だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第107回【ソクラテスの弁明】試される裁判官 前編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
▼▼Apple Podcast▼▼

podcasts.apple.com

▼▼Spotify▼▼
open.spotify.com

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.com

▼▼youtubeチャンネル登録はこちら▼▼
だぶるばいせっぷす - YouTubewww.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

唯一の悪人?

前回までの話を簡単に振り返ると、ソクラテスの評価が『賢者』と『愚か者』と両極端に2分されている理由と、メレトスやアニュトスを始めとした、彼を非常に恨んでいる人間が生まれた理由を話していきました。
ソクラテスの評価が両極端に分かれている理由としては、『この国で一番賢いのはソクラテスだ』という神の託宣が本当かどうかを確かめる為に、様々な賢者に対話を申し込んだ所、多くの賢者が、自分は賢いと思い込んでいるだけの人だと分かってしまいました。
無知を暴露された賢者は怒り狂い、彼を非難しますが、その一方で、『賢者を打ち負かした彼こそが、本当の賢者だ!』とうい者も現れて、結果として、評価は二分してしまったというわけです。

この解説の後、ソクラテスは自身に恨みを持つ人たちに対して反論します。
この裁判に置いては、訴えている張本人はメレトスなので、メレトスの主張に対して弁明していきます。
メレトスの主張は『ソクラテスは、青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』というものです。

ソクラテスは、この主張に反論をする為、一つ一つ、メレトスの主張を確かめていくことにします。
彼の主張によると、アテナイという国では、ソクラテスただ一人を除いて、全ての人間が青年を正しい道へと導くことが出来るけれども、ソクラテスだけは、青年を悪の道に引きずり込んでいるという主張でした。
ですが、仮にメレトスの主張が正しければ、アテナイには悪人はソクラテス1人しかいないことになります。 何故なら、人を良い道へと導く方法を知っている人間が、悪人のはずがないからです。

人の命と国の運命

しかし実際には裁判所があり、刑務所があり、法律がある。 これらは、国の秩序を保つ為に存在するものですが、わざわざこんなものを作らなければならないというのは、アテナイが善人だけで構成されていないことを意味します。
また、現実の世の中を見渡してみると、動物を上手く調教できる調教師にしても、子供を賢く育てる事が出来る教師にしても、優秀とされている人は極限られた少数の人だけです。
仕事や勉強は、分かっている事実を教えるだけなのにも関わらず、優秀な教師の数は限られているのに、人を卓越した優れた存在にするアテレーは、全国民が教える事が出来るというのは、おかしな話です。

この問答によってメレトスは、青年の教育やアテレーについては一切興味がなく、今まで考えたことすら無いにも関わらず、ソクラテスを訴えたい一心で罪をでっち上げた事が推測されます。
ソクラテスは、この様に弁明をし、自分は不正を行っていない無実の存在だと訴える一方で、多くの自称賢者たちを傷つけて、恨みをかってしまった事は認めます。
そして、その上で、裁判官たちの気持ちを汲み取る形で『人々に恨みを買い、下手をすれば自分を死に追い込むような活動を続ける事を、恥とは思わないのか?と思うものがいるかもしれないが、私は恥だとは思わない!』と断言します。

人には、これを行えば自分が死ぬと分かっていてもやらなければならない事があり、それを実行したまでに過ぎないといった事を、ギリシャ神話のトロイア戦争のアキレスになぞらえて力説したのが、前回まででした。

ソクラテスに言わせるなら、自分は賢いと思い込んでいる人が無知である事が分かれば、その人自身も一からやり直せる良い機会だし、その人物は次からは知ら無い事を知った風に他人に教えることもないので、間違ったことを教えられる犠牲者も減る。
アテナイという国にとっては良い事尽くめなのに、多くの賢者は、自分の無知が暴露されることを恥ずかしいことだと思い、ソクラテスの事を馬鹿にすることで、逆説的に自分の主張が正しいと言い張っている。
しかしそれは、賢者自身にとっても、彼等の弟子にとっても良くないことなので、指摘することは恥ずかしいことだとは思わないし、それによって自分が死ぬことになったとしても、国を良くする為には、その活動は止めないということです。

死ぬことは悪いことなのか

プラトンソクラテスを主人公に据えて書いた他の対話篇を読む限り、ソクラテスが人生において最重要視することは、長生きすることではなく、良く生きることで、よく生きる事とは、秩序を重んじて生きるということでした。
その為、彼は、過去に国の命令で兵士として戦場に駆り出されたときも、国の言うことを聞いて逃げずに最期まで堂々と戦いました。
民主主義の国で決められた事を、自分の都合だけで無視するというのは、それこそが秩序を破壊する行為なので、そんな事は出来ないということです。

