だぶるばいせっぷす 新館

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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第104回【ソクラテスの弁明】無知の知 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次

賢者を求めて

各地方で賢者だと言われてきた人達は、最初は、わざわざ訪ねてきてくれたソクラテスを丁寧に扱って、質問にも答えてくれていました。
しかし、これまでに読み解いてきた対話篇の内容を思い出してもらえればわかりますが、ソクラテスは、『私は無知なので、知識を授けてください。』と言って教えを授かりに言っているのに、相手の言っていることを信用しません。

厳密には、相手の意見を鵜呑みにせずに、疑問に思った点を質問するなど、相手の答えが本当に正しいのかを吟味する作業を行います。
その結果、話の内容はドンドンと根本的な内容へと変わっていき、最終的には『アテレーとは何か。』という、人を良い方向へと導く根本的なものへの質問へと変わっていきます。
そして、アテレーを構成しているであろう『美しさ』や『正義』『勇気』にまで話がおよぶと、その質問に対しては誰一人として、正確な意味を答えてはくれませんでした。

更に驚くべきことは、ソクラテスがアテレーについてや、それを構成している『正義』や『勇気』について質問するまでは、賢者と呼ばれていた人達は、それらを知っている気になっていた事です。
彼等は、真理を知るためには絶対に知っていないといけない、最も根本的な事を、実際には知らないのに知っていると思い込んでいて、そんな曖昧な知識で、真理やアテレーを理解していると思い込んでいました。
根本的な事を知らないのに、最終的な答えがわかると主張するのは、かなり、おかしな事です。 

豹変する自称賢者たち

数学や物理などの学問に置き換えるとわかりやすいと思いますが、物事を理解するには、順序というものがあり基礎を知らずして複雑なものが理解できるはずがありません。

例えば、足し算という概念を知らないものは掛け算という概念を理解することが出来ませんし、これらが分からないものには、方程式を理解することは出来ません。
そして、単純な計算ができない人には、物理を理解することは難しいでしょう。 この様に、物事を理解する為には、その前提となる知識が必要不可欠なわけです。
では、ソクラテスが求めていた真理や、幸福な人生を送る為に必要なことは何かというと、宿すことで卓越した優れた者になれるアテレーであったり、それを構成している『正義』や『節制』といった徳目の理解です。

この、根本的なことが理解できていなければ、卓越した人にもなれないし、幸福にも到達することも出来ないし、この世の真理を理解することも出来ないと、ソクラテスは思っています。
そういう思いで対話に望んだのに、賢者と呼ばれている人々の全てが、これらの根本的なことを理解していないことがわかりました。
このようにして、賢者が基本的な事柄について分からない事が暴露されてしまうと、賢者たちの態度は一変し、ソクラテスを罵倒したり追い返すという行動に出ました。

ソクラテスを迎えた賢者は、自分が有名なソクラテスに教えを授けるところを多くの人に見て欲しいという思いから、弟子たちの前で対話をする事が多かったようです。
その弟子たちや聴衆の前で恥をかかされただけでなく、自分が知りもしないことを偉そうに教えていたということを暴露された為、顔に泥を塗られたと思い、罵倒や追い返すという報復に出たのでしょう。
賢者たちが、その様な行動をとる一方で、賢者の弟子や一般人は、自分が何を知らないのかを熟知していました。 この点に置いては、賢者よりも一般人たちの方が正しい認識が出来ているようにも思えたそうです。

存在しないものを語る人達

ソクラテスは、多くの賢者たちに会いに行って、同じ様な行動をとって、罵倒されて追い返されるという一連の流れを繰り返し続けますが、結局、アテレーについてや真理を知る賢者には出会えませんでした。
それでも諦めきれない彼は、賢者と呼ばれて崇拝されている者たちだけでなく、優れているとされている人達ならジャンルの違う人達でも良いとして、様々な人達に会いに行きます。
例えば、優れた詩人や、その詩を沢山読んで評論している人達や、音楽家や彫刻家といった、ソフィストや賢者と呼ばれてはいないけれども、その分野においてトップレベルの人達なら、何かを知っているかもしれないという思いから、会いに行くことにします。

