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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第82回【ゴルギアス】人が欲するものを与えるのは良い事なのか 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回の内容も、プラトンが書いた対話篇の『ゴルギアス』を、私自身が読み解いた上で、解説する内容となっています。
本を朗読しているわけではなく、重要だと思うテーマの部分に絞って解説していく内容となっているので、対話篇のすべての内容を知りたい方は、本を購入して読まれることをおすすめします。

人生の意味

前回の話を簡単に振り返ると、カリクレスに促されてソクラテスが一人で考えを整理していくと、不正の被害にあうよりも、不正を行う方が不幸だという流れになり、それに対してカリクレスが納得ができないと食いつきました。
カリクレスの考えとしては、不正を行える力を持つ事が不幸なことだとは思えないし、その力を自分の欲望を実現するために自由に振るうことも悪いことだとは思っていません。
また、『いじめられっ子』と『いじめっ子』では、より可哀想で不幸なのは『いじめられっ子』のように思えるのに、ソクラテスの理屈だと『いじめっ子』の方が不幸で哀れだということになってしまい、その部分にどうしても納得がいきません。

これに対してソクラテスは、そう考えてしまうのは、人生の目的が分かっていないだらだと指摘します。
多くの人たちは、出来るだけ長生きして、その人生の中でより多くの快楽を味わうことこそが幸せだと信じ込んでいますが、ソクラテスに言わせれば、そんなものは本当の幸せではありません。
人はいくら頑張ったとしても永遠に生きることは出来ずに、いずれ死んでしまいます。 人生とはいずれ終わるものなので、それが多少長かったとしても、それは幸せではありません。

では、何を持って幸せかどうかを判断するのかといえば、人生の中身です。 人は、人生をどれほど長く行きたかではなく、どの様に良く生きたかによって判断されるべきです。
カリクレス達は、弁論術を使って権力者に取り入ることで欲望を満たして満足感を得ることも、長生きすることも出来ると言いますが、不正を犯すような悪い権力者に頭を下げてご機嫌伺いをする人生が、はたして、良い人生なのでしょうか。
権力者にゴマをすって、自分よりも下だと思い込んでいる人間に横柄な態度を取る人間が、皆が憧れる立派な人間なのでしょうか。

人の価値

人は、技術を身に着けて社会の為に働いてさえいれば、どんな仕事であれ、社会の役に立っていることに変わりはなく、そこに上下関係は存在しません。
例えば医者は、病人やけが人を治療することが出来るために、人の命を救うという意味では分かりやすい職業と言えます。 医者になる為には相当な知識が必要ですし、みんなが成れるというわけではありません。
だからといって、医者が一番偉くて、その他の職業は劣っている。つまり上下関係があるのかといえば、そんな事はないという事です。

少し考えてみればわかりますが、国民の全てが努力をして医者になったとして、その国は繁栄するのかといえば、しません。
国民の全てが医者になってしまえば、誰が生きていくために絶対に必要な食料を作るのでしょうか。 雨風を防げる建物を作るのでしょうか。 外気から体温を守るための服はどうするのでしょうか。
人の命を守っているという点では、技術を使う全ての職業が、それぞれ別々の方法で『人の命の延命』を行っているので、職業間で上下関係はないということです。

善い指導者

では、どの様な形で社会に関わることが、『善い』とされることなのでしょうか。
例えば、カリクレスの様に政治家として良い人生を歩みたいと思う場合、独裁者と同じ様な力を手に入れるために、自分自身の意見を今の政治体制や国のトップの意見に摺り合わせて迎合し、時の権力者に気に入られるように振る舞うべきなのか。
それとも、自分自身が独裁者になる為に、国民の意見に耳を傾けて、国民の意見と自分の意見をシンクロさせるような生き方が良いのでしょうか。

これを聞かれている方の多くは、権力者や指導者ではないと思いますので、自分たちの意見に耳を傾けてくれる人が良いと思われるかもしれません。
しかし、これらはどちらを選んだとしても、良いとは言え無いのではないでしょうか。

自分より上の立場の人間に媚びたり、国民に対して迎合するといった、自分の意見を他人に委ねてしまうような生き方は、良い生き方と言えるのでしょうか。本当に、自分自身や国民を幸福に導くことが出来るのでしょうか。
これまでにも言ってきましたが、ソクラテスに言わせれば、迎合によって幸福に辿り着くことは出来ません。 何故なら迎合とは、良い方向ではなく、快楽のみを追求する行動だからです。

