【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第115回【クリトン】命をかけた願い 後編
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- 人は秩序を選べる
- 無法者の末路
- 信念なき者
- 自ら死を選んだソクラテス
- 命をかけた願い
- 参考文献
注意
この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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kimniy8.hatenablog.com人は秩序を選べる
現在の多くの国がそうですが、当時のギリシャも民主主義国家です。民主主義を採用しているということは、少数の独裁者が自分たちの都合の良いようにルールを定めているわけではなく、ルールを作っているのは国民たちです。
法律の方に問題があって国家が歪な状態になっているのであれば、それを改善するための行動を取るべきです。
対話篇の中では、擬人化された国家と法律によって、この様な主張されています。
『この国で生まれ育ち、教育を受けて大人にまで成長したものは、国家という存在が正当なものであるかどうかを自分自身で吟味することができるはずです。
国家に対して満足しているのであれば良いが、もし、現状に不満があるのであれば、法改正によって国家をより良くするように提案し、国民を説得することで法律を変えることができる。
この行動を通して、国民は自分たちで国家を本来あるべき姿に変えることができる。
もし自分が少数派で、理想的な国家像を国民に訴えかけたとしても他の国民が耳を貸さず、改革ができない場合、この国を出ていくという選択肢も残されている。
また、アテナイは開かれた国なので、国民を国内に閉じ込めておくなんてことはしない。 そのため、他の国を自由に見て回ることができる。
その旅の中で、自分の価値観に合う国を見つけることができれば、その国に移住するという行動も禁止されていはない。
アテナイでは、自分の財産を他国に持ち出すことも禁止されていないので、この国が気に入らないのであれば、全財産を持って好きな国に移住するという選択肢も選べたはずだし、そうしたとしても、誰も責めるものはいないはずです。
この様な環境にありながらもソクラテスという人間は、移住どころか旅行すらせずに、アテナイに籠もって出なかった。
無法者の末路
これは、このアテナイという国家や法律が自分にあっていて、住心地が良かったからではないのか。しかもアナタは、この国で結婚して子供まで作っている。何故そうしたのか、それは、この国で子供を育てることが望ましいと思ったからではないのか。
縛り付けられてもいないのに国外に出ず、子供まで作るという行為を客観的に見れば、ソクラテスという人間は国家や法律に文句がなかったと宣言しているようなものだ。
また、最後に行われた裁判で、アナタは自分で刑罰を提案する際に、国外追放を提案しなかった。
死刑が求刑された際に、『自分が正論を主張しただけで嫌われて、殺そうとしてくる人たちとは一緒に暮らしたくない。』と感じたのであれば、その時に国外追放をされることを望めばよかった。
そうすれば大半の人間は、死刑判決よりも国外追放のほうが妥当だと考えて、国外追放という判決を下したことでしょう。
このことは容易に想像できていたはずなのに、ソクラテスという人間は、自分が死刑になるような、裁判官の感情を逆なでするような演説を行って、結果として死刑になった。
にも関わらず、自分勝手な理由で法律を無視し、秩序を乱して脱獄しようというのですか?
その様にして脱獄してアテナイを出ていく場合、多くの国は、脱獄囚を普通の国民として受け入れるなんてことはしないでしょう。
信念なき者
なぜなら、多くの国には秩序があり、国家や法律を重んじる国であるわけですから、それを軽んじるアウトローを普通に国民として受け入れるなんてことはしません。逃亡先の秩序ある国に住む住民たちは、逃げてきたソクラテスを無法者と敵視し、厳しく追求することでしょう。
そんな逃亡先で、どの様な人生を過ごそうというのでしょうか。 アテナイで行っていたのと同じ様に、善であるとか、秩序について話すのですか?
