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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第117回【クリトン】まとめ回 前編

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前回は、対話篇『ソクラテスの弁明』のまとめを行っていきました。
今回は、その続きとなる対話篇『クリトン』のまとめを行っていきます。

脱獄の提案

対話篇『クリトン』ですが、対話相手はソクラテスの仲の良い友だちであり共にアレテーの研究を行ってきたクリトンです。
ソクラテスの弁明の最後で、ソクラテスは死刑判決を下されることになりましたが、判決直後に処刑されたわけではなく、少し勾留された後に処刑されることになります。
この対話編は、その最後の1日の話です。

ソクラテスとの最後の面会ということで、クリトンは思い出話や真理やアレテーについての話をするのかと思いきや、ソクラテスに対して脱獄の提案を行います。
何故、その様な提案を行ったのかというと、脱獄が簡単にできる環境にあったからです。
当時のギリシャは看守に賄賂を渡すだけで牢屋の鍵を開けてくれて死刑囚に面会させてくれる程にセキュリティが甘いですし、更に多くの金を渡すことで脱獄することすら可能な状態でした。

またソクラテスは、殺人などの重大な犯罪を犯したわけではなく、人を不愉快にさせたというだけで訴えられて有罪になっています。
この判決は、罪に対して刑が重すぎるため、市民の大半がソクラテスに対して同情的で、仮に逃げたとしても大目に見てくれる様な状態でした。
クリトンは、アテナイの外側にも親友が多いらしく、その中にはソクラテスのファンも多いため、その人脈を使えば国外で普通の生活もできる確信もあったので、脱獄を提案しました。

ですが普通に脱獄を提案したところで、秩序を重んじるソクラテスはこの提案には乗ってきません。

懇願するクリトン

そこでクリトンは、『ソクラテスを脱獄させなければ、私達が君の支持者から責められてしまうから、一緒に逃げて欲しい。』と懇願します。
僅かな金を支払うだけで脱獄ができるという状況でソクラテスを見殺しにすれば、自分たちが彼の支持者から責め立てられるので、自分たちを助けるためにも信念を曲げて逃げて欲しいと伝えたわけです。

しかしソクラテスは、民衆の意見には耳を傾けるほどの価値があるのか?と取り合いません。
というのも、ソクラテスの態度が気に入らないと言うだけで、彼に対して『死ね』と言ったのは市民です。
それが、いざ処刑が行われると『何故見殺しにしたのか!』と意見を180度変えて、一番悩んでいるであろう関係者に罵声を浴びせる様な者達の意見に、価値があるとは思えないからです。

次にクリトンは、ソクラテスの子供の話題を出し『親には、子供がおとなになるまで成長を見守る義務がある。その義務を放棄して、先に死んでしまうのか?』といって逃げるように勧めます。
クリトンが、子供を持ち出したり仲間が非難されるというのを理由に脱獄を勧めるのは、ソクラテスに対して命を大切にしろといったところで、聞く耳を持たないからです。
なぜならソクラテスは、死というものを恐ろしいものだとは捉えていないからです。

『死』とは

これまでにも語ってきたように、ソクラテスは自分の知らないものに対しては知らないことを自覚し、知ったかぶりはしない性格をしています。
それは当然、『死』という事柄にも当てはまります。『死』というのは、みんなが恐れていて、怖いものだと決めつけていますが、本当に怖いものなのか、絶望的なものなのかを知るものはいません。
なぜなら、一度死んでから蘇った人はいないからです。

生きている人間は全員、『死』というのを体験していないわけですから、『死』というものについて語るとき、人は体験やそれに伴う知識ではなく、想像をふくらませることでしか語られません。
もしかすると、あの世は本当に神話で語られているような神々が支配する場所で、死んだ人間はそこの住人になっているかも知れないし、あの世なんて世界はなく、死ねば無になるだけかも知れないし、想像すらできないことになるかもしれない。
仮にハデスが統治するあの世がある場合、すでに亡くなっている賢者たちとも討論をすることができる素晴らしい場所かもしれないし、無になるというのは、夢すら観ない熟睡している状態と同じ状態かも知れない。

この様に、死ぬという事が良いのもである可能性すらある状態で、保守的な考えから変化は悪いものだと決めつけて恐怖するというのは、哲学者の姿勢ではありません。

その事をよく理解しているクリトンは、『ソクラテスが意見を変えて脱獄してくれないと、関係者みんなが困るんだぞ。』とソクラテス自身ではなく周りに迷惑がかかると主張し、脱獄をさせようと考えたわけです。
ですが当然、ソクラテスはこの様な意見には耳を貸しません。 子供に関しては裁判が行われた際に、市民たちに対して子供が道を踏み外さないように見守って欲しいと頼んであります。
クリトンたちが責められるという話は、繰り返しになりますが、市民たちの意見は耳を傾けなければならないほど重要な意見ではないと反論します。

民衆の意見に価値はあるのか

しかし、これではクリトンは納得しそうにないため、彼を納得させるためにも、脱獄すべきか、それとも処刑されるべきかというテーマで討論を行うことにします。
まず、先程から主張されている『民衆の意見は、耳を貸すほどの価値があるのか』というところから掘り下げます。

民衆は、ソクラテスに対してムカついたから死ねと言い、実際に処刑が行われれば、その同じ口で『何故、助けなかったんだ?』と恥ずかしげもなく言ってしまうような人たちです。
この様な彼らの行動は、様々なところで見ることが出来ます。
例えばスポーツ観戦を例に出せば、観客である市民は選手のこともスポーツのことに関しても、選手以上に知識があるわけではないのに、観客席から好き勝手なことを言ます。

観客たちは、選手が結果を残せなければ『練習が足りないからだ!』と指摘し、練習をし過ぎて体調を壊せば、『練習のしすぎだ!適度に休め』と後から文句を言ってきます。
また、観客たちはそれぞれが違うことを言ったりもします。 この練習方法が良いだとか、それでは効率が悪いとか、それぞれの人が無責任に好き勝手な事を言い放ちます。
市民の意見には耳を傾けるほうが良いと仮定した場合、選手は、すべての観客の意見を掬い上げて聞くべきなんでしょうか。

それとも、自分よりも体作りに詳しい人や、その競技を長年やっている先輩や人材育成を行ってきたコーチといった、知識や技術、ノウハウを持つ人に意見を求めるべきなんでしょうか。
これは、考えるまでもなく後者の意見を聞くべきであるはずです。 体作り、競技、競技に使う道具などの何らかの専門家の意見であれば、自分の成長に役立てることは出来ます。
しかし、深く考えることもなく、その時々の感情で好き勝手なことを言っている民衆の意見に耳を貸したところで、それを役立てることは出来ないはずです。

これは、運動競技の話だけに限らず、正義や秩序、アレテーについても同じことが言えます。
普段から正義や秩序について真剣に向き合っていない人間のいうことを聞いても、大した役には立たないでしょう。このソクラテスの主張に対し、クリトンは反論せずに納得します。
ここで、大衆の意見は信用できないとう結論が出たわけですが、信用できないからといって、大衆の意見が確実に間違っているとは断言できません。偶然にも正解している可能性があるからです。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第47回【経営】価格戦略(1)

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前回はこちら

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損益分岐点売上高

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前回は、損益分岐点売上高について説明していきました。
損益分岐点売上高とは、事業が黒字になるか赤字になるかの境界線となる売上高のことで、その計算方法は、固定費を限界利益率で割ったものでした。
限界利益率とは、製品から変動費率を差し引いたもので、簡単に言えば製品や事業そのものの粗利率と言い換えても良いかもしれません。

つまり損益分岐点売上高というのは、粗利で固定費を回収するのにはどれぐらいの売上が必要なのかという観点で作られた数字ということです。
これを利用して、固定費を別の費用に置き換えれば、その費用を回収するのに必要な売上高が出てきます。
例えば、新規事業を起こすための費用として、毎年500万円の利益が欲しいと思うのであれば、固定費にその利益の500万円を足した額を限界利益で割れば、目標売上高が計算できます。

費用ごとの売上もわかる

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商品の販売数を伸ばすために宣伝広告費を使ってアピールしたいと思うのであれば、投入予定の広告費を限界利益率で割れば、広告に投資した費用を回収するために新たにどれぐらいの売上を積み上げなければならないのかがわかります。
広告ではなく営業担当を1人雇うことで売上を伸ばそうと思う場合、その人に払う人件費と社会保障費を足した金額を限界利益率で割れば、その人を雇ったことで増やさなければならない売上高が計算できます。
この、費用を限界利益率で割るという式は、シンプルであるが故に簡単に応用することができるようになります。

コストや利益を粗利で回収する

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先程も言いましたが、固定費に別の費用や利益を足し合わせることで目標売上高が分かるようになるのもそうですが、この他にも、割る側の限界利益率の方を増加させれば、損益分岐点売上高や目標売上高を引下げることが出来ます。
限界利益率を増加させるというのはどういうことかといえば、変動費を削減するということです。
そもそも限界利益率は、売上から変動費率を引いた残りなので、それを増やそうと思うのであれば、変動費を削減すれば良いことになります。

これは単純な話で、固定費が1万円で製品1個あたりの価格が1000円で変動費が700円の場合、1個売って300円の利益を積み重ねていくことで、1万円の固定費を支払い終えるのに売上がいくら必要になるのかが損益分岐点売上高です。
この変動費が700円から200円に下がったとしたら、1個売った際の利益は800円出るため、1万円回収するために売らなければならない製品数は少なくて良くなります。
製品数に製品価格を掛けたものが売上なので、販売しなければならない製品数が減少するということは、売上が少なくても良いということになります。

根拠を示した方が意思統一しやすい

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何故、この様な計算が必要なのかというと、目標となる数値を明確にするためです。 客観的な数字を出すことによって目標が分かりやすくなりますし、社員にも目標値を伝えやすくなります。
営業担当に、単に売上ノルマを示したとしても、何故、そこまで売らなければならないのかは伝わりにくいです。
しかし、その営業担当に支払われている給料が仮に月30万円として製品の変動費率が60%とした場合、最低でもその担当は75万円の売上を上げなければ雇っている意味がないことを伝えれば、取り組み方は変わるかもしれません。

これは、製品コストの削減についても同じことがいえます。市場が停滞して縮小に転じてしまった場合は、いくら営業を頑張ったり宣伝広告費を支払ったとしても販売数を伸ばすことは難しいでしょう。
そうなれば、事業を継続するためにはコスト削減をしなければならないのですが、このコスト削減の目標値も計算によって客観的な数値として出すことができるようになります。
納得ができなければ行動できない人というのは意外と多いですが、感情ではなく数字で客観的に示すことで、相手を納得させ易くなると思いますし、社内で数字を共有することで、今後を考えるきっかけにもすることが出来ます。

価格戦略

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この考え方を前提として、今回からは価格戦略について考えていきます。
まず価格戦略についてですが、これは単純に『価格をどうするのか』という問題だけではなく、その他の要素も含めた、結構複雑な問題だったりします。
価格というのは数字ですし、いくらで売るのを決めるというのはどの事業者でも行っていることですが、そのプロセス事態は非常に複雑ですので、価格を決めるときは適当ではなく、かなり吟味したほうが良いです。

ということで、本題の価格戦略の話に入っていきます。
製品を開発して販売すると考えた場合、取る戦略によって商品価格は変わってきます。

例えば、できるだけ早い段階で市場シェアをとってしまおうと考える場合、商品価格はできるだけ安いほうが良いことになります。
例えばVR機器の発売も行っているfacebookは、Oculus Questという製品をほぼ原価で発売していると言われていますが、何故、利益も求めずにそれほどの低価格で販売するのかといえば、シェアを握るためでしょう。
googleも、前に携帯電話メーカーを買収し、そこでAndroid端末を作ってほぼ原価で販売すると言った戦略をとったことがありますが、これも同様にシェアを取るためです。

スイッチングコスト

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何故、赤字覚悟で低価格販売を行ってまでシェアを取りたいのか。それには複数の理由があり、たった1つの理由で決まっているわけではありませが…
その中でも大きな理由の1つとしては、スイッチングコストがあります。
人は、一度使ったものを別のものに乗り換えるということは、余りしません。これは、低価格なものには当てはまらない場合もあるのですが… 高価な商品の場合は特に、この傾向が強くなります。

何故なら、高価な商品は頻繁に買い換えるということはせず、その上、『高い金を出すのだから絶対に失敗したくない』という思いが働くからです。
絶対に失敗したくないのであれば、いま自分が使っている製品と同じものか、それの上位モデルを買うのが確実です。何故なら、今まで使い続けていて特に問題がなかったからです。
これは、乗り換えるのに手間がかかるような製品だと尚更です。 例えばスマートフォンでは、乗っているOSはAndroidiPhoneかの2択状態になっていますが、どちらかを選んでしまえば、それ以降は余程のことがない限り変えにくいでしょう。

つまり、Androidを使っていた人は次もAndroidの機種を選びがちですし、iPhoneユーザーはiPhoneを買い続けるということです。
スマートフォンの場合は、アプリの乗り換えなどやらなければならないことも多いですから、特にこの傾向が強くなります。
この様な現象のことをスイッチングコストが高いと表現したりします。 つまり言い換えるならスイッチングコストというのは、乗り換える際のハードルの高さのことです。

低価格によりシェアを得るメリット

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この様な大きなスイッチングコストが発生する場合は、多少無理をしてでも早い段階でシェアを握ってしまった方が、後々の儲けが大きくなる可能性が高いです。
何故なら、その市場の顧客は最初に選んだ製品を選び続けるわけですから、最初に大きなシェアを握れば、その事業では高い売上と販売数を維持し続けることができるようになります。
高い販売数を維持し続けることができるということは、生産効率を上げやすくなるという事にもつながります。

例えば材料を仕入れる場合は、少量で購入するよりも大量に購入したほうが安く仕入れやすいでしょう。
何故なら、大量に仕入れることで仕入先の販売数も伸びるため、その商品に対する生産効率を上げやすくなるからです。それに加えて、相手にとってこちら側のプレゼンス・存在感も増すことになります。
こちらの存在感が相手にとって大きくなれば交渉が有利に進むため、多少の無理は聞いてもらえるようになります。

