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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第135回【アルキビアデス】政治家に必要な知識 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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人が求めるのは専門知識を持つ人


では、なんと言って人の関心を引けばよいのでしょうか。
この議論が行われている当時のギリシャは神々が信じられて、神からのメッセージが政治に大きな影響を与えていた時代ですが、アルキビアデスは神の声を聞くことが出来ると演説で主張すべきなんでしょうか。
もし彼に神の声を聞く才能や神についての知識があるのなら、それについて話すのも良いかもしれません。しかし先程も言ったとおり、アルキビアデスが学んで得た知識は『読み書き』と『楽器演奏』と『レスリング』だけです。

彼は神について研究したり人から教えてもらった経験はありませんし、神の声を聞く能力も持ち合わせてはいません。 他にアルキビアデスが持っているものといえば、天から授かった美貌や家柄・資金力ぐらいです。
もし仮に、政治の場面で神からのメッセージが必要になるような状況に陥ってしまったとしましょう、神の声を聞ける予言者か、生まれが良いだけで予言についての知識も才能も無いアルキビアデスか、どちらかに助言を求めなければならなかった場合。
当然ですが、アルキビアデスにアドバイスを求めるものなどおらず、人々は神の声を聞く能力を持つ予言者の意見を求めるでしょう。

これはあらゆる知識について言えることです。例えば建築についての知識が必要な際に声をかけられるのは建築の知識を持つ建築家であって、見た目が美しいものではありません。
病気になった際に人々が頼るのは、唸るほどの金を持ってる資産家ではなく、医学の知識を持つ医者であるはずです。
国を揺るがすほどの伝染病が流行してしまった場合も、政治家に知恵を貸すのは感染病に関する専門知識を持つ専門医でしょう。

では、この感染病によって経済が大打撃を受けてしまった場合はどうでしょう。 経済の立て直しをするために感染病の専門医に話を聞いても意味はありません。
経済を立て直すためには、実際に事業を営んでいるものやマクロ的な視点で経済を分析している経済学者の話を聞くべきでしょう。
この様に、人々が困った際に頼るのは、その分野の専門家が持つ知識です。

それぞれの分野にはそれぞれの専門家が存在し、普通の人間は専門分野では専門家には及びません。その専門家も、専門が変われば無知となるでしょう。
医者は賢いからと言ってなんでも知っているわけではありません。 建物を建てるという分野においては建築家には遠く及ばないでしょう。
建物の専門家も、設計専門の人間であれば、家を実際に体を動かして建てるという分野では現場の大工さんには技術で勝てないでしょう。

政治家に必要な知識


アルキビアデスが政治家を目指すのであれば、彼は政治に必要な知識で他を圧倒していなければなりません。では政治家になるためには、どのような専門の能力や知識が求められるのでしょうか。
これに対してアルキビアデスは、『戦争や和平、またはそれ以外の国政に関することについての知識だ』と主張します。
先程も少し話しましたが、当時のギリシャギリシャ内のポリス同士の内戦やペルシャといった外側の勢力からの軍事侵攻などが頻繁に起こっていました。

このような状況では、戦争をするのか外交でかたをつけるのかを決断するだけで市民の生き死にが大きく変わって来ますから、戦争という手段も含めた外交というのは政治に置いて最優先事項と考えられます。
アルキビアデスは、この部分の知識について、自分は他を圧倒していると主張します。

この主張に対してソクラテスは、その外交というのは、相手を見てタイミングを図り決断を下すことなのかと問いかけます。
外交というのはきっちりとした方法が確立しているわけではなく、当然、その方法が体系立てて何らかのテキストにまとめられているなんてこともありません。
外交は突き詰めれば権力者どうしの腹のさぐり合いなので、適切なタイミングで適切な判断を下すというのは政治にとって必要なことなのでしょう。

