だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

夏までに体型を変える? スポーツジムに入った際に気をつけること

私はスポーツジムに通っているのですが、ここ最近になって、徐々に人が増えてきました。
これは今年に限ったことではなく、3~4月の異動の時期で、尚且、夏まで数ヶ月というタイミングで人が増え、9月から秋にかけて会員数が減少し、冬になると『いつもの顔ぶれ』だけになるのが、スポーツジムだったりします。

この投稿を読まれている方の中にも、最近になってジムに通い始めたという方がいらっしゃるかもしれないので、今回は、ジムに通って体を変える為に必要な事を書いていこうと思います。
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実は重要なジム選び

春にジムに入って、『夏までに体を鍛え上げてシックスパックになってやろう』なんて考えている人は、ジムの設備に目が行きがちだと思います。
バーベルが有るかとか、ダンベルは何キロまで揃っているかや、マシンの種類など。

しかし、20年以上ジムに通っている私からいわせれば、トレーニング機器はそこまで重要ではありません。
大抵のジムには、全身を一通り鍛える為のマシンが揃っていますし、バーベルやダンベルがあれば、工夫次第で大抵の部分は鍛えられたりします。
設備の構成を、有酸素運動に極振りしているような極端なジムでもない限り、月会費1万円程度のジムであれば、大抵の設備は揃っていると思われるので、あまり気にしなくて良いです。

では、ジム選びで一番重要視しなければならないのは何かというと、立地です。

家から近いとか、仕事場と家との往復の間に有るような、気合を入れなくてもジムに行ける様な場所を選ぶのが基本です。
わざわざ、ジムに行くために外出しなければならず、その上、往復に1時間ほどかかるなんて場所は、いくらジムの設備が良かったとしても、選ばないほうが良いです。

理想としては、仕事帰りにフラッと寄れるような場所を選択することが重要です。

何故、ジムの立地が重要なのかというと、多くの人が数ヶ月でジムに行くのを止めてしまう大きな原因が、ジムに通うのが面倒くさくなって辞めていくからです。
ジムに入会したての春は、寒い季節から暖かくなってくる季節でもありますし、環境としても心機一転出来るような時期なので、テンションが上って何に対してもやる気が出ると思います。

しかし、そんな精神状態は長くは続きません。
直ぐに、わざわざジムに行くのが面倒になるし、休みなどのまとまった時間が出来たときには、他の用事をしてしまう。
そのうち、ジムに行かない生活が習慣化してしまい、ジムに行く為には物凄い精神力を持って決断しないと行けなくなるようになります。

その為、頑張らなくてもジムに行ける環境が重要になってくるわけです。

ジムでトレーニングをする際に気をつけること

一番重要なのは、頑張りすぎないことです。
ジムに行き始めた人が陥りやすいトラップなのですが、大抵の人は、初日から頑張りすぎてしまいます。
3日程度で全身の筋トレをやってしまうわけですが、4日目ぐらいに襲ってくる筋肉痛によって、行くのを断念してしまい、休みグセが付いてしまいます。

ジムに行き慣れていない人が、まず、心がけることは、毎日ジムに足を運ぶ習慣をつけることです。
3日間ほど詰めてジムに行き、その後、筋肉痛が取れるまで4日程休んでは、意味がありません。
一旦休み癖がつくと、ジムに行くのが億劫になり、結果として大して施設を利用しないままにジムを辞める事になってしまいます。

ジムに行く習慣がない人は、トレーニングよりもまず、毎日ジムに行く習慣を身につけるところから始めるべきです。
その為に必要になってくるのが、頑張りすぎないことです。

『ジムで運動を頑張らなくて、夏までに肉体改造できるの?』と思われる方もいらっしゃることでしょう。
しかし、安心してください。
今まで運動をしてこなかった人が、3ヶ月真剣に頑張ったところで、体型は大して変わりません。

食事の内容を見直したり、運動量を増やしたりする事で実現できなくもありませんが、急激な変化は体に良くないですし、今まで運動をしてこなかった人が急に激しい運動をすると、怪我や病気に繋がったりもします。
夏に格好をつけたいという理由だけで、そこまでのリスクを背負う必要は無いと思います。

ジムでの運動

ジムで行う運動ですが、置いてあるマシンを一通り使って、全身を鍛える方法は辞めたほうが良いと思います。
運動に慣れていない人が全身の運動を1日でやってしまうと、全身筋肉痛になり、ジムを休む口実ができてしまいます。
先程も書きましたが、重要なのはジムに行く習慣を付ける事なので、毎日通えるようにトレーニングした方が良いでしょう。

全身筋肉痛を避ける為には、体を3つの部位に分けてトレーニングするのが良いです。
足・胸・背中と3つに分けることで、常に体の何処かが筋肉痛では有るけれども、筋肉痛ではない部分があるという状態を作れます。
レーニング種目としては、バーベルが有るジムなら、足ならスクワット。 背中ならデッドリフト。 胸ならベンチプレスのビッグスリーと呼ばれる種目を中心に行えば良いです。
余裕があるなら、それにプラスしてマシンで追い込むのも良いかもしれません。

体の部位を3つに分けて、ローテーションを組んで2週すれば、週に6回はジムに通えます。
もし、筋肉痛が取れずに2周するのが辛いのであれば、間に有酸素運動の日や、風呂だけ入って帰る日などを作り、とにかくジムに通いましょう。
毎日通うことで習慣化し、意識せずに、まるで毎日歯を磨くように、足がジムに向かうようになります。

この、毎日通うという行為の為に、先程書いたようにジムの立地が重要になってくるのです。
仕事で疲れていても、ふらっとジムに入ってジャグジーだけ入って帰るというのでも構いません。
とにかく、行く習慣をつけることが重要となってきます。

体作りは習慣

ここまで、如何にしてジムに通うかということを重点的に書いてきました。
手っ取り早く理想の体を手に入れたいという思いから情報収集されている方にとっては、無駄足だと思われている方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、そのような方に一言いわせてもらうと、体作りやダイエットは、一年の間の特定の期間だけ行うものではなく、ずっと行うものだという事です。
ジムに行く習慣さえつけておけば、『せっかく来たんだから運動して帰ろう。』という気になります。
定期的に運動さえしていれば、少しづつであれ、体型は変わってきますし、健康にも役立つことでしょう。

一番ダメなのが、ジムに行くこと自体がイベントになってしまう程に行かない状態を作ってしまう事です。
お腹が出ているという悩みを持っている方が、今からジムに加入したとしても、夏までにシックスパックを作ることは、おそらく不可能でしょう。

ですが、毎日のように通う習慣をつけてしまえば、来年の夏には間に合うかもしれません。
一部のアスリートを除き、運動は健康的な体を作る為に行うものだと思いますので、無理をせず、長く続けられるペースで行うことをお勧めしたいと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第51回 ソクラテスが生きた時代(2) 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

まとまりが無い古代ギリシャ

前回は、ソクラテスの生きた時代背景を少し詳しく語ろうと思った結果、ギリシャを攻めていたペルシャ帝国の話になり、最終的には、文明の始まりの話にまで脱線してしまいました。
今回は話をギリシャに戻しまして、ソクラテスの生きた時代について簡単に説明していきます。

前回も話した通り、ギリシャペルシャ帝国から責められるという事が4回ほど有り、その進行に対して複数のポリスが協力して撃退するという事があったわけですが…
ではギリシャが、ペルシャという外敵によって一つにまとまっていたのかというと、そういう事はなく、各ポリス同士の覇権争いが行われて、戦争が繰り返されていました。
何故、ギリシャ内でこの様に戦争が繰り返されていたのかというと、当時のギリシャ内にあったそれぞれのポリスは、同じギリシャという地域に有りながら、政治の運営方法が大きく違っていたりしたからです。

ポリスごとに変わる統治の仕方

例えばスパルタ教育の語源にもなったスパルタは、前にも言いましたが、王様が国を治めていました。
王様の独裁国家というわけではなく、神々の言葉を人々に伝えるエフォロイという神託官と権力を二分するという形式ではありましたが、王が権力を握るという方式で、国を治めていました。

他の国では、戦争がある時だけ市民を集めて軍隊にしていた為に、普段は家具職人や彫刻家だった人間が、戦争が起こると、徴兵されて戦場に送られていたのに対し…
スパルタでは、生活に必要な労働は全て奴隷に任せて、スパルタ市民は専業の兵士となって、戦争がない時には訓練をし、戦争が起これば戦地に向かうという暮らしをしていました。
市民はみんな軍人になるわけですから、軍人になれないような体で生まれてきた人間は、スパルタでは価値がない人間とされて、生きていく事は出来ません。
スパルタ人が出産した際には、生まれた子供は隅々まで調べられ、障害を持っていると分かると崖から突き落として殺してしまうという事まで行っていました。

その一方で、ギリシャ内でのもう一つの大国とされているアテナイでは、直接民主制が採用されて、政治は市民が行うものとされていました。
直接民主制なので、今の日本のように、民衆の代わりに意見を言って政治を動かす『代議士』を、選挙で選んで、代わりに会議をしてもらうのではなく、民衆が直接、政治を行います。
では、アテナイに住む市民全員が平等に議論をしたのかというと、そういうわけではなく、一定期間ごとに『くじ引き』が行われて、それによって、国での役割が与えられていたようです。

そのくじ引きで、国の要職を引き当てた人間は、その地位につき、裁判員に選ばれた人間は、裁判員になる。
どれぐらいの人口で、くじ引きが行われたのかは分かりませんが、専門家の方の意見によると、平均寿命まで普通に生きていれば、2~3回は国の要職をやらなければならない状態だったようです。
プラトンの書いた『ソクラテスの弁明』という作品で、ソクラテスが裁判をしている風景が描かれるのですが、その裁判の有罪無罪は500人の陪審員による多数決で決められたそうなので、国のポストというのが結構あったんでしょうね。

考え方の違いにより起こる戦争

この様な感じで、政治の体制そのものが全く違うので、お互いが理解されることもなく、また理解しようともしない為、お互いが自分の体制を押し付けて覇権を握ろうと、戦争が繰り返されたようですね。
つまりスパルタは、自らが行っている王様による統治というシステムを、他のポリスに押し付けようとしますし、民主政のアテナイは、それに反発をし、結果として戦争になるという事です。
スパルタ側からすれば、自分たちの統治は上手くいってるから、その上手くいっているシステムを他に押し付けようとしますし、仮に自分達が他のポリスを打倒して支配下に置いた場合も、統治がしやすいですよね。
何故なら、王様1人の頭を押さえつけておけば良いわけですから。 これが民主政だった場合、収取がつかなくなりますよね。

では、アテナイ側はどうなのかというと、アテナイも、元々は王様や貴族が領地を治めるというシステムだったのですが、このシステムが破綻した為に、民主政に移行したという過去があります。
具体的には、王族や貴族と一般市民との経済格差が広がり過ぎたんです。市民が国を統治する側の人間に搾取され、統治する側の人間が裕福になる一方で、市民側はお金を搾り取られるために、貧しくなっていく。
この様な状態が行き着くところまでいってしまうと、大多数の貧民層を先導して、支持を取り付けて、国を乗っ取ろうとする人間が出てきます。

二極化が行き着くところまでいってしまうと、王族を支持するのは、親戚やお友達などの、王族と仲良くなる事で自分が潤う人たちだけで、お金を搾り取られて貧しい生活を強いられている人間は、統治者を憎むようになります。
この様な状態の時に、『私が国の代表になったら、富裕層の資産を没収し、皆さんのために使います。 皆さんは今まで、必要以上に搾取され続けてきたので、皆さんの負担も軽減します。』と主張する人が出てきたとしたら、どうでしょう。
多くの市民は、王族の支持を止めて、新たに現れた代表を支持するのではないでしょうか。 その状態でクーデターや革命を起こせば、王を引きずり落とす事が出来ます。

不具合を起こして変わる統治システム

こうして、貧しい市民たちから支持を受けたものが国の代表となって、国を統治するのが僭主制という制度なのですが、このシステムも長くは続きません。
というのも、貧しい人達に向かって甘い言葉を投げかけるのは簡単ですが、それを実行するのは大変だからです。
この代表が、最初から国を手に入れる為に、民衆を騙して甘い言葉を囁いていたにせよ、本当に貧困層の生活をなんとかしようと思っていたにせよ、いざ実行してみると、理想通りに行かないのが政治だったりします。

自分が権力を手に入れてしまうと、権力の保つ力に自分自身が支配されてしまって、暴君になってしまう人もいるでしょうし、市民と約束した事を実行しようとして、バラ撒きを行った結果、財政が破綻してしまう事もあるでしょう。
国が財政破綻しないように気をつければ、市民との約束を破らなければならない事も出てくるでしょう。
いずれにしても、市民と約束を交わす事で支持を得て、革命を成功させて僭王と成ったものが、市民との約束を破ってしまった場合、市民は裏切られたと感じてしまいます。

ただ、その様な状態であっても、市民たちの暮らしが王族が統治していた時よりも改善していれば、不満がありつつも従うのでしょうけれども、逆に生活が悪化した場合は、市民の怒りは収まりません。
暴動などが起こる場合もあるでしょうし、新たな代表を選んで、現政権を打倒しようと考えるものも出てくるでしょう。ただ、次の代表を選んでも、その人物が優秀な人物で、国を立て直してくれるとは限りません。

組織が傾くと優秀な人から去っていく

これは、今の企業などのケースで考えてみれば、分かりやすいのかもしれません。
例えば、会社の経営者が従業員から搾取する事で、大金を得ていて、一般社員との格差が広がったケースを考えてみましょう。
2018年には、日産自動車の日本の幹部が、フランス本社から来ていたゴーンさんに対してクーデターを起こすという出来事も有りましたが、『社長が好き勝手をしている! 自分たちが経営権を握れば、こんな事はなくなる!』
…と、この様な感じで世間や従業員に訴えて、警察に通報して代表を追い出したとしても、その結果として業績が下がってしまって、従業員の給料が下がったりなんかしてしまうと、従業員はついてこないですし、株主からも不満が出る事でしょう。

まぁ、上場企業の会社の場合は、経営トップの任命権は株主にある為に、民衆の支持によってトップが変わる可能性がある国の場合とは、事情が異なるので、あくまでも例として捉えてくださいね。
で、この様に、ゴタゴタが起こった場合に、優秀な人間が知恵を出し合って、事態を収拾して立て直してくれるのかというと、そんな事もなかったりします。
というのも、優秀な技術者・エンジニアや、仕事の割り振りを管理できる様な人間というのは、その会社だけでなく、その業界で名前が通っていたりします。

ライバル企業にとっては、この様な優秀な人達は喉から手が出る程、欲しいわけですから、その様な人材から打診があれば、喜んで受け入れるでしょうし、何なら、スカウトしに行くかもしれません。
優秀な人物は、場合によっては、元いた会社よりも高待遇で迎え入れられますから、余程、元いた会社や仲間に対して愛情がなければ、敢えて残って頑張るということはしないですよね。

この様な感じで、優秀な人間というのは引く手あまたなので、自分の乗ってる船が不安定だと感じれば、直ぐに、別の安定した船、つまりライバル会社に転職することが出来ます。
結果として、沈みかけの船…つまり不安定な会社に残っている人材というのは、他の場所に移れない人間か、余程、その場所に執着がある人間かという事になります。
この流れは、会社の経営が不安定になればなる程に加速していく事になります。

優秀な人材は個人で生き残る

国の場合も同じで、王政から僭主制に切り替わったり、僭主制の中でも最高権力者が頻繁に変わるような事が起こると、国は不安定になり、優秀な人間は国を出ていきます。
優秀な人間というのは、知恵を持っていたり弁が立ったり、人脈を持っていたりといった人間のことですね。 この様な人間は、国を運営していくのに欠かせない人間なので、どこの国でも求めています。
そんな人材が亡命してくれば、その人の為に生活に必要なものを提供しますし、能力によっては、国の要職を任せることも有りました。

例えば、ソクラテスの弟子に、アルキビアデスという人物がいます。
当時のギリシャ、特にアテナイでは、成人男性が少年と性的な関係を持つ少年愛というのが普通の事としてあって、成人男性は少年に対して知恵を授けて、少年はその見返りに体を差し出すという習慣があったそうなのですが…
アルキビアデスは、自身では無知だと言いながら、賢人と言われている人達を論破していくソクラテスの知恵に惹かれて、ソクラテスの寝室に忍び込んで裸でベットの中に入って誘惑するという様な、狡猾な少年です。

成人してからも、ことあるごとに自分の美貌を活かして目的を遂行するという人物で、人間関係も相当に広い様でした。
アルキビアデスは、哲学者から習った知恵や、幅広い人間関係を活かして政治家になるのですが、基本的に駄目な人なので、酒に酔っては粗相をします。 また、人脈の広げ方も褒められたものではなかったので、敵を多く作ってしまいます。
この様に、何かと問題のある人物なのですが…
アテナイとスパルタの間で起こったペロポネソス戦争の期間中に、ヘルメス像が破壊されるという事件が起こり、日頃の行いの悪さから、アルキビアデスに疑惑の目が向けられて容疑者にされるのですが、敵であるスパルタへの亡命に成功します。

そこで、アテナイの情報をスパルタに流してスパルタに勝利をもたらし、スパルタで顧問のような地位を手に入れるのですが、スパルタの王妃と性的関係を持った事でスパルタから狙われるようになり、今度はペルシャに亡命します。
その後、アテナイの政権が変わると、昔に作り上げた人脈を利用したのか、アテナイに帰国して、軍隊の指揮官になるんですね。
まぁ、最終的には暗殺されるわけですが、この様に、どう観ても問題ありありな人物であっても、優秀でさえあれば亡命が可能で、それなりの地位が確保されていたりするんですね。

これに加えて、国の運営というのは、皆が同じ方向を向いて協力しあって行われているわけでもなく、派閥などもあります。
これは、現在の状態を観てもそうなので理解しやすいと思いますが、クーデターなどで特定の派閥が政権をとってしまった場合は、それと敵対するポジションの人は、どの様な扱いになるか分かりません。最悪、殺されることもあります。
その様な状態で、『国の安定化の為には、自分の知能が必要だから、敢えて残ろう。』と思える人間は、少ないですよね。

また、派閥同士が拮抗していたりすると、覇権争いで更に混乱することになるわけですから、僭主制というのは長く続かないんです。
(つづく)

京都の飲み屋街は西に行くほど安くなる?!

