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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第44回 ゼノンのパラドックス 『アキレスと亀』 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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ソクラテスのスタンス

前回は、哲学の祖と言われているソクラテスが何故、哲学の祖と言われているのかについて、憶測を混じえながら、簡単に説明していきました。
今回からは、ソクラテスのスタンスや主張を、少し細かくみていこうと思います。

前回も簡単に説明しましたが、ソクラテスは、物事の本質を理解する為に、人間の行動の最も根本的な事柄について、研究していきました。
その最も根本的なものとは何なのかというと、『善』であるとか『正義』といった、みんなが漠然とわかった気になっている、抽象的な概念です。

ソクラテスは、物事を理解するために、どんな複雑なものであっても、対話を通して物事を単純なものへと分解していくという方法で、物事を理解しようと思いました。
ですが、その方法で最終的に到達してしまうのが、『善』で有ったり『正義』であったり、それらの要素を含むアテレー、日本語で言うところの『徳』というものでした。
『徳』という漢字は、道徳の『徳』ですね。

『徳』とは何なのか

『徳』という言葉をwikiで調べたものを引用すると…
人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。

徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。
人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すもので、これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。
徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。
徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。

という事になっているのですが、ソクラテスがこだわった『徳』アテレーというものが、こういった言葉で表されるものかどうかは分かりません。
何故なら、ソクラテスは一生をかけてアテレーについて考え抜いた結果、最終的にはアテレーというものを、ほんとうの意味では分からないとして、『無知の知』を主張しましたので…
ここで扱う『徳』アテレーというものは、先程の言葉だけで説明できていると思わないほうが良いと思います。

真理は外側の世界にはなく内側にある

では何故、人間の行動の最も根本的な事柄である、徳やアテレーと呼ばれるものに、拘ったのでしょうか。
哲学者は真理を追い求める人達なので、人間が作った抽象的な概念にこだわらなくても、もっと他の方法でも宇宙を貫く法則の研究はできそうですよね。
前に紹介した、イオニアで自然学を研究していた哲学者達の様に、容易に観察できたり実験が出来るようなものを研究対象にした方が、成果も目に見えやすいですし、分かりやすいように思えます。

しかしソクラテスは、イオニアの自然学を選ばずに、徳といった抽象的な概念を研究対象にしました。
もう一度言いますが、では何故、ソクラテスは抽象的であやふやで、観察も出来ない概念を研究したのかというと…
結果からいえば、イオニアの自然学、もっといえば、そこから延長して今に続く科学や数学的な考え方では、世の中の真理は得られないと確信してしまったからなんです。

科学では真理を得られない

ソクラテスは、一貫して自分は物事を知らないと主張しているので、科学や数学に関して、知ったかぶりで批判したわけではありません。
ソクラテスは自身の無知を自覚していたわけですから、若い頃は、イオニアで発展した自然学を学んだりもしたそうです。
ですが、学んだ結果、ソクラテスは科学的な考え方に失望してしまうことになるんです。

では、どの様なところに失望してしまったのでしょうか。
ソクラテスは、自身が訴えられて死刑判決を受け、刑の執行を待つ間に、弟子たちと対話を通して、その事を説明しています、 その説明の際に、このような事をいっています。
『今現在、私は何故、この場所に座っているのかと物理学者に聞いたとすると、物理学者は、あなたの骨につながっている腱を筋肉が動かすことで、あなたの体は椅子へと誘導されていき、その場所に座ったんだと答えてくれる。
でもそれは、本当の理由なんだろうか?』と疑問を投げかけます。

物理学者は、筋肉や骨が物理的に動くことで、その場所に座ったという事は説明してくれます。
科学が進む事で、筋肉を動かすエネルギーが何処から来るのか、食べ物を食べると、どの様なサイクルで肉体を動かすエネルギーに変換されるのかと言った事は、解明されるかもしれません。
でもソクラテスの、『今現在、私は何故、死刑執行を待つこの部屋の中で座っているのか』という問いに対しては、物理学的に答えることは出来ないと主張します。