この他には製造面の観点でも効率が良くなります。 最初にシェアを取ってある程度の販売数が見込める状態になっていれば、それを見越して設備投資を行うことが出来ます。
製品や販売量によっては全自動で作れるためのラインを作ってしまえたりもするので、これにより設備面での効率化も目指せます。
これに加えて、従業員のスキルも高まります。 前に経験曲線効果というのを紹介したことがありますが、これによって従業員の生産効率が高まります。

経験曲線効果とは

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経験曲線効果についてかんたんに振り返ると、この効果は累計生産数に応じて生産効率が上がっていきますよという理論です。生産数に比例するわけではなく、効果は逓減する。つまり増加幅が徐々に減っていくわけですが…
それでも累計生産数が増えるというのは、それだけ従業員のスキル上昇やノウハウの蓄積に貢献するため、生産数は増えれば増えるほど効率は上がっていきます。

これらの経費削減効果や生産効率化、それと先ほど紹介したスイッチングコストなどを考慮した上で、早めにシェアをとってしまうというのは、一つの戦略となります。
そのためには繰り返しになりますが、価格はそれなりに安い価格で攻めていく必要があります。何故なら、安くすることで様々な層の方が購入しやすくなるからです。

ということで今回は、早期にシェアを取ることの重要性について話してきましたが、この戦略は誰しもが行えるわけではありません。
また、絶対的に優れた戦略かというと、そうでもなかったりします。 そのあたりの理由や他の戦略については、次回に話していきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第46回【経営】損益分岐点売上高(2)

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前回はこちら

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固定費と変動費

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前回は、損益分岐点売上高の計算方法について話していきました。
簡単に振り返ると、損益分岐点売上高とは収支がプラスマイナスゼロになる売上高のことで、それよりも売上が上回っていれば黒字になりますし、下回れば赤字になる基準となる売上高のことです。

計算方法は、まず、経費を固定費と変動費に分けます。 固定費というのは、売上に関わらず固定で発生する費用のことです。
例えば、家賃であったり正社員の基本給であったり、減価償却費などがこれにあたります。

変動費はその逆で、売上に応じで経費が変動する費用のことです。 例えば小売店であれば、商品が売れれば新たに仕入れなければなりませんから、売上が増えるほどに仕入れコストが上昇します。
製造業の場合でも、売れれば売れるほど製造しなければならないわけですから、原材料費や水道光熱費などの生産に関わる費用が増えます。
一方で、これらの費用は仕事が暇になって売上が落ちれば、費用の方も下がります。 小売店は販売が伸びなければ新たに仕入れる商品が減りますし、製造業でも売れなければ製造しないため、製造コストは減ります。

この様に、売上に応じて費用の総額が変動するのが変動費です。
この、固定費と変動費を使って、損益分岐点売上高を計算していきます。

損益分岐点売上高の計算式

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計算式としては、『固定費÷(1ー変動費率)となります。
変動費率とは売上に対する変動費の割合で、例えば売上が8000万円で変動費が2000万円の場合は、変動費率は2000万円÷8000万円で0.25となり、率としては25%となります。
この0.25を1から差し引くと0.75となります。 仮に固定費が3000万円だとすると3000万円÷0.75で、損益分岐点売上高は4000万円となります。

これが正しいのかを確認してみると、売上高が4000万円で変動費率が25%ということは、変動費は4000万円X25%で1000万円となります。
固定費は3000万円でしたので、これと変動費の1000万円を足し合わせると4000万円となる為、仮に売上が4000万円だと赤字にも黒字にもならないプラマイゼロの収益となります。
1円でも売り上げが下回れば赤字になり、逆に上回れば黒字になる為、この条件での損益分岐点売上高は4000万円で、先程の計算と一致します。

何故、この様な計算式になるのかというと、考え方としては毎月確実に費用が発生する固定費を、製品を販売した際の限界利益で埋め合わせていくため、この様な計算式になります。
限界利益とは、売上から変動費を差し引いたもので、経済学の世界では限界利益と言い、簿記の世界では貢献利益と言いますが… 難しく考えず、『1つ売れたらいくら儲かるか』で考えても良いです。
製品が1つ売れた際に出る粗利で固定費を支払っていき、固定費をすべて払いきった金額が、損益分岐点売上高と考えると、先程紹介した式の『固定費÷(1ー変動費率)となります。

損益分岐点売上高で出来ることる

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この損益分岐点売上高ですが、先ほど紹介した計算式も含めて、営業目標の目安として使うことが可能です。
最も基本的な使い方としては、例えば今現在、事業としての利益が出ていない状況で、なんとか黒字にしたいとした場合、いくらの売上目標を立てればよいのかの目安とすることが出来ます。
とりあえず黒字を目指すのであれば、損益分岐点売上高を超えることを売上目標とすれば、とりあえずの黒字化目標を建てることが出来ます。

この損益分岐点売上高という概念は、計算式も簡単ですし説明もしやすいので、とりあえず損益分岐点売上高を使った売上目標を建て、社員に対しては『何故、この数字が必要なのか』を説明すれば、理解が得られやすいでしょう。
社員としては、何の根拠も示さずに数字を出されるよりも、根拠のある数字を示された方が納得できます。
人というのは納得できなけれやる気も出ないでしょうから、かかっている費用を公開して説明し、売上額に対する理解を得ることで、目標を共有してやる気を出させることもできるかも知れません。

損益分岐点売上高の復習

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この計算式ですが、改造することで様々な売上を出すことが出来ます。
先程も言いましたが、この計算式は基本的には、限界利益を積み上げて目標となる利益を得るには、どれだけの売上が必要なのかという考え方を元に作られています。
損益分岐点を計算する場合は固定費を1から変動費率を差し引いたもので割っていましたが、この『1から変動費率を差し引く』というのは、言い直せば限界利益の割合である限界利益率のことです。

つまり、回収したい金額を限界利益率で割れば、目標となる売り上げが出るということです。
ということは、先ほど例に出した、売上8000万・変動費2000万・固定費3000万の例で言えば、最終的に利益を3000万円得たいと思うのであれば…
固定費の3000万円に目標利益の3000万を足し合わせた6000万円を限界利益率の0.75で割れば、目標売上高が出てきます。

実際に計算すると8000万円となり、目標となる利益3000万円は確保できます。
つまり、固定費を限界利益率で割ると損益分岐点売上高となり、固定費に目標利益を足したものを限界利益率で割れば、目標売上高になるということです。

損益分岐点売上高の応用

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これをさらに少し応用すると、例えば宣伝広告費を300万円使った場合に、どれぐらいの売上が増えないと赤字になるのかも分かったりします。
計算式は簡単で、宣伝広告費の300万円を限界利益率割るだけです。 先程の例を使って限界利益率が75%の場合で考えると、300÷0.75で最低限400万円の売上が増えないと、宣伝広告費を出した意味がありません。
つまり、宣伝広告費を300万使ったのに売上の増加が400万円に満たない場合は、宣伝広告費を回収できないため、広告を出さないほうが良いということになります。

変動費率と限界利益率の関係

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さらにこの計算式を深堀りしていくと、基本的には回収したい金額を限界利益率で割るという計算式であるため、仕入れコストや生産費用といった変動費の売上に対する割合である変動費率の変化によっても、求められる売上高は変化します。
端的にいうと、変動費率が上昇すればするほど求められる売上高目標は高くなり、変動費率が下がれば下がるほど、求められる売上目標値は少なくなります。

何故そうなるのかというと、割り算というのは高い数字で割ると、求められる数字は小さくなるからです。 割る数字が大きくなればなるほど、求められる数字はどんどん小さくなります。
当然ですよね。1000という数字を10で割ると答えは100ですが、1000を1万で割れば答えは0.1になってしまいます。
1から変動費率を差し引くと限界利益率になるということは、変動費率と限界利益率を足し合わせると100%になるということです。

変動費率と限界利益率の合計が100%ということは、変動費率が下がれば下がるほど、限界利益率は上昇することとなる為、言い換えれば、変動費率が下がれば下がるほど、求められる売上高目標額は低くなります。
ということは、変動費が下がれば下がるほど、売上目標額は少なくなっていくということです。
つまり、市場シェアを握って販売量を伸ばし、仕入れ業者と交渉することで商品1つ当たりの仕入れコストを下げることが出来れば、少ない売上で利益を確保できるということになります。

コスト削減の目安

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この事実事態は、誰でも少し考えれば分かることですが、この計算式の素晴らしいところは、変動費率を何%下げれば損益分岐点売上高がどの値まで下がるのかというのを具体的な数字で見せてくれるところです。
逆に言えば、売上の増加が見込めない状況で一定の利益を確保しなければならない状態に追い込まれた場合は、逆算することで変動費率をどのレベルに押さえればよいのかもわかります。
この計算方法は単純な方程式なので、左辺と右辺を操作して計算してもらえれば良いです。

つまり、目標売上高を出す計算式が、固定費と利益の合計額を限界利益率で割ったものであるわけですから、売上の数字が動かせなくて、固定費が分かっていて欲しい利益も分かっているのであれば、限界利益率を『x』として計算式を解けば良いだけです。
答えとしては、『限界利益率=(固定費+利益)÷売上額』となります。 ここで出てきた限界利益率を1から引けば変動費率になり、売上に変動費率をかければ変動費の金額が出てきます。
この変動費を目標にして、仕入れコストなどの材料費の削減や作業の効率化を目指せば、売上が上がらない中でも利益を確保することが可能となります。

以上が、損益分岐点売上高とその計算式の利用方法です。
次回についてですが、価格戦略について話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第116回【ソクラテスの弁明】まとめ回 後編

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人を悪人に変えるメリット

しかし、よくよく考えてみると、この罪状には納得できない点があります。
まず、『青年を堕落させる』という点ですが、関わり合いになるだけで他人を悪い方向に導けるということは、逆に良い方向へと導けるものはいるのでしょうか。
これに対してメレトスは、ソクラテス以外の人間なら誰でも人を良い方向へと導けると主張しますが、常識的に考えてそんな事があるはずがありません。

動物を調教する調教師にしても、人にものを教える教師にしても、優れているのはごく少数の者だけなのに、人を良い方向に導くという偉業をソクラテスを除く全国民ができるわけがありません。
これが本当なら、ソクラテスに接したことがある自称賢者は、ソクラテスを良い方向へ導いてやれば良かったのに、実際にはそれすら出来ていません。
また、この理論で言えば、ソクラテスは接する人間を悪人に変えていることになりますが、人を悪人に変えることでソクラテスに得はあるのでしょうか。

人は、善人と悪人がいれば、善人と親しくなりたいと思うし、悪人に囲まれて過ごす人生よりも善人に囲まれて暮らす人生を望むはずです。
ソクラテスは常に仲間と一緒に行動をともにするという生活をしていますが、その仲間を悪人に変えることで何の利益があるのでしょうか。
何らかの偶然や無意識の行動によって、自分が接しているものが悪くなったということはあるかも知れませんが、積極的に身近な人を悪の道に引きずり込む人間はそうそういません。

崩れるメレトスの主張

次に納得できない点として、『国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニア(半神)を信仰している。』という部分について考えていきます。
そもそもダイモニアとは何なのかというと、人間と神とを繋ぐ架け橋になる存在で、神と人との中間に当たる半神や神霊と呼ばれる存在のことです。
人と神とは直接コンタクトが取れないため、その中間に通訳的に存在しているのがダイモニアですが、ダイモニアを信じているのに、その先にいるであろう神を信じていないというのは理屈が通りません。

それともメレトスは、ソクラテスは神々の存在を信じないで、自然科学を信じている。 太陽は燃える巨大な岩だし、月は大きな岩の塊に過ぎないとでも言いたいのでしょうか。
メレトスは渡りに船とばかりに、『その通りだ、ソクラテスは神話そのものを信じていない』と主張しますが、太陽や月の正体が神の化身ではないと主張したのはソクラテスの師匠に当たるアナクサゴラスの主張です。
このアナクサゴラスは、かなり前にアテナイから追放されていますが、彼の説は有名で、その説をまとめた本はどこにでも安価な値段で売っています。

つまり、ソクラテスの説ではないということです。 また、彼の主張を代弁しただけで罪になるのであれば、アナクサゴラスが書いた本を販売している店は全部違法ということにもなります。しかし、そうはなっていません。
これにより、メレトスの『ソクラテスは青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』という主張が全て崩れてしまいました。

無知の知

しかしソクラテスは、自分が行ってきたことが賢者たちの顔に泥を塗ることになったという事実は受け止めます。ですが、それは恥ずべき行為では無いと主張します。
なぜなら彼は、人を侮辱するために論戦をふっかけたのではなく、単純に知らない事を知りたかったから尋ねに行っただけ、賢者が恥をかくことになったのは、彼らが知ったかぶりをしていたからです。
知ったかぶりをしている人を論破した結果、その人物から恨まれるとして、それを恐れて行動を起こさない事こそが世の中のためにならないと考えていたので、その行為自体は恥ずべき行動ではないということです。

自称賢者が話したことで納得できない部分があれば、世の中のためにも、それを深く追求する必要があります。
なぜなら、相手の顔色をうかがって追求をしなければ、その自称賢者は曖昧な知識で不確実なことを真実のように他人に教え続け、一般市民がそれを鵜呑みにすることで、間違った情報が際限なく広がっていくからです。
また、本当に知的好奇心が旺盛な賢者であれば、それを指摘されたからといって相手を恨むことはしません。

なぜなら、今まで真実だと思い込んでいた事柄が真実ではなかったという新たな知識を手に入れたわけですから、真理を求めて更に研究をすすめるでしょう。
ソクラテスに指摘されて怒ってしまうような者は、知的好奇心がなく、相手にモノを教えることで優越感を感じていた者達だけです。
この者たちにとっては真実なんてどうでもよく、自分が賢者だとして他人から崇められてさえいれば満足なんでしょうが、その状態は自分の都合の良い幻想にしがみついているだけで、何の意味もありません。

