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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第108回【ソクラテスの弁明】裁判官の仕事 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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前回のリンク

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前回の振り返り

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

裁判官の仕事

前回の話を簡単に振り返ると、前々回でメレトスの主張を一つ一つ論破していったソクラテスは、今度は、実際に判決を下す裁判官たちに対して物申し始めます。
人は、その役割によって態度が変わったりするものです。 使用人の態度と王様の態度は大きく違いますし、お金を持たない貧乏なものが、ある日、大金を手に入れて大金持ちになったとすれば、それによって態度も変わります。
今回の作品の舞台になっている裁判の場では、一番の権力を与えられている人々は、裁判官ということになります。

この裁判官の仕事は、訴えた者と訴えられた者の双方の意見を聞き、その事実関係だけに注目して、正しい判決を下すことです。
にも関わらず、その様な態度で裁判官の仕事を行うものは、非常に少ないのでしょう。

先程も言いましたが、多くの人は、自分の与えられた役割が大きければ大きいほどに、自分自身の態度も増長させていきます。
その裁判の場で一番の権力を持ち、被告人の運命を自由に決められるという役割を与えられたものは、権限の大きさを自分の力だと錯覚してしまい、その立場に酔ってしまう者も少なくありません。
しかし、ソクラテスに言わせるのならば、そんな人間こそが恥ずべき人間という事になります。

繰り返しになりますが、裁判官の仕事は『正しい判決を下す事』です。
裁判というのは、他人の行為の善悪を決めるものなので、不正は絶対に許されません。何故なら、裁判所こそが秩序を守る最後の砦で、ここの信用が揺らいでしまえば、国の秩序が崩壊してしまうからです。
裁判官は、それほどの重責を負っている職業なので、その立場を利用して『有罪になりたくなければ、泣き叫んで懇願しろ』といった態度で被告と接し、相手がそれに従わないと有罪にするといった事は許されません。

死の恐怖

逆に、どう考えても有罪なのに、被告が反省している態度を演じたり、買収を持ちかけられた事によって無罪になってしまえば、裁判官たちの失態によって、犯罪者が世に放たれてしまいます。
犯罪を犯したものが、裁判官の不正によって解き放たれてしまうというのは、絶対にあってはならない事で、そんな事が起これば、秩序は崩壊します。
にも関わらず、裁判の場では少なからず、これらの不正行為が行われています。

それは何故かといえば、多くの人達が、死ぬのが怖いからです。
有罪となって死刑になるぐらいなら、プライドを捨てて泣き叫んで懇願し、無罪を勝ち取りたい。 例え、自分が本当に罪を犯していないとしても、反省した態度を取る事で裁判官に対する印象が良くなり、無罪になりやすいのであれば、そうする。
そういう者が多い為、裁判官は増長し、自分が偉い存在だと錯覚して、その権力を無自覚のうちに振るってしまいます。

ソクラテスは、その状態を裁判官に自覚させた上で、『自分は死を恐れてはいないので、死の恐怖を利用した脅しには屈しない』と主張します。
哲学者であり、全ての事柄に関して疑いの目を向けるソクラテスは、死んだ後でこの世に戻ってきた者はいないとして、死後、自分がどの様になるのかは分からないと言います。
『わからない』とは、怖いものであるとか、良いものであると断言するのではなく、『わからない』という状態をそのまま受け入れるということです。

裁判官による犯罪

現状よりも悪い状態になる可能性もあるけれども、善くなる可能性もある。
どちらかが『わからない状態』なので、未知のものに対する不安がある一方で、死というものを実際に体験して、死に対する知識を増やしたいという気持ちもある。
普通の人間なら、不安のほうが勝つのかもしれませんが、ソクラテスのような人物の場合は、知らないものに対する好奇心のほうが勝る為、恐怖に支配されることはありません。

その為、裁判官に媚びることもないし、哀れな演技をすることも、泣き叫んで情けない姿を晒すこともありません。
その態度が気に入らないという理由だけで、メレトスが主張する嘘で塗り固められた証言を信じて死刑判決を出すのであれば、それこそが恥ずべき不正行為であると断言します。
ソクラテスに言わせるなら、この不正行為は、単に不正な訴えに加担するというだけでなく、更に大きな過ちを犯すことになります。 それは、良き国民に対する殺人です。

