だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第87回【ゴルギアス】まとめ③ 前編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.mu

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も、ゴルギアスを読んだ上での、まとめ・考察回となっています。
ゴルギアスを読まれたことがない方や、このコンテンツのゴルギアス回を聴いていない方は、そちらから聞かれることをおすすめします。

善悪を正しく見極める技術

前回は、カリクレスとソクラテスがそれぞれ主張する『幸福な人生』の違いについて語っていきました。
ソクラテスが、人生の岐路に立った際には、自分の感情や欲望によって答えを選ぶのではなく、善悪を見極める為の法則に当てはめて出てきた答えを機械的に実行していくべきだと主張し…
それに対してカリクレスが、欲望は人が行動する為の原動力になるし、その欲望を満たすことで、達成感や満足感を得ることが出来て、幸福になれると主張し、意見は対立したままの平行線で終わりました。

ソクラテスは、欲望の赴くままに行動した場合は、判断を誤る場合が多いので、結果として悪い方向へと進んでしまうと言い…
カリクレスは、欲望や、それが満たされた時の満足感というのが生きている証なので、それが無くなってしまえば、人は生きているとは言えない。 道端に転がっている石のように、何の意味もないと主張し…
両者の意見は、相容れる事がないようにも思えます。

しかし、両者の主張の前提となっているものをみると、そもそも、そこから食い違っているように思えます。
というのも、ソクラテスは、その法則に当てはめれば正しい答えが出るような技術が既にあることを前提として話していて、カリクレスは、そんな法則はなく、先の事が分からないことを前提に話しています。
では、ソクラテスの言う通りに、善悪を正しく見極めるような技術が既に存在するのかと言うと、そんな物は存在しません。

存在しないからこそ、ソクラテスギリシャ中の賢者に声をかけて、アレテーへと到達する方法を探しているわけですから。
では何故、ソクラテスは存在しないような技術を前提にした話をしたのかというと、善悪を正しく見極める技術というのは、それ程までに重要な技術で、それを見つけ出すことが出来れば、人の生活や考え方は一変してしまう。
それほどまでに重要なものなんだから、それを見つけ出すための努力をしようと訴えたいのかもしれません。

人は正しい道を進むもの

ではもし、善悪を正しく見極める技術があったと仮定した場合、世間一般の感覚と近いカリクレスは、どの様な人生を歩むのが良いと思うのでしょうか。
例えば、自分の進んでいる道が二手に分かれた場合、カリクレスは、先のことは分からないんだから、今、自分が抱えている欲望に素直になって、後悔のないように、進みたい方向へ進めば良いと言っているわけですが…
確実に右に進んだら成功すると確定していたとしたら、それでも、左に進んでみたいからと左に進むんでしょうか。

左に進むと、一瞬だけ心地よい状態になるけれども、その後で地獄を見る。 一方で、右は一見すると険しいけれども、それを乗り越えると、それまでの苦労が消し飛ぶほどの良い状態が待っていると確実にわかっている状態の場合。
カリクレスは、それでも左の道を選ぶのか。 これを聞かれている皆さんもそうだと思いますが、確実に正解だという道が確定しているのであれば、迷うこと無く、正しい道を選ぶと思います。
人生ではじめての登山をする場合、自分でルートを考えて山登りなんかしませんよね。 標識に沿って登山道を登ると思います。

その道を進むことで、確実に良い状態になれる事が確定していて、それ以外の道を選ぶと損をする事がわかっている状態で、敢えて損をする道を選ぶ人間はいないはずです。
カリクレスが、自分の欲望に素直になれと言っているのは、そういう法則が見つからないことを前提に議論していて、もし、ソクラテスが主張するような善悪を正しく見極めるような技術というものが存在すれば、態度は変わるはずです。
もし、『そんな法則があったとしても、その法則に則って動くのは楽しくないから、そんな法則は知らなくて良い。』とカリクレスが反論したとすれば、カリクレスはただのギャンブラーです。

いや、ギャンブラーでも、自分が勝つために統計をとったり、マネーマネジメントというベットの仕方などのあらゆるテクニックを学ぼうとするわけですから… それ以下の存在と言えます。
先程の登山の例でいえば、登山道の入口で無料で手に入る地図が置かれているのに、『自分で判断しないと、登頂した時の喜びが薄れる。』といって山に入った結果、遭難したとしたら、その人物は馬鹿にされますよね

幸福への最短距離

しかし、カリクレスは優秀とされる人物なので、勝つか負けるか分からない勝負事に人生をかけるような愚かなことはしません。
それは、カリクレスのこれまでの態度を観ていると、良くわかります。

