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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第30回【経営】アンゾフの成長ベクトル(2)

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ターゲット層を分散する

前回は、多角化等によるリスク分散について簡単に説明していきました。 特定の狭い市場だけで仕事をしていると、その市場環境が大きく変化した際に、その動きに対応することができなくなってしまいます。
そうすることを避けてリスク分散するためにも、ターゲット層を複数にしていく必要があります。

しかしこの考えは、過去にマーケティングの回で取り扱った『ターゲットを絞り込む』という戦略に矛盾しそうですが… 実際には矛盾はしません。

過去にマーケティングについて話た回では、ターゲットを絞り込むという事が重要だという話をしてきました。
理由としては、万人受けする誰に対しても受け入れられるような商品やサービスを目指して作ったとしても、出来上がるのは、何の特徴もない誰からも受け入れられないような商品になってしまう可能性が高いからです。
その為、商品やサービスを開発する際には、万人受けするようなものではなく、ターゲットを絞り込んで、そのターゲットに向けた特徴のある製品を作っていく必要があります。

しかし、ターゲット絞り込んで狭い市場で戦っていると、その市場が何らかの理由で閉じてしまった際に、売上が立たずに大きなダメージを受けてしまいます。
そこで、ターゲットが違う別の商品を作ったり、顧客層が違う新市場に乗り込むことで顧客層の分散を狙っていきます。
新市場開拓とは簡単に言えば、地域を変えたり、店舗販売からネット販売に変えると言ったものや、広告の打ち出し方で別の層にも訴求していくということです。

アンゾフの成長ベクトル

つまり、商品やサービスを開発する際に、特定のターゲットを想定して商品開発をするというのは変わりませんが、その商品を別のターゲット層にも売り方を変えて販売していくということです。。
また新商品開発によって複数の商品を開発していけば、商品1つだけを取り上げてみればターゲット層は絞られているが、会社の商品ラインナップ全体をみれば顧客層は分散している状態が作れることとなります。
ではどの様に商品開発や多角化を行っていけば良いのか、それを整理して分かりやすく示してくれるのが、前回から扱っている『アンゾフの成長ベクトル』です。

この『アンゾフの成長ベクトル』ですが、簡単に言えば『市場』と『製品・サービス』の2つの軸を『新規』と『既存』で分けて、4つの領域を作り、その領域に戦略を当てはめたマトリクス図です。
紙などを用意して書いてもらうと分かりやすいですが、まず真ん中に横線を引いて、上を既存市場、下を新規市場とし、次は縦に二分するように線を引き、左を既存製品、右を新規製品とした場合、4つの領域ができますよね。

その4つの領域に戦略を当てはめていきます。左上の既存市場・既存製品の領域には『市場浸透化戦略』 右上の既存市場、新規製品は『新商品開発戦略』
左下の既存製品、新市場は『新市場開拓戦略』 右下の新規市場、新規商品は『多角化』です。

戦略の選び方

では、それぞれの戦略はどの様に決めていけばよいのかというと、まず、気にしなければならないのが外部環境である既存市場の状態です。
もし既存市場が伸び悩んでいたり、市場自体が縮小しているのであれば、その市場にこだわってしがみつくことはせず、新たな市場に打って出る必要が出てきます。
つまり、新規市場を選ばなければならないということです。一方で既存市場が成長段階で拡大していっているのであれば、情報の少ない新市場に打って出る必要は低くなります。

ここが決まってしまえば、もう一つの製品戦略も決めやすくなります。既存製品が新市場でも通用しそうであれば、既存商品を持って新たな市場を訪れてみるというのも良いでしょう。
この場合は、新製品を開発する必要がないために新たに商品開発をする必要がなく、コストは安く済ます。
また、既に商品のことをよく知っていますし、その商品のが既存の市場でどのように受け入れられてきたのかという情報もあるため、それを活用することも出来るでしょう。

戦略ごとのリスク

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ここまで『アンゾフの成長ベクトル』について説明してきたのですが、ここまでの説明で勘の良い方は気づいておられるかも知れませんが、商品であれ市場であれ、新規と既存では既存を選択する方がコストもリスクも少なくなります。
何故リスクが低くなるなるのかというと、既に実績や製品や市場に対する情報や人脈があるからです。メーカーの場合は、自社で直販をしていることは少なく、大抵は流通業者が持っている販売チャネルを使って流通に乗せます。
この販売網をそのまま活用できれば、仮に新商品を開発したとしても、その販売網を新規で開拓する必要がなくなるため、非常に楽です。
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一方で、新規で市場開拓をする場合、一から情報を集めたり卸売や小売店との人間関係を構築していかなければななりません。新たな良い取引先が見つかるかは不確定であるため、既存市場の安定性と比べれば、リスクは高まります。
製品開発も同じで、既存製品の場合は既に市場で戦えているという実績があるわけですから、それを売り続ける場合に先行きが不透明ということはありません。つまりリスクは低くなります。
一方で新商品開発の場合は一から製品を作り出すわけですから、それが市場で受け入れられるかどうかはわかりません。 つまり、リスクは高くなります。

一番リスクが低いのは市場浸透化戦略

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これを踏まえて改めて戦略の方を観てみると、市場浸透化戦略は既存市場に既存製品を投入するという戦略であるため、リスクは非常に小さくなります。
既に市場で売れているものを売れている市場に対して販売するわけですから、当然といえば当然で、経営資源が少ない中小企業の場合は、戦略が選べる状態であるのなら市場浸透化戦略を選ぶべきです。
ですが、これは既存市場が成長、もしくは安定している状態の時のみに行える戦略です。

拡大している市場を狙う

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先程も言いましたが、自分が携わっている既存市場が縮小している場合は、当然ですがこの戦略は選べません。
何故なら、縮小している市場に商品を投入したとしても、商品同士で顧客を食い合うカニバリズムが発生しやすくなりますし、新商品投入によってシェアを伸ばせたとしても、売上が上がる保証はないからです。
この環境で企業が売上を伸ばそうと思う場合、衰退する市場を盛り上げるという大掛かりな作業が必要になりますが、中小企業が一つの市場を盛り上げるというのは、市場にもよりますが厳しいと思われます。

その為、市場浸透化戦略を取る場合は、少なくとも市場が横ばいで安定している必要があります。

多角化戦略はリスクが高い

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逆に、多角化は非常にリスクが高い戦略となります。
何故なら、自分が携わっていない市場に対して、新たに商品やサービスを開発して参入する必要があるからです。
選ぶ市場は当然、これから伸びていく新たに生まれた市場や成長市場となるわけですが、そういった市場には同じ様に考える新規参入者が多いため、当然、これらの事業者と戦わなければなりません。

今まで参入していかなかった未知の市場に対して新製品を投入して、同じ様に新規参入する業者と、その市場に元からいた古参の企業を相手に戦わなければならないわけですから、その競争に勝ち残る難易度は非常に高く、リスクも高くなります。
よく話などで、起業された会社が5年後に生き残っている確率はかなり低いなんて話がありますが、あれも、サラリーマンをしていた人が、今までのキャリアと関係のない飲食店をするなどリスクの高い挑戦をしていることが理由かもしれません。
この様に、今まで携わってこなかった仕事にいきなり挑戦するというのはリスクが高いため、可能であれば、この様な無関係の市場に新たな商品開発をして乗り込むというのは、相当余裕がない限りはやらない方が良いです。

しかし、この様な危険な戦略も、やらなければならない時もあります。
それは、自分が携わっている既存市場が縮小していってる状態で、尚且、その製品はその市場でしか通用しないような場合です。
この様な状態では、その市場に残っていてもジリ貧なので新たな市場に打って出ないとダメですが、そのための商品やサービスがないために、1から商品開発を行っていかなければなりません。

多角化戦略は余裕のある状態で

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リスクの高い戦略となるので、追い込まれて余裕のない状態で着手しても上手くいかない場合が多いです。
何故なら、時間的余裕も資金的余裕もなくなるからです。 どれだけ優れた社員を雇っていたとしても、時間もない状態で全く新たなことにチャレンジして、1回で確実に成功させることは至難の業です。

その為、市場の先行きが怪しくなったとわかれば、余裕のある状態から準備しておく必要があります。
この状態であれば、市場は縮小し始めたところで、完全に衰退しているわけではないため、本業で安定した利益を確保し続けることができ、その資金を新規投資に注ぎ込むことが出来るようになります。
この状態を作ることで、多少失敗をしたところで深刻なダメージにならず、成功するまで繰り返し挑戦することが可能になります。

自社以外の力で多角化を行う

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この他にリスクを減らす方法としては、これから参入しようとする市場である程度の成功を収めている会社と提携するとか、その会社そのものを買ってしまうというのも手です。
自社に、参入予定の市場に関する情報やノウハウがまったくなかったとしても、提携や買収した企業がそれらを持っていれば、それらを活用することでリスクを減らすことができます。

ということで今回は、市場浸透化戦略と多角化戦略を説明していきました。
残りの2つについては次回に話していきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第29回【経営】アンゾフの成長ベクトル(1)

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新規事業展開

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前回は、VRIO分析を使って企業の経営資源の分析や、それを元にした企業が取るべき行動の話をしていきましたが、今回からは、新規事業展開について考えていきます。
企業というのは、基本的には一つの事業だけを行うのではなく、経営資源に余裕が生まれれば、新規事業展開を考えるほうが良いです。
何故なら、1つの事業だけを行っていると、環境の変化に対応しづらくなってリスクが高止まりしてしまうからです。

例えば、2020年~今この音源をアップロードしている2021年は、感染病のコロナによってそれ以前とは市場環境が大きく変化しました。

これによって、同じ様に経営に打撃を受ける環境にある企業であっても、立ち直れないダメージを受けた企業と、なんとか耐え忍んでいる企業に分かれました。

リスク分散

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何故別れたのかというのは様々な要因が絡み合っているために、原因を一つに絞り込んで断言することはできませんが、事業が一つだけか、そうではないのかというのが大きいと思います。
例えば、私は京都に住んでいますが、京都には、観光客をメインターゲットにした仕事というのが沢山あります。

特にこの数年は、外国人旅行客が多かったため、その外国人をターゲットにした仕事というのもかなりありました。例えば、海外旅行者向けのゲストハウスの運営であったり、その場で買って直ぐに食べれる様な商品がそれにあたります。
例えば、元々観光地として人気のあった錦市場も、市場という形態ではなく、旅行客に食べ歩きをしてもらうための『買い食い』の形態に変えて営業を行ったりしていました。
地元客ではなく、お金を消費しやすい外国人観光客をメインターに絞って経営すれば、売上も利益率も上がる為、利益は跳ね上がるとは思いますが、その代わりとして顧客層は狭まりリスクが高まりました。