ソクラテスは、自分が命を落とすかもしれない過酷な戦場に3回も行った人間が、命惜しさに、神々の意思に逆らうなんて事をするはずがないと力説します。
何故なら、その行動こそが秩序の破壊であり、神への冒涜なので、そんな事をしでかしてしまう人間こそ、不敬罪で法定に引きずり出されるべきだと考えているからです。

次に彼は、『死』とういものについての考えを述べていきます。
この裁判は、ソクラテスを亡き者にしたいという者が起こしていますが、これは、訴えを起こしたメレトスをはじめとした多くの人達が、死ぬという出来事が悪いことだと考えている証拠です。
しかし冷静に考えて、『死ぬこと』とは、本当に悪いことなのでしょうか。

死の経験者

この世には、一度死んでから現世に戻ってきた人間は、一部の宗教の神話に登場する聖人などを除いては、存在していません。
つまり、死ぬという出来事が、本当に悪いものなのかを確かめた人間は存在しないということです。

この様な状態の中で、『死とは恐ろしいものだ。』と言われても、それをすんなり信用することは出来ません。
何故なら、これまでに行ってきたソクラテスの活動によって、賢者と呼ばれている人達は誰一人として、真理を得てもいないし追求しようとも思っていない事が分かったからです。
そんな者達の口から出る『死ぬのは怖いこと』という主張を、どうやって信じれば良いのでしょうか。 多くの人達は、本当に『死』というものを理解して上で、怖いものだとしているのではなく、単にその様に信じ込んでいるだけです。

誤解のないように言っておくと、ソクラテスは、『死』というものに対して、恐怖すべきではないと断言しているわけではありません。
その様に断言してしまうことは、スタンスこそ違えど、今さっき、自分自身が否定した彼等の行動と同じ行動を取ることになるからです。
そうではなく、ソクラテスが主張していることは、『死』というものが良いものか、それとも悪いものなのかを知る人間は1人もいないのだから、知らないものとして扱うべきだという事です。

無闇矢鱈と恐怖するわけでもなく、怖いものではないと信じ込むことでもなく、知らないものとして研究する必要があるのではないのか。
その為、ソクラテスは、『死』というものに対しては恐怖するわけでもなく、安易に喜んで迎え入れる事もしないと言います。
これは、分からないものは分からないものとして、ありのまま受け止める為、正体が不明な『死』という出来事を避けるために、自分の信じる道を曲げるという事はしないということです。

ですからソクラテスは、判決を下す権限を持つものには、その事を踏まえた上で、判決を下して欲しいと伝えます。
これは、死刑をチラつかせたところで、自分の発言内容は絶対に変えることが出来ないという強いメッセージといえます。

試される裁判官

『死』というものを怖がることはないので、死ぬのが嫌だという理由だけで、裁判官に媚びへつらったりしないし、この場をやり過ごすためだけに泣き叫んだり、反省をしている演技なんてこともしない。
自分は、嘘偽り無く事実のみを話していくので、判決を下す者は、様々な関係のない情報や感情に惑わされず、その事実のみを判断材料にして、判決を下して欲しいということでしょう。
彼はこれまで、裁判官に対して無礼な発言や言い回しを敢えて行っっていますが…

これは、裁判官が本当に優秀で、その資格があるとするのならば、こういった行動に惑わされること無く、真実だけを観て判断できるだろうという、一種の挑発とも取れます。
メレトスは、ソクラテスを有罪にしようと、様々な嘘や演出を行う一方で、ソクラテスは、自分が助かる為の小細工は一切しない、それどころか、ここにいる裁判官に、その資質があるかどうかを疑うという態度で裁判に臨みます。

裁判官に事実を見抜く能力がない場合、ソクラテスが行った無礼な振る舞いによって、感情に流されて有罪にしてしまうでしょうが、もし、ここにいるのが真の裁判官であれば、事実だけを観て判断できる為に、その結論は変わるでしょう。
それを見極めるためにも、有罪か無罪か、どちらかはっきりして欲しいと、ソクラテスは裁判官たちに要望します。
決して、『メレトスの主張には無理があるが、ソクラテスの方も、他人の気分を害することを行ったんだから、これからはそんな事はしないように。』とした、中途半端な判決は下すなということです。

何故ならソクラテスは、神の導きによって活動をすると決意し、その行動を、今まで続けてきたからです。
彼は、同じ国に住むアテナイ人に対して敬意を払ってはいますが、彼等と神々を比べた場合に、優先すべきは神々だと思っています。
その為、当然ですが、今回のように人間と神々の意見が対立したときには、神々の意見を尊重すると主張します。

先程のような、メレトスの主張は認めないけれども、ソクラテスも人を不愉快にする活動は止めるべきだという玉虫色の判決が出たとしても、彼は、神を信じているが故に、その命令は無視するでしょう。
どうせ守れない約束を課すぐらいなら、今ここで殺されたほうがマシだという事です。 何故なら、その行動こそが秩序を守るということだからです。