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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第43回 哲学の祖 『ソクラテス』 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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『哲学の祖』ソクラテス

前回までで、どの様にして神話や宗教が生まれてきたのか、また逆に、世界を神々抜きで説明しようとするイオニア自然学派の存在などを、簡単に話してきました。
今回からは、『哲学の祖』と言われている、ソクラテスの話をしていこうと思います。

ソクラテスに関しては、このコンテンツでも第2回で簡単に紹介したのですが、その頃は、まだコンテンツの方向性も定まりきっていない状態だったので、ものすごく簡単に紹介しただけで終わってしまっていました。
その後、コンテンツの方向性が哲学や思想の話を中心にしていく事に決まったので、改めて、ソクラテスについて勉強していこうと思います。

ソクラテスですが、先程も言いましたが、『哲学の祖』と言われています。 祖というのは、最初の人とかそういった意味合いの言葉です。
ただ、この言葉を聴いて、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。というのも、ソクラテス以前にも、哲学者というのは存在しているからです。
前回までに紹介してきた、タレスを始めとするイオニアの自然学者達も、この時代では哲学者と呼ばれていました。

では何故、それよりも後の時代のソクラテスが『哲学の祖』でしょうか。
これはおそらく、今でいうところの『哲学』を西洋で最初に考えた人だからだと思います。

『昔の哲学』と『現代の哲学』の違い

前にも言ったと思いますが、哲学というのは、元々は『考えること』その物を指していた為、全ての学者は哲学者でした。
ですが、時代が過ぎていくに連れて、数に特化した考え方は数学と名前を変え、物質の運動で全てを説明しようとする考えは物理学になり、生物の観察によって物事を解明しようという考えは、生物学といった感じで…
それぞれの分野に特化した考え方は、それぞれが別の学問として別れていくことになります。
それと共に、哲学という言葉が持つ意味合いも変化していくことになります。

今現在、哲学をどのように定義するのかというのは難しいですし、私自身も明確な答えを持っているわけではないのですが、ものすごく簡単に説明するならば、他の学問で説明しきれない根本的な部分を考えるものです。
例えば、自分の目の前にコップがあるという状態を物理学的に説明しようと思えば、そこに質量を持った物体がある事を証明できれば良いわけなので、目で観察するとか、触ってみるとか、何らかのセンサーを使う等、いろいろな方法があります。
でも哲学は、物が存在するとはどういうことなのか、つまり、存在とはどういうものなのかについて考えていきます。

存在とは何なのかという問題は、答えはもちろん、そもそも問題の意味が理解しづらいです。
なぜなら、哲学に興味がない人間にとっては、目の前にコップがあるという事実があれば、それ以上、疑問は湧き出てこないですよね。
つまり、コップは既に存在しているわけですから、それ以上、その存在について考える必要がないですよね。

でも、そこから先を考えるのが哲学なんです。
この、『そこから先を考える』というのを明確に行ったのが、記録が残っている中ではソクラテスが最初で、その弟子のプラトン、そのまた弟子のアリストテレスと、この考え方が継承されて発展していくので、『哲学の祖』と呼ばれているのでしょう。

伝わっているソクラテスはプラトンが思い描いたソクラテス像

このソクラテスですが、ソクラテス自身が書き残した文章などが残っているわけではありません。
ソクラテスは、真理を追求する為に、何よりも対話を重視したために、自分の主張を文章で残すと言った事は、していないようです。
また、自分の主張を文章で残すという行為そのものが、ソクラテスの主張に反するものなので、自分の考えに例外を設けないという事で、書き残していなかったのかもしれません。

では何故、ソクラテスに関する文章が残っているのかというと、弟子のプラトンが、ソクラテスが行った対話の様子を、ドラマ仕立てにして書き起こすという事を行ったからです。
シーンの移り変わりなどがなく、ほぼ会話だけで進んでいく対話劇の様な感じで、今で言うとラノベ感覚で読めるように仕上がっている為、誰が読んでも理解しやすく、幅広い層の人達が購入したようです。
その為、前回話したアレクサンドリア図書館が破壊されても、民家を含む様々なところに分散して保管されていた為に、現在でも残っているんでしょう。

ただプラトンは、実際に行われた対話を忠実に再現するという事は行っておらず、作品自体が面白くなるように脚色しているともいわれていたりします。
また、後期の作品では、プラトン自身の主張などを、登場人物であるソクラテスに代弁させるという事も行っているようなので、今回から取り上げるソクラテスは、プラトンというフィルターを通したソクラテス像という事になります。