適切なタイミング


この適切なタイミングで適切な判断を下すというのは、なんとなく意味はわかりますが具体性に欠けるので、他の職業に当てはめて考えてみると…
例えばプロボクシングのトレーナーが、対戦相手の候補を観て挑戦を受けるのか受けないのかを、自分が担当している選手の体調を踏まえた上で決めるような感じです。
ボクシングは双方が試合に合意してはじめて試合が決定するため、ランキング的には格下だけれども実力的には強そうな相手とは試合をしない方が自分のランキングを守れます。

その為、ボクシングのトレーナーには試合前に双方の実力を踏まえて勝ち負けがある程度予測できなければなりません。
また、担当選手のランキングを上げていくためには、適切なタイミングでランキング上位者に挑戦し、試合を受けてもらわなければなりません。
つまりここでも、政治の世界と同じ様に、相手のトレーナーと腹の探り合いをし、適切なタイミングで適切な判断を下すことが求められます。

もう一つ別の例えをすると、芸術の分野においても、適切なタイミングで適切な判断を下すことが求められます。
ジャズのようなアドリブ性を求められる音楽では、音を鳴らすべき時に適切な音を鳴らし、鳴らしてはならない時には音を鳴らしません。
ストリートダンスのバトルのように即興性を求められるダンスを極めた人たちは、ステップを踏まなければならないタイミングでステップを踏み、大技を出すべきタイミングで技を出します。

この様に、行うべきタイミングで行うべきことを確実に行っていくことが、多くの分野で求められます。
この際、タイミングは『より良い』タイミングで適切に行うべきことを行うべきで、このタイミングは良ければ良いほどよく、最も良いタイミングで適切なことを行えることが一流の証と言っても良いでしょう。
では『より良い』とは何を指しているのでしょうか。 タイミングが良ければ良いほど良いというのは、言葉で聞けば何となく分かった気にはなりますが、では何を持って『良し』とするのでしょうか。

『適切さ』を生み出す『知識』


アルキビアデスはこの質問に答えることが出来ません。 そこでソクラテスは助け舟を出します。
先程ソクラテスは、政治の仕事について説明する過程で、『あらゆることに関して適切なタイミングで適切な事柄を行うこと』と説明しましたが、このことは先程から言っているように、政治だけに限らずあらゆることに当てはまります。
先程の例ではボクシングトレーナーを上げて説明しましたが、これは選手であるボクサーも同じで、ボクサーが行うことは適切なタイミングで防御をして適切なタイミングで攻撃するだけです。

音楽やダンスも同じで、適切なタイミングで適切な行動を取る事が求められますが、その『適切なタイミング、適切な行動』というのは、その技術に則って生じているものです。
ソクラテスは他の対話篇でも『自分の感情や考えに流されず、行動は技術に即して行わなければならない』と言い続けていますが、今回の話もそれと同じで、適切な行動というのは伝えられてきた確固たる技術に裏打ちされています。
例えばボクシングを始めとした格闘技では、攻撃する際の型は防御を兼ねています。 格闘技の技術というのは、単に乱暴に形振り構わず攻撃するものではなく、攻撃しながら同時に防御を行う型を無意識レベルで出来るようにする技術です。

音楽や踊りも同じで、単に自由に音を鳴らしたり体を動かしたりすれば良いのかといえばそんなことはありません。 仮にピアノの奏者が無作為に鍵盤を叩けば、それは音楽とは言えない単なるノイズになってしまうでしょう。
ジャズピアニストが行うアドリブにも、美しく聞かせるためには何らかの技術や知識の裏付けがあるはずです。

これは、アルキビアデスが『他人よりも優れた能力を持っている』と断言した政治や外交についても同じはずです。
つまり、政治のタイミングをはかる為の裏付けとなる技術が有るはずだということです。 では、政治や外交についてはどのような知識が技術の裏付けが必要になるのでしょうか。
この事を、ソクラテスはアルキビアデスに問いただすのですが、この質問についてのアルキビアデスの回答は、次回に話していきます。

参考文献