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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第42回 アレクサンドリア図書館 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

新たな勢力の台頭で変わる力関係

こうなってくると、国の中の力関係も変わってきますよね。
昔は、ギリシャ人であったり、ローマ人が権力を掌握していて、絶対的な権力を振りかざしていました。
この状態が良い状態なのか悪い状態なのかは置いておいて、権力の構造がハッキリしているという点では、安定はしていたんでしょう。

しかし、今までは使役するだけの存在でしかなかった存在の奴隷が、キリスト教という一つの信仰の元に集まって組織化すると、一つの勢力となって、権力に介入する事が可能となってきます。
つまり、多くの信者を抱える宗教の代表者の発言権が高まるという事ですね。
信者の代表者は、自分たちの信者から信頼を得なければならないわけですから、当然、現状の状態の改善を求めます。

奴隷階級の人間の権利を認めるということは、支配者層の権限の一部を放棄するという事に繋がるわけですから、当然、権力を持っていた側は、反発する事になり…
ローマ神話の様な多神教を崇拝する派閥と、キリスト教ユダヤ教のような唯一神を崇める宗教とに別れて、対立するようになります。
では、キリスト教ユダヤ教は仲が良かったのかというと、そうでもありません。

唯一神を信仰していて、世界の始まりは神が7日間で創った創世記を信じているという部分では、認識を共有できてはいるんですが…
キリスト教の教祖となっているイエス・キリストは、ユダヤ人の手によって磔(はりつけ)にされて殺されているわけですから、お互いが手を結んで、共に戦おうという様にはなれなかったんでしょう。
この様な感じで、支配者階層が信じる多神教と、ユダヤ人が信仰するユダヤ教。 そして、それ以外の貧しい人達を中心に広がってきたキリスト教によって、国民は3つに割れてしまいます。

国教となるキリスト教

ただ、この関係が大きく変わってしまうのが、4世紀に入ってからです。
313年にはキリスト教がローマという『国』によって公認され、392年には国の宗教である、国教にまでなってしまいます。
国教というのは国家が公認している宗教で、国民の信奉すべきものとして保護を加えている宗教のこと。つまりローマは、キリスト教の国家になったということです。

この変化によって、キリスト教の地位や発言力は大きく上昇します。
元々は、ユダヤ教の一派として始まった新興宗教で、発言力も弱く、3世紀頃までは見向きもされなかった宗教が、貧民層を中心に支持を集めて人数を拡大していくことによって、国の定める宗教にまでなったわけですからね。

今までは、オリュンポスの神々を信じていた支配者層の役人たちも、自分たちが生き残る為に、洗礼をうけてキリスト教に改宗するなどしていった為、キリスト教が政治に対して与える影響も日に日に大きくなっていったようです。
こうなってくると、窮地に立たされるのは、今まで支配者層として悠々自適な生活を送ってきた、一般のローマ人などですよね。
これまでは奴隷を使って雑用をさせて、自分たちは哲学をしたり劇を鑑賞したりと、余裕を持った暮らしをして来たのに、その雑用を任せていた奴隷たちが信じるキリスト教がスタンダードになってしまったわけですからね。

互いの勢力の牽制合戦

オリュンポスの神々を信仰してきた人々は、既得権益を主張しますし、一方でキリスト教徒達は、人は神の前で平等だと主張します。
思想の違いは、軋轢を生むことになっていって、次第に闘いに発展していくことになります。

この辺りの出来事は、映画化されていますので、そちらを観ていただくと、理解が早いかもしれません。
アレクサンドリア』という映画なんですが、これは2009年に公開された作品で、2時間半という時間で、キリスト教が勢力を伸ばし始める所から、勢力を確立し、支配者層の人達とぶつかり合うところまでを描いています。
私はNetflixで観させてもらいまして、まだ観れると思うので、この作品に興味をもったけれども、まだ観ていない方で、これから見ようと思っている方は、先にそちらから観てみる事をお勧めします。
というのも、これからクライマックスの部分を話しますのでね。 とはいっても、歴史的な事実なので、ネタバレも何も無いとは思うんですが、気になる方は、映画の方から見てみてください。

【映画】アレクサンドリア


良いでしょうか。この映画のクライマックス部分というのは、勢力を伸ばしてきたキリスト教と、ローマ人との闘いです。
ローマ人側は、敵の勢力を考えても、今、戦いを仕掛けて早期決着できれば勝てると思って、争いを仕掛けるわけですが、キリスト教側の勢力が想像していたよりも多くて、防戦一方になってしまいます。
そして最終的には、ローマ人側はアレクサンドリア図書館に逃げ込んで、籠城をする事になります。

籠城している間も、政治的な駆け引きなどが行われるのですが、最終的には、キリスト教徒がアレクサンドリア図書館の門を突破して、制圧することになります。
その制圧も、単に場所を圧えるというだけではなく、神々の姿を模した彫刻の顔を削り取ったり、倒して壊したりと、さんざん荒らし回ります。
そして最終的には、異教徒の教えとして、アレクサンドリア図書館に保管されていた書物を集めて、そこに火を放って燃やし尽くしてしまうんです。

キリスト教の教義に反するギリシャの哲学

何故、こんな事をしてしまうのかというと、信仰に関わってくるからです。
キリスト教の世界観では、この世界は7日間で神の手によって作られたとされていますし、大地は平らで、空の方が動いているというのが、その教えです。

当時のアレクサンドリア図書館では、エラトステネスが、離れた地域で同時刻に太陽光の傾きを観察したところ、そこに誤差が生じていることに気がついて、その角度を元に地球の直径を計算し…
地球が丸いだけでなく、その大体の大きさまで分かっていました。
先ほど紹介した『アレクサンドリア』という映画の中に登場するフィパティアという女性哲学者は、地球が太陽の周りを回っているとすると生じてしまう矛盾に、地球は太陽の周りを楕円軌道で回っているとして矛盾を解消しました。

また、地球が自転で1日で1回転するとすると、その時速は凄まじいものになってしまい、人間は回転についていけずに吹き飛ばされてしまうことになります。
まぁ、当然ですよね。 飛行機で地球1周するのに24時間以上かかるわけですから、地球は飛行機よりもかなり速いスピードで回転していることになります。
その回転で吹き飛ばされず、地に足をつけていられる理由として、慣性の法則を見つけ出したともいわれています。

破壊される知の殿堂

こういった知識というのが、キリスト教徒によって焼き払われてしまうんです。
そして、この、古代ギリシャ時代から発展してきた知識がもう一度、見直されるのは、ルネッサンスまで待たなければならなくなりました。
ルネッサンス期の始まりが、14~16世紀と言われているので、人類は約1000年間、知識的なロスをしたことになりますね。

もし、この様な出来事がなければ、今の文明が更に1000年ぐらい進んでいた可能性があったわけで…
その可能性が、国や宗教のの勢力争いによって無くなってしまったっていうのを考えると、争いや戦争って、ろくなもんじゃないですよね。

ちなみにですが、今は無きアレクサンドリア図書館を、自分で散策して、その雰囲気を味わう事ができるゲームが発売されていたりします。
PS4などでプレイできる、アサシンクリード オリジン という作品なんですが、紀元前49年のエジプトが舞台になっていて、当時の雰囲気が、かなり細かいところまで再現されていたりします。


当然ですが、首都のアレクサンドリアに行けば、アレクサンドリア図書館を観ることも、中に入ることも出来ますので、興味のある方は、プレイしてみてはいかがでしょうか。

というわけで、結構良い時間になってきましたので、今回はこの辺りにしようと思います。