシリアスに伝えるという作りになっている為、後半部分を見た上で前半部分を見ると、全く違った印象が得られるように思えます。
そういった意味では、2回観る事で、本当に楽しめる作品なのかもしれません。
この作品は1週間ぐらいの公開が多いようなので、短い期間に2回行くというのは結構厳し目なので、NetflixAmazonビデオでの配信があれば、有り難いかなと思ったり。

とはいっても、1度は映画館で観たほうが良いのではないかと思います。
というのも、この作品自体は、TV番組のような作りをしている為に、映像的には映画館で観なければならないというわけではないのですが、大槻ケンヂさんのコメントなどを含めると、映画で見る事で楽しみが付加される作りになっているからです。

最期に感想をまとめると、想像していたよりも、かなり楽しめた作品でした。

寝ながら読書をする環境を整えてみた

少し前にサーキュレーターの紹介記事を書きましたが…
kimniy8.hatenablog.com
今回も、買い物ブログを書いてみようと思います。
今回紹介するのは、本を楽な姿勢で読む為のツールです。

本を読むのも結構辛い

私は数年前から本を読む習慣をつけようと、週に5日、1日1時間程度は本を読む時間を作ろうと、頑張ってきました。
その甲斐あってか、徐々に本を読むことにも慣れ、活字を読む習慣がついてきた訳ですが…

そんな私を悩ませる唯一のことが、本を読む姿勢です。

椅子と机を使うような生活の方であれば、椅子に座り、本を机の上に置いて読むというスタンダードな読み方をすれば、徳に疲れることもなく、長時間の読書が可能だと思います。
しかし、私のライフスタイルはというと、絨毯を敷いた床に直に座るというライフスタイル。
クッションはありますが、座椅子なども無い為、本を長い間読む姿勢というのが、なかなか安定しませんでした。

ベッドの上で三角座りの様な姿勢をとって読んだり、寝転がってうつ伏せで読んだりしたのですが、これらの姿勢を長時間行うのが結構な苦痛。
三角座りの場合は、背中を壁に押し当てる感じで座るのですが、そうすると、全ての圧力がお尻にかかって痛くなってくる。
また、姿勢も徐々に寝た形になり、不自然な体勢になってきて、1時間もすると、今度は首やら肩やらが痛くなってくる。

ベッドにうつ伏せに寝て枕の前に本を設置して読んだ場合は、脇と胸のあたりが圧迫されて、十数分もすれば腕の感覚がなくなってくる。
また、微妙に上体反らしを行い続ける姿勢は、結構、腰に来る。

どちらにしても、本を読むという行為よりも、その姿勢を維持する事が辛くなって、本を読むのが長く続かないという状態に悩まされていました。

寝ながら本が読めるツール

思いつく限りのどんな姿勢をとったとしても、結構、体に負担がかかってしまう。
自分の工夫だけでは限界が来ている感じになった為、解消できる道具がないのかを検索した結果…
理想的な道具が見つかりました!!

それがこちらです。

(写真クリックで商品ページ)

この商品は何かというと、簡単に言えば、タブレットを空中に固定する為の道具です。
自分の好きな位置にタブレットが固定できるという事は、仰向けに寝ながら電子書籍を読むことが可能になるという事。
仰向けに寝るという姿勢は、普段、寝る時に取っている時の行動なので、不自然な体の動きは一切なく、体にストレスが掛かることもない。

私は、2017年のAmazonのサーバーマンデーセールで、Fire HDの10インチを購入し、購入する本も電書に移行している最中だった為、『これだ!』と思い、即座に購入してみました。
ちなみに、 Fire HD 10インチはこちら。

(写真クリックで商品ページ)

Amazon primeメンバーであれば、1台目は割引適用の上、サイバーマンデー等のセールでは更に割引が行われ、10インチタブレットなのに1万円程度で変えてしまうという超高コスパ商品だったりします。
画面がかなり綺麗で、文字の潰れもほぼ無い。 タブレットを横にして、ファミ通を2p分表示させたとしても、文字が読めてしまうというスペックなのに1万円で買えてしまうというのは、顧客囲い込みの為に原価で売ってるんじゃないかと思わせる程。
まぁ、安いのには安いなりの理由も有り、Amazonが提供するサービスを利用するだけなら、この上なく使いやすいタブレットだったりするのですが、アンドロイド端末として使おうと思うと、結構問題が合ったりもします。

一番の問題としては、googleのアプリストアが使えない点です。
この端末には、Amazonが別にAmazon製のアプリストアを用意しているのですが、google playなら無料で売ってるソフトが、Amazonアプリストアだと有料になっていたりもします。
他にも、各出版社が出している無料漫画アプリや、dマガジンなどの定額読み放題サービスも締め出されていて、ダウンロードそのものが出来なかったりするので、アンドロイド端末として買う場合は注意が必要だったりします。
google playをインストールする方法もあるようですが、合法なのかわからない為、それはここでは書きませんので、各自で調べて自己責任で行ってください。)

このタブレットを、先ほど紹介した製品と組み合わせると、こんな感じになります。

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茶色いのが枕ですが、その枕の少し上にタブレットが固定できているのが分かりますね。
この環境により、仰向けにネタ状態で手で支えること無く、本を読むことが出来るという環境ができあがりました!!
素晴らしいですね!!!

人間はどこまでも堕落していく

この様に、見事に楽に本を読む姿勢を獲得したわけですが、人間は一度楽を覚えると、『もっと楽できる方法はないか…』と思い出すものです。
先程作った環境により、私は今までにないほどの環境を手にすることが出来たのですが、それでも、『ページめくりが面倒くさい。』という新たな贅沢な悩みが出てきてしまいました。
今の時期だと、ページめくりをする度に布団から手を出して、タブレットをタップしてページをめくるというのが面倒くさいんです。 また、タップをした事で画面が少し揺れたりもしますしね。

そこで、それを改善するための道具も購入しました。
それがこちら!

(写真クリックで商品ページ)

この商品は何かというと、ブルートゥースリモコンです。 タブレットスマホなど、Bluetooth接続出来る機器で利用できるもので、これを購入すると、リモコン経由でページめくりなどが出来るようなんです。

ということで、さっそく購入してみました。
この商品ですが、Amazonで検索したところ、全く同じ商品にもかかわらず、名前や値段違いのものが沢山出品されていて、最安値が330円で高いものだと1000円を超えた値段で販売されていたりもする商品。
私がどの商品を購入したのかというと、一番安い値段で出品されていた330円のものを購入しました。
海外からの発送のようで、到着には2週間かかると書かれていましたが、実際に到着したのは3週間後と、かなり待たされましたが…
無事に商品が到着しました! 大きさは、こんな感じ。
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この商品ですが、他のBluetoothリモコンが乾電池式なのに対し、Micro usb で充電ができるようになっているので、かなり便利です。
Bluetoothなので、範囲内であれば障害物が合っても反応する為、手を布団の中に入れていても反応してくれる優れもの。
この製品が、本体価格330円の送料無料って… 1個売ってどれぐらいの利益があるんでしょうかね。

実際に試してみた結果ですが、使い方としては少し分かりにくい。
というのも、ホーム画面とアプリ内とで、リモコンの操作方法が変わったり、リモコンに全く対応していないアプリが有ったりと、ややこしいうえ、説明書が英語と中国語にしか対応していない。
ただ、このリモコンを購入した最大の理由は、寝ながらKindle本のページめくりがしたいだけなので、それが出来れば問題はない。 ということで、キンドル本を立ち上げて操作してみたところ、特に設定をしなくても、方向キーの上を入力したら次頁に行き、下を入力するとページが戻りました!
この機能だけでも、購入したかいが有ったというものです。

その他にも色々と使えないかを試してみたところ、PCのリモートコントロールの際に、マウスとして利用できることが分かりました。
私のPCはwindows 10 pro なので、リモートコントロールが公式アプリで利用できるわけですが、そのアプリを利用中にマウスポインターを表示させて、リモコンの入力モードを gameからkeyに変えることで、方向キーでポインターを動かし、ボタンで右クリックと左クリックが行えました。
この機能を利用すれば、アドベンチャーゲームの様にマウスで選択肢を選ぶだけのゲームであれば、ベッドの上で寝ながらプレイすることも可能!

(この他にも、色々な使い方ができる様ですが、その説明は、ここでは致しません。
この製品は、Bluetoothリモコンの代名詞的な製品のようで、『タブレット リモコン』で検索すると、高確率でこのリモコンの説明ブログがヒットするので、使い方に困った方がいれば、検索してみてください。)

どれだけ堕落していくんだって感じですが、この環境が1500円程度で作れるというのは、結構すごい事ですよね。
同じ様な悩みを抱えている方は、一度、試してみてはどうでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第46回 移り変わる宇宙の捉え方(2)『見かけの重力・量子論』 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

科学も信仰

前回までの話は、科学もそんなには信用できないよ。というのを理解してもらうために、科学理論がどのように変化してきたのかについて説明してきました。
科学理論の変化について話すキッカケとしては、ソクラテスが活躍した古代ギリシャ時代から、理論の話を実際の世の中に持ってくる、または、その逆を行った場合、うまくいかないケースが出てくる…
例えば、『アキレスと亀』や『飛んでいる矢は止まっている』といったパラドクスが存在してしまうという話から派生して、現在の科学も同じで、現実の世界を完璧に表現できているわけではないという話をしてきました。

絶対的と相対的

その例として、ニュートンが考える宇宙とアインシュタインが考える宇宙が違うという話をしたのが前回でした。
ニュートンが考える宇宙は、絶対時間や絶対空間という物が存在する、分かりやすい宇宙でした。
分かりやすくいうと、時間は何処でどんな状態で測っても、1秒は1秒だし、空間も同じで、1立方メートルという空間は、どの場所でどんな状態で測っても、1立方メートルだという事です。
規則正しく線が引かれた方眼紙の上に存在しているような宇宙で、この宇宙では、様々な計算も比較的楽だし、素人目に観ても理解しやすい理論でした。

ですが、アインシュタインが考えた宇宙は違いました。
アインシュタインの考えた宇宙は、観測する他人毎に時間や空間が変わるというもので、時間や空間は相対的なものだというものでした。
簡単に振り返ると、光の速度は、どの状態で観測したとしても常に同じ速度という原理を元に作られた考え方で、物体が光の速度に近づけば近づく程、その物体が感じる時間はゆっくりになっていき、進行方向の空間は縮むというものでした。

詳しい話は前回に話していますので、まだ聴かれていない方は、そちらの方からお聞きください。

重力とスピード

この、物体が加速すると、移動している物体の時間が遅くなったり、目的地までの距離が縮まったりというのは、頭で理解できたとしても、信じられない人って多いと思います。
というのも、私達の感覚から、かなりずれた考え方ですからね。 ですが、この相対性理論は、これだけでは終わりません。
スピードを得るための加速と重力が同じものだという話も出てくるんですよ。

漫画でいうと、ジョジョの奇妙な冒険の第3部で、Dioは重力を操作することによって時間を止めますが、対する承太郎は速度の限界を超えることで時間を止めますよね。
速度と重力は同じと考えると、重力使いとスピードキャラの能力が同じというのも理解しやすいですよね。

重力と加速

これがどういう事なのかを簡単にいうと…というか、私自身の理解が追いついていないので、簡単にしか説明できないんですが…
電車や車などの乗り物に乗って、椅子に座るとしますよね。 この状態で乗り物が動き出すと、体が椅子に押し付けられるような感覚があると思います。
この感覚と重力は、同じものだということらしいんです。

例えば、外側が見えない箱があったとして、そこに人を入れて、無重力状態の宇宙まで持ち上げるとします。
この状態では、当然ですが、箱の中に入った人も無重力の状態になり、どちらが上なのか下なのかがわからない状態になります。

この、人が入った無重力状態の箱を、一方方向に加速しながら引っ張るとすると、どうなるのかというと、進行方向と逆の方向に押し付けられることになります。
これは、停車している電車の椅子に座っていいる状態で、電車が加速しながら走り出すと、座席の背もたれに押し付けられるのと同じ事ですね。

では次に、無重力状態の人が入った箱を、重力がある星に近づけていくとどうなるでしょうか。
この場合は、星の重力方向に引っ張られるように、箱の中に入っている人は、重力が引っ張る方向の壁に押し付けられる事になります。

この様に、2つの方法で、箱の中に入っている人を一方の壁に押し付けることが出来るわけですが、2つの方法だと分かるのは、その箱を外から観察している人だけなんです。
箱の中に入っている人にとっては、外を確認する手段が無い為、箱が加速したことで壁に押し付けられたのか、それとも、重力のある星に近づいたから、その方向の壁に押し付けられたのかが、判断がつきません。
この、物体が加速することによって生まれる『見かけの重力』と、質量が持つ『重力』は、同じだという考え方なんです。

等価原理

この主張のことを、等価原理というそうです。
ただ、これも、よくよく考えると、疑問が出てきますよね。

というのも、たしかに、外を確認することが出来ない箱の中に入っている人にとっては、加速で生まれた『見かけの重力』なのか、大きな質量を持つ物体が近づいた事によって発生した重力なのかは、判断が出来ません。
でも、外から見ている人にとっては、どちらの方法で、壁に押し付ける力が働いたのかというのは、一目瞭然なので、2つの力は違ったもののように思えてしまいますが…同じと考えるらしいんですね。
これが、相対性理論の考え方のようです。

この考えを発展させていくと、重力が強くなれば強くなるほど、時間の流れは遅くなっていきます。
何故、時間の流れが遅くなってしまうのかというのは、前回にも説明しましたが、時間というのは、光の速度に近づけば近づく程にゆっくりとなっていき、光の速度と同じ状態では、時間は止まってしまうからです。
そして、今回。 等価原理によって、加速と重力が同じだと説明しました。 重力が強くなるということは、それだけ速いスピードで加速するという事と同じなので、強い重力の下では時間は遅れてしまいますし…
ブラックホールの様な光をも飲み込んでしまう強い重力に呑み込まれると、時間は停止してしまいます。

