だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第110回【ソクラテスの弁明】秩序を軽んじた罪 前編

広告

目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

▼▼Apple Podcast▼▼

podcasts.apple.com

▼▼Spotify▼▼

open.spotify.com

noteについて

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.com

▼▼youtubeチャンネル登録はこちら▼▼

youtubeでは、音声コンテンツでは聞けないバックナンバーも聞くことが出来ます。
だぶるばいせっぷす - YouTubewww.youtube.com
youtu.be

前回のリンク

kimniy8.hatenablog.com

前回までの話を簡単に振り返ると、ソクラテスによって恥をかかされたと思った人達の思いを代弁する形で、政治的権力を持っているアニュトスが後ろ盾になり、メレトスが代表となってソクラテスを訴えました。
ただ、この訴えは、『ソクラテス憎し!』という感情だけが先走った訴えだった為、メレトスの主張はソクラテスによって全て論破されることになります。
普通であれば、ソクラテスの完全勝利で終わりそうな裁判だと思われますが、それでもソクラテスが劣勢に立たされているのは、ソクラテスが多くの人から恨まれているからです。

裁判官のアレテー

殆どの人々は、物事を良く知らないにも関わらず、知った気になっています。
そして、面白いことに、物事をよく知らない人であればあるほど、プライドが異常に高く、自分のことを優れた人間だと過大評価し、自分と違う意見を持つ人間を馬鹿にしがちです。
ソクラテスは、そういった人達に対して、『あなたは何も知らないのではないですか?』といったことを論理的に伝えるという活動を数十年もの間おこなっていた為、多くの人から憎まれていました。

そんな、ソクラテスに無知だと認定された人達が、少なくない割合で裁判官に選ばれていた為、事実うんぬんの話ではなく、感情論でソクラテスに対してギャフンと言わせたいという雰囲気が、彼の立場を悪くしたんだと思われます。
彼に無知だと認定された人達は、ソクラテスを死刑に出来る権利を手にしたことによって、これまでの恨みを晴らそうとしています。
出来ることなら、ソクラテスがなりふり構わずに泣きじゃくって、命乞いをする姿を見てみたいし、そうさせた上で、死刑をチラつかせて精神的優位な立場に立ちたいと思っています。

しかしソクラテスは、毅然とした態度で『そんなことはしない!』と言い放ちます。
何故なら、彼に言わせるなら、そのような行為そのものが不正行為であって、褒められた行動ではないからです。
裁判官の本分は、目の前の事実のみで、真偽を見極めて正しい判決を下すことです。 その立場には本来、権力はなく、裁判官は、国のシステムによって判決を下すという役割を与えられているだけに過ぎません。

裁判官に抽選で選ばれたからと言って、偉いわけでもなく、人よりも優れているわけではありません。
裁判官として優れている人物というのは、自分の感情を度外視して、自分に割り当てられた役割をまっとうする人間のことです。 それこそが、裁判官のアレテーです。
ソクラテスは、自分が置かれている立場や、裁判官たちの一定割合が自分にどの様な感情を抱いているのかを知った上で、敢えて、自分に良からぬ感情を持つ人達を挑発するような言い方で、『裁判官としての仕事を全うしろ!』と主張します。

軽視される秩序

そうした状況で、判決が下されることになります。
結果は、60票差でソクラテスの有罪が決まります。
差が60票ということは、30人の人間が心変わりをして無罪に投票していれば、ソクラテスは無罪になっていた可能性が有るということです。

裁判官が500人いることを考えれば、僅差と言える投票差と言えるでしょう。
ソクラテスは、もっと大差がついて負けると思っていたようですが、予想外の結果に、少し驚きます。
この描写からも、ソクラテスは端から助かる気はなく、この裁判で死ぬことを前提として行動していると思われます。

刑罰の判定

次に裁判は、刑罰を決める段階に入ります。
この当時の裁判は、裁判官が自分たちで話し合って、罪に応じた刑罰を決めるのではなく、訴えた人間と訴えられた人間が、それぞれ、自分が犯した罪にふさわしいと思う刑罰を主張し、それを裁判官による投票で決めるというシステムです。
今回の裁判でいえば、訴えたメレトスが妥当だと思う刑罰を提案し、ソクラテスの方も、同じく刑罰を提案し、どちらの刑罰がふさわしいのかを裁判官が投票で決めるというシステムです。