今回は、京都の飲み屋街について書いていこうと思います。
私は他の地域に旅行に行って呑みに行くといった経験はあまりないので、他府県の呑み屋事情については良くわからないのですが、京都に関しては15年近く毎週のように飲みに行っていたこともあり、少しは知っているつもりです。
という事で、今回はそのあたりのことについて書いていきます。 注意として書いておきますと、今回取り扱うのは京都の飲み屋街として有名な河原町近辺だけですので、他の場所のことは書いておりません。

京都の呑み屋は西に行くほど安くなる?

今回のブログで紹介するエリアは、祇園から大宮までのエリアだけなのですが、この界隈だけでいうのであれば、西に行く程、安く呑める店が増えていく傾向にあります。どちらが東かというと、祇園が東で大宮が西にあります。
もちろん、各店の価格設定はその店で行われていて、地域から矯正されて決めているわけではないので、例外的な店もあります。
その為、全体としてみると、その様な傾向があるという程度で捉えていただくとありがたいです。

祇園エリア

河原町通界隈は電車だと京阪や阪急で来ることが出来て、その場合は四条河原町に到着します。
祇園エリアは、そこから四条通を東に向かうと到着することが出来ます。 東は、四条通の東の突き当たりにある八坂神社を目印にすると良いでしょう。
緑の山の中に赤い神社が目立つ形で建っているので、分かりやすいと思います。 エリアとしては、鴨川~東大路通の間のエリアとして捉えてもらうと良いです。

祇園エリアですが、四条通はお土産物屋が多く、一見すると飲み屋街などはないように思われますが、四条通から北や南に少し入ると、飲み屋発見できます。
北と南でどちらが店が多いかというと、北側。 四条通りを挟んで南側は呑み屋が点在しているという感じなので、目当ての店が有るというのでなければ、北側を散策すると良いと思います。
祇園の飲み屋街は、東西は川端通り~東大路通り。南北は三条~四条の少し北側といった感じです。

祇園エリアの四条通の北側に広がる飲み屋街に行くには、四条通を八坂神社の方向に向かって歩いていって、壹銭洋食という看板を見つけたら左方向(北側)に曲がると到達できます。
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その通りには、飲み屋街が三条手前ぐらいまであり、三条~四条までの間にある東西の通りに入っていっても、飲み屋街は続いています。
特に、石畳で舗装されている通りは観光名所にも成っていて、京都らしさが味わえるので、実際に店に入るつもりがない人も、散歩をすると楽しいかもしれません。
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この石畳のとおりにある店は、雰囲気的には一見では入れない様な佇まいをしていたりもします。 実際に、予約をとってないと入れない店も多いですし、結構なお値段を取る店もあったりします。
全てがその様な店というわけでは無く、探せばチャージ1000円ぐらいでビール一杯700円ぐらいの店もあったりするんですけれどもね。

石畳以外の店には、スナックやクラブが入ってるビルが建っていたり、所々に、黒い服を来たお兄さんが立っていたりもしています。
中には座っただけで5万取る店もあるようですので、入る際には注意をしましょう。
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とはいっても、バブル崩壊以降の経費削減によって会社の経費削減が行われて、サラリーマンの接待用の店は激減。
その為、土日の集客が見込めない祇園エリアから撤退する店も多く、空きテナントは増えすぎた結果、後に紹介する木屋町よりも家賃が下がる場所も出てきている為、維持費の安さから客単価の安い店も増え始めてたりはしますが。

先斗町

祇園から、八坂神社と反対方向の西に向かって進んでいくと四条大橋があり、そこを渡ってすぐの右側にある通りが先斗町
旅番組でもやたらと紹介されていますし、グルメ雑誌などで取り扱われている店も多いので、知っておられる方も多いでしょう。
しっかりとアンケートとか取ったわけではないので憶測ですが、この通りを夕方のご飯時分に歩いている人、そして店の客の大半は観光客だと思われます。
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メインの客層が観光客なので、京都っぽい内装にしている店も多く、観光した際に食事に行くなら、良い雰囲気が味わえると思います。
観光客目当ての商売をされている方が多い通りですが、では値段が高いのかというと、それほど高いわけでもありません。
1人5000円出せば食べて呑める店も比較的多いので、祇園に比べると入りやすいと思います。

この先斗町ですが、西と東側で客単価が若干違う傾向にあります。
というのも、先斗町の東側は川に面していて、春頃から秋にかけて『床』と呼ばれる、川の上に作るオープンテラス的な施設を作る店がほとんどで、風情が味わえる為かかなりの集客力があります。
その為、先斗町の西と東では家賃が3倍ほど違うと言われていて、東側はそもそも空き店舗が出ずに順番待ちが出来ている程の人気の立地。
家賃が3倍ということは、店の回転数を挙げるか客単価を上げる必要がある為、東側は少し高い傾向にあるようです。
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因みに先斗町がある通りは、四条通を挟んで南側にも飲食店が有ったりしますが、先斗町の南側のエリアは風俗街になっているので、カップルや家族連れの方は近寄らないほうが良いです。
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木屋町通

先斗町の西隣にある南北の通りです。 先斗町の隣の通りなので、所々にある東西の通りで行き来が可能だったりします。
先斗町木屋町をつなぐとおりで有名なのは『13番路地』。 まぁ、有名なのは通りだけで、そこにある店が特別というわけではないのですが。
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東隣にある先斗町が観光客目当ての飲食街だとすれば、木屋町通は地元民のために有るような飲食店といっても良いでしょう。
通りが1本違うだけなのに客の大半が京都の人間で、各店には常連客がいて、コミュニティーが出来上がっていたりします。

この木屋町通ですが、20年ほど前には乾杯する時はテキーラという習慣が有ったせいか、三条~四条間の300メートルぐらいしか無いエリアで、テキーラ売上日本一をはじき出したらしく、メキシコからオルメカの社長が御礼参りに来たという話があったりします。
それも、10年前ぐらいには廃れた感じで、今はテキーラ押しというわけではない感じですが。

この通りは、やたらとキャッチがうろついていたりしますが、その人達についていかずに適当に店に入っても、2~3000円程度で飲み食いできる店が多いです。
チャージが無い店も多く、ショットバーが多めなので、呑むだけなら1軒あたり2000円未満で済む場合も多いので、何件か回るのも面白いかもしれません。
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旅行などで訪れていて良い店を知らないという人は、バーテンダーに聴くと良いでしょう。
大抵のバーテンダーは、木屋町でバイトなどをして修行して金をためた後に、独立して自分の店を持つというスタイルで出店しているので、自分の同僚や師匠の店を紹介してくれるでしょう。
行った先で、◯◯さんに紹介してもらったといえば、少し対応が変わるかもしれません。

西木屋町

木屋町通は、道のすぐ西側に川が流れている為、西側には店がありません。
その川を渡って西側~河原町通りまでのエリアは、西木屋と呼ばれていて、木屋町通と少し雰囲気が違う感じになっています。
単価的には、木屋町とそれ程変わらないか、少し安い値段設定になっている印象です。
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割と個性が強めな店が多く、一人でカウンターで飲んでいると、知らない人から話しかけられる確率が高めです。
割とゴチャっとしているので、東京でいうとゴールデン街的な雰囲気が味わえる地域だと思います。
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ちなみにですが、祇園エリアから西木屋町までは歩いても10分かからなかったりします。
この辺りを隅々まで探索しても30分もかからなかったりするので、夜の散歩にも良いかもしれません。
狭い場所に密集しているというのが、京都の夜の街の魅力の一つだと思います
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大宮

祇園~西木屋町までが隣接した感じでつながっていたのに対し、大宮は結構離れた位置に有ったりします。
駅でいうと2駅分。 歩くと15~20分ぐらいはかかるでしょうか。

ここまで西に来ると、飲み屋街の雰囲気が全く違ったものになります。
先ほど紹介した3エリアは、客層がかぶっていたりもするのですが、大宮は離れすぎているので、大宮で飲む人は大宮で完結することが多いと思われます。
大宮には大宮の独特の空気感のようなものがあり、普段から大宮で呑んでいる人以外が立ち入りにくい空気感が漂っているように感じます。
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壁にタイルを張って溝を掘っただけのトイレが有ったりもしますし。。
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客単価は木屋町周辺よりも安い傾向にあり、食べて呑んで1000円台というのも珍しくありません。その為、安く呑みたい人達が集まってくる場でもあります。
店を経営している人に話を聴くと、普通の飲食店とは繁忙期が異なり、年金などのお金が支給された翌日に忙しくなったりするそうです。
来ているお客さんも、個性強めの方が結構いらっしゃる印象があります。

まとめ

という事で、祇園エリアから大宮までを紹介してきましたが、京都で夜遊びをするのであれば、個人的には木屋町近辺をお勧めしたいです。
他のエリアに行くのも簡単ですし、何より店が多い。
私が15年ほど一人で呑み歩いた中で、ボッタクリにあったという経験もありませんし、それ程心配せずに遊べると思います。

たまに喧嘩などが起こったりもしますが、木屋町の真ん中には24時間人がいる交番もありますし、定期的なパトロールもあったりするので、危険な目に遭う可能性も少ないと思います。
旅行者の方は、京都の違った一面も見れると思いますので、興味がれば是非、行ってみてください。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第51回 ソクラテスが生きた時代(1) 後編

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人類の文明発祥の地

この場所には、チグリス・ユーフラテス川や、エジプトのナイル川などが有り、定期的に川が反乱する事を活かして、かなり早い段階で農作物を育てるという文化が生まれるんです。
動物を追いかけて狩りをするとか、その辺に成っている木の実や果物をとって食べる狩猟採集生活の場合は、一箇所に定住しないので、人口も増えませんし、文化も生まれにくいんです。
何故、人口も増えないし文化も生まれないのかというと、わかりやすく極端な例で考えてみますと…

10人の部族と1000人からなる部族があった場合、10人分の食事を狩猟と採集で賄うのは、それほど難しいことではないでしょうが、1000人分の食料を確保するのは難しいですよね。
1000人の胃袋を満たす為に動物を狩り続けると、その一体の動物が絶滅してしまう可能性もありますし、移動しながら生活をする場合でも、取り尽くした獣が再び繁殖して狩りが可能になるまでには数年かかるでしょうから…
それを考慮すると、とてつもなく広大な範囲を移動し続けなければならない事になってしまいます。

どちらの方が有利で生き残りやすいのかというと、少数の方が有利ですし、常に動き続けるというハードな生活では、長生きする事も難しいですよね。
結果として、狩猟採集生活では少数で生活するということになるのですが、少数で生活すると、発明品というのも生まれにくいんです。
何故かというと、これは今現在の私達の生活を観ても同じなのですが、例えば、何か問題があった際に、それを解決できるようなものを発明しようとした場合、ピンポイントで狙いすましたように目的のものを作れることってのは、少ないんです。

大抵の場合は、研究が行き詰まったり、よくわからない失敗作が生まれたりするわけですが…
多くの場合は、その失敗経験や、それによって生まれた失敗作を他の人間が観た時に、その失敗を別のアイデアとして活かすことで、思ってもいなかったものが生み出されるんです。

例えば、この例は失敗作から新たなものが生まれたというのには当てはまらなんですけれども…
私は緑内障にかかっているのですが、その進行を止める薬には、毛が伸びるという副作用があります。 その為、目薬をさした後は顔を洗わなければ、まつ毛がどんどん伸びてしまうのですが、この副作用に注目すれば、毛生え薬が出来たりします。
この様な感じで、特定の問題を解消する為にアクションを起こした結果、思ってもみないモノが生み出されるわけですが、その活用方法は、生み出した本人には分からなかったりするのですが…
それを他の人が観た場合に、活用方法が分かったり、その失敗がヒントに成って、、全く別のものが生まれるというケースは、かなり多いんです。

この様に、アクションを起こして生み出したものが、他の人間のアイデアを刺激して、別のものを生み出すわけですから、発明を周りで見ている人が多ければ多い程、多くのものが生み出される可能性が高くなりますし、シナジー効果も高まります。
つまり、互いに刺激し合いやすくなるということですね。
文化というのは発明の連続なわけですから、文化を生み出して発展させる為には、限られた範囲内にできるだけ多くの人間が存在していることが重要になってきます。
先程も言いましたが、狩猟採集生活では、人口を増やすことが困難なので、文化も生まれにくいわけですが、農耕の発明によって、人間が一箇所に定住することが可能になるんです。

肥沃な三日月地帯

その、農耕が始まった一番最初の場所というのが、メソポタミアの『肥沃な三日月地帯』と呼ばれる場所だったんです。
今の地図での場所をもう一度いいますと、イラン・イラク・シリア・エジプトにまたがる地域で、アラビア半島を、上側が膨らんでいる三日月状の形をしたもので蓋をするようなイメージを思い浮かべてもらえれば良いです。
この地域は、先程も少し言いましたが、ナイル川チグリス・ユーフラテス川が定期的に反乱して、農作物の養分になるものを運んできてくれる為、農耕をするのに適した土地でした。

また、それだけではなく、人間の食べ物となる植物や利用しやすい動物が多かった事も、関係しているようです。
植物というのは、かなりの種類があるわけですが、人間は、それらを全て食料にする事は出来ませんよね。 例えば、牛が食べるような草を、人間が同じ様に食べられるのかというと、食べられません。
多くの植物が生えているような土地だったとしても、人間が食べられるような植物が多く生息していなければ、人はその土地に定着しようとは思わないのですが、この『肥沃な三日月地帯』には、かなりの種類の人間が食べられる植物が生息していたようです。

