だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第145回【アルキビアデス】堕落への対抗策 前編

広告

目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

▼▼Apple Podcast▼▼

podcasts.apple.com

▼▼Spotify▼▼

open.spotify.com

noteについて

noteにて、番組のサポートを受け付けています。応援してくださる方は、よろしくお願いします。
note.com

▼▼youtubeチャンネル登録はこちら▼▼

youtubeでは、音声コンテンツでは聞けないバックナンバーも聞くことが出来ます。
だぶるばいせっぷす - YouTubewww.youtube.com
youtu.be

前回のリンク

kimniy8.hatenablog.com

必要なのは討論


今回も、対話篇『アルキビアデス』を読み解いていきます。
前回は、人の本質とは見た目の美しさや持っている財産、社会的地位などではなく、魂だという話をしました。
魂というのは、人が何か行動を起こす際に行う決断と考えてもらって良いと思います。

人がどこかに出かけようと思う場合、大抵は目的地や行うことを決めた上で行動を行います。
例えば、『食材がないので買いに行こう』だとか、『何もすることがないので暇だから、気分転換に外に出よう』といった具合に、人はまず決断をしてから行動を起こします。
その決断を下す主体のことを、魂と思ってもらって良いと思います。

ソクラテスの主張によると、この世に存在するものは、物質や概念的なものを含めて、それらを全てより良くするための知識や技術が存在するようです。
その理屈を人間の本質にも当てはめるのであれば、仮に人の本質が魂であるのなら、人間としてより良い存在になるために必要なのは魂を磨くための知識や技術となります。
では、その技術とは何なのかというと、大雑把に言えば、魂を磨くための技術や知識を探求している人達と討論をすることです。

人の考えや行動というのは、他者との対話によって変化します。 例えば、自分よりも優れていると思われる人からアドバイスを貰ったり、討論をした結果、自身が行動を変えるべきだと納得した場合、人の行動は変わります。
先程も言いましたが、人の行動というのはまず最初に決断をすることによって決まるわけですから、討論によって人の行動が変わるということは、討論によって決断をするプロセスに何らかの変化があった事が予測されます。
この決断に関わるプロセスそのものを魂と呼んでいたわけですから、これに変化を与えることが出来る討論というのは、魂を磨く行動と捉えてもよいのでしょう。

対話相手


しかし討論相手というのは誰でも良いのかといえば、そんな事はありません。 相手は、人の魂をより良い方向へと導く方法を探求している人に限られます。
仮にそれらのことを一切考えたことがないような人物。ソクラテスに言わせれば大半の一般大衆がそれに当たりますが、その人達と討論をしたところでより良い方向へと進む道は見つかりませんし、何なら魂が堕落してしまったりもします。
魂が堕落するとは、人間の本質がより悪い方向へと劣化してしまう事を意味しています。

討論にはこの様な性質があるため、ソクラテスは、アルキビアデスのように政治家を志す人間は特に、この事を肝に銘じて置かなければならないと注意します。
なせ、政治家になろうとする人間は特に気をつけなければならないのかというと、悪意を持った人間が周りに集まってきがちだからです。
政治家というのは、国のシステムを作ったり変えたりする仕事です。 その為、政治家の行動によって損失を被ったり、逆に大きな利益を得たりする人達も出てきます。

こういった人達は自分の立場を有利にするために、力が有ったり有望だと思える政治家に擦り寄り、様々な事を言ってきたりします。
しかし、そうして寄ってくる人たちの多くは人間の本質について考えたこともありません。そういう人達が興味を持つのは、自身の欲望を満たすことであったり、その欲望を満たす手段である金を得ることだったりします。
もちろん、政治家に近寄ってくる人達全員が、自分のことだけを考えているサイコパスということはないでしょう。 現状の国の問題点を指摘して、今必要なことをやってくれと陳情にやってくる人もいると思います。

ですが割合としてみると、人間の本質について探求し、『人がどうすればより良い方向へ進んでいけるか』を考えている人は極少数でしょう。
また、市民のことを考えて陳情にやってくる人たちも、人間の善悪について真剣に討論したことがあるのかといえば、していなかったりするでしょう。
この事を予めわかった上で彼らと接するのであれば、彼らと対話をしたとしても予防線を張れるために魂の劣化は防げますが、この事を知らない状態で彼らと対話し続けてしまうと、自身の魂も劣化してしまいます。

堕落への対抗策


ソクラテスは対話篇の中でこの事を解毒剤と表現し、それさえ持っていれば毒の中に飛び込んだとしても助かる見込みはあるとしてアルキビアデスに説明しています。
これは今風に言えば、伝染病に対抗するためにワクチンを打つようなものでしょう。何の対策もせずにいれば、悪人から魂が劣化するような話を聞かされて自身も悪人へと変化してしまう。
しかし、事前に『この世の大半の人間は人間の本質について考えたことがなく、そんな彼らが良いと主張するものは人間の本質には全く関係のないものだ』という考えをワクチンとして自分の頭の中に入れておけば、彼らからの汚染は防げるというわけです。

自分自身を見る


ではアルキビアデスは自らの魂を磨くために、誰と対話を行えば良いのか。
彼の目の前にはちょうど、善悪を見分ける知識について人生をかけて探求しているソクラテスがいるので、アルキビアデスにとっては彼と話すのが良さそうです。
ということでソクラテスとアルキビアデスは、魂の磨き方について対話していくことになります。

ソクラテスはまず、デルポイという神からのお告げを聞く神殿にある石に書かれた文章を紹介します。
そこには、『あなた自身を見ろ』と書かれているそうですが、その文章が自分の魂を磨く方法を考えるヒントになるのではないかと主張します。

『あなた自身を見ろ』という言葉をストレートに受け止めるのであれば、鏡を覗き込む行動がこれに当たります。
人間が何らかのものをより良い存在に改良しようと思うのであれば、まず、その対象をよく観察する必要があります。
これは人間自身にも当てはまり、自分という存在をより良い状態に改良しようと思うのであれば、自分自身を観察しなければならないということになります。

しかしこれまでの話の流れで、本当に鏡を覗き込んだとしても意味はありません。 何故なら、人間の本質とは目で見えるものではないからです。
自分を鏡で見て映し出される外見というのは、肉体であったり衣服であったりするわけですが、これらは人間の本質ではありません。人間の本質はその内側にある魂です。
その為、魂を改善・改良するためには、魂を映し出す鏡が必要となります。

参考文献