だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast原稿】第71回【ゴルギアス】『秩序』と『混沌』 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

時間は何故 一方通行なのか

例えば、ボールを壁に向かって投げて、跳ね返ってきたのをキャッチするとう行動をカメラで録画するとしましょう。  カメラを壁側に向けて、ボールが当たって跳ね返る動画を、普通に再生しても逆再生しても、力学的には矛盾がありません。
ビデオの再生機を操作している人以外が、壁に当たるボールの映像を見たとしても、どちらが逆再生の動画かというのは見破れないでしょう。
時間というのは、目に見える形で液体のように一方方向に流れているわけではないので、物質がどの様に動くのかで見極めるしか無いのですが、力学的に矛盾がないとすると、一方方向に動いているのをどの様に見極めるのでしょうか。

それを見極める方法として、エントロピーの増大というものが有るんですね。
エントロピーとは乱雑さを表すもので、エントロピーが増大するとは、乱雑になっていくということです。

エントロピーは数値で表されるんですが、エントロピーが小さい状態を秩序がある状態と呼び、エントロピーが大きい状態を無秩序な状態と呼びます。 無秩序は、混沌やカオスと言い換えても良いかもしれません。
例えば、バケツいっぱいの水の中に、牛乳を1滴たらしたとすると、時間経過と共にその牛乳はバケツの水と混ざり合い、バケツ一杯の薄い牛乳が出来上がりますよね。
白い牛乳が秩序ある状態とするなら、それを液体に入れてしまうと、液体同士が混ざり合ってしまって、秩序は保つことが出来ず、崩壊して時間と共に拡散していき、いずれは均一のものになってしまいます。

宇宙はいずれ 熱的死を迎える?

別の例でいえば、熱もこれに当てはまります。
例えば、マグカップに入った熱々のコーヒーが有ったとして、これを飲まずに数時間放置していれば、そのコーヒーは冷めてしまいます。
何故、コーヒーは冷めてしまうのかというと、コーヒーの熱はマグカップに伝わり温まったマグカップの熱は、その外側の空気に伝達することで、コーヒーの熱が部屋全体に拡散していくからです。

時間経過と共にコーヒーは部屋の温度と同じレベルにまで下がり続け、逆に、部屋の温度はわずかながら上昇することになり、いずれは、コーヒーと室内温度は同じになります。
熱がコーヒーという一箇所に集まっていた状態を秩序ある状態とするならば、冷めていってる過程はエントロピーが増大して熱が部屋全体に拡散している状態といえます。
ここでも、熱というのは、秩序ある状態から無秩序の状態に一方方向に突き進んでいます。 この様な状態をエントロピーが増大していると表現して、エントロピーは増大し続けるので、時間は一方方向に進んでいるといえるわけです。

因みにですが、この熱が拡散して均一になる法則は、熱力学第二法則というそうですが、この理論を突き詰めて究極レベルで考えると、宇宙は熱的な死を迎えてしまうことになります。
この法則は、漫画の銃夢にでてくるディスティ・ノヴァ教授が憎んでいたことでも有名ですよね。
宇宙空間というのは、絶対零度に近い温度のようですが、そのだだっ広い空間の中に、わずかに星が浮かんでいるのが宇宙です。

太陽などの熱を放出する星も、いずれは、宇宙空間の絶対零度に近い温度に吸収されて、宇宙の温度は限りなく低いところで安定してしまうというのが、この法則の行き着くところです。
熱に限らず、あらゆる秩序が時間をかけて無秩序に向かっていき、完全なカオスになれば、そもそも世界が存在できるのかということになってしまいます。
ただ、アナクサゴラスの説によると、宇宙はそもそもカオス状態だったものに、知性または理性が宿ることで秩序が生まれたとしています。

カオスに理性が秩序を与える

この理性・知性というのを、神と呼ぶのか、何らかの法則と呼ぶのかは置いておいて、無秩序な状態が、理性によって秩序ある状態になり、今の世界が存在していると考えられます。

この秩序と混沌を、人間が捉える世界に当てはめて考えると、世界は認識して初めて存在するという考え方もできます。
人間は、五感を通して世界がどの様な状態にあるかという情報を仕入れている訳ですが、単純に情報を仕入れているだけでは、世界がどの様になっているのかは分かりません。
では、世界を知るにはどうするのが良いかというと、五感を通して入ってきた情報を元に、世界を認識することで、世界のあり方を理解することが出来ます。

例えば、脳の障害などで、一部の情報だけが認識できないということがあります。
私が聞いた話では、耳は正常に機能していて、会話も普通にできるし音楽も聞くことが出来るけれども、鳥の鳴き声が認識できない為に、音は聞こえるけれども鳥の鳴き声だと認識できないという症状があるそうです。

その他にも、ディスレクシアと呼ばれる学習障害がありますが、これは、目は正常に機能しているし、知能的にも問題はないけれども、文字だけが認識することが出来ないというものです。
文字が認識できないので、文字を見ても何らかの図形のようにしか認識できないし、文字の読み書きも出来ないという障害のようですが…
これは、頭が悪いから覚えられないという事ではありません。 この人達は、教科書を読むとかメモをとるという事が出来ないけれども、教師の発言を丸暗記するなどの方法で勉強を行って、文字が認識出来る人より好成績の方もいらっしゃるようです。

この様に、五感がしっかりと機能して情報が入ってきているけれども、その情報を認識することが出来ない為に、その存在を理解することができないという事があります。
ディスレクシアの様に文字だけでなく、五感から入ってくる全ての情報が認識できない場合、人は情報を受け取っても、世界がどの様になっているのかを認識することは出来ません。
認識が全く出来ない人にとっては、この世界は全てが混ざりあったカオスにしか捉えられないという事です。 人は認識することによって、情報を秩序立てて整理することが出来て、把握することが出来ます。

では、物事を認識して、自分の周りの世界を把握して、自分がどの様に動けば良いのかを判断して、自分の体に司令を出して体を動かすというのは、人間の体のどの部分がやっているのか。
この部分の役割を負っている部分のことを、ソクラテスは魂と呼んでいるんでしょう。 魂が存在せず、肉体が欲望のままに自動的に動くのであれば、この世界を認識するものは居なくなるので、カオスと変わらないってことでしょう。

それでも納得が出来ないポロス

魂の話が長くなったので、弁論術は迎合だという話に戻ると…  ポロスはこの話に納得ができません。
というのも、ポロスが今まで政治経済について観察してきた経験では、有名な権力者はみんな弁論術の使い手で、彼らは弁論術を使って周りの人間を説得することで、自分の力を示してきた様に見えていたからです。
そして自分も、その人達と同じ様な立場に立てる様に、弁論家として有名なゴルギアスに弟子入りしたからです。 その弁論術を、技術ですら無い下らない迎合だと否定されたので、納得できなかったのでしょう。

また実際に世の中を見てみると、政治家達は口先の技術によって巨大な権力を得て、その権力によって市民を支配している。
その権力者が、市民に対して迎合しているというのは矛盾しているように思えたのでしょう。

しかしソクラテスは、ポロスのいう権力は力とは呼ばないとして否定するのですが、此処から先の話は、また次回にしようと思います。
kimniy8.hatenablog.com