具体的には、早い段階で地元客を切り捨てていたことで、そのお客さんは他で商品を調達するようになったため、売上が外国人観光客の動向のみに左右されるようになってしまいました。
私の携わっている業界もそうで、紙の箱というのは主に和菓子の土産物に使われる事が多いのですが、今回の騒動で国内旅行客も減ってしまったため、大きな打撃を受けることになりました。
何故、大きな打撃を受けてしまったのかというと、一つの事業しか行っていなかったからです。

顧客層を広げる

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前に、マーケティングのことについて話した回で、商品やサービスを開発する際には、ターゲットを明確にするべきだという話をしました。
1つの製品や1つの事業について、細かいターゲット設定をすることは間違いではありませんが、そのサービス1点のみで会社経営を行った場合、そのメインターゲット層が何らかの理由で無くなってしまった場合は、会社は潰れるしかありません。
これを回避するためには、顧客層を広げてリスクを分散する必要があります。

『顧客層を広げる』と聞いて、前にマーケティングの事を話した際に話した『ターゲットを絞り込む』という話と矛盾するのでは?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これは矛盾しません。
誤解を招かないようにもう少し詳しく話すと、前にマーケティングでターゲットを絞るという話をしたのは、1つの事業であったり、1つのサービス、1つの製品を提供する際にターゲットを絞るという話です。
例えば何かしらの商品を作って販売するメーカーの場合、商品Aについては、20~30代の女性をターゲットに絞り込むけれども、商品Bについては、30~40代の男性に絞り込んだ商品を作るということです。

1つ1つの製品を開発する際には、ターゲットを絞り込み、時にはペルソナなどを設定してニッチな商品を作ることは有効な方法ですが、仮にその商品が大成功したとしても、その1つの製品だけで事業運営を行うと、リスクは高まります。
何故なら先程も言ったように、そのターゲット層が存在している市場が何らかのアクシデントに見舞われた場合、企業運営に深刻なダメージを受けてしまうからです。
ではどうすれば良いのかといえば、仮に、最初に開発した1つの製品が大成功したとしても、そこで商品開発をやめるのではなく、そこで得た利益を使って別のターゲットに向けた商品を開発していく方が良いです。

以前に、1つの大きな得意先だけを相手に商売をせずに、取引相手は分散させたほうが良いと言った感じのことを言いましたが、これは商品や事業でも同じで、ある程度分散させておいたほうが安定性が増すことになります。
では、どのようにして新事業や新商品開発を行っていけば良いのでしょうか。

アンゾフの成長ベクトル

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ここで登場するのが、アンゾフの成長ベクトルです。

このアンゾフの成長ベクトルは、市場と商品を基準にしたマトリクス図になっています。市場と商品をそれぞれ既存と新規に分類することで、4つの領域に分けます。
別れた4つの領域に、それぞれの戦略が割り当てられているので、このアンゾフの成長ベクトルに自分の意思を当てはめることで、どの様に行動すればよいのかが分かるようになります。。
音声だけで聞いているとわかりにくいと思うので、もう少し丁寧に説明すると、漢字の田んぼの田の字を上下に分けて、上を既存市場、下を新規市場に分けます。次に、田んぼの田の字を左右に分けて、左を既存製品、右を新規製品に分けます。

そのうえで、それぞれの4つの領域に戦略を当てはめていきます。
左上の既存市場に既存製品で攻め込む戦略は、市場浸透化戦略。 右上の既存市場に新商品で攻め込む戦略は、新商品開発戦略。
左下の新市場に既存製品で攻め込む戦略は、市場開拓戦略。 右下の新市場に新商品で攻め込む市場は、多角化戦略となります。

このマトリクス図ですが、戦略と方法が紐付けされているため、方法を選べば戦略が、戦略を選べば方法の大枠が分かるようになっています。
では、どの様に戦略を選んでいけば良いのかというと、これは内部要因と外部要因によって変わってきます。
内部と外部の要因でどちらの方が比重が大きいかというと、個人的には外部要因の方が大きいと思います。

市場が成長している分野に参入する

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理解しやすいようにもう少し具体的に観ていくと、例えば、自分が携わっている市場が成長しているのか衰退しているのかを考えてみると、考えやすくなると思います。
例えば、既存市場が衰退している場合。その市場で戦い続けるというのは苦しい戦いになることは、容易に想像ができると思います。
何故なら、いくら既存市場で頑張ってシェアを伸ばしたとしても、市場全体が縮小しているわけですから、売上増加には繋がりにくくなります。

数字で例えるなら、元々の市場の大きさが100で、自社のシェアが30%だった場合、自分は100X30%で30の顧客を相手に仕事をすることになります。
仮に頑張ってシェアを50%まで伸ばしたとしても、市場のほうが衰退して大きさが50にまで下がってしまえば、50X50%で自分たちの顧客は25となり、シェアは伸びているのに売り上げは減ることになってしまいます。
市場のほうが衰退していくのであれば、既存の市場を捨ててでも、新市場に打って出たほうが良いでしょう。

逆に、市場が成長中の場合は、敢えて情報の少ない新市場に打って出るよりも、自分たちが熟知している既存市場で勝負した方が良いという選択になります。
理由はさっきと逆で、シェアが伸びなかったとしても市場が成長して大きくなることで、自社の売上が伸びる可能性が高いからです。

製品軸で考える

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次に、新商品を開発するのか、既存商品をそのまま売り続けるのかの選択です。
既存商品を別の市場で売るとはどういうことかというと、売り方を変えるということです。
例えば海外展開するとか、別の都道府県に店を出してみるとか、ネット販売に進出するとか、今まで卸売だけに対応していたけれども、直販も行うと言った感じで、同じ商品を別の市場で販売することを目指すということです。

売り方を変えるだけで市場が変わるのかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、販売形態を変えることで客層そのものが変わるため、市場も変わるんです。
例えば、テレビの通信販売とネット通販とでは、購入する層そのものが違うため、ネット通販で売れなかったものでもテレビの通販で販売することで新たな顧客を開拓できたりします。
実店舗で売る場合と通販で売る場合も同様、売り場によって年齢層や男女比などの顧客層が異なるため、売り場を変えることで相手にする市場そのものが変わります。

この様に、売り場を変えると商品を目にする層が変わるため、別の市場を開拓できたりします。
市場と製品を既存と新規に分けて、4つの戦略の中から1つを選べるようにするのが、このアンゾフの成長ベクトルです。
今回は簡単な説明になりましたが、次回はもう少し詳しく話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第108回【ソクラテスの弁明】裁判官の仕事 後編

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メレトスの証人

また、ソクラテスは、その活動を通して、国民から一切の報酬は得ていないと断言します。
それは、メレトスの態度を見れば直ぐに分かります。

コレまでの流れを振り返ると、メレトスは『ソクラテス憎し!』という思いから、嘘で塗り固めた主張によって、ソクラテスを死刑にしようと企んでいます。
その様な人物であれば、自分に有利な証言をする者を、証人として用意するはずでしょう。 例えば、ソクラテスから教えを受けて、彼に多額のお金を支払ったという人間を法廷に連れてくれば、かなりの説得力をもって証言が受け入れられます。
ですがメレトスは、その様な証人を用意することすら出来ておらず、ただ『ソクラテスは国民を騙して、その金で生活をしている』と訴えるだけです。

彼が不正を犯して、他人からお金を奪い取っているのであれば、その被害者を連れてくれば話が早いのに、それすら出来ていませんし、実際に訴えているメレトス自身が、お金を奪われていません。
では、一切金にならない活動を、何故、長きに渡って行ない続けてきたのかというと、ソクラテスはは、コレまでの一連の活動を、神々による試練だと考えていたからです。
信仰心が高いが故に、金銭を受け取ることもなく、無償で活動を続けていたと主張します。

そしてソクラテスは、自分の話を聞いている大衆に寄り添う形で、彼等に成り代わって、自分自身に質問を投げかけます。
その内容は、『そこまで国民の事を心配しているのであれば、それが実現できる地位を目指せばよかったのではないか?』という疑問です。

公人になってはいけない

彼の活動は、一人で様々な賢者の元を訪ね歩いては、問答をしていくというスタイルですが、全国民の目を覚まさせたいのであれば、そんな地道な作業を続けなくとも、もっと効率的な方法があります。
それは、政治家を目指すことです。 例えば、政治家を志し、そこで出世して権力を手に入れれば、法律を改正すると言った事もできるようになる為、より手っ取り早く、国民の意識を変えることが出来るかもしれません。
当時のアテナイは、政治家は『くじ引き』による抽選制でしたが、ペリクレスのように将軍を目指せば、『くじ引き』の様な運ではなく、実力で政治のトップになる事が出来ます。

ソクラテスが今まで主張してきたことが本当で、彼の望みは、神の意志に従って国民を良い方向へと導くことであるのならば、政治家になって発言力を高める事が、一番手の近道になります。
ですがソクラテスは、この意見を否定します。

まず、第1の理由としては、彼には小さな頃から、事あるごとに『ある声』が聞こえてくるそうです。
その声が聞こえてくるには条件があり、自分が悪い道に踏み込みそうになると、どこからともなく声が聞こえてきて、ソクラテスに対して警告してくるそうです。
この声は、神々からの声なのか、それとも、統合失調症的な幻聴なのかは分かりませんが、何らかの決断を下そうとする際、間違った道に進もうとすると声が聞こえてきて、正しい道に導いてくれたそうです。

ソクラテスは、この場で初めてこの話をしたわけではないようで、世間にもある程度は広まっていたようです。
これを利用しようとしたのがメレトスで、彼は、巫女でもないソクラテスが何らかの声を聞き、その声に耳を傾ける形で行動を決めている事を『国が定めていない神々を信仰している』として、訴えたと指摘します。
この声ですが、ソクラテスが政治の道に入ろうとした際には『その道を進まないように』と警告してきた為、政治の道に入る事を止めたと主張します。

公人は信念を持てない

ソクラテスは、その警告を受けてから、その理由を考え始めます。
彼にとっては、その声の正体が神々なのか、それとも別のものなのかを見極めるすべがない為に、得体のしれない声が聞こえてきたからと、その声を盲信するわけにはいきません。
その声の主張は正しいのかを吟味した上で、納得した時のみ従うと決めていたのでしょう。