絶対的と相対的

つまり、この理論が生まれる前に、いままで考えられていた世界というのは、まず、世界というものがあって、そこに私達が存在しているという世界観でした。
絶対的な世界。そこには、絶対的な時間があり、絶対的な空間があって、その中に、私達が存在しているという、分かりやすい世界観だったわけですが、相対性理論はそうは考えないんです。

例えば、これを聞いている皆さんが、今からスタミナが続く限り、全力疾走をしたとします。
そうすると、それを傍からみている人間にとっては、あなたが走っているように見えますが、実際に走っている『あなた』から観ると、あなた自身は止まっていて、世界の方が動いているように見えます。
この時、走っている『あなた』が観る世界と、走っている『あなた』を観ている人とでは、時間も空間も違っているという事です。

世界は、先程言ったような絶対的な空間や時間が有るものではなく、相対的なもので、観察している人間によって変わるという事なんです。
時間と空間というのは全く別の存在ではなく、それぞれに関係しあっているということです。
この話は、私達が感じる実感とはかけ離れている為に、いまいち『ピン!』と来ないと思います。 話している私自身も、いまいち分かって無いので、これを聞かれている方が、理解できていなかったとしても当然だとは思います。

言葉で説明しても、イマイチイメージがつかめないと思うので、今回話した重力と時間の関係について興味を持たれた方は、映画のインターステラーを観ると、イメージがつかみやすいかもしれません。

絶対的な世界を更に揺るがす量子論

相対性理論を簡単に観てきたわけですが、これだけでも分かりにくい『世界』というものなんですが、量子論という存在によって、更に分からなくなります。
単純に、量子論の考え方が難しいという事もあるのですが、今までの常識を塗り替えた相対性理論の世界を更に塗り替えるような考え方なので、私達の常識というものが、更に通用しなくなるんです。

ということで、これから分かる範囲で、量子論の説明をしていこうと思いますが、繰り返しになりますが、私は専門家ではありません。 理解不足の部分もかなり有るので、興味が有る方は、自身で調べてみてくださいね。
量子論とは、ものすごく簡単にいうと、ミクロの世界について考えて、それを発展させる学問です。
この宇宙に存在しているものは、人間であったり、星であったり、銀河であったり、どんな大きなものであったとしても、小さなミクロの積み重ねによって出来ています。
この考え方は、以前にイオニア自然学の話をした際に、アナクサゴラスの主張として紹介しましたよね。

古代ギリシャのアナクサゴラスの時代には、観測する為の装置なども無かったので、机上の空論でしか無かったわけですが、1900年代に入って技術が追いついたことで、このミクロの分野の研究も進んでいくことになります。
この量子論が生まれた時期としては、前回から紹介している相対性理論と同じ様な時期となっています。
その為、この量子論が生まれた当時は、まだ、アインシュタインも生きていたので、この今までに無い理論の、納得できない点について、様々な批判的な意見を言っていたりもしました。

では、アインシュタインがそこまで批判的な意見をいってしまう、この量子論という考え方は、どのようなものなのでしょうか。
どのようなものかを、物凄く簡単に、ざっくりと言ってしまうと、『物質は、確率の波として存在している』という理論です。
確率の波として存在しているので、観測して初めて、状態が確定するという事らしいのです。

(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

サーキュレーターの購入で生活環境が変わった話

今日は珍しく、私が購入した商品についての紹介ブログを書いてみようと思います。
今の時代、こういう記事を書くと、ステマとか疑われそうで嫌なのですが・・・
書かずにはいられない商品を購入したので、記事にしてみようと思います。

この記事を読まれている方は、タイトルを読んだ上で訪問されていると思いますので、買った商品を勿体を付けても仕方がないので最初に書いておきますと、サーキュレーターです。

扇風機との違い

写真を見てもらうと、扇風機っぽい構造をしているけれども、微妙に違う感じがする商品ですよね。
では、サーキュレーターとは何ぞや?というと、英語の【circulate】が『流す』とか『循環する』という意味で、それに『~するもの』という意味の【er】が就いているので、循環させるものといった意味合いがある商品です。
『循環させるもの』って、何を?というと、空気を循環させるものです。

扇風機とは何が違うのかというと、扇風機の用途は、基本的には人間を冷やすものです。
夏など、汗ばむ季節に扇風機を回して風に当たると、体から出た汗が蒸発し、その気化熱によって涼しくなることを目的としたのが、扇風機ですね。
一方でサーキュレーターは先程も書きましたが、部屋の空気を循環させる事が最大の目的としています。

同じ様にプロペラを回して風を出すだけの機械なのに用途が違うために、若干、違った形状になっていたりもします。
扇風機は人の体に風を当てる為、体に全体的に風を送るのに対し、サーキュレーターは部屋の空気をかき乱す為に存在するので、風の影響を遠くまで届ける作りとなっています。

冬に活躍! サーキュレーター

先程も書きましたが、サーキュレーターと扇風機は似て非なるもの。
その為、当然といった良いのか、活躍する季節も違います。
扇風機は基本的に涼む為の道具なので、汗ばむ季節に活躍するわけですが、サーキュレーターは逆に冬に活躍します。

サーキュレーターが特に役立つ家庭というのは、暖房器具に石油ストーブを使用している家庭になると思います。
一方で、暖房器具に最新の省エネ エアコンを使用しているような家庭では、恩恵は少ないと思いますので、予めご了承ください。

先程も書きましたが、私の家では、主に石油ストーブで暖を取っているわけですが、単純にストーブを灯けているだけでは、それほど暖まらない。
何故なら、空気は温度によって重さが変わり、ストーブによって熱く熱せられた空気は上昇して天井付近にたまり、一方で、冷たく冷えている空気は床付近に溜まる。
気密性の高いマンションのような場合だと、これも軽減されるのかもしれませんが、一軒家の場合だと、外気が入り込む隙間が多く、外の冷えた空気が床付近に溜まり、いつまで経っても暖かくならないという状態になってしまいます。
また、座った状態から立ち上がると、部屋の上の部分だけが暖かくなっていて、少し気持ちが悪くなったりもします。

この他にも、皆さんもご存知のとおり、石油ストーブというのは石油が燃えた際に水蒸気を出すという特徴がある為、ストーブを灯けていると部屋の湿度が上昇し続けます。
この湿度ですが、部屋全体に均一に広がってくれていれば良いのですが、そう上手くはいきません。
ストーブから出た水蒸気は、ストーブから出る上昇気流によって天井付近に行くわけですが、それが壁などに到達すると冷やされて、徐々に壁に沿って下の方に降りてきます。
これによって、壁と家具との間の隙間に湿気がたまり、ひどい場合には結露になって壁に付いたりもします。

この結露や湿気が慢性的にたまった状態になると、それが元で壁紙が剥がれてきたり、カビが生えてしまったりもします。
壁紙の剥がれやカビは、家の寿命も縮めるでしょうし、カビがずっと生えている状態は衛生的ともいえませんし、健康状態にも影響が出てくるかもしれません。

この様に、石油ストーブにはそれなりに難点が有るわけですが、この難点を解決してくれるのが、サーキュレーターだったりします。
先程も説明しましたが、サーキュレーターの役割は空気をかき乱すことです。

湿気が特定の場所に留まり続けて、結露やカビの繁殖の原因になるのも、人が居ない部屋の上の部分だけが暑くなり、人が生活している部屋の下部分がいつまで経っても暖まらないのも、理由は簡単で、空気の流れがほぼ無いために、湿度や温度差に強弱が生まれてしまっているのです。
これを解決する為に必要なことは一つで、空気の流れを人工的に作ってやればよいわけです。
その為には何が必要なのかというと、今回のテーマであるサーキュレーターだったりします。

サーキュレーターによって強制的に空気の流れを作って循環させることにより、様々な問題がかなり軽減されます。
部屋の大きさに合ったサーキュレーターを購入することで、部屋の空気はきれいに循環し、温度差や湿度の問題も、かなりマシになるでしょう。
サーキュレーターを買う前は、数時間、ストーブをつけていただけで窓は結露し、外の景色が見えない状態になっていました。

これを解決する為に、窓を少しだけ開けるという事で対処してましたが、温めるためにストーブをつけているのに、それが原因で結露になって、それを解決する為に窓を開けるというのは、かなり効率が悪いような気もします。
また、窓を開けたことで入ってきた冷気は、当然のように地を這うようにやって来るので、椅子ではなく地面に座るタイプの生活スタイルだと、冷気が直でやって来る状態になり、何のためにストーブを付けているのかが分からなくなる。
ですが、サーキュレーターの導入により、壁際や窓周辺に湿気を多く含んだ空気が溜まりにくくなった結果、結露が起こりにくい状態を作り出すことが出来ました。

結露がなくなるということは、窓を少し開けるという対処法も行わなくて良くなる為、ストーブの暖房効率も上昇する。
当然ですが、部屋全体の空気を循環させているため、上だけ暑くて下が冷えているなんて状況も生まれない。
買ってから数日は、『なんで、もっと早く買って置かなかったんだ!』って感じで感動をしていました。
まぁ流石に、家具と壁の隙間までは空気の循環が起こりにくいですので、隙間に向けてサーキュレーターの風を定期的に送り込む必要はあるのでしょうけれども。

扇風機で代用できないのか

最初の方にも書きましたが、サーキュレーターと扇風機は構造が似ているので、扇風機で代用ができないのかとお考えの方も多いと思います。
結論から書くと、出来なくはありませんが、効率は落ちます。

先程、石油ストーブをつけた環境でサーキュレーターがどれほど役に立つのかというのを書きましたが、基本的に冷たい空気は下の方に溜まります。
しかし、人の体を冷やすことが目的で作られた扇風機は、基本的にはネック部分が長く作られている為、部屋の下の空気を拾い上げて上に循環させるという事が行いにくいです。
それを無理やりしようと思うと、扇風機を寝かした状態で運転させなければなりませんが、余程広い部屋でもない限り、寝かせた扇風機は邪魔になります。
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一方でサーキュレーターは、空気を循環させる目的で作られている為、プロペラ部分がかなり下についていて、床に近い空気を吸い上げる構造になっています。
また、扇風機は人に当てる為に作られているため、ネックの可動域も低いですが、サーキュレーターはプロペラが真上に向けることが出来たりもします。
他にも、扇風機は風を人の全面に当てる構造になっている為、空気が拡散して出る作りになっていますが、サーキュレーターの場合は、風を狭い範囲で出来るだけ遠くに送る設計になっている為、効果が全く違います。
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私が以前使用していた扇風機は、デザイン重視で購入した為か、回すと非情に音が大きく、テレビの音も聞こえないほどなのですが、一方で風の強さはというと、床近辺に寝かせた状態で起動させた場合、風が天井までぎりぎり届くか届かないかぐらいでした…
効果がまったくなかったわけではありませんが、うるさい割には効果が低いという印象でしたが、今回購入したサーキュレーターは、かなり静かだったのにも関わらず、『静音』『中』『強』の3段階の『中』で起動させても、天井に届いた風が跳ね返って降りてくる程のパワーが有りました。
ただ、風が拡散したい為、扇風機の用途として使えるのかというと、微妙かもしれませんが。

ちなみにですが、私が購入したのは、日本ではコスパ最強なんじゃないかと名高い、アイリスオーヤマの製品です。
私は首振り機能有りの製品を選んだ為に、3000円近い金額でしたが、首振り機能なしを選べば、2500円で買えるというのは、かなりコスパが良いと思いました。

私と同じ様な悩みをお持ちの方で、解決法を探しておられる方は、一度試しに購入してみてはいかがでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第45回 移り変わる宇宙の捉え方(1)『相対性理論』 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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今までの法則に矛盾する光の速度

ですから、今までの速度に関する法則も、この『光の速度は変わらない』という前提で、再度、考えなくてはなりません。速度に関する法則は、時間と距離が分かれば、速度がわかるという、『はじきの法則』と呼ばれるモノの事だと思ってください。
距離が100キロで、そこまでの移動時間が1時間であるなら、100キロを1時間で割ると、時速100キロとなります。
距離を速さで割ると、その地点までの到達時間が解りますし、速さと到達時間をかけると、目的地までの距離がわかります。

この法則は、例えば、徒歩や自動車や電車を使うと言った程度の速度では、今までどおり問題なく使えるわけですが、これが光の速度になると、話が変わってきます。
というのも、光の速度は常に一定であるわけですから、光の速度が絡んだ計算においては、『はじきの法則』の速さの部分は、常に30万キロで固定されてしまうわけです。
速さが常に30万キロで固定されるということは、計算式を合わせるためには、残りの距離と時間の方を調整せざるをえない状態になってしまいます。

観測者の速度によって変化する時間

では、具体的にはどんな現象が起こるのかというと…限りなく光の速度に近い宇宙船が開発されたとして、そのロケットに乗っている人の時間はどうなるのかというと、高速に近づけば近づく程、時間は徐々にゆっくり流れていくようになります。
私は科学の専門家ではないので、この解釈があっているのかどうかは分からないという前置きをして、先程の例についての自分なりの解釈を言わせてもらうと、光の速度は秒速30万キロで、この速度は、どの状態で観測しても同じということは確定しているわけです。
この前提で、光の速度まで加速できるロケットに乗って光と競争すると考えると、ロケットは最終的に光の速度まで加速して、光と並走する事が出来るはずなんですが…