メレトスは当然のように、最も重い死刑を望みます。
メレトス側からすれば、裁判で自分が勝った為、目的の大半は達成済みです。 後は、ソクラテスに対して重すぎる刑罰を主張し、彼が怯える姿でも観て楽しもうと思ったのでしょう。
仮にソクラテスが、懲役刑や国外追放を主張し、それが採用されたとしても、文句はないと思われます。

目障りなソクラテスアテナイから出ていってくれるわけですし、彼を罪人に仕立て上げた事で、彼の発言の信用力を下げることが出来ました。
もし、誰かに、ソクラテスにバカにされた過去を指摘されたとしても、『罪人のソクラテスの意見を信じるのか?』と言い返すことが出来ます。
仮にメレトスの主張が通って、ソクラテスが死刑になったとしても、メレトスがソクラテスを殺すわけではありません。 最終判断を下したのは、あくまでも、裁判官であって、メレトスは提案をしただけです。

刑が執行されてソクラテスが死んだとしても、メレトスは『自分が殺したんじゃない、決断したのは裁判官たちだ』と思い込む事で、裁判官たちに責任を押し付けることが出来ます。

ソクラテスの反撃

メレトスにとっては、有罪判決が出た時点で、この先の展開がどの様に転ぼうがどうでも良い事ですし、彼の中での裁判は終わったという印象だったんでしょうが…
ここでソクラテスが予想外の行動に出ます。 行動というよりも、彼が提案した刑罰が、とんでもないものでした。
その、提案というのが『迎賓館での食事』という刑罰です。

ソクラテスに言わせるなら、自分で刑罰を提案して主張するということは、自分が不正行為をしたことを認めるということに他なりません。
しかし彼は、『自分はアテナイ人の為を思って、国の為に、良かれと思って行動している。』と一貫して主張しています。
自分が暮らしている国の先行きを心配し、そこで暮らしている人達の幸福を願って行動しているのに、何故、刑罰を受け入れなければならないのか、何故、国を追放されなければならないのか。その、理由がありません。

むしろ、私は国の為によく働いたんだから、国は迎賓館で食事でも振る舞うべきなんじゃないのかと主張します。
ここで困ってしまうのが、メレトスや裁判官たちです。

仮にソクラテスが、自分の命が助かりたい一心で、例えば、国外追放を提案してくれていれば、裁判官たちは国外追放を選べば裁判は終了です。
国外追放という罪はソクラテス自身が提案したわけですから、それを選んだとしても罪悪感はありません。 何故なら、ソクラテス自身が、自分の罪に釣り合う罪状は国外追放だと主張したわけですから。
裁判官たちは、メレトスの主張する死刑か、ソクラテスの主張する国外追放の2択を迫られているわけですから、その2つのうちの軽い方を選ぶのに精神的負担はありません。

しかし、ソクラテスが迎賓館での食事という、刑罰とは呼べないものを提案してしまった為に、裁判官たちは自らの意思で死刑を選択し、ソクラテスを殺すという決断をしなければならない状態に追い込まれました。
また、追い込まれたのは裁判官たちだけでなく、メレトスも同じです。 何故なら、メレトスが死刑を提案しなければ、ソクラテスは死なずに済む状況だったからです。
ソクラテスは、自分の主張が絶対に選ばれることのない様な内容にすることで、提案したメレトスと、その意見を採用する裁判官自身に、『罪を犯していない人間を、自らの意思で殺す。』という逃れられない責任を押し付けたことになります。

秩序を軽んじた罪

この責任から逃れるためには、ソクラテスが主張した迎賓館での食事という褒美を選ばなければなりませんが、それを選ぶと、先程、下した有罪判決の意味がなくなってしまいます。
仮に、メレトスや裁判官たちが、自分の感情に左右されずに、秩序を守るという行動を選択できるような人間であれば、この裁判はそもそも開かれてはないでしょうし、開かれていたとしても、判決は無罪になっていたでしょう。
しかし両者は、ソクラテスにギャフンと言わせたい一心で、感情を優先させて裁判を私物化してしまいました。

その結果として彼らは、自分たちの決断によって、一人の人間を、自分たちの決断によって殺さなければならない状況に追い込まれます。
ソクラテスは、この様な状況を作り上げた上で、この様な提案をした理由を語り始めます。


参考文献