結果として、ソクラテスは謎の声の主張が正しいとして、それを受け入れて行動に反映させますが、その理由が2つ目の理由となります。
それは、政治の世界に足を踏み入れたものは、自分の信念を全うする前に死んでしまうからです。
誤解しないでほしいのは、ソクラテスは死ぬのが嫌だから政治の世界に入らないのではありません。 信念が全う出来ないからです。

彼は、自ら政治家の道を志したことはありませんが、過去に一度、政治家の地位を与えられた事はありました。
アテナイは、ペロポネソス戦争でスパルタに占領されて、一時的に民主政から30人の代表が統治する三十人僭主政に切り替わります。
結果としては、この体制は1年で崩壊して、再び民主制に変わるのですが、その三十人僭主時代に、彼は政治家として任命されて仕事を割り当てられます。

政治家になるというのはソクラテスの意思には反することですが、彼はそれ以上に秩序を重んじる人間なので、システムの上層部から下された命令には基本的に従おうとする為、割り当てられた仕事に従事することになりました。
その経験の中で、一度、ある出来事への処罰で揉めて、多くの同業者から恨まれる事件があったそうで、その経験を話し始めます。

自分の主張を言えない組織

その出来事とは、ある戦争の後処理の問題です。 アテナイは海軍国家で、海の上での戦闘も多かったのですが、その戦闘で兵士やその死体が海に落ちた際には、可能な限り引き上げなければならないという法律がありました。
しかし、問題となっていた戦場では、船は嵐に見舞われ、すぐにでも撤退して港に引き上げるなり嵐から出るなりしなければ、転覆してしまう可能性が高い状況に置かれていました。
将軍たちは、船に残っている生きている兵士たちを優先し、海に落ちたものや死体を無視して、戦場から離れたのですが、多くの政治家が、この将軍たちの行動は法律違反だとして処罰すべきだと主張しました。

しかしソクラテスは、将軍たちの判断は、確実に生き残れる人間を優先しただけで、処罰されるほどの悪いことはしていないとして、異論を唱えました。
ルールはルールで秩序は守るべきだけれども、ルールや秩序は良い事を成し遂げる為に存在していることが前提です。 もし、この将軍たちがルールに則って死体回収を優先させた場合、全滅していた可能性も大いにあります。
死体回収や僅かな犠牲を出しても生き延びるのか、それとも、ルールを守って全滅するのかを比べた場合、生還する兵士がいる方が国にとっては良いのだから、将軍は責められるべきではないということです。

しかし他の政治家は、どの様な状態であれ、ルールを守ることが最優先であると考えている為、非常時ならルールを破っても許されるというソクラテスの考えは認められず、大いに反感をかったようです。
他の政治家は、異論を唱えるソクラテスを敵視し、今回の裁判のように感情に任せて訴えようとしますが、幸いにも、ソクラテスは政治家という立場から開放された為、そういう事態には追い込まれなかったと説明します。
この出来事でソクラテスが理解した事は、自分が信念を持って人に思いを伝える場合は、公人であっては駄目だということです。

政治家という立場では、事あるごとに忖度を迫られて、それを受け入れずに自分の本心を話せば、恨まれてしまいます。
事あるごとに恨まれ、その感情が蓄積していけば、いずれは殺されてしまうことでしょう。
ソクラテス自身は死ぬこと事態に恐怖心はありませんが、信念を持った行動を続けられず、何の成果も出せない状態で死ぬことには、多少の残念な気持ちもあるのでしょう。

自分には使命があり、その使命を果たす為に信念を貫く人生を進むというのであれば、忖度が必要な政治家にはなってはいけないというのが、ソクラテスの出した結論です。
この後、ソクラテスは最後の弁明をした後に判決を迎えるのですが、その話は次回にしていきます。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第108回【ソクラテスの弁明】裁判官の仕事 前編

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前回の振り返り

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

裁判官の仕事

前回の話を簡単に振り返ると、前々回でメレトスの主張を一つ一つ論破していったソクラテスは、今度は、実際に判決を下す裁判官たちに対して物申し始めます。
人は、その役割によって態度が変わったりするものです。 使用人の態度と王様の態度は大きく違いますし、お金を持たない貧乏なものが、ある日、大金を手に入れて大金持ちになったとすれば、それによって態度も変わります。
今回の作品の舞台になっている裁判の場では、一番の権力を与えられている人々は、裁判官ということになります。

この裁判官の仕事は、訴えた者と訴えられた者の双方の意見を聞き、その事実関係だけに注目して、正しい判決を下すことです。
にも関わらず、その様な態度で裁判官の仕事を行うものは、非常に少ないのでしょう。

先程も言いましたが、多くの人は、自分の与えられた役割が大きければ大きいほどに、自分自身の態度も増長させていきます。
その裁判の場で一番の権力を持ち、被告人の運命を自由に決められるという役割を与えられたものは、権限の大きさを自分の力だと錯覚してしまい、その立場に酔ってしまう者も少なくありません。
しかし、ソクラテスに言わせるのならば、そんな人間こそが恥ずべき人間という事になります。

繰り返しになりますが、裁判官の仕事は『正しい判決を下す事』です。
裁判というのは、他人の行為の善悪を決めるものなので、不正は絶対に許されません。何故なら、裁判所こそが秩序を守る最後の砦で、ここの信用が揺らいでしまえば、国の秩序が崩壊してしまうからです。
裁判官は、それほどの重責を負っている職業なので、その立場を利用して『有罪になりたくなければ、泣き叫んで懇願しろ』といった態度で被告と接し、相手がそれに従わないと有罪にするといった事は許されません。

死の恐怖

逆に、どう考えても有罪なのに、被告が反省している態度を演じたり、買収を持ちかけられた事によって無罪になってしまえば、裁判官たちの失態によって、犯罪者が世に放たれてしまいます。
犯罪を犯したものが、裁判官の不正によって解き放たれてしまうというのは、絶対にあってはならない事で、そんな事が起これば、秩序は崩壊します。
にも関わらず、裁判の場では少なからず、これらの不正行為が行われています。

それは何故かといえば、多くの人達が、死ぬのが怖いからです。
有罪となって死刑になるぐらいなら、プライドを捨てて泣き叫んで懇願し、無罪を勝ち取りたい。 例え、自分が本当に罪を犯していないとしても、反省した態度を取る事で裁判官に対する印象が良くなり、無罪になりやすいのであれば、そうする。
そういう者が多い為、裁判官は増長し、自分が偉い存在だと錯覚して、その権力を無自覚のうちに振るってしまいます。

ソクラテスは、その状態を裁判官に自覚させた上で、『自分は死を恐れてはいないので、死の恐怖を利用した脅しには屈しない』と主張します。
哲学者であり、全ての事柄に関して疑いの目を向けるソクラテスは、死んだ後でこの世に戻ってきた者はいないとして、死後、自分がどの様になるのかは分からないと言います。
『わからない』とは、怖いものであるとか、良いものであると断言するのではなく、『わからない』という状態をそのまま受け入れるということです。

裁判官による犯罪

現状よりも悪い状態になる可能性もあるけれども、善くなる可能性もある。
どちらかが『わからない状態』なので、未知のものに対する不安がある一方で、死というものを実際に体験して、死に対する知識を増やしたいという気持ちもある。
普通の人間なら、不安のほうが勝つのかもしれませんが、ソクラテスのような人物の場合は、知らないものに対する好奇心のほうが勝る為、恐怖に支配されることはありません。

その為、裁判官に媚びることもないし、哀れな演技をすることも、泣き叫んで情けない姿を晒すこともありません。
その態度が気に入らないという理由だけで、メレトスが主張する嘘で塗り固められた証言を信じて死刑判決を出すのであれば、それこそが恥ずべき不正行為であると断言します。
ソクラテスに言わせるなら、この不正行為は、単に不正な訴えに加担するというだけでなく、更に大きな過ちを犯すことになります。 それは、良き国民に対する殺人です。

何の罪も犯していない無実の者に、不当な判決を下して死刑にしてしまったとすれば、それは殺人行為です。
そしてこの殺人行為の全責任は、裁判官にあります。 彼等の中には、『メレトスの訴えが説得力があった』と言い訳をする者も出てくるかもしれませんが、そのメレトスには、判決を下す権限はありません。
裁判における絶対的な権限は、裁判官にあります。 例えメレトスが悪意を持って訴えを起こしたとしても、その真偽を見極めるのが裁判官の仕事です。 裁判官には、どの様な環境であれ、真実を見抜かなければならない義務があります。

その義務を放棄して、裁判官が、自分に与えられた権限を振るうことで優越感を得ることに没頭しているとすれば、その者達こそが恥ずべき人達ということです。
そしてこれは裁判官達に限った話ではなく、似たような考えを持つ人間は国中にあふれているとして、一つの例え話を始めます。

眠る馬

ソクラテスは、アテナイの国民と自分との関係は、大きな馬と虻の様な関係だと例えます。
大きな馬は、体が大きすぎるが故に、血が頭まで回らずに、常にボーとしていて眠りこけています。
虻であるソクラテスは、その馬を起こして活動的にしようと、必死になって体の彼方此方をさして、馬に不快感を与えますが、馬は一向に起き上がる気配がありません。

起き上がって、自分の足で世界を駆け回れば、今まで見たこともない景色を見られるでしょうし、経験したことが無い事も体験できるかもしれません。
せっかく、この世に生まれて自由に振る舞えるのだから、この機会に見聞を広めれば良いのに、大きな馬はその場で眠りこけているだけで、何もしません。
それどころか、起こそうと必死になって体の彼方此方を刺して不快感を与えてくる虻を、足で払ったり寝返りを打ったりして殺そうとしてきます。

もし馬が、虻を殺すことに成功した場合は、誰も起こすものはいなくなる為、馬は永遠に眠り続けることが出来るでしょう。
虻を殺した馬は後悔をすることもなく、むしろ邪魔者を消したことに喜びを感じながら、再び眠りに入るかもしれない。
しかしその馬はアブを殺したことによって、永遠に目覚めること無く、何も知ること無く、永遠に目覚める事はなくなってしまいます。

神に授けられた役割

この世がどの様になっているのか。 自分は何故、この世に生まれてきたのか。 その意味は何なのか。
この事を哀れに思った神が、第二の虻を送り出さない限り、この大きな馬は、これらの事を何も知ること無く、眠り続ける事になります。 

馬自身は、何も考えずに何も知ろうともせず、結果、無知な状態で眠り続けることが幸福だと思い込んでいるのかもしれません。
しかしソクラテスは、コレでは、生まれてきた意味が無いと考えます。
そして、国民たちを目覚めさせ、国民それぞれが世の中の事を研究する為にも、世界を駆け回る方が良い事だと思っているから、必死になって馬の目を覚まそうとしているわけです。