実際には並走できず、高速に近い加速をしたとしても、窓から見える光は秒速30万キロで、ロケットを追い抜いて行くことになります。
この辻褄を合わせるためには、ロケットの時間がゆっくりになっていって、光の速度に到達した時に、ロケットの時間が止まってしまえば、辻褄は合うことになりますよね。
動画の再生をイメージしてもらえれば分かりやすいかもしれませんが、新幹線が走っている姿を間近で撮った動画を、そのままのスピードで再生すると、早すぎて、何がなにか分かりませんよね。

でも、再生速度をゆっくりにしていくと、新幹線のスピードはドンドン落ちていって、一時停止をすると、新幹線は完全に止まって静止してしまいますよね。
この再生速度の低下を、時間がゆっくり流れていくという現象に、そして、ロケットの速度が光の速度と同じになった時に、時間が停止する。 動画でいうと、一時停止状態に置き換えてみると、分かりやすいかもしれません。
ロケットが光の速度と同じ、秒速30万キロの速度が出ていたとしても、そのロケットの時間が停止してしまうと、そのロケットは動かないわけですから、止まっている状態となります。

時間が止まってロケットが静止している状態で、競争している光を観測すると、光は秒速30万キロでロケットを追い抜かしているように見える為、辻褄は合いますよね。
今回の例では分かりやすいように、ロケットのスピードが光と同じ速度まで出ているとしましたが、原則としては、光速と同じ秒速30万キロに到達する事は無いようなので…
どれだけ技術が進んだとしても、光の速度と同じスピードのロケットは作ることは出来ません。

ですが仮に、光の速度の99%の速さで進むロケットが開発された場合は、そのロケット内の時間は、かなりゆっくりと動くことになります。
ここで注意が必要なのは、時間がゆっくり流れているからといって、宇宙船の中の人は、全てのものがスローに見えていたり、ゆっくりしか動けないというような状態に成るわけではないという事です。
宇宙船の中でも、時計は1秒を普通の感覚と同じ様に刻み続けますし、宇宙船の中の人は、普段と同じ様なスピードで動けます。

伸び縮みする空間

宇宙船の中の人は、時間の流れの変化は感じないわけですが、実際のロケットは、時間経過がゆっくりになるということです。ただ、ロケットの時間が遅くなるとすると、おかしな状態になってしまいますよね。
どれだけ早い乗り物を作ったとしても、その乗り物が加速すればする程、その割合に従って時間がゆっくりになっていくのであれば、早い乗り物を作ったとしても、意味がなくなりますよね。
先程の動画の例を思い出してもらえれば解りますが、時間経過がゆっくりになれば、それに応じて乗り物のスピードもゆっくりになってしまうわけですから、速い乗り物を作る意味がなくなります。

また、現実の世界とも矛盾しますよね。
頑張っても時速30キロしか出ない自転車と、時速100キロでる自動車とが競争すれば、当然、時速100キロでる自動車の方が競争に勝つことが出来ます。
当然のように、時速100キロの自動車と、限りなく光の速度に近いスピードが出るロケットが競争すると、ぶっちぎりでロケットが勝つでしょう。

仮に、光の速度で1年かかる距離、つまり1光年先にある目標に、この限りなく光の速度に近いロケットで向かったとすると、そのロケットは1年ちょっとで目標地点まで到達できるはずです。
しかし、先程も言いましたが、光の速度に近づけば近づく程、ロケットの時間は限りなく停止していくわけで、時間停止に伴ってロケットの速度も停止していくはずなので、目的地には、いつまで経っても着かないはずです。
でも実際には、1年ちょっとで目的地には着くんです。 この辻褄を合わせる為には、どうしたら良いかというと… 光の速度に近づくほど、空間の方が縮んでいる事になれば、辻褄は合いますよね。

仮の話ですが、光の速度と全く同じスピードでるロケットが作れた場合、そのロケットが加速して光の速度に到達した時点で、ロケットの時間は停止するわけですが、それと同時に、目的地までの空間が縮んで、距離がゼロになるとします。
ロケットの時間が停止して、乗り物自体が移動することができなくなっても、目的地までの距離がゼロになれば、ロケットは目的地に到達していることになるので、矛盾はなくなるということなんでしょう。
何度も言いますが、私は科学の専門家ではないので、このあたりの解釈は間違っているかもしれないので、気になる方は自分自身で調べてみてくださいね。

観測者ごとに違って見える世界

つまり物体というのは、光の速度に近づけば近づくほど、その物体の時間は遅くなっていくわけですが、それと同時に、進行方向の空間も縮んでいくという事です。
光の速度に近い速度が出る乗り物に乗った場合、そのロケットに乗っている人の時間はゆっくり進んで、その上、目標地点までの距離は縮むので、光の速度で1年かかる距離にある地点には、体感では1年かからずに到達します。
ロケットが、光に対してどれぐらいの速度が出るかにもよるのでしょうが、光の速度に限りなく近い速度が出せるのであれば、1光年先にも、体感時間としては、数分で着くという事です。

ただ、そのロケットに乗り込まず、外から観察している人、例えば、地球の地面の上でロケットを観測している人がいたとすると、そのロケットは、1年以上かけて目的地に到達することになります。
つまり、時間や空間というのは、光速に近い速度が出るロケットに乗っている人や、地面に座って動かない人など、人それぞれの状態によって変わってしまうという事のようなんです。
当然の事ですが、人それぞれの状態によって、体感時間の差も生じてしまいます。

先程の、光の速度に近いロケットで1光年先まで行く例でいうなら、ロケットに乗っている人にとっては数分の時間しか経過していない事になりますが、地球で観測している人からすると、ロケットの到達時間は1年以上かかっている事になります。
この体感時間の差の事を、浦島太郎のおとぎ話と同じ様な出来事ということで、ウラシマ効果といったりもします。

これは、言葉だけで聞いていても分かりにくいと思うので、映像などで観てみると良いかもしれませんね。
ウラシマ効果は、SF作品で結構使われていたりもしますが、個人的には、『トップをねらえ!』というアニメ作品をお勧めしたいですね。
このアニメでは、スピードを加速して光の速度に近づけば近づくほど、地球のカレンダーが高速で進んでいくという表現で、ウラシマ効果を表現していて、分かりやすいと思います。

相対性理論は、この他にも、重力とスピードが同じといった話もあるのですが… 結構長くなってきましたので、その話は次回にしようと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第45回 移り変わる宇宙の捉え方(1)『相対性理論』 前編

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前回の振り返り

前回は、科学では真理を見つけ出すことが出来なというソクラテスの主張を説明する為に、ゼノンのパラドクスなどを持ち出して、理論の話を現実世界に持ち込むと、不具合が出るという話をしていきました。
今回は、科学の理論そのものも、そこまで信用できるものではないのかもしれないということについて話していきます。

一応言っておきますと、今から、科学の例を出しますが、私は科学の専門家ではないので、理解が不足していたり解釈が違っていたりするところも多いと思います。
気になるところがあれば、自分自身で調べられることをお勧めします。

ニュートンが考えた宇宙

気を取り直して続けましょう、宇宙の構造や法則についてですが、例えば、ニュートンが思い描いていた宇宙は、もっとシンプルな構造をしていました。
規則正しく線が引かれた方眼紙の上に、星々が配置されている様なイメージといえばよいのでしょうか…
昔考えられていた宇宙空間では、平行線も交わることがない、計算しやすいものとして、宇宙空間というものがもっとシンプルに捉えられていました。

時間も同じで、絶対的な時間というものが存在していて、どの環境にいようが、全ての場所で同じ時間が経過していると考えられていました。
この考え方というのは、特殊な考え方でも何でも無く、普通の感覚… 何を持って普通というのかは、ひとまず置いておいて、多くの人がイメージしやすい考え方だと思います。
今、私達が感じている5分という時間は、エベレストの頂上でお同じ5分で、地球の周りを高速で回転している衛生の中でも、同じ5分。

場所や環境が変わったところで、5分間という時間そのものは変わることはなく、時間は一定のスピードで、全ての空間で等しく流れている…
そう考えるのが、わかりやすいですし、自然な考えではないでしょうか。
もし、人によって時間が変わるのであれば、人と待ち合わせるといった事も出来なくなりますよね 『10分後に集合しよう』と決めて、その10分が条件によって変わるのであれば、集合しようという取り決めは意味がなくなります。

歪む空間と時間

ですが、アインシュタインの登場によって、この科学的な常識が破壊されます。
空間というのは、重力によって捻じ曲げられるという事が分かってしまいました。 これは、分厚いスポンジの上にボーリングの玉を置くと、スポンジが大きく沈むこむような感じで、空間そのものが重力の影響を受けて歪んでしまうということです。
スポンジの上に置く物体が重ければ重いほど、スポンジはより深く、広範囲に沈み込むことになりますが、空間のゆがみ方もそれと同じ様に、重力の強さによって、歪み方も影響範囲も変わります。

つまり空間というのは、私達が思っている程、単純なものではなかったということです。
私達が存在している宇宙は、規則正しく線が引かれた方眼紙のようなモノの上に成り立っているのではなく、物が、ただ存在しているだけで、空間そのものが歪んでしまう複雑なものだとうことが解ります。

これは時間も同じで、この世には絶対的な時間というものは存在せず、時間そのものが相対的なものである事が分かってきました。
この事が何故わかったのかというと、光の速度がどの時間、どの状態で観測したとしても、同じ、秒速30万キロだったからなんです。でも、これって、かなりおかしい事ですよね?

地球上で光を観測する

例えば、地球というのは、音速並みのスピードで自転しています。これは、飛行機のフライト時間で考えると分かりやすいかもしれません。
日本の裏側にある国はブラジルと言われていますが、日本からだと地球の半周に当たるブラジルまで飛行機で行くとすると、24時間以上かかってしまうのに、地球は1周回るのに24時間しかかかりません。
つまり簡単にいえば、地球の地面のスピードは、飛行機の速度の倍ということになります。地球の赤道の長さが4万キロなので、それを24時間で割ると速度が出せるわけですが、計算すると地面の速度は時速1,666キロ。1秒間で約500M進む事が分かると思います。

朝、太陽が東から登ってくるという事は、地球の自転によって、地面が太陽の方向に向かって動いているわけですから、普通に考えれば、太陽の光を観測した場合、太陽光の速度は地球の自転のスピードを足した数字になるはずです。
逆に、夕日を観測した場合は、地面は太陽から離れる方向に動いているわけですから、太陽光の速度は、地球の自転を引いた数字にならないとおかしいですよね。
少しわかりにくいかもしれないので、自動車の例を出して説明してみましょう

相対速度

これは、相対速度という考え方なのですが、例えば、自動車が2台あって、1台が止まっていて、もう一台の車が時速100キロで止まっている車を横切ったとしましょう。
この時、お互いの車に乗っている人は、車に乗っている観測者が時速100キロですれ違った事を観測する事ができます。
次に、時速100キロで走る車に並走する形で、もう一台の車が時速100キロで走ったとすると、車に乗っている人達は、互いの車を見ても止まっているように見えます。

実際には、タイヤは回っていますし地面も景色も動いていますから、止まっているとは思わずに並走していると思うんでしょうが、車に乗っている観測者だけに焦点を当てると、常に自分の隣りにいて動いていないわけですから、止まっているように見えます。
次に、片方の車が時速100キロで走り、もう一方の車が時速70キロで走ったとすると、時速100キロで走っている車に乗っている観測者から見れば、もう一方の車の観測者は時速30キロで後退しているように見えますし…
逆に、時速70キロで走っている車に乗っている観測者から見れば、もう一方の車の観測者は時速30キロで進んでいっているように見えます。

また、2台の車が時速100キロで、お互いの車に向かうような形で進んだ場合。 仮に、左からA地点B地点C地点として、車がA地点とC地点にあって、お互いの車が時速100キロでB地点ですれ違うという場合ですね。
この場合は、お互いの観測者は、時速200キロですれ違っているように見えます。

光速度不変の原理

この、相対速度という考え方を、先程の太陽から出る光に当てはめると、理解がしやすいと思います。
太陽に向かって進んでいる状態で太陽光を観測すれば、太陽光の速度は時速30万キロという速度にプラスして、地球の自転スピードの時速、約1700キロを足した数字で計測されるはずです。
逆に、太陽から遠ざかる時間帯に太陽光を観測すれば、太陽光の速度は時速30万キロから地球の自転スピードを引いた数字で計測されるはずですよね。

他の例でも説明してみると、車のヘッドライトを付けた状態で前進した場合、ヘッドライトから出ている光のスピードは、車の速度+光の速度になるはずです。
逆にバックをした場合、光のスピードは車の速度を引いた速度になるはずですよね。

しかし実際に計測してみると、光の速度はどちらも同じ、秒速30万キロだったんです。 これを、『光速度不変の原理』、つまり、光の速度はどの状態で観測しても、同じ速度ですよという原理なんですが…
でもこれって、かなりおかしな事ですよね? 今までの普通の物理の法則から考えても、かなり常識から外れているように思えます。

仮に、光が右から左に秒速30万キロで動いているとして、光と同じ速度が出る乗り物で、同じ様に右から左に移動した場合、普通なら、光の速度に追いついて、止まっている状態の光を観測できるはずですよね。
でも、この『光速度不変の原理』では、仮に、秒速30万キロで動く乗り物が完成したとして、光と同じ速度で並走したとしても、その乗り物から観測した光は止まっているように見えず、秒速30万キロで同じ方向に進んでいるように見えるということです。
秒速30万キロの乗り物を、光が秒速30万キロで追い抜いているなら、では、光の速度は秒速60万キロに加速しているのかといえば、そうではありません。
秒速30万キロの乗り物と光との競争を、少し離れた位置で地面に座ってみている人がいた場合、その人が光の速度を観測した場合、光の速度は30万キロしか出ていないんです。

これって、かなりの矛盾ですよね。ですが、どんなにオカシクても、今までの考え方に矛盾したことであっても、観測結果によって『そういう事実があるらしい』という事が分かれば、それを踏まえた上で仮説を積み重ねていくのが科学です。

