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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第140回【アルキビアデス】無知を自覚する目的 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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身分に関わらず人は知識を持っていない


しかしここまで言われても、アルキビアデスはあまりピンときません。 というのも、どの国の政治家たちも自分たちが無知であることすら気づかず、そのために努力も鍛錬も探求もしていない様に思えるからです。

他のポリスの王様やペルシャの大王も、その無能達の中のトップに過ぎないので、彼らに勝つために特別な能力などは必要がないということです。
この回の冒頭部分で、ソクラテスたちが住むアテナイの代表者であるペリクレスは賢者かもしれないと言いましたが、では彼が善悪を見極める知識を本当に持っていたかといえば、それは結構疑わしかったりします。
というのも、知識というのは主観的なものではなく客観的なものと考えられるので、知識は他人に伝えることができると考えられます。

知識が自分の主観でしか理解できない仏教の悟りのようなものであるのなら、他人には伝えられず悟った人間にしか理解はできないでしょうけれども、知識というのはそういったものではなく誰の目から見ても分かるものを知識と呼びます。
そのため、順を追ってレクチャーされれば、多くのものが理解できるというものを知識と呼びます。
もし仮に善悪を見極める能力というものが知識として存在していて、ペリクレスがそれを探求の果に身につけることができているとするのであれば、彼の関係者は彼からその知識を教えてもらうことで、彼と同じ知識を身につけることができるはずです。

ペリクレスには2人の子供がいますが、ペリクレスが善悪を見極める知識を持っている卓越した者で善人であるのなら、自分の子供を幸福にしようと、その知識を教えるはずです。
しかしペリクレスの子供が彼と同じような知識を身に着け、卓越したものになったのかといえば、そうはなっていません。 一部では彼らのことを愚か者と評する人もいるぐらいです。
つまりペリクレスは、知識ではない何らかの判断基準を持っていた可能性はありますが、善悪を見極める知識を持っていたかといえば、持っていない可能性が高いと考えられるわけです。

こうして考えれば、ソクラテスが『こうなるべきだ!』と掲げる理想的な人物はこの世にはいない事になるので、そんな高みを目指して真理を探求する旅などに出る必要はなく、その知識がないままに政治家になれば良いというのがアルキビアデスの意見です。

では優れた人間とは、どの様な人なのか


このようにアルキビアデスは、優秀な政治家になるためには現時点での自分の能力で十分だと考えているため、ソクラテスは別の視点から、どの様な人が優れた人なのかをアルキビアデスに考えさせるために質問を投げかけます。

アルキビアデスは、自身の生まれに絶対的な自信を持っているので、そんな彼に対してソクラテスはまず、『優れた人間は位の高い一族に生まれるか、それとも一般人やそれ以下の層に生まれるか、どちらだろうか』と質問を投げかけます。
これに対してアルキビアデスは当然、高貴な一族に生まれると答えます。 生まれの良さはアルキビアデスのアイデンティティの一つともいえるので、当然、このように答えます。

続いてソクラテスは、『では、生まれの良いものが良い教育を受ければ、アレテーを身に着けた卓越した人間になれる可能性が高いのだろうか』と聞くと、これについてもアルキビアデスは同意します。
これらの質問によって、人の卓越性というのは生まれの良さという前提があった上で努力した人間が素晴らしいというように単純化されたわけですが、では、このモデルを使ってアルキビアデスが他と比べて素晴らしい人間かどうかを観ていきます。

ペルシャの大王


先程アルキビアデスは、ペルシャの大王や他のポリスの王様達も等しく知識を身に着けていない愚か者だといったニュアンスのことを言いましたが、では、ペルシャの大王の生まれはどうなんでしょうか。
ペルシャの大王は、選挙によって国民から選ばれるわけではなく、王様の子供として生まれてきた長男がなります。 つまり、ペルシャの大王は皆、王子様として生まれるわけです。
王子は将来の王として英才教育が施されますが、その教育に携わる教師もまた、当然のことながら最高の教師が選ばれてその職に付きます。

つまり、ペルシャの大王は未来の王様として王族の家系で生まれ、生まれたときから最高の教師に英才教育を施されているということです。
また、ペルシャの王族は見た目の美しさにも気を使います。 子供の頃から矯正できる部分は矯正して体を美しくすることはもちろん、衣服や香水にも気を使います。
アジアで最高峰の衣装や香水を身に着け、見るものを圧倒する美しさを備えることで王としての貫禄を見せつけようとします。

この様な王族の努力の結果、ペルシャ市民たちは王子が生まれたときから未来の王様として接するようになります。
ペルシャの王というのは、このように生まれながらに選ばれし者がなるべくしてなるわけですから、市民が『大王になろう』と思うことすらしませんし、王家の血筋以外から王が誕生する事を想像すらしません。

アルキビアデスの生い立ち


一方でアルキビアデスはどうでしょうか。 彼は、自身の生まれにそれなりの自信を持ってはいますが、では一国の王の子供として生まれたのかというと、そんな事はありません。
この対話篇でソクラテスと話している時点では、アテナイの市民権すら持っていない人間です。
そんな彼はアテナイの最高指導者が後継人になってくれてはいますが、その最高指導者であるペリクレスはアルキビアデスの付き人として、それほど大した教育を受けていない召使いをつけているだけです。

そんなアルキビアデスですから、当然、アテナイ人で彼の将来を気にかけてくれる人間なんて彼の知人ぐらいのもので、国全体が彼に期待を寄せるなんてことはありません。
逆に言えばこんな状態だからこそ、アルキビアデスはアテナイで政治家になるために、市民たちに対して自分自身を売り込むために台頭演説をしなければならないわけです。
これはアルキビアデスの自慢の一つである美しさも同じで、アルキビアデスは美しいといっても天然物の美しさによって身近なものを魅了する程度で、衣服などの演出込で総合的に判断すると、ペルシャの大王にはボロ負け状態です。

この様に、アルキビアデスはペルシャの大王と比べると、生まれ・教育・美しさで劣ってしまっているわけですが、では彼が最後によりどころにする実家の太さで比べるとどうでしょうか。
これは考えるまでもありませんが、ペルシャという大国の大王と、ギリシャの中のいちポリスの中に収まっている資産家とは比べるまでもなく、ペルシャの大王のほうがお金持ちです。
今で言うなら、業績の良い中小企業のオーナー社長と石油王の資産を比べるようなもので、そもそも同じ土台で考えるほうがおかしいレベルです。

両者を比べると…


こうしてひとつひとつ見ていくと、アルキビアデスとペルシャの大王との間には、哀れになるほどの差があります。
もし、ペルシャの大王に何らかの方法で勝とうと思うのであれば、地位や財産では到底勝ち目はないため、唯一の方法は彼らよりも勉強をして知識をつけ、賢くなることだけです。
持たざるものが、物質的な財産を何でも持っている者に勝とうと思うのであれば、知識を磨く以外に勝つ方法はありません。

しかしアルキビアデスは先程、『誰もが善悪を見極める知識なんて持っていないんだから、私も同じ様に持たなくても良いし、そんな努力をする必要もない』と言ってしまっています。
では何を頼りに、アルキビアデスはペルシャの大王というライバルに勝とうというのでしょうか。アルキビアデスはどうすればよいのでしょうか。
これについては第三部で語られますが、それは次回に話していきます。

参考文献