つまりソクラテスは、自分が受けた『ソクラテスが、この国で一番賢い。』という神託を、自分だけが無知であることを自覚している状態。つまりは目が覚めている状態だと受け取ったわけです。
それだけでなく、わざわざ名指しで指名されたということは、自分には大きな役割が与えられたと認識しました。 それが、国民の目を覚まさせることです。

理想的な夢

国の大部分の人間は、自分が無知である事を知らないだけでなく、自分は物事を理解していると思い込んでいる状態です。
つまり、眠りながら現実離れをした夢を見ている状態なんですが、その状態には、何の意味がありません。
眠りながら観ている夢の中では、国民達は、自分達が何でも知っていて、何でも出来るスーパーマンだと思い込んでいますが、それは幻想でしか無く、目が覚めれば、無知で何も出来ないちっぽけな自分を自覚させられてしまいます。

国民達は、残酷な現実を受け入れたくないが為に、夢の世界に逃げ込み、そこから引きずり出そうとする存在を非難しているわけですが…  先程も言いましたが、その行為そのものに意味はありません。
人類が、本当の意味で進歩しようと思えば、都合の良い夢の世界から抜け出して、自分が何者でもなく、無知で何も出来ないものだと自覚した上で、自分自身や宇宙を解明する為に地道な努力をしていく他ありません。
その先に、自分の存在理由や生まれてきた理由、幸福へと辿り着く道があると考え、国民をその方向へと導く活動をしていたと主張します。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第28回【経営】VRIO分析(4)

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目次

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因果関係の不明性

前々回で企業が戦略的に行う模倣、つまりパクリの話をして、前回は、その模倣を防ぐための模倣困難性について話していきました。
前回の模倣困難性についてでは、因果関係不明性と経路依存性について話していきました。

両者を簡単に説明をすると、因果関係不明性とは、自社が持っている経営資源と自社が宿している強みとの間の関係性がわからないということです。
その会社を一番身近で観ている社員や経営者自身が、自分達が持つ強みの原因を理解できていない場合、当然、他社にもその原因は分からないということです。
何故なら、他社がその会社の分析をする場合、その会社以上には情報を集められないからです。

情報量で劣る他社の方が正確な分析ができるということは基本的にはないので、企業が持つ強みと経営資源との因果関係が不明な状態の時は、他社に強みを模倣されるリスクは少なくなります。

経路依存性

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もう一つの経路依存性は、強みを身につけるための道筋はある程度分かっているけれども、その道を辿るためには、かなりの長い時間がかかってしまうことのことです。
今現在、その会社が持っている強みは、その会社が今まで積み重ねてきた歴史によって生まれてきたもので、即席で作り上げたものではない場合は、模倣する際には同じ様な歴史を辿らないといけないため、模倣するのに時間がかかるということです。
何故、模倣するのに同じ様な時間がかかるのかというと、経路依存性という言葉が保つ意味としては、今現在の決断は過去に下してきた決断の制約を受けるという意味だからです。

人の人生でも企業でも同じですが、基本的には決断の連続で、その決断ごとに何かしらの結果を生んでいくわけですが、それぞれの決断は非連続でバラバラに存在しているわけではなく、連続しています。
簡単な例で言えば、これだけ投資をしたんだから後には引けないというサンクコストや、2股に別れた道の右を選んで進んでしまっているので、左の方には行けないといった感じのことです。
素材メーカーのA社とB社のどちらかとしか付き合えない場合、どちらを選ぶのかで、その企業の今後の行動は制約を受けることになります。

こうした積み重ねによって、各企業は独自の道を進んでいくことになるのですが、その道を進むことで手に入れた資産や強みというのは、一つの要因のみで成り立っているわけではなく、歴史の積み重ねによって発生しているということです。
もし、この様な強みを真似しようとする場合、そのルートごと真似する必要がありますが、同じ様なルートを辿るのであれば、同じ様な時間がかかってしまうこととなります。
仮に、模倣するのに20年かかるのであれば、少なくとも20年は真似されることはないわけですから、その間は競争優位性を保つことが出来るということです。

社会的複雑性

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社会的複雑

ここまでが前回話してきたことで、今回は追加で社会的複雑性についても少し話していきます。
社会的複雑性とは、簡単にいうと、強みが物質的なものではなく、何らかの関係性によって生まれているもののことです。
例えば、社員同士の仲が良いとか、会社の雰囲気が明るい。 辛いときでも皆が励まし合って、アイデアを出し合って困難をくぐり抜ける事ができる状態というのは強みですが、それは物質ではないため、簡単には真似できません。

仮に強みが製品品質などの物質であれば、その商品を取り寄せて分解してみることで、強みを解明して模倣できる可能性はありますが、人間同士の関係性のようなものの場合は、そういった事ができないため、模倣困難性が高くなります。
これは、社内だけでなく対外的なものも含みます。 その会社に対する外側からの評価や信頼といったものも、高ければ高いほど良いのは分かっていますが、それらは簡単には高めることはできません。
他にも、会社同士や経営者同士の信頼関係なんてものも同じです。 その会社だから信用しているとか、その人物だから信用してやってきているというのは思っているよりも多く、そういった関係性は簡単には真似できません。

これらは言い換えれば、人と人との信頼関係と言い直すことも出来るので、人との信頼関係が簡単に構築できないといえば、わかりやすいかも知れません。
信頼とは、細かい信用の積み重ねを続けていくことで、関係性の中で1度でも信頼を裏切るようなことをしてしまえば破綻してしまうようなものです。
当然ですが、この様な関係性は金では買うことはできませんので、構築するためにはかなりの年数が必要となります。

それぞれの要素に明確な線引はない

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この因果関係不明性と経路不明性と社会的複雑性ですが、学問的に分類しているだけなので、完全にバラバラに独立しているわけではなく、1つの強みに3つ全ての要素が重なり合っていることもあります。
つまり、人間関係に依存していて、その企業風土、企業文化の中で物事が選択されることで、その企業が独自の成長を遂げ、何らかの強みを身に着けたけれども…
その強みが生まれた原因が複雑すぎて、何に依存しているのかの原因がいまいちはっきりとわからないということもあるということです。

組織力

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模倣困難性についての話はこのあたりにして、次は、VRIO分析の最後の頭文字『O』の組織力ですが、これは簡単で、前の3つである価値と希少性と模倣困難性を発揮できる組織力を持っているかどうかです。
これについては分かりやすいと思うのですが、自社が持つ経営資源に価値があり、希少性もあって真似されにくかったとしても、その経営資源を上手く使いこなせなければ、競争優位性は得られません。

VRIO分析の順番

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これで、VRIO分析の4つの頭文字の説明が終わりました。 では、この分析は、どのようにして使っていくのでしょうか。

VRIO分析では、4つの要素を持っていれば持っているだけ良いのですが、それぞれバラバラに持っていても意味はなく、順番が重要となります。
その順番とは、VRIO分析のV・R・I・Oの順番となります。 この順番で、前から順番にいくつ持ってるのかで競争優位性を分析することができます。
これは考えてみれば分かると思いますが、経営資源に価値もないのに希少性だけあったとしても、意味はありません。

道端に変わったかたちの石が落ちていたとして、その形が大変珍しかったとしても、価値がまったくないのであれば、それは単に変な形の石でしかありませんし、それによって何かが優位になることもありません。
価値も希少性もないのに、模倣困難性だけ高かったとしても、そもそも価値も希少性もない経営資源を真似しようなんて人が出てこないので意味はないです。

まず価値を高める

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VRIOの最初の頭文字である『V』。価値があるかないかで競争優位性が有るか無いかが決定します。

これは考えれば当然で、企業は何故存在しているのかといえば、前にも話したと思いますが、社会になにかしらの価値を提供しているから存在が許されているわけです。
社会に存在する様々な問題を解決することで、対価をもらう。その対価が付加価値で、それを稼ぎ出すために会社は存在しています。
付加価値とは、その会社が付け加える価値のことなので、これを生み出すことができない経営資源。つまり、社会に有る問題を解決できないような経営資源は、基本的に価値がありません。

この価値を持っていないような経営資源しか持たない会社は、他社と競争しても優位性を発揮できないため、『競争劣位』の状態にあります。
一方で、経営資源に価値がある場合は、その次の項目である希少性が重要になってきます。希少性がない場合は、『競争均衡』の状態となります。
例えば、誰でも仕入れることが出来る品物を販売する場合、その行為に価値があれば多少の利益は出ますが、希少性がないために、儲かることが分ければ皆が参入してくるため、市場の中で単独で優位に立つことはできません。

競争優位に立つ

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しかし、持っている経営資源に希少性があり、誰でも手に入れることができるわけではない場合は、その競争から一歩抜け出る事ができます。
この状態になれば、他社が希少性の有る経営資源を手に入れるまでは競争優位性を保つことが出来るため、『一時的な競争優位性』を得ることができます。
では、他社が希少な経営資源を手に入れる可能性があるのかというと、次の頭文字である『O』の模倣困難性が関係してきます。

前に企業が行う模倣について話した回がありましたが、企業は基本的に自社で経営資源を育てるよりも他社を真似する方が、簡単に経営資源の強化を図ることができます。
その為、価値があり希少性が有る経営資源を持つ企業は、他社から分析されることになります。 その分析に耐えることができず、他社に真似されてしまえば、その時点で競争優位性は失われてしまいます。

VRIO分析まとめ

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しかし、模倣困難性を高めて模倣されるのを防ぐことが出来れば、競争優位性を保ち続けることができるようになる為、その経営資源は『持続的な優位性』を得ることができます。

そして最後の『O』である組織力ですが、これは先程も説明しましたが、前の3つである価値と希少性と模倣困難性を全て活かした組織運営をすることで、企業はさらなる発展を遂げていくということです。

つまりVRIO分析は、自社が保有している経営資源に、価値・希少性・模倣困難性・組織力が有るかないかを見極め、それらがない場合、どこに注力して経営資源を育てていくのかというのを明確にしてくれるツールとなります。
もし、自社に欠けている部分がある場合は、それを埋めるために行動を起こしていく必要があります。VRIO分析では順番が重要だと先程言いましたので、足りない部分の前から埋めていくことになります。
自社が持つ経営資源に価値がなく模倣困難性が低いのであれば、まず価値を高めるところから始めていきます。

