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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第122回【饗宴】太古の人類 前編

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今回も、対話篇『饗宴』の読み解きを行っていきます。

パイドロスとパウサニアスの主張

前回までで出てきた主張を簡単にまとめると、パイドロスの主張としては、エロスは大地や空という概念の次に生まれたもので、人間の内側の概念としては一番最初に生まれた。
また、愛情であるエロスのために代償を支払う行為は美しく、代償を惜しむ行為は醜いため、エロスは尊いと主張します。

次にパウサニアスは、エロスは天のアフロディーテと俗のアフロディーテの2種類あり、両者は最終的な目的の善悪によって分類できると主張します。
恋愛において、相手に求める最終目的が知性や勇気といった徳性の獲得である場合には、天のアフロディーテに分類されて、その行為は美しいものとなる一方、金や権力といった物質的なものを欲する場合には、俗のアフロディーテとなり醜いものとなります。
好きな相手に振り向いてもらうために起こす行動は、その行動そのものに善悪があるのではなく、最終目的が良いものであれば美しい行動となるということです。

エリュクシマコスの主張

そして前回のエリュクシマコスの説ですが、ここではエロスを相対する者同士の欲求と定義し、天と俗の2種類に分かれるのは目的の性質によるものではなく、手段そのものに原因があるとします。
手段として取る行動そのものをエロスと定義し、行動そのものが善悪に分かれるとした理由は、そうしなければ、生まれてきた理由がわからないものが起こす行動を分類することが出来ないからでしょう。
また、エロスをそれぞれが発する欲求と定義し、専門技術をエロスを適切に操作して調和させる事と定義すれば、これは恋愛だけに限らず、自然や宗教すべての事柄に当てはまります。

例えば、物質同士の力の関係性について研究すれば物理学となり、気候や天気の調和をはかるために空の動きを研究すれば、天文学や気象学となります。
この様に学問は全て、それぞれのものが発する欲求の調和を考えていることになる為、エロスの研究となります。
プロメテウスの神話によれば、人間が他の動物に比べて唯一優れている点は、アテナから盗み出した知性なので、知性の代名詞的な学問の根源がエロスであると考えるなら、エロスは偉大だということなのでしょう。

以上がこれまでのまとめになります。各主張をかなり短くまとめたため、これだけを聞いても意味が分かりづらいと思うので、過去回をまだ聞いていない方はそちらから聞いてください。

アリストファネス

今回の内容ですが、アリストファネスの主張を取り上げていきます。
アリストファネスの職業は、喜劇詩人・作家です。彼の作品は劇になっていて、かなりの人気があったようで、そのことは数千年たった今でも名前が語り継がれているところからも、その事が想像できると思います。
アリストファネスは、ソフィストを詭弁を使って他人を言いくるめて、大したことのない情報をさも重要なものとして他人に授けている職業だとしてdisり、そのソフィストの代名詞としてソクラテスを作品内に登場させています。

前に紹介した『ソクラテスの弁明』の中でも彼の作品が紹介され、ソクラテスが信用出来ない奴だという証拠として話題に上がりました。
現代でも、風刺画なんてものがあり、政治や社会で起こっている出来事を題材にしてバカにしたり笑いものにして挑発するというのがありますが、アリストファネスは、それを喜劇で行っていた人物です。
そんな彼の主張なので、これまでに紹介してきた主張とは少し違ったアプローチとなっています。

太古の人類

アリストファネスの主張によると、そもそも人間というのが誕生した太古の昔は、人間は今のような姿形はしていなかったと言います。
ではどの様な姿をしていたのかというと、手と足がそれぞれ4本あり、頭も2つあったと言います。つまり、人間2人分のパーツで出来上がっていたということです。
姿としては、私達に馴染みのある普通の手足が2本ずつの人間が背中合わせで結合している様な感じの容姿を想像してもらえればよいです。

かなり変わった容姿をしているように思えますが、ギリシャ神話の場合は、カオスから生まれたガイアとウラヌスとの子供として、1つ目の巨人であるキュクロプスや、百の手と50の頭を持つヘカトンケイルといったものが、まず生み出されたりしています。
これらは巨人族であったため、たいへん大きな力を持っていたとされています。 この辺りの解釈としては、世界が誕生した際にはまず、大きくて目立つものから概念として生まれ、そこから細分化させて小さな概念を作っていったと考えれば良いんだと思います。
例えば、地形で言えば山や海というのは遠くからでも観察できますし、デカイです。この大きな概念から、小川などの小さな概念が生まれていったと考えると良いと思います。

この様な感じで、ギリシャ神話では最初に化け物のような巨人が生み出されて、そこから徐々に今の人間のような姿形のものが生まれていったと考えられていたので、太古の人間がその様な姿をしていたとしても、不思議ではないのでしょう。

この太古の人間の移動方法ですが、それぞれ4本の手足を伸ばすことで球状になり、転がって移動します。 イメージで言うと、ウニのような感じで外側に目一杯手足を伸ばして、その状態で転がって動く感じです。
この太鼓の人類には性別が3つ有り、それぞれ、『男男』『男女』『女女』で、男女の性質を持ち合わせるものをアンドロギュノスと呼びます。
この性別ですが、太古の人間を1人と数えずに、今現在の人類2人が結合されていると考えて、それぞれの性別の組み合わせがどうなっているのかで、3つの性別が出来ていると考えると分かりやすいと思います。

つまり、2人の男性が結合されているのが『男男』で、2人の女声が結合されているのが『女女』。そして、男女で結合しているのがアンドロギュノスです。
今現在では、アンドロギュノスといえば両性具有の事を指しますが、その言葉はこの話が元になっているのかもしれません。

人類の起源

この3つの性別にはそれぞれ起源があり、男同士が繋がったものは太陽を起源とし、女性同士が繋がったものは地球を起源とし、アンドロギュノスは月を起源とします。

男同士が繋がったものの起源を太陽とするのは、太陽が空に浮かぶ象徴的なものだからでしょう。前にも簡単に説明しましたが、ギリシャ神話では空はウラヌスという男性神とされているため、空に浮かぶ象徴として太陽を起源としているのかもしれません。
同様に、女性同士が繋がった者の起源が地球とされているのは、母なる大地である地球ガイアは地母神であるため、女性の起源が地球ということになっているのでしょう。
では、アンドロギュノスの起源が月となっているのには、どの様な理由があるのか。これは、月は夜の象徴だからかもしれません。

太陽が照っている日中であれば、光によって大地が照らされて、空と大地の境目は明確となりますが、夜には、大地を照らす光は月明かりぐらいとなり、空と大地の境目は暗闇に紛れて曖昧になります。
空が男性、大地を女性とする場合、その両方の性を持つ中間的なアンドロギュノスは、空と大地が一体化した概念とも捉えられるため、夜の象徴としての月を起源としているのかもしれません。

この、それぞれの性別の起源の解釈ですが、対話篇の中で詳しく説明されているわけではないため、公式の解釈というわけではなく、私独自の解釈ですのでご了承ください。


参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第121回【饗宴】エロスは手段と目的のどちらに宿るのか 後編

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エロスは手段と目的のどちらに宿るのか

この、優れた技術を持つものによって発生するエロスですが、前にパウサニアスが主張した様に、天のアフロディーテと俗のアフロディーテの2種類に分かれるといったことはありません。
パウサニアスの主張では、アレテーを求める感情がエロスとなり、互いが惹かれ合う現象自体にはエロスが宿ることはなく、その行為の目的によって二種類のエロスのどちらかが宿ることになります。
しかしエリュクシマコスの主張では、目的ではなく手段が行われている現場においてエロスが宿ると主張します。 つまり、調和のとれた和音が奏でられたときや、恋愛が行われている状態そのものにエロスが宿るということです。

では、パウサニアスが主張した2種類のエロス説というのは全くの出鱈目なのかというと、そうではなく、エリュクシマコスは、エロスの結果として2種類の結末に分かれるといいます。
彼は、技術を持つものが、良い欲求同士を組み合わせることで調和を図ると言いましたが、技術のないものが調和をもたらそうとした場合は悪い結末となってしまい、結果としてはパウサニアスの主張通り、善悪に分かれることになります。
これは、目的が良いから手段が良くなるのか、手段が良いから目的が良くなるのかという話なのですが、卵か鶏かどちらが先かという話になる上、主観的な話も絡んでくるため、相当見極めづらいです。

これに関しては、エリュクシマコスも、専門知識を持つものでなければ識別は難しいといっています。
何故、この様な観点が出てきたのかというと、世の中には、目的の善悪がわからない事柄というのがたくさんあるからでしょう。

人類が存在する目的は不明

ソクラテスの孫弟子に当たるアリストテレスは、全ての存在は、まず目的があって生まれると主張していますが、現に存在はしているけれども、目的がわからないものもたくさん有ります。

例えば、人間がそれに当たります。私自身も人間ですし、このコンテンツを聞かれているリスナーの方々も人間だと思います。人間というのは当然のように存在していますが、では、その人間が生まれた目的は何でしょう。
アリストテレスの言う通り、全てのものは目的を持って生み出されたとするのなら、人間にも誕生した目的があるはずです。その目的を達成することが幸福であるとするのなら、目的を達成するために必要なものがアレテーであるはずです。
しかし、ソクラテスを含む人類は、アレテーがどのようなものかを解明できていないですし、どこに向かえば絶対的な幸福が手に入るのかもわかっていません。

パウサニアスの主張するように、目標の善悪が手段の善悪につながると仮定した場合は、まず最初に、ゴールである目標を明確にして、その善悪を判断しなければなりません。
しかし、目標そのものがわからない場合は、当然、目標の善悪の判断ができないわけですから、人間が起こす行動が良いものなのか悪いものなのかも判断できなくなります。
こうなってしまうと人が取る行動に善悪の基準がなくなるため、手段である行動の方に着目して、良いと思われる手段を積み重ねることで、最終的に正解であろう地点へ辿り着くことを目的にするといった考え方もできます。

では、行動そのものの善悪をどの様に見極めるのかというと、それは誰でも見極められるわけではなく、それが出来るようになには見極めるための技術が必要になります。
この技術は、それぞれのシチュエーションに合わせた専門的な技術となります。

欲求の善悪の見極め

先程は、医者の専門技術の例え話を出しましたが、違った例で説明してみましょう。
音楽が奏でられている宴会の場があったとします。 宴会に参加している人は、その場を楽しもうとそれぞれの欲求をだします。
この際、それぞれの参加者が出す欲求であるエロスは、全てが善なるものではなく、悪いものも含まれているので、良い行動を取るためには良い欲求に従わなければならないということです。

この事を、状況を具体的に想像しながら考えてみましょう。 音楽のコンサートではなく宴会の場ということで、そこに集まった人たちは音楽を聞くことだけが目的ではなく、参加者たちと談笑する目的で参加している者も多いでしょう。
ここで、その場の全体的な雰囲気を尊重しながら会話をする人は、流れている音楽を聞けるような大きさの声で話しますし、流れてきた音楽をネタにして知的な会話をしたりするでしょう。
この様に、場をわきまえるという技術を持つものは、『音楽を聞きたい』とか『話をしたい』といったそれぞれの欲求を上手く引き合わせ、宴会自体を調和の取れた楽しめるものへと変えていきます。

また、この流れは、その人と会話をしている人達だけに収まらず、会場全体へと波及していき、そのイベント全体が良いものへと変わっていきます。
逆に、場をわきまえる技術がない人が幅を利かせた場合、話す話題も選べず、自分の欲求に素直に従い、例えば大声で下ネタを話し、一部の人達だけで盛り上がってしまう可能性もあるでしょう。
この様なイベントに参加した他の参加者は、聞きたくもない下ネタを聞かされ、音楽も聞けず、楽しめないまま帰ることになります。

これは、宴会で出される料理などにも当てはまります。
例えば、料理人が宴会場の料理を用意する際に、調和を考えずに『客に受けそうだ』という理由だけで偏ったメニュー構成にして、客が栄養の偏った料理を度を越して食べ過ぎれば、客は病気になってしまうこともあるでしょう。
一方で、料理人がバランスの取れたメニュー構成にし、料理を出すタイミングを調整することで客の欲求を適切にコントロールすることができれば、客は料理に満足するだけでなく、健康まで手に入れることができます。

エロスは欲求の調和を行うもの

この様に、エロスを目的と捉えるのではなく手段と捉え、手段であるエロスを専門技術を使うことで良い方向へと導いてやれば、結果として人は良い方向へと向かって行きます。
またこの二種類のエロスと調和の話は、人間が生み出した文化だけに限らず、自然にも適用することが出来ます。

例えば、自然には四季の移り変わりというものがありますが、これも調和が取れていなければなりません。寒い時期と暖かい時期、そしてそれらが混じり合う季節が調和の取れた形で巡っているから、自然というものは成り立っています。
これが、ずっと寒い状態が続いたり、反対に熱い状態が続いてしまうと、調和は崩れて生態系に大きな被害が出てしまうでしょう。
一時期、この地球の支配者とされていた恐竜は、隕石衝突による気候変動によって絶滅してしまったと言われていますが、外的要因によって気候の調和が崩れてしまうことで、今の生態系は致命的な打撃を受けてしまうことでしょう。

この気候の移り変わりを研究するために必要なのが天文学となります。
現代では、天文学は別の意味を指すのかもしれませんが、倍率の高い天体望遠鏡もない古代ギリシャでは、天文学は暦を知るために活用されていたので、季節の移り変わりの研究=天文学になるのでしょう。
この天文学を、季節同士のエロスの調和を研究する学問と捉えれば、天文学は四季に関するエロスを研究する学問と解釈することも出来ます。

この様に、エロスを欲求同士の調和をとるものだと解釈すれば、あらゆるものにエロスが関係してきます。
例えば、あらゆる宗教的儀式は、神と人間とがお互いの意思を伝え合うための行為となりますが、その行為そのものが、エロスを誘導させて調和を取ろうとする行為にほかなりません。
仮に、神の存在を無視して、自分の欲求だけを優先して神の意にそぐわない行為を平然と行えば、その行動は調和を乱す行為となり、俗のエロスの行為となります。

まとめると、エロスとはあらゆるものが持つ欲求を、専門技術や知識で調整し、欲求同士を適切に誘導することとなります。
調和の取れた正しいエロスは、人間を正しい方向に導いてくれる一方で、自分勝手な欲望を優先させて調和を乱すエロスは俗のエロスとなります。
調和の取れたエロスが私達を幸福へと導いてくれるエロスで、これがあってこそ、私達人間は互いに友愛の絆を結ぶことができます。