また、この地域は、地形も農耕をするのに有利に働いたようです。
南の方は砂漠地帯なのですが、北の方には山岳地帯が有り、標高が高くなっていく地形になっているようです。 標高が100メートル高くなると気温が1度下がるなんて言われていますが…
標高が徐々に高くなる事で、同じ様に種を撒いたとしても、標高の高いところほど収穫が遅く、刈り取り時期がズレていくらしいので、収穫できる期間が長くなる様なんですね。
収穫時期が短いと、その短い期間にピンポイントで台風などの災害が来たりして被害が出ると、食料が獲得できませんが、収穫時期が長くなると、それだけ、安定して食料が得られる様になる為、生活の安定性が増します。

その他には、生息している動物も関係していたようです。 例えば、馬や牛といった、今でも家畜として利用されている動物がいますけれども、あの動物は、他の動物で代用できるのかというと、そうでもないそうなんです。
例えば、乗り物として使える馬ですが、他の動物で代用できるのかというと、そうでもないようなんです。
馬に似た形をしている動物にシマウマがいますが、シマウマは馬の代わりにはならないようです。 というのもシマウマは、種としての特徴として、気性が荒いそうなんです。

馬の中にも気性の荒い個体はいますが、馬の中で気性が荒いものと、シマウマの中で比較的温和な性格のものを比べた場合、シマウマの方が気性が荒かったりするそうなんです。
その為、騎乗動物として扱えないようなんです。 牛も同じで、あの様な体格の動物なら、どんな動物でも、農作業の手伝いなどが出来るのか。
例えば、水牛やサイやカバのような動物でも、同じ様に農作業の手伝いをさせられるのかというと、そんな事は無いようです。
人間が利用しやすく、扱いやすい性格などの特性を備えている動物が沢山いるというのも、人間がその地域に定着しやすくする要因の一つのようです。

ここら辺の詳しい考察については、ジャレッド・ダイアモンドという方が書かれている『銃・病原菌・鉄』という本に書かれていますので、興味のある方は読んでみてください。
今回は、人間の文明に地形や生態系がどの様に関係していたのかだけを取り出して話しましたが、この他にも、病原菌や鉄の発明がどの様な影響を与えたのかを考察されているので、勉強になりますし、面白いです。

話を戻すと、この様な感じで、人間が定着しやすい環境が整い過ぎていたのが『肥沃な三日月地帯』で、この土地ではシューメール文明や楔形文字などの多くの文化が生み出されましたし、また、この土地の覇権を狙った勢力同士の戦争が数多く繰り広げられました。
その最終的な覇者となったのが、当時のペルシャ帝国だったわけです。 
ギリシャの文化も、大本は、エジプトで生まれた面積の計算法や、イオニア地方で生まれた哲学が発展したものに過ぎないので、ペルシャ川から見れば、属国という扱いだたのかもしれません。
ペルシャは、力関係を再認識させる為に、ギリシャに対して何度も戦争を仕掛け、ギリシャはその侵攻に対して迎え撃つ事になります。

ギリシャも一枚岩ではない

これだけを聴くと、ギリシャは外敵、主にペルシャから頻繁に攻め込まれていて、ギリシャはその度に団結していたという印象を持たれる方も多いかもしれませんが… 実際には、そんな事もなかったようです。
というのも、ギリシャという地域は、それぞれの都市国家であるポリスが独自で自治をするという形式だったのですが、統治の仕方が、それぞれのポリスでかなり違ったんです。

その為、ギリシャ内で、ポリス同士の覇権争いからの戦争も起こっていたりもしたので、短い間隔で戦争が繰り広げられていたようです。
これからメインで話すことになるソクラテスも、議論好きの学者というイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、3回程、戦争に行ってますし、皆が怯えて縮こまっている中で、堂々とした態度でシンガリを努めて無事に生還してきたという武勇伝を持っていたりもするんですが…
このあたりの事は、次回に話したいと思います。
(つづく)

死にゲーで有名なダークソウルを今更プレイしてみた ~DARK SOULS 2

先日のことですが、steam を立ち上げると、ダークソウルシリーズのセールが行われていたので、衝動的に、2と3を購入してみました。
私はダークソウルシリーズは未経験者なのですが、以前にPSplus加入者に向けて配布されたブラッドボーンが思いのほか面白く、死にゲーというのに少し興味を持ち始めていたんですよね。
そんなわけで、PS store でセールになるのを定期的に確認していたのですが…

根強い人気が有るソフトだからか、中々セールにならない。
そんな中、『セールが安い』事で有名なsteamでダークソウルシリーズの大幅割引セールが行われていたので、思わず購入してしまったというわけです。
年末にパソコンを購入した際に、steamポイントを1万ポイントほど貰って持て余していた状態でもありましたしね。
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それにしても、75%オフって凄いですね。
PSストアでも最大85%オフのセールが開催されることはありますが、人気の高い商品は30%オフが良いところ。
発売から何年も経つ海外のAAAとかだと、50%を超えるような大幅値引きもありますが、基本的には値下げがショボい中で、欲しい商品が75%オフは大変嬉しい。

2と3の本編とDLCを全部購入して4800円程度という事で、長期的にゲームをするならPC買うほうが良いという噂は、本当のようです。
特に私のように、1つの作品に集中するわけではなく、1度クリアーしたら次のゲームに興味が移るような人間は、尚更ですね。

簡単なゲーム説明

基本的には、主人公を後ろから見る感じの視点でのアクションゲームです。
無双ゲーの様に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、難易度が全く違います。 基本的に複数体に囲まれたら勝ち目が無い為、常に1対1の状況を作り出すように立ち回りをしなければなりません。

攻撃や回避などの全てのアクションでスタミナゲージを消費し、スタミナが切れれば何もできなくなります。 この状態でガードを固めていると、敵からの攻撃を受けた際に盾を吹き飛ばされて致命的なスキができてしまいます。
敵を倒すとソウルを得ますが、このソウルを一定数ためて拠点に持ち帰ると、ソウルを消費してレベルアップしたり、ソウルでアイテム購入をしたり武器の強化や修理をしたりする事が出来ます。
つまり、このゲームに置いてはソウルが全てなのですが、仮に道中で倒れてしまうと、このソウルを全て、その場に落としてゼロからやり直しとなります。

落としたソウルは、一度も倒れずに前に倒れた場所まで行くことが出来れば回収することが可能ですが、一度でも倒れてしまうと、そのソウルは消えて、今現在持っているソウルをその場に全て落とします。


はじめてのダークソウルシリーズ

フロム・ソフトウェアの死にゲーですが、先程も書き巻いたが、私はブラッドボーンをクリアー済です。
プレイヤースキル不足からか、DLCの攻略は途中で放置している状態ですが、本編の方は普通にクリアーしましたし、ラスボスも初見撃破出来た実力を持ってます。(クリアレベルは100近かったですが)
つまり、ダークソウルシリーズが始めただからといって、チュートリアルである前半部分で死にまくるはずがない!

そう思っていた時期が、私にもありました…

いざプレイしてみると、基本的な操作は同じなのですが、ブラッドボーンとは勝手が違い過ぎる。最大の違いは、盾の有無と回避行動です。
ブラッドボーンの場合は、敵をロックオンした場合は回避行動がステップに変わり、ステップ後に即座に攻撃することが可能です。
ステップやローリングなどの回避行動に必要なスタミナは少なく、連続で回避してもスタミナ不足に陥ることはありません。

何故、ここまで回避行動が行いやすいようになっているかというと、ブラッドボーンは基本的に紙装甲の服しか着れない上に、盾もない。
つまり、身を守るための手段が無いのです。 ですが、ブラッドボーンにはリゲインというシステムが有り、自分がダメージを食らっても一定時間の間に反撃をして返り値を浴びれば、体力が回復したりするのです。
その為、敵の攻撃をタイミングよく回避したり、相打ち覚悟で攻撃するといった責めの姿勢が求められるゲームです。

一方でダークソウルはというと、服・軽装鎧・重装鎧と装備自体が分かれています。
それぞれに装備重量があり、自分の体力によって、装備できる防具の重量が変わります。 装備可能重量の70%を超えてしまうと、ローリング性能が極端に落ちてしまう為に、それ以下の重量の装備を使うか、体力を増やす必要性が出てきます。
基本的には、思い装備の方が防御面で優れている場合が多く、重装でガチガチに固めれば、かなりのダメージをカットすることが可能です。
また、重量の高い武器は強靭さも備えており、強靭さが高くなると攻撃を食らった際に怯みにくくなり、攻撃を受けながらローリングで距離を稼ぐといった事も可能になります。

身に着ける防具だけではなく、盾にも小盾・中盾・大盾があり、大きくなれば大きくなるほど、強烈な攻撃を防御できるようになります。
つまり、体力に振ってガチガチに固めれば、攻撃を食らっても死ににくくなるというわけです。

一方で軽装はというと、防御面では紙に過ぎないわけですが、その分身軽なので、低体力でもローリングモーションに支障が出ない。大掛かりな金属鎧ではない為、歩いても音が出ない為、後ろからこっそり近づいて攻撃なんてことも出来てしまう。
小盾はというと、防御カット率が低く防御面では頼りがないですが、パリィ性能が良く、敵のスキを生み出しやすいという特徴があります。

どちらが良いかは人それぞれで、装備に必要な文だけ体力を伸ばしていくという自由度が有るのが、ダークソウルだったりします。

この様に、防御面の配慮がされている為か、ダークソウルでは回避行動に必要なスタミナ量がかなり多い印象です。
4回ぐらい連続でローリングをすればスタミナが切れてしまう。 また、盾での防御にもスタミナを消費する上、盾を構えている間はスタミナがほとんど回復しないという仕様なので、盾を構え続けて様子を見るということも出来ない。
ブラッドボーン以上に、スタミナ管理に気をつけなければならないシステムになっていたりします。

微妙な差と思われるかもしれませんが、この僅かな差によって、最初の間は死にまくるという状態になっていました。

作品の雰囲気

ブラッドボーンが、最初のステージを除くと暗い場所ばかりなのに対し、ダークソウルは拠点となるマドゥーラの夕焼けがきれいで良い感じ。
マドゥーラ以外にも太陽を拝める場所が結構あり、そこに所々に残されている他のユーザーのメッセージを読むと『太陽バンザイ!』と書かれていたりと、みんな陽の光が好きな様子。
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ブラッドボーンがクトゥルフ神話をモチーフにしているのに対し、こちらは北欧神話が元になってるようですが、何方も共通しているのが、廃墟で気持ち悪いはずなのに、どことなく見とれてしまう風景を作り出しているところでしょうか。
これは敵も同じで、出てくる敵はゾンビ的なものなのですが、どことなく造形美が感じられたりして、それ程、嫌悪感を抱かないデザインになっているのが、個人的には好みです。
初見殺しが結構多く、突っ込むとやられてしまう可能性が高い為、最初は恐る恐る進んでいかないといけないという所も、共通している点ですね。

ただ、ストーリーが全くわからない為に、雰囲気ゲーになっている感じも否めませんが。
雰囲気だけで、ここまで面白いものが作れるというのは、それはそれで凄い事だとも思いますけれども。
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やってみた感想

感想を簡単にいうと、面白かったです。
私は対人戦は好みではなかったので、常にオフラインでやってましたが(このゲームは基本、1人用だが、他人のマップに入り込んで他のプレイヤーと戦ったり、助けたりする事が出来る)、オンライン要素を抜きにしても十分に楽しむことが出来ました。

難易度も、本編は丁度よいぐらいではなかったでしょうか。
私も死にまくりはしましたが、なんだかんだで挫折すること無くクリアーは出来ましたし、本編のエンディングまでの作りは、一般人を意識した感じで作られている印象でした。

ただ、これがDLCになると話が変わってきます。
これはブラッドボーンでも同じなのですが、DLCの難易度は狂ってるレベルで難しい・・・

1体1でも辛いボス戦なのに、ボスが増援を召喚してきて多体1を強制されたりと、かなり辛い。
レベルを上げたり武器を変えたり、立ち回りを考えたりといった感じで挑戦するという楽しみ方を提供しているのでしょうが、それでも難しすぎる印象を抱きました。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第51回 ソクラテスが生きた時代(1) 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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前回はこちら
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古代ギリシャとは

前回までで、ソクラテスが何故、物事の根本的な事を探り、解明しようとしたのかを、簡単に紹介していきました。
ただ、前回の説明では、ソクラテスが生きていた時代や環境の説明などをしていないので、分かりにくかったかもしれません。
ということで今回は、前回の補足ということで、古代ギリシャが当時、どの様な状態だったのかも踏まえた形で、ソクラテスがどの様な考えに至ったのかを話していこうと思います。

古代ギリシャは、ポリスと呼ばれる都市国家に分かれていて、それぞれのポリスが領土を治めるという形で存在していました。
想像しやすいように他のものに例えると、ヨーロッパや戦国時代の日本のような感じでしょうかね。 歴史に詳しい方にとっては、例えが乱暴に思えるかもしれませんけれども…
この説明にツッコミを入れれるような方には細かい説明は必要がないと想うので、そのような方は聞き流してください。 歴史に詳しくない方については、そのようなものだという理解で良いと思います。

ヨーロッパは、ヨーロッパという国があるわけではなく、その地域の中に多くの国が入っていて、それぞれの国が自治をしていますよね。
日本の戦国時代は、日本という一つの国を、地域ごとに、それを治める武将がいて、自治を行っていましたよね。

その様な感じで古代ギリシャも、ギリシャの中に多くのポリスが存在し、自治を行っていました。
有名なポリスを上げると、アレクサンダー大王マケドニアとか、アテナイやスパルタ等ですね。
当時のギリシャは、東にある大国のペルシャ、今で言うイランから攻め込まれて、大きな戦争が何度も起こっていました。

ギリシャペルシャの関係

有名な戦争を挙げると、まず、マラトンの戦い。
この戦いは、ギリシャバルカン半島の東の対岸、今の国で言うトルコに当たる場所に、イオニア。以前に、イオニア自然学の話をしたと思いますが、そのイオニアですね。その地域のギリシャ人植民市がペルシャの支配に不満を持って、反乱を起こすんです。
この鎮圧をするために、ダレイオス1世が兵を出すんですが、そこにギリシャのポリスの1つ、アテナイが介入した事で、鎮圧軍を遠征させてギリシャにまで進軍させます。これを、アテナイが主導する形で迎え撃ち、見事に迎撃に成功する戦いです。
この戦いに勝った際に、現場の情報をアテナイにいる上層部に伝える為に、使者が休みなく走って情報を伝えて息絶えたという事が有り、その使者が走った距離が42.195キロだったから、マラソンという競技が生まれたなんて話もありますよね。

ただ、このペルシャの進行というのは、この撃退で終わることはなく、ダレイオス1世の息子のクルセクルスが、再び軍隊を組織して攻めてきます。
ですが、この時は、ギリシャは丁度、お祭りであるオリンピックの開催時期と重なっていて、神々に捧げる祭りをとり行っている時に、争い事はしてはいけないという決まりから、軍隊を出すことが出来ません。
しかしペルシャ側には、そんな事情は関係がありません。 ギリシャのスパルタに向かって進行していき、当時のスパルタの王であるレオニダスは、迎え撃つ為の軍隊を出す許可を、神の言葉を聞く神託官。エフォロイという職業の人たちに対して求めます。

当時の古代ギリシャは、オリュンポスの神々が人間よりも上の存在としていて、その神々の言葉を聞くエフォロイ抜きで、王が独断で決定を下す事は出来なかったようなんです。
しかし、いくら神々が重要で、その言葉を聞くエフォロイの言葉が重いとはいっても、現実問題として、ペルシャの侵略軍は進行してきているので、なんとかしなければ、民を守ることが出来ません。
そこで、レオニダス王は、選りすぐりの戦士300人だけを連れて、片一方が崖で、反対側が絶壁の山になっている一本道で待ち伏せするという戦略に出ます。

これが、『テルモピュライの戦い』と呼ばれる戦争で、スリーハンドレッドというタイトルで映画化もされていたりします。
この様な感じで、当時のギリシャは大国のペルシャから攻め込まれるという事が4回ぐらいあったんです。

ペルシャは何故 攻めてくるのか

何故、ペルシャが進行してきたのかはわからないのですが、私の勝手な思い込みとしましては、古代では国を成立させる上で、戦争というのが重要な役割を負っていたからかもしれません。
もう一度いっておきますが、今から話す事は私の妄想を多量に含んでいるので、鵜呑みにしないようにしてくださいね。 気になったら、自分で調べてみてください。

