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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第144回【アルキビアデス】人の本質は魂 後編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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人の魂を愛する


例えば、ギリシャの中でもトップレベルの美貌を持つ彼に対して、誰かが恋心をいだいて近づいてきたとしましょう。
その者が、彼の人間としての本質ではなく外見のみに注目して近寄ってきている場合、アルキビアデスが年老いたり、中年になって太りだしたりして醜くなってしまえば、その者はアルキビアデスの元を去っていってしまうでしょう。
別のものが、アルキビアデスの持つ財産に注目して近づいてきた場合、彼が事業で失敗するなりして破産してしまえば、これまた彼の元からは離れていくでしょう。

しかし、近づいてくるものがアルキビアデスの人間としての本質、魂に惚れ込んで近づいてきているとすればどうでしょうか。
この者は、アルキビアデスが良い存在であろうと魂を磨き続ける限り、決して離れることがありません。
仮に彼の外見が崩れようと、金や地位を失おうと、そもそも、相手はそんなものに引かれていないので、それらを失ったとしても離れてはいきません。

この者が離れていくことがあるとすれば、魂を磨く行為をやめて堕落していったときのみです。
では、どういった状態になれば、魂は堕落してしまうのかというと、民衆たちと関わることによって魂は堕落していきます。
なぜ民衆たちと関わると堕落するのかというと、彼らは人の本質を良くするという点においては何の努力もしていないからです。

善悪を知った気になっている民衆


この事は、この対話編でもそうですし過去に取り扱った対話篇でも頻繁に出てきましたが、大半の民衆というのは、良い悪いという基準を勉強したことも自分で見つけ出そうと必死で考えたこともないにも関わらず、知っている気になっています。
知っている気になっているので、当然のようにこの事について勉強しようなんて思いませんし、なんなら『あなたは善悪の区別がつかないんじゃないの?』なんて指摘されれば、多くの人が気分を害するでしょう。
なぜ気分が悪くなるのかといえば、善悪の見極め方を知っていると思い込んでいるからです。 しかし大半の民衆は、何が善で何が悪かなんてそもそも考えたこともないわけですから、当然、善悪の見極め方なんて知りません。

善悪の基準がわからない人間は、当然のように良い人間への成り方なんてものも知りません。何故なら、善悪の区別がつかないのに良い方向なんてわかるはずがないからです。
では、一般市民達がどの様な基準で話しているのかというと、これはアルキビアデスが前に主張したとおり、自分にとっての損得勘定で動いています。
つまり、自分にとって都合が悪いことは悪だし、都合の良いことは善だと言っているだけです。

魂を磨くための行為


では逆に、魂を磨くための行為とは何なのかというと、善悪の基準や人の本質については知らないということを認め、そのことについて探求しているものと対話することです。
人の本質とは魂で、その魂とは決断を下す意志だと先程言いましたが、この意志は、人の説得によって揺らいだり変わったりします。
この対話編でもアルキビアデスはソクラテスに指摘される度に自分の主張を変えていき、最終的には自分の無知を認め、善悪の基準や人間の本質について興味を持ち、探求しようとしています。

この様に、問題に対して真摯な態度で挑むものと対話を行うことによって、自分も問題に対して真摯に向き合えるようになり、結果として良い状態に近づくことが出来ます。
ここで言う良い状態とは、善悪について考えることが出来るということを意味しています。
自分が知識がないにもかかわらず知った気になっているために勉強をしない状態と、自分の無知を認めて勉強をする状態、どちらが良いかを比べると、勉強をしている状態のほうがマシな状態と言えるからです。

もしかすると、自分の無知を認めてた上で、人生をかけて善悪や人間の本質について探求する道を選んだとしても、真実には到達できない可能性もあります。
というよりも、ソクラテスの時代から約3000年たった今でも、これらのことについては明確な答えが出ていないわけですから、人間1人分程度の寿命を使って死ぬまで考えたとしても真実には到達できない可能性のほうが高いでしょう。
それでも全く何も行動しないよりかは、何らかのアクションを起こした方が少しは真実には近づけるでしょう。

