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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第45回 移り変わる宇宙の捉え方(1)『相対性理論』 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

前回の振り返り

前回は、科学では真理を見つけ出すことが出来なというソクラテスの主張を説明する為に、ゼノンのパラドクスなどを持ち出して、理論の話を現実世界に持ち込むと、不具合が出るという話をしていきました。
今回は、科学の理論そのものも、そこまで信用できるものではないのかもしれないということについて話していきます。

一応言っておきますと、今から、科学の例を出しますが、私は科学の専門家ではないので、理解が不足していたり解釈が違っていたりするところも多いと思います。
気になるところがあれば、自分自身で調べられることをお勧めします。

ニュートンが考えた宇宙

気を取り直して続けましょう、宇宙の構造や法則についてですが、例えば、ニュートンが思い描いていた宇宙は、もっとシンプルな構造をしていました。
規則正しく線が引かれた方眼紙の上に、星々が配置されている様なイメージといえばよいのでしょうか…
昔考えられていた宇宙空間では、平行線も交わることがない、計算しやすいものとして、宇宙空間というものがもっとシンプルに捉えられていました。

時間も同じで、絶対的な時間というものが存在していて、どの環境にいようが、全ての場所で同じ時間が経過していると考えられていました。
この考え方というのは、特殊な考え方でも何でも無く、普通の感覚… 何を持って普通というのかは、ひとまず置いておいて、多くの人がイメージしやすい考え方だと思います。
今、私達が感じている5分という時間は、エベレストの頂上でお同じ5分で、地球の周りを高速で回転している衛生の中でも、同じ5分。

場所や環境が変わったところで、5分間という時間そのものは変わることはなく、時間は一定のスピードで、全ての空間で等しく流れている…
そう考えるのが、わかりやすいですし、自然な考えではないでしょうか。
もし、人によって時間が変わるのであれば、人と待ち合わせるといった事も出来なくなりますよね 『10分後に集合しよう』と決めて、その10分が条件によって変わるのであれば、集合しようという取り決めは意味がなくなります。

歪む空間と時間

ですが、アインシュタインの登場によって、この科学的な常識が破壊されます。
空間というのは、重力によって捻じ曲げられるという事が分かってしまいました。 これは、分厚いスポンジの上にボーリングの玉を置くと、スポンジが大きく沈むこむような感じで、空間そのものが重力の影響を受けて歪んでしまうということです。
スポンジの上に置く物体が重ければ重いほど、スポンジはより深く、広範囲に沈み込むことになりますが、空間のゆがみ方もそれと同じ様に、重力の強さによって、歪み方も影響範囲も変わります。

つまり空間というのは、私達が思っている程、単純なものではなかったということです。
私達が存在している宇宙は、規則正しく線が引かれた方眼紙のようなモノの上に成り立っているのではなく、物が、ただ存在しているだけで、空間そのものが歪んでしまう複雑なものだとうことが解ります。

これは時間も同じで、この世には絶対的な時間というものは存在せず、時間そのものが相対的なものである事が分かってきました。
この事が何故わかったのかというと、光の速度がどの時間、どの状態で観測したとしても、同じ、秒速30万キロだったからなんです。でも、これって、かなりおかしい事ですよね?

地球上で光を観測する

例えば、地球というのは、音速並みのスピードで自転しています。これは、飛行機のフライト時間で考えると分かりやすいかもしれません。
日本の裏側にある国はブラジルと言われていますが、日本からだと地球の半周に当たるブラジルまで飛行機で行くとすると、24時間以上かかってしまうのに、地球は1周回るのに24時間しかかかりません。
つまり簡単にいえば、地球の地面のスピードは、飛行機の速度の倍ということになります。地球の赤道の長さが4万キロなので、それを24時間で割ると速度が出せるわけですが、計算すると地面の速度は時速1,666キロ。1秒間で約500M進む事が分かると思います。

