【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第48回 移り変わる宇宙の捉え方(4)『神はサイコロを振らない?』後編
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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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電子による二重スリット実験
ただ、科学というのは、単に否定するだけではなく、推論を重ねて実験を行って検証しなければ、先には進みません。そこで、光が波の性質を持つ事を発見した二重スリット実験を、電子を使って行ってみようという実験が行われます。
実験方法としては、まず、箱を用意して、一番奥の壁に、電子がぶつかると、その跡が残るような仕掛けをしておきます。そしてその箱を真中で仕切り、仕切った壁に2つのスリットを開けておきます。
次に、電子を1つずつ打ち出すことが出来る電子銃を用意して、一番奥の壁に向かって電子を撃つという実験です。
これにより、電子は仕切られた壁に開けてある2つのスリットのどちらかを通って、一番奥の壁に衝突し、後を残すという状態を作れます。
この状態で、まず最初に、電子銃のトリガーを引きっぱなしにして、電子を乱射し続けます。
仮に電子が、野球のボールのような粒子であるならば、乱射されたボールが2つのスリットをすり抜けた場合、スリットの跡を残すような感じで、2つの線を描いて終わりのはずです。
しかし、結果はどうなるのかというと、光の干渉縞と同じ様に、電子の衝突した後が縞模様のようになり、干渉縞を描いたんです。
この干渉縞は、波の性質を持つものしか描くことが出来ない模様なので、この実験結果により、電子は波の性質を持つということが確認できました。
次に、電子を1発だけ撃つとどうなるのかというと、一番奥の壁に、粒子1つ分の衝突跡だけが残ります。この観測により、電子は粒子である事が分かりました。
ただ、これだけでは、電子が波と粒子の両方の性質を併せ持つという事は確認できません。
というのも、1つ目の実験では、電子銃のトリガーを引きっぱなしにして、電子を乱射状態にしたので、粒子の性質を持つ電子同士が集まることで、波のような振る舞いをした可能性もあります。
例えば、波を起こす水も、細かく見れば水の粒子の集まりで、その粒子が集まることで、全体として波を引き起こしますよね。
水だけでなく、細かい粒子というのは、大量に集めれば、全体として液体のような振る舞いをしますし、液体であれば、粒子全体の動きとして、波は起こります。
単独で干渉する電子
ただ、この実験の面白いところは、3つ目の実験です。。3つ目の実験では、2つ目の実験と同じ様に、電子銃を使って電子を1発撃ち、衝突痕が確認できた後で、再度、電子を1発撃つというのを、何回も繰り返し続けます。
電子は1発づつ発射されているので、他の電子と干渉は起こりませんし、それぞれの電子はつながりを持っているわけではないので、普通に考えれば、実験結果は、ランダムに衝突痕が残ると考えられるのですが…
電子を1発ずつ撃った結果、何が起こったのかというと、1度目の実験結果と同じ様に、干渉縞が出来たんです。
用意された電子は、全体としてつながっているわけでもありませんし、先に撃ち出した電子が衝突した後に打ち出されているので、連続性もありません。
にも関わらず、1つの波が描くような干渉縞を描いたんです。
ここで疑問が生まれます。 アインシュタインの反論のように、電子という粒子は、『観測が出来ていないだけで、常に何処かには存在している』という代物であるなら、1個の粒子は、何と干渉して干渉縞を残したのかという事です。
物質である粒子は、2つのスリットのどちらか一方しかクグる事が出来ませんし、1個の粒子が片方のスリットをくぐったところで、干渉は起こりません。
この状態は、観測する前の電子は確率の波の状態で、1つの電子が2つのスリット両方をくぐる事で、2つの波になって、そして互いに干渉し、確率の高いところと低いところが生まれて…
その確率に則って、電子の粒子が観測されると考える方が、説明が付きやすいんです。
不確定性原理