魂の美しさを見定めようとする者は少ない


この様に、人は良い人間になろうと懸命に努力している人間と対話をすることによって、自分自身も良い方向へと進み出すことが出来ます。
しかし、先程から繰り返しいっていますが、人間の本質や、その本質をどうすれば良い方向へと導くことが出来るのかを日々探求している人間というのは、ごく少数です。
これは、今現在の状況を見てみてもよくわかると思います。

わかり易い例でいえば、マッチングアプリで結婚相手を探す際に一番優先されるのは、男性であれば年収ですし、女性であれば見た目や年齢だったりするでしょう。就職活動をする際には学歴が重要視されることもあるでしょう。
ここまで大きな事柄ではなく、単純に友だちになりたいと言った場合であっても、見た目が良い人や金を持っている人のほうが、単に知り合いを増やすという点においては有利に成るでしょう。
この事から分かることは、世の中の大部分の人は、ソクラテスが言うような人間の本質については、余り考慮していないということです。

先程、例として挙げた年収や年齢や外見といったものは、ソクラテスが人間の本質では無いと否定したものです。
つまり、それらを持っていたからといって人として優れているとは限りませんし、良い人間とも限らないわけです。

本質を見極めることの重要さ


もし彼らが悪人であるなら。つまり、金は持っているけれども人間の本質としては悪。 もしくは、外見は良いけれども人間の本質としては醜い者である場合は、彼の外見や金に惑わされて近づいていくと、不幸になってしまいます。

何故なら、悪人とは周囲の人間に害悪を撒き散らして、不幸にしていく存在のことを指すからです。
逆に言えば、自分自身が幸せになろうと思えば悪人から距離を取る必要が出てくるわけですが、悪人たちは悪人たちで、不幸にするための人を引きつけるために様々な偽装をして、人々をおびき寄せようとします。
例えば、『人間の本質』について考えたことがない人たちが良いものだと信じて疑わない、財産や学歴や社会的な地位を持っていると偽装することで、無知な人達をおびき寄せるわけです。

では何故、悪人はわざわざそんな労力をかけてまで人々を引きつけて不幸にしていくのかというと、そうすることが自分自身の人生にとって良いことだと信じているからです。
例えば、現在でいうと迷惑系youtubeなんてものがいますが、何故、人に迷惑をかける様を動画で撮って全世界に公開するのかというと、ネットで自ら炎上を起こすことでフォロワー数が増えるからです。
人は良くも悪くも、知名度さえ上がってしまえば注目をさらに集めやすくなるため、フォロワー数が増えれば影響力が大きくなります。

マタイの法則って言うんですかね。

マタイの法則


悪目立ちすることで注目されれば、『注目されている人なんだから凄い人なんだろう』と勘違いする人が増えてきて、結果として影響力が大きくなります。
今現在もそうですし、昔もそうだったんだと思いますが、影響力というのはそのまま、社会的地位や金銭に直結します。
youtubeで言うなら、フォロワー数が多ければ多いほど動画の収入アップに繋がりますし、コラボや企業案件の依頼が来れば、更に影響力が増して社会的地位は高くなっていきます。

つまり、最初に他人に迷惑をかけたりだとか、社会的地位や人脈、金を持っていると嘘を言ってフォロワー数を稼いでしまえば、社会的地位や人脈や金はあとから付いてきたりもするわけです。
この方法は、誰がやっても成功するなんて事はありませんが、一見するとコツコツ働くよりも楽そうなので、挑戦する人達は一定数存在します。
ただ、自分の利益のために他人に迷惑をかけたり嘘を言うことが良いことだと錯覚しているような人達なので、基本的な性質としては悪人です。

そして、悪人と交われば交わるほどに魂は堕落し、自身も悪人になってしまいます。では逆に、魂を磨くにはどうすればよいでしょうか。そのことについては次回に話していきます。

参考文献