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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第105回【ソクラテスの弁明】調教師 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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目次

善に導く者

まず、『青年に良からぬことを吹き込んで堕落させた』という点について考えていくのですが、この件についてのソクラテスの一方的な弁明というのは、既に先程、行われました。
ソクラテスは、青年には何も教えていませんが、彼と賢者が行う対話を幾度となく見続けた青年が、その手法を丸パクリする形で賢者に挑んでいっただけです
ただ、今回は目の前に訴えた張本人であるメレトスがいるので、彼に対して質問をしていくことで、この訴えが事実かどうかを確かめていきます。

メレトスの主張では、ソクラテスが青年に積極的に関わったことによって、彼らは悪い道へと引きずり込まれたとしていますが、では逆に、関わり合いになることで青年を良い方向へと導ける人物というのはいるのでしょうか。
この問いかけに対してメレトスは、『国の法律だ』と答えます。 ただこの答えは、ソクラテスが『どの様な人物か?』と聞いたにも関わらず、人ですら無いシステムで答えているので、答えになっていません。
ソクラテスはその部分を指摘した上で、もう一度尋ねると、メレトスは『ここにいる裁判官全員だ』と答えます。

メレトスが最初に上げた『国の法律』というのは、秩序を意味しますし次に挙げた『裁判官』というのも、その秩序を守る為に存在する役割です。
今までに読み解いてきたプラトンの対話編によると、秩序が人を良い方向に導くというのはソクラテス自身も考えていたことなので、おかしな理屈とも思えません。
しかし、秩序を担っているのは裁判官たちだけではありません。 法律を作るのは政治家ですし、政治家自身も、法に則って仕事をこなしている人達ですが、政治家には人を良い方向へと導く力がないのでしょうか。

当時のアテナイは、今現在のように専門の勉強をして資格をとった人間が裁判官になるわけではなく、選挙に勝ったものが政治家になるわけでもなく、すべての公職は『くじ引き』によって決められていました。
政治家も裁判官も、くじ引きで当たった人がなっているに過ぎませんが、では、くじ引きを引く権利があが、当たりを引けなかった、その他大勢の大衆には、人を良い方向へと導く力はないのでしょうか。
メレトスは、『人を良い方向へと導ける人間だけが、くじで当たりを引き当てた』とでもいうのでしょうか。

この問いかけに対してメレトスは、裁判官はもちろん、政治家も、その他一般大衆も、全員が青年を良い方向へと導くことが出来ると主張します。
つまりメレトスの主張をまとめると、このアテナイでは、ソクラテスだけが青年を悪い方向へと導き、彼以外の全市民が、青年を良い方向へと導けると言っているわけです。
このメレトスの返答は、ソクラテス憎しという思いから訴えたにしても、あまりに雑すぎる返答といえ、如何に、何も考えずに罪をでっち上げたのかというのがよく伝わってきます。

調教師

これを聴いたソクラテスも、『それは、普通に考えておかしいのでは?』といい、例え話を出して、彼がどれほどおかしなことを言っているのかを説明します。
例えば、農作業で使う牛や乗り物としての馬には、躾を行って仕事を覚えさせる調教師という職業があります。
この調教師という仕事は誰でもなる事が出来て、どんな人間でも動物を思い通りに躾けることが出来るのでしょうか、それとも、動物に思い通りにいうことを聞かせることが出来る一流の調教師は少数しかいないのでしょうか。

現実を見てみればわかりますが、調教師という職業がある時点で、動物を思い通りに操って躾けることが出来る人間は、才能や技術を身に着けた少数の限られた人間だけです。
もし、全員が動物を思い通りに躾けることが出来るのであれば、調教師なんて職業は存在せず、皆、自分の家畜は自分たちで見事に調教するでしょう。

では次に、家畜の調教は優秀な1人の人間が責任を持って最初から最後までやり通すほうが良いのでしょうか。 それとも、全ての国民で『ああでもない、こうでもない。』と色んな言いながら、育てるほうが優秀な家畜に躾けることが出来るのでしょうか。
これも考えるまでもありませんが、優秀な1人の調教師に任せるほうが良いです。 日本にも、『船頭多くして船山に登る』なんて諺がありますが、それぞれの人間が思い思いのことをぶつけても、上手くいくはずがありません。
これらの事は、動物の調教だけに当てはまることではなく、人間の教育に関しても当てはまる事だと思われます。

