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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第144回【アルキビアデス】人の本質は魂 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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それぞれの専門知識

今回も、対話篇『アルキビアデス』について話していきます。
前回の話を簡単に振り返ると、この世に存在するものは全て、それらをより良くするための専用の知識があるはずだという話になりました。

例えば人間というものを想像した際に、人が着ている服をよりよく改良しようと思うのであれば、デザイン知識や裁縫技術といったものが必要となります。
人の肉体に焦点を当てれば、運動やストレッチについての知識やトレーニング技術が必要となりますし、人の体をもっと詳しく見るのであれば、爪には爪の、肌には肌の手入れをするための技術や知識があります。
これは、目で見ることが出来ないような肩書や職業についても同じです。それらをより良くしようと思えば、それぞれ専用の知識なり技術なりが必要になってきます。

人の本質は魂

では、これらの中でどれが人間の本質なのかというと、これはどれでもありません。
というのも人の本質とは何かを探っていくと、人というのは何かしらの行動を起こす際には何かしらの決断を下すことで実行をしますが、その実行に関わるものを考えると、先程あげた肉体や服や肩書とは到底思えないからです。
では人間の本質とは何なのか。 この対話編では、人の決断に関わるような事柄を魂として取り扱っていきます。

この世にあるモノや概念には、それ自体を良くしていく専用の知識や技術があると先ほど言いましたが、人の本質を魂だとする場合、当然、その魂にも良くするための専用の知識や技術があるということになります。
つまり、人の魂を良くするための技術と、人の肉体や、それに付属する財産といったものを良くするための技術というのは違ってくるということです。
何故、この様に人の本質を見極めたり、それを改良するための技術や知識という存在について細かく考えていかなければならないのかというと、ここをハッキリしておかないと正しい答えが出ないからです。

もし人の価値が財産の量で決まるなら

前回に挙げた例で説明すると、もし人間をより良い存在にしてくれるものが、財産やそれを稼ぎ出すための能力だと言う話になってしまえば、人々はお金を手に入れるためにあらゆる事に手を染めてしまうでしょう。
真面目に働く事で金を稼ごうと思うのであれば良いですが、普通に考えれば働いて金を稼ぐよりも、誰かが働いて貯めたお金を奪い取るほうが手っ取り早いので、詐欺や強盗といった事が頻発することが予測されます。
『例えが極端すぎるだろ!』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、財産の額のみが人の価値を測る尺度であるのなら、この例えは極端すぎる考えではありません。

『何故なら、財産は真っ当な方法で真面目に稼がなければならない』なんて条件はどこにも付いて無いからです。もしこの条件付を行う場合は、結果としての金よりも稼ぐ手段の方が重要だということになりますから、前提が崩れてしまいます。
このような感じで、金の代わりに別のものを当てはめて行くことで『人間の本質とは何か』というのを考えていくと、わかりやすいかもしれません。

もし『見た目の美しさ』=『人の価値』なら

例えば財産の代わりに見た目の美しさを当てはめて考えてみるとどうなるでしょうか。
見た目の美しさを磨くことが人間の本質の上昇に直接つながると考えるのであれば、人の生活の全ては外見を磨くことに向けられるべきだということになります。
働く場合は美容関係や服飾関係で働くのが良いことになりますし、そこで得られた給料は全て、自分の見た目を美しくするために使った方が良いです。

本を読む場合はファッション雑誌を読むのが一番良いということになりますし、結婚相手を探す場合は、とにかく見た目の良い人と結婚するほうが良いということになります。
何故なら、幸せになるためには良い人と一緒に暮らすのが一番良いからです。 人間の本質が『より美しくあること』であるのなら、良い人とは美しい人ということになるので、外見的に美しい人と一緒にいることで幸せになれることになります。
もし子供が生まれれば、その子供には美しく成る事を目指すように育てるべきです。何故なら、美しくなることこそが人の価値を上げて人を幸福へと導いてくれるからです。

この様な世界観では、醜く生まれてしまえばそれだけで、不幸が確定してしまいます。 その為、醜く生まれたものは整形をするなり何なりして、見た目を美しく変える必要が出てきてしまいます。
人が生まれる状態というのに注目して考えてみると、生まれながらに目が見えない盲目の状態で生まれてしまえば、その子供はかなり不利になるでしょう。というのも、自分の目で美しさというの観察し、学習できないからです。
自分がどの様な姿形をしているのかが確認できませんし、服や仕草なども目で見て確認することが出来ませんので、美しさを探求することができなくなってしまいます。

このたとえ話の前提では見た目の美しさが幸福に直結するわけですから、目が見えない為に見た目の美しさを追求できないということは、幸福に成るための探求や努力をすることが出来ないということを意味することになります。
幸福に成るための努力や探求が出来ないということは、その者が幸福に到達することは出来ないということを意味します。
ソクラテスは、人は幸福に成るために生まれてきたといった感じのことを言っていますが、頑張っても幸福になれないのであれば、生まれてきた意味がないことになってしまいます。

人は手持ちのカードで勝負するしか無い

では、実際の世の中はそうなっているのかというと、そうとは言い切れません。
私は目が悪いですが眼鏡をかければ普通に見える程度の視力なので盲目の方の気持ちはわかりませんが、あの方たちは目が見えなければ見えないなりに、独自の方法で幸せになれる方法を探し出して実践しているのではないでしょうか。
この世界は目が見える人のほうが圧倒的に多いので、目で見るタイプの娯楽がかなり多い状態です。盲目であればそれらを楽しむことは出来ないわけですから、楽しめることが減ることは確かでしょう。

しかしだからといって、生まれてこなければ良かったと言ってしまえるのかというと、そんな事も言えないでしょう。 人は手持ちのカードで勝負するしか無いので、人が幸福を求めるのなら、与えられたもので精一杯、幸福を追求するしかありません。
この様に、人間の本質は何なのかというのを定義し、その本質をより良くするためにはどの様な知識や技術が必要なのかを理解し、その知識や技術を突き詰めていった先に幸福があるのか無いのかを考えていくと、問題がわかりやすくなると思います。

人間の本質

では、人の本質とはなんなんでしょうか。 それを明確に言い当てることが出来て、それをより良くするための知識や技術がわかれば良いのですが、ソクラテスはその答えを持ち合わせていません。
しかし正解を推測することは出来るので、彼は人間の本質を『魂』だと予測します。
魂だけでは分かりにくいので補足すると、人間は行動を起こす際にはまず決断をして、その後で行動を起こします。この意思決定する存在のことを魂と呼んでいます。

人間は無意識の中で、本能のみに従って行動しているわけでは無いと思われます。
ソクラテスは、人と動物との間に差があるのなら、それは理性の有無だと別の対話篇で言っているので、人は本能に従って動くのではなく、理性によって本能を抑え込んだ上で考えて行動していると思われます。
その『考えて決断をする存在』のことを、彼は魂だと表現しています。 そして、この魂を基準にして考えることが重要だとソクラテスは主張します。

参考文献