ペルシャに限らず、複数の部族が密集していて文化を作っているところでは、覇権争いから戦争が絶えない事が多いです。
そして、戦争によって相手を打ち負かした場合は、その国の人間を奴隷にして、生活するのに必要な労働を任せていく。 この行為を続けていくと、経済を拡大させる奴隷が必要になり、奴隷を獲得するために戦争が必要になります。
ペルシャという帝国は、古代の世界で最も重要とされた地域の覇権争いを勝ち残った帝国で、この地域を統一した後も、戦争によるサイクルを止める事が出来なかった為、外側の世界を目指したのかもしれません。

その他には、ユーラシア大陸の西側は、元はペルシャ帝国があった場所から文明が始まったので、その周辺国は、元々は自分たちの支配下にあった者達が、外側にいって開拓しただけなので、間接的には自分たちが支配者だという思いもあったのかもしれないです。
くどいようですが、この辺りは憶測で喋ってるだけですので、興味のある方はご自身で調べてみてくださいね。
先程の説明で、『古代の世界で最も重要な地域』とか『外側の世界』といった言葉を、説明なしに唐突に出した為に、混乱されている方もいらっしゃるかもしれませんので、本題からは外れますが、この部分についてもう少し詳しく話していきます。

ミトコンドリア・イブ

人類の最初期から振り返ってみると、人類のルーツを探るために、細胞の中にあるミトコンドリアのルーツを辿っていくと、アフリカの女性に行き着くという話がありますよね。
この女性の事を、聖書になぞらえてミトコンドリア・イブなんて言ったりするそうですが、アフリカで生まれた人類の祖先が、アラビア半島を経由して世界全土に広がったという説があります。
人類は、最初は全員アフリカ人だった為、当然ですが、みんな黒人でしたので、太陽光の強い地域でしか暮らせなかったそうです。

というのも、人間は太陽光を浴びる事でビタミンDを作るわけですが、紫外線が強すぎると、細胞が破壊されたり火傷を負ってしまったりする。 だから、紫外線から身を守るために、色素を出してバリアを張っているのですが…
太陽光の強い、赤道近辺であれば、皮膚のバリアとビタミンの製造のバランスが取れて丁度良いのですが、北の方に行き過ぎると太陽光が弱くなる為に、ビタミンが作れなくなって暮らせなくなるそうなんですね。

ただ、生物はアルビノの様に、色素を持たない突然変異体や、色素が薄い個体が一定の確率で生まれてきます。
色素が濃い黒人の場合は、皮膚の表面で太陽光を吸収してしまう為にビタミンを作る事が出来ない為、安定して暮らすことが出来ないのですが、色素が薄い人間は、皮膚で紫外線を吸収しない為に、弱い太陽光の元でも暮らすことが出来る。
逆に、紫外線を防ぐための皮膚のバリアがなかったり薄かったりするわけですから、太陽光線が強い場所では、火傷などを負ってしまう為に暮らしにくかったりするんですね。
こうして生まれた、色素の薄い黄色人種や白人が、より北上して太陽光が弱い地域で住むようになったという話があります。

この仮設については、『迷惑な進化』というタイトルの本で詳しく語られていたりもするので、興味のある方は読んでみてください。

この様な感じで、人類はアフリカから生まれて全世界に散らばっていくわけですが、この際に、アラビア半島を経由して広がっていくんですね。
そして、アラビア半島の北の部分には何があるのかというと、『肥沃な三日月地帯』と呼ばれる地域があるんです。
この地域は、今の地図でいうと、イラン・イラク・シリア・エジプトがある場所に広がっていた地域で、アラビア半島に蓋をするような感じで横たわっている地域です。
(つづく)
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頻繁にゲームをするならゲーミングPCがお得かも?

私は最近、ゲームも出来るスペックのPCを購入したのですが、こうした環境を整えて初めて気がついた事があります。
それは、ゲームを趣味として長期的に行うのであれば、据え置き機よりもPCの方が良いのではないか? という事です。

私が購入したPCについては、過去にブログを投稿していますので、興味のある方はそちらをお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

購入したPCの簡単なスペックとしては、こんな感じです。
CPU     Core i7-9700K
メモリ     16GB DDR4 SDRAM
グラフィックス GeForce RTX2080 8GB

最新のAAA作品でもストレス無く動くスペックで、これを書いている2019年3月の時点では、それなりのハイスペックのPCを購入しました。
購入理由はいろいろとありまして、ゲームの為だけに購入したわけではなかったのですが、ゲームをするのも目的の一つとなっていましたので、早速、PCゲーム販売で有名なsteamにアカウントをつくって、ゲームを購入してみました。

PCを購入したのが年末付近で、データ移行などいろいろとありましたので、落ち着いたのは1月ぐらい。
その時期には、丁度セールをやっていたので覗いてみると…

据え置き機のゲームと比べて安すぎる…

日本では、高スペックの据え置き機といえばPS一択の状態で、PSストアでも普通に『最大85%オフ!』みたいな派手な見出しをつけてセールをやっているのですが、85%まで下がっているのは、大抵が元々1000~2000円ぐらいで販売されているインディーズ作品だったりします
AAAのビッグタイトルは、10~20%引きが良いところ。
20%引きなら、パッケージ品をアマゾンで買えば21%引きで買える為、実質的にセールじゃないといっても過言じゃない。

パッケージの場合は、発売日に21%で買える上、数週間でクリアーして売りにいけば、人気作だと定価の40~50%で売却できる為、割引という点でいえば凄い率になったりします。
というか、データだけで、流通などに金がかかってなさそうなダウンロード版が定価に近い価格で長い間販売されていて、パッケージ品を回転させると実質3000円ぐらいでプレイできてしまうという現状は、何処か、システムに歪みを感じますけれども…

話が反れましたので軌道修正しますと、PSストアでの販売というのは、基本的には割引率は高くないというのが現状です。

それに比べてsteamのセールは、ハッキリ言ってヤバイです。

私が大好きなシリーズに、アサシンクリードというゲームが有るのですが、その最新作が、2018年の10月5日に発売されました。
それから約3ヶ月後の年末年始セールで、50%オフで販売されていました…

50%って、半額ですよ! 発売3ヶ月で半額ですよ! 厳密に言えば3ヶ月経たずに半額です!
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PSStoreなら、何年も立たないとこの価格にはらないでしょうし、仮に発売後すぐに大幅割引になるようなゲームは、相当売れていないハズレ作品の場合が多い。
しかし、アサクリシリーズといえば、発売後1年経ってても中古の買取価格が4000円とかの人気タイトル。
これが発売後80日程度で半額になるって、凄い事です。

アサクリ オリジンは、私は既にクリア済だった為、他のヴァージョンがどの様な割引率になっていたかはわかりませんが、仮に、DLC全部込のゴールドエディションが半額になっていたら、DLC価格も実質半額という事で、かなり大胆なセールといえるでしょう。

この大胆なセールは、steamに限ったことではなく、他のサイトでも行われたりします。
例えば、先程紹介したアサシンクリードシリーズをつくっているUBIソフトですが、公式サイトでは、今もセールが行われていたりします。
store.ubi.com

アサクリの最新作のオデッセイは、全てのバージョンが50%オフで販売されていましたが、その1年前に発売したオリジンの方は、既に70%オフとなっています。
DLC全部込みで3500円なので、Amazonで新品を21%オフで購入し、それを数週間でクリアーして速攻で売りに行った差額の値段よりも安い値段で、全部入りが購入できます。
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購入して速攻でクリアーして売却のパターンだと、ソフトが手元に残らない為、実質的には購入しているというよりも数週間のレンタルといえるわけですが、その収集感のレンタル費よりも安い値段で購入できてしまうって、凄い事ですよね。
この作品はオープンワールドで、紀元前90年代のエジプトをリアルに再現しているわけですが、手元に残すことで、いつでも古代エジプトの旅が出来たりします。

『1年前の作品だから、安いんでしょ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、AmazonでPCのパッケージ版の値段を観てみると、これを書いている時点で10800円で販売されています
それが、3500円ですよ。。

月額料金がかからない

PCゲームの場合、販売価格の時点で据え置き機と比べ物にならないぐらい安いのですが、もう一つ、据え置き機と大きな違いを書いておくと、月額料金がかからないという点です。
プレイステーションも3の時はオンラインサービスは無料でしたが、4になった段階で、オンラインサービスにお金がかかるようになりました。
この為、オンラインサービスが必須のゲームは、ゲーム価格に上乗せして、サブスクリプションする為の料金が上乗せされることになります。

プレイステーションの場合はPS plus への加入が必須で、1年で5000円程度が必要になります。

この流れは任天堂のSwitchなどにも派生して、今やゲーム専用機を購入してオンラインゲームをするだけで、毎月定額でお金がかかる時代になりました。
これらのサービスが始まった当初は、『今まで無料だたのに、何故、お金がかかるの?』という不満も出ていましたが、『サーバーメンテナンスに人手がかかるのに、無料で提供しろって、頭大丈夫ですか?』的な反論が多数出てきて、今では当然の事として受け入れられていますが…

PCでは、オンラインサービスは無料です。

FF14とかDQ10の様にソフト側で課金が必要なものもありますが、オンライン接続料のような形で徴収されることはありません。
つまり、年額で5000円程度は確実に節約することが出来るということです。

据え置き機に価値はないのか?

このようなことを書くと、ps+ や任天堂のオンラインプランに加入すると、フリープレイのゲームが貰えるし!
という反論も有ると思いますが、オンライン接続無料のPCでも、無料でゲームは貰えます。
steamでも貰えますし、Amazonプライム会員なら、Twitchプライムにも無料で加入できるので、そこで月に数本のゲームが貰えますし、Epic Game Storeに登録すれば、2週間毎に1本Gameが貰えます。

では、据え置き機を買うメリットは全く無いのかといえば、そんな事はなく、据え置き機を出しているメーカーが出している独占タイトルをプレイしたい場合は、据え置き機を買うしかありません。
PlayStationであればソニーが、Switchであれば任天堂が出しているゲームは、おそらくPC版は出ないでしょうから、これらがやりたい場合には、据え置き機は必須です。
ちなみにxboxの場合は、windowsを提供してるのが同じMicrosoftである為、PCでプレイできます。

まとめると、サードパーティが出しているマルチ展開をしているゲームだけをプレイしたいのであれば、長い目で見れば、PCを購入した方が良いかもしれません。
初期費用は高いですが、ソフトやオンライン接続料がかからない為、年間に買うゲームの本数が多い人程、特をする可能性があります。
また、ハイスペックなPCを買えば、ソフトが持っている能力を限界まで引き出せますので、現行の据え置き機やこれから出る次世代機以上のクオリティーでゲームが出来たりします。

ただ、ハード提供メーカーが出すような独占タイトルは出来ないという感じでしょうか。

サードパーティ製で独占タイトルというのは、EAという会社がマルチ展開した方が稼げることを証明してしまったようなので、今後は余程のことがない限り、出ないと思います。
独占タイトルに興味が無い方は、思い切ってPCをハイスペックなものにしてみるというのも、良いのではないでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第50回 『哲学の起こり』 絶対的な基準 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

何も知らない賢人

自分が賢いと思いこんでいた人達は、幸福とは何か、善とは何なのかという根本的なことに答える事ができません。
人の行動の起点になるのは、何を『善』と考えるのか、どの様な状態を『幸せ』だと捉えるのかという事ですが、多くの賢人と呼ばれた人が、『善』や『幸福』とはどの様な状態の事かというのを知りませんでした。
行動や、向かうべき未来に対しての、基準となるものが答えられないという事は、その人の主張そのものが、論理的ではないということを意味します。

多くの賢人と呼ばれた人達は、自分自身の無知を暴かれたことで、自分自身に失望するのではなく、それを暴いたソクラテスに敵意を持ち、憎むようになっていきます。
結果として、ソクラテスは多くの敵を作ってしまい、最終的には罪をでっち上げられて、裁判を起こされてしまうことになります。
裁判がどのように行われてのかについては、また、別の機会に取り扱う予定ですが… 『ソクラテスの弁明』という本で詳しく書かれているので、興味が有る方は、読んでみてください。
比較的読みやすく書かれていますし、この作品については同名のタイトルで漫画化されていたりもします。 この漫画も、1冊で完結する形で書かれているので、興味のある方は読んでみる事をオススメします。

話を戻すと、では何故、ソクラテスが疑問に感じた、根本的な疑問について尋ねられた時に、賢人と呼ばれた方々は、答えられなかったのでしょうか。
それは、先程も少し言いましたが、ソクラテスが疑問に持ち、この、根本的な理由について探求するまでは、誰も、根本的な理由について考えなかったからなんです。
というよりも、考えようという発想がなかったというべきなんでしょうかね…

知らないものを知った気になる人達

ソクラテスの時代に限らず、現代でもそうですが、多くの人々は、当たり前のように『常識』といった言葉を使いますが、そもそも、常識とは何なんでしょうか。
常識という言葉を深く考えて、自分なりの答えを見つけ出した上で、それでも『常識』という言葉を使っている人が、どれだけいるでしょうか。
『常識』というのは、自分の中にある『常識』しか認識することは出来ないので、これから先にも多々出てくる相対主義ではないですが…
それこそ、生きている人間の数だけ、常識というものが存在する為、言葉の意味を正しく理解している人間であればある程、この言葉は使いません。

しかし、多くの人が『常識』という言葉を口にするということは、確かめたわけでもないのに、この世には人々が持つ共通認識が有ると思いこんでいて、自分は、その常識を知った気になっているからです。
だから、自分の中にある価値観に反した動きを相手がすると、その行動に対して腹を立てて、『常識がないのか!』と怒鳴りつけたりします。
ですが、繰り返しになりますが、その常識という言葉を口にした人間は、その事柄が常識である事を、どの様にして知ったのでしょうか。確かめるために、統計でもとったのでしょうか。

もしかすると、自分が『常識』だと思い込んでいるだけで、自分の方が少数派かもしれない可能性が有るのに、それを確かめることすらせずに、『常識』という言葉を使ってしまう。
そして、この言葉の意味を考えた事がない人間ほど、この言葉を多用してしまう。
これと同じで、ソクラテス以前の人達というのは、『善』であるとか『勇気』であるとか『美しい 美』といった概念を、考えるまでもなく、説明するまでもなく知っていると思い込んで使用していたようです。
『善い』といった、誰でも知っていると思われている様な概念に対して、それ以上の説明を求められる事もなかったですから、考える必要もありませんでした。

みんなが、自分自身の中の価値観として持っている『善』であるとか『美』といった価値観を、人類の共通認識だと信じ込んでいれば、それだけで良かったんです。
そういった、人間の内側にある価値観は、議論するまでもなく分かっているものとして片付けて、人間の外側にある、世界や宇宙といったものを探求したり…
その他には、単純に議論に勝つ方法や、言いくるめる方法といったテクニックの開発。そして、そのテクニックを使う為の知識を身につける方法などが持て囃されていました。

対話と論争と詭弁

古代ギリシャには、ソフィストと呼ばれる、魂を磨く方法である『徳』を教えるという職業がありましたが、このソフィストには、そういったプラスの意味合いだけでなく、『詭弁家』といった悪い意味合いも含んでいました。
詭弁家というのは、分かりやすくいうと、こちらが質問をして、その質問に対して、相手がどの様な答えを行ったとしても、それを否定してマウントを取る方法のことです。
相手の意見を否定して、自分が有利な立場に立ち、その上で、テクニックによって、相手を説き伏せるという手法を、金銭をもらって人に教える人達のことです。

例えばですが、少し前に、ネットのコンテンツで、ペットとして飼うなら、犬が良いのか、それとも、犬に寄生しているような『ダニ』が良いのかといった事を、芸人の方と、弁論大会で上位入賞経験がある人とで討論するというのがありました。
芸人方が、ペットにするなら『犬』だと主張し、弁論大会経験者が、ペットにするなら『ダニ』だという主張で、討論をするという企画でした。
どの様な討論が行われたのかというのは、検索してもらえば出てきますし、興味の有る方は観てもらいたいのですが、結果から言えば、ダニ派の主張が勝ちました。