これでエリュクシマコスの主張が終わり、次はアリストファネスの主張が始まるのですが、それはまた次回に話していきます。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第121回【饗宴】エロスは手段と目的のどちらに宿るのか 前編

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エリュクシマコスの主張

今回も前回までと同じ様に、プラトンが書いた対話篇『饗宴』を読み解いていきます
これまでに、パイドロスとパウサニアスの主張を聞いてきましたが、今回は、エリュクシマコスの主張です。
彼の職業は医者なので、その観点からエロスについて考えていきます。

最初に注意としていっておくと、私自身は医者ではないため、医学の知識はありません。この対話篇のエリュクシマコスの主張は、医者といった専門知識を持つ人達が考えるエロスの一般論を、彼の口を通して話させるという手法をとっています。
その為、当時の医学の考え方が登場しますが、その考え方が古代ギリシャ独特の考え方なのか、今現在でも通用するような考え方なのかというのは、私には判断ができません。
ですので、できるだけ内容を変えず、対話篇の内容に沿った形で紹介していますので、予めご了承ください

2種類の欲求

早速本題に入ると、まず人間の体について考えると、大きく分けて2種類に分類することが出来ます。 それは、健康な部分と病気の部分です。
この二種類は当然のように違った性質を持ちますが、それぞれが同じ様に『欲求』をしてきます。エリュクシマコスは、この欲求をエロスと仮定します。
ここでいう欲求であるエロスは、性的欲求というよりも『水が欲しい』とか『食事を取りたくない』といった、体が体調を通して求めてくるものだと認識してください。

健康な部分と病気の部分のそれぞれが、意識に対して別々の欲求をぶつけてくるわけですが、エリュクシマコスによれば、耳を傾けるべきなのは健康な部分から発せられる欲求だけで、病気の部分からの欲求には耳を貸してはいけないと主張します。
例えば飲食で考えてみましょう。 カロリーを使いすぎて備蓄していたエネルギーが減ったので飯が食べたいという欲求は、健康的な欲求だと考えられるので、それには応えるべきです。
しかし、アルコール依存症の人間が、酔いが覚めてきたから追加で酒をくれと要求してきた場合、その欲求には応えるべきではないでしょう。

医者という職業は、患者の体の反応を見ながら対応していくのが仕事で、体が今現在、何を欲しているのかを適切に判断する能力が必要になります。
患者の体が健康体になろうと欲しているものを与え、病気の部分の欲求は無視する。この判断ができるか出来ないかで、医者が優秀かどうかが決まります。
更に優秀な医者は、患者の体に働きかけて、体の欲求を消し去ったり別の方向へと変えたり、また、欲求がないところに欲求を発生させることが出来たりします。

例えば、風を引いて食欲が無い場合。 そのまま体の欲求に応えて食事を取らなければ、体は衰弱して病気は更に悪化する可能性もあります。
しかし優秀な医者は、適切な薬を処方して食欲を回復させて、患者が自ら食事を取りたいと思う状況を作り出して、病気の状態を健康体へと改善させることが出来ます。
体中に存在する相対する部分、例えば、温かい部分と冷たい部分。硬い所と柔らかい所、乾いた部分と湿った部分など、正反対の性質を持つ部分に働きかけて、互いが互いを求め合うようにエロスを操作して、体内に調和をもたらすことができるといいます。

万物流転

また、これらのことは医術に限定されず、運動や農業、音楽といった他の分野についても当てはまると主張し、ヘラクレイトスが唱えた万物流転という説の一文を引用します。
万物流転というのは、随分前に一度取り扱った事があるのですが、最近聞き始めた方や時間が空きすぎていて忘れている方のためにもう一度説明しておくと、世の中のもの全ては移り変わっていて、同じものはないと言った感じの理論です。
少し詳しく説明すると、論文などで説得力をもたせる形で論理的に説明しようと思うと、AはBであるといった感じで理論を順番に説明していくことが多いですが…

そもそもAとBは同じものと言えるのかという話です。 Aという事柄とBという事柄は別のものだから別の名称がついているわけで…
ある特定の枠組みで切り取ると同じものと言えるかもしれないが、もっと大きな枠組みで考えた場合、それらは同じものなのかということです。
例えば、自然の一部としてある川や山は、地球の歴史というものすごく長い年月で見れば、その姿形は絶えず変化しているため、それらを通して一つの名詞として名前をつけて、同じものとすることは出来ません。

これは人間という一個人についても同じです。私、『木村』という個人は、今現在と30年前の時点とで比べれば、外見や備えた知識、能力、考え方、全てにおいて違います。
これを『同じ個体なんだから、全く同じものだ』とすると、違和感が出てきます。では、期間を短くすれば同一のものになるのかと言えば、そんなことはないでしょう。
人間は日々、食事を食べて新陳代謝をすることで体の構成要素を入れ替えていっていますし、僅かな時間であっても成長や老化はあるでしょう。

また、常に新たなこと知ったり学んだりし、それを元に考察したりして、毎日、僅ずつかではありながら考え方も変えるわけですから、同一のものにはなりません。
これらの事を踏まえて、万物流転はよく、『同じ川に二度と足を漬けることは出来ない。』という例え話で説明されます。
これは、一度川に足をつけてから川から出てきて、もう一度、同じ川に入ったとしても、その川の構成要素は変わっているので厳密に言えば同じ川ではないということです。

調和

今回取り扱う対話篇では、先ほど紹介した部分とは別の部分が引用されていて、その内容というのが
『一なるものは、自分自身と合致していないのに、自分自身と調和している。ソレはまるで、弓や竪琴が生み出す調和のようなものだ。』
というものです。

この部分の解釈ですが… 私はヘラクレイトスの万物流転を専門に取り扱った本を読んでいないため、詳しい解釈についてはわかりません。
本を読んでいない理由としては、単純に値段が高いことと、ネットなどでそれほど取り上げられていないからです。その為、この引用部分については書かれている事をそのまま解釈するしか無いのですが…
おそらく、万物流転によって全てのものは変化してしまうけれども、本来同一だった者同士というのは、別のものになったとしても調和が取れているということなんでしょう。

対話篇に書かれている例を挙げて説明すると、竪琴が奏でる高音と低音は、音の高さという点で言えば正反対の性質を持つため、同じ竪琴から奏でられた音だとしても違う音だと考えられます。
しかし、その正反対の別々の音を、竪琴を奏でる技術に秀でたものが合わせることによって、調和した和音にすることが出来ます。
これは、テンポの早い遅いも同じで、正反対のものを高い技術で持って一致させることによって、調和が生まれたりします。

全く正反対のものを混ぜ合わせて、それが心地よいものへと変化する場合、その調和にはエロスが宿っているため、美しいものになります。
これは、本来なら正反対であるはずのものが、優れた技術によって互いに求め合うような状況にすることが出来ているので、エロスを宿らせることが出来たということでしょう。。
先程の例で言えば、高い音、低い音が演奏者の優れた技術によって、それぞれ正反対の音を欲求、つまりエロスを発揮させることで互いに引き合わせて調和させ、結果、美しい和音になったということです。


参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第52回【経営】ブランド(3)

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kimniy8.hatenablog.com

2つのブランド

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今回も、ブランドについて勉強していきたいと思います。
前々回は、ブランドには大きく分けて2つあるという話をしました。
1つはプライベートブランドで、これはメーカー以外の流通業や卸売業が企画をし、メーカーに製造を依頼することで作ってもらって販売するものです。

例えば大型スーパーを経営しているイオングループでは、プライベートブランドとしてビールを出していたりしますが、ではイオングループがビール工場を持っているのかといえば、持ってはいないでしょう。
商品パッケージやビールの味などは企画として考えるかもしれませんが、ビールの製造そのものはビール会社に依頼して作ってもらいます。
もう1つのブランドはナショナルブランドで、これはメーカー側のブランドのことです。

4つのブランド

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これらの2つのブランドですが、更に細分化されていきます。
大きく分けると『標的市場が似ているのか』と、『商品ラインナップが似ているのか』の2つ。
この2つがそれぞれ。似ていると似ていない。言い換えれば同質と異質の2つに分かれるため、最終的に4つに分かれます。

標的市場の類似性

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標的市場の類似性や商品ラインナップについては前回に説明していますので、まだ聞かれていない方で詳しく知りたい方は、そちらをお聞き下さい。
前回のおさらいついでに簡単に振り返ると、標的市場が似ているか似ていないかというのは、簡単に言い直せば、ターゲットにしている市場が同じかそうでないかの違いです。
ターゲット層というのは、どういう顧客層に向けて販売するのかということで、大雑把に言えば男性向け商品なのか女性向け商品なのか。

仮に女性向け商品だとして、女性の中でもどの年齢層をターゲットにしているのか。仮に30代女性をターゲットにする場合、どういう趣味やライフスタイルを送っている人なのかといった感じで絞り込んでいく事をターゲットといいます。
何故ターゲットが必要なのかというのは、ターゲットの重要性のみを語った回を過去に配信したので、詳しくはそちらを聞いてもらいたいのですが、これも簡単に説明すると、極端な話、誰向けか明確でない商品を買う人はいないからです。
人は、自分様にカスタマイズされたような製品は興味を持ちますが、誰に向けて開発されたのかが分からないような商品を進んで買う人はいません。

つまり、理想としては全ての商品をそれぞれの個人向けにオーダーメイドで作るのが良いのでしょうが、そんな事をしていてはコストがバカ高くなってしまいますし、利益も出づらくなってしまいます。
利益が出ないというのは事業運営としてはありえないので、もっと効率を良くするために、似たような性質を持つ顧客層に向けて販売していくことで生産性を上げていくのが基本的な戦略となります。

話をマトリクス図の方に戻すと、製品ライン間のイメージと標的市場が共に同質である場合はファミリーブランド。
製品ライン間のイメージが同じで標的市場のみが異質である場合は、ブランドプラスグレード。標的市場の類似性が同じで製品ライン間のイメージが違う場合は、ダブルブランド。
標的市場も製品ライン間のイメージも両方違う場合は、個別ブランドと、4つのブランドに分かれます。

ファミリーブランド

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ではまず、ファミリーブランドから話していきます。
このブランドの前提となっているのは先程も話したとおり、製品ライン間のイメージとターゲットとしている顧客層が同じ状態の時です。
つまり、同じようなカテゴリーの製品を従来の顧客に販売するもので、これまでと同じブランド名をつけて同じ手法で販売していきます。

何故、プランド名を変えずに同じ名前で同じ方法で販売していくのかといえば、顧客の中でブランドイメージを固めてもらうためです。
似たような商品ラインナップにも関わらず、無闇矢鱈と新たなブランドを作って行ってしまうと、顧客からはブランド名を覚えてもらえません。
これは他のことに当てはめてみると分かりやすいと思います。例えば英単語を覚える場合、1つ英単語を覚えるのと似たようなアルファベットで構成されている英単語を10個覚えるのと、どちらが覚えやすいでしょうか。

これは当然、1つの単語を覚えるほうが覚えやすいですし、思い出す場合も思い出しやすいと思います。
前にも話したと思いますが、人が何かを買おうと思った際に、多くの人は一番最初の方に思い浮かんだブランドで買い物をします。
顧客に優先的に自社ブランドを思い出してもらうためには顧客が覚えやすいように、同じようなイメージの商品は同一ブランドで出すようにすることで、覚えてもらいやすくします。

できるだけ同じようなイメージの商品を1つのブランドで出し続けて顧客の中でイメージとブランドが強く結びつけば、それだけ覚えてもらいやすくなります。

ダブルブランド

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次に、標的市場は同じだけれども、製品ライン間のイメージや競争地位が異なっている場合ですが、この時はダブルブランドを採用します。
ダブルブランドとは、簡単に言えば2つのブランド名を併記する形で商品を売り出すことです。
2つのブランドを併記している商品なんて見たことがないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は多くの製品がダブルブランドを採用していたりします。

例えば、キリンビール一番搾りというブランドで商品を出すのがダブルブランドです。
商品ラインとしてのブランドは一番搾りですが、これにナショナルブランドであるキリンビールというのをつけることで、顧客は安心感を得ることが出来ます。
なぜ安心感を得られるのかといえば、多くの顧客はキリンビールというブランド名の方を、『どのような価格帯でどのような品質の製品を提供している企業か』というのを知っているからです。

一番搾り』というブランドだけで十分だろと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、今でこそ、一番搾りというのは既にブランドとして幅広く認知されていますが、最初からそうだったわけではありません。
商品が出始めて間もない頃は、まだ名前も浸透してはいないでしょう。その頃から『一番搾り』という名前だけで販売していたとすれば、同じ様にヒットしていたかどうかはわかりません。
例えば今、キリンビールが全く新しいブランドののビールを発売したとして、そこにキリンビールの名前を併記しなかった場合、顧客は全く馴染みのないブランドの商品を買うかどうかはわかりません。

これは他の分野でも同じです。 ソニーはテレビを製造して販売する際にブラビアというブランド名をつけていたりしますが、ソニーというブランド名を隠してブラビア単体で宣伝するということは行っていません。
何故かといえば、長年経営して信用を蓄積することで、市場で一定の人気を得ているからです。
そのソニーというブランド名を使わず、ソニーよりも知名度が低いブラビアというブランド名だけで販売するよりも、ソニーというブランドを併記することで知名度を利用したほうが得策なので、このような方法を取ります。

同じ顧客層

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このダブルブランドですが、先程のキリンビールの例でもソニーの例でも、それぞれ市場での顧客層は基本的には同じです。
キリンビールの顧客層で言えば、一番搾りは呑むけれども淡麗グリーンラベルは絶対に呑まないと決めている人は少ないと思います。
同じビールであるため、気分や懐事情によって他の商品を飲んでみるという人も多いと思いますし、ビールの場合は絶対的な価格が安いので、キリンビールから新ブランドが出たということで試しに呑んで見る人も多いと思います。

つまり顧客層そのものは全く違うということはなく、限りなく同じ層となっています。
では、ブランドイメージはどうかといえば、これは微妙に違います。 のどごしを重視していたり高級感を演出していたりとコンセプトそのものが違ったりもしますし、料理中に呑むのか、単独で呑むのかと行った感じで、消費する状況が違ったりもします。
この様に消費するタイミングや価格帯などを分けて、それぞれに違ったブランド名がつけられているため、顧客側としてはシーンに合わせた商品を購入することが可能となります。

2つのブランドの矛盾?