なら、その様な幻想からは一刻も早く目覚めさせてあげた方が、その人のためになります。

人が生きる意味

人によっては、この様な行動をとると、いずれ恨みを買って命を落とすことになるかもしれないと警告したくもなるかも知れません。しかし、人はそもそも、長生きするために生きているのでしょうか。
人の人生における最大の目標は、死なない事ではありません。 それは良く生きることであり、よく生きるとは秩序を重んじることです。

秩序の維持によってなされる共同体に属する人々の幸福に比べれば、金や名声や権力を手に入れることによって優越感に浸れるなんてことや、秩序を無視して生きながらえることに大した意味はありません。
人は幸福になるために生まれてきたのだし、そのために必要なことは不正を行わないことだけなので、不正を正すことは恥ずべき行為ではないし、それによって殺されたとしても不幸ではないということです。
そのためソクラテスは、裁判官に対して反省している素振りを見せて減刑を求めたりしないし、泣き叫んで同情を求めたりもしないと断言します。 なぜなら、その行動こそが不正であるため、その行動の先には不幸しか待っていないからです。

そして裁判官たちに対しても、感情に流されることなく、事実だけを観て秩序に則って判決を下して欲しいと要望します。なぜなら、そうすることが裁判官たちにとっての幸福につながるからです。
裁判官という職業は、他人の人生を左右することができる重要なものですが、それは巨大な権力ではなく、法律の下にあるシステムでしかありません。
そのシステムを自分の権力だと勘違いし、感情に任せて暴走させてしまうことこそが不正だし、その不正行為は、いずれ、自分の身に跳ね返ってくることでしょう。

なぜなら、その行動によって法律は形骸化し、社会を円滑に進めるはずのシステムも機能を果たさなくなるからです。
その様な社会で暮らすことは、市民にとっては不幸でしかありません。
なぜか、それはルールに守られるはずの市民はルールから見放され、ルールを利用できる支配者層の感情によって支配される世の中になるからです。

支配者層はごく少数しかいないため、大多数の市民たちはルールが形骸化することによってデメリットを受けてしまいます。
そうならないためにもソクラテスは、裁判官たちに感情に流されることなく秩序に則ってさばきを下すべきだと主張しますが、感情に支配された裁判官達は、ソクラテスに死刑判決を下してしまいます。
この後、死刑が執行されるまでの間、ソクラテスと弟子のクリトンたちとの間で議論が行われるのですが、そのまとめは次回に行っていきます。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第116回【ソクラテスの弁明】まとめ回 前編

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今回は、第103~111回で取り扱った『ソクラテスの弁明』と、第112~115回で取り扱った『クリトン』のまとめ回です。
この2作品の関係性ですが、『ソクラテスの弁明』は、ソクラテスが今まで論破してきた人たちに訴えられた裁判を取り扱っています。
クリトンでは、その裁判後の話が語られているため、この2つの対話篇は2つでワンセットと考えてもらって良いです。

ソクラテスが訴えられる理由

まず、ソクラテスの弁明から振り返っていきますが、政治家のアニュトスを後ろ盾にした吟遊詩人のメレトスから訴えられて、それに対して自分を弁明するところから始まります。
訴えられた理由としては、ソクラテスは多くの人達に議論をふっかけては『相手が何も知らないことを暴く』という行動をライフワークにしていた為、無知を暴かれた人がその事を逆恨みして訴えたというのが、よく言われている分かりやすい理由です。
その他にも、政治的な理由があったと言われています。

というのも、首謀者とされるアニュトスは民主派の政治家で、アテナイがスパルタに負けて民主主義が崩れた時に海外に逃亡し、その後、スパルタの統治が崩れ始めた頃に再びアテナイに戻り、民主主義を復活させた人物です。
一方でソクラテスアテナイに残り続け、スパルタ統治の下で三十人僭主制が行われていた頃に、国の役人として働いています。 つまり、一時的にはスパルタ側に立っていたということです。
それに加え、そもそもアテナイがスパルタに負けたのは、ソクラテスと関わりが深いアルキビアデスが、アテナイの情報をスパルタ側に流したからという話もありました。

そういった政治的な理由も関係しているのかも知れませんが、その部分は哲学とは直接関係がないと思われるので、割愛します。興味のある方は、ご自身で調べてみてください。
ソクラテスは基本的にはこの様な感じで訴えられるのですが、これらの行動そのものは犯罪行為ではないため、裁判所に訴えかけても取り合ってはもらえません。
そのためアニュトス達は、ソクラテスは国で公式に定められた神々を崇拝していないし、その考えを青少年にも教えることで風紀を乱しているとして訴えます。

前提を疑うソクラテス

この根拠としては、ソクラテスの哲学者としての姿勢が関係しています。 ソクラテスは哲学の祖と呼ばれていますが、この様に呼ばれている理由としては、現代まで伝わる、哲学者としてのあるべき姿勢を最初にとったからだと思われます。
哲学者としてのあるべき姿とは何かというと、全てに対して疑いの目を向けることです。 わからないものに対しては『わからない』と素直に認め、分かるための努力を行い続ける姿勢のことです。
この考え方は、現代では哲学から派生した他の学問にも受け継がれ、普通の事とされていますが、昔は普通ではなかったんです。

昔の普通とは、神話の世界で語り継がれているような神々の存在を背景にした世界のあり方を疑うことなく受け入れるというのが普通であって、その前提を疑ったり独自解釈するというのは異常な行動なんです。
言い換えるのなら、特定の宗教が信仰されている世界で、その宗教の教義を疑うようなことをするのは異常だということです。
この様な環境でソクラテスは、知的好奇心から様々なことを探求し続けていたため、神々を信仰していないし、その考えを若者に教え込むことで秩序を乱しているとして訴えられました。

裁判の場に引きずり出されたソクラテスは、最初に、裁判官たちに対して敬意を込めずに市民と呼びかけ、彼らを侮辱して挑発します。
何故こんな事をするのかというと、彼には、人は感情で動くのではなく、自分の外側に確固たる基準を持ち、物事を判断する際に迷ったときには、その基準を元に判断すべきだという持論があるからです。
そのため、敢えて裁判官を感情的にさせて冷静な判断をさせないような振る舞いを徹底します。

その上で、自分は神々の存在を否定していないと訴えに対して反論します。
ここで注意が必要なのは、ソクラテスは神々の存在を否定はしていませんが、完全に肯定しているわけでもないということです。何故、肯定しないのかというと、神々の存在を自分の目で観て確かめたわけではないからです。
ただ、見たことがないから存在しないと断定することはできませんし、神々の存在を認める方が物事を説明しやすいという場面もあるので、そういった意味合いでは神話を信用しているという立場です。

一般人のように神話の神々を盲信しているというわけではないですが、完全に否定して別の理論を構築しているというわけではないため、神々を否定はしていないと反論します。

反論すべき人と無視すべき人

続けてソクラテスは、自分を非難している人間は2種類いるが、対話をすべきなのは自分を名指しで訴えた者達だけだとして、その人達にだけ向けて反論を行います。
ちなみに相手にしなくても良い人達というのは、現代でいうとフェイクニュースやデマに流される、自分で物事の本質を考えないような人たちのことです。

この人達は、何の考えもなしに流されているだけの人達なので、対話をするだけ無駄です。 なぜなら、裁判結果が無罪になれば手のひら返しをするし、有罪になれば、ここぞとばかりに調子に乗って叩く人たちだからです。
その人達の大半は自分の意見がないため、そんな人達を一人ひとり説得していくのは時間の無駄でしかありません。
しかし、ソクラテスのことを心の底から憎んで裁判まで起こしてしまうアニュトスやメレトスの様な人たちは別です。彼らにはソクラテスを嫌う理由があり、自身の意見を持っているため、対話することが重要です。

事の真相

ソクラテスはまず、自分が賢者と呼ばれる者達から嫌われるようになった原因から話し始めます。
彼は、自分自身は何も知らない無知なものであるという自覚が合ったため、賢くなりたいという思いから、自分より賢いと思われる人間に話を聞きに行くという活動を続けていました。
普通の者であれば、自分より賢い者に教えを授けて欲しいとお願いしてるわけですから、その教えを受け入れるわけですが、ソクラテスは納得できないことは受け入れない性格なので、その教えをすんなりとは受け入れません。

その活動をそばで見ていたソクラテスの親戚が、彼に教えを授けてくれる賢者の場所を神様の声が聞ける巫女さんに聞きに行ったところ、ソクラテスが一番賢いという答えを得てしまいました。
それを伝えられたソクラテスは、自分のどこが優れているのかを考えた結果、自分は物を知らないということを自覚している点ぐらいしか他の賢者たちと違う点が無いと気づきますが、その神の神託も鵜呑みにはせず、他に賢者はいないのかと探し続けます。
この活動の結果、多くの賢者が気分を悪くし、ソクラテスの敵になる一方で、賢者を言い負かしているソクラテスこそが賢者ではないのかと思うものも増え、ソクラテスの世間の評価は真っ二つに割れました。

ソクラテスこそが賢者だと思うものは、自分もソクラテスの様な賢者になりたいと思い、彼の仲間になって彼のそばで対話を聞いて話術を吸収し、賢者を言い負かすノウハウを蓄積していきます。
そして弟子たちは、そのノウハウを試すために、自分達も賢者に論戦を挑んで賢者を言い負かす活動を行います。
この構造が更に賢者たちを苛立たせ、『ソクラテスは青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』として自分は訴えられたんだとソクラテスは分析します。


参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第115回【クリトン】命をかけた願い 後編

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人は秩序を選べる

現在の多くの国がそうですが、当時のギリシャも民主主義国家です。
民主主義を採用しているということは、少数の独裁者が自分たちの都合の良いようにルールを定めているわけではなく、ルールを作っているのは国民たちです。
法律の方に問題があって国家が歪な状態になっているのであれば、それを改善するための行動を取るべきです。

対話篇の中では、擬人化された国家と法律によって、この様な主張されています。
『この国で生まれ育ち、教育を受けて大人にまで成長したものは、国家という存在が正当なものであるかどうかを自分自身で吟味することができるはずです。
国家に対して満足しているのであれば良いが、もし、現状に不満があるのであれば、法改正によって国家をより良くするように提案し、国民を説得することで法律を変えることができる。

この行動を通して、国民は自分たちで国家を本来あるべき姿に変えることができる。
もし自分が少数派で、理想的な国家像を国民に訴えかけたとしても他の国民が耳を貸さず、改革ができない場合、この国を出ていくという選択肢も残されている。
また、アテナイは開かれた国なので、国民を国内に閉じ込めておくなんてことはしない。 そのため、他の国を自由に見て回ることができる。

その旅の中で、自分の価値観に合う国を見つけることができれば、その国に移住するという行動も禁止されていはない。
アテナイでは、自分の財産を他国に持ち出すことも禁止されていないので、この国が気に入らないのであれば、全財産を持って好きな国に移住するという選択肢も選べたはずだし、そうしたとしても、誰も責めるものはいないはずです。
この様な環境にありながらもソクラテスという人間は、移住どころか旅行すらせずに、アテナイに籠もって出なかった。

無法者の末路

これは、このアテナイという国家や法律が自分にあっていて、住心地が良かったからではないのか。
しかもアナタは、この国で結婚して子供まで作っている。何故そうしたのか、それは、この国で子供を育てることが望ましいと思ったからではないのか。
縛り付けられてもいないのに国外に出ず、子供まで作るという行為を客観的に見れば、ソクラテスという人間は国家や法律に文句がなかったと宣言しているようなものだ。

また、最後に行われた裁判で、アナタは自分で刑罰を提案する際に、国外追放を提案しなかった。
死刑が求刑された際に、『自分が正論を主張しただけで嫌われて、殺そうとしてくる人たちとは一緒に暮らしたくない。』と感じたのであれば、その時に国外追放をされることを望めばよかった。
そうすれば大半の人間は、死刑判決よりも国外追放のほうが妥当だと考えて、国外追放という判決を下したことでしょう。

このことは容易に想像できていたはずなのに、ソクラテスという人間は、自分が死刑になるような、裁判官の感情を逆なでするような演説を行って、結果として死刑になった。
にも関わらず、自分勝手な理由で法律を無視し、秩序を乱して脱獄しようというのですか?
その様にして脱獄してアテナイを出ていく場合、多くの国は、脱獄囚を普通の国民として受け入れるなんてことはしないでしょう。

信念なき者

なぜなら、多くの国には秩序があり、国家や法律を重んじる国であるわけですから、それを軽んじるアウトローを普通に国民として受け入れるなんてことはしません。
逃亡先の秩序ある国に住む住民たちは、逃げてきたソクラテスを無法者と敵視し、厳しく追求することでしょう。
そんな逃亡先で、どの様な人生を過ごそうというのでしょうか。 アテナイで行っていたのと同じ様に、善であるとか、秩序について話すのですか?