つづく

明石市長の件を機に パワハラについて考えてみた

先日、明石市長のパワハラ発言が問題になりました。
https://abematimes.com/posts/5640899abematimes.com

私としては、市長の主張の全てに同意できるものではありませんが、カッとなってしまったことに関しては、自分の立場も踏まえると共感できる部分があったので、これを気に今回は、パワハラについて考えていこうと思います。
誤解のないように最初に書いておきますが、私は市長の発言を正当化するつもりもありませんし、問題は有ると思っています。
この市長は、職員に対して犯罪行為を進めるような言動をしている為、それはどんな事情があったとしても許される発言ではなかったと思っていますので、ご了承ください。

私が視聴に対して同情をしている部分は、『中間管理職』という、置かれている境遇です。
市長が中間管理職?と思われる方も多いと思いますが、私としては、実質的には市の責任者であっても、選挙で選ばれる市長は絶えず市民の方を向いて仕事をしなければならない為、立場的には、『市民』という数多くの上司を抱えている中間管理職と同じようなものだと認識しています。

結論から書いてしまうと、この、中間管理職という立場が、パワハラを生み出しているように思えます。
パワハラをしている人間は、一方的な加害者というわけではなく、ある意味では、被害者なのではないか。
つまり、パワハラをする個人だけに原因が有るわけではな無く、社会システムに不具合の為に、パワハラた生み出されているのではないかという主張です。

社会システムの不具合

人が作り出す社会というのは、多くの場合がピラミッド高層になっていき、少ない上層部が多くの人間を支配できる作りになっています。
人はピラミッドの様に階層分けされ、裾野の広い下層部分は、グループや班といった具合に分けられて、班長などが決められる。
上から降りてきた指示は、それぞれのグループの体表を通して末端まで伝えられ、組織全体が動くような仕組みになっています。

中間管理職とは、自分自身が携わっている現場と、トップをつなぐ役割の人と認識してください。
組織が大きくなればなる程、この中間管理職の数は多くなり、トップからの指令は伝言ゲームの様に数多くの人間を通して伝えられることになります。

この中間管理職ですが、何が辛いのかというと、上から現場の責任は押し付けられるが、自分には裁量が与えられていない事だったりします。
つまり、自分が管理するグループに、誰の目から見ても明らかにやる気がなく、仕事をサボることしか考えていないような人間が配属されたとしても、その人間を自分の権限では解雇することが出来ないんです。
組織が大きくなればなるほど、その権限を持つような上司に相談しようにも、何人もの上司に話を通さなければならなかったり、仮に、権限を持つ人間に辿り着けたとしても、『そのような人材を使える人間にするのが、君の仕事じゃないか。』と言われて終了ということも有る。

上から成果を出すように圧力がかけられている状態で、全くやる気がない人間が目につくと、思わずカッとなってしまうのは、人間としては仕方のない事のようにも思えてしまいます。

全くやる気がない人間

パワハラの議論がされるときというのは、大抵の場合が、一生懸命やってる人間に対して上司が、職場で上の立場だということを利用して虐めるといったケースが紹介されます。
上司や経営者がサイコパスで、部下を虐めたり、長い拘束時間を課す事で優越感に浸ったり、ストレス発散の為に怒鳴り散らしたりするケースのことですが、これらのケースでパワハラ加害者やその行為の正当化をするつもりはありませんし、同情する余地もないと思っています。
しかし、この様な分かりやすいパワハラは、全体のどれ位の割合を占めているのでしょうか。 そうでないケースは無いのでしょうか。

これは私事になるのですが、私も中間管理職の様な立ち位置だったりします。
私の職場は人数そのものが少ないので、私が指示を出す人間は1人だけなのですが、この人物。 仕事に対してのやる気がまったくない。

仕事の時間中、ずっと考えていることは『いかにしてサボるか。』ということで、労働時間中、サボればサボるだけ、自分が得をすると思いこんでいる。
頭の中は常に、怒られないギリギリラインでサボるには、どの様に振る舞えばよいのかといった事を考えている為か、指示したことも上の空だし、仕事のやり方を教えても全く覚えませんし、仮に覚えても3日後には綺麗サッパリ忘れます。

こういったことを書くと、『何故、他人の考えていることが分かるの?超能力者なの?』『その人はその人なりに一生懸命やってるはずだよ。』といった反論をしたい気持ちになる方もいらっしゃると思います。
しかし、私はこの人物、仮にAさんとしましょう。Aさんと昨日今日、仕事を共にしているわけではないのです。 もう20年近く一緒にいて、そばで仕事のやり方を見ているので、行動で分かるのです。
これだけでは抽象的なので、具体的な例を書いてみましょう。

その人物は、20年仕事をしていますが、20年間仕事のやり方を教えたけれども、1つの仕事しか覚えることが出来ませんでした。
まぁ、これはこれで良いでしょう 1つの仕事でも真面目にしてくれるのであれば、こちらとしては助かります。

その仕事とは、昔は内職に出していた簡単な製造の仕事で、一人で完結させることが出来る仕事です。
この仕事を、私も同じ作業部屋で一緒に行った場合は、Aさんは1時間で100個の商品を完成させます。
しかし、私が離れた場所にある倉庫整理などの仕事をする為に、作業部屋を3時間ほど離れ、Aさんが部屋で一人で仕事を行う状態になると、3時間かかって100個しか完成することが出来ません。

部屋に誰もおらず、注意されないという状況下では、作業効率が3分の1になるんです。

私としては、私が同じ空間に居ても居なくても、同じ効率で作業をして欲しいと思っていたところ、ある日、就業時間の3時間前に、私だけが作業部屋以外での仕事が指示されました。
作業部屋にはAさん一人なので、またサボられるわけですが、作業部屋には300個の商品が完成できる材料があった為、私はAさんに同じスピードで作業をしてほしいという思いを込めて、『その材料を全て完成させられたら、今日は帰って良いです。』といって、作業部屋をさりました。
私が一緒に作業している時のAさんの作業スピードは、1時間で100個の完成なので、就業時間終了まで残すところ3時間でのこの指示は、実質、就業時間が来たら帰って良いという指示と同じです。

その言葉を伝え、私は倉庫の方で別の作業をしていたところ、1時間もしない内にAさんが倉庫の方にやってきて、『作業終わったので帰りますね。』といって去っていきました。
半信半疑で作業場に戻ってみると、そこには300個の完成された製品が置かれていました。 たった1時間の出来事です。
つまりAさんは、本気を出せば1時間で300個完成させる能力が有りながら、就業時間まで帰れないと分かっている時には、1時間で100個のペースに落とし、誰にも注意されない1人の環境だと、更に作業スピードを3分の1に落としていたわけです。

当然ですが、翌日、『もっと、速いペースで仕事できるよね?』と訪ねるも、Aさんは『すみません』としか言いません。ペースは当然、1時間で100個ペースです。 私が居ない時には3分の1にペースが落ちます。
厳密にいうと、『もっと早く出来るよね?』と私が行った瞬間、15秒程だけ作業スピードが3倍ぐらいになり、その後15秒かけてゆっくりになり、私が急かしてから30秒も経つと、ペースは元に戻ります。

他の例も出すと…
Aさんは、基本的に上の空なので、仕事上の注意や作業のやり方を教えても覚えません。 仮に覚えても、3日も経つと同じ失敗を繰り返します。
この様な状態でも、注意しないと失敗を繰り返され、商品が駄目になってしまう為、間違ったことをされると注意せざるを得ません。
その時のやり取りが、この様な感じです。

私『この作業で、◯◯をやったら駄目だって言いましたよね。』
A『すみません。』
私『これ、3日前にも言ったけれども、覚えてますか?』
A『すみません。』

私『すみませんだけでは、こちらは貴方が分かったのか分かってないのかが判らないので、他の言葉で答えてもらって良いですか?』
A『すみません。』
私『だから、すみませんじゃ分からないんですけれども…』
A『すみません。』

私『この作業の時、何をしたら駄目なんでしたっけ?』
A『すみません。』
私『今までの話、聞いてましたか?』
A『すみません。』

私『聞いていたか、聞いていなかったのかの、どちらかで答えてもらって良いですか?』
A『すみません。』
私『もしかして、からかってます?』
A『すみません。』
・・・

就業時間が迫っていた為、私はAさんに帰るようにいうと、Aさんは急に笑顔になり、鼻歌を歌いながら帰り支度をして帰っていきました。
そして翌日、全く同じ失敗をしました。 私が、『昨日、帰る前にした注意を覚えてますか?』といった質問に対しても、当然、『すみません。』しか言いません。

このAさんは、Aさんなりにサボること無く、一生懸命頑張っているのでしょうか? やる気があるのでしょうか?
私も人間なので、この様な態度を何年にも渡って取られ続けると、気分は良くありません。 しかし、この態度を受けて怒ってしまうとパワハラ認定されてしまいます。
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権限のない中間管理職

このようなことが長年続くと、私も精神を病んできますので、解雇できる権限がある人間に『あの人は、辞めてもらった方が良いのではないか。』と進言したことがあります。
しかし、権限の持つ人間は、『そういう人間に、やる気を出させるのがお前の仕事だろ。』と言った感じの事を言ってきます。
私の職場の場合は、私自身にノルマを課したり、過剰な成果を求めたりはしない為、私はAさんが存在しないものとして、出来るだけ関わらずに仕事をすることで、精神を安定させる事が出来ましたが…

これが、もっと大きな組織で、中間管理職に成果を求めるような職場だったらどうでしょう。
例えば、10人のグループをまとめる立場に居て、その内の9人は積極的に仕事をこなして真面目にしているけれども、1人がAさんのような人だった場合。しかも、作業が先程のような1人で完結する仕事ではなく、複数人の連携が必要な仕事だった場合。
グループ内の9人の人達からは、『Aさんがサボってるので、作業が遅れてます。なんとかしてください!』と、まとめ役である人物は迫られるでしょう。

成果を求める組織の場合、上司からは『なんで成果が出てないの? ちゃんと10人で連携してる?』と圧力をかけられるでしょう。
この様な状態で、『Aさんが仕事をしなくて… 解雇して、代わりの人を用意してもらって良いですか?』と進言しても、『Aさんの やる気を出させるのも君の仕事だろ!』と言われたとしたら?
これを読んでいる貴方は、普通の精神状態でいられるでしょうか。 

ここでカッとなってAさんを怒ってしまうと、貴方はパワハラ野郎になってしまいます。
現状のこの様なシステムを変えず、ただ闇雲に『パワハラは駄目だ!』というのは、中間管理職に全責任を押し付けて、追い込むことにしかならないと思うんです。

では、システムを変える場合、どの様に変えれば良いのでしょうか。
1つは、現場に権限を与えることでしょう。 この場合で言えば、10人のグループをまとめているリーダーに、人を解雇したり他の部署の人間と配置転換出来るような権限を与えるだけで、だいぶ変わるように思えます。
リーダーに権限を集中させるのが駄目であれば、グループ10人の多数決。もしくは、何割以上の賛成が得られればグループから解雇できるといった感じで、現場にある程度の権限を移譲することで、中間管理職のストレスも軽減できるでしょう。

他の方法としては、タスク一つ一つに値段をつけてしまうという案もあります。
先程の私の職場の例でいえば、月給や日給という時間給ではなく、単純作業で製品を作るという仕事を、製品1個あたりの完成につき5円の報酬が得られますとしてしまうことです。
この場合は、仮にAさんの様に誰も見ていないところでサボった場合は、Aさんの給料が減るだけです。
Aさんが1時間で100個製造をした場合は時給が500円になるわけですが、Aさんがやる気を出して1時間で300個製造すると、時給は1500円に上昇します。 逆にサボれば、3時間で500円しか貰えません。

このシステムを導入すると、作業員がサボろうがサボるまいが、製品における人件費が変動しない為、『サボるな!』と注意する必要もありません。 製造が間に合わなくなれば、追加で人を補充すれば良いだけです。

こういったシステムの変更無しに、現状でただ『部下にに圧力をかけるな!』というのは、中間管理職の人全員に、『感情を捨てろ!』だとか『悟りを開け!』と言っているようなもので、かなり無茶だと思ってしまいます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第44回 ゼノンのパラドックス 『アキレスと亀』 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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機械論と決定論永遠回帰

永遠回帰論とは、物理法則に従って物が動き続けて、時間が無限に存在し続けるのなら、この宇宙もビリヤード台のボールと同じ様に、長い目で見ると繰り返しが起こっているという考え方です。
当然ですが、人間の行動も長いサイクルで観ると繰り返しになっている為、この問題は、自由意志の問題と密接に関係してきます。
つまり、宇宙が繰り返すたびに、同じ様な人間が生まれて、その人間は同じ行動を繰り返すということで…
言い換えれば、人間の思考や行動も物理法則と同じ様に動くという考え方なので、、仮に、この考え通りに宇宙が動くなら、そこに自由意志は存在するのかという問題になるということです。

ソクラテスが主張したことは、自分は無知だし、それを知っている存在だけれども、自分に『意思』がある事はわかっているよ。という主張なんでしょう。
確かに、自由意志が存在せずに、自分の『意思』がなく、自動的に物理法則に従って動いているのであれば、今、自分が自分だと認識している『この私』は、何なんだという事になりますよね。
自動で勝手に動くのであれば、変に意識など無いほうが楽かもしれない。なまじ、意識があるから、辛いことが認識できて生きることが辛くなる事もあるでしょうし、答えがあるのか無いのか分からない事柄に対して頭を悩ませることになります。

自分が必死で悩んで、なんとか決断を下した結論も、メカニズムに従って、下す決断が既に決まっているのであれば、悩む必要もなく、感情のない状態で機械的に決断した方が楽かもしれない。
でも実際には、悩み抜いて決断を下した『この私』というものが、実感としては確かに存在します。
この、自分自身が実感している『この私』というのを物理学的に説明することは、果たして出来るんでしょうか?

