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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第107回【ソクラテスの弁明】試される裁判官 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

幸福とは

人は生きている間、様々な欲望を抱き、意思の弱いものは、その欲望に流される形で不正行為を行ったりします。
不正に蓄財をしたり、散財したり。 人付き合いでは、名声を高めて、必要以上に持て囃されたい、崇められたいと思ったり… 逆に、バカにされたり雑に扱われたりすると、腹を立てる者も多いでしょう。
そういった者の中には、いつか自分が権力を握って、その権力を不正な形で利用して仕返しをしてやろう!と思う人も少なくないと思います。 例えば、ありもしない罪をでっち上げて、裁判を起こすなどです。

しかしソクラテスは、たったその程度の理由で秩序を乱し、法を破るものがいるとすれば、その者こそが恥ずべき人間だと断言します。
この辺りの事は、過去に取り扱った『ゴルギアス』に登場した、政治家のカリクレスとの会話で掘り下げられていました。

簡単に振り返ると、カリクレスの主張としては、人間は幸福になる為に生まれてくるが、その幸福を手に入れるために必要なのが、欲望を満たし続ける事という意見でした。
人は欲望を満たして満足感を得ると、幸福感を感じた後に、更に大きな欲望を抱くようになります。
その欲望を抑えること無く拡大し続けて、欲望を叶え続ければ、人はずっと幸福感を味わうことが出来るので、その力を得るためにも、どんな手を使っても権力を手に入れなくてはならない。

権力さえ手に入れてしまえば、その影響力を利用して様々な欲望を叶えることが出来るし、絶対的な権力を手に入れれば、不正を犯しても捕まえるものもいない。
この世を面白おかしく楽しむことが出来る為、幸福になれるというのが、彼の持論でした。

秩序

それに対してソクラテスは、自分が不幸になってしまう力は力とは呼ばないとして、不正行為は絶対に許しませんでした。
人間が幸福になる為に必要なのは、欲望を満たした際の満足感であるとか、長生きすると言った事ではなく、良く生きる事で、よく生きるとは何かというと、秩序を守ることでした。

人間は、一人で生きることは出来ず、共同体を組織して、皆で生きる社会的な生き物です。 その人間が秩序を乱し、社会を混乱に陥れて破滅へと導く秩序の破壊は、絶対に避けなければならないことです。
人が持つ、果てしない欲望を満たし続ける為には、どこかで規則や法律が邪魔になり、法を破って不正を犯したいという思いに支配されそうになりますが、その誘惑に負けて不正に手を染めてしまう行為は、最も醜い行為です。
何故なら、それによって崩壊してしまうのは、自分たちを守り続けてきた社会だからです。

人は、一人では生きていけないからこそ、共同体としての社会を作りました。 そして、その社会の維持には、秩序が必要です。
その秩序を破壊してしまうという行為は、結果として社会を破壊してしまうことにに繋がり、自分だけでなく、全ての人の生命を危険にさらしてしまうことにも繋がります。
不正行為は行ってもダメだし、行われるのも駄目なもので、この世から排除しなければならないと考えています。

話を『ソクラテスの弁明』に戻すと、ソクラテスが弁明させられている場所はどこかというと、裁判所です
裁判は、行われた行動が、不正か正当かを見極める場所で、社会の秩序を守る番人的な役割を持つ場所です。 そこで不正行為が行われようとしているのを、彼は許せないんでしょう。
メレトスが嘘で塗り固めた罪をでっち上げたことも不正ですし、裁判官が、『ソクラテスが憎い!』という自身の感情によって有罪に投票することも不正です。

また、裁判官がソクラテスに対して、『無罪になりたければ、泣き叫んで哀れに思われるような態度を取れ!』と、権力を振りかざしながら強要するのも不正ですし、ソクラテスがそれに応えて演技をするのも不正です。
その様な不正行為を不正だとも認識せずに、社会から与えられた権力を、自分たちが持つ正当な力だ! と思い込んでいる事こそが恥ずべき行為。
そして、その恥ずべき行為は、死を怖がる一般人には効果的かもしれないが、死についてむやみに恐怖を抱いておらず、むしろ死後の状態に興味すら持っているソクラテスには通用しないということです。

つまり、死をチラつかせて脅す行為に意味がないことを認識した上で、恥ずかしくない正しい判決を下せるようにしろと言ってるわけです。
そして、事実を捻じ曲げて不正な判決を下すことで後悔をするのは、ソクラテスではなくは裁判官の方だと断言します。

罪とは

というのも、ソクラテスが先程から主張している事は簡単に言えば2つで、1つは、自分は神の意志によって動いている事、もう1つは、一切の不正を行わないことです。
彼に言わせるなら、自分は法律には一切抵触していないわけで、事実だけで判断をするのであれば、無罪以外はありえません。
『賢者たちを不愉快にしたでしょ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ソクラテスに言わせるなら、自分が知らないものを知っていると嘘をついて他人に教えて、授業料を巻き上げていたのは賢者たちなので、不正をしているのは賢者の方です。

詐欺師に対して、『詐欺はいけないよ。』と意見する事が犯罪になるのであれば、それは法治国家とは言えません。
賢者たちに寄り添って考えた場合、ソクラテスが取り扱う問題は難解である為、賢者自身が自分自身の無知を理解していないということは十分にありえます。
この場合も、ソクラテスに言わせるなら、本当の賢者であるのなら、自分が気がついていなかったことに気づかせてくれた者には感謝するだろうと思っています。

これは、過去に取り扱った『メノン』という作品で、想起説の実験を行った際にも語られています。
その人物に本当に知的好奇心があるのであれば、自分が正しいと思い込んでいた知識が間違っていたと判明した場合は、『では、本当はどの様になっているのだろう。』と、新たに知識を求める欲望が呼び覚まされ、知ろうと努力するはずです。
先程、名前を出したカリクレスは、人間は欲望を満たす為に生きていると主張していましたが、本当に知識を求めるものが自分の無知を指摘されれば、怒るどころか感謝して、真実を求める為に、研究をやり直すはずです。

それをせずに、間違いを指摘したソクラテスに怒りを向けるというのは、そもそも、その人物には知的好奇心がなく、知識を商売道具としてしか観ていないからです。

まとめると、不正を働いてお金儲けをしている人間が、その事を指摘されたことによって激情し、不正な手段で訴えを起こしたのがこの裁判となります。
嘘で塗り固められた彼等の言い分に耳を貸して、結果として間違った判決を下してソクラテスを死刑にしてしまえば、それは、裁判官達が不正によって殺人を行った事と同じで、アニュトス達よりも酷い不正に手を染めることになります。
何故なら、アニュトス達は単に疑いをかけて訴えただけなので、裁判官の見る目さえしっかりとしていれば、その訴えは退けられるからです。

しかし、その見極めを行わず、彼等の主張に流されて間違った判断を下した場合、その全ての責任は裁判官に移ります。
ソクラテスはこの事を裁判官達に警告した上で、アテナイという国の現状を、例え話を絡めて話しますが、その話については次回にしていきます。