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- ギリシャの神々
- 自分のことが分からない人間
- 無邪気に人を不幸にする悪人
- 『良さ』を理解できている人
- 政治家になるために
- 参考文献
注意
この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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kimniy8.hatenablog.comギリシャの神々
ここで、神々と人間である自分を比べるのは不敬ではないのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、繰り返しになりますが、ここで語られている神々がギリシャ神話の神々というのが重要です。というのもギリシャ神話の世界では、唯一神の世界観と比べると人間と神との距離が身近です。人間と結婚する神々も多くいますし、人間が試練を乗り越えて神になるというヘラクレスのような者も存在します。
神々はある一面において究極的な存在であるだけなので、その他の面を比べると人間と大差なかったりしますし、人間ぽい振る舞いをしてしまったりするのがギリシャ神話の神々です。
この様に、頑張れば手に届きそうな距離感にいる理想像について語るというのも重要なんだと思われます。
何故なら、考えても絶対に答えが見つからないとわかっている事を考え続けられる人間はいないからです。
ソクラテスも、自分が生きている間に自身が求めている答えは見つからないかもしれないと感じていたかもしれませんが、探求することで答えに到達するはずだと考えていたからこそ、生涯をかけて探求したのだと思われます。
自分のことが分からない人間
このようにして、人は自分自身の魂を探求していくことが出来るわけですが、では、このような方法を用いて自分自身を探求してこなかったものが、自分の周りにまとわりついている所有物について正しい判断が出来るでしょうか。所有物とは、自分の肉体であったり肩書であったり、身につけている衣服や装飾品のことだと考えて貰えれば良いと思います。
自分自身の価値や向かうべき方向性、自分の魂のあり方が分からないものに、それらの所有物の善悪がつくのでしょうか。
これは当然ですが、見分けることが出来ません。 では他人についてはどうなのかというと、自分のことについても自分の所有物のことについても善悪の見分けがつけられないものに、他人の善悪なんてつくはずがありません。
何故なら、自分のことも分からないような節度のない人間には、善悪を測る物差しがないということなので、その様な善悪を見極める基準を持たない人間が、他人の善悪について判断できるはずがないからです。
では、その様な人間が、全国民を良い方向へと導いていく政治家に成れるのかといえば、これも当然ですが成れません。
このことに関しては事の大小は関係がないので、もっと小さなスケールで例えるのなら、そのような人間は自分の家族を正しい方向へと導くことも出来ません。
何故なら、節度を持たない人間は進むべき方向がわからない上に、自分の現在地も把握できていないからです。
また、何が正しいのかもわからないということは、悪いことも無意識のうちに行ってしまうということです。悪いことを行うということは、言い換えれば、自分自身や周りに不幸をばらまくということです。
これについては生まれや財産の量は関係ないため、権力者であれ金持ちであれ、不幸からは逃れることは出来ません。
これを避けようと思うのであれば、つまり自分自身や人々を悪い方向ではなく正しい方向へと導き幸福にしようと思うのであれば、それに必要なのは節度を持ち、何が正しく何が悪いのかを見極められる知識を身につけることです。
無邪気に人を不幸にする悪人
例えるなら、好き放題に食べ物を食べ続けている人が、その食習慣のために糖尿病になったとして、その人が医学の知識がない為に、『美味しいものを食べるのは幸福につながる!』と勘違いして欲望のままにご飯を食べ続けた場合、病気は悪化します。本人は、自分自身の快楽を優先して好き勝手に楽しいことをしているはずなのに、その行動によって体は確実に悪くなっていきます。
そしてその人が、『食べることはこんなに楽しい!』と悪意なく他人に伝えれば、その話を鵜呑みにした人も同じ様に糖尿病になってしまいます。
勧めた本人は、他の人も自分と同じ様に幸せになって欲しいと勧めたにもかかわらず、その助言によって多くの人が糖尿病で苦しむことになるでしょう。
これを避けようと思うのであれば、人は欲望に身を任せるのではなく正しい知識を身に着け、自分が行っている行動が本当に良いことなのか悪いことなのかを知る必要が出てくるということです。
『良さ』を理解できている人
逆に言えば、もしこれが可能なのであれば、人々が幸福に成るのに財産や権力は必要無いことになりますし、国を守るための強固な防壁も必要がないことになります。何故なら、良さを解明した指導者が行う行動には絶対的な正義が宿っているからです。そして絶対的な正義とは、関わるもの全てを本当の意味で幸福にする法則の上に成り立つからものだからです。
もし、そのような絶対的な正義を指導者が身に着け、それを知識として国民に分かち合うのであれば、その国民によって作られた国と関わり合いになる他国の者も、本当の意味で幸福となります。
正しい知識によって幸福となった隣国の市民たちは正義に目覚め、その正しい知識を他人に伝えて幸福の波を伝播させていこうとするわけですから、そこに争いは起こりません。
争いが起こらないということは、すなわち、国を守るための強固な防壁も強力な殺人兵器も、屈強な兵士も必要がないということになります。
これは国として理想的な状態にあるため、政治家や国の統治者は、ここを到達点として目指さなければなりません。
政治家になるために
これを実現するために政治家として身に付けなければならないのが、人々を幸福へと導くことが出来る『善悪を正しく見極める知識』です。何故なら、人は自分が持っていないものを他人に分け与えることが出来ないからです。『善悪を正しく見極める知識』を持たない政治家は、それを国民に分け与えることは出来ません。
極端な言い方をすれば、正しい知識を持っていないのであれば、無知のまま自由に振る舞うよりも、知識を持つ人間の言うことを聞いている方が、まだ幸せになれます。
何故なら、知識を持ち徳を宿している人間は、他人を幸福にしようと道を指し示してくれるわけですから、その方向へと進んでいけば、今よりもより良い状態になることが出来ます。
この事をソクラテスは対話篇の中で、徳を持つ人間は自由に振る舞えばよいが、悪徳な人間は徳を持つ人間の奴隷になった方が良いという言葉で表現しています。
そして当然、政治家を志すのであれば、アルキビアデスは自由人を目指さなければなりません。
アルキビアデスはこの事に納得し、そして、ソクラテスと共に徳を身につけるために探求し続ける道を選びます。
これで、アルキビアデスの対話篇は終わりです。 次回からは、まとめ回に入っていきます