ここで使われるようなテクニックというのが、詭弁のテクニックです。 そして、詭弁の根底にある思想が、相対主義です。

例えば、『勉強をしようと思う人間は、賢い人間なのか、それとも無知なのか。』という問いは、相手がどのように答えようが、否定することが出来ます。
相手が、賢い人間だと答えたとしたら、『既に賢い人間というのは、知恵を身に着けている者のことをいうのです。しかし、勉強しようと思う人間は、知識が無いから、勉強をして知識を身に着けようとしているので、無知である。』と答えます。
逆に、相手が無知だと答えたとしたら『学校の先生が授業をしている時に、その授業から多くのことを身に着けようとする人間は、そうでない人間に比べて賢いのではないですか?』と返します。

どちらを答えたとしても、相手の主張を否定した上で、マウントを取ることが出来ます。
何故、この様な事が可能なのかというと、知識が有るという状態と無知の状態を、固定するのではなく、相対的に捉えているからです。

相対主義と絶対主義

例えば、38度の気温は暑いと思いますが、38度のお風呂はヌルいと感じます。

これは、温度を相対化しているから、同じ温度に対して2つの意見が出てくるわけですが、これを、善悪のような基準にも当てはめてしまったとしたら、どうでしょう。
育ってきた環境や文化によって考え方は変わるというふうにして、善悪の基準を、それぞれの人間の主観にゆだねてしまったとしたら、善悪の基準は、人口が70億人いれば70億通り存在することになります。
その様な環境で、『悪いことは止めましょう』と言っても、『悪い』という価値観に対する捉え方が70億通り有るわけですから、それは、何も主張していないことを意味します。

この様な相対主義に対抗する形で、ソクラテスは、『絶対主義』を掲げて、人々が持つ絶対的な価値観を解明しよう挑戦していきます。
ソクラテスが、徳というものについて、どのように考えて、解き明かそうとしたのか。 それは、次回以降で紹介していこうと思います。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

日本の半分は貧困層? 月給20万円の生活を考えてみた

先日、人手不足といわれている状態の中で、実際の労働者の状況は改善しているのかという感じのエントリーを書かせてもらいました。
kimniy8.hatenablog.com
この記事の家計の支出に対しての指摘を頂いたので、今回は、その部分を訂正しつつ、改めて、給与水準を中心にした経済を考えていこうと思います。
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月給20万円の生活

まず、前回の記事で書いた、20万円の給料をもらった人の支出の内訳を、もう一度、まとめて書いてみましょう。
何故20万円かというと、求人情報を取り扱う媒体で提示されてる金額が、だいたい20万円周辺だからです。
逆にいえば、業界未経験者なのにも関わらず、手取りで30万以上を提示できるような会社は、そんな媒体に求人情報を出して人を募集しなくても、勝手に集まるということでしょう。
特に、ハローワークIndeedの様に、無料掲載を謳っている媒体のみで求人をかけているところは、『人手不足だけれども、求人にお金をかけたくない!』という会社なので、求人内容もフルタイムで16~20万ぐらいになるのでしょう。

余談が入りましたが気を取り直しまして、給料20万円の人は、手元にどれぐらい残すことが出来るのかを改めて考えていきます。

まず、働いたら絶対に納めなくてはならない…というか、天引きで勝手に引かれていくものとして、税金があります。
給料20万の場合で、年間に支払う所得税と住民税が約13万なので、月にして約1万程度引かれます。

次に、これまた社会人の場合は入ることが強制される社会保険料ですが、この金額が月に約2万程度。
ですが、多くの会社が社員と会社で折半で支払うことにしている為、自己負担分は約1万円。

次に、生活費ですが、一人暮らしをする前提で1DKの部屋を借りると、家賃で約6万円で、水道光熱費が1.3万円。
食費を1食あたり約500円として、1ヶ月で約4.5円。

これら全てを足し合わせるとどうなるかというと…

所得税・住民税   1万
社会保険料     1万
家賃・水道光熱 7.3万
食費      4.5万 

合計     13.8円 となりました。

しかし、この計算を公表した所、『厚生年金』と『雇用保険』が抜けていることを指摘されましたので、この金額に更に足し合わせなければなりません。
厚生年金は、標準報酬月額×8.914%ということなので、17,828円となります。 面倒くさいので、1.8万円としておきましょう。
雇用保険は、計算サイトが合ったのでそちらで計算をした所、個人負担は600円という事が分かりました。
keisan.casio.jp

あと、その他には、まだまだ大半の人が強制加入させられて支払わなければならない状態になっている、NHK受信料も入れてみましょうか。
NHK受信料は、衛生契約抜きで地上波契約のみで行うのであれば、月々1260円となります。 先程の雇用保険の自己負担分と合わせて、0.2万円としておきましょう
すると、厚生年金と合わせた金額が2万円になりますので、これを、先程の合計に当てはめると…

合計金額 15.8万円!

これを、月の給与20万円から差し引くと
残金 4.2万円!!!
・・・

自由になるのは月に4万円

別に豪遊しているわけでもない。 後先考えずに金を使っているわけでもない。
労働者である限り、絶対に支払わなければならないお金と、人間として最低限の生活をおくるために必要なお金を差し引くと、月に4万しか残らないのが、月に20万円の生活です。
月に4万円ということは、あらゆる欲望を断ち、一切、余計なものにお金を使わずに全額貯金をしたとしても、年間で50万円の貯金が出来ないという額です。

日本では、民間の医療保険個人年金を、それぞれ年間10万円まで所得から控除することが出来ますが、仮に、それぞれ月に1万円づつ入ったとした場合、月に使える金額は2万円となります。
この他に、現代の生活では必須と思われる、wifiが使える固定回線と携帯電話料金を差し引くと、手元に残るのは、わずか1万円・・・
勉強の片手間にバイトしている、そこら辺の高校生の方が金持ちなんじゃないか?って感じの生活水準です。

若者の○○離れ

この現状を見てみれば分かりますよね。
最近の若者は、付き合いが悪くて会社の飲み会に参加しない? 呑みニケーションでコミュニケーション?
自由になる金が月に1万しか無いのに、何故、特に面白くない、先に生まれてバブルの残り香が漂う中を迫る氷河期から逃げ切って滑り込んで会社に入っただけが取り柄のオッサンと酒を呑む為に、5000円も払って呑み会に参加しなきゃいけないの?
5000円ていったら、月に自由に使えるお金の半分ですよ? 1日8時間、月に20日の160時間も働いてやっと手にしたお金。その中の自由に使える金の50%も使って、何故、オッサンの説教や自慢話を、金を払って聞かなきゃ駄目なの?
普通、断りますよね。

単純な飲酒にしてもそうですよね。 1缶200円前後するビールなんて、高くて買えたもんじゃない。
1日1缶。 休みの日は奮発して2缶呑もうと思うと、それだけで8000円近くかかってしまいます。
これでは、仕事のストレスを発散する為にビールを呑むのか、ビールを呑む為に働いているのか分かったもんじゃありません。 アルコール度数9%のストロング系が流行る理由が分かりますよね。
www.meti.go.jp

最近の若者は、車を買わない?
月に1万しか自由に使えないのに、どうやって車買うんですかね?
仮に車を買ったとしても、ガソリンを1回入れただけで自由に使える金の大半が飛んでいきますし、駐車場代や保険料を入れたら借金しないと生きていけないですが?
車を買って欲しいのであれば、車会社は、下請け相手のダンピングの強要を止めれば良いんじゃないですかね? 下請け会社の社員の給料が手取りで35万になれば、黙ってても車買いますよ。

若者の『服』離れ?
blog.esuteru.com
Tシャツ1枚で自由になる金が全部吹き飛ぶようなブランドの商品なんか、この給料で買えるわけがありません。
洋服なんて、同じ服を5年着たとしても死ぬわけじゃないんだから、一番最初にケチるでしょう。 買う場合でも、絶対値としての値段が安いGUなどの人気が高いのは、理解できますよね。

当然、読んだだけではオシャレにもならないしモテるわけでもない、ファッション誌なんて買うはずありません。
ファッション誌を買う金を、服を買う金に当てる方がまだマシです。 インスタで、GUなんかをオシャレに着こなす人を探してフォローする方が賢いといえるでしょう。

年収300万未満は貧困層

年収300万未満は貧困層といわれているようですが、年収300万貰おうと思ったら、月の給料は25万円貰わないといけない訳ですが、求人募集を観てみると、それ以下の募集がゴロゴロしているのが現状だったりします。
togetter.com

何故、貧困層と呼ばれるかは、この記事を読んでもらえれば分かりますよね。 無駄なことに一切カネを使わない状態で、自由になる金が月に1万しか無いのが、月給20万の生活です。
おそらく多くの人が、これほどの禁欲生活は出来ないでしょう。 給料の額面の金額が5万増えたとしても、豪遊できるのかといえば出来ない。 ギリギリの生活には変わりがないわけです。

仮に、結婚なんてことを考えた場合は、生活に関わる金が更に増えるわけですから、共働き世代が増加している現状も、納得ができます。
配偶者の扶養から外れてしまえば、各種税金の支払いなどで結果として出費が増えてしまう為、労働時間が増える割に生活は楽にはならない。 だから、扶養から外れない為のギリギリの金額に収入をセーブする。
子供ができた場合などは、子供の方に手が取られるわけですから、尚更です。

散財しているわけでもない。 むしろ、禁欲的な生活をしていてもギリギリの生活。 それが年収300万以下で、ほぼ貧困層と呼ばれても何ら不思議ではありません。
こんな人達が増えているわけですから、日本人の3割が貯蓄ゼロといわれても、何の不思議もありません。むしろ、貯蓄できてるほうが凄いと思いますよ。

今の状態を生き抜くには

前のエントリーでも書かせてもらいましたが、日本はピラミッドの上層部がお金を貯め込む性質である為、それが一般まで回ってくることはないでしょう。
kimniy8.hatenablog.com

その為、日本以外の中国や韓国やアジア諸国の給料が日本を追い抜いて、日本から人材流出でも起こってしまわない限りは、末端の給料が上がることはないと思います。
では、この日本で生き抜く為には、どうすれば良いのかというと、日々の選択において、一番の優先事項を、『金のかからない事』にするしか無いと思います。
自分が地方に住んでいて、地元企業と東京の企業で迷っているのであれば、迷わず、実家から通える地元企業を選ぶべきです。

実家であれば、優しい親であれば『家賃や食費入れなくて良い』と言ってくれるかもしれません。 もし、言ってくれたとしたら、『一人生活をしてたつもり貯金』として、差額分で貯蓄を貯めるというのも一つの手でしょう。
一定金額を入れなければならない場合も、本当に一人暮らしをするよりかは少ない出費で済むかもしれません。
この様な状態を作るためにも、家族の中が険悪にならない日々の努力も必要になってくるかもしれません。 頼れる身近な人達を大切にする日々の努力が、案外、一番の保険になるかもしれません。

テレビなどを観ると、『日本凄い系』番組が受けていたりしますが、実際に家電量販店に足を運んでみると、日本製品が見当たらなかったりするのが現状です。
こんな斜陽な状態で、企業が国民のことを考えて待遇を改善してくれるわけ無いですし、そこと癒着してる政治家が何とかしてくれるわけもないでしょう。
なんせ、給料の中央値が下がりまくって3人に1人が貯金ゼロの現状が、戦後最長の好景気ですからね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第50回 『哲学の起こり』 絶対的な基準 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

前回までの科学回まとめ

前回までの話しでは、ソクラテスが何故、徳、またはアレテーと呼ばれるものの存在に拘ったのかについて、その理由を語っていきました。
数回に渡って話しましたので、それを全て振り返って話してしまうと、まるまる1回使うことになってしまうので、簡単にまとめると…

神という存在を中心にして世界を説明する神話も、神々という存在を排除した形で世界を説明しようとする自然学や、そこから派生した物理学も、結局の所は、決定論的な考え方です。
宗教の場合は、神という、全知全能の基準となる存在によって世界の命運は決定することになりますし、物理学の場合も、物理法則によって、過去も未来も決定していることになります。

決定論とは、この世で起こる出来事は全て必然で、物事が起こった際には、ある法則に従って、決まった結果が引き起こされるという考え方です。
そして、決まった結果は、新たな起点、きっかけとなって、同じ様に法則に従って、次の、決まった結果を引き起こしていく。
この様に、法則によって決まった結果が引き起こされて、それが次の起点になって… という連鎖によって、この宇宙は出来ているという考え方が、決定論です。

決まった結果を導き出す法則というのが、物理法則だとすれば、それは物理学的な考え方になりますし…
神という存在によって、決まった結果が導き出されるとするならば、それは、宗教になります。

法則と神

例えば、数年前に、社会現象を引き起こした『魔法少女まどか☆マギカ』という作品があります。これから、この作品のネタバレをするので、まだ観てない方は、この部分を飛ばしてくださいね。
いいでしょうか。

この『魔法少女まどか☆マギカ』という作品では、そのタイトル通り、魔法少女という存在が出てくるのですが、この存在は、インキュベーターと呼ばれる存在が、少女の夢を叶えることで、その代償として、少女が魔法少女となります。
魔法少女となった少女は、新たに得た力をを使って、魔女と呼ばれる災と、命をかけて戦うわけですが、魔法少女は、力を使えば使うほど、心に闇を抱えていくようになり、最終的には、魔女へと変化します。
主人公の『まどか』は、この不幸な連鎖を断ち切るために、全ての時空と平行世界に存在する魔法少女を救いたいという願いを、インキュベーターに告げることで、最強の魔法少女となるわけですが…

この時の『まどか』の状態が、法則であったり、神といった存在で語られています。
現在・過去・未来の全ての場所と、可能性の数だけ存在する全ての平行世界に同時に存在しながら、救済される魔法少女以外には誰にも観測されない存在は、円環の理という法則とも言えますが、『女神まどか』の誕生とも言えます。
この存在の誕生によって、魔法少女の成れの果ては、『まどか』の救済という形で固定される事になります。

どの様な形であれ、宇宙の流れというものが決定論によって固定されているのであれば、そもそも、人間は悩む必要も考える必要もなく、自由な意思を持っている必要すらも無い事になります。
そして、神であれ、物理法則であれ、何らかの外側の力によって、成るようにしかならない人生を、機械的に歩んでゆくことになります。
しかし、物事は本当に、そのような形で決定しているのでしょうか。

科学者は宇宙の成り立ちを、まるで自分の目で観てきたかの様に語りますが、実際には、その主張が正しいのかどうかを確かめる術はありません。
宗教家は、宇宙の成り立ち等、全ての事を神の御業だと言いますが、神の存在を確認したことはなく、存在を疑うことすらを禁じて、盲信しています。

ここで、一応、注意として言っておきますと、ソクラテスの主張から始まった、ここ数回の科学批判というのは、別に、科学技術全般を否定しているわけではありません。
今もそうですし、ソクラテスが生きていた2000年以上前もそうですが、家を建てるなど、生活の役に立つ技術や法則そのものを否定して、全てにおいて『役に立たない』と言っているわけではありません。
ただ、原子で有るとか、宇宙の成り立ちといった、確かめようがない事柄について考える事が、『真理を得る』という目的に置いては役には立たないと思い、ソクラテスは、その分野から背を向けたようです。

決定論と自由意志

話を戻すと、神であれ、物理法則であれ、何らかの形で全てが決定していると言っていながら、私達は、物事を認識する事で、何かを感じで、何かを思い、考えて行動を起こしますよね。
そして、行動を起こす起点となる決断の部分では、何らかの『思い』という存在が重要になってきます。

例えば、医者になって体が悪い人を助けようという未来に到達したい場合は、そう決断した時点で、やるべき事は決定します。
医者になる為には医大に通わなくてはなりませんし、医大に通うためには受験に受かる必要が有ります。 受験をパスする為には、それまでに、それ相応の学力が必要となります。
必要な学力を身につける為には、環境も整えないと駄目でしょうから、通うべき高校のレベルも限定されてきます。