何の罪も犯していない無実の者に、不当な判決を下して死刑にしてしまったとすれば、それは殺人行為です。
そしてこの殺人行為の全責任は、裁判官にあります。 彼等の中には、『メレトスの訴えが説得力があった』と言い訳をする者も出てくるかもしれませんが、そのメレトスには、判決を下す権限はありません。
裁判における絶対的な権限は、裁判官にあります。 例えメレトスが悪意を持って訴えを起こしたとしても、その真偽を見極めるのが裁判官の仕事です。 裁判官には、どの様な環境であれ、真実を見抜かなければならない義務があります。

その義務を放棄して、裁判官が、自分に与えられた権限を振るうことで優越感を得ることに没頭しているとすれば、その者達こそが恥ずべき人達ということです。
そしてこれは裁判官達に限った話ではなく、似たような考えを持つ人間は国中にあふれているとして、一つの例え話を始めます。

眠る馬

ソクラテスは、アテナイの国民と自分との関係は、大きな馬と虻の様な関係だと例えます。
大きな馬は、体が大きすぎるが故に、血が頭まで回らずに、常にボーとしていて眠りこけています。
虻であるソクラテスは、その馬を起こして活動的にしようと、必死になって体の彼方此方をさして、馬に不快感を与えますが、馬は一向に起き上がる気配がありません。

起き上がって、自分の足で世界を駆け回れば、今まで見たこともない景色を見られるでしょうし、経験したことが無い事も体験できるかもしれません。
せっかく、この世に生まれて自由に振る舞えるのだから、この機会に見聞を広めれば良いのに、大きな馬はその場で眠りこけているだけで、何もしません。
それどころか、起こそうと必死になって体の彼方此方を刺して不快感を与えてくる虻を、足で払ったり寝返りを打ったりして殺そうとしてきます。

もし馬が、虻を殺すことに成功した場合は、誰も起こすものはいなくなる為、馬は永遠に眠り続けることが出来るでしょう。
虻を殺した馬は後悔をすることもなく、むしろ邪魔者を消したことに喜びを感じながら、再び眠りに入るかもしれない。
しかしその馬はアブを殺したことによって、永遠に目覚めること無く、何も知ること無く、永遠に目覚める事はなくなってしまいます。

神に授けられた役割

この世がどの様になっているのか。 自分は何故、この世に生まれてきたのか。 その意味は何なのか。
この事を哀れに思った神が、第二の虻を送り出さない限り、この大きな馬は、これらの事を何も知ること無く、眠り続ける事になります。 

馬自身は、何も考えずに何も知ろうともせず、結果、無知な状態で眠り続けることが幸福だと思い込んでいるのかもしれません。
しかしソクラテスは、コレでは、生まれてきた意味が無いと考えます。
そして、国民たちを目覚めさせ、国民それぞれが世の中の事を研究する為にも、世界を駆け回る方が良い事だと思っているから、必死になって馬の目を覚まそうとしているわけです。

つまりソクラテスは、自分が受けた『ソクラテスが、この国で一番賢い。』という神託を、自分だけが無知であることを自覚している状態。つまりは目が覚めている状態だと受け取ったわけです。
それだけでなく、わざわざ名指しで指名されたということは、自分には大きな役割が与えられたと認識しました。 それが、国民の目を覚まさせることです。

理想的な夢

国の大部分の人間は、自分が無知である事を知らないだけでなく、自分は物事を理解していると思い込んでいる状態です。
つまり、眠りながら現実離れをした夢を見ている状態なんですが、その状態には、何の意味がありません。
眠りながら観ている夢の中では、国民達は、自分達が何でも知っていて、何でも出来るスーパーマンだと思い込んでいますが、それは幻想でしか無く、目が覚めれば、無知で何も出来ないちっぽけな自分を自覚させられてしまいます。

国民達は、残酷な現実を受け入れたくないが為に、夢の世界に逃げ込み、そこから引きずり出そうとする存在を非難しているわけですが…  先程も言いましたが、その行為そのものに意味はありません。
人類が、本当の意味で進歩しようと思えば、都合の良い夢の世界から抜け出して、自分が何者でもなく、無知で何も出来ないものだと自覚した上で、自分自身や宇宙を解明する為に地道な努力をしていく他ありません。
その先に、自分の存在理由や生まれてきた理由、幸福へと辿り着く道があると考え、国民をその方向へと導く活動をしていたと主張します。