政治家とは

善い政治家として、国民を本当に善い方向へと導こうと思うのであれば、快楽を基準に行動するのではなく、時には国民にとって耳をそむけたくなる様な事であったとしても、あえて主張して実行し、国民を善い方向へと導かなければなりません。
また、政治家という職業につく基準を他の仕事と同じ様に、過去の実績を並べあげて、その仕事にふさわしい人物かどうかを判断すべきです。
例えば現代の社会で高待遇を求めて転職をする場合は、履歴書に過去の実績を書いた上で、自分にはどの程度の力があるのかを面接で訴えて、それらの情報を元に、採用不採用を企業側が判断します。

これと同じ様に政治家も、政治家になる前に、自分の言動によってどれほどの数の人間を善い方向へと導いたのかという実績を掲げて、それを元に、政治家として相応しいのか相応しくないのかを判断すべきです。
ソクラテスは、多くの人を正しい方向へと導いた実績のある人間だけが、政治家として立候補すべきで、何の実績もない人間が立候補すべきではないと主張します。

この意見には、納得できる部分が多いです。
ソクラテスが生きていた時代もそうですし、今現在の日本でもそうですが、政治家の多くは、実績ではなく生まれた家柄によって、その地位を得ています。
有名政治家の子供であれば、親が引退すると同時に、地盤・カバン・看板を受け継いで、実質、その議席を貰えますし、日本のような政党政治の場合は、親の力によって政党でそれなりの地位に付くことも出来るでしょう。
考慮されるのは、何処の家の子供として生まれたかで、実績は特に考慮されません。 政治家の家の子供でない一般人が立候補して当選し、政党の要職に着こうと思ったら、二世議員とは比べ物にならない程の努力が必要になります。

これは、ソクラテスと対話をしているカリクレスにも当てはまることで、カリクレスが政治家としてそれなりの地位に付いているのは、本人が政治家を志す前に国家公共の為になるようなことをしたわけでもなく、人々を正しい方向へと導いたからでもありません。
善い家柄の子供として生まれたからです。 その家柄に生まれたからこそ、地位の高い人達との人脈を生まれながらにして持っていますし、弁論術を学ぶことで、更に上に行けるような環境にいることが出来ているんです。
仮にカリクレスが、市民権も持たない奴隷の子供として生まれていたら、ゴルギアスと知り合いになることもないでしょうし、ソクラテスと対話することもなかったでしょう。 奴隷として主人に買われ、指示された仕事をする事になっていたでしょう。

ペリクレスは本当に優れた指導者なのか

そんなカリクレスはソクラテスから、アナタの知っている中で優れた政治家がいるなら教えて欲しいと質問された際に、ペリクレスの名前を挙げて称賛しました。 では彼には、人を正しい方向へと導いた実績があるのでしょうか。
彼がアテナイの指導者の地位に付く前には、アテナイの国民の精神は非常に悪い状態で、その為に素行も悪く、治安も最悪のもので、国内は犯罪者で溢れかえっているような状態だったけれども…
ペリクレスが指導者になって、悪い国民にとっては耳の痛い様な演説を始めると、国民の精神は徐々に善い方向へと導かれ、健全な精神によって秩序を守る立派な良い人間へと変わっていき、国そのものが善い方向へと向かっていったのでしょうか。

ペリクレスという人物は、将軍職を除く全ての国の役職を抽選制にして、抽選に当たった市民を公務員にして給料を払うことで、抽選に当たった人達が金の心配をせずに公務に専念できる環境を作り上げました。
このシステムにより、ペリクレスは政治が腐敗しにくい状況を作り上げて歴史的にも評価されている人物ですが、一方で、楽な公務員という立場に給料を払ったことで、国民が怠け者になったという批判も受けています。
この様な指摘を受けるペリクレスは、本当に優れた指導者といえるのでしょうか。 カリクレスは、この指摘に対しては『そんな事をいうのは、スパルタの人間だけだ』と突っぱねます。

何故、スパルタの人間がこのような事をいうのかというと、簡単に言うと、仲が悪かったからです。 この当時のギリシャは、アテナイ率いるデロス同盟と、スパルタ率いるペロポネソス同盟に、大きく二分されていました。
デロス同盟は元々は、対ペルシャに備えた同盟ですが、アテナイデロス同盟の覇権を握って、それを足がかりにしてギリシャ全土の覇者になろうとするのを、スパルタ率いるペロポネソス同盟が反発するという形で、最終的には戦争にまで発展するんです。
アテナイ人は、スパルタ人のことを脳筋だとし、スパルタはアテナイ人の事を、頭でっかちの おしゃべり好きとして、互いにバカにしあってたりしたようです。

スパルタとアテナイは、そんな関係にあったので、優れた立派な人物であるペリクレスをバカにするような人間は、スパルタ人ぐらいだし、彼らの意見は参考にならないと言いたかったのでしょう。
では、カリクレスの言う通り、実際にペリクレスは優れた立派な人物だったのでしょうか。 それは、彼の人生を客観的に見てみればわかります。