そのテーマについて、死にたくないからという理由で秩序を無視して自分を育ててくれた国から逃げ出した人間が話したとして、誰が話を聞いてくれるんでしょうか。
秩序を破壊した逃亡者の意見を喜んで聞いてくれるような国があるとすれば、それは、秩序を重要視しない様な人たちで構成された国だけでしょう。
皆が法律を守らないことで形骸化し、国家の体をなしていないような土地に住んでいる人たちであれば、ソクラテスがどうやって牢屋から抜け出したのかや、逃亡のための交通手段を用意した方法といったエピソードは聞いてみたいと思うかも知れない。

しかし、アナタはそんな話がしたくて、故郷を捨てて逃げようというのですか?
もし逃亡をせずに、このまま法律に従って処刑されたとすれば、アテナイに住む者の中には『ソクラテスは不正によって殺された』と同情するものもでるでしょう。
しかし、国の法律を無視し秩序を乱す逃亡者となれば、そういうわけにも行かないでしょう。

国家と法律である我々は、アナタの命がある限り恨み続けるでしょうし、アナタが寿命を全うしてあの世に行った際には、ハデスによってその罪を裁かれるでしょう。
秩序を乱すという大罪を犯した者に安息は訪れません。 そうなりたくなければクリトンを説得し、秩序を守る道を選ぶがよい。』

自ら死を選んだソクラテス

この国家と法律の主張を簡単に要約すると、脱獄する理由が単純に死にたくないという理由だけであれば、それを回避する方法は法律を無視する以外にも、いくらでもあっただろということです。
ソクラテスが有罪判決を受けた際の裁判では、有罪か無罪かの判決が出た後に、その罪に応じた刑罰を原告と被告がそれぞれ主張し、もう一度多数決を行って刑罰を決定します。
ソクラテスは、この時に迎賓館の食事を提案したわけですが、そうではなく、国外追放を選択していれば、脱獄せずとも合法的に命を守ることができていたでしょう。

なぜなら、ソクラテスアテナイに住む国民のそれなりの割合の人たちから、口やかましい老人だと嫌われていはいましたが、殺されるほど憎まれていたのかといえば、そうではありません。
これは、裁判官という立場ならなおさらです。 ソクラテスは、一定層には嫌われていましたが、支持層もいました。それは、有罪無罪を決定する多数決の時のことを思い出してもらえばわかるはずです。
ソクラテスは、裁判官たちに敢えて失礼な態度をとったりと、相当煽ったにもかかわらず、結果は一方的なものにはならずに半分程度に割れていました。

つまり、約半分近くはソクラテスのことを憎からず思っていたわけです。裁判官が死刑判決を下せば、死刑に投票した人間は支持者から恨まれるわけですから、ソクラテスが妥当な刑罰を提案していれば、大半の裁判官は受け入れたでしょう。
そのため、ソクラテスが死にたくないと思えば、自ら国外追放を提案することで、多くの票を獲得して合法的に海外に逃れることができたはずです。
しかしソクラテスは、そんなことはしませんでした。有罪判決後も裁判官たちの感情を逆なでする様な挑発を続け、結果として死刑になっています。

命をかけた願い

ソクラテスは自分の命を守ることよりも、自分が命を失うこと切欠にして、国民に秩序について考えてもらうことを優先させました。
それなのに、処刑の土壇場になって逃げ出したとすれば、ソクラテスが今まで行ってきた正義や秩序やアレテーについての主張は全て、説得力をなくしてしまいます。
そんな説得力を失った彼の話に耳を傾けるのは、正義やアレテーとは無関係の無法者たちだけで、そんな彼らは正義の話などに興味はなく、聞いてくれるのは脱獄した際の話といった、どうでも良い話だけになるはずです。

ソクラテスはクリトンに対し、この国家や法律の主張に反論できるのかと訪ね、クリトンはそれを否定し、これに納得してしまいます。
こうして、当初の約束通り、ソクラテスは脱獄するととなく、看守から差し出された毒を自ら飲んで命を落とします。

これで、ソクラテスの弁明から続いてきたソクラテスの最後の裁判の話は終わりです。
次回は、これらのまとめを行っていきます。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第115回【クリトン】命をかけた願い 前編

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今回も、前回までと同じように、プラトンが書いた対話篇、クリトンの読み解きを行っていきます。
対話篇の朗読を行うわけではなく、作品の要約を行った上で、私自身が解釈した解説を付け加えるという形式でコンテンツを作っていますので、内容に興味を持たれた方は、原作を読まれることをお勧めします。

クリトンの説得

前回までの話の振り返りを少ししていくと、死刑判決を受けて刑が執行されるのを待つソクラテスの元へ、親友のクリトンが訪れて、『死刑が執行される前に、一緒に逃げよう。』と脱獄することを勧めてきます。
クリトンがソクラテスに脱獄を進める一番の理由としては、彼に生き延びて欲しいからなんですが、しかし、それをそのままソクラテスに伝えたところで、彼は聞き入れないでしょう。
そこでクリトンはソクラテスに対し、『この牢屋では、大掛かりな脱獄計画などなくても、少しのカネを看守に渡すだけで逃げることができる。この状況で君を見殺しにしたら、私達が大衆から責められる。

また、君には子供がいるが、その子供はまだ小さいではないか。
親は、子供が一人前になるまで面倒を見なければならない義務があるが、君はその義務を放棄して、一人で死のうというのか?』といった感じで、ソクラテスが死んでしまうと周りが困ると言って説得しようとします。

これに対してソクラテスは、『その大衆は、そもそも正論を言っているのか。 彼らの言うことは正しいことなのか?』と聞き返します。
なぜなら、死刑判決を下し、今まさに彼の命を奪おうとしている存在もまた、大衆だからです。
大衆は、自分自身で死刑判決を下し、一人の人間を法の下に殺そうと決めたのに、いざ、死刑が執行されれば『何故、脱獄させなかったんだ?』と死刑囚の仲間を攻め立てる。そんな彼らに、正義はあるのだろうか?とソクラテスは疑問を返します。

国家と法律

この行動だけをみても民衆が深く考えて行動していないことは明白なのですが、その民衆が支持している答えだから確実に間違っていると断言するのも乱暴です。
そこでソクラテスは、クリトンと話し合うことで双方が納得できる答えを出し、その答えに従うと主張します。 つまり、討論の結果が脱獄すべきと出れば、クリトンに従って逃げるけれども、そうでなければ処刑されるということです。
こうして討論が始まることになるのですが、クリトンの方はというと、何から初めて良いのかがわかりません。

そこでソクラテスは、もし、法律と国家が人格を持っていて討論に参加してきたとするのならば、この様なことを言うのではないか?として、国家と法律とソクラテスとで架空の討論を始めます。
クリトンは、もし、その討論の方向性に納得できなければ反論を言えばよいし、逆に討論の方向性に納得ができるのであれば、それを受け入れて欲しいということです。
こうして、国家と法律とソクラテスとの間で討論が行われることになります。

法律の言い分としては、そもそも人は無秩序の中では生きていくことはできず、ルールに守られていなければ繁栄することはできないと主張します。
法律とは単なる規制ではなく、国家が定める婚姻制度や相続、義務教育や医療体制によって人は守られているし、そのルールの枠組こそが国家と言えます
人は国家によって安心できる生活を送ることができているにも関わらず、自分に不都合なことがあったからという理由だけで、国家が定めた法律を無視するという行為は、果たして正当な行為と言えるのでしょうか。

冤罪

ソクラテスは、国家や法律からこの様に尋ねられたとすれば、言い返す言葉がないと答えます。
ソクラテスに限らず、国家に属している人間は、その国家の定めるルールによって守られながら日常生活をしています。 その恩恵を受けているのであれば、ルールに反した際には刑罰は受け入れるべきです。

ですがここで、本当にそうなのかと疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。
というのも、法律やそれによって作られたシステムが私達を守っているというのはその通りなのですが、それを運用しているのは、神様でも完全に構築されたAIでもなく、人間です。
人間が運用している以上、そこにはエラーが生じる可能性は捨てきれません。

例えば、警察官が容疑者を捕まえた際に、その容疑者を犯人にしたいからという理由で、検察が証拠を捏造するということもあるでしょう。
逆に犯人側が、無罪を主張するために嘘の供述や、アリバイ・証人を用意するということもあるでしょう。そして、それらの証拠を見比べて判断を下すのも人間です。
この裁判官が嘘を見抜けずに、間違った判断をすることも大いにあるでしょう。 犯罪者を無罪としたり、無罪のものを有罪だと決めつける冤罪がそれに当たります。

更新し続けるシステム

今回のソクラテスの裁判で言えば、証拠や論理の話でいえば無罪です。 しかし、裁判中の態度が良くなかったからという感情的な理由だけで死刑判決が下されているので、不当な判決が下されている可能性が高いです。
であれば、裁判結果を受け入れずに逃げるというのも、一つの手です。 幸いにも、ソクラテスには一定の支持者がいますし、死刑判決を下した裁判官たちは、その支持者から責められているかも知れません。
こういう状態であれば、ソクラテスが逃げてくれた方が大勢の人たちが安心できる可能性すらあります。

この状態でも逃げるべきではないのでしょうか。明らかにシステムに欠陥があるのに、そのシステムが出した答えを受け入れなければならないのでしょうか。
ソクラテスが言うには、それでも、法律は守らなければならないと言います。
なぜなら、ソクラテスが住んでいる国のシステムには、改善するためのシステムも内包されているからです。

国家や、それを成立させている法律というのは、一度決められれば絶対に変えることができない、神から授かった十戒の様なものではなく、時代に合わせて変化させていくものです。
時代に合わなくなった法律は廃案にし、時代に沿った法律を作っていく。この様にしてシステムは、常に更新され続けているという特徴があります。
つまり、もし、システムに重大な欠陥がある事がわかったのであれば、それを修復するための法改正を行っていくというのが、正しい国のあり方です。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第45回【経営】損益分岐点売上高(1)

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主軸の事業が衰退する前に次の事業を立ち上げる

f:id:kimniy8:20211218212057j:plain
今回は、前回に少し話題として出た、損益分岐点売上高や損益分岐点と呼ばれるものについて話していきます。
前回はどの様な話をしたのかを簡単に振り返ると、市場というのはいずれピークを打って縮小を始めるのですが、その縮小に応じて企業の利益も減少していきます。
市場の縮小期というのは新規投資も行いませんし、ある程度の効率化もはかれているため、事業としては利益の出やすい状況にはなっていますが、それでも市場が小さくなっていけば、利益を確保し続けるのは難しくなってしまいます。

利益が確保できず、むしろ赤字になってしまえば、事業を続けていく意味はありませんので、できるだけ早く撤退すべきです。
もちろんその間にも、市場シェアを更に伸ばすとか、市場縮小をできるだけ遅くするといった努力はすべきですが、外部環境である市場環境を1社がどうこうしようというのは無理があります。
そのため、市場縮小が始まればその事業に代わる事業を立ち上げておき、いざとなったら既存事業からは撤退して新たな事業に軸足を移すというのも考えて置かなければなりません。

固定費

f:id:kimniy8:20211218212109j:plain
では具体的に、どれぐらいまで市場が縮小してしまうと、撤退した方が良いのでしょうか。
その目安となるのが、損益分岐点損益分岐点売上高と呼ばれる数値です。

この数値ですが、計算方法としては、まず、費用を変動費と固定費に分割します。固定費とは、簡単に言えば毎月決まった固定の金額の費用が発生する費用のことです。
例えば、従業員に対する給料や家賃や減価償却費などは、基本的には毎月決まった金額が発生します。仕事が暇だからといって、基本給を5割減なんて出来ませんし、忙しくて工場がフル稼働したからといって、その月の家賃が高くなるわけでもありません。
仕事が忙しくても暇であっても、毎月決まった出費が固定金額で発生するため、これらを固定費と呼びます。

例を挙げると、先程あげた社員の基本給や家賃、高額の機械や建物や車などを買った際の、毎年の減価償却費などがこれにあたります。
減価償却費とは、例えば200万円の車を10年乗るつもりで購入した場合、買った年に200万円の費用を計上するのではなく、毎年20万円ずつ経費を計上するのが、減価償却費の考え方です。
何故こんなややこしい事をわざわざするのかというのは、詳しくは会計の解説をする際に説明しますが、毎年の利益を把握しやすくするためです。

減価償却

f:id:kimniy8:20211218212119j:plain
例えば、ある事業を行うと決心し、最初に1000万円の投資をして設備を揃え、その後10年にわたって事業を行い、毎年の売上が1000万円あるとした場合。
1000万円掛けて揃えた設備は10年にわたって使うため、10で割った方が毎年の利益が分かりやすいとは思わないでしょうか。これが、減価償却という考え方です。
仮に減価償却を行わずに1年目に1000万円の費用を計上してしまうと、最初の年は確実に赤字になり、次の年からは設備費用がかからないため、その分、利益が出てしまいます。

なぜ赤字になるのか、利益が出るのかは簡単な計算で、利益は売上から費用を差し引いたものなので、毎年の売上が1000万円で初年度の投資費用が1000万円の場合、それを全額経費計上してしまうと、残りはゼロになります。
ここから、人件費や材料費などが発生するため、初年度は確実に赤字になりますが、2年度目からは1000万円の投資費用はなくなる為、黒字が出やすい体質になります。
この様な利益の計算をしてしまうと、新たに設備を購入した年だけ大幅に経費が増ることで、利益が大幅に減少したり赤字になってしまうため、後から利益の推移を見直した際に非常に見にくくなります。

それよりは、10年で使う設備なら10年で割って毎年費用計上するほうが、利益の推移としては追いかけやすくなります。
他にもいろいろな理由がありますが、数年掛けて使うような大掛かりな設備や道具に関しては、毎年分割して経費計上すると理解してもらえれば良いです。
この減価償却費は、設備を購入した際に償却方法を決めて、以降はその方法に従って償却していくため、毎年経費計上する償却費は予め決まっています。その為、固定費として計算します。

変動費

f:id:kimniy8:20211218212132j:plain
これに対して変動費とは、売上に応じて経費の額が変わる費用のことです。
例えば、商品を仕入れて販売する小売店の場合、商品が売れれば売れるほど売上は上がりますが、売れた商品は仕入れないとならないため、仕入れ費用がかさみます。
逆に店が暇で商品が全く売れない場合、販売するための商品を仕入れなくて良いわけですから、仕入れ費用はかかりません。

これは製造業の場合も同じで、販売量が伸びれば伸びるほど、原材料の仕入れのために費用がかさむわけですから、売上が伸びれば材料の仕入れ代金も上昇します。
一方で商品が売れず、倉庫に在庫として貯まっている場合は、その在庫がハケるまでは製造をしないため、仕入れ費用はかかりません。
水道光熱費なども同じで、基本料金は固定で発生しますが、それ以降の使った分の増加分は変動費となります。

これは人件費にも言えることで、先程人件費は固定費と言いましたが、それは基本給であって、忙しい時期に社員に残業をしてもらった場合、その残業費用は変動費として勘定します。
何故なら、暇で仕事がない時期は残業費用はかからないわけで、忙しい時期だからこそ、やるべき仕事が増えて残業しなければならないわけですから、変動費として考える事ができます。
つまり、仕事量によって変動する費用のことを、総称して変動費と呼びます。