『無知の知』

このソクラテスなんですが、どの様な主張をしていたのかというと、一番有名なものは『無知の知』です。
ソクラテスは、『ギリシャ人の多くが崇めている神々以外の、他の精霊などを信仰して、それを若者にも吹き込んで堕落させた。』という罪で訴えられて、死刑判決を受けるんですが、その裁判中に発した言葉のようです。
この出来事は、『ソクラテスの弁明』という作品になっていて、今でも購入して読むことが出来ますし、1巻だけの漫画にもなっていたりもするので、興味がある方は読んでみてほしいのですが…

簡単に『無知の知』の部分を紹介すると、その作品の中で、ソクラテス自身が賢者だといって弟子を集めたといった感じの難癖を付けられるんですね。
それに対してソクラテスが、私は自身を賢いだなんて思った事はないけれども、親戚の一人が太陽の神アポロンを祀っている神殿に赴いて、巫女さんに、白雪姫の『鏡よ鏡…』みたいな感じで、一番賢い人を教えてくださいと質問したんです。
その質問に対して巫女は、『ソクラテスが一番賢い』といったと言ったそうなんです。

この出来事を聞かされたソクラテスは、何故、自分が他のものよりも賢いと言われたのかを真剣に考えたそうなんですが、その答えとして出てきたのが、『無知の知』なんです。
他の者は、様々な理屈をこねて、知らないものまで知っていると思いこんでいるけれども、少なくとも自分には、そんな思い込みはなく、知らないものに対しては知らないと、真摯に向き合っている。
知らないものに対して知らないと言える、この無知の知こそが、私が他のものよりも優れている点ではないだろうかということを、弁明としていうんです。

何故 ソクラテス自身が思想を書き残さなかったのか

先程、ソクラテスは自分の主張などを書き残していないと言いましたが、このソクラテスの態度をみてもらえば、何故、書き残していなかったのかというのがわかると思います。
賢者と言われている人が、後世に対して何かを書き残す場合、大抵は、自分が知っている知識などを、教科書のように書き残すことで、自分の知識を後世に引き継いでいってもらおう思って書き残すわけですが…
それに対してソクラテスは、『自分は何も知らない』というスタンスなわけですから、書き残して披露すべき知識も無いわけです。

その為、ソクラテスは、賢いと言われている人に対しては、基本的には物事を教えてもらうスタンスで、そして、物を知らない若者たちとは、物事の本質は何なのかというのを協力して解き明かそうというスタンスで、対話していきました。
本が、一方的な知識を相手に押し付けるのに対して、対話の場合は、自分や相手が疑問に思ったことは、その場で相手にぶつけることも出来ますし、自分が理解できない部分は聞き返す事も出来ます。
こういった考えが基本にある為、ソクラテスは、自ら自分の考えを書物に書き記すという行為は行っていなかったようです。

この様な人物ですから、当然ですが、ソクラテス自身が賢者だと触れ回った事もないですし、自分の知識を他人に教えて、授業料を取るといった行為も行っていませんでした。
むしろ、自分は物知りだから、授業料と引き換えに、その知識を分け与えてあげますよと言っているソフィストの元には積極的に出向いていって、対話を行っていたようです。
ただ、この様な知識に対する向き合い方や、ソフィストに対する態度は、結果として、ソクラテス自身を死に追いやってしまうことになってしまいます。

『無知な者』の質問に答えられない賢者たち

というのも先程も言った通り、ソクラテスは、『自分自身を賢者だ』と言って偉そうにしている人の元へ足を運んでは、わからない事を聞き続けるという行動を何度もとっていました。
ですが、ソクラテスが面会した全ての人間は、自分自身で賢者だと主張していたのにも関わらず、ソクラテスからの問いかけに答えることが出来なかったからです。
では、ソクラテスは、それ程までに難しい質問をしたのかというと、実はそうではなく、基本的な質問しかしていません。
これが、問題だったんですね。

何故なら、どんな者にも答えることが出来ないであろう難問を突きつけられたのであれば、質問者も、答えられないことに対する言い訳が建ちます。
でもその質問が、自分は賢者だと触れ回っている人の主張の基本的な部分だったとしたら、どうなるんでしょうか。
すべての理論はそうですが、基本的なところから固めていって、それを元に発展させていきます。

演繹法と呼ばれる手法で、今でも使われている手法なのですが、この手法を使って作られた主張の根本的な部分が、実は固まっておらず、『あやふや』であったとするならば、その主張は根幹部分から崩れ去ってしまいます。
ソクラテスは、『自分自身は何も知らないので、是非、賢者のアタナに教えていただきたい』と、自称、賢者に近寄っていって、質問に質問を重ねることによって、根幹部分について質問します。
ですが、その質問は、全ての人が当然のように『知っている』と思い込んでいるモノの正体を、改めて聞く質問であるため、質問された賢者は、その基本的な事柄さえ答えられない事に、ソクラテスによって気付かされてしまいます。

(つづく)