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ここで、『先程のファミリーブランドの説明では、同じ顧客層向けに多数のブランドを展開するのは止めた方が良いと説明していたのに、その話とは矛盾しないのか?』と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
先程の説明では、同じ顧客層向けに向けた商品に複数のブランド名をつけると、顧客に自社ブランドを思い出してもらえないため、止めたほうが良いと説明しました。
今回のダブルブランドでも先程のファミリーブランドと同じ様に、販売する顧客層は同じなので、先程の理屈であれば、ブランドは一つで統一したほうが良いことになってしまいます。

では本当に矛盾するのかというと、実は矛盾はしていなかったりします。

2つのブランド

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何故か。先程、ファミリーブランドでブランドを乱発しないほうが良いと説明したのは、顧客にブランド名を覚えてもらいやすくし、購入機会が訪れた際には真っ先に自社製品を思い出してもらうためでした。
このダブルブランドでは、その役割はナショナルブランドのほうが引き受けてくれています。

個別の商品ラインに付いているブランドは、ヒット作になって長く販売されれば知名度も高くなり、顧客のイメージとも結びつきやすくなりますが、それまではナショナルブランドのイチ商品に過ぎません。
また、アパレルの場合はデザインや生地で違いを出せるため、同一ブランドとして多数の商品を出しても成り立ちますが、ビールのように容器の形が同じものである場合、商品名を買えなければ差別化が出来ないという問題も出てきます。
そのため、知名度の高いナショナルブランドで商品の基本的な品質を担保しつつ、それぞれの商品ラインに個別のブランドを付けて商品の個性を打ち出していくというのが顧客にとっては逆にわかりやすかったりします。

パソコンのデータ管理で言えば、まずデータを大まかなジャンルで分けてそれぞれのフォルダーに分けてた上で、それぞれのジャンルホルダーの中で更に細分化を行ってデータを整理するようなものです。
お酒の販売で言えば、まず、酒やビールメーカーのナショナルブランドというフォルダーを作り、その中に淡麗や濃醇(のうじゅん)というフォルダーを作り、更にその中に辛口や甘口といったフォルダーを作って行くようなものです。
個別商品のブランド名に味を想像しやすい名前をつければ、顧客は2つのブランドによってその商品がどのようなものかが簡単に理解できるようになるため、購入の際に思い出しやすくなります。

思い出しやすくなるというのは、販売を続けていく上で有利になるため、この様な方法が取られます。
今回紹介したダブルブランドについては、更にそこから派生した考えなどもあるのですが、その話はまた次回にしていきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第51回【経営】ブランド(2)

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ブランドの分け方


今回も、ブランドに付いて勉強していきたいと思います。
前回の話を簡単に振り返ると、ブランドというのは企業の立ち位置の違いによって、大きく分けて2つに分かれるという話をしました。
立ち位置の違いというのは、自分で製品を作っているのか作っていないのかの違いで、これによってナショナルブランドプライベートブランドに分かれます。

自分では製品を作っていない流通業や卸売をしている企業が企画だけを行って、製品製造はメーカーに委託して作られる製品がプライベートブランドです。
プライベートブランドという名前は流通王手のスーパーなどが積極的に使っていたりするため、ニュースなどで聞いたことがある方も多いと思います。
一方で、自分で製品を作っている企業が名乗るブランドが、ナショナルブランドです。

このナショナルブランドですが、単にメーカーが名乗っているブランドと言うだけでなく、その名前には様々な意味を含んでいたりします。
今回はその事について話していきます。

ブランド=イメージ


メーカーが名乗っているブランド名は、単に製品の呼び名というだけでなく、その他の様々な要素を含んでいます。
抽象的な言い方をするのであれば、ブランド=市場が抱いているイメージと捉えてもらうと分かりやすいかもしれません。
イメージは人の捉え方によって様々な意味を含むようになりますが、ブランドも同じように様々な意味合いを含んでいます。

例えば、精密性に優れた企業のブランド名は、それがそのまま製品の品質に対する信頼性に繋がります。
特定品種のフルーツや地域名が付いた農作物なども、美味しいだとか、それによって品質が担保されているというイメージを纏っています。
この様に、ブランド名というのはどこのメーカーが作っているという区別のためだけに存在しているだけではなく、その名前そのものにイメージが伴っています。

ブランドの種類


そのイメージのことを含めてブランド名と言いますが、このブランド名は学問的な種類としては4つぐらいに別れます。
この分け方ですが、『製品ライン間のイメージ』と『標的市場の類似性』とのマトリクス図になっています。
そのそれぞれが同質と異質で分けられているため、カテゴリーとしては4つに別れていると思って下さい。

標的市場の類似性


まず標的市場の類似性についてですが、これは、ターゲットにしている層が同じかそうでないかという違いだと思ってもらえれば良いと思います。
大雑把に分けるなら、販売相手は男なのか女なのか。富裕層か庶民向けかと行った感じで、どの層に向けて商品を売っていくのかの違いです。
何故、この様にターゲット層を分けなければならないのかというのは、過去に取り扱った回があるので詳しくはそちらを聞いて欲しいのですが…

簡単に言えば、全ての人を満足させるような製品というのは作れないからです。製品というのは、幅広い層に訴えようと思えば思うほど、誰の心にも響かないものしか作ることが出来ません。
想像して欲しいのですが、大富豪がパーティーに着ていくための洋服と、庶民が部屋着として使う洋服を1つのデザイン・品質で作ることが出来るでしょうか?
これは当然ですが無理です。 庶民が部屋着として使うために購入する服は金額が安くなければ買えませんが、そのような安い製品を作ろうと思えば品質を下げなければなりません。

当然ですが品質を下げれば、パーティーに着ていけるようなクオリティーの商品には仕上がません。
これを無理やり庶民と大富豪の両方のニーズを1つの製品で満たそうと思って商品開発を手掛けると、出来上がる商品は中途半端な製品となってしまいます。
中途半端な製品は誰に訴えているのかが分かりにくいですから、当然、誰の心にも響きません。そしてそんな製品が売れることはありません。これを避けるためにも、ターゲットに合わせた製品を作ることが重要になってきます。

そのターゲット層が同じ層なのか、それとも違う層なのかというのが、標的市場の類似性と考えてもらえれば良いです。

製品ライン間のイメージ


次に製品ライン間のイメージですが、これは顧客の方ではなく商品ラインそのものが持つイメージのことです。
分かりにくいと思うので、身近な例としてアパレル業で例えるのであれば、とあるメーカーがギャル向けの少しケバケバしい服を集中的に出していたとします。
そのメーカーが同じターゲット層に対して少し大人しい感じのデザインも考案して出したいと思った場合、今までと同じブランドで出してしまうと、ブランドイメージが崩れてしまう可能性があります。

というのも、そのブランドは元々はケバケバしい服を集中的に出していたわけですから、そのブランドを知る人達の間では、『そこで発売される商品はケバケバしい服』というイメージで固まっています。
これは一見すると顧客層を狭めてしまいそうな現象です。しかし一方で、『派手な服が欲しい』と思った消費者は真っ先にこのブランド名を思い出すことになります。
この真っ先に思い出すというのが、実は消費活動においては最も重要なことだったりします。

イメージを定着させる


例えば、最近ではネット検索が一般的になってきているので、みなさんも何かを探す際にネットで検索したことがあると思います。
その際の検索に引っかかる件数自体は、検索ワードによっては数万に及んだりします。しかし実際に見るページというのは、検索上位の数個の記事だけということが多いのではないでしょうか。
これは人の脳も同じで、人は自分の頭の中にある情報を思い出そう。つまり検索しようとした際に、最初の方に思い出した情報を重要視します。

例えば、『派手な服が欲しいけれども、どこのブランドの服を買おう…』と悩む事がある場合、一番最初に思い浮かんだブランドの服を買うということです。
これは、先程のネット検索上位しか観ないという話と同じことで、一番最初に思い浮かんだ情報に行動の方が引っ張られてしまうということです。
つまり、顧客に真っ先に思い出してもらって購入してもらうためには、この手の商品ならあのブランドと顧客の脳の中で紐付けられている状態にし、一番最初に連想してもらう必要があるということです。

このように、顧客の頭の中でイメージとブランド名の紐付けを強固にするためには、商品ラインナップのイメージは揃えた方が良いことになります。
先程のアパレルの例で言うのなら、ケバケバしい服ばかりをデザインして販売しているのであれば、そのブランドではそのスタイルを貫き通した方が、顧客の中で製品とブランド名が結びつきやすくなって思い出してもらいやすくなるということです。

思い出してもらうためには


このような状態にあるにも関わらず、ケバケバしい商品ラインナップの中に大人しめのラインナップを加えてしまうと、ブランドイメージが崩れてしまいます。

ブランドイメージが崩れてしまうとどうなるかといえば、せっかく顧客の中で固まっていたイメージがあやふやになってしまいます。
イメージがあやふやなってしまうということは、顧客の頭の中でイメージとブランド名との関連付けが薄くなってしまいます。
関連付けが薄くなるということは、顧客に思い出してもらい辛くなるわけですから、ブランドにとっては不利となります。

先程の例でいえば、ギャル向けのケバケバしい服ばかりを作って販売していたブランドが、販路を拡大しようと、清楚な女性向けの大人しい商品や不思議系の服を販売しだしたとします。
このような商品開発によってターゲット層そのものは、ギャル・清楚・不思議ちゃん向けと増えるわけですが、その一方でブランドイメージは崩壊してしまいます。
つまり、どのような商品を誰向けに作っているのかわからない服屋になってしまうということです。

このような状態になってしまうと、せっかく広げたターゲット層の誰にもブランドを覚えてもらうことが出来ません。
ブランドを覚えてもらえないということは、ネット検索で言い換えるのなら検索順位が下がっているのと同じです。
検索上位に上がっていないということは、顧客に自社製品を『買おうかどうかの選択肢にも入れてもらえていない』ということなので、当然、商品は売りにくくなります。

ターゲット層を拡大したにも関わらず、ターゲット層に認知され無いために商品が売れないというのは最悪なので、無闇矢鱈とターゲット層を広げるよりも、ターゲットは絞った方が良いということになります。

ターゲット層の分け方


ただ難しいのは、このターゲット層というのは数学や物理の世界のように、誰の目から見てもクッキリと明確には別れていないということです。
『つまりターゲットの区切り方は人による』ということです。

例えば先程例に出したアパレルメーカーで考えた場合、ケバケバしい服や清楚系・不思議ちゃん向けと、一見するとバラバラのジャンルの服を販売していたとしても、ターゲットを女子高生に絞った場合は問題がなかったりするということです。
女子高生のお小遣いで買えるような値段設定にしたり、彼女たちが遊びに行きそうな立地に店舗を構えるなど、価格設定や店舗の立地でもターゲットを明確にすれば、女子高生向けブランドとして成功できるかもしれません。
つまり、市場に自分たちのブランドを女子高生向けブランドと認知させることが出来れば、女子高生が服を買う際には、そのブランドの名前が真っ先に頭に浮かぶわけですから、ブランドとしては成功できる可能性があるということです。

しかし当然ですが、そのようにして市場での認知を高めてしまえば、他の層。つまり主婦やOL層には振り向いてもらえないわけですから、結果として、ターゲット以外の層は切り捨てることになります。
つまり特定分野で認知を高めて、○○といえばこのブランドとまっさきに思い出してもらえるように頑張るということは、他の市場を切り捨てるということにつながるわけです。
では、他のターゲット市場に進出したいと思った場合はどうすればよいのかといえば、これは前にも言ったかもしれませんが、別ブランドで出せば良いのです。

つまり、女子高生向けブランドとして進出して成功し、事業が軌道に乗って事業拡大出来る余裕が出来た場合、違うテイストの商品は同じブランドでは出さず、別のブランド名を立ち上げて出せばよいということになります。
このようなことを考えていくのが、ブランド戦略となります。
今回は、ブランドを考える上でのマトリクス図の説明のみとなりましたが、次回からは、その詳しい中身について勉強していきたいと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第120回【饗宴】天と俗のアフロディーテ 後編

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神話の捉え方

捉え方としては、概念同士のやり取りや足し算引き算と考えたほうが良いと思います。
例えば、ウラヌスにしてもクロノスにしてもゼウスにしても、自分の子供が新たな王となるという予言を受けて、権力を奪われないために自分の子供を丸呑みにしてしまうという話があります。
これは、単純に権力欲の話だけを描いていると捉えるのではなく、一旦分離した概念が再び1つになったといった感じで捉えた方が、理解しやすいと思います。

例えばゼウスについての話をすると、ゼウスも、先の王であるウラヌスやクロノスと同じ様に、子供によって王座を奪われるという予言を授かり、自分たちの子供を全て丸呑みにします。
しかしその後、ゼウスの頭が割れ、その中から完全に武装した形で女神アテナが誕生します。 格好が武装しているのは、アテナが軍事力を司る女神を表しているのですが、ゼウスの頭から生まれる理由は、概念的な考えをした方が理解しやすいです。
同じ軍事力を司る神としては軍神アレスなども存在しますが、アテナと彼で違う点は性別だけなのかというと、そうではありません。 アテナはゼウスの頭から生まれているというのが、決定的な違いになります。

具体的にどの様に違うのかというと、知性の有無です。 頭というのは、知性を司る部位です。アテナが、全知全能であるゼウスの頭から生まれたということは、ゼウスが持つ知性を受け継いでいると考えられます。
つまりアレスは知性を持たない武力で、アテナは知性が宿っている武力という見方ができるわけです。
同じ様にゼウスを親に持つ武力の化身であるアレスとアテナが争って、優劣がハッキリとする場合、その差は知性の差ということになります。

この様な感じで、神話に登場する神々の物語は単純なストーリーとして受け止めるのではなく、それぞれの概念がどの様に関係しあっているのかを考えながら読み解いていくと、わかりやすくなると思います。

2人のエロス

話を戻すと、美の化身としては天のアフロディーテと俗のアフロディーテが存在するわけですが、パウサニアスがいうには、両者が等しく素晴らしいわけではなく、称賛すべきなのは天のアフロディーテだけだと主張します。
理由を話す前に、まず前提条件として、行動そのものに善悪というのは存在しません。 この事は以前、【ゴルギアス】という別の対話編を取り扱った際にも紹介しました。
人が起こす行動は全て、目的を達成するための手段でしか無いのですが、手段の善悪は、目的の善悪によって決まります。