損益分岐点売上高

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この固定費と変動費ですが、これが分かることで、損益分岐点売上高を計算することが出来ます。
計算式は、『固定費÷(1-変動費率)』です。

わかりやすくするために、具体的に数字を出して説明していきます。
まず、固定費が3000万円かかっていて、変動費も2000万円で、売上が8000万円だとします。
売上が8000万円で、固定費と変動費の合計が5000万円ですから、この事業では単純に3000万円の利益が出ていることになりますが、では、売上がいくらまで下がったら赤字になってしまうのでしょうか。

売上が8000万円で変動費が2000万円ですから、変動費の売上に対する割合である変動費率は25%です。
先程紹介したの損益分岐点売上高を計算する公式は、固定費を(1-変動費率)で割ったものでしたから、100%から先程計算した変動費率の25%を引くと75%。
この75%で固定費を割れば、損益分岐点売上高が出てきます。

実際に割ってみると4000万円という数字が出てきます。 つまり、売上が4000万円を下回ってしまえば赤字となります。

実際の計算(損益分岐点売上高)

f:id:kimniy8:20211218212153j:plain
では、計算が本当にあっているかどうかを観ていきましょう。
売上が4000万円だとすると、変動費率が25%の場合は、この売上に対する変動費は1000万円ということになります。

この1000万円に固定費の3000万円を足せば4000万円になりますので、計算通り、売上が4000万円では黒字にも赤字にもならない利益がゼロの状態になります。
もし、このラインから1円でも売り上げが下がってしまえば、赤字になってしまいます。

損益分岐点売上高の基本的な考え方

f:id:kimniy8:20211218212203j:plain
この計算式の考え方としては、まず、製品を1つ売った際にどれだけの利益が出るのかを考えます。
例えば、商品が1つ1000円で、それを作るための原材料や水道光熱費などの変動費を合計したものが250円だった場合、残りは利益ということになります。この利益のことを、経済学では限界利益、簿記の世界では貢献利益と呼びます。
何故、普通に利益と呼ばないのかというと、この利益は固定費を引く前の利益だからです。 利益というのは売上から固定費と変動費を引いたものですが、ここでは変動費しか引いていないので、限界利益なんて呼んでいます。

この限界言葉の意味ですが、経済学の用語で、Marginal profitを直訳したものなので、深く考えなくて良いです。
この限界利益で固定費のマイナス分を埋めていき、プラマイゼロになるポイントが損益分岐点売上高となり、公式でいうと、先ほど説明した『固定費÷(1-変動費率)』となります。
この損益分岐点売上高という数字は、公式も含めて様々なものに利用できるのですが、その利用方法については次回に話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第114回【クリトン】国家と法律 後編

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国家と法律

ソクラテスは、自身がこれから語る主張は正当防衛すら許されない、どの様な理由があろうとも不正行為や害悪を他人に与えるという行為は行ってはいけないという前提で話していくが、この前提条件は納得できるのかとクリトンに訪ねます。
そして、クリトンの同意を得て、『他人から害悪を押し付けられたとしても、報復として害悪を返すのはやってはならない。』という前提で話を進めていくことにします。

ソクラテスはまず、国家と法律という概念を擬人化するところから始めます。
国家や法律を人に見立てて、彼らと討論をする様子を見せることで、クリトンにとっても問題を理解しやすいようにし、彼が主張しやすいようにしようと考えたのでしょう。
クリトンはソクラテスに対して、法律で決まった死刑判決を無視して逃げようと提案しているわけですから、擬人化された法律は、ソクラテスにこのように質問をしてくるはずです。

ソクラテスよ。 アナタは今、何をしようとしているのか? アナタは、国の法律によって裁かれて死刑判決がくだされたが、それを個人的な理由だけでなかったことにしようとするのか?
もしそんなことが許された場合、法律は存在感をなくしてしまうことになるが、その状態で、国という枠組みが維持できるとでも思っているのか?』

この質問を投げかけられた場合、ソクラテス達はどのように反論すればよいでしょうか。
ソクラテスに下された判決も課された刑罰も、正式な手続きを踏んで与えられたものなので、正当なものと言えます。
それを個人で覆そうとする場合には、どの様な言い訳をすれば良いのでしょうか。『私達こそが、国家によって不正行為を行われて、あらぬ罪で拘束されている。』と反論をすべきなんでしょうか。

これに対してクリトンは、『その通りだ、そうやって法律に対して言い返すべきだ』と同意します。
では次に、法律がその反論を受けて、このように質問を投げかけてくるとします。

法律の役割

ソクラテスよ。 あなたは、私が定め法律によってくだされた結果が不服だとして、個人的な理由で法律である私の決めたことを無視して、国を崩壊させるような判断を下そうとしている。
しかしアナタはこれまで、私が定めた決まり事、ルールの中で育ってきたわけだが、そのルールに不満があったのだろうか?

例えばアナタの親は、私の定めた婚姻のルールによって結婚し、法律に守られながらソクラテスという人間を誕生させた。
そしてその子供であるアナタは、私が定めた育成方法によって、勉強や体育を行い、一人前の人間に育った。
アナタは、これらの私が定めたルールに沿って生まれて、この年齢になるまで生きてきたが、そのルールになにか不満でもあったのだろうか?』と。

この部分をもう少し具体的に、現代の基準に合わせて考えてみると…
法律というルールは、人の行動を制限するためだけに存在するわけではなく、人間を守ったり、平等な機会を与えるという役割も負っています。
例えば、人を殺してはいけないという単純なルールは、人を殺したいと思っている快楽殺人者の行動は制限しますが、その代わり、他人から殺される可能性を大きく下げるため、一般人にとっては安全のためにもなくてはならないルールといえます。

また法律というのは、このように安全を確保するためだけに存在するわけではなく、義務教育の制度を設けて最低限の教育の機会を平等に与えたり、働けなくなった際に生活の保護をしてくれたり、病気になった際に助けてくれたりもします。
この様に、法律によって環境が整備されることで、人はそのルールを前提にした社会を作っていきますし、その環境の中で守られながら生きていきます。
これらのルールがなければ、守られずに淘汰されていた人たちが大勢出てくることは簡単に想像できますが、ではこのルールは、自分が死刑になったからという理由だけで否定しても良いものなのかということです。

法律への態度

この法律からの疑問に対しソクラテスは、法律や、それによって生まれた社会に対して不満は無かったとしか答えられないと言います。
なぜなら、法律が定めた秩序によって自分は守られ、ここまで育ってきたというのは否定できない事実だからです。
そうすると、この返答を聞いた国家や法律は、ソクラテスの返答を踏まえて上で、さらに、この様な主張をしてくるでしょう。

『では何故、アナタは私が下した決断に従わず、国家が定めた法律を無視することで、秩序を破壊しようとするのですか?
アナタは、自分を生んで育ててくれた両親が、自分の行動を規制しようとしたり、そのために躾と称して嫌なことをやられたからと言って、同じ方法で仕返しをしようとはしないはずです。
それは何故かといえば、自分を生んで育ててくれた親を敬って、自分自身とは同列には考えていないからです。

国家や法律は、その親やさらにその親、アナタの先祖代々を生んで育ててきた存在と言えますが、その者が下す決断を、何故、自分勝手な都合で放棄することができるのでしょう。
本来であれば、国家や法律は、親以上に敬わなければならない存在で、決して、自分自身と同格だとは思えない存在のはずです。』
…と、この様に法律や国家が主張してきたとしたら、どうしましょう。彼らの主張を正当なものとして受け入れるべきなんでしょうか、それとも否定すべきものなのでしょうか。

これに対してクリトンは、その意見には賛同するしか無いと答えます。
これを聞かれている方の中には、もしかすれば、この意見には賛同できないと主張される方もいらっしゃるかも知れません。
というのも、現実問題として、ルールに則って行われること全てが正しく、ルールに従ってさえいれば、その国に住む人みんなが幸福になれるのかといえば、必ずしもそうではないからです。

冤罪について

例えば身近な例で言えば、男性は通勤電車を利用する際に、痴漢冤罪で捕まってしまうケースが稀にあります。
そういった場合に、自分は実際には痴漢はしていないけれども有罪判決が出てしまったとして。この判決は、正式な手続きに則って行われたんだから、黙って従うしか無いと受け入れるのかといえば、大半の人は受け入れないでしょう。
中には、やってもいない罪を認めて早々に示談に持ち込んだ方が、実質的な被害は少ないんだから認めるという人もいらっしゃるかも知れませんが、その場合でも、心のなかでは罪を認めていないはずです。当然ですよね、やってないんですから。

警察や裁判所の判断がオカシイと思いながらも、否定すると長期間勾留されることになるので、自分のみを守るために仕方なく示談金は支払う。
けれども、納得はしていないし、この様な冤罪が生み出されるシステムそのものがオカシイし、この流れが秩序を維持しているとは到底思えないと考えてしまうのは、当然だと思います。
また、以前に見たニュースによると、数そのものは少ないですが、示談金目当てに痴漢をでっち上げて金を稼いでいた。なんて人も実際にいたりもします。

繰り返しになりますが、この状態はシステムが正常に機能していて、秩序が保たれている状態なのかといえば、そうとは思えません。
にも関わらず、国家や法律というのは親よりも敬うべき存在なんだから、疑うことなく信じ続けろと頭ごなしにいわれても、納得はでないでしょう。
ただ… この解釈をしてしまうのは、ソクラテスが代弁している国家や法律の主張を誤解しているからです。

この後、その誤解を解くために細かい条件付がされていくわけですが、その話はまた次回にしていこうと思います。


参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第44回【経営】キャッシュフロー(4)

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黒字と赤字

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前回は、製品や事業のライフサイクルの成長期に起こりやすい、黒字倒産について少し掘り下げて話していきました。
黒字倒産を簡単に説明すると、まず、企業の黒字・赤字というのから説明すると、売上から費用を引いてプラスであれば黒字、マイナスであれば赤字となります。
仮に商品の売上が1000万円あって、その商品を作るための原材料費が300万で職人の人件費が400万で、その他の経費が100万円だった場合。売上1000万円に対して経費の合計が800万円なので、200万円分の黒字になります。

これが、売上が1000万円なのに対して、経費の合計が1200万円になってしまえば、200万円の赤字となってしまいます。
これは単純な足し算引き算であるため、分かりやすいと思います。
しかし、実際に支払いに利用されるキャッシュの動きというのは、この様な単純なものにはなっていません。

キャッシュの動き

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例えば、商品を作るために1000万円する機械を現金で購入した場合、機械の購入費として費用が1000万円計上されるのかといえば、計上されません。
何故なら帳面上では、現金という流動資産から機械という固定資産に資産の内訳が変化しただけで、資産そのものは減少していないからです。
その為、現金1000万円で1000万円の価値がある機械を購入したところで、経費はゼロで発生していないことになります。

その機械を仮に10年使うとすれば、10分の1の値段である100万円だけが、減価償却費として計上されるだけです。

では、経費が減価償却費の100万円だけだとして、支払いに使うキャッシュは100万円しか減っていないのかというと、キャッシュは1000万円分減少しています。
このようなことは機械の購入だけで起こるのではなく、在庫を溜め込むといったことでも起こりますし、材料仕入れによる支払いと、売り上げたことによる受け取りのタイムラグによっても生じます。
つまり、売上の数字だけをみていても会社の実情は分からないということです。 このキャッシュの動きを見ようとする場合、キャシュフロー計算書という帳面をつけることで、正しく把握できます。

ただこれがなかったとしても、小さな会社であれば会社全体の把握がしやすいですので、キャッシュが足りているのか足りていないのかは、肌感覚で分かると思います。
…が、帳面でいうと損益計算書にしか目を通していない場合は、この事に気づかずに経営して大惨事を招いてしまう経営者もおられるかも知れませんので、そういう方は注意しておいてください。
本来であれば、経営者の方は簿記の勉強などをしておいた方が良いのかも知れませんが、キャッシュの動きを把握するためのキャッシュフロー計算書というのは、簿記でいうと1級の試験でしか出てきません。

簿記を1級まで取得するには1000時間以上の勉強が必要になる為、そんな時間は取れないという方もいらっしゃるかも知れませんので、そんな方のために、まだ先になるとは思いますが、このコンテンツで会計についての回を作る際に説明していく予定です。
単にキャッシュの現状が知りたいだけであれば、会計ソフトなどを導入していれば、ソフト側でキャッシュフロー計算書を作ってくれるものもあるため、それを使って確認しても良いと思います。

キャッシュの動き

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話を本題であるライフサイクルとキャッシュの動きの方に戻すと、成長期に入った当初というのは、先程あげた様々な理由によってキャッシュは減り続けるのですが、売上の伸びとともにキャッシュの減少は底打ちし、成長期半ばにはプラスに転じます。
そしてライフサイクルの方で成長期が終わり、成熟期を迎えて売上的な天井を迎える頃に、キャッシュの流入もピークを迎えることになります。
売上がピークを迎えると、その後はその製品市場は衰退していき、売上も右肩下がりで落ちていくことになるのですが、では、キャッシュも同じ割合で落ちていくのかというと、そうでもありません。

経験曲線効果

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キャシュも右肩下がりで落ちてはいきますが、その下落の仕方は売上の下落の仕方に比べると、若干、緩やかになります。何故かというと、生産の効率化が行われるからです。
企業が新市場で初めての商品開発を行って製品を作り、それを大量生産する設備を整える場合、最初から最高効率で製品が生産できるわけではありません。
当然、無駄なこともあります。 誰だって、初めて物を作る場合はうまく作れませんし、初めて導入した機械を使うときは戸惑ったりもするでしょう。

職人さんを雇って作業を行う場合も、1から手探りで職人の教育をしなければなりませんし、教育をする側も、最初はどうすれば効率化できるかがわかりませんから、効率的な方法を手探りで探しながら教えることになります。
今では外国語になっているKAIZENを行い続けることで、できるだけ無駄を省いて生産効率を上げていくというのが、初期の生産現場です。
この効率の悪さもあり、先程も言ったように初期の段階ではキャッシュの回収が上手く進みません。

