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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第108回【ソクラテスの弁明】裁判官の仕事 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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メレトスの証人

また、ソクラテスは、その活動を通して、国民から一切の報酬は得ていないと断言します。
それは、メレトスの態度を見れば直ぐに分かります。

コレまでの流れを振り返ると、メレトスは『ソクラテス憎し!』という思いから、嘘で塗り固めた主張によって、ソクラテスを死刑にしようと企んでいます。
その様な人物であれば、自分に有利な証言をする者を、証人として用意するはずでしょう。 例えば、ソクラテスから教えを受けて、彼に多額のお金を支払ったという人間を法廷に連れてくれば、かなりの説得力をもって証言が受け入れられます。
ですがメレトスは、その様な証人を用意することすら出来ておらず、ただ『ソクラテスは国民を騙して、その金で生活をしている』と訴えるだけです。

彼が不正を犯して、他人からお金を奪い取っているのであれば、その被害者を連れてくれば話が早いのに、それすら出来ていませんし、実際に訴えているメレトス自身が、お金を奪われていません。
では、一切金にならない活動を、何故、長きに渡って行ない続けてきたのかというと、ソクラテスはは、コレまでの一連の活動を、神々による試練だと考えていたからです。
信仰心が高いが故に、金銭を受け取ることもなく、無償で活動を続けていたと主張します。

そしてソクラテスは、自分の話を聞いている大衆に寄り添う形で、彼等に成り代わって、自分自身に質問を投げかけます。
その内容は、『そこまで国民の事を心配しているのであれば、それが実現できる地位を目指せばよかったのではないか?』という疑問です。

公人になってはいけない

彼の活動は、一人で様々な賢者の元を訪ね歩いては、問答をしていくというスタイルですが、全国民の目を覚まさせたいのであれば、そんな地道な作業を続けなくとも、もっと効率的な方法があります。
それは、政治家を目指すことです。 例えば、政治家を志し、そこで出世して権力を手に入れれば、法律を改正すると言った事もできるようになる為、より手っ取り早く、国民の意識を変えることが出来るかもしれません。
当時のアテナイは、政治家は『くじ引き』による抽選制でしたが、ペリクレスのように将軍を目指せば、『くじ引き』の様な運ではなく、実力で政治のトップになる事が出来ます。

ソクラテスが今まで主張してきたことが本当で、彼の望みは、神の意志に従って国民を良い方向へと導くことであるのならば、政治家になって発言力を高める事が、一番手の近道になります。
ですがソクラテスは、この意見を否定します。

まず、第1の理由としては、彼には小さな頃から、事あるごとに『ある声』が聞こえてくるそうです。
その声が聞こえてくるには条件があり、自分が悪い道に踏み込みそうになると、どこからともなく声が聞こえてきて、ソクラテスに対して警告してくるそうです。
この声は、神々からの声なのか、それとも、統合失調症的な幻聴なのかは分かりませんが、何らかの決断を下そうとする際、間違った道に進もうとすると声が聞こえてきて、正しい道に導いてくれたそうです。

ソクラテスは、この場で初めてこの話をしたわけではないようで、世間にもある程度は広まっていたようです。
これを利用しようとしたのがメレトスで、彼は、巫女でもないソクラテスが何らかの声を聞き、その声に耳を傾ける形で行動を決めている事を『国が定めていない神々を信仰している』として、訴えたと指摘します。
この声ですが、ソクラテスが政治の道に入ろうとした際には『その道を進まないように』と警告してきた為、政治の道に入る事を止めたと主張します。

公人は信念を持てない

ソクラテスは、その警告を受けてから、その理由を考え始めます。
彼にとっては、その声の正体が神々なのか、それとも別のものなのかを見極めるすべがない為に、得体のしれない声が聞こえてきたからと、その声を盲信するわけにはいきません。
その声の主張は正しいのかを吟味した上で、納得した時のみ従うと決めていたのでしょう。

結果として、ソクラテスは謎の声の主張が正しいとして、それを受け入れて行動に反映させますが、その理由が2つ目の理由となります。
それは、政治の世界に足を踏み入れたものは、自分の信念を全うする前に死んでしまうからです。
誤解しないでほしいのは、ソクラテスは死ぬのが嫌だから政治の世界に入らないのではありません。 信念が全う出来ないからです。

彼は、自ら政治家の道を志したことはありませんが、過去に一度、政治家の地位を与えられた事はありました。
アテナイは、ペロポネソス戦争でスパルタに占領されて、一時的に民主政から30人の代表が統治する三十人僭主政に切り替わります。
結果としては、この体制は1年で崩壊して、再び民主制に変わるのですが、その三十人僭主時代に、彼は政治家として任命されて仕事を割り当てられます。

政治家になるというのはソクラテスの意思には反することですが、彼はそれ以上に秩序を重んじる人間なので、システムの上層部から下された命令には基本的に従おうとする為、割り当てられた仕事に従事することになりました。
その経験の中で、一度、ある出来事への処罰で揉めて、多くの同業者から恨まれる事件があったそうで、その経験を話し始めます。

自分の主張を言えない組織

その出来事とは、ある戦争の後処理の問題です。 アテナイは海軍国家で、海の上での戦闘も多かったのですが、その戦闘で兵士やその死体が海に落ちた際には、可能な限り引き上げなければならないという法律がありました。
しかし、問題となっていた戦場では、船は嵐に見舞われ、すぐにでも撤退して港に引き上げるなり嵐から出るなりしなければ、転覆してしまう可能性が高い状況に置かれていました。
将軍たちは、船に残っている生きている兵士たちを優先し、海に落ちたものや死体を無視して、戦場から離れたのですが、多くの政治家が、この将軍たちの行動は法律違反だとして処罰すべきだと主張しました。

しかしソクラテスは、将軍たちの判断は、確実に生き残れる人間を優先しただけで、処罰されるほどの悪いことはしていないとして、異論を唱えました。
ルールはルールで秩序は守るべきだけれども、ルールや秩序は良い事を成し遂げる為に存在していることが前提です。 もし、この将軍たちがルールに則って死体回収を優先させた場合、全滅していた可能性も大いにあります。
死体回収や僅かな犠牲を出しても生き延びるのか、それとも、ルールを守って全滅するのかを比べた場合、生還する兵士がいる方が国にとっては良いのだから、将軍は責められるべきではないということです。

しかし他の政治家は、どの様な状態であれ、ルールを守ることが最優先であると考えている為、非常時ならルールを破っても許されるというソクラテスの考えは認められず、大いに反感をかったようです。
他の政治家は、異論を唱えるソクラテスを敵視し、今回の裁判のように感情に任せて訴えようとしますが、幸いにも、ソクラテスは政治家という立場から開放された為、そういう事態には追い込まれなかったと説明します。
この出来事でソクラテスが理解した事は、自分が信念を持って人に思いを伝える場合は、公人であっては駄目だということです。

政治家という立場では、事あるごとに忖度を迫られて、それを受け入れずに自分の本心を話せば、恨まれてしまいます。
事あるごとに恨まれ、その感情が蓄積していけば、いずれは殺されてしまうことでしょう。
ソクラテス自身は死ぬこと事態に恐怖心はありませんが、信念を持った行動を続けられず、何の成果も出せない状態で死ぬことには、多少の残念な気持ちもあるのでしょう。

自分には使命があり、その使命を果たす為に信念を貫く人生を進むというのであれば、忖度が必要な政治家にはなってはいけないというのが、ソクラテスの出した結論です。
この後、ソクラテスは最後の弁明をした後に判決を迎えるのですが、その話は次回にしていきます。

参考文献