もし、ソクラテスを除く全ての人間が人々を良い方向へと導ける力があるのであれば、そもそも、アテナイという土地は善人しかいないことになり、裁判所も必要なければ法律も必要ありません。
この一連の問答により、メレトスが、今までの人生で青年の教育については、何の興味もなかったし、考えたことすら無かったことが分かってしまいました。

人を悪い道へと導く

ソクラテスは次に、『青年を悪の道に引きずり込む』という部分について掘り下げます。
まず『善人』というのは、接する人に良い事を行って幸福にしてくれる存在だと思われます。 逆に悪人は、身近な人を不快にして、接し続けることで相手を不幸に陥れる存在と考えられます。
もし、善人か悪人か、どちらかと一緒に暮らさなければならない状態を選択しなければならないとしたら、何方と一緒にいたいと考えるでしょうか。

この様な質問をメレトスにぶつけると、彼は、『善人と親しくなりたいに決まっている。』と答えます。 これは、彼だけが特別な考えを持っているわけではなく、大抵の人は、善人と一緒に暮らす道を選ぶのではないでしょうか。
これを踏まえた上でソクラテスは、『君は、私が青年たちに良からぬことを吹き込んで悪人に変えているというけれども、それは、わざと行っているのか。
それとも、私自身が望んでいないにも関わらず、知らず知らずのうちに、弟子たちに悪い教育を施して悪人にしてしまったのか、どちらなのか?』と尋ねます。

ソクラテスを悪人に仕立て上げたいメレトスは、この質問に対し『当然、わざとやったに決まっている!』と答えますが…
この返答によって、またも、メレトスが何も考えなしに答えていることが露見してしまいました。

悪人との暮らし

先程ソクラテスは、『善人と一緒に暮らすほうが良いのか、それとも、悪人と過ごすほうが良いのか。 どちらが良いか。』という質問を行い、これに対してメレトスは、『善人と暮らすほうが良いに決まっている』と答えています。
これはメレトスだけの意見ではなく、全ての人が、同じ様に思うでしょう。 当然のことながら、ソクラテスもその様に思います。
では何故、ソクラテスは、わざわざ無垢な青年を連れてきて、一緒にいるのが嫌だと皆が言う悪人に育て上げて、生活を共にしているのでしょうか。

ソクラテスが、青年を連れてきて悪人に仕立て上げ、その者を自分が嫌いな勢力のものへ送り続けていたというのなら、まだ話はわかります。
しかし実際には、ソクラテスの仲間たちは、ソクラテスと行動を共にしています。 この様な状況で仲間を悪人に仕立て上げた場合、彼は悪人に囲まれながら暮らさなければならない為、損しかありません。
何故そんな、自らが不幸になるための努力を必死にしなければならないのでしょうか。

どうせ努力するのであれば、一緒に暮らす人達を良い方向へと導くための努力をするのではないでしょうか。
そうすれば、ソクラテスは善人に囲まれて日々の生活を送れることになりますし、その様な生活は幸福な人生とも思えるので、努力のしがいがあります。

ただ、人の教育というのは難しい為、人との接し方を間違えてしまった為に、自分でも意図せずに相手が悪人になってしまうケースというのもあります。
ソクラテスは、自身でも認めている通り、無知な存在です。 彼は人生を通して、人を優れた卓越した存在へとするアレテーの存在や、それを構成するものについて考え続けましたが、結局は分からずじまいでした。
その為、ソクラテスが人を良い方向へと導こうと頑張ったとしても、仲間が悪人になってしまうというケースは無いとは言い切れません。

ですから、先程、ソクラテスがメレトスに対して行った質問では、『私は、ワザと悪人に仕立て上げる為に青年に教育をしたのか、それとも、私自身に悪意はなく、知らず知らずのうちに青年が悪人になってしまったのか、どちらなのか?』と聞いていました。
これに対してメレトスは、ソクラテスを悪人にしたい一心で、『ワザとに決まっている。』と断言しました。
メレトスからすれば、『ソクラテスには自覚がなかった』としてしまうと、ソクラテスに罪がなかった事になってしまう可能性があるからです。

このメレトスの発言は、根拠のない明らかな嘘だとしか考えられません。
次にソクラテスは、『国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』という部分について追求するのですが、その話はまた、次回に行っていきます。