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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第141回【アルキビアデス】人を支配するとは 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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人を支配するとは


彼は、『優れた者とは、国民を支配できる立場になれる者のことだ』と主張します。
それに対してソクラテスは、支配とは何を指しているのかと質問をします。

例えば、医者は病気を患っている人間に、自分の助言通りの行動を行わせることが出来ますが、これは言い方を変えれば患者を支配しているとも言えます。
大工の棟梁は、他の職人たちを自分の手足のように動かすことが出来るため、これもまた支配者と言えますし、その大工に思い通りの家を建てさせる設計士もまた支配者といえるでしょう。
その設計士に依頼をするゼネコンも支配者と言えますし、そのゼネコンに家を発注する人も支配者と言えます。

1つの国には様々な職業があり、その職業に発注する者されるもの、チームをまとめる者等が存在するため、単に支配者と言ってもその対象は大勢います。
この質問にアルキビアデスは、国家に属していて、お互いに協力しあっている国民たちを支配する者が支配者だといいます。
協力しあっているとは恐らく、時には発注者となり時には受注を受けるという、他人を支配したり支配されたりと立場がコロコロ変わる、奴隷のように一方的に使役される者は含まない一般市民たちのことを指しているのでしょう。

何の能力で人を支配するのか


この答えに対してソクラテスは、第1部で行ったのと同じ質問をして切り返します。その質問とは、その支配の裏付けとなっている技術や知識は何かというものです。
先程の例で言うのなら、大工の棟梁は大工の技術や経験という点で他の職人たちよりも勝っているため、他の職人たちをその技術や知識によって支配し、言うことをきかせます。
設計士も同じで、大工の棟梁は現場で手を動かして家を建てる技術はありますが、家そのものを設計する知識や技術はないため、設計士はその技術でもって大工の棟梁に指示を出します。

この様に人を支配するためには、その裏付けとなる技術が存在するわけですが、では一般市民たちを支配するために必要な技術や知識は何になるのでしょうか。
この問いに対してアルキビアデスは、『うまく作戦を立てる能力だ』という、ふわっとした回答をします。
この回答はふわっとしていますが、それ故に、どんな事柄にも当てはめることが可能です。

うまく作戦を立てる能力


例えば、サッカーの監督はチームを勝利に導くために上手く作戦を立てることが仕事であり、チームが負けてしまうとすれば、それは作戦が上手くたてられなかったからということになります。
建設現場で言うのであれば、大きなビルの建設が計画通りにいかず納期が遅れてしまうというのは、現場監督が段取りを上手く出来なかったからで、作戦を練り込めていなかったといえます。
これをそのまま国の運営に当てはめれば、内政において上手く作戦を立てれば国は繁栄しますし、戦争において上手く作戦を立てれば、自国の兵力を消耗させずに相手を打ち倒すことが出来るでしょう。

アルキビアデスが答えた『うまく作戦を立てる能力』とは、先程も言いましたが何にでも当てはめることが出来るため、結構良さそうな答えではありますので、更に深く掘り下げて吟味していきます。
先ほど例に出したサッカーの監督の場合で言えば、監督はチームが勝利するために上手く作戦を立てます。建設現場の現場監督の場合は、納期内に指定された建物を不備なく完成させるために上手い作戦を考えます。
この様に、多くの事柄においては明確に方向性が決まっています。つまり、やるべきことが明確に決まっているということです。

優れた政治的統治


では、政治の場合はどうなのでしょうか。何を持って、国は良く統治されていると考えられるのでしょうか。
これに対してアルキビアデスは、皆が仲良く争うことなく生活できている状態が、良く統治されている状態だと答えます。
例えば現代の政治やその統治で言うのであれば、アメリカの場合では、大まかには労働者側が支持する民主党と資本家が支持する共和党の2つに別れています。