つまり同じ行動をとったとしても、最終目的が悪であれば行動も悪になるし、良い目的のために行われる行動であれば善なる行動になるということです。
例えば、人に親切にするという行動そのものに善悪はなく、人助けがしたいという目的で行われる行動は良い行動になり、親切な行動をとることで信用を得て、最終的にお金をだまし取ろうと考えて行う『親切な行動』は悪になるということです。
これはエロス・愛にも当てはまることで、行為が正しく行われるのであれば美しいものとなり、不正に行われるのであれば、たとえ同じ行動だったとしても、それは醜いものとなります。

では、どのようなものが俗のアフロディーテで、醜いものとされるのでしょうか。
パウサニアスがいうには、俗のアフロディーテに属する愛情というのは、少年に向けられる愛情ではなく女性に向けられる愛情であり、精神ではなく肉体を愛する。
そして、優れた知性を持たない愚かなものを好むことと定義します。

俗のアフロディーテ

何故、これらを動機とした愛情が悪なのでしょうか。
パウサニアスによると、俗のアフロディーテはゼウスとディオネという男女の間に生まれた子であるため、男女の性質を持って生まれてしまいました。一方で、天のアフロディーテは男性神のウラヌスのみを親としていて、ここに違いがあると言います。
この部分のどこが重要なのか、それは、前にも説明したと思いますが、男性同士では子供が産めない一方で、男女間では子供が生まれるという点です。

子供が生まれるということは、そこに愛情以外の感情も入り込む余地があるということです。例えば、子供が欲しいから手段として相手を愛するといった具合にです。
この場合、子供を作ることが目標になり、パートナーに愛情を向けることは手段になってしまいます。
更に突っ込んでいえば、子供を育てるなら裕福な相手の方が良いとか、家柄が良いほうが良いなどと条件を追加していくと、愛情以外の部分の比重が重くなっていってしまいます。

また、生物として人間を見る場合、種として存続するためには子供を生んで世代をつなげていくことが重要になります。そのため、男女間の性交では、本能的な快楽や満足度も付加されると考えられます。
理性よりも本能からくる満足感や快楽といった肉欲を優先させる様な人は、人の理性面に引かれることはないため、簡単に行為に至る事を優先して、できるだけ知性の低い人を選ぶ傾向にあります。
プロメテウスの神話によれば、人間が他の動物と比べて優れている点は知性のみとされていますから、その知性に惹かれずに動物的な快楽に引かれて行動を起こすというのは、良い行動とは言えないということでしょう。

目的の差

もう少し具体的な例で説明すると、人柄や知性に引かれてその人を愛し、その人物に愛を宣言して相手を射止めようと努力する行為は、美しい行為と言えます。
人柄に惚れた。人間性が好き。あの人を尊敬している。だからあの人のことが好きで、あの人と両思いになりたい!と周りに宣言し、その人を射止めるために必死に努力する人がいた場合、周りの人は応援するのではないでしょうか。
では何故、その恋する人を応援するのかといえば、その行為そのものが美しいからです。

その一方で、あの人の持ってる財産が欲しい! あの人と結婚して、家柄や人脈を得たい! 今ムラムラしてるので、適当なことを言えばついてくる様な相手で良いから抱きたい!と宣言し、それをせっせと実行している人を見た場合はどうでしょう。
金持ちや良い家柄の人の前で媚びへつらって、なんとかして金や地位を手に入れようとしている人物をみたり、直ぐに抱けそうだからという理由だけで、だらしのない人を手当り次第ナンパしている人を見たとすると、大抵の人は軽蔑するのではないでしょうか。
何故、軽蔑するのかといえば、財産や地位や快楽を前に跪くという行為そのものが、醜い行為だからです。

大抵の場合は、人が誰かに愛情をもち、恋仲になるために努力する時、その理由を周りの人間に宣言して伝えた上で行動に移すなんて人はいません。
その為、人柄や尊敬できると言った理由で行動を起こす人も、地位や財産や肉欲に支配されて行動する人も、周りから見れば同じ様な行動をとっているようにしか見えません。
しかし実際には、その人物が何を求めているのかで、人々がその人に抱く印象は180度変わってしまいます。

仮に結婚しようという話になって、相手の親に会いに行く場合、親から『何故、この子を選んだんだ?』と聞かれた時に、金を持っているからとか、顔がいいから、抱き心地が良かったからと答えたとして、親は結婚に賛成するでしょうか。
一方で、人間性に惚れた。物事の考え方などが素晴らしく尊敬できるので、ずっと一緒にいたいと説明された場合はどうでしょう。反対するでしょうか。
両者の違いは、一方が金や容姿といった一時的なものを欲しているのに対し、もう一方は知性や徳性といった永続的なものを欲していることです。

アレテーを求める行動は尊い

徳性とは、アレテーを構成しているもののことで、知性であったり勇気・堂々たる器量・節制といったものが含まれますが、これらのを宿す者に惹かれた場合、その恋は軽蔑されず、美しいものとして応援されます。
これは恋愛に限らないことで、人と人のつながりを築いていく際、金や地位を目的として近づいていく人よりも、徳性を備えた人間性に惹かれたと言って近づく方が、好感を持たれるでしょうし信用もされるでしょう。

この様に、エロスには2つの種類があり、一方は尊いものであるが、もう一方は醜いものであるというのが、パウサニアスの主張となります。

次は、エリュクシマコスが別の視点でエロスを解釈するのですが、その話はまた次回にしていきます。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第120回【饗宴】天と俗のアフロディーテ 前編

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パイドロスの主張

前回とその前の2回で、パイドロスの主張を紹介しました。
彼の主張を短くまとめると、概念は重要なものから順に生まれていくと仮定すると、まず全ての大本になったカオスがあり、そこから母なる大地であるガイアが生まれ、次にエロスが生まれた。
大地が全てを物理的に生み出す概念と考えると、エロスは人の行動を支配する精神の擬人化と考えられ、人のあり方という観点で見れば、人間にとって一番重要だと考えられる。

また、エロスが絡む他の神話を見てみても、自分の損得ではなく、エロスによって突き動かされる行動をとった者を神は高く評価しているように読み取れる。
例えば、夫のために自らの命を差し出した妻の物語や、愛する者のために命を掛けて仇討ちをしようとしたアキレスの行動は、神々の心を動かす。故にエロスは偉大だ。というものでした。

エロスを定義する

これを受けて、次にパウサニアスが持論を展開します。
彼がいうには、エロスに対して議論をするのであれば、まず、エロスについての前提の定義を行わなければならないと主張します。
一言にエロスといっても、人によってエロスの概念が違う可能性もあります。 この違いというのは、根本的な意味や、その言葉の示す範囲の違いのことです。

この対話篇『饗宴』の設定としては、飲み会の場で話をしている事になっていますが、例えば、哲学について真剣に考えたことがない人達ばかりで集まって、『エロスについて語ろう!』と言って会話を始めても、下ネタ祭りにしかならないでしょう。
仮にそうならなくとも、ある人は男女間の性欲に起因する感情だけをエロスと定義し、別の人は人類愛といった感じで、参加している人達がそれぞれ考える『エロス』の定義にバラツキがあれば、共通認識は得られないでしょう。
この様な人の認識だけでなく、神話で語られているエロスの設定についても、それぞれの人達で認識が違っていたりもします。

というのも、ギリシャ神話は相当昔から語り継がれてきているわけですが、その大本となる物語は、文章で残されているわけではなく、吟遊詩人の唄などを通して口伝で伝えられてきたからだと思われます。
吟遊詩人は、知識として歌を伝えるだけでなく、一種のエンターテイメントとして神話を語り継いでいる側面もあるため、時代を経るごとに、物語に新解釈を加えたり、単純に聞いて面白いようにと変えられていきます。
当時はネットなどもないため、吟遊詩人間で話し合って世界観を統一するなんてこともないでしょうから、物語が派生して、様々な設定が乱立することになったと考えられます。

この様に、人それぞれが持ってるエロスの認識が違うため、誤解を招かず、議論を有意義なものにしようと思うのであれば、まず最初にエロスを定義して、共通認識を得た上で議論を進めていく必要があります。

第1ののエロス

まずパウサニアスは、世間一般で認識されている神話に登場するエロスは1人ではなく2人いると主張します。神様の数え方として1人2人と数えてよいのか、柱や座を使うべきなのかはわかりませんが、ここでは重要ではないので、1人2人で数えてます。
まず、第1のエロスは、パイドロスが『人の精神の擬人化として最も早く生まれた神』と称賛したアフロディーテで、これを天のアフロディーテとします。
この天のアフロディーテですが、大地の女神であるガイアと空の神であるウラヌスとの間に生まれた子供とされています。

ここで、いきなり登場したウラヌスとは何なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ウラヌスはガイアの最初の夫で、空の神様です。
もともと、この世の唯一の概念だったカオスから大地が分離して生まれた際、大地とそれ以外の部分が同時に生まれることになります。 簡単に言えば、地面とその上の空間に分かれるわけです。
地面を母なる大地であるガイアとし、地面の上に広がる空間をウラヌスとする。 空から雨が降ることで大地には様々な生命が生まれるため、女性の上に男性が覆いかぶさっている様な感じで世界を捉えたのでしょう。

その両者から生まれた子供がアフロディーテとされています。この子供という表現ですが、実際の出産とは微妙に違っていて、実際にはウラヌスのイチモツから生まれます。
経緯を簡単に話すと、ガイアとウラヌスは子供を作るのですが、その子供たちが醜かったため、ウラヌスはタルタロスに幽閉してしまいます。タルタロスについては、後で説明します。
このことに腹を立てた母親のガイアは、末っ子のクロノスに恨みを晴らすように伝え、それを受けてクロノスが、アダマンチウムで作られた鎌でウラヌスのイチモツを切り取ってしまいます。

そのイチモツは遠くに飛んでいって海に落ち、その後、泡となって、その泡からアフロディーテが誕生します。
よく絵画などで海の上に貝殻の船に乗って裸で佇んでいるヴィーナスが紹介されたりしますが、あれが、天のアフロディーテです。 アフロディーテの別名がヴィーナスです。
ついでにいうと、ウラヌスが股間を切り取られた事で出た血から復讐の女神が生まれたりします。 男性神の性器から美の化身が生まれ、流れた血から復習の女神が生まれると言ったあたりに様々な意味が込められていそうですよね。

ウラヌスとガイアの両者から生まれた次世代の子供ではなく、ウラヌス自身の体の一部から生成されているという点で、アフロディーテはクロノスなどの子どもたちよりも概念的には上の存在だと言いたいのかもしれません。

第2のエロス

次に第2のエロスとして、ゼウスとディオネの間に生まれた娘であるアフロディーテが存在し、こちらを俗のアフロディーテと呼びます。

俗のアフロディーテの母親とされているディオネですが、これも複数の解釈がされていて、ウラヌスとガイアとの間に生まれた巨人族であるティターン族の娘といわれたり、オケアヌスという海の神様の娘といわれたりしている神様です。
このディオネはゼウスと結婚しないヴァージョンの神話では、奈落の神様と結婚をするとされている人物です。奈落とは、ものすごく深く掘られた穴のことを奈落の底なんて言いますが、その奈落で、別の表現では地獄と表現されたりもします。
この奈落や地獄という概念を神格化した神様が先程出てきたタルタロスで、地の底や地獄の化身と結婚する説もある女神が産み落としたということで、俗のアフロディーテとしているんだと思われます。

少し横道にそれると、ギリシャ神話はこの様な感じで、概念を神格化して人格をもたせた上で、物語の登場人物にしていくという手法がよく取られます。
天のアフロディーテの説明では、タルタロスはウラヌスとガイアの子供を閉じ込めるための場所でしたが、それが俗のアフロディーテの説明の際には、奈落の神様として人格を持って登場します。
これをいちいち、この物語では場所の概念だけれども、この部分ではキャラクター…といった感じで解釈しようと思うと混乱の元なので、ギリシャ神話の特に神々が中心になる物語の部分では、普通の物語として読まない方が良いと思います。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第119回【饗宴】神話で考えるエロス 後編

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願いを聞けない人達

話の流れとしては、神が街を滅ぼそうとした際、アブラハムという人物が『あの街に正しい心を持つものが10人いたとしても滅ぼすのですか?』と神の行動を一旦止めて、2つの街に善人を探しに行きます。
結果として、この街で善人と呼べるのはロトの一家だけで、この一家だけが町の外に出されて、その後、街は滅ぼされます。
このロトの一族が街を脱出する際に、神は『今から街を滅ぼすが、絶対に後ろを振り返っては駄目ですよ。』といったところ、ロトの妻だけが振り返ってしまい、塩の柱となって死んでしまうという話です。

ちなみにソドムとゴモラの街も塩の塊となり、後にこの場所に水が溜まって死海と呼ばれる塩分濃度が異常に高い海になったと言われています。
この他には、日本人の私達に身近な話として、イザナギイザナミの話もありますよね。
日本を作ったとされるイザナギイザナミという夫婦は、日本に数多くの神々を生み出すのですが、火の神であるカグツチを生み出した際に全身やけどを負い、妻のイザナミだけが死んでしまいます。

この別れに耐えられなかった夫のイザナギは、当時は地続きだった、黄泉平坂の先にある『あの世』である黄泉の国に妻を迎えに行きます。
夫が遠いところまで迎えに来てくれたことでイザナミは感動し、帰り支度をするからこちらを観ないで欲しいと伝えますが、愛しい妻の顔を一刻も早く観たかったイザナギは、その願いを聞き入れずイザナミを見てしまいます。
するとそこには、焼きただれて蛆が湧いた醜い姿のイザナミがおり、その姿を見たイザナギは妻を化け物扱いして、この世とあの世をつなぐ黄泉平坂を大きな岩で塞いでしまい、あの世とこの世を断絶してしまいます。

自分の姿形が変わっただけで掌返しをした旦那を許せないイザナミは死者の王となり、黄泉の国の住人に生きている者を恨めと指示し、生きている者を毎日1000人呪い殺すと言い放ちます。
それを受けて旦那のイザナギは、なら、生きているものはそれに対抗し、毎日1500人の新たな子供を生んでやると言い返し、死者は生者を恨み生者は死者に恐怖するという構図が生まれてしまったという話です。

愛する者のために1つの約束も守れない者

オルフェウスの話に戻ると、彼もこれらの話と同じ様に、振り返ってはいけないという簡単な条件を守ることが出来ずに、妻が本当に自分の後ろをついてきているかどうかを心配して振り返ってしまい、妻は2度めの死を迎えます。