現実の世界に当てはまらない論理の世界

この他にも、理論上の考えを現実世界に当てはめると、うまく当てはまらないものは多くあります。
例えば数学ですが、計算問題で1+1=と問われれば、多くの人が『2』だと答えると思いますが、現実世界ではそうなんでしょうか?

例えば、車で走っている最中に雨が降ってくると、車のフロントグラスに雨粒がつくという現象は、多くの方が経験したことがあると思います。
この雨粒ですが、一粒の雨粒と一粒の雨粒が重なった場合、何粒の雨粒になるのかというと、1粒の雨粒となります。
雨粒を構成している水の量は2倍になっていますが、『何粒になったのか』と質問されれば、1粒だと答えるしかありません。数式でいうと、1+1=1という事になります。

では逆のケースを考えてみましょう。 夕立などで比較的大粒の雨水の一つがフロントグラスにあたった際に、1粒の雨粒が5つに分かれたとしましょう。
この場合、雨粒の数に焦点を当てると、1÷5=5になってしまいます。

アキレスと亀

この他にも、いろいろなパラドクスが存在します。『アキレスと亀』なんかが有名ですよね。
アキレスと亀』は、アキレスという足の早い英雄でも、事前にハンデを渡してしまうと、のろまな亀を追い抜くことが出来ないというパラドクスです。

このパラドクスについてもう少し詳しく話すと、例えば、100メートルの距離でアキレスと亀とで競争をする際に、アキレスの足が早すぎて勝負にならないので、亀に50メートルのハンデを与えたとします。
この条件で競争をした場合、アキレスはまず、亀が最初にいた場所である50メートルの位置まで数秒かけて到達しなければなりませんが、この数秒の間に、亀は1メートル前に進んでいると、差は縮まるけれども、追い抜けていない状態になります。
次に、アキレスが亀を追い抜こうとした場合、先ほどと同じ様に、アキレスは亀がいた51Mの位置まで到達しなければならないわけですが、その僅かな時間で、亀も僅かに進んでいるため、差は縮まるけれども、追い抜いていない状態は継続することになります。

この様に、追い抜こうとする際には、まず、相手がいた場所まで到達しなければならないわけですが、その場所に到達するのにわずかでも時間がかかる為、その時間を使って相手はわずかに先に移動する…
これを無限に繰り返していくと、アキレスはいつまで経っても、亀に追いつくことが出来ないというのが、『アキレスと亀』というぱらどくすです。
ここで、よく勘違いされているのが、『アキレスと亀』というパラドクスは、現実世界では、アキレスは亀を追い抜かすことが出来るけれども、理論的な世界では、亀を追い越せずに、アキレスは亀に負けると思っておられる方もいらしゃるかもしれませんが…

このパラドクスは、そういう事ではありません。
アキレスと亀』が抱えている最大の矛盾は、アキレスが亀を追い抜くまでの秒数という、限られた有限の時間を、無限分割することが出来るという矛盾です。
言い換えるなら、有限という限界が限られている条件の中に、無限が存在することが出来るのかというパラドクスです。

有限の中に無限を収める事は出来るのか

この、分割という考え方でいえば、以前に勉強したイオニア自然学の原子論という考え方がありましたよね。
原子論は、物質を構成する最小単位があるという理論でしたが、この理論は見方を変えれば、有限のものを無限分割することは出来ないという理論とも考えられます。
つまり、物質という有限のものを分解していくと、最終的には『それ以上分解できない最小単位』に到達するという考え方です。

実際に見て触れる事が出来る物質の場合は、分解していくことで最小単位に突き当たるというのは、この理論が実際問題として正しいのかは置いておいて、理解がしやすいと思います。
ですが、時間という、観ることも触れることも出来ないモノの場合はどうなんでしょうか。
時間というのは実態が存在するわけではないので、表現する場合も数値で表す事になりますが、数値で表すということは、無限に分割が出来てしまいます。

『飛んでいる矢は止まっている』

また、人が抱くイメージとしても、最小単位があるとは考えにくいですよね。
仮に最小単位があったとすると、最小単位の時間まで分割して物質の移動を観察した場合、動画でコマ送りするような感じで、飛び飛びで物質が移動しているのかという話にもなります。
この、時間に最小単位があって、空間を移動する物質はコマ送りで移動しているというのは、『飛んでいる矢は止まっている』という別のパラドクスを生み出すことになります。

『飛んでいる矢は止まっている』というパラドクスは、先程いった、時間に最小単位があったとして、その最小単位に瞬間という名前を付けるとするなら、その瞬間の中では、放たれた矢は静止しているという事です。
つまり、時間に最小単位があるのであれば、移動とは静止している瞬間の連続という事になってしまうという事です。
ですが、静止しているものを寄せ集めたとして、それは移動しているとこになるのだろうかというのが、このパラドクスです。

ゼノンのパラドックス

そうではなく、時間は何処まで分割したとしても、移動する物体は飛び飛びのコマ送りにならず、なめらかに動くとするなら、時間は無限分割が可能ということになる為、有限という限られた時間を無限に分割することが出来ることになってしまいます。
この、『アキレスと亀』と『飛んでいる矢は止まっている』というのは、ゼノンのパラドクスと言われていて、時間が無限分割可能であっても不可能であっても、矛盾が起こってしまいますよねという話です。

何故、理論の世界のものを現実世界に当てはめると、この様に変なことが起こってしまうのかというと、現実世界には様々な観点があるからです。
最初の雨粒の足し算、割り算でいえば、水の量という観点から見れば、数学的な見方でも問題は起こりませんが、個数という観点から観ると、途端に計算が合わなくなります。
時間の無限分割の話も、時間という長さの尺度に対して、無限の『位置』『ポイント』を置く事は可能なのですが、『長さ』と『位置』という違った観点のものを組み合わせる事で、パラドクスが起こります。

この様に、理論の世界を現実世界に当てはめるというのは、間違った解釈を生んでしまう可能性があります。
これらの例とは別に、そもそも、科学者が発見した法則そのものが信用できないという考えもあるのですが、その話は、また次回にしていこうと思います。

つづく
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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第44回 ゼノンのパラドックス 『アキレスと亀』 前編

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ソクラテスのスタンス

前回は、哲学の祖と言われているソクラテスが何故、哲学の祖と言われているのかについて、憶測を混じえながら、簡単に説明していきました。
今回からは、ソクラテスのスタンスや主張を、少し細かくみていこうと思います。

前回も簡単に説明しましたが、ソクラテスは、物事の本質を理解する為に、人間の行動の最も根本的な事柄について、研究していきました。
その最も根本的なものとは何なのかというと、『善』であるとか『正義』といった、みんなが漠然とわかった気になっている、抽象的な概念です。

ソクラテスは、物事を理解するために、どんな複雑なものであっても、対話を通して物事を単純なものへと分解していくという方法で、物事を理解しようと思いました。
ですが、その方法で最終的に到達してしまうのが、『善』で有ったり『正義』であったり、それらの要素を含むアレテー、日本語で言うところの『徳』というものでした。
『徳』という漢字は、道徳の『徳』ですね。

『徳』とは何なのか

『徳』という言葉をwikiで調べたものを引用すると…
人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。

徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。
人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すもので、これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。
徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。
徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。

という事になっているのですが、ソクラテスがこだわった『徳』アレテーというものが、こういった言葉で表されるものかどうかは分かりません。
何故なら、ソクラテスは一生をかけてアレテーについて考え抜いた結果、最終的にはアレテーというものを、ほんとうの意味では分からないとして、『無知の知』を主張しましたので…
ここで扱う『徳』アレテーというものは、先程の言葉だけで説明できていると思わないほうが良いと思います。

真理は外側の世界にはなく内側にある

では何故、人間の行動の最も根本的な事柄である、徳やアレテーと呼ばれるものに、拘ったのでしょうか。
哲学者は真理を追い求める人達なので、人間が作った抽象的な概念にこだわらなくても、もっと他の方法でも宇宙を貫く法則の研究はできそうですよね。
前に紹介した、イオニアで自然学を研究していた哲学者達の様に、容易に観察できたり実験が出来るようなものを研究対象にした方が、成果も目に見えやすいですし、分かりやすいように思えます。

しかしソクラテスは、イオニアの自然学を選ばずに、徳といった抽象的な概念を研究対象にしました。
もう一度言いますが、では何故、ソクラテスは抽象的であやふやで、観察も出来ない概念を研究したのかというと…
結果からいえば、イオニアの自然学、もっといえば、そこから延長して今に続く科学や数学的な考え方では、世の中の真理は得られないと確信してしまったからなんです。

科学では真理を得られない

ソクラテスは、一貫して自分は物事を知らないと主張しているので、科学や数学に関して、知ったかぶりで批判したわけではありません。
ソクラテスは自身の無知を自覚していたわけですから、若い頃は、イオニアで発展した自然学を学んだりもしたそうです。
ですが、学んだ結果、ソクラテスは科学的な考え方に失望してしまうことになるんです。

では、どの様なところに失望してしまったのでしょうか。
ソクラテスは、自身が訴えられて死刑判決を受け、刑の執行を待つ間に、弟子たちと対話を通して、その事を説明しています、 その説明の際に、このような事をいっています。
『今現在、私は何故、この場所に座っているのかと物理学者に聞いたとすると、物理学者は、あなたの骨につながっている腱を筋肉が動かすことで、あなたの体は椅子へと誘導されていき、その場所に座ったんだと答えてくれる。
でもそれは、本当の理由なんだろうか?』と疑問を投げかけます。

物理学者は、筋肉や骨が物理的に動くことで、その場所に座ったという事は説明してくれます。
科学が進む事で、筋肉を動かすエネルギーが何処から来るのか、食べ物を食べると、どの様なサイクルで肉体を動かすエネルギーに変換されるのかと言った事は、解明されるかもしれません。
でもソクラテスの、『今現在、私は何故、死刑執行を待つこの部屋の中で座っているのか』という問いに対しては、物理学的に答えることは出来ないと主張します。

『私』が感じる『この私』

何故、物理学的には答えることが出来ないのかというと、ソクラテスが、死刑執行を待つ為に待機室で座っているのは、ソクラテスの『意思』だからです。
ソクラテスは、自分自身に死刑判決が下されたことに対して納得し、それに対して反発もせず、刑が執行されたほうが善いと考えたから、静かにその部屋の中で座っているんです。
裁判の判決に従うほうが『善い』と考えたから、ソクラテスは自分の意思で体を動かして、今現在いる部屋に移動し、体を休める為に、その部屋に置かれている椅子に座っている。

この、ソクラテスが『善い』という抽象的な概念を頭の中に思い描いた理由を、物理学者は物理学で説明することは出来ないんです。
つまり、ソクラテスの主張としては、人が動く際には、まず、意思があり、その意志決定をする際に重要視されるのが、どのように行動するのが『善いのか』といった抽象的な概念だというわけです。
そして次に沸き起こってくる疑問としては、『善い』と考えたから、死刑に同意して待機室にいるわけですが、では何故、判決に同意することが『善い事』だと思ったのか…

というか、そもそも、善い事って何なんだろうか…
こういった感じで、皆が既に解りきっていると思い込んでいる、根本的な抽象的概念の意味についてスポットライトを当てていったんです。
このソクラテスの抱いた疑問というのは、多くの人が共感できると思うんです。

機械論 メカニズム

この部分について、もう少し語っていくと…
物理学というのは、研究が進めば進む程、物事は一定のルール下で自動的に動いているという事を証明していく事になります。
この様な、一定のルール下で自動的に機械のように規則正しく動いていくという主張のことを、機械論とか、英語だとメカニズムといったりしますが…
この理論は、突き詰めていけば突き詰めていくほど、歯車がガッチリと噛み合っていき、他のものが入り込む余地がなくなっていくことになります。

このメカニズムの行き着く先。 究極的な考え方としては、ニーチェが主張した永遠回帰論のようなものになるのかもしれません。
永遠回帰論とは、永遠に続く物理法則によって、宇宙は無限に繰り返し続けるという考え方です。漫画でいうと、ジョジョの奇妙な冒険の第6部のラスボス、プッチ神父が使うスタンド能力がこれに当たるんですけれどもね。

これだけでは分からない方も多いと思いますので、どんな理論かを簡単に説明してみましょう。この説明をする際には、よく、ビリヤードの例が用いられるので、その例を使って説明してみようと思います。
まず自分の目の前に、穴の空いていないビリヤード台を想像します。 普通のビリヤード台には、四隅とその真ん中の6個の穴が空いていますが、その穴がが空いていないものと想定します。
そして、その場から空気抵抗を無くして、台を転がる摩擦もないものとします。 つまり、一度、玉が転がり始めたら、止まること無く玉は転がり続ける状況を想像してみてください。

この状態で、何個かのボールを適当に台に配置して、一つのボールをキューなどで突いて、転がすとします。ボールは、台の端っこや他のボールにぶつかり続けながら、物理法則に従って、無限に、決まった角度で反射を繰り返し続けます。
その状態で、何百年、何万年、何億年かが経過した『ある瞬間』に、これまでの過去の何処かの瞬間のボールの配置、ボールの進行方向と、今現在のボールの配置、進行方向が完全に一致したとします。つまり、過去の瞬間が再現されるわけです。
そうすると、そこから先は、過去のその瞬間から、ボールの配置と進行方向が完全に合致している今現在の瞬間の間を、物理法則に従って、永遠にループし続けることになります。

