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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第79回【ゴルギアス】『良い快楽』と『悪い快楽』の見極め 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

『善い』弁論家はいるのか

しかしその場合は、聞き手に寄り添って、聞きやすい事しか言わないような弁論家は技術を持たない迎合家で、技術を持つ弁論家というのは、例え聞き手が苦痛に思って耳をふさぎたいと思うような事であっても、聞き手のためを思っていう。
そして最終的には、聞き手を良い方向へと導いていくような、そんな弁論家なだけを、技術を持つ弁論家と呼ぶ事にすると主張し、カリクレスから同意を得ます。
その後、ソクラテスはカリクレスに対して、『今までに、言葉を聞くだけで人を良い方向に導けるような、技術を持つ弁論家に会った事があるのか』とたずねます。

この問いかけに対してカリクレスは、出会ったことがないと答えます。 当然ですけれども、カリクレスが答えた時には、その隣には弁論術を人に教えて生活をしているゴルギアスも、その弟子であるポロスもいます。
その彼らの目の前で、『人を善い方向へと導く弁論家には出会ったことがない。』とカリクレスが答えたということは、少なくともカリクレスは、ゴルギアスやポロスたちを迎合しているだけの人とみなしていると言えます。
対話が進めば進むほど、弁論術というものは金を払ってでも学んでおくべきものなのかどうかが怪しくなっていきますよね。

さて、カリクレスの答えでは、人々を善い方向へと導く存在はいるけれども、その存在には会ったことがないという事になってしまいましたが、出会ったことがないにも関わらず、核心を持って『いる』と言えるのは不思議な気がします。
そこでソクラテスは質問の範囲をもっと広げて、自分自身が出会っったことがなくてもよいし、自分が生まれる前にいた人でも良いから、名前を知っていたら教えて欲しいと聞くと…
カリクレスは、アテナイギリシャの中でトップの海軍国家にして、ペルシャを撃退したテミストクレスや民主制を導入してパルテノン神殿を作ったペリクレスなどの名前を上げます。

善導者の弁論家?

これは、日本でいうとどの様な人に当たるんでしょうかね。 日本列島改造論を掲げて、日本中に新幹線やら高速道路網を作り上げて行き来をしやすくすると同時に、経済成長をさせた田中角栄とかが、これに当たるのでしょうか。
まぁ、最終的には田中角栄汚職問題で逮捕されるんですが、それをいうなら、ペリクレスも対ペルシャのために複数のポリスで作り上げたデロス同盟の運営費を横領してますので、似たようなものといえるでしょう。

テミストクレスペリクレスといった名前を聞いたソクラテスは、『確かに彼らは、カリクレスが主張するような善の道を歩んでいるんだろう。』と答えます。
カリクレスが主張する善の道とは、膨れ上がる一方の欲望を抑え込む事もなく満たし続け、その結果として、大き過ぎる欲望を持つことになり、それを満たすために動き続ける道のことです。
しかし先ほどの話では、満たそうとする欲望や、それを満たした後に訪れる快楽には善悪があって、その善悪は専門技術がなければ見極めることが出来ないという話でした。

では、先ほど名前が上がったテミストクレスペリクレスは、善悪を見極める専門技術を持っていて、その技術を使って、自分が抱いている欲望が良いものなのか、それとも悪いものなのか、その仕訳を行っているというのでしょうか。
そもそも、善悪を仕分ける専門的な技術とはどのようなものなのでしょうか。 全くの謎のままです。
ソクラテスはその部分について突っ込んで聞きますが、カリクレスは面倒くさくなったのか投げやり気味に、『アナタが頑張って探せば見つかるんじゃない?』と言い放ちます。

善悪を見極める技術

カリクレスは、専門知識がどのようなものかを知らないのか、それとも答えたくないのかは分かりませんが、教えてくれそうにはないので、ソクラテスは順を追って考えていくことにします。
繰り返しになりますが、カリクレスは仕分ける力のことを専門『技術』と呼んでいるため、技術であるのならば、適当に仕分けているわけではなく、目標に向かって一定のルールのもとに仕分けているはずです。
シェフが気まぐれでサラダを作るのと違って、建築家は、その場のフィーリングで建物を立てたりはせずに、建築技術を学んだ上で設計図を作り、その設計図を元に手順に従って家を立てていきます。

完成形という目標も立てずに、素人のスケッチを元にした思いつきで作った建物がすぐに倒壊してしまうように、何の法則性もなく、その場の感覚のみで適当に行うことは技術ではないですし、そんなもので善悪の仕分けができるはずがありません。
これは魂の問題も同じで、どの欲望は抑えるべきで、どの欲望は満たすべきかというのを思いつきで判断したとしても、魂を善い方向へと導くことは出来ないでしょう。
特に自分の欲望を仕分けする場合は、何らかのガイドラインに沿う形で判断していかなければ、欲望に負けて自分を甘やかしてしまう方向に行きがちです。

