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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第149回【アルキビアデス】まとめ3 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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アルキビアデスの最終目標


というのも、アルキビアデスの目指しているところは普通の人が抱くような一般的な生活ではなく、覇者となって大帝国を築ことだからです。
それを実現させるためには、まずギリシャを統一し、隣国のペルシャを攻め滅ぼして制圧し、王として認められなければなりません。

それほどの野望を成し遂げるためには、それ相応の知識が必要だというのが、ソクラテスの言い分です。というのも、もし知識無しで他の王族と張り合おうと思うのであれば、彼らの土俵で勝負しなければならないからです。
彼らの土俵とは、支配している領土や人脈や、財産とそれらを誇示するような豪華な服飾、つまりは見た目の美しさのことですが、アルキビアデスの『それ』は世界の王様どころかギリシャ内の他のポリスの王たちの足元にも及びません。
いくらアルキビアデスの親が資産家だからといって、例えばスパルタの王様よりもお金持ちで人脈が有るのかと言われれば、そんなことはありません。

それほどの財産や人脈が有るのであれば、既にどこかのポリスの王様になっていても不思議ではありませんが、彼の家族はどこかを支配しているわけではありません。
何なら、アルキビアデスは政治家になるために、身分に関係なく政治家に成れる可能性のある民主主義国家のアテナイにやってきた人物ですし、この時点では市民権すらありません。
つまりアルキビアデスがこれまでに所有しているといって自慢してきたものは、庶民の中ではそれなりに凄いものでは有るけれども、王族のそれとは比べ物にはならない程度のものだということです。

この当時大帝国だったペルシャと比べれば、アルキビアデスは何も持っていないに等しい為、それなら誰もが身に着けていないような知識ぐらい身につけていないと、彼らと同じ土俵に立つことは出来ないというのが、ソクラテスの言い分です。
これは今現在の社会に当てはめても同じことなので、理解しやすいと思います。 人脈も金も持たない人間が成り上がろうと思うのであれば、他の人が持ってないような知識や技術を身に着けなければ、スタートラインに立つことすら出来ません。
逆に言えば、それらを持ってさえいれば、金だけ持っている資産家や人脈しか取り柄のない人よりも有利に立ち回ることが出来るということです。

どのような人間が優れているのだろうか


つまり、ギリシャの他の王族たちやペルシャの王様と比べると圧倒的に恵まれていないアルキビアデスであったとしても、彼らが持たない知識を持ってさえいれば、彼らに勝てる可能性があるということです。
例えば、仮にアルキビアデスがアテナイの代表になったとして、周辺の国々を傘下に収めるために必要なのは交渉力です。 この交渉力というのは、武力や経済力、そして知識といった様々な要因から成り立っていますが…
この中でも知識というのはかなり重要な役割を果たします。 知識というのは多くの人の尊敬を集め、それを持つものの言葉に力を与えます。

また、知識を手に入れるためには莫大な金もいりません。 必要なのは、探求に捧げる時間のみです。
これはつまり、知識をみにつけるという行動が、他の王たちと比べてあらゆる面で劣っているアルキビアデスに取っては、唯一、彼らに勝てる方法になるというわけです。
これに納得したアルキビアデスは、ソクラテスと共に善悪を見極めるための知識を探求し始めます。

知識について考えるために、多方面から『知識』について探っていきます。まず、ある物事を解明しようとしているが解明できていない人間と、そもそも何も勉強をしていない人間ですが、どちらが優れていると言えるでしょうか。
両者共に善悪を見極める方法を解明できていないという結果は変わらないですが、何も探求をしていない人間と比べると、探求している人間のほうが優れていそうです。
これはレースなど人例えるとわかりやすいですが、ゴールに向かって走っている人間と、スタート地点で座り込んで休憩している人間。どちらの方がゴールに近いかと問われれば、走っている人間の方がゴールに近いでしょう。

『支配する』とは


次に、知識というのは1つの事柄について身につければ良いのかについて考えていきます。 例えば、家を建てる技術や知識を持つ大工さんは、建築の知識を持っているからすべての面で優れているかというと、そうとは言えません。
大工さんは家を建てる為の知識はありますが、では人の体を治せるのかというと、それは直せません。つまり、特定の1分野の知識を持っていたところで、凄いのはその分野に限定されるということです。
では、建築についての知識を持つけれども、医学については無知なモノは、優れた者と同時に劣った者となってしまうのですが、このような事があり得るのでしょうか。 これに対してアルキビアデスは、『そんなことはないだろう』と主張します。

では彼にとって優れたものとは、どのような人間を指すのでしょうか。 これに対してアルキビアデスは『支配者こそが素晴らしい者だ』と主張します。
この発言によって、優れていることと支配できることは同じだということになったので、本当にそうなのかを考えていきます。

まず支配について考えていきますが、人を支配するとは人を自分の思い通りに動かすことと考えることが出来ます。 権力者である王様は、国民に一方的に命令できるから支配者であるわけです。
では命令できるのは王様だけかと言われれば、そうではありません。医学の知識を持つ医者は、それを持たない患者に対して言うことを聞かせることが出来ます。
建築の設計の知識を持つ人間は、それを持たない現場の人間に支持を出して言うとおりに動かすことが出来ます。つまり専門知識を持つ人間は、それらを持たない人間に対してその専門分野に限り、人を支配することが可能となります。

何の能力で支配するか


ということは人は、自分の専門分野に限定すれば、その専門知識を持たない人間を支配することができるけれども、自分が知らない分野においては支配されてしまうものだと言うことです。
つまり人は支配しながらも支配される存在だということです。 また、先程の『優れていると同時に劣っている存在』と同じような結果になってしまいました。
これに対してアルキビアデスは、互いに支配したりされたりするような者たちのことではなく、一方的に支配できる存在が優れたものだと主張します。 これは簡単に言えば独裁者のことなのでしょう。

ではこの独裁者は、何の知識を根拠にして一方的な支配を行えるというのでしょうか。 先程から言っているとおり、人が一方的に支配できる状態というのは、自分の専門分野のことに関してのみです。
仮に王族として生まれたところで、その者が無知であれば簡単に側近に支配されてしまうでしょうし、もしかしたら国民からクーデターを起こされてしまうかもしれません。自分の意志で支配するためには、何らかの知識が必要となるはずです。
これに対してアルキビアデスは、【上手く作戦を立てる能力】だと答えます。

これは他のことに例えてみればわかりやすいですが、例えばサッカーの監督は、細かいサッカーの知識は沢山あるのでしょうが、大雑把に言えば上手く作戦を立てる能力が求められます。
おそらく戦争の際の司令官でも同じでしょうし、その上の将軍でもそうでしょう。  そしてこれは、法律や他国との外交に関する仕事をする政治家にも当てはまるということです。
確かに言われてみればその様にも思えますが、では、政治家の場合のゴールは何になるのでしょうか。

この続きは、次回に話していきます。

参考文献