このようにして、競争優位性を高めていくのがVRIO分析となります。
ということで、今回でVRIO分析の話は終わります。次回からは、新規事業展開について話していこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第27回【経営】VRIO分析(3)模倣困難性

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VRIO分析とは

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第25回からVRIO分析について話していますが、今回も、その続きとなっています。
VRIO分析を物凄く簡単に説明をすると、企業の競争優位性を測るための分析となっています。
この分析は4つの要素からなっていて、それぞれの要素の頭文字をとったものが『V』『R』『I』『O』となり、つなげて読むとVRIOとなります。

それぞれの頭文字が何を意味するのかというと、『V』が価値で『R』が希少性『I』が模倣困難性で『O』が組織力を表しています。
自社が持っているヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源が、価値や希少性・模倣困難性・組織力を持っているか持っていないかで、他社と比べて競争優位性があるかどうかを分析していきます。
第25回では価値と希少性について、前回は企業が行う模倣について話していったので、それらをまだ聞かれていない方は、そちらを先に聞かれることをお勧めします。

模倣について

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今回は、前回話した模倣をされにくくなる、つまり困難にさせる模倣困難性について話していきます。

前回の話を簡単に振り返ると、新商品開発にしても新事業を始めるにしても組織改革をするにしても、各企業が全くのゼロからアイデアを考えて実行し、上手くいくかどうかを実験するというのはコスパが悪いという話をしました。
新たなアイデアを考えるためにも費用がかかりますし、それを導入したからといって上手くいくかどうかはわかりません。
また、それを見極めるのにも一定の期間が必要なため、それなら、最初から他社が導入して上手くいっているシステムや商品やサービスをパクってしまったほうが早いです。

このパクるというのを別の言い方をすると、模倣するということになります。
イデアを模倣する方が楽で、模倣をすることによって効率が上げられるということは、逆に言えば、価値があって希少性が有る経営資源を自ら生み出した企業は、常に他社から『その経営資源の生み出し方を模倣しよう!』と狙われているということです。
もし、その方法が簡単に漏れてしまい、他社に真似されてしまえば、いくら価値があって希少性が有る経営資源を持っていたとしても、競争優位性を発揮できるのは一時的なものとなります。

自社の強みは秘密にする

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これを簡単に説明していくと… 例えば、価値があって希少性がある経営資源を持つ会社をA社とし、持っていない会社をB社だとしましょう。
B社は、価値があり希少性がある経営資源を持っていないため、それを持っているA社と争ったとしても、勝つことが出来ません。
しかし、A社がその経営資源の作り方を隠さずに誰にでも分かる状態にしていた場合、B社はA社が何故、価値があり『希少性が有る経営資源を持つことが出来るのか』を分析して真似することで、同じ様な経営資源を持つことが可能となります。

経営資源が同じ価値になれば、A社とB社に付いていた唯一の差がなくなるわけですから、B社はA社の強力なライバルになってしまいます。
つまりA社は、B社に模倣されてしまったことによって、市場において優先的な地位を維持し続けることができなくなってしまうということです。
ではA社が競争優位性を保ち、市場で上位に居続けるためにはどうすれば良いのかといえば、模倣困難性を高めて、経営資源を育てる方法をB社にパクられなければ良いのです。

特許

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では、どうすれば模倣困難性を高めることが出来るのでしょうか。
これにはまず、自社の経営資源に価値と希少性をもたらしているモノの原因が分かっているものと、分かっていないものに分ける必要があります。
例えば、特定の素材を開発し、その素材の取引で他社と圧倒的な差をつけているのであれば、自社が優位に立っている理由が分かりやすいので、その情報を徹底して守り抜くべきでしょう。

その素材の代替品が、5年や10年単位で定期的に開発されるのであれば、開発された時点で特許をとってしまうというのも良いかもしれません。
代替品が出そにない商品で、他社がその素材や商品を購入して分析してもレシピが分からないような製品であれば、製造方法を機密扱いして絶対に漏らさないようにして、敢えて特許を取らないという手もあります。
何故、特許を取らない選択肢があるのかというと、特許は出願する際に、製造方法などを細かく書いて特許庁に提出しなければならないからです。

提出した情報は、その後、誰でも閲覧できるようになる為、特許期間が切れてしまえば、その公開されたレシピを使って誰でも模倣することが出来てしまいます。
医薬品のジェネリック医薬品なんかが、これにあたります。 あれは、特許切れになったものを、同じ様な材料と製造設備を使って作ったものとなります。
医薬品には莫大な研究開発費が必要ですが、特許が切れたものを模倣して作るなら、その研究開発費はコストから省くことが出来ますので、割安で販売したとしても利益が出るということです。

つまり、特許を出願すると20年経過でその知識は広く一般に広まってしまい、誰でも真似することが可能になるため、競争優位性を確保できるのは20年限定ということになります。
20年以上、自社の情報を外に漏らさず、解析もされること無く守り通せる自信があるのであれば、特許を出願しないというのも一つの手です。
この様に、自社の強みとなるものが明確に分かっているのであれば、その情報を徹底して守るというのが定石となります。

因果関係の不明性

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一方で、自社に強みはあるけれども、その強みが何故、発生したのかが分からない場合というのもあります。
この様な状態はどうなるのでしょうか。 自社の経営資源と自社の強みがどの様に関係しているのかが全くわからないけれども、何故か強みが発生していて、市場で優位な状態を維持できている状態なのですが、この様な状態は解消すべきでしょうか。
解消とは、経営資源と強みとの関係性を分析して、何故強みが発生しているのかを明確にすることですが、経営資源と強みとの因果関係を明確にすべきなのでしょうか。

これを聞かれている方の中には、因果関係をハッキリさせなければ再現性が得られないので、ハッキリさせるべきだと思われる方もいらっしゃるでしょう。
再現性というのは、その道順さえたどれば、同じ様に強みを作れる状態というりかいで良いです。
例えば新たな会社を立ち上げた場合や、会社が大きくなって新たな事業を立ち上げた場合に、今持っている強みと同じものを作り出そうと思うのであれば、強みの原因となるものが分かっていないと再現ができません。
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これは確かにその通りなのですが、模倣困難性という観点からみると、強みの原因や強みが生まれた理由はわかっていなくても大丈夫です。
何故なら、強みが生まれた理由が分からないことで、模倣困難性が高まるからです。このことを、因果関係の不明性といったりもします。
社内の強みと経営資源との因果関係が不明な場合に模倣困難性が上昇する理由は、簡単に言えば、強みが生まれた理由をその組織に所属している人間が分からないのに、他人にわかるはずがないからです。

経営者や、経営者の元で働く社員は、自分の会社の雰囲気も人間関係も取引先との関係も、何もかも分かっている状態です。一方で、強みを模倣しようと思っているライバル会社は、その会社を外からみて分析するだけとなります。
外から観察して分析すると客観的な分析ができるというメリットはありますが、当事者とは情報量に差があり過ぎるため、当事者に比べると正確な分析はできないと思われます。
この様に、自社でも強みの原因が分かっていない場合は、強みと経営資源との因果関係不明性によって、模倣困難性は高まります。

経路依存性

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この他に模倣困難性が上がるケースとしては、その会社が長年かけて積み重ねてきた歴史的な要因によって模倣されにくくなるケースがあります。
専門用語でいうと経路依存性といって、元々は経済学の言葉となっています。
この経路依存性という言葉を簡単に説明をしますと、今現在の直接の強みとは直接関係がない、過去の出来事の積み重ねによって、強みが発揮されている状態のことです。

ある程度長く続いている会社というのは、景気の浮き沈みの中で揉まれながら成長していくわけですが、その中で、独自の経験をしていくことになります。
何故独自かというと、各会社が持っている経営資源にバラツキがあり、全く同じ経営資源を持つなんてことはないからです。
経営資源が違えば、例え同業他社であったとしても、会社が経験することは変わってくるわけですから、会社はそれぞれ独自の経験を積み重ねることになります。

その経験の積み重ねは長い年月を重ねることで歴史となるわけですが、その歴史によって自社の強みが生まれている場合は、経路依存性によって強みが生まれたことになります。
この強みというのは、他社が真似しようとしたところで、簡単には真似することができません。 何故なら、その会社の強みは、その会社が持つ経営資源と外部環境の景気がもたらす効果によって、数十年掛けて熟成されてきたものだからです。
その状態を、ぽっと出の新会社が簡単に真似できるはずはありません。 同じ強みを身に着けようとした場合、似たような経験を数十年掛けて身につける必要があります。

身につけるのに長期間かかるということは、簡単には真似することができないということなので、模倣困難性は高くなります。

この他には、社会的複雑性なんてものもあったりするのですが、その話とVRIO分析のまとめについては、次回に話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第107回【ソクラテスの弁明】試される裁判官 後編

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幸福とは

人は生きている間、様々な欲望を抱き、意思の弱いものは、その欲望に流される形で不正行為を行ったりします。
不正に蓄財をしたり、散財したり。 人付き合いでは、名声を高めて、必要以上に持て囃されたい、崇められたいと思ったり… 逆に、バカにされたり雑に扱われたりすると、腹を立てる者も多いでしょう。
そういった者の中には、いつか自分が権力を握って、その権力を不正な形で利用して仕返しをしてやろう!と思う人も少なくないと思います。 例えば、ありもしない罪をでっち上げて、裁判を起こすなどです。

しかしソクラテスは、たったその程度の理由で秩序を乱し、法を破るものがいるとすれば、その者こそが恥ずべき人間だと断言します。
この辺りの事は、過去に取り扱った『ゴルギアス』に登場した、政治家のカリクレスとの会話で掘り下げられていました。

簡単に振り返ると、カリクレスの主張としては、人間は幸福になる為に生まれてくるが、その幸福を手に入れるために必要なのが、欲望を満たし続ける事という意見でした。
人は欲望を満たして満足感を得ると、幸福感を感じた後に、更に大きな欲望を抱くようになります。
その欲望を抑えること無く拡大し続けて、欲望を叶え続ければ、人はずっと幸福感を味わうことが出来るので、その力を得るためにも、どんな手を使っても権力を手に入れなくてはならない。

権力さえ手に入れてしまえば、その影響力を利用して様々な欲望を叶えることが出来るし、絶対的な権力を手に入れれば、不正を犯しても捕まえるものもいない。
この世を面白おかしく楽しむことが出来る為、幸福になれるというのが、彼の持論でした。

秩序

それに対してソクラテスは、自分が不幸になってしまう力は力とは呼ばないとして、不正行為は絶対に許しませんでした。
人間が幸福になる為に必要なのは、欲望を満たした際の満足感であるとか、長生きすると言った事ではなく、良く生きる事で、よく生きるとは何かというと、秩序を守ることでした。

