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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第51回 ソクラテスが生きた時代(1) 前編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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古代ギリシャとは

前回までで、ソクラテスが何故、物事の根本的な事を探り、解明しようとしたのかを、簡単に紹介していきました。
ただ、前回の説明では、ソクラテスが生きていた時代や環境の説明などをしていないので、分かりにくかったかもしれません。
ということで今回は、前回の補足ということで、古代ギリシャが当時、どの様な状態だったのかも踏まえた形で、ソクラテスがどの様な考えに至ったのかを話していこうと思います。

古代ギリシャは、ポリスと呼ばれる都市国家に分かれていて、それぞれのポリスが領土を治めるという形で存在していました。
想像しやすいように他のものに例えると、ヨーロッパや戦国時代の日本のような感じでしょうかね。 歴史に詳しい方にとっては、例えが乱暴に思えるかもしれませんけれども…
この説明にツッコミを入れれるような方には細かい説明は必要がないと想うので、そのような方は聞き流してください。 歴史に詳しくない方については、そのようなものだという理解で良いと思います。

ヨーロッパは、ヨーロッパという国があるわけではなく、その地域の中に多くの国が入っていて、それぞれの国が自治をしていますよね。
日本の戦国時代は、日本という一つの国を、地域ごとに、それを治める武将がいて、自治を行っていましたよね。

その様な感じで古代ギリシャも、ギリシャの中に多くのポリスが存在し、自治を行っていました。
有名なポリスを上げると、アレクサンダー大王のマケドニアとか、アテナイやスパルタ等ですね。
当時のギリシャは、東にある大国のペルシャ、今で言うイランから攻め込まれて、大きな戦争が何度も起こっていました。

ギリシャとペルシャの関係

有名な戦争を挙げると、まず、マラトンの戦い。
この戦いは、ギリシャのバルカン半島の東の対岸、今の国で言うトルコに当たる場所に、イオニア。以前に、イオニア自然学の話をしたと思いますが、そのイオニアですね。その地域のギリシャ人植民市がペルシャの支配に不満を持って、反乱を起こすんです。
この鎮圧をするために、ダレイオス1世が兵を出すんですが、そこにギリシャのポリスの1つ、アテナイが介入した事で、鎮圧軍を遠征させてギリシャにまで進軍させます。これを、アテナイが主導する形で迎え撃ち、見事に迎撃に成功する戦いです。
この戦いに勝った際に、現場の情報をアテナイにいる上層部に伝える為に、使者が休みなく走って情報を伝えて息絶えたという事が有り、その使者が走った距離が42.195キロだったから、マラソンという競技が生まれたなんて話もありますよね。

ただ、このペルシャの進行というのは、この撃退で終わることはなく、ダレイオス1世の息子のクルセクルスが、再び軍隊を組織して攻めてきます。
ですが、この時は、ギリシャは丁度、お祭りであるオリンピックの開催時期と重なっていて、神々に捧げる祭りをとり行っている時に、争い事はしてはいけないという決まりから、軍隊を出すことが出来ません。
しかしペルシャ側には、そんな事情は関係がありません。 ギリシャのスパルタに向かって進行していき、当時のスパルタの王であるレオニダスは、迎え撃つ為の軍隊を出す許可を、神の言葉を聞く神託官。エフォロイという職業の人たちに対して求めます。

当時の古代ギリシャは、オリュンポスの神々が人間よりも上の存在としていて、その神々の言葉を聞くエフォロイ抜きで、王が独断で決定を下す事は出来なかったようなんです。
しかし、いくら神々が重要で、その言葉を聞くエフォロイの言葉が重いとはいっても、現実問題として、ペルシャの侵略軍は進行してきているので、なんとかしなければ、民を守ることが出来ません。
そこで、レオニダス王は、選りすぐりの戦士300人だけを連れて、片一方が崖で、反対側が絶壁の山になっている一本道で待ち伏せするという戦略に出ます。

これが、『テルモピュライの戦い』と呼ばれる戦争で、スリーハンドレッドというタイトルで映画化もされていたりします。
この様な感じで、当時のギリシャは大国のペルシャから攻め込まれるという事が4回ぐらいあったんです。