何故なら、物理法則とは、ルールの決まった運動だからです。
ボールは壁や他の玉に衝突した際に、常に決まった角度で反射を繰り返します。 もし、反射する角度がランダムで決まっていたら、ビリヤードは運任せの勝負になってしまいますよね。
衝突した際の反射する角度が決まっているという事は、過去のボールの配置と進行方向が再現された時点で、その後のループが確定するということになります。

(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

『借金経済』アメリカの金融システム

私はPodcastを聞く習慣があります。
それなりの数の番組を聞いているのですが、その中の『Rebuild』という番組で、アメリカ経済における借金についてはなされていて、結構衝撃を受けたので、今回はそのことについて欠いていきます。
ちなみに、そのエピソードはこちら。
rebuild.fm

借金経済

私は十数年前は、株式投資にハマっていて、それなりに情報を集めていた時期がありました。
特に、サブプライムローン問題などの危機が訪れた時などは、自分の損失にも直結している為、かなり真剣に調べていました。
その際に分かったことは、アメリカが借金経済で回っているという事です。

日本の場合だと、基本的には給料の中でやり繰りし、その範囲ではどうにもならないような大きな買い物をする際には、借金をするという感覚が普通だと思います。
最近だと、クレジットも徐々に浸透してきていますし、リボ払いで月々定額の返済で買い物をしている人も増えては来ていますが、基本的に、遊ぶかねを得るために借金をする人は、あまり良い顔はされません。

しかし、これがアメリカだと違います。彼らは、基本的には借金で買い物をします。
リボ払いの様な支払い方が普通で、基本的にはクレジットカードなどの枠を使って借金で購入し、給料が入った際に、その分を返済する。

何故、こんな仕組みになっているのかというと、サブプライムローン問題の原因にもなった住宅ローンの仕組みや考え方が日本とは違うからだと言われていました。

アメリカの住宅ローンの仕組み

日本で住宅ローンを組む場合。 基本的には借金を返していく事のみを考えます。
大抵の人が組む住宅ローンは35年なので、一度住宅を買うと決意すると、それを死ぬ一歩手前までかけて返していきます。
日本の場合、3000万円の借金をした場合は、自分の貯金額からマイナス3000万したものが自分の資産といった感覚を持つ人が多いからというのと、そもそも、返済が前提のローン契約だからというのが理由でしょう。

また、日本の不動産は、価格面での劣化が激しい。
仮に、新築を購入した場合で考えると、それを購入して一度でも名義変更をしてしまうと、新築から中古に格下げされてしまう為、名義変更だけで住んでいなくても、価格は3割程度落ちると言われています。
それだけでなく、基本的に木造住宅で、数十年ごとに立て直す事が前提の日本家屋は、建てた時点で劣化が始まり、20年程度で建物の価値はなくなると言われています。
40年、50年経過した家の場合、土地が本来持つ価格から、家の解体費用を差し引いた額でしか売れない事も多々ある為、購入した家というのは、いずれ価値がなくなる前提で購入しなければなりません。
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このような前提がある為、住宅購入で借金をした人は、まず、借金を変えることを前提に生活する必要があるわけですが、これがアメリカの場合だと、事情が変わってきます。

アメリカではどうなのかというと、仮に、500万円の頭金を積んで、3000万円の借金をして3500万円の家を購入した場合。実質の借金はゼロです。
というのも、銀行から借金をした人は、3000万円の負債を抱える一方で、資産には3500万円相当の家が組み入れられる為、資産から負債を引いた場合、500万円が残る。
つまり、借金をしてもしなくても、自分の資産内容は金額ベースでは変化がない為、問題がないという考え方です。

これは考え方だけでなく、システムにも盛り込まれています。
何故、この様な考え方ができるのかというと、不動産の価格の付け方が違うからです。

先程も書きましたが、日本の場合は新築プレミアムというのが3割程度上乗せされて販売されている為、住宅を新築で購入すると、その時点で価格は3割減少してしまいます。
3000万円の家を購入したら、買った瞬間に2000万円の勝ちになると考えれば、分かりやすいかもしれません。
しかし、家そのものの価値を重視するアメリカでは、新築プレミアムというものが存在しません。逆に言えば、中古だからだとか、築年数が経っているという理由で減額されたりもしないということです。

家の販売価格というのが査定され、その金額分の価値が認められているということです。
これが、どういう事かというと、3000万円の家を購入し、その家に手を加えて住みやすくしたとした場合、家の価値は3500万円に値上がりしたりします。
3500万に値上がりするとどうなるのかというと、銀行から新たに500万円の借金の枠が貰えたりするんです。

その500万円を使って、更に家を住みやすく改造していけば、家の価値は4500万円に値上がりしたりします。
すると、更に1000万円分の借金の枠が増える為、それを更に消費して家具を買い替え、その家具が家にピッタリあっていて良い雰囲気が演出できていたりすると、これまた資産価値が上がったりする。
つまり、アメリカ人にとっては、家を購入するという行為は投資の一環で、休みの日にD日曜大工で家を改造するというのは、自分の資産価値を高める行為だったりする。
自分の家を住みやすくしたり、センスよく見栄えを良くしたりする事が、そのまま自分の資産を増やす事に繋がるということ。

アメリカに限らずヨーロッパなども含めて、家の築年数は劣化を表す数値ではない為、築100年超えの建物は、逆に価値が上がったりもする。
この様な住宅に対する考え方の為、住宅ローンを購入したからといって、それを返さなければならないという意識は薄い。何故なら、いざとなったら自分の資産である家を売却すれば、その借金は完済できるからです。

クレジットヒストリー』と『クレジットスコア』

先程書いたような住宅ローンの仕組みにより、アメリカ社会は借金経済なんて言われていたりするのですが、冒頭でも紹介したPodcastのエピソードでは、借金経済を更に加速させたり、強固に固定するようなシステムが紹介されてしました。
それが、『クレジットヒストリー』とか『クレジットスコア』といった、個人につけられる評価です。

これらは何なのかというと、簡単に言うなら、個人の信用格付のようなものです。 つまり、これらが低いと、そもそも借金ができない… というか、クレジットカードすら作れないということです。

日本の場合は、まだまだクレジットカードの普及率や使用率が低いせいか、クレジットカードを作ることに関しては、かなりハードルが低かったりします。
しかし、カード社会で既にクレジットカードが普及しまくってるアメリカでは、その審査そのものが非情に厳しかったりします。
また、クレジットというのは信用という意味なので、信用を具現化したようなカードが作りにくいということは、当然ですが、銀行で借金をするハードルも、非情に高かったりします。

では、金融機関やカード会社から信用を勝ち取る為には、何が必要なのかというと、先程書いたようなクレジットヒストリーだったりします。

このクレジットヒストリーは、借金をして返す事で履歴が貯まっていき、その返済履歴によってクレジットスコアが貯まっていきます。
でも最初は借金そのものが出来ない。 なので、金融機関に一定の現金を担保に入れて、その担保内でクレジット決済できるようなカードを作り、それで決済する事で、クレジットスコアを貯めるようです。
そして、一定レベルまで成長させたら、次は、少額の借金ができるようなクレジットカードを手に入れて、それで少額の借金をして返す事で、自分の履歴を成長させる。

そして次は、更に枠の大きいクレジットカードを作って…と言った感じで、借金をしてそれを返すというのを繰り返す事で、自分の評価を高めていくシステムとなっています。
日本の場合は、複数枚のクレジットカードを持つことに意味はないですし、何なら、沢山のカードを持つことで、自分の信用枠が減って借金ができなくなるといったケースも出てきますが、アメリカの場合は逆で、複数のクレジットカードを持てるということは、それだけ多くの審査を通った人物ということで、信用されたりもするようです。

このアメリカのシステムですが、恐ろしいのは、自分の給料の範囲内で消費をしている人は、金融機関からの信用が全く得られないということです。
日本の場合は、30万円の給料を得た際に、その範囲内で生活をして借金をしないというのは美徳とされていますが、アメリカでその様な生活をしていると、金融機関からの信用が得られない。
金融機関からの信用が得られないということは、何を意味しているのかというと、車や家の購入といった、まとまった金額が必要になった際に、金融機関から借金ができないということを意味します。

金融機関から借金をしたいのであれば、クレジットスコアを育てる必要が有り、それを育てる為には、日々の細々とした日用品を借金で買い、それを返済するという努力を積み重ねる必要があるようです。
アメリカで日本の様に普通に生活をしようと思うと、消費するタイミングで借金をして返していくという地道な作業を繰り返さなければならないようで… それを繰り返していると借金が日常化してしまう。
つまり、アメリカ国民の借金体質というのは、銀行のシステムによって作られたものということ。 逆にいえば日本の貯蓄体質も、日本の金融システムによって作られたと言えるんでしょうけれども。

日本とアメリカのシステム どちらが良いのか

どちらが良いのかというと、一概には言えないと思います。
アメリカの借金経済は、市民達が生き抜く為に消費をしなければならない状況に追い込めるため、消費を促進させやすいというメリットがありますが、一方で、市民達の収入が落ち込んでしまうと、借金や利息の返済が滞ってしまって消費の落ち込みに拍車がかかる可能性が高くなります。
一方で日本のシステムの場合は、システムによって消費を煽ることは出来ないでしょうが、借金をできるだけせずに自分の収入内で消費を行っている為に、仮に世界規模での金融危機が起こったとしても、国民生活には直ちに影響が出なかったりします。

起伏が大きいアメリカに対し、日本は凪といえば良いのでしょうか。
ただ、システムによって消費動向をある程度コントロールできるのであれば、両者のメリットを得られるようなシステムも作れるのかもしれませんけどね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第43回 哲学の祖 『ソクラテス』 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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アニュトス vs ソクラテス

話が抽象的になりすぎているので、具体的な例を一つ出してみますと…
アニュトスという政治家に対して、この様な質問を行います。『善い民主政治とは何なのでしょうか?』
政治家に対して政治の基本を聴いているわけですから、政治家としては、当然、知っているべき答えですし、答えられなければ恥をかくような質問です。

この質問に対し、アニュトスは、『自由と平等。 この2つ無くして、善い民主政治はありえない』と自信満々に良います。
しかし、この主張にソクラテスは納得できず、質問を重ねていきます。『では、自由というのは政治家だけに認められた一部の特権のようなものなのですか?』と。
それを聴いたアニュトスは、気分を害して怒った様子で、『自由は国家に属する全ての民に、平等に行き渡っていなければならない。』と力説するんです。

ここまでのアニュトスの主張を聴いて、すんなり納得した人も多いと思います。 しかし残念ですが、これで納得した人達というのは、ソクラテスに言わせれば、知らない事を知った気になっている人達ということになってしまいます。
ソクラテスの質問はここで終わらず、更にツッコんだ質問を行っていきます。
『善い民主政治は、自由なくしてはありえず、その自由は平等に全国民が持っていて、その自由の権利を行使できるのであれば、そもそも、国なんてものが無くなってしまうのではないですか?』

国民の完全な自由は無秩序を生む

それぞれの人間が、自分の主義主張をもとに行き過ぎた自由を謳歌するのであれば、それは、無政府状態を生んでしまうということです。
例えば、生まれついての人殺しが、自分の主義主張のもとに大量虐殺を自由に行う権利を主張したとしても、その自由は尊重されなければならないということです。
そんな状態は、国が治まっている状態とは到底いえない為、政府そのものが機能していない状態に陥ってしまう。政府そのものが機能していない状態というのは、当然、民主政も機能していない状態になるわけですが… 
そんな状態でもいいと、政治家が主張するんですか?と詰め寄ります。

この質問に対して、アニュトスは反論が出来ないんですね。
というのも、この主張に対して反論をする場合、『国の方向性と合わない価値観や、それに伴う自由な思想というのは、制限されなければならない。』と言わなければならないわけですが…
それを言ってしまうと、一番最初に、自分自身が自信満々で出してきた答えである『自由と平等。 自由を全国民に平等に分け与える』という主張を撤回しなければなりません。

前言撤回は、『善い民主政治とは何か?』という、政治家にとって最も基本的な質問を、政治家自身が自信満々で出した答えが間違っていたという結果になってしまう為、絶対に出来ません。
アニュトスは、反論できずに、ソクラテスに対して敵意を抱く事しか出来ない状態で『ぐぬぬ・・・』って感じで口をつぐむぐらいしか出来なかったんです。

最も単純な問に答えられない賢者

ではこの時、アニュトスが自分の主張が間違っていたことを認めて、前言撤回して、『民主制を維持するために、国家の意向に沿わないような思想や行動は制限されるべき』と主張していたらどうでしょうか。
仮に、こう答えたとしても、ソクラテスの質問は続いていくでしょう。おそらくですが…
『国の権限によって、一部の人間の自由を制限する場合、何を基準にして、制限をするのですか?』
『仮に、国が2つの価値観によって割れてしまった場合に、2つの内、どちらを価値観を国の価値観として採用するのですか?』といった具合にです。

この様に質問されてしまうと、政治家としては、何らかの基準を答えざるをえません。
この時代のギリシャは民主制で、国民が国を治めている状態なので、この質問に対しては、現在の民主主義国家の様に、『多数決で決める』と答えることが出来るかもしれません。
ですが、その様な答えではソクラテスは納得しないでしょう。

『多数の人間が支持しているからと言って、その価値観が正しいという保証は何処にあるのでしょうか?』
『仮に、多数の人間の価値観が間違っていた場合は、国は間違った方向に行ってしまうのではないでしょうか?』
『2つの意見を支持する人間の数が同数だった場合、つまり、丁度半分に意見が別れた場合は、どちらを採用するのですか?』といった具合にです。

この様な質問を矢継ぎ早に投げかけられ続けると、最終的には、『善い意見』で有ったり『正義に則って』といった答えに行き着いてしまいます。
そうするとソクラテスは、満を持して、『では、善いとはどういう状態のことなのですか? 正義とは、何のですか?』と聴いてくることでしょう。