しかし、ある程度の年数、同じ商品を作り続けていけば、ノウハウも貯まってきますし効率の良い生産の仕方も分かってきます。
これは職人にも当てはまることで、初めてその製品を作り始めた職人はぎこちない動きで作っていたとしても、数年、同じ作業をやっていれば慣れてきます。
同じ人の作業効率で比べると、初めて製品を作った場合と同じ作業を5年続けた場合を比べると、当然、5年続けた場合の方が作業も慣れていて早いですし、品質も高い製品が作れるでしょう。

この様な状況を専門用語でいうと経験曲線効果と言いますが、この経験曲線効果によって製品の生産効率が上昇してきます。

環境が整うとキャッシュは減らない

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それだけでなく売上が伸びてくれば、原料を大量に購入することもできるわけですから、仕入れ値も引下げることができるかも知れません。
この様に様々な要因によって生産コストが下がっているため、製品ライフサイクルの後期では、1つ売れた際に得られる利益が上昇します。

何故、利益が上昇するのかは整理して考えると簡単で、利益というのは販売価格からコストを引いたものだからです。販売価格が変わらず生産コストが減少すれば、利益は増加します。
製品を売った際の利益率が上昇すれば、製品の販売数が多少落ち込んだとしても利益は売上に比例して下がりません。

この他にも、前に紹介したプロダクトポートフォリオマネジメントの考えでいえば、市場が縮小している時に積極的に追加投資は行わないため、成熟期を超えると設備の追加投資はしなくなります。
その為、設備や研究開発という比較的大きなキャッシュの出費が無くなり、操業するためには材料費と人件費という最低限のランニングコストだけで良いため、キャッシュ的には更に余裕が生まれます。
この状態は、プロダクトポートフォリオマネジメントでいえば『金のなる木』に分類され、キャッシュを安定的に生み出し続けるドル箱事業となります。

営業赤字

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ですが、大抵はこの様な安定期は長くは続かないもので、市場は縮小に転じ、やがて市場はなくなります。
売上がどんどん縮小していき、事業で得られる売上高が損益分岐点売上高を下回ってしまえば、そこから先は赤字になってしまいます。
損益分岐点売上高とは、事業が赤字になるか黒字になるかの転換点で、売上高が損益分岐点売上を超えれば黒字で、下回れば赤字です。

損益分岐点売上高について詳しく話すと長くなるので、これはまた別の機会に話していこうと思いますが、とにかく、売上が下がり続ければ事業は赤字に転じてしまいます。
赤字に転じてしまうと会社にはキャッシュは入ってこずに、逆に流出していってしまいます。
これをキャッシュフローの推移でみると、売上高が高止まりしているときはキャッシュは順調にプラスをキープしますが、売上が減少すると共に利益が減少し、それと共にキャッシュも減少していきます。

そして、売上が損益分岐点売上高を下回ることで、キャッシュは流入から流出に転じてしまい、事業としても赤字になってしまいます。
前に勉強をしたプロダクトポートフォリオマネジメントで言えば、『金のなる木』だった事業が市場縮小してしまうことで『負け犬』に転じてしまいます。
プロダクトポートフォリオマネジメントの考えとしては、『負け犬』に転じる前に『金のなる木』で稼いだ資金を『問題児』に投資することを推奨しています。

その為、キャッシュに余裕がある時に新たな事業に投資をし、市場が縮小した時点では別の事業がいくつか立ち上がっていて、投資すべき『問題児』の事業が存在しているというのが理想的です。

稼いだキャッシュの使いみち

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つまり、一つの事業が当たったからといって、そのキャッシュを散財していてはいけないということです。
事業は真面目に考えを巡らせて作ったからといって確実に成功するものではなく、成功は運によるものが多いです。 その為、いつ市場が衰退するのかも正確には推測することは出来ません。

最初に行った事業がたまたま成功したからと、そこで得たキャッシュを全て自分や社員に報酬として配ってしまえば、その事業がポシャってしまえば廃業するしかありません。
その為、事業で利益が出れば、次世代の会社の柱になるような事業の開発を行っていくことが、経営者の仕事となります。
何故なら、かなり最初のエピソードでも話しましたが、会社とは、未来永劫続くというゴーイング・コンサーンを前提としているからです。

ということで、今回でライフサイクルとキャッシュフローの話は終わります。
次回は、今回に少し話に出てきた、損益分岐点売上高について話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第114回【クリトン】国家と法律 前編

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今回も、前回までと同じように、プラトンが書いた対話篇、クリトンの読み解きを行っていきます。
対話篇の朗読を行うわけではなく、作品の要約を行った上で、私自身が解釈した解説を付け加えるという形式でコンテンツを作っていますので、内容に興味を持たれた方は、原作を読まれることをお勧めします。
この対話編ですが、かなり短いためか、大抵の場合は、前に読み解きを行った『ソクラテスの弁明』を買うと、付いてきます。

ソクラテスの弁明自体が、1冊読み切りで漫画化されていたりもするんですが、その内容も、ソクラテスの弁明とクリトンを合わせたような内容になっていたりします。
その為、クリトンの内容に興味を持たれた方で対話編をお探しの方は、クリトンとセットになっているソクラテスの弁明を購入することをお勧めします。

無責任な大衆

前回の話を簡単に振り返ると、親友のソクラテスが刑罰によって死んでしまうことに耐えられなかったクリトンが、『君を見殺しにすると、私や仲間たちが市民から非難されるので、脱獄して欲しい。』と持ちかけます。
しかしソクラテスは、『市民達に責められるというが、彼らの主張する事は正しいことなんだろうか?』と疑問を投げかけます。
ソクラテスに言わせれば、大半の市民は、アレテーについて考えたことすら無いのに、その答えを知った気になっている無知な存在です。

アレテーについて考えたこともないということは、市民達はそれを構成している『正義』や『美しさ』、善悪を見極める分別なども理解していないし、その能力も持ち合わせていません。
そんな彼らが、『友達のソクラテスを見殺しにするなんて、君は酷い奴だな!』とクリトンを責め立てたとしても、その行動に正義が宿っているかどうかは怪しいものです。
何故なら彼らは、正義のなんたるかを今までの人生で考えたことが無いからです。

何が正義かを考える場合、正義について自分は無知だと認めるところから始めなければなりませんが、市民たちは、正義の本質を知っていると思いこんでいるので、更に深く考えるなんてことはしません。
そんな思考停止した者達から『非難されるのが怖いから』という理由だけでは、脱獄する正当な理由にはなりません。
しかし、今回のクリトンの提案は『脱獄する』か『脱獄しない』かの2択であるため、市民たちの圧力に負けて脱獄するという選択肢が、確実に間違っているかどうかはわかりません。

もしかすると、アレテーを知らない市民たちの行動が、偶然にも正しい道を指し示している可能性も捨てきれないからです。

大衆の意見は正しいのか

そこでソクラテスは、クリトンとこのテーマについて考える事で、どちらの選択を選べばよいのかを考えようと提案します。
これにクリトンが同意し、『アテナイ人によって死刑判決をくだされたソクラテスが、彼らの同意なしに脱獄する行為は正しい行為なのか、それとも不正行為なのか』をテーマに考えていくことになります。

ソクラテスは、2人で考えた結果がもし、『脱獄するほうが良い』という結論が出た場合は、クリトンに従って脱獄する事を約束します。
しかし、脱獄が不正行為であるという結論が出た場合は、脱獄することをせず、この場に留まって死を受け入れるとクリトンに伝えます。
なぜなら、仮に、ここにとどまり続けることで拷問や死刑という残酷な仕打ちを受けたとしても、それらの仕打ちは、自ら不正行為に手を染めることに比べれば、遥かにマシなことだからです。

クリトンは、この提案に同意しますが、考えると言っても具体的に何から始めればよいのかわからないと言い出したので、ソクラテスは、討論の切り口を与えるためにも自らの考えを話し始めます。

不正行為は行ってはいけないのか

ソクラテスはまず、最初に前提条件の確認を行います。
その前提条件とは、『不正行為は絶対に行ってはいけないことかどうか。』ということです。
これは、特に理由がない場合、不正行為を行ってはいけないというのは当然のことですが、もし仮に、不正を行っても仕方がないような理由がある場合、それでも不正行為は許されないのかということです。

ソクラテスとクリトンは、過去に何度もこのテーマについて考えたことがあるらしく、その際に出た答えとしては『いかなる場合であったとしても不正行為はしてはならない。』というものでした。
しかしクリトンの今回の主張は、この結論を覆すことになりかねない主張ともいえます。
ソクラテスは、このクリトンの主張の変更に対して、『今まで何度も話し合った結果出た、いかなる場合であっても不正行為は行ってはならない。という結論は、覆すべきなんだろうか。今まで話し合ってきた時間は、無意味なものだったんだろうか?

それとも、これまでの討論は無駄ではなく、やはり、どのような状態に置かれようとも、不正は行ってはいけないんだろうか?』と、これまでの前提の確認を改めて行います。
なぜなら、普段のなにもない環境で話し合った際に出た一般論と、自分の大切な人の命が危険にさらされている状態で出された結論では、クリトンの中で意見が変わってしまっている可能性があるからです。
これに対してクリトンは、『不正行為はいかなる場合であったとしても、行ってはならない』という意思をハッキリとさせます。

この返答により、不正行為はいかなる場合であったとしても行ってはならないという前提が確認できました。
この前提にたてば、仮に自分が不正行為の被害にあった場合でも、報復として不正行為を働いてはいけないことになります。

理不尽に対して対抗しても良いのか

次に、この不正行為と似たような概念である害悪を不正行為に置き換えて考えてみます。
もし、他人から害悪を押し付けられようとした場合に、これに対して抵抗することも、相手の害悪に対して防御のために害悪を行うことも否定しなければならないのでしょうか。
少しわかりにくいので具体的な例で説明すると…

自分が何もしていないにも関わらず、誰かが急に殴りかかってきた場合に、これに抵抗するために相手を押し返したり、攻撃は最大の防御として相手を殴っておとなしくさせるといったことは、やってはいけないのでしょうか。
ソクラテスが何故、わざわざ不正行為を害悪に置き換えて、何度も同じことを確認するのかというと不正行為を害悪に変えた場合には、意見を変える人間が多いからです。
例えば、現代の多くの国の法律の場合、急に襲われた際に反撃するのは正当防衛となるので、秩序を乱すことにはなりません。 もちろん、やりすぎると過剰防衛になりますが、適切な範囲であれば認められています。

これを聞かれている方の多くも、急に攻撃されたのであれば、自分の身を守るために攻撃するのは正当な理由になるので、反撃しても問題はないと考える方は多いのではないでしょうか。
当時のギリシャも同じで、このように考えるものが多かったようですが、『自分の身を守るため』といった条件がついていれば、相手に危害を加えることは正当な行為なんでしょうか。
それとも、相手に害悪を与えてはいけないという主張は、正当防衛すら許されない強いものなんでしょうか。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】 第43回【経済】キャッシュフロー(3)

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事業立ち上げ初期のキャッシュの減少

f:id:kimniy8:20211130122456j:plain
前回は、企業が製品やサービスを新規で開発し、それを市場に投入して事業を開始し、市場が成長してピークをつけるまでのキャッシュの動きについて話していきました。
簡単に振り返ると、まず、製品やサービスを開発するための資金が必要となるため、商品を売り出す前に手元の現金であるキャッシュは減少し始めます。
前回は話していませんでしたが、この初期投資、全く新たに事業を始める場合ではなく、すでに別の事業をしている企業が新たに事業部を作る場合は、進出する事業が関連多角化か無関連多角化かによって、かかる費用も変わってきます。

無関連の、これまで営んできた事業と全く違う新規事業を行う場合は、1から市場調査や製品開発を行わなければならないために開発は長期化しますし、開発が長期化すればその分人件費がかかりますから、費用はかさみます。
また、生産するのに新たな生産設備を整えないといけない場合もあるでしょうから、それも含めると、新規事業にまつわる費用は相当なものになります。
人件費の支払いは当然キャッシュになりますし、設備投資もローンを組むといっても頭金などは必要になるでしょうから、無関連多角化の新規事業の場合は費用はかさみやすいです。

販売チャネル

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一方で、既存事業に関連する事業に進出する場合は、すでに持っている経営資源を使い回すことができるため、製品開発から市場流通までが短期間で済んだりします。
何故なら、その市場やターゲットに関する情報をすでに持っていて、社員間での共有も済んでいるわけですから、この時間を省けます。
次に流通ですが、既存製品を流通させていた販売チャネルをそのまま流用できる場合があるので、販売チャネルの構築や販売先の開拓を行わなくて良いからです。

販売チャネルとは、商品を卸す小売店や、小売店に商品を売ってくれる卸売業者と考えてもらえれば良いです。
売店や卸売業者は、どこの馬の骨ともわからないような会社がつくる商品を積極的に仕入れて売ってくれるなんてことはありませんから、これらの販売チャネルが構築されていない場合は、販売業者との関係を1から作っていく必要があります。
しかし、既存事業ですでに取引があって顔なども知られている場合は、新規商品であっても、今までの信頼関係から取り扱ってくれる可能性があるために、その手間が省けます。

設備投資

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生産設備に関しても、今まで製造していたものと関連がある製品の場合は、生産設備を使い回せる可能性があります。
もし使いまわしが可能であれば、この分の費用もかからないため、キャッシュはそれほど減らない場合もあります。
ただこれは、作る製品のレベルなども関連してくるため、そういう傾向にあるだけで、絶対ではありません。

商品在庫

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研究開発が終わって設備が稼働しだし、製品が無事に完成して販売網も構築できれば、イノベーターを始めとした顧客が徐々に製品を買っていくため、売上が上がっていきます。
ですがここにも落とし穴があり、市場拡大のペースが早い成長期に入ってしばらくするまでは、キャッシュの回収は進みません。
この原因は大きく2つあり、1つは在庫の存在。もう1つは、売上が現金化されるまでのタイムラグです。

