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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第116回【ソクラテスの弁明】まとめ回 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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今回は、第103~111回で取り扱った『ソクラテスの弁明』と、第112~115回で取り扱った『クリトン』のまとめ回です。
この2作品の関係性ですが、『ソクラテスの弁明』は、ソクラテスが今まで論破してきた人たちに訴えられた裁判を取り扱っています。
クリトンでは、その裁判後の話が語られているため、この2つの対話篇は2つでワンセットと考えてもらって良いです。

ソクラテスが訴えられる理由

まず、ソクラテスの弁明から振り返っていきますが、政治家のアニュトスを後ろ盾にした吟遊詩人のメレトスから訴えられて、それに対して自分を弁明するところから始まります。
訴えられた理由としては、ソクラテスは多くの人達に議論をふっかけては『相手が何も知らないことを暴く』という行動をライフワークにしていた為、無知を暴かれた人がその事を逆恨みして訴えたというのが、よく言われている分かりやすい理由です。
その他にも、政治的な理由があったと言われています。

というのも、首謀者とされるアニュトスは民主派の政治家で、アテナイがスパルタに負けて民主主義が崩れた時に海外に逃亡し、その後、スパルタの統治が崩れ始めた頃に再びアテナイに戻り、民主主義を復活させた人物です。
一方でソクラテスアテナイに残り続け、スパルタ統治の下で三十人僭主制が行われていた頃に、国の役人として働いています。 つまり、一時的にはスパルタ側に立っていたということです。
それに加え、そもそもアテナイがスパルタに負けたのは、ソクラテスと関わりが深いアルキビアデスが、アテナイの情報をスパルタ側に流したからという話もありました。

そういった政治的な理由も関係しているのかも知れませんが、その部分は哲学とは直接関係がないと思われるので、割愛します。興味のある方は、ご自身で調べてみてください。
ソクラテスは基本的にはこの様な感じで訴えられるのですが、これらの行動そのものは犯罪行為ではないため、裁判所に訴えかけても取り合ってはもらえません。
そのためアニュトス達は、ソクラテスは国で公式に定められた神々を崇拝していないし、その考えを青少年にも教えることで風紀を乱しているとして訴えます。

前提を疑うソクラテス

この根拠としては、ソクラテスの哲学者としての姿勢が関係しています。 ソクラテスは哲学の祖と呼ばれていますが、この様に呼ばれている理由としては、現代まで伝わる、哲学者としてのあるべき姿勢を最初にとったからだと思われます。
哲学者としてのあるべき姿とは何かというと、全てに対して疑いの目を向けることです。 わからないものに対しては『わからない』と素直に認め、分かるための努力を行い続ける姿勢のことです。
この考え方は、現代では哲学から派生した他の学問にも受け継がれ、普通の事とされていますが、昔は普通ではなかったんです。

昔の普通とは、神話の世界で語り継がれているような神々の存在を背景にした世界のあり方を疑うことなく受け入れるというのが普通であって、その前提を疑ったり独自解釈するというのは異常な行動なんです。
言い換えるのなら、特定の宗教が信仰されている世界で、その宗教の教義を疑うようなことをするのは異常だということです。
この様な環境でソクラテスは、知的好奇心から様々なことを探求し続けていたため、神々を信仰していないし、その考えを若者に教え込むことで秩序を乱しているとして訴えられました。

裁判の場に引きずり出されたソクラテスは、最初に、裁判官たちに対して敬意を込めずに市民と呼びかけ、彼らを侮辱して挑発します。
何故こんな事をするのかというと、彼には、人は感情で動くのではなく、自分の外側に確固たる基準を持ち、物事を判断する際に迷ったときには、その基準を元に判断すべきだという持論があるからです。
そのため、敢えて裁判官を感情的にさせて冷静な判断をさせないような振る舞いを徹底します。

その上で、自分は神々の存在を否定していないと訴えに対して反論します。
ここで注意が必要なのは、ソクラテスは神々の存在を否定はしていませんが、完全に肯定しているわけでもないということです。何故、肯定しないのかというと、神々の存在を自分の目で観て確かめたわけではないからです。
ただ、見たことがないから存在しないと断定することはできませんし、神々の存在を認める方が物事を説明しやすいという場面もあるので、そういった意味合いでは神話を信用しているという立場です。

一般人のように神話の神々を盲信しているというわけではないですが、完全に否定して別の理論を構築しているというわけではないため、神々を否定はしていないと反論します。

反論すべき人と無視すべき人

続けてソクラテスは、自分を非難している人間は2種類いるが、対話をすべきなのは自分を名指しで訴えた者達だけだとして、その人達にだけ向けて反論を行います。
ちなみに相手にしなくても良い人達というのは、現代でいうとフェイクニュースやデマに流される、自分で物事の本質を考えないような人たちのことです。

この人達は、何の考えもなしに流されているだけの人達なので、対話をするだけ無駄です。 なぜなら、裁判結果が無罪になれば手のひら返しをするし、有罪になれば、ここぞとばかりに調子に乗って叩く人たちだからです。
その人達の大半は自分の意見がないため、そんな人達を一人ひとり説得していくのは時間の無駄でしかありません。
しかし、ソクラテスのことを心の底から憎んで裁判まで起こしてしまうアニュトスやメレトスの様な人たちは別です。彼らにはソクラテスを嫌う理由があり、自身の意見を持っているため、対話することが重要です。

事の真相

ソクラテスはまず、自分が賢者と呼ばれる者達から嫌われるようになった原因から話し始めます。
彼は、自分自身は何も知らない無知なものであるという自覚が合ったため、賢くなりたいという思いから、自分より賢いと思われる人間に話を聞きに行くという活動を続けていました。
普通の者であれば、自分より賢い者に教えを授けて欲しいとお願いしてるわけですから、その教えを受け入れるわけですが、ソクラテスは納得できないことは受け入れない性格なので、その教えをすんなりとは受け入れません。

その活動をそばで見ていたソクラテスの親戚が、彼に教えを授けてくれる賢者の場所を神様の声が聞ける巫女さんに聞きに行ったところ、ソクラテスが一番賢いという答えを得てしまいました。
それを伝えられたソクラテスは、自分のどこが優れているのかを考えた結果、自分は物を知らないということを自覚している点ぐらいしか他の賢者たちと違う点が無いと気づきますが、その神の神託も鵜呑みにはせず、他に賢者はいないのかと探し続けます。
この活動の結果、多くの賢者が気分を悪くし、ソクラテスの敵になる一方で、賢者を言い負かしているソクラテスこそが賢者ではないのかと思うものも増え、ソクラテスの世間の評価は真っ二つに割れました。

ソクラテスこそが賢者だと思うものは、自分もソクラテスの様な賢者になりたいと思い、彼の仲間になって彼のそばで対話を聞いて話術を吸収し、賢者を言い負かすノウハウを蓄積していきます。
そして弟子たちは、そのノウハウを試すために、自分達も賢者に論戦を挑んで賢者を言い負かす活動を行います。
この構造が更に賢者たちを苛立たせ、『ソクラテスは青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』として自分は訴えられたんだとソクラテスは分析します。


参考文献