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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第129回【饗宴】真に美しいのはソクラテス 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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勇敢なソクラテス

他には、ソクラテスは複数回戦争に赴いて、全て生還しているのですが、そのうち1回は撤退戦ででした。
撤退戦なので当然、ソクラテスが属しているアテナイ軍が負けていて、敵が優勢になっているわけで、場合によっては残党狩りなんてことにもなっていたでしょう。

同じ軍に派遣されていたアルキビアデスは、騎兵だったためにいざとなったら逃げやすい状態だったのですが、それに対してソクラテスは歩兵だったため、逃げることが難しい状態でした。
普通ならパニックになるところですが、ソクラテスは焦ることもせず、怪我を負って逃げることが出来ない仲間をかばうという事もしていたようです。
その姿があまりに自身にあふれて堂々としていたため、敵ですら『この人物に関わると自分たちが危険な目に合う』と思い、避けていったようです。

結果として、ソクラテスが属していた部隊は生き残ることが出来たようで、アルキビアデスは部隊を代表して勲章をもらうことになるのですが・・・
アルキビアデスは、その戦争で起こったことを上司に正確に伝え、ソクラテスこそが評価されるべきだと訴えたそうですが、ソクラテスはそれを辞退し、アルキビアデスに手柄を譲ったそうです。

この話から分かることは、ソクラテスは人々を魅了することができるほどの知性を持ち、戦場では、不利な状況にも関わらず、怪我を負った仲間を見捨てずに敵に立ち向かう。
そして、他人から称賛されることを望まず、手柄を他人に平気で譲る様な人物です。それに加え、ソクラテスは美しい容姿を持つアルキビアデスの誘惑に打ち勝てる節制を持っています。
これらのことからソクラテスは、知性と勇気と節制を持ち合わせている人物だということがわかります。

アルキビアデスという存在

これらの発言によって、ソクラテスがすごい人だということはよく分かったのですが、では何故、アルキビアデスは、呼ばれてもいない饗宴にわざわざやってきて、この様な事をいったのでしょうか。
これがドキュメント番組であれば、アルキビアデスという常に酒を飲んでいて騒動を起こす様な人物が急に入ってくるというのは、有り得る話です。
何故ならドキュメント番組は、事実に基づいた番組制作を行っていくジャンルなので、制作が意図しない様な出来事が起こってしまうこともあるからです。

しかしこれは、プラトンが書いた作品で、事実をそのまま書き起こした作品ではなく、ソクラテスの主張や、彼から学んだプラトンの主張を世間一般に分かりやすく伝えるために書かれたものです。
この作品が事実をそのまま反映させたものではなく、プラトンによって作られた作品であるのなら、このアルキビアデスの登場も、何らかの意図があるはずです。
では彼の登場に、どの様な意図があるのでしょうか。

この饗宴とは

この饗宴という対話編ですが、もともとは、一定のルールによって登場人物が自分の主張を述べていくものでした。
そのルールとは、エロスの賛美です。 エロスという概念を、どの様に捉えて、どの様に賛美するのかというゲームをしていくというのが、この対話篇の大まかなストーリーです。
ソクラテス以外の登場人物は、そのルールに則って、各自、自分が思い描いているエロスの概念について説明をし、次いで、そのエロスが何故、素晴らしいのかについて語っていきます。

この各自の主張ですが、前にもいったと思うので繰り返しになりますが、各登場人物がそれぞれ持っていた当人の主張というよりも、古代ギリシャで既に広まっていたエロスに対する概念を、それぞれのキャラクターが自身の主張として述べています。
その、世間一般で伝えられているエロス像に対し、ソクラテスがディオティマの説を代弁する形で述べているというのが、この饗宴という作品です。
何故、ソクラテス自身の主張ではなく、ディオティマという巫女の主張をソクラテスが代弁する形になっているのかというと、ソクラテスはエロスがどのようなものかを知らないからです。