この様な形で逆算することで、今、何をしなければならないのかは決定するので、後は、何も考えずに、その流れに沿って人生を歩めば、医者になる事は出来るのでしょう。
一度、目標を持てば、後は機械的に物事が進んでいき、他に良いと思うことが出てこない限り、事が成し遂げられる事なります。
もし、目標が達成出来ないとするなら、そこには、もちろん、身体的な限界も有るでしょうけれども、おそらく、『本当に、この未来で良いのだろうか』といった『迷い』が有るからでしょう。

医者になった後も、患者に対して『この人は、治療すべきなんだろうか。それとも、今、死んだ方が良いのだろうか。』なんて事は考えずに、病院に来た人間には治療を施します。

では、医者を目指した人間は、一番最初に、何故、医者になりたいと思ったのでしょう。 何故、体の悪い人を助けようと思ったのでしょう。
それが、『良い』事だからと思ったとして、では、何を持って『良い』とするのか。 そもそも、『良い』とは何なのか。
人は何故、自分が『良い』と思った事をするのか。

ソクラテスは、自分という殻の外側に対して注意を払う自然学よりも、自分の内側。自分自身に対して、この根本的な問いを投げかける方が重要だと考えたようです。

自分が本当に望むものは何なのか

自分自身に対して、根本的な疑問を問い続けることで、自分が本当にやりたいこと。なすべき事。進むべき、到達すべき最終目標を見つけることが出来る。
宇宙の起源といった、誰も観測することが出来ず、結論が出たとしても確かめることが出来ないような過去に意識を向けるのではなく、それぞれの人の未来に意識を向ける方が重要だと考えたようですね。

人が、自分が『良い』と認識している行動を取るのは、『幸せ』になる為だとした場合、では、何を持って幸せと呼べる状態と呼ぶのでしょうか。
資本主義の世の中では、皆がお金を追い求めますが、では、お金を手に入れることが出来れば、それは幸せな状態なのでしょうか。
お金というのは、数字が書かれた紙切れであったり、金属の塊でしか無いものですが、それをコレクションする事が、幸福な状態なのでしょうか。

おそらくですが、多額のお金を持っている資産家に意見を聴いたとしても、『お金そのものを手に入れることが、幸福な状態である』とは答えないでしょう。
お金とは、自分が望んでいる『何か』を手に入れる為の対価として支払うもので、本当に欲しいのは、お金を支払ってでも欲しい、その『何か』のはずです。
では、その『何か』とは何なのでしょうか。

その『何か』を手に入れる為には、どれ程の資産が必要なのか。そして、その『何か』はお金を積み上げるだけで、本当に、買えてしまうようなものなのか。
根本的な疑問を投げ続けることで、自分が目指すべきゴールが明確になり、『今、何をすべきか』とか『ゴールまでの道のりは、どれほどのものなのか』といったことが分かってきます。

魂の世話・魂の完成

では、そうしてまで到達すべき『幸福』とは何なのでしょうか。それをソクラテスに言わせるなら、それこそが、『魂の完成』と呼ばれる状態だと主張します。
人は人生の中で、経験を通して多くのことを学んでいきますが、そういった事で知恵を身に着けていく行為を、『魂の世話』として、魂の世話を根気よく続けていくことで、魂を完成させるという考え方です。
魂の完成とは、精神的な成長とか、そういった意味合いとして理解してもらっても良いと思います。

今では、『哲学』という分野は、この様な根本的な疑問について考えるという事だというイメージを、お持ちの方も多いと思いますが…
初めに、この様な、物事の根本的な事を考えようと主張したのは、ソクラテスで、それ以前には無かった発想の様です。
ソクラテスが、哲学の祖といった呼ばれ方をしているのも、現代における哲学の基本を作ったのが、ソクラテスだからなのかもしれません。

ソクラテスは、自身の魂の世話をする為にも、自分自身に根本的な問いかけを行い続け、それを知る賢者がいると聞くと、積極的に面会に行って、教えを請いに行ったようです。
当時は、その他の人達からは、ソクラテスそのものが賢人だという扱いを受けていたようなので、賢人であるソクラテスが、教えを請いに自分のところに来たということで、多くの人が面会に応じたようです。
しかし、対話が続くに連れて分かってくるのは、賢人だと周りから もてはやされて いた人達が、根本的なことは、何も知らなかったという事です。

人手不足で労働者の待遇は改善しているのだろうか?

先日の事ですが、事業を営む親戚から『人手不足だから、無料で登録できるインディードに登録したいけど、やり方がわからないから助けてくれ。』という連絡があり、登録手続きを済ませるという事がありました。
テレビでは人手不足だと騒がれていましたが、身近でこの様な相談をされると、実感せざるを得ませんね。

こんな書き出しで書いていますが、念の為に書いておくと、インディードというサイトは登録が難しいわけではありません。私の親戚が、ネットに疎すぎるだけです。
今回の投稿は、このインディードの宣伝ではないので、詳しい説明は行いませんので、興味の有る方は『Indeed (インディード)』などで調べてください。
jp.indeed.com

この親戚が営んでいる事業なのですが、具体的な事は書きませんが、肉体労働であり、職人的な技術も必要な職業です。
登録したデータによると、給料は18万~32万円。
業界経験者であれば良いけれども、人手が足りないので未経験者でもOKのようです。
職安にも登録したけれども、応募がないので、無料の求人サイトに頼ろうという考えのようでした。

給料にばらつきがあるのは、未経験者か経験者かの差でしょう。 経験者であれば、教える手間もない上に即戦力となるので、売上に貢献できるということで、32万の提示だけれども、全くの未経験者の場合は教えなければならないので、18万円。
後は、残業などを勘定に入れて、その分を上乗せして提示している可能性もあります
同じ様な業種で検索を書けてみると、だいたい、給料が20万円前後が多い為、肉体労働で且つ職人の技術が必要なこの業界の給料の相場は、20万円程度ということなのでしょう。

具体的な月の給料を書かず、時給で書いている会社もあったので、その金額を書くと、だいたい時給で1000円が相場のようです。

この金額を見て分かる事は、とにかく安いということ。
確かに人手不足で人が足りないけれども、それが給料に反映されているわけではない事が、この提示額から分かります。

給料20万円の生活

肉体労働で、且つ、職人の技術が必要なこの業界での給料が20万円という事が分かりましたが、では、20万円でどの様な生活が出来るのでしょうか。
月に20万円だと年間で240万円。 この所得には税金がかかるわけですが、どれぐらいかかるのでしょうか。
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いちいち計算するのが面倒くさいので、ネットで検索したらこの様なページが出てきました。
tax.salalive.com

このサイトを一部引用すると
年収200万円:住民税 6.31万円 + 所得税 2.78万円= 9.08万円
年収300万円:住民税 11.9万円 + 所得税 5.57万円= 17.5万円

年収が240万円はこの中間に当たる為、約13万前後と考えればよいでしょうか。
社員の場合は、社会保険料がかかるわけですが、会社と個人でで折半すると考えて、月20万の場合は保険料で月に1万円取られるようです。
www.kyoukaikenpo.or.jp

つまり、所得税・住民税と社会保険料で月々2万程度は取られるということになります。

次に支出を見ていきます。
京都の場合、ワンルームの部屋で家賃相場が3.5万程度。 1DKになると6万ぐらいが相場です。
社会人でワンルームはキツイような気もするので、1DKの部屋に住むと考えると、家賃で6万円。
suumo.jp

このサイトによると、水道光熱費の平均が1.3万円。
食費を1食あたり500円で計算すると月に約4.5万円。
これを合計すると、生活に最低限必要な金額の合計は、11.8万円となることが分かります。

先程の計算で税金と保険で月に2万円かかることがわかったので、これらを先程の20万円から差し引くと、手元に残るのは約6万円という事になります。

この、6万という数字を高いと見るか低いと見るかで、物事の考え方は大きく変わってきます。
例えば、一生結婚せずに1人で暮らしていくことを考えた場合。6万という金額は悪くはない金額といえるかもしれません。
仮に月に2万程度を貯金したとしても、自由に使えるお金が4万円もあるわけで、サラリーマンの小遣いの平均が3.7万円と言うことを考えると、若干、余裕のある暮らしが出来るとも考えられるかもしれません。

ですがもし、結婚したいと考えていた場合はどうでしょうか。
生活に必要な最低限の環境を整えただけで、手元に6万円しか残らないわけですから、これが2人での生活となると、お金が足りないことは明らかです。
子供なんてもっての外で、子供を作ろうと考えた場合は、夫婦共働きが基本となるでしょう。

これからも分かる通り、人手不足と叫ばれている割には、労働者がギリギリ暮らせるだけの金額しか提示されていない事が分かります。

会社側は搾取しているのか

では、職安や求人サイトで人を募っている様な会社は、ブラック企業なのでしょうか。
私の親戚も含めて、身の回りで『人手が足りない!』と叫んでいる会社の多くは、社員から搾取しているわけではありません。
なら何故、高い給料が提示できないのかというと、理由は単純で、儲かっていないからです。 仕事は山ほどあるけれども、提示される金額が低い為、人件費を上げると儲けが無くなるというわけです。

私の本業で取引している得意先も、今まで人を入れていなかった上に、定年による退職ラッシュが続いた事で、求人募集を出し始めたわけですが、儲かっているわけではない為、提示する給料は先程紹介したものよりも更に低い金額となっています。
ここで、『儲かってるわけでもないのに、何故、人がいるの?』と思われる方も多いかもしれませんが、現場に近い職場ほど、最低限、必要な人数が決まっていたりするわけです。
私の得意先の場合、複数の製造工程があり、それぞれに専用の機械が有るわけですが、それぞれの機械は1人では動かすことが出来ません。

また、製造自体が流れ作業になっている為、複数ある機会は同時に動かさなければなりません。
その様な構造になっている為、最低限の人数を下回ってしまうと、仕事にならないわけです。 例えば、一人で完結できるような仕事の場合は、仕事の量によって微調整が可能になるので、仕事がなければ人が少なくても困らないでしょう。
しかし、流れ作業の製造業の場合は、仕事がなくても、機会を動かすために絶対必要な人数というものが存在するのです。

当然ですが、仕事そのものは少ない為に、8時に製造ラインを動かして11時にその日の仕事が終了してしまうという事もありますが、その3時間の為に人数を揃えなければならなかったりします。
これは飲食店なども同じで、ある程度の席数が有る場合は、料理人と、料理を運ぶホールの人材が必要になってきます。
暇だからと1人でやろうとすると、急な来店があった際に対応できなくなってしまいます。

会社としては、最低限の人数は必要だから人は募集するけれども、そもそも儲かってないから給料は出せないというのが現状でしょう。

搾取してるのは誰か

現場に近い会社は儲かってない。 そこで働く人達も低賃金。にも関わらず、一部上場企業の収益はバブル後最高益更新。
このことからも分かる通り、ピラミッドの上の方の企業が搾取しているわけです。

私の知り合いに、大手電力会社に就職した人間がいて、その人から話を聴く機会があったのですが、その人物がいうのは、基本的には作業は何もせずに、下請けの人間が作業をしているのを眺めているのが仕事だそうです。
何もせずに給料をもらうというのに気が引けて、一度手伝おうとしたそうですが、知識と技術がない上に怪我をする可能性があるとの理由で、仕事に手を出すことを断られたようです。
そんな彼が務める会社の年収を調べてみると、平均年収940万円。 30代で700万円と書かれていました。

一方で、地上100メートルの送電線の上で仕事をする下請け会社と思われる会社の年収を調べてみると、30代で400万円。 入社33年目にして年収650万円と書かれていました。
見てるだけの人と、命をかけて作業をする人の給料差がコレですよ。

大型建築や原発の除染作業も、中抜き業者が大量に入って、8次下請けとか良くわからない事態になってたりしますよね。
除染作業のような税金が投入される事業で、ここまでの中抜き。 事業を行う為の源泉となっている金は、私達が払っている税金で、その金が中抜きされている。
そして、現場で働くひとは命をかけて、雀の涙ほどのお金をもらう。

支払われる給料が雀の涙なので、当然のように人は集まらずに、現場は常に人手不足。
ピラミッド構造を思い浮かべてもらえば分かると思いますが、上よりも下の方が面積が大きいですよね。
給料の中央値が下がっている事からも、ピラミッドの下の方にいる大多数の人達には金銭的な余裕が無いため、そういう庶民の人達を相手にしていた職業の人達が煽りをくっている状態なんでしょうね。
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例えば飲食業などは、ここ16年で市場規模は横ばいです。
これだけ外国人観光客数が増えて『インバウンド需要!』と叫ばれている状態なのに、16年前と市場規模が変わってないという事は、日本人の消費額がかなり減ってるということなのかもしれませんね。
ピラミッドの下の方の人たちは、外食する余裕もない経済状態。 それが、今の日本なのかもしれません。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第49回 移り変わる宇宙の捉え方(5) 科学は宗教なのか 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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科学は宗教なのか
原因と結果は連続的なものでは無いとするなら、最小単位まで分解された原因と結果には、繋がりがないことになります。
つまり『何故かはわからないけれども、この原因の次には、この結果が来るらしい。』という曖昧なところで終わってしまうということです。
科学が、その、『何故か、理由は全くわからないけれども、そうなる』という事を信じる事であるのならば、それは、信仰対象を崇める宗教と何が違うんだという話になってきます。

別の例でいうと、Aさんが、『神さまの声を聴いたんです』と科学者のBさんに言ったとします。これは、幽霊でも悪魔でも天使でも、何でも良いのですが、とにかく、超常的なものの存在を感じたと告白したとします。
それに対してBさんは、『そんなのは科学的じゃない』として、突っぱねたとします。
しかし、科学を信じるBさんは、相対性理論が正しいとするのなら、この世に存在しているはずのダークエネルギーの存在を信じています。

ダークエネルギーというのは、中二病っぽいネーミングなので、ゲームかなんかのエネルギーだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、科学の説として実際に存在するエネルギーの名前らしいんですね。
私自身も詳しくは知らないので、細かい説明は出来ませんが、宇宙の質量とエネルギーの総量の7割は、このダークエネルギーだと言われています。
ですが、実際に観測した人間はこの世にはいません。 観測されていないのに、何故、7割がこの未知のエネルギーで満たされているという話になっているのかというと、ダークエネルギーという存在がないと、計算が狂ってしまうからです。

ダークエネルギーは、科学の説の中で計算上は存在しますが、人類の中で、まだ誰も、見た事がない、観測されていない存在です。
この、観測された事が無い存在を信じるBさんと、他の人の目には見えていないけれども、Aさんは存在を身近に感じ、声を聞いたから信じているという『神さま』の存在。
乱暴な言い方にはなりますが、どちらの存在も、似たようなものという事になってしまいます。

科学は観測結果と見出された法則に過ぎない
この、科学と神様といった超常的なものが同じだという主張には、違和感を感じる人も多いと思いますし、主張自体に拒絶反応を示してしまう人も、多いと思います。
というのも、科学というのは、論理建てて説明している為に、説得力が有ります。科学的な説明は、その物事を分かった気にさせてくれるので、盲目的に信じてしまうという人も多いと思います。
ただ、科学の基本は起こった事実の中からパターンを見つけ出して、法則化するというものです。

つまり、今まで起こってきた事が全て偶然の産物だったとしたら。 そして、明日から、無秩序に動き出したとしたら、今まで積み上げてきた法則というのは、全て無意味になってしまうという事なんです。

例えば、私達は、地面に足をつけて歩いていますし、木に実ったリンゴは、いずれ、地面に落ちます。
これらの事を観測すれば、地面の方向に物質を引きつける何らかの力が働いている事がわかりますし、様々な物質の『落ちる』パターンを観測して積み上げていけば、その力の詳細が分かってくる事でしょう。
そのうちに、地面の方向に引き付ける力は『重力』と名付けられ、重力は、空間や時間といった、一見関係のなさそうなものにまで影響を及ぼしている事が、観測によって分かってきたとします。