そのテーマについて、死にたくないからという理由で秩序を無視して自分を育ててくれた国から逃げ出した人間が話したとして、誰が話を聞いてくれるんでしょうか。
秩序を破壊した逃亡者の意見を喜んで聞いてくれるような国があるとすれば、それは、秩序を重要視しない様な人たちで構成された国だけでしょう。
皆が法律を守らないことで形骸化し、国家の体をなしていないような土地に住んでいる人たちであれば、ソクラテスがどうやって牢屋から抜け出したのかや、逃亡のための交通手段を用意した方法といったエピソードは聞いてみたいと思うかも知れない。
しかし、アナタはそんな話がしたくて、故郷を捨てて逃げようというのですか?
もし逃亡をせずに、このまま法律に従って処刑されたとすれば、アテナイに住む者の中には『ソクラテスは不正によって殺された』と同情するものもでるでしょう。
しかし、国の法律を無視し秩序を乱す逃亡者となれば、そういうわけにも行かないでしょう。
国家と法律である我々は、アナタの命がある限り恨み続けるでしょうし、アナタが寿命を全うしてあの世に行った際には、ハデスによってその罪を裁かれるでしょう。
秩序を乱すという大罪を犯した者に安息は訪れません。 そうなりたくなければクリトンを説得し、秩序を守る道を選ぶがよい。』
自ら死を選んだソクラテス
この国家と法律の主張を簡単に要約すると、脱獄する理由が単純に死にたくないという理由だけであれば、それを回避する方法は法律を無視する以外にも、いくらでもあっただろということです。ソクラテスが有罪判決を受けた際の裁判では、有罪か無罪かの判決が出た後に、その罪に応じた刑罰を原告と被告がそれぞれ主張し、もう一度多数決を行って刑罰を決定します。
ソクラテスは、この時に迎賓館の食事を提案したわけですが、そうではなく、国外追放を選択していれば、脱獄せずとも合法的に命を守ることができていたでしょう。
なぜなら、ソクラテスはアテナイに住む国民のそれなりの割合の人たちから、口やかましい老人だと嫌われていはいましたが、殺されるほど憎まれていたのかといえば、そうではありません。
これは、裁判官という立場ならなおさらです。 ソクラテスは、一定層には嫌われていましたが、支持層もいました。それは、有罪無罪を決定する多数決の時のことを思い出してもらえばわかるはずです。
ソクラテスは、裁判官たちに敢えて失礼な態度をとったりと、相当煽ったにもかかわらず、結果は一方的なものにはならずに半分程度に割れていました。
つまり、約半分近くはソクラテスのことを憎からず思っていたわけです。裁判官が死刑判決を下せば、死刑に投票した人間は支持者から恨まれるわけですから、ソクラテスが妥当な刑罰を提案していれば、大半の裁判官は受け入れたでしょう。
そのため、ソクラテスが死にたくないと思えば、自ら国外追放を提案することで、多くの票を獲得して合法的に海外に逃れることができたはずです。
しかしソクラテスは、そんなことはしませんでした。有罪判決後も裁判官たちの感情を逆なでする様な挑発を続け、結果として死刑になっています。
命をかけた願い
ソクラテスは自分の命を守ることよりも、自分が命を失うこと切欠にして、国民に秩序について考えてもらうことを優先させました。それなのに、処刑の土壇場になって逃げ出したとすれば、ソクラテスが今まで行ってきた正義や秩序やアレテーについての主張は全て、説得力をなくしてしまいます。
そんな説得力を失った彼の話に耳を傾けるのは、正義やアレテーとは無関係の無法者たちだけで、そんな彼らは正義の話などに興味はなく、聞いてくれるのは脱獄した際の話といった、どうでも良い話だけになるはずです。
ソクラテスはクリトンに対し、この国家や法律の主張に反論できるのかと訪ね、クリトンはそれを否定し、これに納得してしまいます。
こうして、当初の約束通り、ソクラテスは脱獄するととなく、看守から差し出された毒を自ら飲んで命を落とします。
これで、ソクラテスの弁明から続いてきたソクラテスの最後の裁判の話は終わりです。
次回は、これらのまとめを行っていきます。