彼は、自身が死ぬ原因になった裁判でも、自分自身が無知であることを主張していますので、時間的にそれより前の出来事を綴っている、この饗宴でも、当然、エロスについてなんて知りません。
しかし、物事を知らないものが、他人の意見に対して間違っているなんてことはいえません。 それを言う場合は、より正しいと思われる主張を行わなければ、相手は納得しないでしょう。
そこでプラトンは、究極のエロスに到達した人物であるディオティマを登場させ、その者からエロスについて教えてもらったとして、ソクラテスに代弁させているのでしょう。

無知であるソクラテス自身には、ディオティマから教えてもらったエロスの正体が正しいかどうかは分かりませんが…
過去に取り扱った対話篇メノンによると、知識を持たない者同士で話し合ったとしても、どちらの説が正しいかどうかは見分けがつくという話でした。
その為、ソクラテスは饗宴で行われたゲームの参加者の主張とディオティマの主張を比べた上で、ディオティマの主張のほうが正しいだろうとして、彼女の主張を代弁したと思われます。

真に美しいのはソクラテス

つまり、この場で行われていたことは、エロスの研究であり、エロスの賛美であるわけです。
そこへ、アルキビアデスが登場して、ソクラテスの賛美を始め、彼が何故、素晴らしいのかについて熱弁し始めます。
この流れから考えて、おそらくですが、アルキビアデスが急に空気を読まずに演説を始めたというよりも、アルキビアデス自身も、エロスについての研究と賛美をしているとおもわれます。

つまりは、アルキビアデスはソクラテスこそがエロスの化身であり、彼こそが素晴らしいといっているんだと思われます。
では何故、最後になってアルキビアデスという人物を使って、ソクラテスを持ち上げたのかというと、エロスに対する誤解を無くすためでしょう。

エロスというのは、美しさを象徴する神なので、ここまでエロスについて探求してきたとしても、『外見的な美しさ』という分かりやすいイメージからは脱却できません。
そこで、より具体的に美しさをイメージできるようにと、ソクラテスのイメージと重ねたのでしょう。ソクラテスは、対話篇のメノンでもその外見について触れられていますが、シビレエイのような人だと例えられています。
これは、外見的な要素と、かかわり合いになるもの全てを思考停止にしてしまうというのを合わせてシビレエイと表現しているのですが、外見的な要素に絞っていえば、美形とはいえない人物です。しかし内面は優れています。

エロスとは

一方でアルキビアデスは、美しい外見をしています。
また、家柄や才能に恵まれ、出世欲を持ち、それに必要な努力を惜しまないため、知性も地位も資産も人望も備えた人物で、物事を深く考えない人にとっては、彼こそがエロスを宿した人物だと思われる様な人です。
アルキビアデスがここまで優れているのに、アレテーを宿していないのかというと、宿していません。それは、彼の人生を見てみればわかります。

彼は、アテナイとスパルタが戦争に入った際に、アテナイの情報を持ってスパルタに亡命してスパルタで要職につき、アテナイを敗北に追い込み、次はスパルタ情報を集め、その情報をアテナイに売ってアテナイで要職につくなどしています。
色恋も盛んだった彼は、『最終的には恋人に殺された』とも『政治関連で暗殺された』とも言われていますが、この様な最後を迎える人物をアレテーを宿した人だとは言いません。
しかしそんな、美貌も金も地位も家系も人脈も持つ彼が、手に入れることができなかったものがソクラテスで、ソクラテスにプライドを傷つけられたにもかかわらず、アルキビアデスはソクラテスを絶賛しています。

つまりエロスとは、見た目でも金でも地位でも家系でも無いと言うことです。何故なら、その全てを持っているアルキビアデスは、エロスの化身ではないからです。
ソクラテスにあって、アルキビアデスに無いもの。その差が、エロスになるんだと思います。
長く続いてきた饗宴の読み解きですが、今回が最期となります。 次回からは、饗宴のまとめ回を行っていきます。

参考文献