人間は、一人で生きることは出来ず、共同体を組織して、皆で生きる社会的な生き物です。 その人間が秩序を乱し、社会を混乱に陥れて破滅へと導く秩序の破壊は、絶対に避けなければならないことです。
人が持つ、果てしない欲望を満たし続ける為には、どこかで規則や法律が邪魔になり、法を破って不正を犯したいという思いに支配されそうになりますが、その誘惑に負けて不正に手を染めてしまう行為は、最も醜い行為です。
何故なら、それによって崩壊してしまうのは、自分たちを守り続けてきた社会だからです。

人は、一人では生きていけないからこそ、共同体としての社会を作りました。 そして、その社会の維持には、秩序が必要です。
その秩序を破壊してしまうという行為は、結果として社会を破壊してしまうことにに繋がり、自分だけでなく、全ての人の生命を危険にさらしてしまうことにも繋がります。
不正行為は行ってもダメだし、行われるのも駄目なもので、この世から排除しなければならないと考えています。

話を『ソクラテスの弁明』に戻すと、ソクラテスが弁明させられている場所はどこかというと、裁判所です
裁判は、行われた行動が、不正か正当かを見極める場所で、社会の秩序を守る番人的な役割を持つ場所です。 そこで不正行為が行われようとしているのを、彼は許せないんでしょう。
メレトスが嘘で塗り固めた罪をでっち上げたことも不正ですし、裁判官が、『ソクラテスが憎い!』という自身の感情によって有罪に投票することも不正です。

また、裁判官がソクラテスに対して、『無罪になりたければ、泣き叫んで哀れに思われるような態度を取れ!』と、権力を振りかざしながら強要するのも不正ですし、ソクラテスがそれに応えて演技をするのも不正です。
その様な不正行為を不正だとも認識せずに、社会から与えられた権力を、自分たちが持つ正当な力だ! と思い込んでいる事こそが恥ずべき行為。
そして、その恥ずべき行為は、死を怖がる一般人には効果的かもしれないが、死についてむやみに恐怖を抱いておらず、むしろ死後の状態に興味すら持っているソクラテスには通用しないということです。

つまり、死をチラつかせて脅す行為に意味がないことを認識した上で、恥ずかしくない正しい判決を下せるようにしろと言ってるわけです。
そして、事実を捻じ曲げて不正な判決を下すことで後悔をするのは、ソクラテスではなくは裁判官の方だと断言します。

罪とは

というのも、ソクラテスが先程から主張している事は簡単に言えば2つで、1つは、自分は神の意志によって動いている事、もう1つは、一切の不正を行わないことです。
彼に言わせるなら、自分は法律には一切抵触していないわけで、事実だけで判断をするのであれば、無罪以外はありえません。
『賢者たちを不愉快にしたでしょ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ソクラテスに言わせるなら、自分が知らないものを知っていると嘘をついて他人に教えて、授業料を巻き上げていたのは賢者たちなので、不正をしているのは賢者の方です。

詐欺師に対して、『詐欺はいけないよ。』と意見する事が犯罪になるのであれば、それは法治国家とは言えません。
賢者たちに寄り添って考えた場合、ソクラテスが取り扱う問題は難解である為、賢者自身が自分自身の無知を理解していないということは十分にありえます。
この場合も、ソクラテスに言わせるなら、本当の賢者であるのなら、自分が気がついていなかったことに気づかせてくれた者には感謝するだろうと思っています。

これは、過去に取り扱った『メノン』という作品で、想起説の実験を行った際にも語られています。
その人物に本当に知的好奇心があるのであれば、自分が正しいと思い込んでいた知識が間違っていたと判明した場合は、『では、本当はどの様になっているのだろう。』と、新たに知識を求める欲望が呼び覚まされ、知ろうと努力するはずです。
先程、名前を出したカリクレスは、人間は欲望を満たす為に生きていると主張していましたが、本当に知識を求めるものが自分の無知を指摘されれば、怒るどころか感謝して、真実を求める為に、研究をやり直すはずです。

それをせずに、間違いを指摘したソクラテスに怒りを向けるというのは、そもそも、その人物には知的好奇心がなく、知識を商売道具としてしか観ていないからです。

まとめると、不正を働いてお金儲けをしている人間が、その事を指摘されたことによって激情し、不正な手段で訴えを起こしたのがこの裁判となります。
嘘で塗り固められた彼等の言い分に耳を貸して、結果として間違った判決を下してソクラテスを死刑にしてしまえば、それは、裁判官達が不正によって殺人を行った事と同じで、アニュトス達よりも酷い不正に手を染めることになります。
何故なら、アニュトス達は単に疑いをかけて訴えただけなので、裁判官の見る目さえしっかりとしていれば、その訴えは退けられるからです。

しかし、その見極めを行わず、彼等の主張に流されて間違った判断を下した場合、その全ての責任は裁判官に移ります。
ソクラテスはこの事を裁判官達に警告した上で、アテナイという国の現状を、例え話を絡めて話しますが、その話については次回にしていきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第26回【経営】VRIO分析(2)模倣とは

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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前回は、VRIO分析について話していきました。
簡単に振り返ると、VRIO分析のVRIOは企業の持つ経営資源を整理するための4つの要素の頭文字となっています。
『V』がVALUで価値。『R』がRealityで希少性。『I』がlnimitabilityで模倣困難性、『O』がそれらを上手く活用できる組織力です。

この内、『V』と『R』については前回に話したので、詳しくはそちらを聞いてください。
今回はこの続きで、模倣困難性についてみていくのですが…
その前に、前提となる知識を入れるという意味で、企業が行う模倣について学んでいこうと思います。

全く新しいサービスは殆どない

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模倣困難性とはその名の通り、模倣がしやすいかしにくいかということです。
ビジネス書や自己啓発本などを読むと、自分の主体性を大切にするとか、思いついたアイデアを積極的に行動に移していこうなんてことが書かれていますが、実際のビジネスの世界では、ゼロから物を生み出していくことは稀です。
当然、オリジナルのアイデアがゼロということはありませんが、かなり少ないです。

これを実感するのは簡単です。お持ちのスマートフォンで無料のゲームアプリを上から順番にダウンロードしていって、片っ端からプレイしていってみてください。
かなりのゲームが、似通ったシステムであることに気がつくと思います。 システムが全く同じで、キャラクターだけ違うといったものも珍しくなく、むしろ主流だったりします。
つまりスマホゲームの世界では、1からゲームシステムを考えるのではなく、既に存在していて成功しているシステムを丸パクリして、そこに別のキャラクターを当て嵌めるというのが定石だったりするわけです。

これはスマホゲームに限らず、据え置き機やPCゲームでも同じですし、ゲーム以外の分野でも同じです。
例えば2019年には原宿を起点としてタピオカブームが起こり、その流れは全国へと広がっていき、私が住む京都でも、タピオカを使った飲料を出す店が増えていたりしました。
この流れは、何らかのシンクロニシティが働いて、皆が一斉にタピオカ店が流行ると閃いて行動したわけではなく、タピオカが流行ったという現象を確認した後で、その店舗形態を模倣して多くの者が参入していっただけです。

企業は他社を模倣するもの

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こういったことは製造業でもあります。例えば、掃除機でダイソンが出したサイクロン式のものが有名になった途端、他のメーカーもサイクロン式を発売したなんてこともありました。
メーカーによっては自社で新製品開発を行わず、既にある既存製品を後から真似して出すことで、研究開発費を削って安価な値段でそれなりの品質のモノを提供しているメーカーなどもあります。
これは一見すると卑怯な行為のようにも思われるかも知れませんが、実際には卑怯な行為でもなんでも無く、割と王道的な戦略だったりします。この模倣に関しては、当然ですが、特許などが絡んでいないものに限定されますけれどもね。

何故、メジャーな戦略として模倣というものがあるのかというと、コスパが良いからです。
メリットとしてまず挙げられるのが、先程も少し言いましたが、研究開発費がかからないことです。
この世にまだ存在しない、全く新しいアイデアを商品やサービスに変えて大成功を納めるというのは理想的で、それでお金を稼げれば格好良いですが、そんなアイデアを捻り出すのには相当な時間や労力が必要でしょう。

将来、金になるかならないのかが分からないような基礎研究をしなければならない場合もありますし、その分野の専門の大学から研究成果を買うとか、利益の一部を渡すという約束で共同で事業を進めるなんてことが必要な場合もあるでしょう。
この様な事をするためには、当然、優秀な研究者や技術者を雇ったり、大学や他企業との関係構築が必要になりますが、成果が出るか出ないかわからない研究に対して固定費を払い続けるというのは、その企業に相当余裕がないと出来ません。
また、そこまでのリスクを抱えて、新製品や新サービスを発表したとしても、それが成功するかどうかは運次第というのが実際のところです。

リバースエンジニアリング

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つまり、この世に存在していない新商品をゼロから創造し、それが市場に受け入れられて大成功を納めるというのは、極端な話、当たるかどうか分からない宝くじを買い続けるようなものです。
それに比べて、既に受け入れられている商品を模倣して、製造して流通させるのはどうでしょうか。 ゼロからの商品開発に比べると、簡単そうではないでしょうか。
既に商品やサービスが開発されているわけですから、それを真似しようとする場合、膨大な研究費などは必要がなく、実際に商品を購入して分解してみるとか、サービスを受けてみるだけで、その商品がどのようなものかがわかります。

この様な行動を、リバースエンジニアリングと言いったりします。
経済の分野で、先進国と言われている国の成長率が鈍く、後進国と呼ばれている国の伸び率が高いのも、このことが関係していたりします。
先進国は、未だ人類が経験していない経済状態の中を手探りで探りながら進んでいかなければならないのに対し、後進国は、先進国が進んだ道を進んでいけば良いだけなので、当然ながら進むスピードは早くなります。

企業の努力は報われるものではない

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話が反れたので元に戻すと、模倣というのは研究開発費が大幅に削減できるため、膨大な資金力を持たない会社であればある程、実行しやすい戦略となります。
この他のメリットとしては、模倣するターゲットが既に成功し、市場で受け入れられているのを確認してから参入できるという点にあります。
市場というのは良くわからないもので、労力を掛けて高品質のものを安価で提供したからといって、必ずしも受け入れられるとは限りません。