朝、太陽が東から登ってくるという事は、地球の自転によって、地面が太陽の方向に向かって動いているわけですから、普通に考えれば、太陽の光を観測した場合、太陽光の速度は地球の自転のスピードを足した数字になるはずです。
逆に、夕日を観測した場合は、地面は太陽から離れる方向に動いているわけですから、太陽光の速度は、地球の自転を引いた数字にならないとおかしいですよね。
少しわかりにくいかもしれないので、自動車の例を出して説明してみましょう

相対速度

これは、相対速度という考え方なのですが、例えば、自動車が2台あって、1台が止まっていて、もう一台の車が時速100キロで止まっている車を横切ったとしましょう。
この時、お互いの車に乗っている人は、車に乗っている観測者が時速100キロですれ違った事を観測する事ができます。
次に、時速100キロで走る車に並走する形で、もう一台の車が時速100キロで走ったとすると、車に乗っている人達は、互いの車を見ても止まっているように見えます。

実際には、タイヤは回っていますし地面も景色も動いていますから、止まっているとは思わずに並走していると思うんでしょうが、車に乗っている観測者だけに焦点を当てると、常に自分の隣りにいて動いていないわけですから、止まっているように見えます。
次に、片方の車が時速100キロで走り、もう一方の車が時速70キロで走ったとすると、時速100キロで走っている車に乗っている観測者から見れば、もう一方の車の観測者は時速30キロで後退しているように見えますし…
逆に、時速70キロで走っている車に乗っている観測者から見れば、もう一方の車の観測者は時速30キロで進んでいっているように見えます。

また、2台の車が時速100キロで、お互いの車に向かうような形で進んだ場合。 仮に、左からA地点B地点C地点として、車がA地点とC地点にあって、お互いの車が時速100キロでB地点ですれ違うという場合ですね。
この場合は、お互いの観測者は、時速200キロですれ違っているように見えます。

光速度不変の原理

この、相対速度という考え方を、先程の太陽から出る光に当てはめると、理解がしやすいと思います。
太陽に向かって進んでいる状態で太陽光を観測すれば、太陽光の速度は時速30万キロという速度にプラスして、地球の自転スピードの時速、約1700キロを足した数字で計測されるはずです。
逆に、太陽から遠ざかる時間帯に太陽光を観測すれば、太陽光の速度は時速30万キロから地球の自転スピードを引いた数字で計測されるはずですよね。

他の例でも説明してみると、車のヘッドライトを付けた状態で前進した場合、ヘッドライトから出ている光のスピードは、車の速度+光の速度になるはずです。
逆にバックをした場合、光のスピードは車の速度を引いた速度になるはずですよね。

しかし実際に計測してみると、光の速度はどちらも同じ、秒速30万キロだったんです。 これを、『光速度不変の原理』、つまり、光の速度はどの状態で観測しても、同じ速度ですよという原理なんですが…
でもこれって、かなりおかしな事ですよね? 今までの普通の物理の法則から考えても、かなり常識から外れているように思えます。

仮に、光が右から左に秒速30万キロで動いているとして、光と同じ速度が出る乗り物で、同じ様に右から左に移動した場合、普通なら、光の速度に追いついて、止まっている状態の光を観測できるはずですよね。
でも、この『光速度不変の原理』では、仮に、秒速30万キロで動く乗り物が完成したとして、光と同じ速度で並走したとしても、その乗り物から観測した光は止まっているように見えず、秒速30万キロで同じ方向に進んでいるように見えるということです。
秒速30万キロの乗り物を、光が秒速30万キロで追い抜いているなら、では、光の速度は秒速60万キロに加速しているのかといえば、そうではありません。
秒速30万キロの乗り物と光との競争を、少し離れた位置で地面に座ってみている人がいた場合、その人が光の速度を観測した場合、光の速度は30万キロしか出ていないんです。

これって、かなりの矛盾ですよね。ですが、どんなにオカシクても、今までの考え方に矛盾したことであっても、観測結果によって『そういう事実があるらしい』という事が分かれば、それを踏まえた上で仮説を積み重ねていくのが科学です。

つづく