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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第120回【饗宴】天と俗のアフロディーテ 前編

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目次

注意

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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パイドロスの主張

前回とその前の2回で、パイドロスの主張を紹介しました。
彼の主張を短くまとめると、概念は重要なものから順に生まれていくと仮定すると、まず全ての大本になったカオスがあり、そこから母なる大地であるガイアが生まれ、次にエロスが生まれた。
大地が全てを物理的に生み出す概念と考えると、エロスは人の行動を支配する精神の擬人化と考えられ、人のあり方という観点で見れば、人間にとって一番重要だと考えられる。

また、エロスが絡む他の神話を見てみても、自分の損得ではなく、エロスによって突き動かされる行動をとった者を神は高く評価しているように読み取れる。
例えば、夫のために自らの命を差し出した妻の物語や、愛する者のために命を掛けて仇討ちをしようとしたアキレスの行動は、神々の心を動かす。故にエロスは偉大だ。というものでした。

エロスを定義する

これを受けて、次にパウサニアスが持論を展開します。
彼がいうには、エロスに対して議論をするのであれば、まず、エロスについての前提の定義を行わなければならないと主張します。
一言にエロスといっても、人によってエロスの概念が違う可能性もあります。 この違いというのは、根本的な意味や、その言葉の示す範囲の違いのことです。

この対話篇『饗宴』の設定としては、飲み会の場で話をしている事になっていますが、例えば、哲学について真剣に考えたことがない人達ばかりで集まって、『エロスについて語ろう!』と言って会話を始めても、下ネタ祭りにしかならないでしょう。
仮にそうならなくとも、ある人は男女間の性欲に起因する感情だけをエロスと定義し、別の人は人類愛といった感じで、参加している人達がそれぞれ考える『エロス』の定義にバラツキがあれば、共通認識は得られないでしょう。
この様な人の認識だけでなく、神話で語られているエロスの設定についても、それぞれの人達で認識が違っていたりもします。

というのも、ギリシャ神話は相当昔から語り継がれてきているわけですが、その大本となる物語は、文章で残されているわけではなく、吟遊詩人の唄などを通して口伝で伝えられてきたからだと思われます。
吟遊詩人は、知識として歌を伝えるだけでなく、一種のエンターテイメントとして神話を語り継いでいる側面もあるため、時代を経るごとに、物語に新解釈を加えたり、単純に聞いて面白いようにと変えられていきます。
当時はネットなどもないため、吟遊詩人間で話し合って世界観を統一するなんてこともないでしょうから、物語が派生して、様々な設定が乱立することになったと考えられます。

この様に、人それぞれが持ってるエロスの認識が違うため、誤解を招かず、議論を有意義なものにしようと思うのであれば、まず最初にエロスを定義して、共通認識を得た上で議論を進めていく必要があります。

第1ののエロス

まずパウサニアスは、世間一般で認識されている神話に登場するエロスは1人ではなく2人いると主張します。神様の数え方として1人2人と数えてよいのか、柱や座を使うべきなのかはわかりませんが、ここでは重要ではないので、1人2人で数えてます。
まず、第1のエロスは、パイドロスが『人の精神の擬人化として最も早く生まれた神』と称賛したアフロディーテで、これを天のアフロディーテとします。
この天のアフロディーテですが、大地の女神であるガイアと空の神であるウラヌスとの間に生まれた子供とされています。

ここで、いきなり登場したウラヌスとは何なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ウラヌスはガイアの最初の夫で、空の神様です。
もともと、この世の唯一の概念だったカオスから大地が分離して生まれた際、大地とそれ以外の部分が同時に生まれることになります。 簡単に言えば、地面とその上の空間に分かれるわけです。
地面を母なる大地であるガイアとし、地面の上に広がる空間をウラヌスとする。 空から雨が降ることで大地には様々な生命が生まれるため、女性の上に男性が覆いかぶさっている様な感じで世界を捉えたのでしょう。

その両者から生まれた子供がアフロディーテとされています。この子供という表現ですが、実際の出産とは微妙に違っていて、実際にはウラヌスのイチモツから生まれます。
経緯を簡単に話すと、ガイアとウラヌスは子供を作るのですが、その子供たちが醜かったため、ウラヌスはタルタロスに幽閉してしまいます。タルタロスについては、後で説明します。
このことに腹を立てた母親のガイアは、末っ子のクロノスに恨みを晴らすように伝え、それを受けてクロノスが、アダマンチウムで作られた鎌でウラヌスのイチモツを切り取ってしまいます。

そのイチモツは遠くに飛んでいって海に落ち、その後、泡となって、その泡からアフロディーテが誕生します。
よく絵画などで海の上に貝殻の船に乗って裸で佇んでいるヴィーナスが紹介されたりしますが、あれが、天のアフロディーテです。 アフロディーテの別名がヴィーナスです。
ついでにいうと、ウラヌスが股間を切り取られた事で出た血から復讐の女神が生まれたりします。 男性神の性器から美の化身が生まれ、流れた血から復習の女神が生まれると言ったあたりに様々な意味が込められていそうですよね。

ウラヌスとガイアの両者から生まれた次世代の子供ではなく、ウラヌス自身の体の一部から生成されているという点で、アフロディーテはクロノスなどの子どもたちよりも概念的には上の存在だと言いたいのかもしれません。

第2のエロス

次に第2のエロスとして、ゼウスとディオネの間に生まれた娘であるアフロディーテが存在し、こちらを俗のアフロディーテと呼びます。

俗のアフロディーテの母親とされているディオネですが、これも複数の解釈がされていて、ウラヌスとガイアとの間に生まれた巨人族であるティターン族の娘といわれたり、オケアヌスという海の神様の娘といわれたりしている神様です。
このディオネはゼウスと結婚しないヴァージョンの神話では、奈落の神様と結婚をするとされている人物です。奈落とは、ものすごく深く掘られた穴のことを奈落の底なんて言いますが、その奈落で、別の表現では地獄と表現されたりもします。
この奈落や地獄という概念を神格化した神様が先程出てきたタルタロスで、地の底や地獄の化身と結婚する説もある女神が産み落としたということで、俗のアフロディーテとしているんだと思われます。

少し横道にそれると、ギリシャ神話はこの様な感じで、概念を神格化して人格をもたせた上で、物語の登場人物にしていくという手法がよく取られます。
天のアフロディーテの説明では、タルタロスはウラヌスとガイアの子供を閉じ込めるための場所でしたが、それが俗のアフロディーテの説明の際には、奈落の神様として人格を持って登場します。
これをいちいち、この物語では場所の概念だけれども、この部分ではキャラクター…といった感じで解釈しようと思うと混乱の元なので、ギリシャ神話の特に神々が中心になる物語の部分では、普通の物語として読まない方が良いと思います。

参考文献