生涯に渡って根本的な疑問を探求したソクラテス

この質問を投げかけられてしまうと、ゲームセットです。
というのもソクラテスは、正義だとか善・良いといった事や、美とは何なのかといった事に対して、生涯に渡って研究し続けた結果、分からないという所まで到達した唯一の人物だからです。

これを聴いて、意外に思った方も多いと思います。 というのも、善悪の区別や正義なんて、誰でも当然のように知っている価値観だと思われがちだからです。
でも、冷静になって改めて考えていると、何が良くて何が悪いなんていうのは、本当にみんなが分かっているんでしょうか?
仮に、みんなが正義や善という価値観を共有していて、正義や善に対する確固たるイメージをしっかりと持っていたとしたら、世界で争いなんて起こりませんし、戦争なんてものも起こりませんよね。

戦争というのは、言い出しっぺの国の代表や軍の上層部が自分たちで行うわけではなく、下っ端の兵士に命令を下す事で、殺し合いをさせるものです。
下っ端の兵士は、何の恨みもない敵の兵士を殺さなければならないわけですが、何故、殺せるのかというと、自分が正義側にいると思っていて、自分たちが正しい行動をしていると思っているから、常軌を逸した行動を取れるわけですよね。
でも、その正義は、相手側の兵士も抱いているわけですよね。

『正義』や『善』の絶対的な意味を知るものはいない

正義であったり善といった価値観が、たった一つの意味しか持たない概念であるならば、それを共有している両軍の兵士は、争わないはずです。
でも、実際に争いが起こるのは、相手が信じている正義は悪だと思っているからです。
つまり、相手自身は正義だと思っている価値観が、客観的に見れば悪になっているという事で、正義という概念が共有できていないから、争いが起こるわけです。

自分が正義だと思っている事が、客観的に観ると悪になっている、悪だと思っていたものも、立場が変わると正義に変わるというのは、よくよく考えてみると、おかしな話ですよね。
立場によって善悪の基準が変わるというのは、言い換えれば、人それぞれに善悪という価値観が存在することになるということで、地球に70億人いれば70億通りの善と悪がある事になります。
人の数だけ善悪の価値観が存在するという事は、絶対的な善を人が認識できてない事を意味するわけで、結局は、善というのを本当の意味で知っている人類はいないことになります。

自称『賢者』に逆恨みされるソクラテス

政治運営をしていく上で、最終的な拠り所となる『善』や『正義』といった価値観がブレているのなら、当然、善い政治運営なんて出来るはずがないという事になってしまいます。
この様な感じで、ソクラテスは知識を求めて、自称賢者の元を訪れては、自分が知らない事を聞き出そうと思うわけですが、その討論の結果として、相手も何も知らないということが暴かれていきます。
多くの場合、賢者は弟子を引き連れていて、その弟子の前で格好をつけながら討論しているわけですが、その結果として自分が無知であることが証明されてしまうと、自称賢者は面目丸つぶれ状態になってしまいます。

結果としてソクラテスは多くの敵を作ってしまい、最終的には罪をでっち上げられて、死に追いやられてしまうわけですが、次回からは、そんなソクラテスがどんな主張をしていったのかについて勉強していこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第43回 哲学の祖 『ソクラテス』 前編

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『哲学の祖』ソクラテス

前回までで、どの様にして神話や宗教が生まれてきたのか、また逆に、世界を神々抜きで説明しようとするイオニア自然学派の存在などを、簡単に話してきました。
今回からは、『哲学の祖』と言われている、ソクラテスの話をしていこうと思います。

ソクラテスに関しては、このコンテンツでも第2回で簡単に紹介したのですが、その頃は、まだコンテンツの方向性も定まりきっていない状態だったので、ものすごく簡単に紹介しただけで終わってしまっていました。
その後、コンテンツの方向性が哲学や思想の話を中心にしていく事に決まったので、改めて、ソクラテスについて勉強していこうと思います。

ソクラテスですが、先程も言いましたが、『哲学の祖』と言われています。 祖というのは、最初の人とかそういった意味合いの言葉です。
ただ、この言葉を聴いて、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。というのも、ソクラテス以前にも、哲学者というのは存在しているからです。
前回までに紹介してきた、タレスを始めとするイオニアの自然学者達も、この時代では哲学者と呼ばれていました。

では何故、それよりも後の時代のソクラテスが『哲学の祖』でしょうか。
これはおそらく、今でいうところの『哲学』を西洋で最初に考えた人だからだと思います。

『昔の哲学』と『現代の哲学』の違い

前にも言ったと思いますが、哲学というのは、元々は『考えること』その物を指していた為、全ての学者は哲学者でした。
ですが、時代が過ぎていくに連れて、数に特化した考え方は数学と名前を変え、物質の運動で全てを説明しようとする考えは物理学になり、生物の観察によって物事を解明しようという考えは、生物学といった感じで…
それぞれの分野に特化した考え方は、それぞれが別の学問として別れていくことになります。
それと共に、哲学という言葉が持つ意味合いも変化していくことになります。

今現在、哲学をどのように定義するのかというのは難しいですし、私自身も明確な答えを持っているわけではないのですが、ものすごく簡単に説明するならば、他の学問で説明しきれない根本的な部分を考えるものです。
例えば、自分の目の前にコップがあるという状態を物理学的に説明しようと思えば、そこに質量を持った物体がある事を証明できれば良いわけなので、目で観察するとか、触ってみるとか、何らかのセンサーを使う等、いろいろな方法があります。
でも哲学は、物が存在するとはどういうことなのか、つまり、存在とはどういうものなのかについて考えていきます。

存在とは何なのかという問題は、答えはもちろん、そもそも問題の意味が理解しづらいです。
なぜなら、哲学に興味がない人間にとっては、目の前にコップがあるという事実があれば、それ以上、疑問は湧き出てこないですよね。
つまり、コップは既に存在しているわけですから、それ以上、その存在について考える必要がないですよね。

でも、そこから先を考えるのが哲学なんです。
この、『そこから先を考える』というのを明確に行ったのが、記録が残っている中ではソクラテスが最初で、その弟子のプラトン、そのまた弟子のアリストテレスと、この考え方が継承されて発展していくので、『哲学の祖』と呼ばれているのでしょう。

伝わっているソクラテスプラトンが思い描いたソクラテス

このソクラテスですが、ソクラテス自身が書き残した文章などが残っているわけではありません。
ソクラテスは、真理を追求する為に、何よりも対話を重視したために、自分の主張を文章で残すと言った事は、していないようです。
また、自分の主張を文章で残すという行為そのものが、ソクラテスの主張に反するものなので、自分の考えに例外を設けないという事で、書き残していなかったのかもしれません。

では何故、ソクラテスに関する文章が残っているのかというと、弟子のプラトンが、ソクラテスが行った対話の様子を、ドラマ仕立てにして書き起こすという事を行ったからです。
シーンの移り変わりなどがなく、ほぼ会話だけで進んでいく対話劇の様な感じで、今で言うとラノベ感覚で読めるように仕上がっている為、誰が読んでも理解しやすく、幅広い層の人達が購入したようです。
その為、前回話したアレクサンドリア図書館が破壊されても、民家を含む様々なところに分散して保管されていた為に、現在でも残っているんでしょう。

ただプラトンは、実際に行われた対話を忠実に再現するという事は行っておらず、作品自体が面白くなるように脚色しているともいわれていたりします。
また、後期の作品では、プラトン自身の主張などを、登場人物であるソクラテスに代弁させるという事も行っているようなので、今回から取り上げるソクラテスは、プラトンというフィルターを通したソクラテス像という事になります。

無知の知

このソクラテスなんですが、どの様な主張をしていたのかというと、一番有名なものは『無知の知』です。
ソクラテスは、『ギリシャ人の多くが崇めている神々以外の、他の精霊などを信仰して、それを若者にも吹き込んで堕落させた。』という罪で訴えられて、死刑判決を受けるんですが、その裁判中に発した言葉のようです。
この出来事は、『ソクラテスの弁明』という作品になっていて、今でも購入して読むことが出来ますし、1巻だけの漫画にもなっていたりもするので、興味がある方は読んでみてほしいのですが…

簡単に『無知の知』の部分を紹介すると、その作品の中で、ソクラテス自身が賢者だといって弟子を集めたといった感じの難癖を付けられるんですね。
それに対してソクラテスが、私は自身を賢いだなんて思った事はないけれども、親戚の一人が太陽の神アポロンを祀っている神殿に赴いて、巫女さんに、白雪姫の『鏡よ鏡…』みたいな感じで、一番賢い人を教えてくださいと質問したんです。
その質問に対して巫女は、『ソクラテスが一番賢い』といったと言ったそうなんです。

この出来事を聞かされたソクラテスは、何故、自分が他のものよりも賢いと言われたのかを真剣に考えたそうなんですが、その答えとして出てきたのが、『無知の知』なんです。
他の者は、様々な理屈をこねて、知らないものまで知っていると思いこんでいるけれども、少なくとも自分には、そんな思い込みはなく、知らないものに対しては知らないと、真摯に向き合っている。
知らないものに対して知らないと言える、この無知の知こそが、私が他のものよりも優れている点ではないだろうかということを、弁明としていうんです。

何故 ソクラテス自身が思想を書き残さなかったのか

先程、ソクラテスは自分の主張などを書き残していないと言いましたが、このソクラテスの態度をみてもらえば、何故、書き残していなかったのかというのがわかると思います。
賢者と言われている人が、後世に対して何かを書き残す場合、大抵は、自分が知っている知識などを、教科書のように書き残すことで、自分の知識を後世に引き継いでいってもらおう思って書き残すわけですが…
それに対してソクラテスは、『自分は何も知らない』というスタンスなわけですから、書き残して披露すべき知識も無いわけです。

その為、ソクラテスは、賢いと言われている人に対しては、基本的には物事を教えてもらうスタンスで、そして、物を知らない若者たちとは、物事の本質は何なのかというのを協力して解き明かそうというスタンスで、対話していきました。
本が、一方的な知識を相手に押し付けるのに対して、対話の場合は、自分や相手が疑問に思ったことは、その場で相手にぶつけることも出来ますし、自分が理解できない部分は聞き返す事も出来ます。
こういった考えが基本にある為、ソクラテスは、自ら自分の考えを書物に書き記すという行為は行っていなかったようです。

この様な人物ですから、当然ですが、ソクラテス自身が賢者だと触れ回った事もないですし、自分の知識を他人に教えて、授業料を取るといった行為も行っていませんでした。
むしろ、自分は物知りだから、授業料と引き換えに、その知識を分け与えてあげますよと言っているソフィストの元には積極的に出向いていって、対話を行っていたようです。
ただ、この様な知識に対する向き合い方や、ソフィストに対する態度は、結果として、ソクラテス自身を死に追いやってしまうことになってしまいます。

『無知な者』の質問に答えられない賢者たち

というのも先程も言った通り、ソクラテスは、『自分自身を賢者だ』と言って偉そうにしている人の元へ足を運んでは、わからない事を聞き続けるという行動を何度もとっていました。
ですが、ソクラテスが面会した全ての人間は、自分自身で賢者だと主張していたのにも関わらず、ソクラテスからの問いかけに答えることが出来なかったからです。
では、ソクラテスは、それ程までに難しい質問をしたのかというと、実はそうではなく、基本的な質問しかしていません。
これが、問題だったんですね。

何故なら、どんな者にも答えることが出来ないであろう難問を突きつけられたのであれば、質問者も、答えられないことに対する言い訳が建ちます。
でもその質問が、自分は賢者だと触れ回っている人の主張の基本的な部分だったとしたら、どうなるんでしょうか。
すべての理論はそうですが、基本的なところから固めていって、それを元に発展させていきます。

演繹法と呼ばれる手法で、今でも使われている手法なのですが、この手法を使って作られた主張の根本的な部分が、実は固まっておらず、『あやふや』であったとするならば、その主張は根幹部分から崩れ去ってしまいます。
ソクラテスは、『自分自身は何も知らないので、是非、賢者のアタナに教えていただきたい』と、自称、賢者に近寄っていって、質問に質問を重ねることによって、根幹部分について質問します。
ですが、その質問は、全ての人が当然のように『知っている』と思い込んでいるモノの正体を、改めて聞く質問であるため、質問された賢者は、その基本的な事柄さえ答えられない事に、ソクラテスによって気付かされてしまいます。

(つづく)

世界経済の足を引っ張るトランプ?