何故なら、市場に参加している消費者自身に、メーカーほどの知識がないからです。
メーカーが、どれだけ手間暇をかけて、素材にこだわったものを安価で提供したところで、消費者は、それにどれほどの手間がかかっているかも、その素材がどれだけ貴重なものかも知りません。
その為、この社会では努力が必ず報われるというわけではありません。 必死に努力して作った商品ではなく、適当に作った商品に適当なストーリーを付けて、派手に宣伝すると売れたりするのが、この社会です。

そんな社会の中で、既に売れている事がわかっている商品というのは、非常に参入がしやすいです。
前に第9回と10回で、マーケティング1.0~4.0の話をしましたが、ブームに火が付いた直後の状態というのは、その商品に関してはマーケティング1.0や2.0の状態にあるので、非常に売りやすいです。
先行した1社が相当強いブランド力を持ってたり、高いスイッチングコストが発生しない限り、後続の会社は同じ様な商品を提供するだけで売上は伸ばしやすくなります。

模倣は全てのものに当てはまる

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これは、商品やサービスだけでなく、会社組織やオペレーションについても同じことがいえます。
わかり易い例で言えば、やる気のある社員ばかりのA社と、やる気のない社員ばかりのB社、どちらが成功しやすいかといえば、当然ながらやる気のある社員で構成された組織です。
では、やる気のない社員ばかり抱えているB社の経営者は、それで良いと思っているのかといえば、そんなことは思っていないでしょう。

社員になんとかしてやる気を出してもらいたいと思っているはずです。 しかし、その具体的な方法がわからないから、現状に甘んじていると考えるほうが妥当でしょう。
逆に、やる気のある社員ばかりを抱えているA社は、そういう環境を実現できている、何らかの理由が有るはずです。
もし、社員にやる気を出させる何かしらの方法をA社が知っていて、意図的にその様な状態を作り出せているとするのなら、B社はA社が導入している方法を盗んで真似するだけで、社員のやる気を出させることが可能となります。

この他には、企業が製品を作るに当たっての作業であるオペレーションなども、効率の良い会社を真似する事によって、自社の効率を上げることが可能になったりします。
素材のコスト管理や、従業員の育成方法、流れ作業をどの様に円滑にするかや、在庫をどの様に減らすのかといったことを、自社で全て1から考えて導入する必要はありません。
効果の有りそうなものを導入してみて成果を比べるなんて実験をしなくとも、他社で既に導入されていて成果の出ているものをパクれば、手間を大幅に削減することが可能となります。

模倣をしにくくするのが模倣困難性

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このノウハウは、会社によっては公開している会社もあります。 トヨタの改善などが有名ですよね。
核心部分まで含めて全て公開しているかどうかは謎ですが、外に漏らしても問題がないようなレベルのノウハウは公開されている場合もあるため、こういった物を取り入れるのも一つの戦略となります。

この様に企業の活動は、自社で様々なものを開発する場合もありますが、他社からパクってくるということもかなり多くなります。
なぜなら、繰り返しになりますが、会社の成長につながるものをゼロから開発して導入するには途方も無い労力がかかりますが、既に成功しているモデルをパクってくるのは簡単だからです。
模倣困難性とは、簡単に言えば、この自社で開発したり自社が身に着けているものが、パクられやすいかパクられにくいかということです。

パクられにくければ、他社はこちらのモノをパクることが出来ないわけですから、こちらが先行している場合でも相手は真似して追いつくということができなくなります。
逆に、パクられやすい場合。相手はこちらのアイデアなどを真似することが出来るため、いくら自社が市場で先行していたとしても、簡単に追いつかれてしまうことになります。
当然ながら、模倣困難性は高ければ高いほど競争優位性を保ちやすいということになります。

この模倣困難性については次回に、もう少し詳しく観ていくことにします。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第25回【経営】VRIO分析

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第18回ぐらいから前回の第25回ぐらいまで、ネットワーク外部性や参入障壁について話してきましたが、今回からはVRIO分析について考えていきます。

強みの分析

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この分析は、主に企業の持つ『強み』について考えていく分析です。
強みというのは、第13回~15回で取り上げたSWOT分析でいうと『S』に当たる部分です。

SWOT分析では、自社の強みを探してその強みを伸ばしたり、強みを機会にぶつけるという戦略が有効だという話をしましたが、今回のVRIO分析では、その強みについてより詳しく分析して行きます。
この強みですがVRIO分析では、リソースドベースドビューという考え方をベースにして考えていきます。
リソースド・ベースド・ビューというのは、企業の外部環境や業界内でのポジショニングについての強みではなく、企業が持つ経営資源に焦点を当てていく考え方です。

つまり、同業他社などの他の企業と自社との位置関係などを中心に据えて考えるのではなく、自社が持つ経営資源を中心に考えていくということです。

VRIO分析

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経営資源とは、会社が持っているヒト・モノ・カネ・情報のことです。人は社員と言いかえることが出来ますし、ものは商品、金は資金力と言い換えたほうが、分かりやすいかも知れません。
これをベースにして考えていくのが、VRIO分析です。

このVRIO分析のVRIOは、アルファベットで『V』『R』『I』『O』と書きますが、前に紹介したSWOT分析と同じ様に、分析に使う切り口の頭文字をとったものとなっています。
『V』はvalueで、経済価値を表しています。『R』はRarityで経営資源の希少性を表しています。『I』はlnimitabilityで、模倣困難性を表していて、『O』はorganizationで、前の3つを上手く活かせるための組織力があるかどうかです。

経済価値(value

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ひとつひとつ観ていきますと、まず『V』が表している経済価値ですが、自分たちが雇用している社員や製造しているもの、持っている情報などに経済的価値があるかどうかです。
その経営資源があることによって、事業機会を逃さずに収益に繋げられたり、脅威が現れた際に上手く対処できる価値があるのかどうかを見極めます。
もし無い場合は、社員教育をするなり情報を集めるなりして対応する必要が出てきます。

希少性(Rarity)

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次の『R』である経営資源の希少性ですが、自社が持っている経営資源と同等のものを、他社のどれぐらいが持っているのかというのが希少性です。
希少性なので当然ですが、自分たちと同レベルの経営資源を持っているライバルが少なければ少ないほど、自社にとっては優位となります。
もう少し具体的にいうと、ものすごく貴重で出回っていない素材を生産したり採掘できる技術であったり、そういった技術を持つ会社と親密で特別な取引ができることであったり、特別な能力を持つ社員を抱えていたりといった感じのことです。

この様な経営資源を持つ会社は、それをテコにして競争に打ち勝ったり、新規事業を立ち上げたり、脅威に対処したりできるようになるため、他社に比べて優位に立つことが出来ます。

模倣困難性(lnimitability)

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次の『I』である模倣困難性ですが、これは、自社が持っている経営資源を他社が真似できるのか出来ないのかということです。
いくら希少で価値のある経営資源を持っていたとしても、それを他社が簡単に真似できるのであれば、その経営資源はあまり競争優位性をもたないことになります。
何故なら、いくら優れて希少性があって、それを利用して今現在、自分たちが競争優位に立っていたとしても、他社はそれを真似してしまえば、簡単に追いつくことが出来るからです。

逆に言えば、他社が真似できなければ問題はありません。他社よりも優位な経営資源を維持し続けることが出来るため、競争優位を長く保ち続けることが可能となります。
模倣を困難にしておくことで、他社と比べて相対的に優位な立場を取り続けることが出来るため、模倣困難性は高ければ高いほど良いということになります。
模倣困難性を高めるには、重要な情報を機密扱いして外に漏らさないようにするとか、模倣する際にコストが高くなるといった状態を生み出すことで可能になります。

考え方としては、前に取り扱った参入障壁に近い考え方です。

組織力(organization)

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最後の『O』は、今まで上げた項目を全て活かすことが出来るような組織力のことです。
価値があり、希少性がある経営資源を持っていて、その資源は模倣困難性が高いにも関わらず、会社にその資源を活用できる組織力がなければ、意味はありません。
企業は、自社が保有しているヒト・モノ・カネ・情報の本当の価値を十分に熟知し、それらをどの様に活用すれば良いのか、どのように組み合わせればシナジー効果を生むのかといった事を考えて実行するための組織力が必要となります。

これは、言葉で聞くと難しく聞こえると思いますので、中小企業経営でありそうな事柄を例にして話していきます。

価値を生み出す経営資源

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まず、価値のある経営資源ですが、これは商品やブランド、従業員や取引先との関係性など、様々なものに当てはまります。
例えば商品ですが、何の価値もない商品はそもそも売れないため、価格が付いて販売できている時点で、その商品には何らかの価値が付いています。
製造業などの場合、その製品を作るための設備を持っているというのも、価値になるでしょう。

その製品は、設備を揃えるだけで作れるわけではなく、熟練した職人が手を加えないと作れない場合、その技術を持つ職人にも価値があることになります。f:id:kimniy8:20210721211432j:plain
その製品は、作っただけでは売上につながらないため、何らかの方法で顧客に売る必要があります。その際の販売先を持っているかどうかというのも、価値のあるものでしょう。
これは物を仕入れる場合でも同じです。 商品や材料を仕入れる場合、誰でも簡単に仕入れることが出来る場合には、そのルートには価値はありません。

しかし、何らかの目利きが必要だとか、ある程度の関係性が築けていなければ仕入れることが出来ないという場合、その取引ルートには価値があります。

経営資源の希少性

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次の希少性も同じで、技術であったり製造機械であったり仕入先であったり資材や商品に希少性があれば、それはそのまま競争優位性に繋がります。
例えば、私の本業は紙の箱を作ってメーカーに販売するという仕事をしています。得意先は和菓子メーカーが多く、配達などでメーカーを訪れることが結構あるのですが、そこに置かれている製造機械は、オーダーメイドが多かったりします。
生八ツ橋を例に挙げると、生八ツ橋を使ったお菓子でいちばん有名なのが、つぶあん入り生八つ橋という生八ツ橋の四角い生地の真ん中に餡を入れて、三角形に折ってあるお菓子です。

このお菓子は八ツ橋会社各社から出ていて、会社によって名前が変わりますが、株式会社おたべが作った場合は『おたべ』になり、聖護院八ツ橋が作った場合は『聖』になり、井筒八ツ橋が作ると『夕子』になり、御殿八ツ橋が作ると『おぼこ』になります。
八つ橋会社というのは20社ぐらいあると言われていますが、その全てが機械を導入しているとしても、必要な機械の数は100台も必要ありません。
日本全国で100台しかないような機械が既製品になっているわけはないので、これらの機械はオーダーメイドとなります。

この様に、既製品ではなくオーダーメイドの機械を作っているという会社は結構あり、自社が持っている機械を他社が持っていないということは珍しくありません。
こういった機械は他社が持っていないため、当然、希少性があります。