パターンを見つけ出し、そのパターンを導く為の法則を見つけ出し、法則を利用することによって、様々な理論に発展し、世の中が分かった気になったとしても…
ある日、リンゴの木になった果実が空に向かって落ち始めたとしたら、どうでしょう。
今まで、物質が大きな質量の中心に向かって引き寄せられてきたのは、偶然の産物だったとしたら、それを元に作り出した法則は、無意味となってしまいます。

別の例でいうと、ルーレットで赤と黒が交互に出るというのが1億回連続で続いたので、赤と黒は交互に出るという法則があると思い込み、その法則に従って、赤と黒を交互に賭けて、ボロ儲けをした人がいたとしましょう。
その人はその後、長年の研究の末に、赤と黒が交互に出るという法則を元に、更に計算を発展させて、特定の数字が、どのタイミングで出るかまでの法則を導き出して、ルーレットの出目の全てを理解できたと思ったとしましょう。
でも、その幻想は、赤が2回連続して出た時点で、消え失せてしまいます。

それと同じで、科学の基本としている前提のものが、間違っていたとわかった段階で、今までの物は無かった事になってしまうという事なんです。
その状態になったとしても、まだ、『これまでに積み上げて来たもの』を盲信するのであれば、それはもう、宗教と何ら変わりがありませんよね。

現に、科学というのは新たな説が生まれる度に、それまでの説を残骸に変えていったわけですが、それまでの説を信じていた人達は、新しい説を受け入れずに否定してきたりしてきたんですね。
他にも、偉い学者が主張した説だからと、ろくに調べもせずに、その主張がそのまま信じ続けられてきたなんて事もありました。
こうなってくると、宗教との違いというのが、本当にわからなくなってきます。

私達は本当の世界を感じているのだろうか
また、根本的な話に戻ると、私達が感じている世界というのは、本当に、そのままの世界として存在しているのかという問題もあります。
先程から何度もいっていますが、科学というのは、起こった事実を観測して、その事実の中にパターンを見つけ出して、法則化したものです。
ですが、私達が事実と受け取っている物は、私達の五感を通して受け取った認識でしかありません。

人間の目は、可視光線と呼ばれる範囲の電磁波しか捉えることが出来ません。 これは、音やモノに触れるといった事も同じで、人間に備わっている器官そのものに限界があります。
機械を使えば良いという意見も有るでしょうが、機械そのものにも限界は有ります。
また、人間に備わっている五感から得た情報は、一度電気信号に変換されてから、脳でイメージとして再変換され、再変換されたものを、私達は事実として受け取っているわけです。

これは、テレビカメラを通して撮られた映像を、テレビ画面越しに見ているような状態で、本当の現実の世界を感じれているわけではありません。
こういった状況で、自分の外側の世界を観察したところで、真理は得られるのでしょうか。

『真理』は自分の内に有る
科学系の話で、過去数回に渡って脱線してきたので、この話の大元の部分を忘れられている方もいらっしゃるかと思いますので、もう一度振り返ると、ソクラテスは、若い時にイオニア自然学を勉強したのですが、それを途中でやめています。
その理由は、人間の外側にある、『世界』の観察をしたところで、真理は得られないと思ったからです。

自然学は、宇宙の成り立ちを神々という存在抜きで説明しようとして生まれた学問で、その延長線上に、今の物理学などが有ると思っても良いのですが、自然学の行き着く先も、結局は確認できない想像のものでしかありません。
原子論という説を生み出したとしても、物質の最小単位を観察することは不可能ですし、宇宙の起源を考えて、ビッグバン理論を考えたとしても、それを確認する術はありません。

後に、ソクラテスと対話するプロタゴラスという人物は、神々についてこの様な事を言っています。
『神々については、それが存在するのかしないのか、また、どの様な容姿をしているのか、確実に知ることは出来ない。事柄自体の曖昧さに加えて、人生の短さといった多くの事情が、それを許さないのである。』
このセリフの『神々』の部分を、物質や宇宙に変えたとしても、このプロタゴラスの主張はそのまま当てはまってしまいます。

しかし、自然学者は、物質や宇宙の成り立ちを、まるで観てきたかのように論理建てて話します。
そしてそれが否定されると、今まで自分が信じていた科学理論が、如何に正しいのかを、熱心に語って説き伏せようとしてきます。
これは、神を信仰するのか、それとも、科学を信仰しているのかという差しか無く、その行為によって、真理を得られることは無い。 もっというのなら、真理を得るのに役には立たないと考えたんです。

重要なのは認識すること
では、真理を得るために必要な物はなんなのかというと、『認識』です。
何をもって『良い』と考えるのか。 何をもって『美しい』と考えるのか。
国家運営を正しく行うには、何が『正しい』のかを知らなければならないですし、システムが上手く機能するためには、システムの穴を突いて利用しよう等とは思わない、『美徳』が必要となる。

では、『徳』とはなんなのか。 という事に重点を置いて考えたのが、ソクラテスです。
宇宙の成り立ちを考えるというのは、結局の所、目線を過去へと向ける行為になります。 しかし、過去そのものは、変更する事が出来ません。
変更不可能な過去へ考えを働かせるのではなく、『人は、何故、生きるのか。』『人生における究極の目標は何なのか』という、未来への思考こそが、重要だと考えたようなんですね。

という事で、次回以降は、徳について、考えていこうと思います。
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前回の振り返り

前回の話では、この世にある物質は、観測されていない時は確率の波として存在していて、観測された途端に確率が収束して、物体になるという話をしていきました。
今までの常識を引きずった状態では、にわかには信じられないような、こんな説が有力な説として影響力を持っているのかというと、そういう実験結果が観測されてしまったからです。

原子を60個、サッカーボール状につなぎ合わせた物体を、2つの隙間が空いている壁に向かって投げ込むと、1個の物体が2つの隙間を通ったとしか思えないような実験結果が出てしまったからです。
詳しくは、前回を聴いてもらうか、二重スリット実験で検索してもらうと良いと思いますが、1個の物体が2つの隙間を両方通り抜けて、尚且、互いに干渉する事で、波でしか起こらない干渉縞を描いてしまうという、事実が観測されたからです。

では、2つの隙間を同時に通り抜ける様子を観測できたのかというと、それは、観測できていないんです。
何故、観測できないのかというと、二重スリットに向けて放たれた物質を、スリットをくぐり抜ける前に観測してしまうと、その観測によって物質の状態が変わってしまって、実験結果も変わってしまうからです。
不確定性原理というもので、簡単にいうと、観測する為に何らかのアクションを起こした時点で、結果に影響を与えてしまう為、途中で観測をしてしまうと、実験結果が変わってしまうという事です。。

この、不確定性原理と、二重スリット実験によって、物質は、観ていない時は状態が確定してない確率的な波で、観測された時点で、確率が収縮して固定されるという、よくわからないものだという事が分かりました。

この結果を受けて、アインシュタインは、『もしそれが正しいのであれば、地球の衛星である月は、誰も観ていない時は存在していないことになる。 でも、観ていなかったとしても、存在はしているでしょう。』と訴えました。
量子論の発展に大きな影響を与えたシュレディンガーも、この解釈には納得が出来ず、シュレディンガーの猫という思考実験を考え出して、この解釈を皮肉りました。

量子論多世界解釈

そして量子論は、更に、よくわからない方向へと発展していきます。それが、多世界解釈です。
多世界解釈とは、ざっくりと簡単にいってしまうと、可能性の数だけ世界が分岐するという事です。
漫画やアニメ、映画などで登場するパラレルワールドといえば、理解しやすいかもしれません。

例えば、シュレディンガーの猫多世界解釈で考えるのであれば、50%の確率で死ぬ状態にして、箱をかぶせて見えないようにした猫は、観測する前に、どちらかの状態に確定します。
ただ、世界の方が、猫が死んだ世界と、猫が死ななかった世界に分岐するという事です。
箱を開けた際に、猫が生きていたとするなら、それは、観測した人間が猫が死んでいなかった世界にいたという事が確定するだけで、猫の状態は、箱を開ける前から決まっているという事です。

ちなみにですが、この、多世界解釈が仮に本当だったとして、それを証明する術はありません。
何故なら、分岐した別の宇宙を覗き見ることは不可能だからです。
つまり、まとめると、今現在、科学で分かっている事は、限りなく少ない。 いや、何も分かっていないといっても良いかもしれないという事です。

新理論によって変わる世界の捉え方

私達は、世界と五感を通してつながっています。 世界を観測する為には、五感を通して、何らかの情報を受け取らなければなりません。
ですが、目に入ってくる光の正体も、皮膚に物質が触れる物質の正体も、本当のところでは分かっていないという事です。

ニュートンの時代に考えられてきた宇宙や現実というのは、もっと、単純で理解しやすいものでした。
絶対的な時間が有って、絶対的な空間が存在する。 その、絶対的な時間や空間の中で、様々な法則によって、物体は決まった動きをすると考えられてきました。

しかし、その考えは、アインシュタイン相対性理論によって崩されます。
相対性理論によると、絶対的な時間や空間は存在せずに、時間と空間、つまり時空は、相対的なもので、観測する人間次第で変化するという事になってしまいました。
つまり、人それぞれで感じている時間や空間の広さは、厳密には違うということです。

この世界は決定論では無い?

そしてさらに、量子論の存在によって、物理学の前提となっていた、決定論も、怪しくなってきました。
決定論というのは、物理法則によって決まった結果が出るという考え方です。
例えば、明日の天気を予測できるかもしれないと思えるのは、物理法則によって物体の動きが決まっている為、正しい情報を全て入手できて、全ての法則が発見できていれば、そのデータを法則に当てはめるだけで、未来が予測できると考えられるからです。
今現在、天気予報が外れているのは、入手できていないデータや、分かっていない法則があるからで、それらが発見できれば、完璧な予測ができると考えるのが、科学的な考え方というわけです。

また、この考え方を過去に当てはめると、今現在、ここにある結果と法則とを当てはめれば、その結果が起こる前の事が予測できるという事になります。
逆算していけば良いだけですから、当然ですよね。 その為、時間は過去から未来に一方方向にしか動かないのに、今現在からは観測不可能な過去の現象も、予測できると考えます。
これが決定論で、科学的な考え方の前提のあるのは、この、『法則に当てはめれば、毎回、同じ結果が得られる』という『決定論』という考え方です。

しかし、量子論によって、そこに有るはずの物質というのは、観測する前の状態は確率の波として存在していて、観測して初めて分かるという、意味不明な状態になってしまいました。
物質が本当に、確率の波という不安定な状態なのであれば、観測する度に、物質の位置は変わることになってしまいます。
これは、物質の位置は、観測する前から、既に決まった位置に有るけれども、観測していないから、確率的にしか表すことが出来ないという事ではありません。
確率の波という状態で存在していて、観測する事で確率の波が収縮して、位置が確率的に決まるということです。

観測する度に、確率的に結果が変わるのであれば、環境さえ整えれば、物事は毎回同じ結果になるという決定論も通じなくなる為、これは、科学の前提が根本から揺らぐという状態を意味します。
つまり、ソクラテスの時代から2500年の時が過ぎて、その間、イオニア自然学は物理学という名前に変わって発展してきましたが、結局の所、根本的な部分は『わからない』という事が分かったんです。

物事が起こった原因は無限に遡れる

事実を一つ一つ積み重ねていったのに、何故、こんな事になるのかというと、前にも説明したと思いますが、アキレスと亀というパラドクスと同じです。
アキレスと亀』は、ハンデを与えた亀を俊足のアキレスが追い抜くという例え話で、時間の無限分割ができるのかどうかというのを考える思考実験でしたね。

アキレスが亀を追い抜かす為には、まず、アキレスは亀に追いつく事が必要になり、追いつく為には、亀が元いた場所に到達する必要が出てきます。
しかし、亀はどれだけ歩みが遅くても、止まっているわけではないので、アキレスが亀のスタート地点に到達したときには、亀は僅かに先に進んでいます。
その僅かな距離を詰める為に、アキレスは、僅かですが、時間が必要となるんですけれども、その僅かな時間で、亀は僅かに進むことが可能です。

時間が連続したアナログ的なものであるならば、その時間に最小単位なんてものはないので、無限に分割することが可能となり、アキレスは永遠に亀に追いつく事が出来ず…
アキレスが亀を追い抜くという有限の時間の中に、無限に分割された時間が存在することになります。
時間に最小単位が有るとするならば、最小単位の中では時間は動かずに止まっていることになります。 動画の原理と同じで、静止画を一秒間に何十枚という速さで送っていくことで、動いているように見えるだけで、1フレーム内の時間は静止している事になります。

どちらしても、おかしな感じになるわけですが、これは、科学の考え方でも同じです。
科学の基本的な考えは、先程もいった通り、決定論的な考え方です。 全く同じ環境を再現出来れば、法則に従って、毎回同じ結果が得られるというのが、科学の基本的な考え方です。
つまり、結果には、それを引き起こした原因があり、その原因にも、原因が存在します。 原因は、法則によって決まった結果を起こすので、法則さえ見つかれば、過去のことも未来のことも分かると言う考え方です。

科学的な目線で真理を追求する為には、現状という結果から原因を探り出し、その原因の原因を探り出し…という事を繰り返さないと駄目なのですが…
原因と結果が連続的なものであるならば、遡るべき原因は無限に出てくる事になります。
(つづく)
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googleがStadiaを発表 据え置き機はオワコンになってしまうのか?

先日googleによって、新たなサービスである『Stadia』が発表されました。
この発表を受けて、ソニー任天堂の株価が一時的に下落してしまいました。

私が聞いている株式実況ラジオや、ラジオ日経のとある番組では『googleがゲーム参入っていっても、お金持ってる事と面白いゲームが作れることは別ですから…』みたいな見当違いの解説をされてたりもしましたが、これって、かなりのニュースですよね。
もしかしたら、SwitchやPlayStationといった据え置き機がオワコン化してしまう可能性すら有るニュースだと思います。

という事で今回は、googleのゲーム参入を切り口に、これからのゲームについて考えていこうと思います。
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プラットフォーム

現状の日本では、手軽に本格的なゲームをしようと思うとした場合、据え置き機を買うのが一番ハードルが低いと思われます。
アメリカなどでは、本格的にゲームを行う為にゲーミングPCを購入するなんて事も珍しい事ではありませんが、本格的なゲーミングPCは平気で10万円を超えてくるので、ゲーム用途で買うにはハードルが高い。
そうなると、4万も出せば取り敢えずゲームが出来る据え置き機というのが、日本では一番選ばれることが多い選択肢だと思います。

しかし、その『ゲームを手軽にする』というハードルが更に引き下げられたのが、今回のgoogleの発表した『Stadia』だったりします。
この『Stadia』というのは何なのかというと、ゲームのプラットフォームです。

据え置き機でいうなら、PlayStationやSwitchがそれにあたりますし、PCでいうなら、steamやOriginなんかがこれにあたります。
探せばもっとたくさんのプラットフォームが有るわけですが、では何故、数多くのプラットフォームが提供されるのかというと、プラットフォームを運営すること自体が儲かるからでしょう。

これらのプラットフォームは、その上で走らせるソフトを販売する事で、利益を得ることが出来ます。
例えば、PlayStationは、そのユーザーに向けたStoreを開いていて、ソフト販売を行っていますが、1本売れるとそこから何割かはピンはねします。
当然といえば当然ですよね。 ネット小売でいえばAmazonがありますが、Amazonで物を売れば、販売手数料として一定割合を抜かれますよね。
ZOZOも同じで、ここで服を販売すれば、ZOZOに手数料を抜かれます。

つまり、プラットフォームを運営する側としては、多くの顧客を囲い込んで、ソフト販売数を伸ばせば伸ばすだけ儲けが出る仕組みになっています。
運営側は、プラットフォームに顧客を囲い込む為に、人気のゲームタイトルの開発費を出して、自分たちのプラットフォームの独占タイトルにしたりといった争いなども起こっていて、その為に、ゲーム好きは複数の据え置き機を買わなければならないというのが、現在だったりします。

また、据え置き機に限定すれば、ソニー任天堂は月額課金制なども導入していたりもします。
ここ最近では、Epic Gamesの『フォートナイト』やEAの『Apex Legends』など、ネット接続さえすれば、無料で遊べるゲームが人気を集めていたりします。
www.ea.com

