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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第133回【アルキビアデス】完璧超人アルキビアデス 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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対話篇【アルキビアデス】

今回からはプラトンが書いた対話篇、アルキビアデスを読み解いていきます。
プラトンが書く対話篇のタイトルは多くが対話相手となる人物の名前がタイトルとなっていますが、今回の作品もそれに当てはまり、本の中ではアルキビアデスとソクラテスとの対話が行われています。

少し話がそれますが、この作品ですが、本当にプラトンが書いたのかどうかが疑われていたりもする様です。
本当にプラトンが書いたのか、別の人物が彼になりすまして書いた偽物なのかはわかりませんが… 私自身はそこにはあまり興味がないので、この場ではその事については深入りしないことにします。
なぜ興味がないのかというと、その事がわかったからといって、作品の内容や、それを受けての読み手が考える事というのは変化しない様に思うからです。

ここでは、ここ最近はプラトンの作品ばかりを取り上げてきましたが、このコンテンツはプラトンの作品を専門で紹介するためのコンテンツではなく、哲学を学ぶことで私やリスナーの方に考える機会を作ることを目的として配信しています。
そういう意味では、書いた人間が本当にプラトンかどうかは、この番組にとっては関係がありませんので、この辺りのことについては深く考えません。
この辺りのことを詳しく知りたい方は、私が参考にした書籍をご自身で読んでみることをお勧めします。 その本のリンクは、概要欄に貼り付けておきます。

入門編としての対話篇

そんなこの作品ですが、前に取り扱ったメノンと同様に、入門編として勧められていたりもします。
そのためか、他の作品と比べても読みやすく、内容そのものも、それほど難しくない作品です。 哲学書をまだ読まれたことがない方は、この作品から読んでみるのも良いかもしれません。
入門編ということで、これまでに紹介した理論や理屈も多く登場するので、このコンテンツをはじめから通して聞かれている方は、聞いたことがあるような話ばかりだと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、ここで語られていることは基本的なことばかりです。どの分野の勉強にも言えることですが、基本が一番大切だと思いますので、聞いたことがあると思われている方でも復習がてら聞いてもらえると嬉しいです。

人物としてのアルキビアデス

話題が対話篇からそれてしまったので、対話篇の方に話を戻しますと…

アルキビアデスという名前については、このコンテンツを連続して聞かれている方は聞き覚えがあると思います。
彼の名前はこのコンテンツでも何度か出てきていますが、一番最近だと、前回に取り扱った饗宴で登場します。
前回紹介した饗宴という対話篇は、宴会で盛り上がるための余興として行われたゲームを通して、エロスについて考えていく作品でした。

これまでに紹介してきた対話篇では、少数の人物間での話し合いが描写されることが多かったですが、饗宴では内容の性質上、かなりの人物が登場し、持論を展開しました。
今回メインの話し相手となるアルキビアデスは、エロスについての討論が終わったあとで、宴会に呼ばれてもいないのに登場し、ソクラテスに対して憎まれ口を叩きながらも彼を絶賛した人物です。

ソクラテスとアルキビアデス

何故、ソクラテスに憎まれ口を叩いていたのかというと、ソクラテスに対して好意を持っていて彼にアプローチをしたのにも関わらず、振り向いてもらえなかったからです。

古代ギリシャでは、髭が生えるまでの少年は、自分が尊敬する知恵を持つ人に教えを受け、その行為に対して代償を体で払うという行為が行われていたようです。
アルキビアデスは自他共もに認める美貌の持ち主で野心家だったため、多くの賢者を論破していたソクラテスから教えを授かって賢者になろうとしていたのでしょう。
彼はソクラテスの興味を惹こうとアプローチを続けますが、彼が一向に振り向いてくれないため、プライドが傷つけられて拗ねてしまったというわけです。

そのため、彼を手放しで称賛する行為は彼のプライドが許さず出来ないのですが、ソクラテスへの尊敬が無くなったわけではないため、貶めるようなことが出来るのかというと、それも出来ません。
結果として、憎まれ口を叩くのだけれども、その内容はソクラテスを絶賛しているというなんとも可愛らしい態度になってしまったというわけです。
饗宴での彼の主張やソクラテスについての評価は、今回の本題ではないため話しませんが、興味のある方は饗宴を取り扱った回を聞いてみてください。

対話篇の概略

というわけで前置きが長くなってしまいましたが、本題に入っていきます。
この『アルキビアデス』という対話篇では、アルキビアデスとの対話を通して人間の本質について迫っていきます。

物凄く簡単に対話篇全体の内容を説明しますと、野心家のアルキビアデスは、最終的には国を統治したいと思っています。
そのための1歩として、政治家になることを目指します。
この政治家になろうとする青年に対して、政治家とは何か、統治者とは何かを問いただすことで、人間の本質を探っていきます。

政治家について

何故、政治について語ることが人間の本質を探ることにつながるのかというと、人は政治に良さを求めるからです。
人は単独で生きていける生物ではなく、絶えず他人との関わりを持って生きていく社会的な動物です。
その社会をどのように運営していくのかを考えて実行するのが政治家ですが、この政治家には良い政治が求められます。

政治家が良い政治を行うためには、当然のことながら、国民が考える『良さ』『良い国のあり方』『良い統治の仕方』そのための『良い法律』というのを理解していなければなりません。
何故なら、政治家というのは決断するのが仕事ですが、良い結果がどの方向にあるのかがわからなければ、その決断ができないからです。
また、政治家は下せる決断の重要性に応じて役職のようなものがありますが、正しい国家運営を行う場合は、上の役職の人たちは優秀な人でなければなりません。

何故なら、優秀でない者に正しく重い決断は下せないからです。
つまり、政治家として上を目指せば目指すほど、その上を目指す人物は他人よりも優れていなければならないということになります。
では、優れているとは何なのか。 一般人と指導者ではどこが違うのか。 その差を比べてみれば、『人の良さ』『人の本質』が分かるというわけです。

幸せになる方法

人の人生の最終到達地点が『幸せになること』であるとするのなら、その手段は『良くあること』です。
悪い人たちは周りに害悪を振りまくから悪い人たちで、良い人たちは接する人々を良くしようとするから良い人であるとした場合。
悪い人や劣った人の周りには良い人達が集まらず、良い人たちは同じく良い人達同士で集まろうとします。

何故なら、良い優れた人というのは物事の善悪を見極めることが出来るため、自分に悪影響を与える人を見極めることが出来ます。
そういう人達は悪い人たちをそばに置いておいても碌な事はないと知っているため、こういう人たちからは距離を取ります。
また物事を見極める目を持つ人は、自分に好影響を与える人を見抜く目も持っています。 その為、そういう人を見つけた場合は親しくなろうとします。

参考文献