この出来事でオルフェウスは立ち直れないほどのダメージを受け、女性と関わり合うのが怖くなってしまうのですが、彼自身はイケメンなので、他の女性が放っておきません。
しかし彼は女性と距離をとっていたため、彼女たちの誘惑になびくことはありません。 これに腹を立てた女性たちが『私達を馬鹿にする男がいるんです!』と騒ぎ出し、それを聞きつけた者たちによって八つ裂きにされてしまいます。
これを哀れに思ったゼウスは、彼がアポロンから受け継いだ竪琴を星座の1つとし、琴座が生まれたという話です。

オルフェウスは、愛するものを取り戻したいと思った際に、何一つ差し出すことなくそれを手に入れようとし、その際に出された簡単な条件すら守れませんでした。
このような者に神の祝福はないので、バッドエンドを迎えているということです。

アキレウスの物語

次に例に出される話は、トロイア戦争におけるアキレウスの最後です。
トロイヤ戦争や、その際のアキレウスの最後については、一度、『ソクラテスの弁明』を取り扱った回で取り上げていると思うので、詳しい話はそちらを聞いてもらいたいのですが…
それを聞いていない方のために簡単に説明すると、トロイア戦争は、トロイアという国の王子パリスがアフロディーテの加護を受けて、スパルタの王妃を寝取ることで始まります。

妻を寝取られたスパルタ王は激怒し、兄のアガメムノンや英雄オデュッセウス、アキレスとともに軍隊を率いて、トロイアに攻め込みます。
トロイアに対して圧倒的な軍事力があるスパルタは、次々と拠点を制圧していき、戦利品として物資や奴隷を獲得していきます。
アキレスも同様に戦利品を手に入れるのですが、戦利品である奴隷をアガメムノンに取られてしまいます。

これでやる気を無くしたアキレウスは駐屯地に引きこもって戦場に出なくなり、これによってスパルタ軍の兵士の士気が下がり、形成が逆転してしまいます。
親友のパトロクロスは、アキレスに戦場に戻るように説得するのですが、彼は聞く耳を持ちません。そこでパトロクロスは、アキレスの鎧を自分の身につけ、アキレスのフリをすることでスパルタ兵の士気を上げる作戦を思いつき実行します。
この作戦は成功し、スパルタは戦線を押し返すのですが、パリスの兄であるヘクトールによって、アキレスに扮したパトロクロスは討ち死にしてしまいます。

死を恐れずに愛する者のために戦う者

アキレスの母親であるティティスは、予めこの事を予測していたため『パトロクロスという友人が殺されたとしても、仇討はしてはいけない。仇討ちをすれば、お前が死んでしまう。』と予言を託していたのですが、アキレスはこれを無視して仇討ちに行きます。
結果としてアキレスはヘクトールを打ち負かしますが、この時に神々は、死をも恐れないアキレスの行動に対して感動し、神がかり的な力を授けています。
その後アキレスは、ヘクトールの弟のパリスによって弓矢でアキレス腱を撃ち抜かれて死ぬことにはなるんですけれどもね。

以上、3つの神話を観てきたわけですが、共通している点は、人が自分の命をかけて愛情を貫こうとするとき、神々はその者に祝福を与えているという点です。
その愛情の根源となる概念がエロスで、エロスを目的とした行動を行う者は神々の心すら揺るがす。故に、エロスは偉大だと主張します。

前回からの話も含めてまとまると、エロスは神々の中でガイアについで古く、人の精神を擬人化した神の中では最も古い。
そして、人に目的を与えてくれるもので、エロスによって人は進むべき方向を見出して進んでいける。
エロスがなければ人は行動せず、繁殖もできなくなるため、最も重要なものと言える。

また、エロスを動機として起こす行動で、代償を払ってでも目的を達成しようと頑張る行為は、神の心すら動かす偉大な行動とされます。
この様な行動は神々ですら祝福する行動であるため、当然、人々からも祝福される偉大な行動となります。結果として、これらの行動の動機となるエロスは偉大だということです。

以上でパイドロスの主張は終わり、次にパウサニアスへと続いていくのですが、その話はまた次回にしていきます。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第50回【経営】ブランド1

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ブランドは簡単には育たない

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前回は、価格戦略の中でも高価格戦略を取り上げ、それを採用するためにはブランド力が必要だという話をしました。
前回はその部分の話を少ししか出来なかったため、今回はその事についてもう少し話していこうと思います。

最初に注意として言っておきますと、ブランド力というのは専門書を読んだり人から話を聞いたからと言って簡単につけることが出来るようなものではありません。
運の要素もかなり絡んでくるものなので、この分野について必死に勉強したからブランド力が身につき、作った商品を高く売ることが出来るなんてことはありません。
もし、座学で勉強するだけでブランド力を身につけることが出来るのであれば、その勉強のコスパも高いことでしょうし、皆がこの分野の勉強に一番時間や努力を注ぐことでしょう。

例えば、今売り出し中の画家やイラストレーターは、作品に注ぐ時間を半分削ってブランド戦略について学べば、自分の作品を高い値段で売ることが出来るわけですから、優先してブランド戦略を学ぶべきだということになります。
では実際にそうなのかというと、そうでもありません。 この分野で売れている人達も存在しますが、それはマーケティングやブランド戦略のみで売れているのかというと、決してそうとは言えません。
その為、これを聞くだけでブランド力を高められると思って聞かれている方は、その期待には答えられないので、予めご了承下さい。

ブランドの勉強は不要なのか?

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これはどの分野にも言えることですが、楽して成功する道というのはありませんし、仮にあったとしても、それが無料に近い形で公開されるなんてこともありません。
ブランド力を身につける確実な方法は、人々から信頼を得られるように品質の高い製品を提供し続けることだけです。
これを実現するには地道な努力が必要になりますし、これをしたからと言って確実に大成功するとは言い切れません。

では全く勉強しなくて良いのかというと、そうとも言い切れません。知識として知っていると有利になったり効率的になったり、リスクを減らしたりすることが出来るようになったりします。
ということでこれからは、ブランドについて理論化されている事柄について紹介していきます。

ブランドの分け方

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ブランド、ブランドと先程から言っていますが、ブランドというのは様々な意味を含んでいます。
まず、ブランドは大きく分けて2つ存在します。1つがナショナルブランドで、もう1つがプライベートブランドです。
この区別はわかりやすく、自社で製品を作っているのがナショナルブランドで、自分では製造をしていない卸売や小売店が作るブランドがプライベートブランドです。

分かりやすい身近な例で言えば、ビールメーカーが自分たちの名前をつけてビールを出していたりしますが、それはナショナルブランドとなります。
例えばサッポロビールアサヒビールなどは、それぞれのメーカーが商品開発をして製造をし、それを流通に乗せることで商売をしていますが、彼らが名乗るのがナショナルブランドと呼ばれるものです。

その一方で、例えば流通王手で言えばイオングループやコンビニ大手などの小売店がブランド展開する場合もあります。これがプライベートブランドと呼ばれるブランドです。
こちらと先程のナショナルブランドとの違いは、彼らは製造設備を持っていないという点が大きく違います。
プライベートブランドというのは、例えばビールであれば、ビール会社に対して容量や缶のデザインなどを指定してメーカーに商品を作ってもらい、それを自社で買い取ることで新たなブランドとして販売しています。

プライベートブランド

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何故そんな事をするのかというと、これには様々な理由があるので一概には言えないのですが、一つの理由としてはこちらの方がコストが安かったり、他の小売店と差別化が出来たりするからです。
まずコストについて説明すると、製品の販売量というのは1年間の間で均一ではありません。ビールで言えば、夏は売れやすいですが、冬に同じ量が売れるかといえばそういうわけにはいきません。
何故なら、夏にはビアガーデンやBBQなど、ビールを消費する様々なイベントがありますが、冬は極端に少なくなるからです。

この様に販売量が一定にならない一方で、工場設備というのは暇な時期だから減らせるかというと減らせません。
前にも少し説明しましたが、会社が持つ工場や機械、それに正社員というのは固定費なので、暇であろうが忙しかろうが基本的には毎月決まった金額が発生します。
ということは、暇な時期には工場の生産性が著しく落ちてしまいます。

そのメーカーが暇な時期に、ある程度まとまった量のプライベート商品を発注すれば、工場側としては暇な時期にも同じ様に工場が稼働できるため有り難いことになります。
メーカー側が助かるということは、そこには交渉の余地が生まれるため、これを上手く活用すれば仕入れ値を下げることが可能となります。
ただ1つ注意点としては、暇な時期の工場をある程度フル稼働させるだけの発注量が必要となるため、かなりの販売力がなければ、この戦略は取りづらいことになります。

コストを下げる発注方法

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ただ、今回取り上げた工場は規模の大きな工場で考えていますが、工場の規模が小さくなれば、当然、発注量そのものも少なくて済むことになります。
例えば小さな町工場などに、閑散期に大量発注をかけて製造分を全て買い上げれば、安い値段で購入することが可能となります。
アパレルで言えば、ワークマンなどがこの方式でコストを下げていたりします。 ワークマンの場合は、数量指定ではなく相手が作った分を全て買い取るといった形で取引するため、安い値段で買い取れることになります。

私自身も家族経営の工場で働いているので分かるのですが、この、『発注量を相手に任せてしまう発注方法』というのはロスを極限まで減らせるために、製造者にとっては非常に嬉しい発注方法だったりします。
例えば、私が携わっている紙箱の例で言うのなら、紙の購入枚数というのは最低ロットが決まっているので、相手側が個数を指定して発注してこられた場合、材料が余ってしまいます。
この材料がほかで使いまわしが出来るのであれば良いのですが、出来ないのであればそれはそのままロスとなってしまいますし、当然、そのロス分の材料費も価格に転嫁しなければなりません。

これは、人件費についても同じことが言えます。1回の発注が1日半分の仕事だったとした場合、残りの半日で他の仕事ができれば良いですが、出来なければロスとなるため、人件費は2日分請求することになってしまいます。
しかし、生産個数をこちらに任せてもらえるのであれば、材料や人を余らせない形での生産が可能となります。
すると当然ですが、ロス分として上乗せしていた価格はなくなるため、最低でもその分は安くなります。

ブランドによる差別化

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もう一つの差別化しやすいという部分について説明すると、プライベートブランドというのはその性質上、他の小売店では販売されません。
これは当然ですよね。 ローソンが作り出したプライベートブランドが他のコンビニやスーパーで販売されるはずもなく、ローソンが作ったプライベートブランドはローソンだけで販売されることになります。
他で販売されることがないということは、これらの商品をTVCMなどを使って宣伝してヒットさせれば、よそから顧客を引っ張ってこれるということです。

売店としては、どこでも手に入るものを単に仕入れて販売するよりも、そこにしかない商品を作って販売したほうが顧客を独占しやすいということになります。

ナショナルブランド

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次に、ナショナルブランドの詳細について説明していきます。この言葉にも単にメーカーという以外の多くの意味を含んでいたりするのですが、その一つが、イメージです。
ブランド名として企業名を使っている会社もあれば、会社名とは別にブランド名を複数所有している会社もあったりしますが、それらを使い分ける理由としては、製品のイメージをどうするのかというのが基本としてあります。
例えば、家電などの製品としての品質が重要な製品であれば、その製品の品質を担保するために、大本の会社の名前をブランドとして使用したりもします。

その一方で洋服といった、機能や品質よりもイメージを優先させるような製品については、会社名とは別にブランド名をつくり、そちらをメインにして売り出したりもします。
同じ服の例えで言えば、ある服飾メーカーが若者の男性をメインターゲットにして事業を起こして製品を販売していたとしましょう。
この事業を長年行っていくと、そのブランド名は若者男性の中で有名になっていきますし、更に有名になれば、若者向け男性ブランドとして知名度が高くなっていきます。

この企業が、若者男性向けの商品だけを作っていくのであれば、ブランド名は1つでも問題はないかもしれません。
しかし、ターゲット層を広げて、中年男性向けにも販路を広げていこうと思った場合、同じブランド名では商売がしにくかったりします。
何故なら、最初に展開していたブランドは、若者男性向けのブランドとして世間から認知されているからです。

ブランドとイメージ

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この様に世間から認知されている場合は、中年男性はそのブランドの製品を買おうと思わない可能性が高いです。何故なら、人は年相相応の服を着たかったり、若作りしていると思われたくなかったりするからです。
中には、そういうのを気にしない人もいるでしょうが、気にする人がいる時点で見込み客が減ってしまうため、商売としてはマイナスです。

ではどうすれば良いのかというと、ブランド名を変えてしまえばよいわけです。
若者向けブランドを作っていたメーカーが別のブランド名でターゲットの違う商品を作れば、先程挙げたような年相応の服を着たいという人や、若作りしていると思われたくない人達を取りこぼすことがなくなります。
余談になりますが、若者男性向けブランドの常連客に対して、来客時に『うちのメーカーは、もう少し年齢層が高いブランドもあるんです』と言って誘導すれば、1人の顧客を長い間、顧客として引き止めておくことも出来ます。

この様に、ブランド名というのはその製品群に対する顧客が持つイメージとなっています。

このブランドですが、1つのブランド名で貫き通すのか、それともターゲット毎にブランド名を分けるのかが難しかったりするのですが、一応教科書的には分け方や、その名前が決められていたりします。
その分け方については、次回に話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第119回【饗宴】神話で考えるエロス 前編

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今回も前回と同じく、プラトンが書いた対話篇『饗宴』を元に、エロスについて考えていきます。
前回も言いましたが、この饗宴では、エロスについてギリシャ国内で『こういうものだ』と思われていた俗説を紹介したあとに、ソクラテスがそれらの主張を受けた形で主張を行うという方式で行われます。
ソクラテス以外の俗説は、それぞれ別々の登場人物の主張として語られるわけですが、前回は1人目のパイドロスの主張を途中まで紹介しました。

人は愛されたい

前回紹介した部分としては、パイドロスは神話を例に上げて、エロスの誕生がガイアに次いで早いので、エロスは重要だと主張しました。
ギリシャ神話は伝えられ方によって神々の出生が微妙に違っていたりするのですが、パイドロスがいうには、まず最初にカオスがあり、そこから派生する形でガイアが生まれ、その次にエロスが生まれた。
概念は、重要なものから順番に生まれるはずなので、全てを生み出す母なる大地の象徴であるガイアの次に生まれたエロスは、この世界を構成する概念の中でも相当重要な位置にあるというわけです。

またエロスは、人間の生きる目的になっているために重要だと主張します。
誤解を恐れずにいうのであれば、人は好きな人から興味を持ってもらうために格好をつけたり、身だしなみを整えたり、頑張って仕事をしたりするということです。
言い換えるなら、人が行動を起こす根本にはエロスがあるということになり、エロスがなくなれば人間の目的はなくなり、人はそもそも行動を起こさなくなる。故に、エロスは偉大だというわけです。