ペルシャは何故 攻めてくるのか

何故、ペルシャが進行してきたのかはわからないのですが、私の勝手な思い込みとしましては、古代では国を成立させる上で、戦争というのが重要な役割を負っていたからかもしれません。
もう一度いっておきますが、今から話す事は私の妄想を多量に含んでいるので、鵜呑みにしないようにしてくださいね。 気になったら、自分で調べてみてください。

ペルシャに限らず、複数の部族が密集していて文化を作っているところでは、覇権争いから戦争が絶えない事が多いです。
そして、戦争によって相手を打ち負かした場合は、その国の人間を奴隷にして、生活するのに必要な労働を任せていく。 この行為を続けていくと、経済を拡大させる奴隷が必要になり、奴隷を獲得するために戦争が必要になります。
ペルシャという帝国は、古代の世界で最も重要とされた地域の覇権争いを勝ち残った帝国で、この地域を統一した後も、戦争によるサイクルを止める事が出来なかった為、外側の世界を目指したのかもしれません。

その他には、ユーラシア大陸の西側は、元はペルシャ帝国があった場所から文明が始まったので、その周辺国は、元々は自分たちの支配下にあった者達が、外側にいって開拓しただけなので、間接的には自分たちが支配者だという思いもあったのかもしれないです。
くどいようですが、この辺りは憶測で喋ってるだけですので、興味のある方はご自身で調べてみてくださいね。
先程の説明で、『古代の世界で最も重要な地域』とか『外側の世界』といった言葉を、説明なしに唐突に出した為に、混乱されている方もいらっしゃるかもしれませんので、本題からは外れますが、この部分についてもう少し詳しく話していきます。

ミトコンドリア・イブ

人類の最初期から振り返ってみると、人類のルーツを探るために、細胞の中にあるミトコンドリアのルーツを辿っていくと、アフリカの女性に行き着くという話がありますよね。
この女性の事を、聖書になぞらえてミトコンドリア・イブなんて言ったりするそうですが、アフリカで生まれた人類の祖先が、アラビア半島を経由して世界全土に広がったという説があります。
人類は、最初は全員アフリカ人だった為、当然ですが、みんな黒人でしたので、太陽光の強い地域でしか暮らせなかったそうです。

というのも、人間は太陽光を浴びる事でビタミンDを作るわけですが、紫外線が強すぎると、細胞が破壊されたり火傷を負ってしまったりする。 だから、紫外線から身を守るために、色素を出してバリアを張っているのですが…
太陽光の強い、赤道近辺であれば、皮膚のバリアとビタミンの製造のバランスが取れて丁度良いのですが、北の方に行き過ぎると太陽光が弱くなる為に、ビタミンが作れなくなって暮らせなくなるそうなんですね。

ただ、生物はアルビノの様に、色素を持たない突然変異体や、色素が薄い個体が一定の確率で生まれてきます。
色素が濃い黒人の場合は、皮膚の表面で太陽光を吸収してしまう為にビタミンを作る事が出来ない為、安定して暮らすことが出来ないのですが、色素が薄い人間は、皮膚で紫外線を吸収しない為に、弱い太陽光の元でも暮らすことが出来る。
逆に、紫外線を防ぐための皮膚のバリアがなかったり薄かったりするわけですから、太陽光線が強い場所では、火傷などを負ってしまう為に暮らしにくかったりするんですね。
こうして生まれた、色素の薄い黄色人種や白人が、より北上して太陽光が弱い地域で住むようになったという話があります。

この仮設については、『迷惑な進化』というタイトルの本で詳しく語られていたりもするので、興味のある方は読んでみてください。

この様な感じで、人類はアフリカから生まれて全世界に散らばっていくわけですが、この際に、アラビア半島を経由して広がっていくんですね。
そして、アラビア半島の北の部分には何があるのかというと、『肥沃な三日月地帯』と呼ばれる地域があるんです。
この地域は、今の地図でいうと、イラン・イラク・シリア・エジプトがある場所に広がっていた地域で、アラビア半島に蓋をするような感じで横たわっている地域です。
(つづく)
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