最初の在庫ですが、商品を求める人が多くなればなる程、在庫切れを起こさないために大量の商品在庫を作って溜め込んでいく必要があります。
卸売や小売店を間に挟む場合は、各店舗がそれぞれある程度の在庫を持つようになる為、取扱店が増えれば増えるほど、トータルの在庫量は更に増えます。
この在庫の増大ですが、キャッシュとしてはマイナスに働いてしまいます。

何故かといえば、商品というのは作っただけでは利益にならず、それを消費者が購入することで初めて、利益になるからです。
その一方で、在庫を作るためにはキャッシュが必要となります。 というのも、原材料やそれを作るための職人の給料は、現金で出ていくからです。
在庫というのは、キャッシュが原材料費と人件費に変換されただけのもので、それが売れて初めて現金が手に入ります。 その為、機会損失を防ぐために大量に積み上げた在庫は、将来売上になるかも知れない資産ではありますがキャッシュではありません。

在庫を積み増すという行為は、キャッシュをキャッシュではない在庫という資産に変換する行為になる為、当然、キャッシュの減少要因となります。

入金のタイムラグ

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もう1つの原因であるタイムラグですが、これは作った商品がいつ現金化されるのかという話です。
仮に、消費者への直接販売を現金で行っているとすれば、このタイムラグは発生しません。
在庫としてためた商品を消費者の持つキャッシュと交換するため、在庫が売れると同時にキャッシュが増加するため、なんの問題もありません。

しかし、間に卸売業や小売店を挟んでいたり、販売を現金取引ではなくカードを使っていたりすれば、タイムラグが生じます。
例えばカード会社は、取引があればその都度現金を振り込んでくれるわけではありません。決済日というのがあり、それまでは商品が売れていたとしても現金化されません。
卸売や小売店といった販売業者を挟んでいる場合も、基本的には売掛金という債権として貯まっていき、それを月末に合計請求書にまとめて相手に送り、次の月末などに回収するため、タイムラグが生じます。

販売業者によっては、その請求書に対して、3ヶ月後に現金化される約束手形などで支払ってくるケースも有るため、こうなってくるとキャッシュは商品が売れてから4ヶ月後に振り込まれることになります。
この様に、キャッシュの振り込みが遅い一方で、こちらの仕入れに対しての支払いがその都度払いであったり、月末締め翌月払であると、こちらの支払いはキャッシュで行われることになります
支払いでキャッシュを消費するにも関わらず、売り上げたものがキャッシュ化するのに4ヶ月かかってしまえば、その間の空白期間はキャッシュがただ出ていくだけとなるため、当然、キャッシュ不足となってしまいます。

入金タイムラグの解消

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これを防ぐためには、2つの方法があります。1つは、そもそも支払期限が長くなってしまう約束手形などの支払いを受け付けず、月末締めの月末払いにしてもらうといった感じで回収を早める方法。
もう一つが、こちらも仕入先に対する支払いを長期の約束手形などで支払うことです。キャッシュの受け取りと支払いのタイムラグを無くしてしまえば、キャッシュ不足は軽減します。
しかし、これも取引先との関係性によっては簡単にできなかったりします。 仕入先も、新規で取引を始めたばかりで信頼関係が出来ていない状態であれば、いきなり長期の約束手形での支払をしたいといっても受け付けてくれないでしょう。

販売先の方はというと、こちらの商品が非常に魅力的で、市場で売れば直ぐに売れてしまうような商品であれば、向こうは下手に出て、こちらに合わせた支払い方をしてくれるかもしれません。
ですが、新規事業を立ち上げたばかりで商品の知名度も何もない状態であれば、商品を取り扱ってくれる業者は無理は聞いてくれないでしょう。
こういった場合は、むしろこちらが下手に出て営業をしなければならなかったりするわけですから、支払条件は不利になる場合もあります。

交渉がうまくいかず、キャッシュのタイムラグが解消できず、キャッシュが底をつきてしまえば、そのキャッシュを調達するために銀行借入れをしなければなりません。
もし、ここで調達が上手く出来なければ、会社が持つ資産を売却し、なんとしてでもキャッシュを作らなければなりません。

事実上の倒産

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これが出来ずに支払いが滞ってしまい、それが銀行取引だった場合、例えば、100万円の支払いを約束手形で支払って、引き落とし日に口座に100万円がなければ、それは不渡手形となってしまいます。

この不渡を6ヶ月以内に2回行うと、銀行取引そのものができなくなってしまうため、会社は事実上の倒産となってしまいます。
製品の知名度が上がり、顧客も徐々に増えてきて、市場が拡大して成長期に入り、会社の損益としては黒字であったとしても、キャッシュが底をつきて支払いが滞ってしまえば、会社はそこで終了です。
会社は銀行からの信用を失い、市場での信用を失ってしまいます。

市場で信用を失えばどうなるのかというと、原材料の仕入先は注文をしても商品を売ってくれないかも知れませんし、売ってくれたとしても、その都度現金で支払うことを要求してくるかも知れません。
これは、相手の立場に立って考えてみれば分かりやすいと思います。 取引相手がキャッシュ不足によって支払いができなくなった経験があるわけですから、そんな相手が注文をしてきたとしても、ちゃんと代金を支払ってくれるかどうかがわかりません。
そんな相手に対して普通に取引しようなんて、普通は思わないので、できるだけリスクを下げた取引方法をしようと思うはずです。

商品を販売してくれている方も、いつ潰れるかわからない相手と取引するのは嫌でしょう。 その為、市場からの信用を失ってしまった時点で、会社は終わってしまいます。
この様な黒字倒産を招くキャッシュ不足は、主に市場と売上が急拡大する成長期に入ると起こりやすいため、注意が必要となります。
この成長期のキャッシュ不足を乗り越えると、キャッシュの改修が進み始めて、事業で得られるキャッシュは黒字に転じ始め、市場の方も安定期に入り始めます。

次のステージとしては、ライフサイクルでいうところの後半部分に突入していくわけですが、その話はまた次回にしていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第113回【クリトン】無責任な大衆 後編

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無責任な大衆

ですが、大半の民衆は、そんな事は行っていません。 日々、同じような日常を何となく生きているだけで、何らかの物事に対して真剣に向き合って研究しているわけではないでしょう。
このような人達の意見には、耳を傾ける必要はなく、無視すべきです。

何故なら、彼らは、何も考えずに発言しているが故に、自身の発言に対して何の責任も持たないからです。
先程の、オリンピック選手の例に戻って、再度、考えてみますと、観客の多くは、オリンピックの間近になって初めて、その選手や競技のことを知った感じなのに、自分の国や地域の代表というだけで、過大な期待を選手にかけます。
『期待してる!』だの何だの言って、選手を過剰に持ち上げるわけですが、では、その選手が敗退したらどうなるのかといえば、態度は豹変し、一気に責め立てます。

観客自身は何の努力もしていないのに、何故か上から目線で、努力をしている選手に対して、罵声を浴びせる。
これは、今現在の日本人がそうだと言っているわけではなく、2500年前の古代ギリシャのオリンピックでも、観客はこのような傾向だったようなので、おそらく、数千年先の未来でも、観客はこのような態度なんでしょう。
このように観客は、自分自身が汗水たらしてトレーニングするわけでもなく、かといって、それぞれの分野の専門家のように、何らかの知識に長けているわけでもないのに、努力している人間を無責任にもて遊びます。

こういう人たちの意見に耳を傾けてしまうと、選手は体が持ちません。
大部分の無知な観客は、選手の体調も考えず、どれほどのトレーニングを積み重ねているのかも知らない状態で『勝ちたいのなら練習しろ!』と言いますし、試合前に過剰な期待でもってプレッシャーを掛けてきます。
そして試合で負けてしまえば『練習が足りなかったからだ!』とか、『もっと頑張れよ!』なんて言ったりします。 何度も言いますが、市民たちは選手の努力も競技の専門知識も知らない状態で主張します。

一方で、選手の努力を絶えず見続けてきたコーチはというと、多くの人は、そういった態度は取らないでしょう。  選手を気遣った態度を取るはずです。
この両者を比べた場合、どちらの意見に耳を傾けるべきなのか。 どちらの意見を無視すべきなのかは一目瞭然です。

専門知識を持っていて、選手のことを真剣に考えているコーチや医療関係者、栄養士などの意見を無視して、無知な観客の言葉だけに耳を貸すような選手がいたとしたら、その人物は破滅してしまうことでしょう。
このソクラテスの説明に、クリトンは反論せずに同意します。

哲学の専門家

では、この理屈を、別の分野に移して考えてみることにします。  別の分野とは何かというと、『美しさ』であり、『正義』『節制』といったアレテーに属する分野についてです。
『美しさ』や『正義』などについては、誰もが自分の意見を持っていて、多くの人が自分の価値観で好き勝手なことを話していますが…
これについても、普段から、この分野について何も考えた事もないし、研究しようとすらしていないのにも関わらず、主張だけする人達というのは大勢います。

特に現代では、哲学なんて意味がないという意見が主流のようですので、ほぼ全ての人がこれに当たると思われます。
では、真剣に考えている人はゼロなのかというと、そうではなく、少ないながらも、この分野について研究している人達もいるでしょう。
この2種類の人達が、それぞれ、『美しさ』であるとか『正義』といったアレテーに属する分野についての意見を持っているわけですが、どちらの意見に耳を貸すべきなんでしょうか。

現代では、哲学なんてものは、何の役にも立たないと主張する人達が、それなりの割合で存在します。 例えば…
大学で哲学を勉強したとしても、就職先すら無い。そんなものに金をかけて研究しても無駄でしかないので、哲学は学問という分野から外して、好きな人が自分の金と時間を使って、趣味の分野としてやれば良いといった感じの主張をする人達です。
現実問題として、大学で哲学科を出たとしても、それを生かした就職先なんてものは少ないでしょうから、大部分の学生は、全く違った分野に就職することになるでしょう。

このような現実を突きつけられると、哲学について日々考えていくことが馬鹿らしくなってしまう気持ちは、理解できなくもありません。
ですが、いざ、善悪を見極めなければならない状態に追い詰められたとしたら、どうでしょうか。

哲学なんて意味がない!として、人生の中で一度も善悪について考えず、自分の頭の中に大まかなイメージとしてある善悪のイメージを『確かなものだ』と信じ込んでいる人の意見に耳を貸すべきなんでしょうか。
それとも、世間の評判など気にせずに、自分の人生をかけて善悪について研究している人の意見に耳を貸すべきなんでしょうか。

魂についての生きがい

もし仮に、『哲学なんて意味がない! 善悪の区別なんて、誰でも見分けがつく』と言って、人生の中で善悪について一度も考えたことがない人の意見に耳を貸してしまったとしたら…
先程の例に出した運動選手のように、良くない方向へと導かれてしまうのではないでしょうか。
運動競技についての知識がまったくない観客の意見に耳を傾ける運動選手は、結果が残せないか、オーバーワークで体を潰してしまうことでしょう。

その選手がオーバーワークになり、ドクターストップがかかって、選手生命が断たれてしまったとすれば、彼は、生きがいを失ってしまうことになります。
これは、アレテーの分野においても同じです。 よく生きようと思い、その目標のために一生懸命生きてきた人間が、無知なもののアドバイスに従って悪の道を突き進んでしまったとしたら。
良かれと思って行ってきた事が悪いことだと気づいてしまえば、その人物は、理想と現実のギャップに打ちのめされてしまい、生きる気力を失ってしまうのではないでしょうか。

また、体についての生きがいと魂についての生きがいを比べた場合、どちらの方が大切かといえば、魂の生きがいです。
運動選手は体を壊したことによって、自分が行ってきた競技に二度と選手として携われなかったとしても、別の形で競技に関わることが可能でしょう。
自分の失敗の経験を生かして、指導者として後輩を育てるというのも一つの道です。 また、スポーツはその性質上、生涯に渡って選手で居続けるのが難しいものです。

選手は、いずれは引退することを念頭に置いて競技を行っていますから、リタイアについても考えながら生きています。
しかし、魂についての生きがいにおいて失敗をしてしまったとすれば、その人間は立ち直れるでしょうか。

困っている人々の為に行動したいと思いたち、他人のアドバイスを聞いて行動した結果、自分の行動が一部の人達の利益に協力していただけで、大勢の不幸な人々を生み出すことになっていた場合。
この人物は、この先、生きる気力を失ってしまい、最悪の場合は、命を絶ってしまう可能性すらあります。

脱獄すべきなのか

ソクラテスは、この事を踏まえた上で、もう一度、クリトンに対して訪ねます。
『君は、私を見殺しにすることで、君たちが無知なものから責められるというが、本当に市民たちの顔色をうかがって、私を逃がすのが正しい行動なんだろうか?』と。
深く、よく吟味した上で、本当に脱獄することが正しい道であるのならば、私は君の意見に従って、出ていくほうが良いのかもしれない。

しかし、大部分の大衆というものは流されやすく、その時々の雰囲気によって、人を殺してしまおうと考えたり、逆に、死刑判決を下したのにも関わらず、『死ぬほどの罪でもないかもしれない』というような人達です。
そんな人達が、『死刑囚を見殺しにした』と責め立ててくるからという理由だけでは、脱獄する理由にはなりません。
今回の場合は、脱獄するか留まるかの2択の為、無知な市民の意見だからといって、確実に間違っているとはいえません。 偶然にも答えが合っている可能性はあります。

その為、無条件で留まるべきとすべきではありませんが、このことについては簡単に結論を出さず、納得の行くまで考え抜いて、出た答えを吟味する必要があります。
アテナイ人によって死刑判決を受けたソクラテスが、法律を破って牢獄から出ていくべきなのか、それとも、死を受け入れてとどまり続けるべきなのか。
これについての考察ですが、次回に行っていこうと思います。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第113回【クリトン】無責任な大衆 前編

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前回のふりかえり

今回も、プラトンが書いた対話篇、クリトンの読み解きを行っていきます。
本を朗読するわけではなく、要約したものに解説を加えた形でコンテンツを作っていますので、興味のある方は、原作を読まれることをお勧めします。

