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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第150回【アルキビアデス】まとめ4 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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前回のリンク

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上手く作戦を立てる能力


今回も、アルキビアデスのまとめ回を行っていきます。
前回までで、人が命令できる立場になるためには、何かしらの知識が必要だという事になり、当然、政治家にも専門知識が必要だということになりました。
これに対しアルキビアデスは、政治家に必要な能力は『上手く作戦を立てる能力だ』と主張しました。

前回の例で言えば、サッカーの監督や戦争になった際の司令官、将軍の目指すべきゴールは、勝負に勝つことです。 その為に、上手く作戦を立てる能力を発揮してゴールを目指すわけです。
他の例えで言えば、製造業の職人が上手く作戦を立てて運用する場合、目指すべきゴールは品質の高い製品を効率よく作るために、様々な作戦を立てるわけです。
つまり『上手く作戦を立てる能力』というのは、ゴールに向かうための手段にしか過ぎません。 では、政治家が目指すべきゴールはどこなのでしょうか。

アルキビアデスの矛盾


政治家の仕事は国を統治することなので、ゴールは国をよく統治することと言えます。 しかし、『国を良く統治する』と言われても曖昧すぎてよく分かりません。
この疑問に対してアルキビアデスは、皆が同じ思想を元に統一されている状態が理想的だと主張します。確かに、皆が同じ知識を持つことで価値観を共有できれば、そこに争いは生まれず平和に統治できそうです。
一見すると良さそうな答えですが、実際にそんな事が可能なのでしょうか。

人というのは社会を作り文明を発展させていく過程で、分業を行ってきました。 これは現在の私達の生活でも同じです。
事務員として働いている人が家を建てる場合、自分で森に入って木を切って木材を作り、それを材料にして家を建てるなんてことはしません。 住宅メーカーに発注して完成品を購入します。
食事も同じで、自分で農作物を育てたり狩りに行ったりして食料を調達している人は稀で、多くの人は市場で材料を購入しますし、人によっては金を払って完成品を購入します。

なぜ、このような分業が行われているかといえば、その方が効率が良いからです。 人の能力はそれほど高くないため、人間社会では自分で全ての分野の技術や知識を身につけて実行するよりも、専門分野に特化して身に付けようとします。
何故なら、いつ使うかわからないような知識を全て身に着けるよりも、実際に必要になった際に、専門家にお金を出して頼む方が効率的だからです。このような社会では、自分も何らかの専門家になれば稼げるため、社会が循環します。
しかしこのような社会では、それぞれの専門家が持つそれぞれの知識が違うため、先ほどアルキビアデスが主張したように、全ての人が同じ思想を元に統一されるというのは不可能です。

もし仮にそれを目指そうとした場合、先程も言いましたが、全ての人間が全ての物事に対する知識を身に着けなければならないため、効率が非常に悪くなります。
しかし一方で、国民の価値観がそれぞれ違っていれば、みんなが好き勝手な行動を取ってしまうため、国としての体制が保てなそうです。
ではこの矛盾をどの様に解消していけば良いのでしょうか。 ソクラテスは、アルキビアデスに質問をぶつけ続けることで、彼の中から答えを見つけ出そうとします。

無知の知


ソクラテスはまず、アルキビアデスが言う『統一した思想の中でしか友愛は生まれない』という部分に、『果たして本当にそうなのか?』と疑問を持ちます。
アルキビアデスは、同じ知識や経験を持っている人間の間でしか共感が生まれないのだから、それぞれ違った知識しか持たない人間同士で意思の統一は出来ないと主張しています。
これは、大切な人を失ったことがある人の気持ちを本当に理解して共感できる人間は、同じ様に大切な存在を失った人間だけだというような意味だと捉えればわかりやすいと思います。

しかし、友愛とは単なる同情のことだけではありません。 その関係性の中に生まれる親しみや尊敬の念もこもった感情です。
ソクラテスは、『自分ができないようなことが出来たり、知らないようなことを知っている人間が身近にいれば、尊敬しないか?』とアルキビアデスに投げかけ、アルキビアデスはこれを受けて考えを修正します。
この行動に対してソクラテスは『それは大きな前進だ』として彼を褒め称えます。 何故なら、探求とは自身の無知を認めるところから始まるからです。

よくする技術


ここでやっと、対話篇の本質である人間の本質への探求が始まります。
この探求で、彼らは最初に『人間の本質を見極めるために何に配慮すべきなのか』というテーマについて考えます。
『人間とは何なのか』を実際に想像してみると、その想像した人間には様々なレイヤーが重なっていることがわかります。