政党が2つに別れているということは、国民側もどちら側を支持するのかというので大きく分けると2つに別れているということを意味します。
この様な状態だと、当然、意見の違う者同士の対立というのが起こりますから、アルキビアデスの言うところの『皆で仲良く争うことのない政治』からはかけ離れていることになります。
ということは彼が目指す理想の政治というのは、一つの思想のもとに統治されていなければならないことになります。

思想はどの様な考えのもとに統一されるべきなのか


では、どの様な思想をもとに統一されるのが良いのでしょうか。
繰り返しになりますが、私達が住む世界で共通認識を持って話そうと思うと、同じ知識や認識を共有していなければなりません。
例えば、目の前に2つの皿に盛られた複数個のパンがあるとして、どちらの皿に乗っているパンが多いのかというのは、数を基準にして考えるのか重量を基準にして考えるのかで変わってきますし、認識がずれてしまえば答えも合わなくなってしまいます。

グラム数を基準にする場合、そのベースにあるのは測量の技術や知識になりますし、個数を基準にする場合は算数がベースの知識となります。この様に、同じ様な答えを導き出すためには同じ知識を共有していなければなりません。
アルキビアデスの主張は全国民が同じ意見でまとまる必要があるというものでしたが、その前提として知識の共有が必要となると、すべての国民は国のあり方についての知識を習得していなければならないことになります。
では果たして、そんな状態になる事は可能なのでしょうか。

必要な知識は人それぞれで違う


ここ最近では、男女平等が騒がれ始め、徐々に男女の格差は縮みつつありますが、昔は男女の役割ははっきり別れていました。
大雑把に言えば、外で働いたり戦争に行くのは男の仕事で、女性は家の仕事をするというのが常識とされていました。
その様な当時の状態では当然、生活に求められる知識が変わってきます。 大雑把に言えば、戦争や仕事については男性の方が詳しく、裁縫や料理については女性の方が詳しいといった状態になってしまうということです。

アルキビアデスの理論で言えば、互いに分かり合い、仲良くなって親密な状態になるためには共通の知識やそれをベースにした認識が必要とのことでしたが、男女で求められる知識が違うということは、男女間での友愛はなくなってしまいます。
これは、男女間で大きく分けた場合の話ですが、実際の社会では人の役割は更に細分化されています。
例えば会社という組織一つとっても、営業に求められる知識と経理に求められる知識と管理職に求められる知識はそれぞれ違います。

求められる知識が違うということは、その仕事を通して身につける知識も違うということですから、様々な役職や部署がある会社という組織は意志の統一がされないことになり、仲良くするのは不可能ということになります。
これは国単位で考えても同じで、警察官に求められる知識と官僚に求められる知識と政治家に求められる知識と製造業に求められる知識はそれぞれ違います。
この状態で、それぞれの職業の人達が自分の専門分野について探求して知識を深堀りしていけば、職業間の知識の格差はますます広がってしまうわけですから、一生懸命仕事をすればするほど、国はバラバラになっていくことになります。

アルキビアデスの矛盾


しかしアルキビアデスは、その様な状態になっても国はバラバラにはならないように思うと答えます。
これは当然で、それぞれの職業に付く人が一生懸命に頑張って専門性を磨いていけば、普通は国が発展しそうだからです。
もっと小さい単位の会社規模で考えても同じで、営業が営業知識やスキルを磨けば磨くほど売上は伸びるでしょうし、経理が頑張れば頑張るほど、会社の資産は有効活用できるでしょう。

経営層がそれぞれの部署の人間をまとめ上げる為に評価制度を最適化して、適材適所に人材を配置できれば、会社の業績は伸びそうです。
しかしこれまでの話の流れでいうと、そうしてしまうと社員は専門性を極めていくために、それぞれの社員が持っている知識はバラバラになってしまい、コミュニケーションが上手く取れずに組織が破綻してしまう事になってしまいます。
この矛盾に対してアルキビアデスとソクラテスは更に深く考えていくのですが、その話はまた次回に話していきたいと思います。

参考文献