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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第46回 移り変わる宇宙の捉え方(2)『見かけの重力・量子論』 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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光は粒子なのか波なのか

これだけでは意味がわからないと思うので、順を追って説明していきます。
くどい様ですが、私は科学者でもなければ専門家でもないので、理解不足のところや間違って認識している部分もあると思います。
これを聞いて興味を持たれた方は、自分自身で調べてみることをお勧めします。

という事で、量子論について簡単に話していきます。
相対性理論が光の特性を研究したところから始まったように、量子論も、光とは何なのかという光の観測から始まります。 光の正体は、『波』なのか『粒子』なのか、どちらなんだろうという疑問ですね。
科学者として有名なニュートンは、光は粒子だと主張しました。 例えば、物体に強い光を当てた場合、その物体の影は、くっきりと境界線を持って映し出されますよね。

しかし、波の場合はその様に、くっきりとした影が浮かび上がるのでしょうか?
想像してみてください。 皆さんの前に水槽を用意して、水を張り、水面から飛び出すような大きさの物体を水槽の真ん中に置きます。
そして、その物体に対して波を起こしたと想像してみてください。 その波は、物体にぶつかると、どうなるのでしょうか。 物体にあたった波だけきれいに反射して、物体の反対側は一切波が起こっていない状態になるでしょうか?
そうはなら無いですよね。 波は物体の側面を回り込み、波の動きは水槽全てに伝達されますよね。

でも、光が物体である『粒子』であるとすれば、どうでしょう?
光が物体であれば、物にあたった際には物理法則に従って反射するので、物体には影の部分が出来ます。 つまり、辻褄が合うということです。

しかし、光は『波』だと主張する人達から、反論も出てきます。
その反論は、『仮に、光が物体である粒子であるのなら、光と光をぶつければ、粒子同士がぶつかって軌道が変わるのではないか?』という反論です。
その一方で、波の場合は、衝突したとしても軌道が変わる事もないし、干渉することは有っても、そのまますり抜けることが可能です。
つまり、光を波だと考えれば、光を衝突させた時の現象は、辻褄が合って説明できるというわけです。

二重スリット実験

この様な感じで、『粒子派』と『波派』に分かれて対立が起こっていたのですが、どちらの方が強かったのかといえば、『粒子派』のほうが優勢だったようです。
なぜなら、粒子派の代表格がニュートンというビッグネームだったので、『ニュートンさんがいうから間違い無いだろう』と納得する人が多かったからだそうです。
この様な現象は、今でも見られますよね。 有名な人物がお墨付きを与えているから信じるという風潮。 そういったモノを利用するのが、ステルスマーケティングだったりしますよね。

話を戻しますと、最初は劣勢に立たされていた『光は波派』の人達ですが、二重スリット実験によって光が干渉する事を発見したことで、形成が逆転します。
干渉というのは、波が持つ独特の性質で、2つの波をぶつけた際に起こる現象の事です。
水面にたつ波を想像してもらえれば解りますが、波というのは、高い部分の山となる部分と低い部分の谷という部分が交互に連続する構造になっています。

この波が衝突すると、先程言ったようにすり抜けるのですが、その際に、山と山が重なると、更に高い山になり、谷と谷がぶつかると、更に低い谷へとなり、谷と山がぶつかると、その部分は打ち消し合って波の無い状態になるんです。
これを波の干渉というようなのですが、これが光でも起こることがわかったんです。
実験方法としては、まず光を置いて、それを遮る形で1枚の壁を置いて、その壁に、2つの穴を空けて、その先にスクリーンを置きます。

こうすると、一つの光源から出た光は、2つの穴を通ってスクリーンにぶつかるわけですが、この際に、2つの光が干渉し合います。
イメージとしては、一切、波がたってない池の中に、2つの小石を投げ入れるようなイメージです。そうする事で、2つの波紋が出来て、その波紋同士が鑑賞し合いますよね。
光の場合も同じで、2つのスリットをすり抜けた光は、その後、一部が重なり合って、干渉することになります。

波の山の部分が重なって、より山が高くなった部分と、谷同士が重なり合って、谷が深くなった部分、また、谷と山とがぶつかって凪になった部分が出来ます。
その結果として、光が、より強くなる部分や光が消える部分などに分かれて、それが、スクリーン上に縞模様を描き出すことになります。
この様な縞模様の事を干渉縞といって、この現象は、光が波でなければ説明がつかない為、光は波だという主張が勢力を伸ばしていき、その後行われる実験なども、光が波だという前提で行われていきます。

最小単位の波?

この様な環境で行われたのが、プランクという人物が行った、黒体放射の観察を行う実験です。
この実験が行われた当時なんですが、鉄の精錬が盛んな時期だったようなのですが、その精錬方法が、職人の勘によるところが多かったようなんです。
鉄を熱し続けると、鉄が赤く光を放つようになり、高温になると、その光は強くなっていくわけですが… その光具合などを職人が目で観て、鉄の温度の状態などを見極めて、様々な作業を行っていたそうなんですが…

その様な方法では、鉄の性格な温度が分かるはずもなく、品質にバラつきなどが出ていたようなんですね。鉄というのは、建設や車のフレームなどに使われるので、品質にばらつきがあると、強度計算なども狂ってくるので、かなり問題が出てきます。
それを解消する為に、物体を熱する事で出た光を計測したり、プリズムなどの光を分ける分光器を使って分析して、物体の温度を正確に知ろうという研究や実験が行われたんです。

ただ、この実験によって、おかしな現象が観測されてしまうんです。
従来の物理学の考え方では、物体の温度が上昇すればするほど、比例して、光のエネルギーも増えていくという推測が成り立ったので、それを期待して、実験が行われたのです。まぁ、この推測自体にも無理があったようなんですけれどもね。
というのも、温度に比例して光のエネルギーが上昇していくと、理論上は、光のエネルギーは無限にもなり得るからです。

これは、以前に出てきた『アキレスと亀』のパラドクスと同じで、仮に、物体に熱を加え続けることが可能であるなら、物質は無限の光を放つ事になリ、溶鉱炉という限定された空間に無限の光を収めることになるからです。
ただ、推測はどうであれ、実験が可能であれば、実験して確かめてみなければ話は進みません。という事で実験した結果、事前に経てていた予測とは全く違ったものになってしまったんです。
この実験結果のグラフを音声だけで正確に伝えるのは無理が有るので、興味の有る方は、黒体放射などで検索してみてくださいね。

実験結果を受けてプランクさんは、一つの仮説を立てるんです。それは、光には最小単位が有るのではないのかという考えです。
この考え方は、物理の世界ではかなり画期的な考えだったようです。というのも、今までは、波のようなエネルギーは連続的な動きをすると思われていたんです。
しかし実際には、最小単位というものが存在して、連続的だと思われていたものが、実は、不連続なものだったという可能性がでてきたからです。

この後、この考え方を利用して、アインシュタインが光の性質について新たな主張をするわけですが、それはまた、次回にしようと思います。
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