この対話編に登場するカリクレスの態度としては、弁論術を学ぶ事で口先の技術を手に入れたら、その能力を使って権力を持っている人間に近づいて媚びることで、御機嫌を取って気に入られて、自分だけは出世街道に乗れると主張しています。
例え、自分が仕えている権力者が、私利私欲のために不正を犯して、無実の市民の命や財産を奪うような劣った人間であったとしても、その人間の前では地面に頭を擦り付けて御機嫌を取り続ければ、自分も、その様な権力が手に入れられる。
その力さえ手に入れてしまえば、どんな欲望も満たすことができる力を手に入れることが出来るんだから、幸福になれると主張しているのですが…

例え、権力を手に入れたいという目標の為であったとしても、優秀な人間が劣った人間に媚びへつらうのは、苦痛でしか無いと思われます。 その行動で満足感も満たされないでしょうし、楽しいとも思わないでしょう。
にも関わらず、カリクレスがこの方法を推奨しているのは、将来的には『自分が善い』と思っている状態になれると信じ込んでいるからです。
カリクレスが取っている行動は、目先の損得に騙されること無く、善いと思われる目標に向かって最短距離を進むという行動と言えます。

友人を幸福にしたいと思うカリクレス

またカリクレスは、自分が善いと思っている道を、ソクラテスも同じ様に歩むように勧めています。
カリクレスが考える幸福とは、分かりやすく極端に言ってしまえば、自分が快楽を感じられるのであれば、例え他人に迷惑をかけて不幸にしたとしても、自分だけは幸福になれるという考え方です。
つまり、人生の中で自分がどの様に感じるのかが重要で、自分の行動が客観的に見て悪いとか、そういった事は考えずに、今現在やこれから先の未来で、自分に不都合が生じないかとか、快楽を追求し続けることが出来るといった事を優先して考えるので…

この部分だけを観るなら、考え方としては、相対主義的な考え方です。

相対主義的な考え方で言えば、人の幸せは人それぞれなので、他人を支配したいという権力欲を持つ人間もいれば、他人との心のつながりを重要視する人間もいます。
人の価値観はそれぞれ違うので、他人から強制されるものではないはずですし、自分の行動は客観と主観で価値観が変わります。
この理屈でいえば、カリクレスはソクラテスの考える幸福論に賛成はできなくても、反対は出来ないはずです。 何故なら、ソクラテスが考える幸福はソクラテスが定義すべきだからで、カリクレスが決めることではないからです。

ソクラテスが、『人の幸福は、人生の長さでは測ることが出来ず、質によって判断するしか無い。 では、質の良い人生とは何かというと、人々を良い方向へと導く為に尽力する事だ。』と主張して…
この人生をまっとうするためなら、不正を受けて殺されたとしても本望だと考えているのであれば、その考えは尊重すべきなのが、相対主義者です。
しかしカリクレスは、ソクラテスの考える幸福論に反対し、『何も悪いことせずに正しいことをしていても、不正を受けて悪者に殺されてしまえば、不幸になるじゃないか。』と一生懸命説得しようとします。

人は『善い方向』へと誘導したくなる

つまりカリクレスは、自分が考える『良い人生』をソクラテスにも歩ませたいと思い、他人であるソクラテスを必死に説得しているんです。
この行動は、ソクラテスと同じ絶対主義的な考え方が混じっています。

これまでのカリクレスの行動をまとめると、目先に転がっているメリットやデメリットには目もくれず、時には苦痛にも耐える覚悟をして、幸福な良い人生という目標を目指して一直線に進んで行く。
そして、自分の知り合いが不幸な道に入り込もうとしている場合は、進もうとしている道が間違っていることを指摘して、他人を自分が考える『善い』道へと誘導する。
現にカリクレスは、社交性を身に着けてコネクションを作っていけば、幸福な人生を歩む事が出来るよと、ソクラテスに対して丁寧にレクチャーしています。

この行動は、『ソクラテスが主張する、人々を良い方向へと導くことこそが幸福につながる道だ。』という言葉通りの行動と言えます。
突き詰めていくと、ソクラテスとカリクレスで決定的に違うのは、先程も言った通り、『善悪を見極める技術』は存在するのかしないのかという部分になります。
もし、ソクラテスの主張通りに、『善悪を正しく見極める技術』は、まだ見つかっていないだけで、この世の法則として存在するのであれば、この世で一番重要なのは、その法則を見つけ出すことになります。

仮に、その様な技術が見つかったとしたら、ソクラテスの主張に反対し続けているカリクレスも、ソクラテスと同じ行動を取ることでしょう。 何故なら、カリクレス自身も、最終目的地を幸福に据えているんですから。