ゲームそのものは無料でプレイできるうえ、課金したとしてもゲームプレイそのものは有利にならない為、ユーザーはお金をつかうこと無く、オンライン接続するだけでゲームをプレイすることが出来るのですが…
それでは、プラットフォームの運営側としては儲けが出ません。 その為、据え置き機のPSやSwitchでは、ネット接続料を徴収していたりもします。
月額か年額で料金に差はありますが、年間で数千円程度はネットに接続するだけで運営に徴収されます。
(PCのプラットフォームでは、ネット接続料は請求されない)

この様に、人気のプラットフォーマーになる事は、企業にとっては旨味があるわけですけれども、そのプラットフォーム事業にgoogleが殴り込みを欠けたのが、『Stadia』の発表です。

クラウドゲーミングサービス

googleが提供するのは、クラウドゲーミングサービスというもので、従来のプラットフォームと決定的に違うのは、ゲームをプレイするのに必要なのは、コントローラーとネット回線だけだということです。
つまり、従来のように据え置き機や、ソフトが動く条件を満たしたゲーミングPCといった高額な初期投資が必要なく、コントローラーとネット回線と、ゲームを映し出すモニターさえあれば、それだけでOKというサービスを打ち出したのです。

ソフトや、それを動かすハードが無くて、どうやってゲームを動かすのかというと、ネット回線の向う側にあるgoogleのサーバーで動かすんです。
ユーザーがやることは、googleにアカウントをるだけ。 料金形態が明らかになっていない為、定額料金でゲームがやり放題になるのか、ソフト単位で購入するのかは不明ですが、ユーザーが選んだソフトをgoogleが持つ巨大コンピューターで動かし、その映像だけをネット経由でユーザーのモニターに送る為、ゲーム記そのものが必要ないというのが強みです。
ゲームのハードに相当するものがgoogle側にある為、従来のダウンロード販売のように、購入してから膨大なゲームデータを時間をかけてダウンロードしてインストールする手間もなくなり、ブラウザでネット閲覧するかのようにゲームプレイが出来るというのが、このサービスです。

物凄く画期的なサービスですが、このクラウドゲーミングサービスというのは、実は、今現在でも既に行われていたりするサービスだったりします。
PlayStationには、PlayStation nowというサービスが有り、何年か前に発売された古いゲームを月に2000円程度払えばやり放題というサービスを提供しています。
https://www.jp.playstation.com/search-results/software/search.x?psnow=1&sort=1www.jp.playstation.com

任天堂のSwitchも、Switchの性能では到底動かすことが出来ないソフトである『アサシンクリード オデッセイ』を、クラウドサービスを利用して2年間プレイできる権利を8400円で販売するというサービスも行っています。
www.famitsu.com

では、これらのサービスが成功しているのかというと… 微妙な感じ。
PS nowの方は、最新タイトルや人気作品はソフト単体で販売したい為か対象外になっているので、ラインナップがしょぼい感じ。
月に2,000円も払うぐらいなら、中古で捨て値で売られてるソフトを個別で買った方が安いですし、任天堂の方は、ソフトを正規料金で販売しておいて2年で権利が消えるという仕様。
ユーザーがクラウドゲーミングサービスを選ぶ動機が全く見当たらない状態なので、あまりスポットライトが当たってこなかった感じとも言えます。

ただ、googleの場合は話が変わってきます。『Stadia』は、据え置き機では無いため、そもそもゲームのパッケージ販売というのがありません。
パッケージ販売が無いのであれば、月定額で全てのゲームソフトが遊べてしまう可能性もあるわけです。
というか、googleの未来の展望などを観ていると、ソフト単品売りではなく、定額サービスになりそうな確率のほうが高い気もします。

『Stadia』は定額サービス?

いま現在、テック系の会社間で行われていることは、可処分時間の奪い合いです。
サブスクリプションサービス大手のNetflixは、ライバルは同業他社のHuluやアマゾンプライムではなく、『フォートナイト』だと発言しています。
japanese.engadget.com

人間の1日という時間は、貧乏人であっても金持ちであったとしても変わらず、24時間しかありません。
その24時間の中で、働いたり勉強したりご飯を食べたり風呂に入ったり寝たりと、生活する上で絶対に必要な時間が有るわけですが、これを24時間から差し引いたものが、可処分時間です。
この可処分時間を奪い合うのが、サービス業の中のエンタメ業界ということです。

可処分時間は限られているので、例え月に数百円の出費だったとしても、使っていない不要なサービスは切られて終わりです。
つまり、サブスクリプションサービスは定期的に使われてなんぼの商売で、ユーザーに無くてはならないインフラだと思われなければならない。
そう思われる為には、可処分時間の大半を自社サービスに費やして貰う必要があるわけですが、サービス利用時間を比べた場合、Netflixは『フォートナイト』に負けているのが現状のようです。

つまり、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、数多くのコンテンツを買い漁り、多額の費用をかけて独自番組を作ってきたNetflixは、『フォートナイト』に勝てないという現実が有るわけです。
ここに参入しようとしているのが、googleだったりします。
映像の場合、2時間の作品で数十億や数百億かけるなんて事も普通にありえますが、ゲームの場合は、同じ開発費用で数百時間から数千時間の可処分時間を消費者から奪うことが可能です。

単純に時間あたりで計算すれば、実はゲームはコスパが良いのです。
時間あたりの資金効率が悪い映像分野のサブスクリプションサービスで、Netflixがあそこまで費用をかけることが出来るという事は、可処分時間を奪うという点でコスパが良いゲーム事業の場合は、それ以上の金を投資しても利幅が大きい可能性があります。
こうして考えると、ソフトを単品売りして、それを変える人間だけを相手にするような感じで市場を閉じるよりも、定額プレイし放題サービスにしてしまって、多くの人をゲームに引き込む戦略の方が、結果としても受けが出そうな気がします。

googleによる詳細発表はまだのようですが、それほど高くない値段で、定額サービスが提供される可能性は大きいと思います。

激化する可処分時間の奪い合い

今までは、googleの『Stadia』を中心に憶測を書いてきましたが、このゲームのサブスクリプションサービスに参入するのは、googleだけではありません。
Appleも、先日の発表で『Apple-Arcade』というサービスを発表し、追加料金無しの月定額制でゲームが遊び放題サービスを展開するそうです。
www.gizmodo.jp

この他にも、windowsを展開するMicrosoftは、月1000円程度で100タイトルが遊び放題になる『Xbox Game Pass』をPC向けに展開をしていくようです。
www.gamespark.jp

世界的な動きとしては、ゲームは単品売りから定額サービスに移行しつつ有ると考えても良いでしょう。
複数の会社が同じ様なサービスに参入する事で、価格も抑えられるでしょうし、消費者としては嬉しい感じです。

ただ、この中でも、やはりgoogleは飛び抜けているようにお思えます。
Appleのサービスは、アップル製品を持っている人向けで、Microsoftは、windows PCを持っている人向け。
どちらも、消費者を選んでしまうわけですけれども、googleの場合は、ブラウザが動いてネット環境があれば、誰でも参加できるというのが強みでしょう。

最近のテレビにはwifi機能やOSが入っている場合も多いので、テレビがあれば『Stadia』を導入できる可能性があります。
また、最近のゲームでは、ネット配信などが盛んで、動画として流しやすいかどうかというのも、重要な要素だったりします。
youtubeSNSを通して話題になれば、それだけユーザーを獲得できる可能性が増すわけですが、『Stadia』はそのあたりにも力を入れているようです。

というのも、youtubeの運営をしているのはgoogleですし、ゲームそのものをgoogleのサーバーで行うのであれば、ゲームの録画データをわざわざアップロードする手間が省けるわけですから、配信は非常にしやすくなるでしょう。
また、ゲームデータがサーバー側にある事を利用して、ゲーム内で自分が窮地を脱出したといったミラクルプレイを行った場合は、その窮地の部分のセーブデータをSNSなどを通してリンクすることが出来て、そのリンクをクリックするだけで、誰でも同じ条件でゲームが出来る様になるらしいのです。
今までは、動画やスクショをシェアすることしか出来なかったのが、難しい場面そのものを再現して、多くの人に再プレイしてもらうことが出来る為、ゲームがコミュニケーションの一分になる可能性まで出てきました。

こうした現実を見せつけられると… 据え置き機がオワコンになる未来も、結構近いのかもしれないですね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第48回 移り変わる宇宙の捉え方(4)『神はサイコロを振らない?』後編

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電子による二重スリット実験

ただ、科学というのは、単に否定するだけではなく、推論を重ねて実験を行って検証しなければ、先には進みません。
そこで、光が波の性質を持つ事を発見した二重スリット実験を、電子を使って行ってみようという実験が行われます。

実験方法としては、まず、箱を用意して、一番奥の壁に、電子がぶつかると、その跡が残るような仕掛けをしておきます。そしてその箱を真中で仕切り、仕切った壁に2つのスリットを開けておきます。
次に、電子を1つずつ打ち出すことが出来る電子銃を用意して、一番奥の壁に向かって電子を撃つという実験です。
これにより、電子は仕切られた壁に開けてある2つのスリットのどちらかを通って、一番奥の壁に衝突し、後を残すという状態を作れます。

この状態で、まず最初に、電子銃のトリガーを引きっぱなしにして、電子を乱射し続けます。
仮に電子が、野球のボールのような粒子であるならば、乱射されたボールが2つのスリットをすり抜けた場合、スリットの跡を残すような感じで、2つの線を描いて終わりのはずです。
しかし、結果はどうなるのかというと、光の干渉縞と同じ様に、電子の衝突した後が縞模様のようになり、干渉縞を描いたんです。
この干渉縞は、波の性質を持つものしか描くことが出来ない模様なので、この実験結果により、電子は波の性質を持つということが確認できました。

次に、電子を1発だけ撃つとどうなるのかというと、一番奥の壁に、粒子1つ分の衝突跡だけが残ります。この観測により、電子は粒子である事が分かりました。
ただ、これだけでは、電子が波と粒子の両方の性質を併せ持つという事は確認できません。
というのも、1つ目の実験では、電子銃のトリガーを引きっぱなしにして、電子を乱射状態にしたので、粒子の性質を持つ電子同士が集まることで、波のような振る舞いをした可能性もあります。

例えば、波を起こす水も、細かく見れば水の粒子の集まりで、その粒子が集まることで、全体として波を引き起こしますよね。
水だけでなく、細かい粒子というのは、大量に集めれば、全体として液体のような振る舞いをしますし、液体であれば、粒子全体の動きとして、波は起こります。

単独で干渉する電子

ただ、この実験の面白いところは、3つ目の実験です。。
3つ目の実験では、2つ目の実験と同じ様に、電子銃を使って電子を1発撃ち、衝突痕が確認できた後で、再度、電子を1発撃つというのを、何回も繰り返し続けます。
電子は1発づつ発射されているので、他の電子と干渉は起こりませんし、それぞれの電子はつながりを持っているわけではないので、普通に考えれば、実験結果は、ランダムに衝突痕が残ると考えられるのですが…

電子を1発ずつ撃った結果、何が起こったのかというと、1度目の実験結果と同じ様に、干渉縞が出来たんです。
用意された電子は、全体としてつながっているわけでもありませんし、先に撃ち出した電子が衝突した後に打ち出されているので、連続性もありません。
にも関わらず、1つの波が描くような干渉縞を描いたんです。

ここで疑問が生まれます。 アインシュタインの反論のように、電子という粒子は、『観測が出来ていないだけで、常に何処かには存在している』という代物であるなら、1個の粒子は、何と干渉して干渉縞を残したのかという事です。
物質である粒子は、2つのスリットのどちらか一方しかクグる事が出来ませんし、1個の粒子が片方のスリットをくぐったところで、干渉は起こりません。 

この状態は、観測する前の電子は確率の波の状態で、1つの電子が2つのスリット両方をくぐる事で、2つの波になって、そして互いに干渉し、確率の高いところと低いところが生まれて…
その確率に則って、電子の粒子が観測されると考える方が、説明が付きやすいんです。

不確定性原理

ここで、『電子銃から発射された電子の動向を、ずっと観察しておけば、電子がどのようにスリットを通って、奥の壁に到着したのかが分かるのでわ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが… それは、無理なんです。
というのも、観察というのは、何かをぶつける事で可能になるのですが、観測対象が小さすぎると、ぶつけるという動作によって、対象に影響を与えてしまって、元の状態を観測できなくなるからです。

例えば、目が見える人間にとっては、観察は目を使って行いますが、目で見るという行為は、物質に光があたって、それが反射して目に入る事で、物体の観察が可能となります。
ボーリングの玉を物体として、光をピンポン玉と仮定すると、ボーリングの玉にピンポン玉という小さなモノを投げつけて反射させ、それを観察者が受け取る事で、観察が可能となるということです。
この場合、ボーリングの玉という重くて大きいものに、ピンポン玉という軽くて小さいものを当てているので、ボーリングの玉はピンポン玉を当てられても状態が変わること無く、維持することが出来るので、観察者は、変わらないボーリングの玉を観察できるのですが…

この観察対象が小さすぎる場合、例えば、ピンポン玉にピンポン玉をぶつけて、その反射で観察をしようと思った場合は、ピンポン玉をぶつけた時点で、元のピンポン玉の状態が変わってしまうので、上手く観察ができないんです。
電子は、ほぼ最小単位のような物質のため、これに、光などをブツケて反射させようと思っても、ブツケた事によって状態が変わってしまうので、観察はできないということです。
つまり、確率の波という観察できていないものを観察しようとしてアクションを起こすと、そのアクションによって状態が変わって、確率は収束して粒子になってしまうという理解で良いんでしょうかね。

計算式などの詳しい説明は、私自身も理解できていないので、物凄く雑に言いますが… このように、観測によって元の状態が変わってしまって分からなくなる事を、不確定性原理と呼ぶようです。
不確定性原理を他の例でいうと、コップに入っている水の温度を測る時に、温度計を水の中に入れると、温度計が持っていた温度と水との温度が混ざり合い、水の温度は計測前と若干変わっていまします。
温度計を入れたことによって、温度計を一定時間入れたコップの中の水の温度は測れますが、温度計を入れる前の水の温度はわからないという事ですね。

不思議な現象はミクロ世界に限ったことではない

この、二重スリット実験ですが、電子1個という最小単位という条件でのみ発現するような特殊な状態なのかというと、そうでもないようなんです。
電子よりも大きな炭素原子を、サッカーボールの模様のように60個つなぎ合わせた状態のものでも、同じ様な実験結果が出てしまい、最小単位でのみ起こる例外ではなくて、原子が組み合わさって物質となっている物も、実は確率の波だという結果になってしまいました。

このような結果を受けても、アインシュタインは、確率解釈を最後まで受け入れず…
『仮に、その解釈が正しいとするのなら、月は誰も観ていない時は確率の波になり、存在していないことになる。でも、月は見ていない時にでも存在しているはずじゃなか。』といったそうです。
また、波動関数を生み出したシュレディンガーも、シュレディンガーの猫という思考実験を生み出しました。

この実験は、猫を箱の中に入れて見えない状態にして、その後、箱の中に確率で毒が充満するとか、毒入りの餌を置いておくなどして、50%の確率で死ぬような仕掛けをした場合、箱を開けて観測しなければ、猫の状態は確定しないという思考実験です。
状態が確定しないとは、猫が死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている状態になるという事ですが… 死んでいる猫と生きている猫が、重なり合っている状態で両方存在しているなんて、おかしい じゃないかという、皮肉として生み出された思考実験です。

ただ、どんなに皮肉をいっても、感情に訴えたとしても、そういう事実が観測されてしまうと、それに対する反論を言えない場合は、有力な仮説の一つとして認めなければならないのが科学なので、現時点では、物質は確率の波で、観測されると、確率が収縮して粒になるとするしか無いんでしょう。
この後、量子論の解釈は更に発展していき、多世界解釈なんてものにまで発展しますが、その話はまた、次回にしていこうと思います。

(つづく)
kimniy8.hatenablog.com