そして、自分の命を投げ捨てれるような行動を取れるのも愛のためだけで、命をかけて愛を貫き通す行動は神々ですら感動させる。
しかし一方で、エロスに対して対価を支払わない人間は神々から軽蔑されるとして、例として3つの神話が挙げられます。

アルケスティスの物語

まず最初に例に挙げられるのが、エウリピデスという詩人によって作られた『アルケスティス』という物語です。
この物語を簡単に説明すると、まず、アポロンという神が天界から下界に追放されてしまいます。

なぜ追放されたのかというと、彼の子供であるアスクレピオスが原因です。このアスクレピオスですが医者として有能で、彼が持つ蛇が絡まった杖は、今でも医療関係のシンボルになっていたりします。そんな彼は優秀すぎて、死すらも克服してしまいます。
あの世である冥界の支配者ハデスは、『こんな事をされてしまっては秩序が乱されて、冥界の支配者である私の面目が立たない』と、この事をゼウスに報告します。
それを受けてゼウスは、秩序を乱したアスクレピオスを神の雷によって殺してしまいます。

これに、父親であるアポロンが腹を立てて、八つ当たり気味にキュクロぺスという巨人族を殺してしまいます。
この罰としてアポロンは人間界に追放されるのですが、その彼をペライ市の王であるアドメトスという人物が助けます。
この行いに感激したアポロンは感謝の印として、病気で先が短いアドメトスに対し、身代わりとなって死んでくれるものを差し出せば、運命の女神モイラ達を説得して、寿命を伸ばしてあげると約束します。

しかし、老い先短いアドメトスの親をはじめとして誰もが、アドメトスの身代わりに死んでもいいと名乗り出てくれません。
そこでアドメトスの妻であるアルケスティスが名乗り出て、彼女は夫の身代わりとして死神タナトスにあの世へ連れ去られることになります。
アドメトスは、自分を見捨てた自身の親を恨み、最愛の妻をなくしてしまったことで嘆き悲しみ、1年の間、喪に服すと宣言します。

ヘラクレスの12の功業

そんな最中に、アドメトスの友人であるヘラクレスが訪ねてきます。 この時のヘラクレスは12の功業と呼ばれる試練の最中で、近くを通りかかったので訪ねてきたというわけです。
12の功業とは、ヘラクレスに課された試練のようなものです。ヘラクレスは、ゼウスが人間の女性と浮気をして生まれた神の血を引く人間なのですが、当然のように、ゼウスの妻であるヘラに憎まれます。
ヘラクレス自身には罪はないですし、浮気相手の女性もゼウスに言い寄ったわけではなく、ゼウスが一方的に相手を見初めて、相手の旦那に変装して関係を持った末に出来た子なので、悪いのはゼウスなんですが…憎しみはヘラクレスへと向いてしまいます。

彼は、さんざんヘラから嫌がらせを受け続けるのですが、それがきっかけとなって自分の子供を死なせてしまうこととなり、思い悩んだヘラクレスは神託に身を委ねるのですが、その時に出た神託が『12の試練を受けろ』というものだったんです。
これを完遂させれば神の仲間入りができるという神託で、ヘラクレスはそれに従い、12の功業をこなしていた最中に、友人の住む地域を通りかかったので、顔を出したというわけです。
この時のヘラクレスは、アドメトスの事情などは一切しりません、単に近くに寄ったから訪ねてきただけです。

ここでヘラクレスは、アドメトスの様子がおかしいことや、葬儀の際の礼服を着ていることから、奥さんが亡くなったのかと尋ねるのですが、アドメトスはそれを隠して、明るくヘラクレスに接してもてなします。
何故、わざわざ妻の死を隠したのかというと、わざわざ遠くから訪ねてきてくれた友人に対して本当のことをいうと、ヘラクレスは気を使って街から出ていくと思ったからです。
神々から難しい試練を課せられている中で友人が会いに来てくれたのだから、余計な気遣いはさせたくないと思い、妻の死を隠して、喪中にも関わらず盛大にもてなします。

このことは後にヘラクレスにバレるのですが、真実を知ったヘラクレスはアドメトスの友情にいたく感動し、その行為のお返しとして、冥界に行って死神タナトスと戦い、彼の妻を取り戻すという話です。

4種類の愛情

この物語の中では4つの愛情が出てきます。1つ目は、子供が親に抱く感情。2つ目は親が子供に抱く感情。3つ目が、知り合いや友達が抱く感情。 そして4つ目が、愛するパートナーに対する愛情です。
現実問題は置いておいて、物語の中では、アドメトスが死にかけている時に親は自らの命を差し出そうとは思っていませんし、そんな親に対して子供のアドメトスは、『子供のために命を差し出すことも出来ないのか』と憎しみを込めて言っています。

アドメトスの事情は広く知れ渡っていたため、彼の知り合いや親友も事態は把握していましたが、誰も、彼の身代わりに死んでも良いと立候補していません。
そんな中で彼の妻だけが、彼の身代わりとなって死神タナトスとともに冥界へ旅立ち、その事情を知ったヘラクレスが、彼の妻を助けに冥界に行き、連れ戻すことに成功します。
結果としてハッピーエンドになるため、あらゆる愛情の中で一番尊いのはエロスだと結論づけます。

オルフェウスの物語

次に例として挙げられるのが、オルフェウスの物語です。
このオルフェウスという人物ですが、この人もアポロンの息子です。 オルフェウスは美しい外見をしていて、アポロンから竪琴をもらって吟遊詩人となります。
そして、人間だけでなく知恵のない動物までも虜にするほどの名手となります。

そして美しいエウリュディケという女性を射止め、彼女と結婚をするのですが、そのエウリュディケが蛇に噛まれて死んでしまいます。
妻の死を受け入れられないオルフェウスは、あの世である冥界を支配するハデスに頼み込みます。
ハデスはその要望を受け入れて、エウリュディケを冥界から連れ出すことを許可するのですが、一つ条件を出します。

冥界からは、オルフェウスが先導する形で妻を自分の後ろ側について来させるようにして脱出するのですが…出された条件とは、妻を連れ出す際、絶対に後ろを振り返ってはいけないというものです。
この手の話は、よくありますよね。 キリスト教旧約聖書で言えば、ソドムとゴモラの話がそれに当たります。
ソドムとゴモラは、悪人ばかりが住む街であるため、神がその街を滅ぼそうとする話です。


参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第118回【饗宴】これからの『エロス』の話をしよう 後編

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パイドロスの主張

ということで、前置きはこれぐらいにして、まず、1つ目の説から紹介していきます。
1つ目の主張はパイドロスという人物の口を通して、主に神話や人が取る行動をベースにして語られます。

1つ目の主張で、いきなり、最初に注意としていった事に反することになりますが、パイドロスが語るエロスには、男女間のエロスも含まれます。
『饗宴』という作品の全体的なテーマとしては男性愛のほうが純粋だということになっていますが、男女間のエロスについても完全否定はされてないということです。

彼がいうには、美の女神であるエロス、これは別名、アフロディーテや英語ではヴィーナスと呼ばれる存在ですが、そのエロスが誕生した早さについて言及します。
誕生した早さというのは生まれた順ということです。世界はにはまずカオスがあり、その次にカオスから分かれる形で母なる大地であるガイアが生まれ、エロスはその次に生まれたから、最も尊い存在だと主張します。
何故、生まれた順番が早いだけで尊いのかというと、物事は重要なものから順番に生まれるという考え方が根底にあるからでしょう。

神話というのは、単なる夢物語のようなものではなく、今で言うところの一種の科学理論のようなものと同じものと考えられます。 つまり神話の物語には、それが作られるなりの論理的な理由があるということです。
また、ギリシャ神話で神々とされているのは、『美しさ』の様に単独では説明しにくい概念を擬人化した存在です。その擬人化した神々がどの様に振る舞うのかで、概念同士の関係性を説明しているのがギリシャ神話です。

エロスという神

この事を念頭に置いて先程のことを考えていくと、まず、全ての概念を包含する概念であるカオスが存在して、そこから母なる大地であるガイアが分離して生まれます。
大地が何故重要なのかといえば、人が生活する上で必要なあらゆるものを生み出す能力があるからです。
地面から砂や粘土をとったり岩山から石を切り出せば、家を作る材料になりますし、大地からは食料である作物が生えますし、種をまけば翌年も収穫できるようになります。

人間が食べることが出来ない植物も家畜の餌になりますし、生物が死ねば大地に帰り、次の命を生み出す糧になります。
また、大地が生み出す地形そのものも人間の生活に大きな影響を与えるので、大地は人にとってはかなり重要度が高いと思われます、そのため、カオスからまず最初に生み出されたと考えられます。
その次に生み出されるのがエロスです。

エロスが2番めに誕生したというのは、もちろん、人類存続にとって重要となる子供を作るためにも必要だというのもあるんでしょうけれども、パイドロスが今回の主張で重要視しているのは、人生の目的を与えてくれるという点です。
人というのはこの世に生まれ落ちても、目標がなかったとすれば、生きている意味がありません。 人は、生まれ落ちたからという理由だけで生き続けることができるわけではなく、人生を歩むためには理由が必要です。
エロスは、人が生きていくために精神的に最も重要だとされる目的、生きている理由を授けてくれるために重要だということです。

人間個人に焦点を当てると、人間にとっての外部環境である『人間の認識の外側の世界』をガイアとするのなら、人間の内側でいちばん重要なのがエロスだということです。
人間が生きていくためには目標が必要で、目標を定めることによって進むべき方向性がわかります。
エロスは、その方向性を指し示してくれる存在であるため、人間にとって重要度が高く、絶対に必要だということです。

好きな者の前で人は強くなる

例えば、自分の臆病が原因でミスをして恥をかくという経験したとして、その現場を誰かに見られるとした場合、観られて一番恥ずかしいと思うのは、父親でも上司でもなく、恋人です。
世の中には、好きな人の前では格好をつけ、恥をかかされると烈火のごとく怒り出す人が結構な割合でいますが、その人達を思い出してもらえれば分かりやすいと思います。
逆に考えれば、男同士の恋人たちを集めて軍隊を作れば、互いに『恥ずかしいところを見せたくない』『臆病者と思われたくない』という意識が働き、最強の軍隊が作れます。

この軍隊は実際にあると言われていて、古代ギリシャのテーバイというところで生まれて結成された神聖隊『ヒロエス・ロコス』としても知られています。
神聖隊は実際に強かったとされていて、一時期はテーバイをギリシャの覇権国にまで持ち上げたそうですが、その後、マケドニアアレクサンドロス大王の騎兵隊と交戦した際に破れてしまい、廃れていったという歴史があるようです。
漫画でいうと、ドリフターズという作品でサンジェルマン伯爵が作っていた部隊として登場していたりします。

また、自分の命を投げ捨ててでも救いたいと思えるのは愛する人のためだけで、命をかけて愛する人のために行動を起こすのは、神々ですら感動する。
一方で、エロスに対して対価を支払わない人間は、神々から軽蔑されて悲惨な最後を送るとして、3つの神話の出来事を例にあげます。

まず1つ目は、愛する夫の生命を救うために、自ら自分の命を投げ出したアルケティスの物語。
2つ目は、何の対価も支払うことなく最愛の妻を助け出そうとしたオルフェウスの物語。
3つ目は、前にも一度取り上げたことがある、トロイア戦争におけるアキレスの最後です。

この3つの神話は、ハッピーエンドで終わるもの、バッドエンドで終わるもの、客観的な視点と主観的な視点で捉え方が変わるものと、種類は様々です。
当然ですが、例として出されているため、3つに共通するテーマは、エロス(愛情)です。
この3つの物語では、様々な愛の形が表現されているのですが、愛情を抱くことで起こす行動によって、どの様な人間が尊いのかを説明しようとします。

その神話については、次回に話していこうと思います。


参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第118回【饗宴】これからの『エロス』の話をしよう 前編

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前回のリンク

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前回の放送で、ソクラテスは死刑判決を受けて亡くなってしまったわけですが、プラトンが書いた対話篇はまだ続き、その対話編の主人公もソクラテスとなっています。
そのため、このコンテンツでは、これから先もしばらくはソクラテスが活躍することになりますので、ご了承ください。

これからの『エロス』の話をしよう

今回から取り扱うことになる本は『饗宴』という作品で、エロスがテーマです。エロスというと、日本語では『エロい』といった性的な意味で使われることが多い言葉です。
ここで使われている言葉も、そういった意味合いを含んで入るのですが、完全に同じ意味かというと少し違い、『エロい』という意味も包含した、もっと広い概念として取り扱われています。
このコンテンツのこれまでの放送をお聞きになっている方にとっては、アレテーの中の『美』美しさについて説明しているといった方が伝わりやすいでしょうか。

『美しさ』はアレテーを構成するものの1つと考えられていますが、その『美しさ』のみに焦点を当てたのが、今回からのエピソードとなります。
今まで、このコンテンツを聞かれたことがない方は、『美しさなんて、誰でも既に知っているし、今更考える必要なんて無いだろう。』と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そう思っておられる方は大抵、美しさについて理解していません。
というのも、美しさを始めとしたアレテーの正体というものは、数千年の時間をかけて天才たちが考え続けたのに、答えが出ていないからです。

『アレテー』というのは、最高善のことです。この最高善は人間の究極的な目的になるもので、人間はアレテーを手に入れる目的で生まれてきたとされています。
アレテーを手に入れることで人は幸福になることが出来るため、皆がその正体を追い求めているわけですが、数千年に渡って研究されているにも関わらず、未だに答えが出ていないものです。
美しさというのは、そのアレテーを構成しているものの1つとされているため、当然、多くの人が研究対象にしています。

なぜかといえば、経済でもなんでも同じなんですが、マクロ的なものを解明しようと思った場合に、その構成要素であるミクロを研究するというのはメジャーな方法だからです。
ミクロの積み重ねがマクロになるため、アレテーの正体がわからないのであれば、その構成要素を研究しようというのは王道なんです。
しかしアレテーは難解なもので、その構成要素の『美しさ』ですら、数千年の研究を経ても未だに解明出来ていません。にもかかわらず、今回始めて『美しさ』について考えた人が、答えにたどり着いているはずがないということです。