前回の話を振り返ると、ソクラテスが死刑判決を受けた後、彼は直ぐには処刑されずに、1ヶ月ほど牢屋で過ごす事となりました。
その投獄されている間、ソクラテスと共に真理を追い求めて研究していた仲間達は、最後の時を過ごそうと牢屋に通い続けることになります。
死刑囚に簡単に面会が出来るのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…

現代でも、一部の国では同じような状態なのかもしれませんが、当時のギリシャでは、役人に賄賂を渡せば自由に面会が出来ましたし、金額によっては、獄卒を買収して脱獄することまで可能だったようです。
そのシステムを利用して、ソクラテスの親友のクリトンは連日のようにソクラテスの元を訪れていたようです。

このクリトンですが、毎日のようにソクラテスに会いに行っていたのは、死刑が執行されるまでの時間、できるだけソクラテスと過ごしたいといった、考えだけで会いに行っていたわけではありません。
彼を説得して牢獄から連れ出し、他の国に亡命させることで、彼の命を救いたいと思ったからです。

ですが、『ソクラテスの弁明』でのソクラテスの態度を見るに、彼は死ぬ気で演説をしています。
その態度からソクラテスは、自分自身が死ぬことで、アテナイ市民たちを良い方向へと導こうとしていたことが分かります。
そんな彼が、死の恐怖から逃れる為に… といった自分勝手な理由だけで、牢獄から逃亡するとは思えません。

そこでクリトンは、『ソクラテスを見殺しにしてしまったら、弟子の私達が、君の信者から責められる。』と言って、逃亡を決断させようとします。
クリトンの思惑としては、ソクラテスは自分の命には無頓着なので、死の恐怖で持って説得することは出来ないけれども、仲間が他の市民から責められて、不幸な目に合うかもしれないといえば、仲間の為に逃亡してくれるだろうと思ったのでしょう。
それに対してソクラテスは、『市民たちは、正しい意見を言うのだろうか? 大半のケースに置いて、聴く価値がないような意見しか言わないのではないか?』と切り替えしたのが、前回までの話でした。

大衆の意見は価値がない

何故、ソクラテスがこのような切り返しをしたのかというと、以前にクリトンと意見交換をした際に、そのような会話をして、『市民の意見の大部分は聴く価値がない』という結論を出したからでした。
ソクラテスに死刑判決がくだされていない、平穏な日常の中で議論をした際には、クリトンはそのような結論に同意したのに、ソクラテスを見殺しにしなくてはならない状況に追い込まれた時だけ、世間の評判を気にするのはおかしいじゃないか!と思ったのでしょう。
そこで、クリトンの主張に変化があったのかどうかを確かめる為に、昔にした議論の結果を持ち出して、考えが変わっていないかどうかを確かめました。

ではこの、『大衆の意見の大半は聴く価値がない』という部分を、もう少し掘り下げて考えてみましょう

先程からも言っている通り、大衆はそれぞれが個々に考えて好き勝手なことを言いますし、特定の環境にはまり込んでしまえば、同調圧力によって皆で同じようなことを言い出すものなので、彼らの意見の大半は、聞くに値しないという事になります。
何故なら、彼らは自分自身で真剣に考えて出した答えを主張しているわけではなく、また、出た答えが本当に正しいかどうかを吟味したわけでもないからです。
ですが、市民が出す全ての意見が無意味なのかというと、そうではなく、一部には耳を傾ける価値がある意見も存在します。

例えば、現代でもそうなんですが古代ギリシャでも、オリンピックなどの祭典に出場する選手には、大勢の観客から様々な意見が寄せられます。
しかし観客の大半は、オリンピックの時だけ、その競技を見るような『にわかファン』ですし、常に競技を観戦しているマニアであったとしても、選手以上に競技について詳しいなんてことはありません。
つまり、ほぼ全ての観客の意見が、技術をさらに上達させるという点に置いては、選手にとっては無意味なアドバイスばかりなので、無視しても良いと言えます。

聞く価値がある意見

しかし、選手以外の全員の意見を無視すればよいかといえば、そんな事はないでしょう。 例えば、その競技に常日頃から接している指導的立場にいるコーチは、選手そのものよりも知識が豊富でしょうし、昔選手で活躍していれば、経験も備えています。
また、選手ではなく指導者という立場が、客観的なモノの見方を可能にする為、選手以上に、選手の事をわかっている可能性も大いにあります。
スポーツそのものに取り組むのも、実践するのも、結果のために日々努力をするのも選手本人ですが、その選手を客観的な視点で見て、適切なアドバイスをする立場であるコーチの意見には、耳を傾けるべきといえます。

コーチは、練習をしない代わりに、その時間を使って、競技についてや他の選手についての情報収集や、最新のトレーニング技術の研究をするわけですから、選手よりも知識が豊富と言えるます。
また、選手一人でトレーニングをしていると、甘えが出て追い込めない場合もあるでしょうし、逆に、追い込みすぎて体を壊してしまう可能性あるでしょう。
『競技をしない』という客観的な立場の人間がそばに着いてアドバイスすることは、選手一人でトレーニングするよりも、コーチのアドバイスを聞き入れながらのトレーニングのほうが効率は良くなると思われます。

これは、スポーツに限ったことではなく、多くの分野には、それぞれの専門家がいるので、そういう人達の意見は積極的に耳を傾ける必要があります。
例えば、家を建てる場合で考えると、家の設計を行えるような人は、設計士以外の誰からの意見にも耳を貸す必要はなく、自分の判断だけでやっていけばよいのかといえば、そんな事はないでしょう。
新しい素材を使った建材の研究は日々行われているわけですから、そういうモノが出た際には、素材の専門家の意見に耳を傾けるべきでしょう。

家を建てる土地そのものを知るためには、地質の研究をしている人の意見や、その土地に大昔から住んでいる人達の意見に耳を貸すべきですし、実際に手を動かして現場で家を建てる大工さんの意見にも耳を貸す必要があるかもしれません。
この人達に共通しているのは、日々の研究などによって、特定の分野に限っては、相当な知恵を持っているという点です。
つまり、普段から、特定の物事に対して真剣に向き合って、研究を重ねて、知恵を蓄えている人達だということです。

ここまで物事に真剣に向き合っている人の意見であれば、採用するかどうかは置いておいて、意見に耳を傾ける価値はあるでしょう。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第42回【経営】キャッシュフロー(2)

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キャッシュフローの注意点

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前回は、製品や事業のライフサイクルの復習を少しした後、キャッシュフローについて話していきました。
一応、注意としていっておきますと、ここでいうところのキャッシュフローは、キャッシュフロー計算書でいうところのキャッシュフローとは別の概念です。
キャッシュフロー計算書で出てくるキャッシュフローは、借金をした場合はキャッシュフロー的にはプラスになるため、キャッシュフローが赤字になるなんてことは起こりません。

というか、キャッシュフローが赤字になった時点で資金的にショートしてしまうため、会社は潰れてしまいます。
しかし、このコンテンツでいっているキャッシュフローというのは、経営者が感覚として持っている手許現金のことをキャッシュだとかキャッシュフローと表現しています。
つまり、最初に事業の立ち上げ資金を借金をして調達し、それを初期投資として使ってしまった場合は、キャッシュとしてはマイナスだと表現します。

何故、この様な表現をしているのかと言いますと、このコンテンツがターゲットにしている中小企業の経営者にとっては、その方が理解しやすいと思うからです。
会社を設立して法人化した場合、法律的には、法人と個人は切り離されるので、会社の借金と個人の資産は別のものとなるため、事業に失敗したからといって個人が破産することはありません。
しかし、日本の中小企業の場合、大抵は銀行側が多額の貸付をする場合、経営者に連帯保証人になることを強制してきたりします。

そのため、会社の借金=個人の借金となり、事業を行うために借り入れた借金は、事業が失敗して廃業しても支払い続けなければなりません。
その様な経営者からしてみれば、銀行から借り入れを行ったからキャッシュがプラスになるといった考えは、理解しにくいと思います。
誤解しないでほしいのは、だからといってキャッシュフロー計算書の計算がおかしいといっているわけではありません。 これはこれで、財務面で必要になる数字なので意味はあります。

ですが、経営やマーケティングという視点でみると、借金はマイナスとして見なした方が理解しやすいですし、事業そのものの赤字黒字という観点で見ても分かりやすいと思うので、ここでは借金はマイナスだとして考えてください。

キャッシュのタイムラグ

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注意が終わったところで、前回の簡単な説明から始めると、製品や事業のライフサイクルとキャッシュの推移というのは、全く同じ様に動くわけではありません。
キャッシュの値動きのほうが急な動きとなります。
では何故この様になるのかというのを、説明していきたちと思います。

製品や事業のライフサイクルは売上をグラフでで表しているため、基本的にマイナスになることはありません。 商品を渡してお金まで払うなんてことはしないので、これは分かりやすいと思います。
つまり、製品が1つでも販売された時点で、売上的には商品1つ分のプラスが発生します。
しかしキャッシュ的には、最初はマイナスとなります。何故なら、最初に初期投資が必要だからです。

初期投資の回収スピード

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例えば製品を開発する場合は、販売するより前に研究開発費用がかかりますし、開発が完了したとしても、そこから生産体制を整えないといけません。
設備投資を行って生産体制を整えると、販売機会を逃さないためにも製品在庫を持たないといけないので、事業は立ち上げと同時に多額の資金が必要となり、手元資金は減少します。
このマイナスの拡大幅や回収期間は、製品を販売する上での価格戦略によって変化します。

初期の段階で低価格で販売するのか、それとも高価格で販売するのかで変化し、基本的には高価格で販売する方がマイナス分の回収は早まります。
これは当然といえば当然で、例えば原価3000円の商品を5000円で販売するのか2万円で販売するのかでは、利益率が変わってきます。
5000円で販売すれば粗利は2000円しか得られませんが、2万円で販売すれば17000円の利益となります。 これは、製品1つ当たりの利益で8倍ほどの差となるため、高価格で販売した方がマイナス幅は埋めやすくなります。

全ての商品が高く売れるとは限らない

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製品が高く売れるのであれば、できるだけ高く売りたいと思うのは経営者の方なら共通した考え方だと思うのですが、では、実際に高く売れるのかというと、それは商品によります。
例えば、全く新しい技術を開発して商品化し、その商品を通して顧客のライフスタイルを大きく変えることができる可能性を秘めた製品であれば、この商品は最初にイノベーターが嗅ぎつけて購入します。
イノベーターについての説明はライフサイクルを説明した回に行っているので、詳しく知りたい方はそちらをみてください。

イノベーターを簡単に説明すると、これまで存在していなかった様な技術に興味があり、その技術を使った製品を所有したり使えるのであれば、金に糸目をつけないという客層の人です。
この人達は他人の評判を気にせず、自分で情報を探し出して購入する層なので、値段が高かったとしても購入してくれます。
この客層の性質を利用して、製品原価に研究開発費や設備投資の費用も含めた高価格な値段をつけることで、早期の赤字回収を目指せます。

しかし、世の中の製品は全てがイノベーターが購入したくなるような画期的な技術や使用体験を得られるような製品ばかりではありません。
また、日常的に使うキッチン用品などは、画期的な商品であったとしても、高ければ売れないでしょう。
こういった製品の分野では、最初に高い価格をつけて投資資金を回収することが困難であるため、最初から製品価格を低価格に設定し、市場シェアを取ることを目標にしなければならないこともあります。

戦略による販売価格の違い

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抽象的な表現でわかりにくいと思うので、初期の段階で高い価格で売れるものと、安い値段でしか売れないものを具体的な例を上げて説明すると…
例えば、最新技術を導入して作られたスマートフォンやパソコンパーツの場合、最新技術を追いかけ続けている顧客層であるイノベーターがそれなりの人数いるので、20万や30万といった値段をつけたとしても売れます。
そのため、一般モデルとハイエンドモデルを発売し、イノベーターに対してハイエンドモデルを売り込むことで開発費を回収するという選択肢を取ることも可能でしょう。

ですが、普段、料理で使うようなキッチンペーパーやラップなどの日用品は、いくら新技術を投入した新製品だからといって、商品1つ2万で売ったところで売れません。
これらの商品は、一般の人でも気軽に買えるような価格に抑えて、市場シェアを取ることで販売数を伸ばしていくしかありません。
というのも、売上というのは分解すれば商品単価 X 販売数となるので、価格が安くても販売数が伸びれば売上は上がるからです。

トータルである程度の売上が確保できれば、最初に掛けた初期投資分を回収できますが、販売数が伸びなければ当然売上は上がらないため、この戦略では初期の段階である程度の市場シェアをとってしまわなければなりません。
この辺りの価格戦略については、今回話すと長くなってしまうため、また別の機会に話していこうと思います。

『花形』から『金のなる木』に

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話をキャッシュの動きに戻すと、初期に高価格で販売する戦略が成功すればキャッシュのマイナス幅は少なくて済みます。
その後、アーリーアダプターやアーリーマジョリティが参入し、市場が成長期に入って市場規模が大きくなるにつれて、キャッシュはプラスに転じて上昇します。
この状態というのは、プロダクトポートフォリオマネジメントで言うところの、『花形』から『金のなる木』に移行している段階であるといえます。

その為ここで得たキャッシュは、市場が更に伸びそうであれば生産設備の増設に使っても良いでしょうし、次の事業に備えて研究開発費に回すのも良いかも知れません。

成長期のキャッシュ不足

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低価格でしか販売できない場合は、大量生産のための設備であったり、初期にシェアを取りに行くための広告費などがかさむため、初期の赤字が結構増えてしまいがちです。
そうなれば当然、投資額の回収は遅れてしまうことになります。 成長期半ばにならないと、キャッシュがプラスに転じないこともあります。

その為、売上は伸び続けているのにキャッシュが足りないという事態が続くこととなります。
このことを覚悟していないと、売上が伸びているからと気が大きくなって、必要以上にキャッシュを使ってしまって資金がショートして黒字倒産なんてこともあり得るので、注意が必要です。
ここまでがライフサイクルでいうところの前半部分ですが、キャッシュの動きと売上の動きが結構違うということが分かると思います。

次回は、今回の最後に話題に出た黒字倒産について、もう少し掘り下げて話していきます