しかしここでも、意外なことが起こりました。 意外というよりも、賢者にアテレーや真理について聞いたときと同じような事が起こったんです。
例えば、吟遊詩人が歌う沢山の詩を、日々、聞き続けたり収集している、いわゆる詩の評論家やマニアと呼ばれる人達に話を聞きにいった所、彼らは、おそらく詩を作った本人ですら考えていなかった事柄までスラスラと言い始めたんです。

現代でいうなら、ガンダムというアニメ作品がありますが、この設定や登場人物の心理や、彼等が取る行動の意味について、原作者の富野さんよりも詳しく話すマニアの人達っていますよね。
『あのキャラクターが、あの場面でこの様な行動をとったのは、こんな理由があったからだ!』といった感じで、ものすごく細かい設定について熱く語るマニアの人達は少なくないですが、実際には作者はそこまで考えて作ってなかったりします。
では、このマニアの人達が想像する設定とは、どこから来たものなんでしょうか?

例えば、モブキャラクターの心理状態といった、細かすぎる設定について熱く語るマニアがいますが、作者がそこまでの設定を考えていない場合、当然のことながら、その作品内には、そのような事が読み取れる演出はされていない事になります。
では、そのマニアの人達は、どこから、モブキャラの心理状態といった細かすぎる設定を読み取ったのでしょうか。 もう一度言いますが、作った側はそこまで考えていないので、その事が感じ取れるような演出はされてはいません。
作者自身も考えておらず、作品そのものにも、情報がちりばめられていないのにも関わらず、マニアがそこに『何か』を感じたというのは、考えようによっては、神からの神託を受けると言った超常的な事が起こっているのと同じです。

前回取り扱ったメノンでも言っていましたが、神からのお告げで何かを閃くというのは、その物事を知っているという状態とは言えません。
彼等が存在すると主張する『詳細過ぎる設定』は、どこかから発信された電波を受け取って、その内容を受信して、自身の口を通して代弁しているに過ぎないわけです。
詩のマニアが、実際に存在しない事柄を有ると思い込んで主張するというのは、賢者が、知りもしないことを知っていると思い込んでアテレーについて熱弁しているのと同じです。

優れた技術を持つ者たち

ソクラテスは次に、優れた技術を持つと言われている職人の元へ意見を聞きに行きました。
彼等は、日々の生活の中で哲学に接する機会は少ないでし、アテレーや幸福について研究しているわけではないですが、優れた彫刻家や画家、演奏家などは、『美しい』という概念について詳しいように思えます。
演奏家は、美しいメロディーを理解していないと、観客に受ける音楽を演奏できないでしょうし、彫刻家は、美しい肉体を彫刻で表現できなければ、仕事を得られないでしょう。

この様な様々な職人たちの話に耳を傾ければ、自分の知らない事を理解できそうな気がします。
という事で、早速、ソクラテスは腕の良い職人たちの元を訪れて、自分が知らないことを色々と聞き出してみました。
その結果、実際に手を動かして仕事をしている職人は、確かに、勉強しかしていないソクラテスが知らない事を、沢山知っていて、様々なことを教えてはくれましたが、肝心の、アテレーや真理につながるような知識は得られませんでした。

これらの活動によってソクラテスが分かった事は、本当の意味で賢者と呼べる存在は、神のような概念上の存在だけで、その下に位置する私達人間が持っている知識などは、神の知識に比べれはほんの僅かなものでしか無いということでした。
人間の中でも一番の賢者と呼ばれる人物ですら、殆ど知識を持っていないんだから、人間の中で一番の賢者と愚か者の知識の差なんてものは、微々たるもので、どんぐりの背比べにしか過ぎない。
神が巫女の口を通して『人間の中で、ソクラテスが一番賢い』と敢えて主張したのは、この国でソクラテスだけが無知を自覚し、『人間が持つ知識なんてたかが知れている』と気がついたから『一番マシだ』としただけなのかもしれないと主張します。

この活動が災いして、ソクラテスは多くの賢者と呼ばれてきた人達や職人や詩の愛好家から恨まれる事になりました。
しかし、先ほども言った通り、彼は誰でも見物できるところで対話を行っていた為、その対話を見ている人達の一部が、ソクラテスを『賢者を言い負かした真の賢者』と思うようになり、評価が二分してしまったと主張します。
この後、ソクラテスは、この裁判を起こしたメレトスと質疑応答をするのですが、その話はまた、次回にしていきます。