では、そのガイドラインや法則といったものは、どのようなものになるのでしょうか。
前に人の体は肉体と魂に分けられるとうい話をしましたが、体の場合は、病気などで身体が悪くなったら医者に行き、平常時には能力を向上させるためにトレーニングをすることで、『健康な身体』を手に入れることが可能でした。
身体が良い状態であるとか優れた状態になった際には、先程も言ったように『健康な』といった言葉が身体の前に付いて、健康な体となりますが、では、魂が正しい方向に導かれて優れた状態になった場合は、どの様な言葉が頭につくのでしょうか。

善とは秩序に則った意思決定

ソクラテスによると、『法にかなった』という言葉が頭に付き、『法にかなった魂』こそが、優れた良い魂と呼ぶようです。 では、法にかなったとはどの様な意味なのでしょうか。
これは、簡単に言えば、何らかの決断を行う際には、感情によって物事を決断するのではなく、自分の感情以外の部分に判断基準を持っていて、それに従って決定すべきだということです。

多くの人が行動する際の基準としているのが、感情だと思います。 しかし、感情によって行うべき行動を決めてしまうと、間違ってしまうことが多いです。
その為、自分の感情以外の部分に判断基準を置いて、自分が何らかの決断をしなければならない時には、その基準に照らし合わせて行動を取るべきだということです。
ただ、この主張はいうのは簡単なのですが、感情を持つ人間には、なかなか受け入れがたいことです。 少し分かりにくいと思うので、いくつか例を出して説明していきます。

例えば、大きな決断として、人に裁きを下すという決断があります。 人の行動を有罪か無罪かで分ける、このシステムのことを『裁判』と言いますが、この裁判で、裁判官の下す決断が、感情や気まぐれによって行われるのは、困りますよね。
裁判官個人や、傍聴人の気持ちといった、感情以外の部分に判断基準がなければ、裁判というシステムは成り立ちませんし、何らかの理由で自分が裁判にかけられた際にも、困ってしまいます。
その為、裁判では、個人の感情以外の『法律』といった部分に判断基準を置いて、法の下で裁きを下します。

秩序と混沌

その他の例でいうと、アトラスというメーカーから出ているゲームのシリーズに、『女神転生』というものがあります。
このゲームは、ドラクエのようなRPGというジャンルのゲームなのですが、主人公たちが選んだ選択肢によって、自分たちの属性が変化します。
属性は、『LAW』『NEWTRAL』『CHAOS』の3つで、『LAW』はロースクールの『LAW』なので秩序を表し、この属性は『天使』や神が力を貸してくれます。
『CHAOS』は全てが乱雑な混沌を表し、悪魔が味方に。そして、その中間に位置するのが『NEWTRAL』になります。

ゲームを勧めていく中で、主人公たちは様々な選択に迫られますが、その選択した答えによって、属性が変わっていきます。
例えば『植物状態の、絶対に目を覚まさない最愛の人がいたらどうするのか。』といった感じの質問が投げかけられて…
答えは2通りで『自分の人生を犠牲にして、世話をし続ける』というのと『自然のままの最期を迎えさせる』というものです。

法に照らして考えるのであれば、寝たきりの人間を放置して死に追いやってしまうことは犯罪なので、世話をし続ける選択を選ぶと『秩序』を選択したことになります。
しかし、寝たきりの恋人の身になってみれば、どうでしょうか。 自分は絶対に目を覚まさないことが確定しているのであれば、恋人には、目覚めることのない自分の体の世話で一生を潰すよりも、自由に人生を楽しんで欲しいと思うのではないでしょうか。
その様に想像を働かせて、恋人を自然のまま死なせてしまうと、属性としては『CHAOS』『混沌』となります。

幸福と自由意志

先程も言いましたが、このゲームでは、秩序を選ぶと神様が、そして混沌を選ぶと悪魔が味方してくれますが… この関係性というのは、キリスト教の聖書でからも読み解くことが出来ますよね。
神は最初、自分たちが作り出したシステムの中に人間を置き、その楽園の中、で何不自由のない生活をさせました。
しかし、悪魔が化けた蛇によってそそのかされた人間は、知恵の実を食べてしまい、自分自身の頭で考えて行動をする自由意志を手に入れてしまいました。

この事に激怒した神は、人間を楽園から追放し、それによって人間は苦労するというのが、キリスト教の創世記で語られていますが…
ソクラテスの主張している事は、極端に言えば、自由意志を放棄して、神が定めたであろう秩序を探し出し、その法則を判断基準として無条件で従って行けと言っているようなものです。

そうする事で、秩序の象徴である神が作った楽園の中で暮らしていくことが出来て、幸福と成れると言っているわけですが…
それに対するカリクレスは、『自由意志を放棄して、無条件に秩序に従うような人生が、人間の人生と言えるのか?』と反発しているわけです。
カリクレスとソクラテスは、理想とする方向性が全く違うため、カリクレスは説得を諦めたのか、ソクラテス一人で考えてくれと投げやりな態度を取り、ソクラテス不本意ながら、一人で考えることになるのですが、この話はまた次回にしていこうと思います。