美しさという概念

では何故、美しさというのがそれほどまでに難解なのかというと、美しさは様々な要素を含んでいるからです。
美しさについて深く考えたことがない人が、『美しさとは何か』と尋ねられたとすれば、多くの人が、見た目の美しさについて語りだすことでしょう。
自分が好きな芸能人や、好きなアーティストの作品、あるいは、花や草木などの自然などを持ち出し、これが美しいものだと言って例を上げて説明するはずです。

しかしそれは、説明にはなっていません。過去に取り上げた対話篇『メノン』では、色や形の説明をする際に、説明するものの要素が入っているものを例として挙げても説明にはならないと指摘されていました。
例えば、色の説明をする際に、ポストを指差して『これは赤色』といったり、青空を指差して『これが青色』といったところで、説明にはならないということです。
なぜなら、色の説明をする際に『赤い色』といったところで、質問者は色がわからないため、当然、赤い色も理解できません。目が見えない人に色の説明をすることを考えてもらえばわかりますが、その説明では伝わりません。

美しさについても同じで、『美しさ』というものが分からないという人に対して、美しさが内包されているであろう物体を見せたところで、説明にはなりませんし、それが本当に美しいものかどうかの証明すら出来ません。
ここで求められているのは、形容詞としての美しさではなく、美しさそのものについての説明だということです。
かなり分かりにくいと思うので、もう少し説明すると、私達が言葉として使う『美しさ』は、何かを形容する際に使われる言葉なので、『美しさ』という言葉は、対象物に依存した使われ方となります。

例えば、目の前に花があるとして、その花をアナタの主観で美しいと感じる場合。その美しさを他人に説明する際には、これは『美しい花』だと説明するでしょう。
では、その説明は美しさの説明になっているのかといえば、なっていません。 『美しい』という言葉は花を修飾するために使われているだけで、美しさそのものの説明にはならないということです。
『この花はどの様に美しいのか、何故、美しいのか』を語り尽くしたとしても、それは花の説明をしているだけで、何物にも依存しない『美しさ』そのものの説明になることはありません。

では、独立した『美しさ』とは何なのか。それを考えていくのが、対話篇のテーマとなります。

饗宴で語られる愛情について

この『饗宴』は、対話篇ということになってはいますが、今までのように対話を行いながら物事の本質を掘り下げていくという感じの構成にはなっていません。
当時のギリシャで主流となっているいくつかの説を、複数人の登場人物の持論として紹介し、それに対して最後にソクラテスがそれぞれの主張に対する反論と、自身の主張を行う形で構成されています。

ここで一つ注意が必要なのですが、エロスとは基本的に性的なものも含む愛情や、それに伴う美しさのことを指すのですが、ここで取り上げられているのは、成人男性が未成年の男の子に抱く愛情をエロスとし、それが何故尊いのかについて語られています。
では何故、同性愛が尊いのか。 これは、誤解を恐れずに言えば、こちらの方が愛情を考える上では純粋だからです。

もう少し説明を加えると、男女間で抱く愛情と同性愛との決定的な違いは、子供が作れるか作れないかです。
日本に限らず多くの国では、自分の血筋を残すとか家系を残すというのが重要視されますし、それが文化に組み込まれていることも珍しくありません。
この様な文化の中で男女間の恋愛を見ると、単純に相手が好きか嫌いかだけでなく、子供を残したいという本能的な部分や文化的な価値観で感情が揺さぶられてしまいます。

もちろん、子供を作りたいといった本能的な感情もエロスの一部とは考えられますし、実際にエロスには、そういった感情も要素として含まれています。
しかし、『子供を作りたい』という思いとパートナーに対して愛情を注ぐ行為とを比べると、全く同じかと言われると、そうではないという気がしないでしょうか。
今回のように『エロス』についてだけ考えるとする場合には、そういった別の要素はノイズになりかねないため、敢えて外して同性愛に限定して『尊い』と主張しているのだろうと思われます。

これは、私の推測もかなり入っているため、専門家の意見を聞くと違った主張が出てくるかもしれませんし、私自身も、今後学習を続けていく中で意見が変わるかもしれませんが、こういう考え方もあるというのを抑えておいてください。


参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第49回【経営】価格戦略3

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利益を上げるために必要なこと

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前回までの2回で、低価格戦略を中心とした価格戦略について説明してきました。
これまでに説明してきた低価格戦略を簡単に振り返ると、基本的には、利益を上げるために売上を伸ばす。売上を伸ばすためにシェアを伸ばすという考え方です。

一つ一つ観ていくと、まず、利益を伸ばすために売上が必要になる理由ですが、これは利益の計算方法が、売上からコストを差し引いたものだからです。
この計算式で利益を伸ばそうと思う場合、商品1つあたりで考えるのなら、販売価格を上げるかコストを削減するか、もしくは両方を行う必要があります。
販売価格の上昇はそのまま売上の上昇につながるので、売上の伸びは利益の押上に貢献してくれます。

また売上は、商品の販売数の増加によっても上昇していきます。
事業を行う場合、芸術家の様に1点ものの商品を作って売るという形態でもない場合は、同じものを量産して販売することになります。
この時、販売数が増えれば増えるほど、個数に応じて売上は上昇していきます。 この場合、同じ割合でコストも増えていきますが、コストよりも販売価格の方が高いため、売れれば売れるほど利益は増えていくことになります。

商品原価

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この販売数の増加というのは、見方を変えれば自社商品のシェアを伸ばしていくという風にも見えます。
例えば100人の市場があり、その中で自社製品を購入してくれる人達が20人いたとすれば、自社の市場シェアは2割です。
しかし、これを営業努力によって40人にまで増やすことが出来れば、売上は倍になりますし、結果として市場シェアは4割にまで増えることになります。

市場シェアが拡大して販売数が伸びれば、これによってコストを下げる余地が生まれたりします。
仕入れ面で見れば、仮に取扱商品量が倍になれば、原料1つ当たりの価格を下げることが出来るようになったりします。
何故なら、素材メーカーや商社からすれば、取扱量が倍になったからと言って、自分たちの手間が倍になるわけではないからです。

素材というのは大量生産で作られる場合が多いですが、この大量生産の場合は、機械によって自動や半自動で作っている場合が多いです。
その為、同じ商品を作り続ける場合、注文量が倍になったからと言って手間が倍になるわけではありません。
また、配送コストや事務コストなども同じ様に、取扱量が増えたからと言って同じ割合で上昇していくものでもありません。その為、注文量が多くなれば、1つあたりの価格は引き下げられる余地が生まれます。

これに加えて、自社の生産体制の効率化も行えます。 人は同じ作業を繰り返し行うと、作業に慣れてきて作業スピードが上がり、品質も上昇していきますし、ノウハウが蓄積されてそれをシェア出来れば、工場全体として効率が上がります。
これらは単純に生産性の上昇につながるため、生産コストの引き下げに繋がります。
つまり、販売量が増えれば増えるほどコストが引き下がっていくので、売上を増やすために市場シェアを伸ばせば、利益は増加することになります。

価格戦略

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ここまでの説明は、実を言うと価格戦略には関係がありません。事業を行う上での基本的な考えとなります。
つまり、どの価格戦略を選択するとしても、この構造は利用しなければなりません。

では、価格戦略の違いというのは何なのかというと、市場シェアを拡大していく際の手法の違いとなります。
価格戦略というのはその言葉からも想像できるように、低価格で販売することによって市場シェアを取っていく戦略となります。
低価格で販売すると1つ販売することによって得られる利益である限界利益は減少しますが、それ以上に販売数が増えれば、結果として利益が増える可能性があります。

これは裏を返せば、低価格で販売したにもかかわらず販売数が伸びなければ、単純に利益が下がってしまうということになります。

価格戦略

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この逆の戦略が、高価格戦略です。
価格戦略とは最初に設定する販売価格を高めに設定することで、限界利益を引き上げます。
限界利益とは1つ売れた際に企業が受け取れる利益なので、これが引き上がるということは、販売数がそれほど伸びなかったとしても、それなりの利益が確保できることになります。

この戦略の利点としては、限界利益が高いため、数がそれほど売れなかったとしても初期投資を回収できるという点です。
初期投資さえ回収してしまえば、後に販売数が伸びずに市場から撤退を迫られたとしても、企業から見ればその事業は損失がないため、失敗とは言えなくなります。
損失が出ていないわけですから、早めに事業を切り上げて他の事業に投資資金を割り当てるなんてことも出来るでしょう。

もし仮に、その製品がヒットして大幅に販売数が増えれば、もともと利益率が高い製品であるわけですから、相当な利益が見込めることになります。
また先程も言いましたが、物が売れれば売れるほど、仕入れコストの減少や生産効率の上昇から、生産コストは下がることになります。
限界利益は販売額からコストを差し引いたものですから、販売額が高い状態で生産コストを引き下げることが出来れば、更に多くの利益を得ることが出来るようになります。

高いものは売れにくい

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一見すると良いことばかりのように思える高価格戦略なので、皆が採用したいと思うでしょう。
しかしこの戦略にも、落とし穴があります。 これは考えればすぐ分かるのですが、製品が高くなれば高くなるほど売れにくくなります。
極端な話をすれば、同じような品質のものが1万円と100円でそれぞれ売られていれば、100円のものの方が買われやすいというのは誰でもわかります。

みなさんも、自分が欲しい物を探す際に、他に安いものが売られていないかをネットで探すという行為をしたことがないでしょうか。
機能面で全く同じで、どちらの商品を購入したとしても自分の問題を解決することが出来るのであれば、100円の方を買うのが人間です。
もし仮に100円の商品の方が若干壊れやすかったとしても、100円の方は気軽に買い換えることが出来ます。

単純計算で、1万円で購入した商品が1回潰れる間に100円の商品が100回潰れない限りは100円のものを購入した方が得することになるため、経済的な人間であれば100円の方を選びます。
つまり、高い値付をしてどんどん売れるというのは理想ではありますが、現実問題としてはそれほど簡単なことではないということです。

商品価値を上げる『ブランド』

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では、高価格戦略は机上の空論なのかというと、そうでもありません。 何故、こう言えるのかというと、それを実現している企業がたくさんあるからです。
高級品市場やラグジュアリー市場なんていわれている市場がそれに当たりますが、ここで販売されている商品は価格に見合った品質なのかといえば、必ずしもそうとは言えないでしょう。
有名ブランド品のハンドバッグと、その数分の1の価格で売られている偽物の強度を比べた場合、偽物のほうがハンドバッグとしての強度が高かったなんてこともあったりします。

では、デザインが全く同じで強度が上の偽物の方が価値があるのかというと、そうではないでしょう。
多くの人が偽物と本物が同じ値段で販売されていれば本物を買うでしょうし、偽物のほうがほんの僅かしか安くない場合も、多くの人はわざわざ偽物を買わないでしょう。
ではこの差は何なのかというと、一言で言えば企業のブランド力です。

ブランド力というのは様々な要素から構成されているので、何なのかというのは一言で説明するのは難しいですが、無理に一言で説明するなら企業に対する信用力と言っても良いでしょう。
アノ企業の製品は良いものだと顧客が信用すれば、顧客は多少高かったとしても、その企業の製品を購入します。
これは、知らない製品なればなるほど、この傾向が強くなると思われます。

ブランドとは信用力

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全く知らない分野の商品を購入する場合、その商品の情報がないわけですから、ネットで価格だけを比べてもコスパの良い買い物はできなくなります
何故なら、その製品に対して無知であるわけですから、価格は比べられたとしても品質を比べることは出来ないからです。
コスパというのは、コストとパフォーマンスの割合を比べてお買い得かどうかを比べるものですが、そのパフォーマンスの部分に関して全く知識がないわけですから、比べようがないということです。

では、何を根拠に買うのかといえば、作っているメーカーや販売元が信用できるかどうかというのを根拠に買うわけです。
『あのメーカーが作っているのだから安心できる』と思われていれば、その信用を元に人はそのメーカーの商品を買います。
信用を元に買っているわけですから、多少高かったとしても問題はありません。何故なら、顧客はその上乗せされた料金で安心感を買うことが出来るからです。

認知的不協和

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人が買い物をした際に後悔するのは、お金を出して購入したものが、期待する程のものではなかった場合です。
広告などで自社製品の品質を過剰に宣伝した場合、それを観た顧客は必要以上にその製品に期待することになります。
しかし実際の商品の品質がそれほど良くなかった場合、その商品を購入した顧客は、簡単に表現すればガッカリします。

この気持ちがガッカリするというのは、心理学用語言うところの認知的不協和というのが関係して来るのですが、顧客がこの状態になることはかなりのストレスとなります。
しかし、既に信用しているメーカーであれば、そのようなストレスを感じる可能性がかなり低下します。
これは顧客の精神の安定にもつながるため、その安定のために顧客は多少の価格の増加も受け入れます。

少し横道にそれてしまいましたが、つまり商品を高く販売するためには信用力、言い換えればブランド力が必要になってくるというわけです。
次回は、このブランドについて少し考えていこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第48回【経営】価格戦略(2)

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スイッチングコスト

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前回は、スイッチングコストをメインに、価格戦略のことを話していきました。
スイッチンクコストとは、簡単に言えば、顧客が浮気せずに同じ系統の商品を買い続ける理由がたくさんあれば、スイッチンクコストが高い。そうでなく、簡単に浮気できるのであればスイッチングコストは安いと表現されるものです。
具体的な例を出して説明すると、スマートフォンAndroidからiPhoneに買い換える。又はその逆をしようと思うと、結構な労力が必要となります。

何故なら、今のスマートフォンはデータやアプリがアカウントに紐付いていて、iPhoneで購入したアプリをAndroidで使うなんてことが出来ないからです。
無料アプリばかりを買っている人は、この辺りのことは関係がないかもしれませんが、それ以外にも、特定のデータをクラウドに保存するなんてサービスをグーグルもAppleも行っていますが、乗り換えることでその辺りもややこしくなります。
この様に、携帯電話というのは乗り換えが非常に面倒くさいため、消費者は基本的には乗り換えを行いません。 この様な状態を、スイッチングコストが高いと言います。

携帯電話つながりで言えば、携帯キャリアを乗り換えるというのも、そこそこスイッチングコストの高い行為です。例えば、auからソフトバンクに切り替えるなどですね。
この乗り換えを促進させてライバルから顧客を奪い取るために、キャリア各社は『乗り換えるとキャッシュバックがもらえる!』とか『スマフォを無料で差し上げます!』なんてキャンペーンを行っていたこともありました。
今では法改正によって、これらの事ができにくい環境になりましたが、何故、あそこまで各社が大盤振る舞いをしていたのかといえば、スイッチングコストという顧客にとってのマイナス要素ををキャッシュバックで埋めているわけです。

