だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第142回 肉体は人の本質なのか 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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人を支配する能力


今回も、アルキビアデスの第3部について話していきます。
簡単に第3部のこれまでの流れを振り返ると…
人は勉強や鍛錬を続けることによって優れた人間になることは出来るけれども、だからといって全ての事柄に対して優れた人になるわけではありません。

例えば、物心ついた頃からずっと卓球をしていた人は、仮に世界でトップの選手になったとしても、それは全ての面において優れた卓越した人になったわけではなく、卓球が上手い人になっただけです。
これは勉強も同じで、経済について勉強して知識を身に着けたからといって、その人は真理を得た人になるわけではなく、経済に詳しい人になるだけです。
人は専門の勉強をすることで専門家にはなれますが、全知全能の神になれるわけではありません。

では、人を支配する立場にある支配者層になるためには、どんな知識を修めればよいのでしょうか。
アルキビアデスの主張によると、それは『上手く作戦をたてる能力』のようです。
指導者とは方向性を示し、集団をその方向に確実に導いていくことが主な仕事ですので、その為に上手く作戦をたてる能力というのは、確かに必要な能力のようにも思えます。

では国の方向性とは、どの様に決めるのでしょうか。
例えばスポーツのように勝ち負けがある分野であれば、そのルールの上での勝ち筋を見つけるための技術を磨くだけで方向性が決められます。
しかし、国はどの様な状態になれば『勝ち』の状態になるのでしょうか。 『勝つ』というのを『より良い』と言い換えた場合、国がより良く統治されている状態とはどの様な状態のことを指すのでしょうか。

人が持つ知識はそれぞれ違う


これに対してアルキビアデスは、国民が一つの思想の元にまとまることだと答えます。
皆が異なる思想や考えを持っている状態であれば、その考えの違いから争いが発生してしまいます。
しかし、皆が同じ思想をもとに考えて結果として一つの答えにたどり着く状態を作ってしまえば、互いが互いに考えていることを深く理解できるわけですから、そこに争いはなくなります。

確かに言わんとしていることは理解できますが、では果たして、そんな事が可能なのでしょうか。 本当にその方法で理想的な国家が作り出せるのでしょうか。
仮に私達の身近にある会社などの組織で考えてみたとしても、皆が同じ知識や技術を共有できているかといえば出来ていませんし、出来ていないからこそ発展していたりもします。
例えば、営業の部門の人に会計の知識はないでしょうし、逆に会計の人に営業の知識はないでしょう。

ホワイトワーカーに現場で働くブルーワーカーの知識や技術はないでしょうし、ブルーワーカーに会社をマネジメントして発展させるだけの知識があるのかといえば、それもないでしょう。
組織というのはそれぞれの分野で働く人がそれぞれの専門的な知識を身に着けて、それぞれの分野で能力を上げることで全体としてパフォーマンスを上げることを目指すものです。
全員が同じ知識を持った均一な存在という状態では存在しません。ですから当然、お互いに持っている知識の違いによって軋轢が生じ、争いに発展することもあります。

アルキビアデスの矛盾


すべての人が営業の知識も会計の知識も組織マネジメントの知識も持った上で、現場で働くための技術も持っているというのは理想的かもしれません。
しかし実際には、人の能力には限界があるため、全てを収めようとすると全てが中途半端になってしまいます。

中途半端な人達が集まった組織が市場で生き残れるほど資本主義は甘くないので、こういった企業はいずれ淘汰されてしまうでしょう。
これは国に当てはめても同じで、軍に従事するものは戦闘知識や技術に長けているものがなるべきで、その他の商売やサービスも、それぞれの商品・サービスの専門家が専門店を運営した方が効率が良さそうです。

しかし、先程のアルキビアデスの主張と照らし合わせると、この様に国民がそれぞれの専門分野を極めようとする動きは知識のばらつきを生んでしまうため、これでは国は上手く統治出来ないことになってしまいます。
人がそれぞれの専門性を高めていくことは、現実世界では上手く行っているように思えるのに、アルキビアデスの先程の理論でいうと、上手くいかないことになってしまう。
何故なら彼は、同じ思想の中でこそ互いを理解でき、その状態だからこそ友愛が生まれ、争いのないよく統治された状態が生まれると主張しているからです。

皆がバラバラの知識やスキルを身に着けているような状態では、持っている知識に差ができてしまうために、他人の考えていることがわかりません。
そうなると人は相手のことを理解できなくなり、故に他人を愛することは出来ない。つまりは友愛も生まれなくなります。
しかしアルキビアデスは、人がそれぞれの専門性を高めていたとしても、国は上手く統治できると言い出します。

彼がそう主張する理由については彼自身では上手く説明できないようなのですが、とにかく直感としてそう思ったようです。

違う知識を持つ人は尊敬できないのか


これは先程の会社組織の例を見てみても分かりますが、実際問題として各自が専門性を伸ばした方が効率が良いという実例があるからでしょう。
しかし、単に直感でそう思ったからと言われても、今までの主張をひっくり返した理由がわから無いため、ソクラテスがアルキビアデスに質問をする形で、彼の真意を確かめていくことにします。

まずソクラテスは、専門知識を持つものそれぞれが、自分の専門分野について最善を尽くした際に、そこに正義は宿るのかと問いかけます。
SF作品で有名な攻殻機動隊という作品には、『我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。』というセリフがあります。
このセリフの意味としては、世間でよく使われているチームプレイという言葉は、自分の力が足りない時に他人に頼るための都合の良い言い訳でしかないということです。

しかし、個人個人が仲間に頼らずにそれぞれの専門分野で最高のパフォーマンスを出し合い、結果としてそれぞれの成果が他の者達の穴を埋めることになれば、外から観測すればチームプレイのように見えるという意味合いのセリフです。
仮にこの様な状態が達成されたとして、それは『正しいこと』にはならないのでしょうか。
国民それぞれが、他人には出来ない自分の得意分野で頑張って成果を出したとして、その国民達の間には友愛が生まれないのでしょうか。

仮に自分にしか出来ないことを熟した結果として他人から褒められれば、気分は良くなるでしょうし、それに加えて人間は自分にできないことを出来る人のことを、尊敬したりもします。
その結果として人々は互いに敬意を持つようになり、敬意を持つ人同士の間には友愛が生まれそうです。
こういったことを考えた結果アルキビアデスは、互いに違った知識を持つもの同士の間でも友愛は生まれると改めて意見を変えます。

参考文献