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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第143回物事には全て『良くするための技術・知識』がある 前編

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目次

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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それぞれの専門知識

今回も対話篇『アルキビアデス』について話していきます。
前回の話を簡単に振り返ると、ソクラテスがアルキビアデスに対して国をよく収めるためにはどの様な状態になっていないと駄目かと質問をしたところ、皆が同じ知識を持っていなければならないと主張します。
しかし実際の世の中を観てみると、会社組織で求められるのはそれぞれの分野の専門知識であって、全体的な知識が求められるわけではありません。

大きな会社の幹部候補になると、いろんな部署をたらい回しにすることで組織の全体像を理解させるなんてことをしたりもしますが、それは全部署の知識を浅く広く取り入れることが目的であって、すべての部署の専門知識を勉強させるためではありません。
最終的にはマネジメントという専門知識を磨くための前提知識として幅広い知識を求められているだけで、現場で働く専門家レベルの詳しい知識が要求されているわけではありません。
この様に、会社組織はそれぞれの専門家によって構成されている、つまりは統治されているわけですが、これでは上手く統治できないのかというとそうでもありません。

むしろ、高い専門性を持つ社員を多く持ち、その専門性を上手く活かす形で組織運営出来ている会社は、全ての社員の能力が中途半端な会社よりも業績を伸ばせそうです。
これは想像しやすい様に現代の例で例えましたが、当時のギリシャでも同じでしょう。国という観点で考えた場合、軍人がやることは体の鍛錬ですし、指揮官がやることは訓練された軍人を上手く動かすことです。
国を構成するためには食糧生産も必要だからと、牛の育て方や農作物の育て方、刈り入れ方を軍の指揮官は学ばないでしょうし、知る必要もありません。

国というのはその他にも、衣服を作るものや家を建てるものなど様々な職業があり、そこに従事している人達はそれぞれの職業に必要な専門知識を身に着けていますが、身につけているのは自分が専門とする知識だけで、他の職業の知識は持っていません。
では、それでは駄目かというと駄目ではないでしょうし、その様な状態では意志の統一が行えないから国民同士は理解し合うことが出来ず、友愛も生まれないのかというとそんなこともないでしょう。
これは自分自身に当てはめてみても分かりますが、人は自分が持たない知識を持つものや、自分にできないことをしてくれる人に対して尊敬の念を抱いたりします。

これは極端に言ってしまえば、全ての人がバラバラの専門知識を身に着けていたとしても、そこには尊敬の念は生まれますし、それを元にした友愛も生まれるということです。
このようにしてアルキビアデスの主張は崩れてしまい、アルキビアデスは無知であるにも関わらず、それを知らずに賢者だと思いこんでいた人間だと言うことが暴かれてしまいました。

物事には全て『良くするための技術・知識』がある

しかしアルキビアデスは他の賢者たちのようにソクラテスを敵視し、論点ずらしをして攻め立てるようなことはせずに、人間の本質について新たに学んでいきたいといった姿勢を示します。

こうした流れから2人は、人間の本質と、どのようにすればそれを良くすることが出来るのかについて考えていくことにします。
まずソクラテスは、漠然とした人間のイメージから人間の本質部分を分離させようと提案します。
何故、そんな事が必要なのかといえば、物事を良くする方法というのは、その対象ごとに変わってしまうからです。

例えば、漠然と人間を想像してみたとしましょう。 その想像した人間は、恐らく服を身に着けていますし、人によっては社会での肩書なども纏っているでしょう。
その人間が纏っている服や肩書というのは、同じ方法では良くすることが出来ません。
服を良くしようと思えば、デザインや裁縫技術の習得が必要になりますし、肩書を良くしようと思うのなら、人に取り入る方法を身に着けなければならないかもしれません。

この様に、なんとなく人間というものを想像してしまうと、そこには余分な不純物が入り込んでしまいます。
見た目至上主義で、ルックスが良ければそれで良いと考えてしまえば、人間を良くするために必要なのは服飾に関する技術や美容に関する知識となってしまいます。
肩書や社会に対する影響力が人間だと思ってしまえば、どの身分で生まれるかや、出世する方法が人間力を磨くために必要だという結論になってしまいます。

人の本質は魂

この様に人間の本質について考えた際に、人のどの部分に焦点を当てるのかで、人間をより良くするための技術が変わってしまうため、人間の本質を正しく見極めることが必要となります。
そのために、ソクラテスとアルキビアデスは人間を構成しているものを一つ一つ上げていき、それは本当に人間の本質なのかを考えていった結果、最終的に人の魂だけが残りました。
この魂というのは霊的なものというよりも、『決断する意志』と考えてもらったほうが良いと思います。

例えば、人はどこかに行きたいと思い、体を動かして移動すると決断するから目的地まで行くことが出来ます。
何かを観た際に『欲しい!手に入れたい』と思うから、人は手に入れるための行動や努力を行います。
人は何も決断を下すことなく行動することは出来ませんし、人の行動の起点となるのが決断であるとするのなら、『決断する意志』であったり『決断しようとする主体』のことを人間の本質と考えるのが自然です。

ソクラテスは、この事を指して魂と言っていると考えられます。

仮に肉体が人間の本質なら

これは、納得がしやすいと思います。というのも、もし人間の本質が、もっと見た目でわかりやすい肉体だとしましょう。この肉体を良くするために必要な知識というのは、トレーニングの知識や医学の知識となります。
例えばボディービルダーや陸上選手、体操選手などは、トレーニング知識を身に着けた上で実践することで、普通の人よりも遥かに優れた肉体を手に入れています。
もし人間を形作っている肉体そのものが人間の本質であるとするのなら、彼らこそが素晴らしい人間で、皆が彼らのような肉体を身につけるために精進スべきだと言うことになります。

また、優れた肉体を手に入れているものが素晴らしい人間であるとするのなら、総理大臣や大統領はオリンピックの金メダリストの中から選べば良いですし、そうすることで皆が幸福になれる世界が作れることでしょう。
しかし、彼らは本当に人として優れているのでしょうか。 確かに、常人には手に入れることができない肉体を手に入れるために鍛錬を行い、それを継続した結果として優れた肉体を手に入れているのですから、その点だけを見れば劣っているとは言えません。
ですが、プロのスポーツ選手で犯罪を行っている者も実際にいますし、禁止薬物に手を染める者もいます。スポーツ選手の暴力事件なんてのも、普通に存在します。

この様に、スポーツ選手の全員が人格者かといえばそんなことはなく、人として駄目だという人も中にはいます。
一方で、スポーツやカラダを鍛えることは苦手だけれども、誰もが尊敬するような人格者という人もいらっしゃいます。
こうして考えると、見た目でわかりやすい肉体というのは人間の本質というよりも、人間の本質である魂に支配された道具でしか無いと考える方がしっくり来るのではないでしょうか。

参考文献