ここで、『電子銃から発射された電子の動向を、ずっと観察しておけば、電子がどのようにスリットを通って、奥の壁に到着したのかが分かるのでわ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが… それは、無理なんです。というのも、観察というのは、何かをぶつける事で可能になるのですが、観測対象が小さすぎると、ぶつけるという動作によって、対象に影響を与えてしまって、元の状態を観測できなくなるからです。
例えば、目が見える人間にとっては、観察は目を使って行いますが、目で見るという行為は、物質に光があたって、それが反射して目に入る事で、物体の観察が可能となります。
ボーリングの玉を物体として、光をピンポン玉と仮定すると、ボーリングの玉にピンポン玉という小さなモノを投げつけて反射させ、それを観察者が受け取る事で、観察が可能となるということです。
この場合、ボーリングの玉という重くて大きいものに、ピンポン玉という軽くて小さいものを当てているので、ボーリングの玉はピンポン玉を当てられても状態が変わること無く、維持することが出来るので、観察者は、変わらないボーリングの玉を観察できるのですが…
この観察対象が小さすぎる場合、例えば、ピンポン玉にピンポン玉をぶつけて、その反射で観察をしようと思った場合は、ピンポン玉をぶつけた時点で、元のピンポン玉の状態が変わってしまうので、上手く観察ができないんです。
電子は、ほぼ最小単位のような物質のため、これに、光などをブツケて反射させようと思っても、ブツケた事によって状態が変わってしまうので、観察はできないということです。
つまり、確率の波という観察できていないものを観察しようとしてアクションを起こすと、そのアクションによって状態が変わって、確率は収束して粒子になってしまうという理解で良いんでしょうかね。
計算式などの詳しい説明は、私自身も理解できていないので、物凄く雑に言いますが… このように、観測によって元の状態が変わってしまって分からなくなる事を、不確定性原理と呼ぶようです。
不確定性原理を他の例でいうと、コップに入っている水の温度を測る時に、温度計を水の中に入れると、温度計が持っていた温度と水との温度が混ざり合い、水の温度は計測前と若干変わっていまします。
温度計を入れたことによって、温度計を一定時間入れたコップの中の水の温度は測れますが、温度計を入れる前の水の温度はわからないという事ですね。
不思議な現象はミクロ世界に限ったことではない
この、二重スリット実験ですが、電子1個という最小単位という条件でのみ発現するような特殊な状態なのかというと、そうでもないようなんです。電子よりも大きな炭素原子を、サッカーボールの模様のように60個つなぎ合わせた状態のものでも、同じ様な実験結果が出てしまい、最小単位でのみ起こる例外ではなくて、原子が組み合わさって物質となっている物も、実は確率の波だという結果になってしまいました。
このような結果を受けても、アインシュタインは、確率解釈を最後まで受け入れず…
『仮に、その解釈が正しいとするのなら、月は誰も観ていない時は確率の波になり、存在していないことになる。でも、月は見ていない時にでも存在しているはずじゃなか。』といったそうです。
また、波動関数を生み出したシュレディンガーも、シュレディンガーの猫という思考実験を生み出しました。
この実験は、猫を箱の中に入れて見えない状態にして、その後、箱の中に確率で毒が充満するとか、毒入りの餌を置いておくなどして、50%の確率で死ぬような仕掛けをした場合、箱を開けて観測しなければ、猫の状態は確定しないという思考実験です。
状態が確定しないとは、猫が死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている状態になるという事ですが… 死んでいる猫と生きている猫が、重なり合っている状態で両方存在しているなんて、おかしい じゃないかという、皮肉として生み出された思考実験です。
ただ、どんなに皮肉をいっても、感情に訴えたとしても、そういう事実が観測されてしまうと、それに対する反論を言えない場合は、有力な仮説の一つとして認めなければならないのが科学なので、現時点では、物質は確率の波で、観測されると、確率が収縮して粒になるとするしか無いんでしょう。
この後、量子論の解釈は更に発展していき、多世界解釈なんてものにまで発展しますが、その話はまた、次回にしていこうと思います。
(つづく)
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