少し前に、『Huawei問題を考える』というエントリーで、中国と米国の経済戦争について書きました。
kimniy8.hatenablog.com

今回は、その時から少し状況下が変わってきたようなので、そのことについて書いていきます。

日本の報道だけを観ていると、情報の抜き取りや知的財産権の問題などで、中国を信用できない米国が、中国に対して経済制裁を行っているように感じる方も多いと思います。
しかし、本当のところはどうなのでしょうか。
私には、実際にはトランプ政権が追いつめられた事で、アメリカ側が無謀な経済戦争を強いられているように思えます。

追い詰められる米国

アメリカの状態を見てみると、トランプ大統領の暴走により予算案が通ってない。
もう少し具体的に書くと、トランプ氏は大統領選の公約で、メキシコからの不法移民の流入を防止する為に、アメリカとメキシコの国境線上に壁を建設すると言っていました。
壁を建設することで国境警備を厳重にして、不法移民を徹底的に排除するというのを大々的に掲げて当選しました。

ただ、国境線の全てに壁を建てるというのは、かなりの予算がかかる。
当初、トランプ氏は、『不法移民はメキシコの問題なんだから、メキシコにカネを出させる!』と主張していたのですが、現実的に考えて、難しいですよね。

何故なら、メキシコは壁なんて欲しいとは一言も言っていない。
アメリカの不動産屋の社長が勝手に言いだした事を、何故、メキシコが金を出して実現しないといけないのか。
当然のようにメキシコは突っぱねるわけですが、これで困るのが、あり得ない計画をでっち上げて大統領になってしまったトランプ氏。

実現しないと嘘つき呼ばわりされてしまう実現の為に『コンクリートの壁よりも、向こうが見渡せる鉄の壁のほうが良いよね。』とか言い出して、壁をフェンスに格下げして予算の縮小を図ります。
しかし、そもそもありえない計画なので、メキシコは当然のように無視。

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すると今度は、『アメリカ・ファースト!』とか言い出して、工場をアメリカ国内に呼び戻すように、企業に圧力をかけ始めます。
アメリカは先進国で賃金が高い為、自動車会社など工場を持つ会社は、工場を人件費の安いメキシコに移していたりするのですが、その工場をアメリカ国内に移せと、会社の経営陣に圧力をかけ始めたんです。
トランプ氏としては、メキシコからアメリカ企業が撤退し、投資金額が減少すれば、圧力がかけられると思ったのでしょう。

ですが、アメリカは独裁国家でも社会主義国家でもなく、自由の国。
経営陣からしてみれば、低賃金で人が雇えるメキシコからアメリカに工場を移したとしても、何の得もない。
何なら、ここ数年でメキシコに投資して工場に投資した企業などは、その投資金額も回収できていない状態でしょう、そんな状態で、新たにアメリカに工場を建てるなんで、有りえません。
税金を安くするよと提案されたとしても、経営者からすれば固定費の負担増の方がキツイですし、トランプ政権もいつ終わるかわからないので、口車に乗ってアメリカに工場を移した途端に、政権が変わって税金がもとに戻される可能性もある…

この様な感じで、メキシコを脅して壁の建設費を出させる計画は頓挫したわけですが、だからといって、壁を建設しなければ、トランプ氏は嘘つきになってしまう。
自分に都合の悪いメディアを捕まえては、『フェイクニュース!! アイツラは嘘つきだ!』と言い続けてきたトランプですが、自分自身が嘘つきだということになってしまうと、次の選挙で落ちてしまう。。

困ったトランプは、何とか壁を建設したいと、壁の建設費を盛り込む事を議会に要請。
壁さえ作ってしまえば、表向きには約束を果たしたことになると考えたのでしょう。

しかし、議会はその要求を無視して、壁の建設費を盛り込まない形の予算しか出してこない。
というのも、そもそもトランプ氏は、アメリカの選挙制度に助けられる形で当選しており、実際の投票数だけで見れば、ヒラリーに負けていた人間。
そういう民衆が選んだ議会では、トランプ氏が所属する共和党が圧倒的多数を握っているわけでもなく、更に言えば、共和党の中にも反トランプの人間が居る。

議会としては、圧倒的支持を受けているわけでもないトランプに忖度する必要もない為、どうでも良いものを予算案としては盛り込みたくない。
この両者のぶつかり合いにより、アメリカは予算案が通らないという事態に追い込まれている。

政府のシャットダウン

予算案が通らないという事は、何を意味しているのかというと、政府機能の一部が停止することを意味します。
というのも、通らない予算案の中には、公務員給料も含まれていて、予算が劣らないと公務員に対する給料も支給されないという事になってしまうからです。
給料が支給されないと、公務員はその間、無給で働くことになるわけですが…

いくら、愛国心が強く、そこら中に国旗を掲げ、映画を作れば『USA! USA!』って感じになる彼らでも、無給では働けない。
消費社会でローン社会のアメリカでは、毎月のように金利を返済しなければならないですし、家賃や食費といった最低限の生活を送る費用もかかる。
愛国心だけでは食べていけない為、無給になった公務員は、業務を休んでバイトに出かけなければならない事態に追い込まれ、一部の業務が行えない状態に陥っているようです。

こうなってくると、アメリカ市民のマインドも変わってきますよね。
今までは、右翼の人は赤い帽子をかぶってトランプ支持をしていれば気持ちよくなれていたわけですが、政府の業務が停止すると、自分たちの生活にも影響が出てくる可能性がある。
直接の影響がなかったとしても、政府職員が頻繁に利用していた飲食店などは売上に影響するでしょうし、回り回って経済的な影響も出てきます。

多くの人間は、自分の生活に影響が出てきて初めて事態の深刻さを理解するもので…
今までは、呑気に赤い帽子をかぶっていた人たちも、『なんで予算通さないの? っていうか、そもそも、全額メキシコに出させるって話だったのに、なんで予算に盛り込もうとしてるの?』と文句を言い出す。
そんなこんなで、トランプの不支持率は上昇してきている。

外敵を作って一致団結?

政府のシャットダウン云々は最近の話ですが、この様な感じでトランプ政権の支持率は低下して不支持率が上昇してきている状態。
トランプは、味方であるはずのアメリカ国民から『NO!!』を突きつけられ始めているわけですが、その流れを変えようとしたのが、中国に仕掛けた貿易戦争なのかもしれません。

Huawei問題でも書きましたが、アメリカは、中国に対して驚異を感じ、難癖をつけて貿易戦争を仕掛けているという一面も、大いにあるとは思います。
長い間、世界トップの経済大国だったわけですから、トップとしてのプライドもあるでしょうし、これからもトップで有り続けたいと思っているでしょう。
kimniy8.hatenablog.com

しかし、それだけなのか?という疑問もあるんですよね。
中国という、分かりやすい外敵を作り、その敵に対して一丸となって戦っていこうというポーズを見せる事で、強いリーダーシップを見せつけ、自分にかけられた疑惑の目を避けようとしているようにも思えるんですよね。

しかし、その目論見は見事に外れ、中国の景気が少し減速しただけで、Appleが業績を下方修正するはめになり、株価に大きな影響が出てしまいました。
影響はAppleだけでなく、中国経済の減速が、ヨーロッパのラグジュアリーブランドを直撃し、その影響は世界中に広がっていこうとしています。
www.cnn.co.jp

トランプからしてみれば、『目線を反らせるために、いっちょ、脅しをかけてやろう。』といった感じで気軽に仕掛けた経済戦争なのかもしれませんが、中国がちょっと揺らいだだけで経済の歯車が狂ってしまって、世界中に激震が走る兆候が出てきてしまった。
当然、アメリカも影響をモロに受ける為、アメリカは更に国内から批判が出てくる状況になっている…

崖っぷち状態のアメリカですが、日本は、中国とアメリカのどちらが転けても終わってしまいそうなので、もっとヤバイ状態だったり…
日本も、そろそろ、アメリカべったりではなく、真剣に生き残る道を考えるべきなんでしょうね。

【Netflix動画 ネタバレ感想】 ミッシング・スリー:アルカディア物語 3BELOW

今回は、正月休みに観たNetflixオリジナル動画、『ミッシングスリー』の感想を書いていきます。
ネタバレ情報を含みますので、まだ観ていない方で情報を入れたくない方は、観てから読まれることをオススメします。
後、この作品はアルカディア物語の第二弾で、第一弾は『トロールハンターズ』ですので、そちらを観てない方は、そちらから観た方が理解しやすいと思います。

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www.netflix.com

トロールハンターズのネタバレ感想はこちら
https://kimniy8.hatenablog.com/entry/2019/01/14/215233

簡単なあらすじ

この物語は、トロールハンターズの舞台となった、アメリカのアルカディアという街をを中心にした物語ですが…
物語の始まりは、アキリディオン5という別の惑星から始まります。

メインとなるのは、このアキリディオン5の王族の子供達。
弟の方が王の座を継ぐ為の戴冠式の儀式の最中に、何故か防御用のバリアーがシャットダウンしてしまい、何らかの罪で国外追放されていたモランド将軍によってクーデターが起こされる。
その儀式には丁度、王様の親友で世話係 兼 司令長官のバルバトスと護衛役のバトラが参加していた為、バルバトス達は王族専用のマザーシップまで世継ぎの2人を誘導。

マザーシップで、主人公2人の両親達と合流するが、同時にモランド将軍も追いついてしまい、両親は目の前で殺されてしまう。
とはいっても、アキリディオン5の住民は、コアと呼ばれる部分さえ守れていれば、それを中心にして回復できるらしく、主人公たちは両親のコアを回収して、マザーシップに乗り込む。
この際、護衛役のバトラが時間稼ぎの為にマザーシップを降りた事で、バルバトスと主人公のクレールとアジャとペット1匹で、アキリディオン5を脱出することになる。

とりあえず体制を立て直す為に、移住できる惑星を探したところ、候補として地球が上がり、一行は地球に向かう事になる。
しかし着陸に失敗してしまい、マザーシップはエネルギーの大半を失ってしまう事になる。
エネルギーを失ったことにより、両親の治療も進まず、それどころか3ヶ月以内になんとかしないと両親が死んでしまう。

両親を助ける為に、なんとかして、代わりになる部品を探して船を修理し、故郷に戻るために奮闘するというのが、この物語の大筋。

エイリアンの大冒険

主人公たち3人は、自身の身の安全を確保する為に、移住先の候補地を自分たちの文明よりも低い星を選び、地球に来ます。
地球の情報は、マザーシップが保有している為(60年前の情報ではあるが)、マザーシップの情報を読み解くだけで、地球で暮らす為の基本的な情報は手に入るのだが…
主人公たち3人は、自分たちが高い文明の国から来たという事で、全く情報収集をすること無く、街に飛び出していきます。

電気製品に詳しい人が、ついてくる取扱説明書を読まないように、地球での暮らしを完全に舐めプで行う為、日々生活を行うだけでトラブルを起こしまくりますが…
それが観ていて面白い。 3人は、基本的には地球人を見下しているわけですが、それが嫌味になっていない。また、見下しながらも街に溶け込もうと奮闘する様子が、微笑ましい。

特に、3人の中でもバルバトスのキャラクターが面白い。
バルバトスは軍部の最高峰の司令長官なので、感覚が一般人のそれとは大きくズレている。
しかし、プライドが非情に高いので、自分の間違いを認める事が出来ない。 結果として、常識から大きく乖離した事ばかりを偉そうに言うキャラになってしまっています。

これが、軍人のような大柄の図体をしていたら(アキリディオン人の時は、その様な姿)ちょっと嫌なヤツになっていたのでしょうが、地球人に化けている姿が、ヨボヨボの老人姿なんです。
その為、ヨボヨボの老人がデカイことを言っている感じになっている為、嫌な感じになっておらず、コミカルな感じになっている。

この他にも、地球人を装う為に両親を用意しなければならなかった際、マザーシップに積み込んであるロボットに皮膚をつけて人間に偽装するのですが、そのロボットに地球の情報を入れる際に、60年前のテレビの情報しかなかったのか、両親が変なテンションになっている。
こんな変な人達ばっかりなのに、物語が進むに連れて感情移入できてきたりするから凄い。

魅力的なアルカディアの住民

私は、トロールハンターズよりも前に、この作品を鑑賞したのですが、トロールハンターズを先に見ておくことで、この物語を本当の意味で楽しむことが出来ます。
トロールハンターズでは、3シーズンに渡ってアルカディアの住民たちの事を描いてきたわけですが、その人間関係をそのまま受け継いでいるので、その知識がある人間にとっては、かなり楽しめる作りになっています。

例えばトロールハンターズでは、クレアというヒロインと一緒につるんでいる親友が2人いるのですが、クレアがトロールハンターズに加入後、地球の危機を防ぐ任務に忙しくなり、シーズン3になると、その2人とは疎遠になっていきます。
しかし、時期を同じくして、ミッシングスリーの3人が地球に来て、変な感じで学校内で目立ちまくった事で、クレアの親友の2人はアジャと仲良くなり、クレアの立ち位置に収まります。

この他には、スティーブというキャラクターの扱いがずいぶん変わったりしています。
このキャラクターはトロールハンターズの前半では、体育会系のいじめっ子として登場し、超常現象オタクのイーライなどを虐めたり、トロールハンターズの主人公であるジムに絡んできたりと、嫌なキャラクターとして描かれています。
アメリカ製作の作品には、よくあるタイプのイジメっ子キャラクターですよね。

しかし、トロールハンターズの第3シーズンに突入したぐらいから、悪のトロール軍団の行動が目立つようになり、一般人にも目撃されるようになります。
その一人が、イジメっ子のスティーブ。

自分一人では受け入れることが出来なかったスティーブは、超常現象オタクのイーライに相談し、イーライからアルカディアで目撃されている超常現象の話や都市伝説の話を聞き、その分野で、イーライを尊敬するようになり、スティーライズを結成します。
ジムがトロールと戦っていることも知り、その部分ではジムを尊敬するようになり、ちょっと良いヤツに変化するのですが、このミッシングスリーでは、その状態で登場します。

そして、ちょっとした行き違いから、アキリディオン5のプリンセスのアジャに前蹴りをされてノックダウンし、心までノックダウンされてアジャに惚れてしまいます…
トロールハンターズの最初の方は、あれだけ、いけ好かないキャラクターだったのにも関わらず、憎めないどころかコミカルなキャラクターになっていて、かなり笑えます。

この他にも、前作のトロールハンターズに登場したマスコット的なキャラクターである、太っちょのトビーのお婆ちゃんに、バルバトスが惚れてしまったりと、アルカディアの住民の事を知っていれば居るほど、楽しめる作りになっています。
トロールハンターズのネタバレ感想の投稿でも書きましたが、この物語の本当の主人公は『アルカディア』という土地なんだなと思わせる作りになっているのが良いですね。

2019年始めの時点では、第1シーズンしか公開されていない状態ですが、最終回で、トロールハンターズの最終回と重なる作りになっているので、アルカディア物語としては、第2シーズンからが本番という感じでしょうか。
トロールハンターズの最期では、トビーだけはアルカディアに残っているので、あの騒動後、どの様になったのかが早く観たい気持ちでいっぱいです。