具体的に言えば、人間の本質の外側には、職業や持っている財産、肩書や着ている服といったものや、肉体やそれに宿る精神と言った具合に、様々な要素が重なり合って1人の人間を形成しています。
そしてこれらのレイヤーは、それぞれに、それらを改善するための方法があります。つまり、肩書をよくする方法と肉体を強靭にする方法はそれぞれ別にあり、同じではないということです。
これは当然人間の本質にも当てはまります。 では、それぞれのレイヤーのどれを改善していくことが、人間の本質を良くしていくことに寄与するのでしょうか。

人の本質は魂


まず消去法で、肩書や財産や衣服といったものは削除します。何故なら、それらがなくなったとしても人として機能するからです。
これによって丸裸の人間だけが残るわけですが、そこから見た目にかかわるものを排除していきます。 何故なら、見た目の美しさや肉体の強さがなかったとしても、人として存在できるからです。
こうして最後に残るのが、人間が持つ意志の力です。 人は肉体を動かしてなにかする際に、まず、行動を起こそうと決断をします。ソクラテスはこの決断する力こそが人間の本質で、これこそが魂だと主張します。

では、この魂を良くするためにはどうすれば良いのでしょうか。 先程の話では、それぞれの物事にはそれ自体を良くするための専門知識が有るとのことでしたので、魂をよくするための専門知識があるはずです。
逆に言えば、その専門知識を持っていないのであれば、良い肩書を持っていようが大量の財産を持っていようが見た目が良かろうが、その人は優れた人とは言えないことになります。
これらを前提においた上で優れた人間になろうと思うのであれば、まず、その専門知識は何かを突き止めた上で、その専門知識を身に着けようと努力することが必要になってきます。

人間の本質が財産の有無になると?


この様にゴールをしっかりと見定めることが重要で、ゴールを想定せずにあがいたところで、多くの場合はそれは無駄な努力となってしまいます。
何も進歩しない程度ならまだ良いですが、ゴールとは真逆の方向に全力疾走してしまえば、努力すれば努力するほどゴールから遠くはなれてしまうことになります。そのような努力は、ハッキリ言ってしない方がマシです。
例えば、財産の有無が人間の価値だと勘違いしてしまった人がいたとしましょう。 金は、自分で努力して稼ぎ出すよりも、他人から奪ったほうが圧倒的に楽なので、最短で財産を作る方法は他人から金を奪うこととなります。

金を奪う方法はたくさんあり、単純に他人を襲って金品を奪う方法もあれば、何の価値もない情報や商品を、価値があると錯覚させて高値で売りつける方法もあります。
では、これらの方法を駆使してお金を貯めたとして、その人は偉大な人間になることができるのかといえば、なれません。 犯罪者として軽蔑されるだけです。
『金を貯める方法が重要なのでは?』と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そうすると、金そのものよりも行動のほうが重要だということになってしまうので、前提が崩れてしまいます。

『見た目の美しさ』=『人の価値』だとしたら?


この例からわかることは、単純な財産の量は人の価値には直結せず、人がとる行動の方が重要視されるという事実です。
これは、対象が美しさに変わったとしても同じです。単純に見た目の美しさが全てだとするのであれば、全人類は整形手術を受けたほうが良いことになってしまいます。
しかし、美しさとは相対的なものなので、皆が同じような美しさを手に入れれば、それが普通に置き換わるだけです。 人間の本質には何も寄与しません。見た目だけが良くても立ち振舞が醜ければ、それは劣った人となります。

つまり、目標を間違って定めてしまい、その方向に向かうために必死に努力したところで、本当のゴールには決して到達することなく、下手をすればゴールから遠ざかってしまうということです。
財産にしても美しさにしても、結局はそれにかかわる人の行動のほうが重要なのであって、財産や見た目そのものが重要なわけではありません。そしてその行動を決定する魂こそが重要だとソクラテスは言っています。

人の魂を愛する


例えばもし、自分対して恋人になりたいと言い寄る人が現れたとして、その人が財産や見た目の美しさのみであなたを選んでいたとしたら、あなたはそれらを失った瞬間に捨てられます。
何故なら、相手が目的としているものが無くなってしまったからです。

しかし、魂の美しさに惚れて相手がいいよってきていたとすれば、財産や見た目の美しさは最初から求められていないわけですから、それらが無くなったとしても相手は離れては行きません。
もし相手が離れていくようなことがあるとすれば、それは貴方が魂を磨くことを忘れ、堕落したときのみです。
では、どのような状態になれば人は堕落するのでしょうか。

参考文献