最初にシェアを取った方ば有利

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携帯各社の争いのように、すでにある程度のシェアが確定してから相手の顧客を奪わなければならない状態になれば、キャッシュバックといった現金の暴力で顧客の奪い合いをしなければなりませんが…
全く新しい分野の製品やサービスで、市場が未成熟でシェア自体も確定していない状態であれば、価格を大幅に下げて販売することで、最初にシェアを奪い取ってしまうという戦略もあります。
例えばVR機器でいえばfacebookのOculus Questなどが、採算度外視でハードを発売してシェア拡大を狙っています。

何故、facebookがこの様な戦略を取るのかといえば、VR機器もスイッチングコストがそれなりにあるからでしょう。
Oculusは普通のVR機器としても使えますが、アプリをfacebookが経営しているストアで購入してプレイすることも出来ます。
もし、このストアでそれなりの金額のアプリを購入してしまえば、他のVR機器を購入するさいのハードルはかなり上がってしまいます。何故なら、他のメーカーではそのアプリを動かせない。もしくは動かすのに苦労するからです。

この状況は、先ほど紹介したスイッチングコストが高い状態にありますので、早い段階でシェアを握ることでロイヤリティの高い顧客を相手に商売をすることが出来ます。

低価格販売で市場拡大を狙う

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このOculusの例で言えば、この価格戦略には他の狙いもあると思われます。
それは、未成熟な市場を拡大させて魅力的な市場に引き上げようとする思惑です。

VR機器というのは、少し性能の良いものを買おうとするとVR機器だけで10万円ほどの料金がかかります。また、それを動かすためのパソコンの方もそれなりの能力が求められるため、こちらも20万円ほどかかってしまいます
つまり、導入するのに30万円ほどかかってしまうということです。とはいっても、20万円のパソコンは他の用途でも活用できるため、VRだけで30万円かかるわけではないのですが…
それでも、何もない状態からVR環境を揃えようと思えば、それぐらいの金額はかかってきます。

VRというのはまだまだ一般的ではなく、一部のマニアだけが楽しんでいる状態となっていますが、その理由の一つには、このイニシャルコストが関係していると思われます。
しかしこれが3万円台で楽しめるとなれば、話は変わってきます。 3万円もそれなりに高価な出費ではありますが、30万円と比べると10分の1ですので、ハードルはかなり下がります。
ハードルが下がるということは、興味本位でVRを購入する人たちも増えるでしょうし、この体験でVRに興味を持った人が環境を整えるということもあるでしょう。これは言い換えるのなら、市場が拡大するということです。

市場が拡大すれば販売機会も増える

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市場が拡大すれば販売機会も増えるわけですから、研究開発に投じた資金も回収しやすい環境となります。
極端な話で言えば、世界で1万人しかVR愛好家がいない状態と、1億人の愛好家がいる状態では、資金の回収のしやすさが変わりますし、市場が拡大することで取れる戦略も増えていきます。
このVRの様にまだまだ市場が未成熟な段階では、低価格戦略には、消費者が購入に踏み切るハードルを引下げることで市場を拡大させるという意味合いもあったりします。

この様に価格を引下げることには様々な利点があるわけですが、では価格を下げて市場拡大を目指すというのが最善の道かというと、そういうわけではありません。
価格引き下げにはそれなりのデメリットもあります。

価格戦略のデメリット

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価格を引き下げて販売するということは、粗利が減るわけですから損益分岐点売上高は上昇してしまいます
前に、最初にシェアを取ってある程度の生産量を確保してしまえば、生産原価を抑えられて低コストで作れるようになると言ったことを言いましたが、そもそもの販売額が低ければ、粗利率は低くなってしまいます。
というのも、粗利と販売額と原価の関係性というのは、販売額から原価を引いたものが粗利であるからです。

売上がそのままで原価が下がれば粗利は増えますが、原価が下がっても同じ様に販売額が下がってしまえば粗利は増えません。販売額の引き下げが原価の削減額を上回ってしまえば、粗利は減少してしまいます。
粗利が減少すれば、固定費を回収するために必要な販売数量が増えるわけですから、損益分岐点売上高のラインは上昇します。
ということは、固定費を回収した上で事業開始時に払った投資資金を回収しようと思えば、一定のシェアを必ず取らなければならないということです。 これが出来なければ、事業としては失敗ということになります。

つまり、初期に市場シェアを取るために価格を下げ、価格を引き下げたことによって増えた需要に答えるために大量生産体制をつくったとしても、その分の設備投資分が回収しきれない場合は事業からの撤退を考えなければならないということです。
既存の設備を使いまわして作れるものならまだしも、全く新規で設備を揃えるところから始める場合、相当な額の投資資金が必要になります。
前にも言ったことがありますが、事業の成功は運の要素が強く、一生懸命考えてアイデアを出し、市場リサーチを入念に行ったからといって、確実に成功するものでもありません。

事業が当たらなかった際に迅速に撤退が出来なければ、儲からない事業をダラダラと続けることになり、余計に傷口が広がることになります。

初期コストをかけない

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しかしこれは逆に捉えるなら、既に生産するための設備や人材がおり、販売チャネルなども構築されている場合は、相当有利だということを意味します。
例えば、今まで製造業として製品を作っていた会社が、そのノウハウや生産設備を活かす形で別の製品を作って市場展開する場合は、新規投資が必要ないわけですから会社側の初期コストはほぼ掛かりません。
新製品を作る際のコストが掛からないということは回収すべき初期コストが無いというわけですから、生産コストそのものを低く抑えることが出来ます。

生産コストを低く抑えることが出来るということは、安い値段で売ったとしても利益が出やすくなったりしますし、利益度外視で値付けをする場合は、他社を圧倒する安い値段で商品を打ち出せます。
それほどの安い価格で販売すれば、市場の独占や市場そのものの拡大も目指しやすくなるでしょう。

ブランド戦略などで価格を高めで販売する場合は、生産コストが安くなっているわけですから、更に多くの利益を得られるようになります。
生産コストと販売価格に大きな開きがある場合は、材料費を引き上げて高価な材料を使って製品品質を上げることも可能になるわけですから、ブランド戦略などでも有利になります。

戦略のつながり

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前に多角化戦略を解説した際に、『自社の経営資源を使える分野に進出する方が良い』と言いましたが、それにはこの事が大きく関係しています。
人材・生産設備・ノウハウ・販売チャネルなどは、一から構築するためにはかなりの投資資金が必要になりますが、多額の投資資金をかけてしまえば当然、そのお金は販売価格に跳ね返ってきます。
つまり、投資費用を回収するために商品価格にそのコストを含めなければならず、結果として価格戦略の幅を狭めてしまうということです。

逆に言えば、既に持っている経営資源を利用して新市場に打って出れば低コストでの開発ができるわけですから、価格戦略の幅を広げる事が出来ます。
価格戦略の幅を広げることが出来るということは、それだけ市場の中で有利に立ち回ることが可能となります。
なぜなら、市場の動きに合わせて値付けを大胆に変えることが可能なうえ、どの値段帯であれ、利益が得やすい状態が作れるからです。

戦略でリスクを抑える

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仮に価格を低価格に抑えて市場シェアを取らなければならない場合でも、どこよりも安いコストで生産できる体制があるのであれば、販売価格は一番低く抑えることが可能です。
開発した商品が画期的なもので高価格でも販売できる場合は、それを高価格で売ればどの会社よりも高い利益率を出すことが可能となります。
何故なら、利益というは販売価格から製造コストを差し引いたものだからです。 当然、コストが低くなればなるほど、利益は増えていきます。

この様な価格戦略多角化戦略のように、戦略というのは密接につながっていたりもするので、経営には幅広い知識が求められたりもします。
ということで前回と今回で、主に低価格戦略について話してきましたが、次回は高価格戦略について話していきたいと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第117回【クリトン】まとめ回 後編

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国家と法律

そこでソクラテスは、脱獄するのか、それとも処刑されるのか、どちらが良いのかについて考えていくことにします。
考える方法は、仮に法律や国家が人格を持っていて、討論が可能だとする場合、ソクラテスが脱獄したいと申し出たら、彼らはなんと言うだろうといういう思考実験です。
逃げ出したいと主張するソクラテスに対し、擬人化した法律と国家がどの様な主張を行うのかを想定問答していきます。

仮にソクラテスが、法律や国家に対して『脱獄したい』と伝えたら、擬人化した法律や国家はきっと、この様に切り返してくるはずです。
『脱獄する理由が「死にたくないから」といった感情的な理由で、それがまかり通るのであれば、法律を守るものはいなくなり、秩序は崩壊し、国家は意味をなさなくなる。そんな事が許されると思っているのですか?』と
これに対しては、どの様に答えるべきなのか『不正によって不当な判決を受けたのは私の方で、この死刑判決に意味はない。』とでも言い返せばよいのでしょうか。

これに対しクリトンは、『その通りだ、そうやって法律に対して言い返してやるべきだ。』と同意します。
しかし、この様に返答した場合は、法律や国家はこの様に反論してくることでしょう。

ソクラテスよ、アナタは私が定めた法律によって作られたシステムが出した答えを拒否するというが、アナタは今まで、私が定めた法律によって出来上がったシステムに守られて生活し、そのことに対しては何の不満も持っていなかったのではないですか?
ルールは人の行動を規制しますが、同時に、人が安心して暮らせるように守ってもくれます。
例えば、アナタの両親は国の定める婚姻制度に則って結婚し、子供を作った。 幼少期のアナタは学習や運動を行う機会が与えられたし、その教育によって、一人前の大人に成長できたわけですが、それに不満があったのですか?』と

システムの改変

これに対してソクラテスは、不満がなかったと答えるしか無いと言います。
なぜなら彼には、法律が定めた秩序によって誕生し、そのシステムの中で教育を受け、70歳になるまで暮らしてこれたという事実があるからです。

では、国家というシステムは完全で非の打ち所がないのかといえば、そうではないでしょう。現にソクラテスは、そのシステムによって殺されようとしています。
ですが、国家というシステムは完璧ではないということも織り込み済みで構築されています。 これはどういうことかといえば、間違いが起こってしまうような欠陥がある場合は、その都度、その部分を修復することができるということです。
具体的には、政治家が法改正を提案し、議会で承認されれば、時代に合わない法律を廃案にし、新たな法律を通すことができるということです。

当時のアテナイは民主主義国家であったため、民衆の意見は政治に取り入れられやすい状況だったと考えられるので、システムに不具合があったのであれば、それを是正するために行動を起こせば良かっただけです。
ただし、民主主義国家では大多数の意見が採用されるため、自分の意見が少数派である場合は改正案は受け入れられない可能性もあります。ですが、そういった人には、国から出ていくという選択肢も残されています。
アテナイという国は住民が領土から出ていくことを規制してはいませんし、自分の所有物を他国に持ち出すことも制限していないので、国の方針が自分に合わなければ、自由に出ていくことが出来ます。

つまり、システムが気に入らなければ、それを変えるための制度も用意されているし、それが出来なかったとしても、自分の肌に合う国を探して移住することも許されているということです。
ではソクラテスは、政治家を目指したり、アテナイ以外の永住できる国を探すような旅に出るといった行動をしたのかというと、していません。
ソクラテスは、移住どころか旅行に行くといったこともせず、アテナイから出ようとしませんでした。

では、政治家になるために行動したのかというと、『公人になると言いたいことも言えず、信念を曲げなければならない。』として、これもしていません。
つまりソクラテスは、政治に参加してシステムを変えようと頑張ったわけでもなく、アテナイの法律が自分に合わないとして他国に移り住んだわけでもなく、法律に関しては文句を言うことも無かったということです。
何の文句も言わずに、生まれてから老人になるまで一つの国で暮らすというのは、傍から見れば、ソクラテスアテナイのシステムに文句がなかったとしか捉えようがありません。

国家による規制と保護

これに加えてソクラテスは、自分に対して死刑判決が下された裁判の場でも、自身に妥当な刑罰として国外追放を提案していません。
ソクラテスの主張では、自分は何も悪いことをしておらず、なんなら国民のためになるような行動を取り続けていたのに、その国民たちによって死刑判決が下されています。
この様な状況から、ソクラテスと国民は考え方や物事の捉え方が全く違う事がわかります。そのため、ソクラテスにはアテナイに住む人達とは気が合わない可能性が大いにあります。

であるならば、ソクラテスは死刑を提案された時点で、自ら国外追放を提案していれば、法律を破ることなく国外に逃げることが出来たはずです。
しかしソクラテスは、その判断をせず、敢えて裁判官を煽って感情的にさせて、死刑判決が下されるように誘導しました。
にもかかわらず、処刑されたくないという個人の感情を押し通して法律を破り、国家の秩序を乱すという行為は、認められるものなんでしょうか。

当然ですが、こんな行動が認められるはずがありません。なぜなら、皆がそのようなことをしてしまえば、法律は形骸化し、国家は破綻してしまうからです。
先程も言いましたが、国家の法律は国民の行動を規制しますが、一方で国民の生活を守っています。 その国家を破綻させれば、多くの市民が苦しむこととなるでしょう。
ソクラテスはこれまでに、幸福になる方法や最高善であるアレテーを探求する人生を送ってきましたが、その様な人間が『死にたくないから』という理由だけで、多くの人が不幸になる行動をとっても良いのでしょうか。

当然ですが、その様な行動をとってよいはずはありません。何故なら、その行動を取ることによって、ソクラテスのこれまでの人生は無意味なものとなってしまうからです。
ソクラテスはこれまで、人が幸福になるために必要なのは不正を行わないことで、その行動の先にアレテーが存在するといった主張をし続けています。
当然、その逆の不正を行うことが人を不幸にすることだと主張してしますし、不正によって財産を溜め込んだり武力を身に着けたりしたところで、幸福には辿り着けないと言い続けています。

そんな彼が、死にたくないからという理由だけで、法律を破って脱獄するという不正を行った場合、彼のこれまでの主張に対しての説得力は消えてなくなるでしょう。

納得するクリトン

これは、哲学に人生を捧げ、真理を得ようと努力し、その行動を市民たちにも勧めていたソクラテスにとっては、最大の不幸といえます。
クリトンに対してここまで説明したところで、ソクラテスはもう一度、クリトンに対して質問します。『私は、脱獄すべきなんだろうか?』

クリトンは、これを肯定することが出来ず、ソクラテスが処刑されることに納得してしまいます。
以上がクリトンのまとめとなります。

次回は、エロスを題材にした饗宴を読み解いていこうと思います。

参考文献