『私』が感じる『この私』

何故、物理学的には答えることが出来ないのかというと、ソクラテスが、死刑執行を待つ為に待機室で座っているのは、ソクラテスの『意思』だからです。
ソクラテスは、自分自身に死刑判決が下されたことに対して納得し、それに対して反発もせず、刑が執行されたほうが善いと考えたから、静かにその部屋の中で座っているんです。
裁判の判決に従うほうが『善い』と考えたから、ソクラテスは自分の意思で体を動かして、今現在いる部屋に移動し、体を休める為に、その部屋に置かれている椅子に座っている。

この、ソクラテスが『善い』という抽象的な概念を頭の中に思い描いた理由を、物理学者は物理学で説明することは出来ないんです。
つまり、ソクラテスの主張としては、人が動く際には、まず、意思があり、その意志決定をする際に重要視されるのが、どのように行動するのが『善いのか』といった抽象的な概念だというわけです。
そして次に沸き起こってくる疑問としては、『善い』と考えたから、死刑に同意して待機室にいるわけですが、では何故、判決に同意することが『善い事』だと思ったのか…

というか、そもそも、善い事って何なんだろうか…
こういった感じで、皆が既に解りきっていると思い込んでいる、根本的な抽象的概念の意味についてスポットライトを当てていったんです。
このソクラテスの抱いた疑問というのは、多くの人が共感できると思うんです。

機械論 メカニズム

この部分について、もう少し語っていくと…
物理学というのは、研究が進めば進む程、物事は一定のルール下で自動的に動いているという事を証明していく事になります。
この様な、一定のルール下で自動的に機械のように規則正しく動いていくという主張のことを、機械論とか、英語だとメカニズムといったりしますが…
この理論は、突き詰めていけば突き詰めていくほど、歯車がガッチリと噛み合っていき、他のものが入り込む余地がなくなっていくことになります。

このメカニズムの行き着く先。 究極的な考え方としては、ニーチェが主張した永遠回帰論のようなものになるのかもしれません。
永遠回帰論とは、永遠に続く物理法則によって、宇宙は無限に繰り返し続けるという考え方です。漫画でいうと、ジョジョの奇妙な冒険の第6部のラスボス、プッチ神父が使うスタンド能力がこれに当たるんですけれどもね。

これだけでは分からない方も多いと思いますので、どんな理論かを簡単に説明してみましょう。この説明をする際には、よく、ビリヤードの例が用いられるので、その例を使って説明してみようと思います。
まず自分の目の前に、穴の空いていないビリヤード台を想像します。 普通のビリヤード台には、四隅とその真ん中の6個の穴が空いていますが、その穴がが空いていないものと想定します。
そして、その場から空気抵抗を無くして、台を転がる摩擦もないものとします。 つまり、一度、玉が転がり始めたら、止まること無く玉は転がり続ける状況を想像してみてください。

この状態で、何個かのボールを適当に台に配置して、一つのボールをキューなどで突いて、転がすとします。ボールは、台の端っこや他のボールにぶつかり続けながら、物理法則に従って、無限に、決まった角度で反射を繰り返し続けます。
その状態で、何百年、何万年、何億年かが経過した『ある瞬間』に、これまでの過去の何処かの瞬間のボールの配置、ボールの進行方向と、今現在のボールの配置、進行方向が完全に一致したとします。つまり、過去の瞬間が再現されるわけです。
そうすると、そこから先は、過去のその瞬間から、ボールの配置と進行方向が完全に合致している今現在の瞬間の間を、物理法則に従って、永遠にループし続けることになります。

何故なら、物理法則とは、ルールの決まった運動だからです。
ボールは壁や他の玉に衝突した際に、常に決まった角度で反射を繰り返します。 もし、反射する角度がランダムで決まっていたら、ビリヤードは運任せの勝負になってしまいますよね。
衝突した際の反射する角度が決まっているという事は、過去のボールの配置と進行方向が再現された時点で、その後のループが確定するということになります。

(つづく)
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