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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第132回【饗宴】まとめ回(3) 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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幸福になるための手段

では、この『知識』という部分を『善い』という言葉に変えてみると、どうなるでしょうか。
『知識』の部分に『善』を代入すると、完全な悪ではなく、完全な善でもない中間の者が、今よりも善くなりたいと思い、自分の持つ知識を使って『善』を追求するという様に言い換えることが出来ます。
ではこの者は何故、『善』を追求するのでしょうか。

以前の対話篇では、ソクラテスがアレテーについて考えた際に、この同じ質問に対して『幸せになるために』と答えています。
この時のソクラテスの答えは、そのまま今回のエロスについても当てはまり、エロスは『幸福』を求めて美しさを追求することとなります。

エロスは幸福になるために愛情を求め、それを手に入れようとします。
これは、愛情そのものを手に入れるのが最終目的ではなく、その先に、それを手に入れることで自身が幸福になるという最終目標があるということです。
そしてこの様な感情は、全ての人間が宿している感情ともいえます。 つまり人は、幸福になるための手段として、美しさを手に入れたいということです。

人が行動を起こす原因を追求すれば、最終的には自愛を求め、幸福を手に入れたいという欲求に行き着きます。
これの感情こそが、人間が感情を起こす全ての行動のトリガーとなります。
つまり、人が取る行動は全て、愛情を手に入れたいからだと言いかえることが出来るということです。

幸福とは『子をなすこと』

では、エロスが真に求めている『幸福』とは、どのようなものでしょうか。どのようにして達成されるものなのでしょうか。
それは、『子を成すこと』によって達成されます。 この『子供』というのは、単なる人間の子供という狭い定義のものではなく、2つのものが合わさって新たに誕生するもの全般のことを指します。
何故、『子を成すこと』が幸福に繋がるのかと言うと、これによって、人間単独では克服することが出来ない時間を克服することが出来るようになるからです。

例えば、男女間の間に生まれる人間の子供で考えるのであれば、その子供が更に子供を生み、更にその子が子供を産み…というのを繰り返していくことで、自分のDNA情報を自分が死んだ後の未来につなげていくことが出来ます。
これは人の子という物質的なものだけでなく、人の持つ知識や思想なども同じことがいえます。自分が得た経験や、それによる知識を他のものに語り継げば、その思想は時代を超えて伝播していきます。
また、自分の考えとは違う考えを持つものと討論をすることで、2つの思想は融合して1段階上の別の新たな知識となり、その優れた知識は、優れているが故に、後々まで語り継がれやすくなるでしょう。

生きるのに不自由しなくなった人が、金以外の名誉を求めるのも同じ理由です。
この対話編に登場するソクラテスもそうですが、名誉ある偉大なものというのは、時代を超えて語り継がれていきます。このソクラテスの名前も、2500年たった今現在でも語り継がれていますし、これから先も語り継がれるでしょう。
人が名誉を求めるのは、肉体が死んでも、自分という存在が概念化して永久に人々の知識の中で生き続けるためで、言い方を変えれば、自己の存在を永遠のものにするためです。

不死性を可能にする人間社会

この様に人は、人生という限られた時間という制約を打ち破るために、不死性を求めて子を成そうとします。
もし、私達の人間社会が、死んだ人間のことを一切合切忘れて、どんな人間であろうとも、死ねばその存在ごと消えてしまうようなものであれば、人は不死性を求める様な行動を取らないでしょう。
しかし人は社会を作り、それぞれの人が生み出した知識や思想を次の世代に持ち越すため、人はその社会の中での不死性を獲得できます。

となると重要になってくるのが、人間が作る社会となってきます。
この重要な人間社会を継続させていくために、どの様な知識が一番重要かといえば、それは『正義』と『節制』です。何故なら、これらが無ければ人間社会は保つことが出来ず、すぐにでも、それぞれの人が持つ欲望によって崩壊してしまうからです。
この崩壊を防ぐためには秩序が必要で、その秩序を成立させるために必要なのが、欲望を抑え込むための節制と、正義です。

長く続く人間社会で育つものは、社会から正義と節制を教え込まれる事になり、そのようにして正しく育った人間は、適齢期になると『子を成そう』とします。
つまり、恋愛をして子供を作ったり、違う価値観のものと交流をすることで、新たな思想を生み出していきます。
このようにして生み出された子供は、生み出した親たちよりも価値があるものであるため、親たちは、より美しく不死に近い存在である子供を親である自分たちよりも優先して守ろうとします。

アルキビアデス

このようにして、ソクラテスがディオティマの主張を紹介していると、呼ばれてもいないアルキビアデスが登場して、饗宴の場を荒らします。
この人物は、容姿は美しく、その容姿を活かして人脈を広げ、それを活かして、後に政治の世界で影響力を持つようになり、アテナイとスパルタの戦争に大きな影響を与えた人物です。
この終盤になって、権力もあり、家柄も富もあり、美しさも備えているアルキビアデスが登場したのは、エロスに対する根強い誤解を解くためだと思われます。

どの様な誤解かというと、エロス=美しい者という誤解です。 人間は、美しさと聞くとどうしても、イメージしやすい姿形である造形美の方を想像してしまいがちです。
つまり、テレビや映画で見る人たちの様な、単に顔や見た目、雰囲気が良い人のことを『美しい』と思ってしまうという誤解です。

この様に誤解してしまうと、金も権力も知識も持ち、その上、外見的な美しさすらも兼ね備えているアルキビアデスこそが、エロスに祝福された人物だと誤解されてしまいます。
しかし実際には、この対話編ではアルキビアデスはエロスに祝福を受けた美しい人とはされておらず、この外見的に美しいアルキビアデスから、外見的には醜いとされていたソクラテスが褒められ続けるという展開になっています。
つまり、外見的に優れているアルキビアデスの目には、ソクラテスこそがエロスに祝福された人物だと映っているわけです。

美しさは見た目ではない

ソクラテスは、負け戦の撤退戦の状況で、傷ついた仲間を守るために戦場を逃げ出さず敵を撃退し、所属している隊を無事に帰国させたのに、その手柄を全てアルキビアデスに譲る様な人物です。
この行動からは、勇気と節制、正義を兼ね備えていることがわかりますが、それに加えてソクラテスは、賢者たちを論破し続けてきた知識も持っています。
その様な人物であれば、金も権力も知性も、外見的な美しさも兼ね備えているアルキビアデスの様な人物ですら、敵わないということなのでしょう。

つまり、真の美しさとは外見のことではなく、魂の美しさに依存しているということです。
ということで、これで饗宴のまとめ回は終了です。 次回は、この饗宴の最後に登場したアルキビアデスがメインの対話編を取り扱っていきます。

参考文献