人も経営資源に含まれる

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これは当然、設備だけでなく、人についても同じ様なことがいえます。

閃きによって、普通の人が出来ないような目を引くデザインをすることが出来るとか、上手いキャッチコピーをつけられるといったことも、それを行うことが出来る人が少なければ、希少性は高いでしょう。
優れたプログラミング技術を持っているとか、大工や左官や料理の優れた技術を持っていて、同等のレベルを持つ人間が少なくダントツで高い場合は、それも高い希少性を持つことになります。
得意先や仕入先と個人的なつながりがあり、他社と差別化された取引をしてもらえる関係性があるのなら、それも希少性があるでしょうし、誰も知らない情報を知っていることも希少性になります。

次は模倣困難性なのですが、これは説明するのにそれなりに時間が必要となるので、次回に話していこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】 第24回【経済】ネットワーク外部性と参入障壁(2)

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ネットワーク外部性と参入障壁

前回は、ネットワーク外部性と参入障壁は、一見すると正反対の概念のように思えるけれども、実際にはそうではなく、同じ市場内で共存している場合も、切り替わる場合もありますよという話をしていきました。
これは、市場の成長段階によっても変わりますし、市場をどの視点で見るのかによっても変わってきます。
最初は参入障壁を低くしてネットワーク外部性を利用していたのに、市場がある程度の段階になってきたら、高い参入障壁を築き上げるなんてこともあります。

例えば、ネットの動画市場でみれば、youtubeという限定された市場の中で見れば、ネットワーク外部性が働いているように見えます。
しかし、一歩引いて、動画プラットフォームという観点から見れば、プラットフォーム間では独占的市場シェアを狙って激しい争いが行われていますし、今からこの市場に入ろうと思うと、参入障壁も高いことでしょう。
では、この様な動画プラットフォーム市場というのは、最初から参入障壁を高くしていたのかと言うと、そういうわけではないでしょう。

マイナーな市場は人を引き入れたほうが良い

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ネットで動画を見るなんてことが、人々の習慣に組み込まれていない黎明期では、参入障壁を高くして市場を独占したところで、その市場の存在を皆が知らない状態です。
市場自体が認知されていないわけですから、その認知されていない市場を独占したところで、大した意味はないでしょう。
それなら、参入障壁を低くして、プラットフォームを増やすことで市場の認知を高める方を優先させた方が、利益が出る可能性が出てきます。

しかし、市場の認知を高めるという目標を達成してしまえば、知名度上昇の為の新規参入は必要がなくなりますし、何なら、既存のプラットフォームのシェアを奪って、市場内で独占的地位を占めたほうが儲けが出やすくなります。
そうなると、新規参入を抑えるために、参入障壁を築き上げるというのも一つの戦略となります。
つまり、市場が未成熟な段階では参入障壁を下げていたのに、市場が成熟してくると参入障壁を高くするというように、戦略を切り替えているとも観ることができます。

ここまでが前回に話したことなのですが、前回までの話もそうですし、今回の振り返りでもそうなのですが、結構、スケールが大きな話となっています。
このコンテンツは中小零細企業向けに作っているわけですが… 市場の独占やプラットフォーム間の競争なんて話をしても、ピンとこない方も多いと思います。
そこで、もう少し身近な感じの例を使って、この事に関する説明をしていこうと思います。

出店戦略

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ネットワーク外部性については、前回までは、電話やゲーム機や動画のプラットフォームといった物を例に出して説明してきましたが、これは、それらの大きな概念だけでなく、どこにでも当てはめて考えることが出来るものです。
例えば、飲食店が出店する場合などでも、これらの考え方を適応することが出来ます。
店を出店する場合、一番重要になるのは立地ですが、この立地をどの様に考えるのかで、大きく分けて2つの考え方があります。

例えば、他の店が出店していないような、飲食店的に空白の地域に出店するとしましょう。
周りが住宅街で、半径500m範囲内に飲食店がない場合、そこに出店をすれば、その店の周囲の顧客を独占出来る可能性があります。
この場合、この半径500mの市場を自分たちで独占しようと思うのであれば、参入障壁を築く必要があります。

参入障壁を築く

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参入障壁を築く方法としては、地域に密着したサービスに特化するという方法があります。
コミュニケーションを密にしたりするなどして近隣住民の方たちと仲良くなり、それぞれの住民の好みなども抑えた上でメニューを決めるなどすることで、その地域に特化した店にすることが出来ます。
自分の店を中心とした狭い商圏内の顧客との関係性を良好に保ち、顧客を囲い込めば、新規参入者は、既に見込み顧客を囲われているため、参入しづらくなるでしょう。

新規参入がないのであれば、自分の商圏を守り抜くことが出来るため、一定の売上を確保し続けることが出来るかも知れません。
では、これがベストの選択なのかと言うと、そういうわけでもありません。
敢えて参入障壁を引き下げて、同じ地域内で新規参入を促して、同業他社である飲食店を呼び込むという方法もあります。

同業他社を商圏内に呼び込む

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参入障壁を下げるとは、例えば、常連客や友達に飲食店経営の楽しさを伝えたり、もし開業するのなら相談に乗ると伝えるなどして、他の人間がその地域で開業しやすい様にしていくということです。
同じ地域にライバルである飲食店が出店すると、自分の店の客を食われるのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、その可能性は大いにありますが、同業他社を呼び込んだ場合、商圏が拡大するという別の可能性も生まれます。

例えば、私が住む京都の一乗寺には、狭い範囲にラーメン店が複数店舗あります。
正確に数えたわけではないですが、半径100mの狭い範囲に10軒程のラーメン店が乱立しています。
普通に考えれば、そんな狭い範囲にラーメン店が乱立していれば、客は分散してしまって、1店舗あたりの売上は下がってしまいそうです。

では実際にはどうなっているのかと言うと、一乗寺はラーメン街として有名になり、県外からも集客ができるほどに商圏が拡大しました。
つまり、その地域に1店舗しかない状態であれば、その店舗の近辺の人しか集客できなかったものが、地域として有名になったことで、近隣の地域からも人が集まってくるようになったということです。
地域が有名になったことで、商売をする範囲である商圏が、仮に30倍になったとすれば、狭い範囲に10店舗が集まったとしても、すべての店舗が増益を狙える可能性があります。

飲食店街は店舗単体より集客力が有る

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この流れがもっと拡大すると、更に商圏が拡大する可能性もあります。
同じ様な飲食街でいえば、京都には先斗町という通りがありますが、その通りは観光客にも有名で、日本全国から顧客を集めています。
中には、個人の店として有名な店もあるとは思いますが、それよりも先斗町という通りの知名度のほうが上であるため、集客の大半は先斗町という飲食店街が集めています。

これは飲食店だけでなく、他の業種にも当てはまります。
京都の話ばかりになりますが、京都には夷川通という通りがありますが、その通りには椅子やタンスといった家具を取り扱う店が乱立しています。
この様に、似たような店が集中して営業していると、客としては利便性が高まります。

何故なら、ポツンと1店舗だけ存在していた場合、そこに好みのものがなければ、その時間は無駄となってしまいますが、その近辺に同じジャンルの商品を取り扱っている店が20店舗ある場合、他の店を覗きに行くことが出来ます。
消費者の利便性が上がって人通りが多くなれば、店に入る客の数も多くなるわけですし、その内の何%かが購入をすれば、店側の売上も増加するでしょう。
また店側にとっては、何もしなくても露出も増えるわけですから、多額の広告費を使わなかったとしても、店を知って貰える機会は増えます。

今紹介したのは、『ラーメン屋だけ』であったり『家具屋だけ』といった出店について話してきましたが、もっと大きな括りで『飲食店』や『生活雑貨』の店が出すことで、シナジー効果を得られて更に効果が増したりもします。
例えば、先ほど紹介した先斗町には、主に晩御飯を食べるための店がひしめき合っていますが、その1本西にある木屋町通りには、ショットバーを始めとした飲み屋街が広がっており、ショットバーだけでなくクラブや女性が接待する店などもあります。
この様に複数の営業形態の店が1箇所に集まると、先斗町でご飯を食べて、二次会や三次会は木屋町で呑むなんてことも可能になるため、複数の店で客を融通することが可能になります。

繁華街は地域がプラットフォーム

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この状況は、地域そのものがプラットフォームとなっているとも考えられます。
この様な環境で、この繁華街に集まる人達を独占しようとして、戦略を練って1軒1軒潰していったとしたらどうでしょう。 この一帯の客を全て自分で独占できるのかと言うと、そういうわけには行かないでしょう。
何故なら、どんどん店が潰れて1店舗しかなくなった地域に魅力は無いため、そもそも客が来なくなってしまいます。

しかし、地域が変われば話は変わってきます。 京都には先斗町木屋町通りがある河原町から少し離れた場所に西院という地域がありますが、この地域が打倒河原町を狙って、地域を盛り上げるイベントを起こすことはあるでしょう。
これはプラットフォームが違っているため、プラットフォーム間の争いはあるけれども、プラットフォーム内の争いは少ないと言うことです。
少ないといったのは、飲食店がそれなりの規模になると、細かい部分ではバッティングしてしまう店同士も生まれるからです。

同じ様な価格帯で同じ様なメニュー構成の中華屋が近くに3軒あれば、その店同士では客の取り合いが起こることも十分に考えられます。
この争いを制すために、品質や食材で差別化をはかったりり、これ以上の新規参入を防ぐために、特定の価格帯の中華屋といった限定された範囲の参入障壁を築くことはあるということです。

ということで、長々とネットワーク外部性や参入障壁について話してきましたが、次回からは話題を変えて、企業の強みについて考えていきます。
それではまた次回。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第23回【経営】ネットワーク外部性と参入障壁(1)

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参入障壁とは

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第18回で参入障壁を説明し、第19回20回ではネットワーク外部性について説明していきました。
これらの詳しい説明は過去回を聞いてもらいたいのですが、簡単に説明をすると、参入障壁とは新規参入を防ぐための防壁で、これを高くすることで新たなライバルの登場を阻止します。
市場というのは大きさに限界があり、企業は限られた市場の中で売上を伸ばすためにシェア争いを行うわけですから、争う相手は少ない方が良いでしょう。

極端な話、ライバルが少なくなり、市場に商品を提供する企業が1社になれば、製品価格も販売方法も、その1社が握れることになります。
この様に、市場の圧倒的なシェアを握ってしまうことは、企業にとっては有利に働くため、企業はその様な状態を目指そうとします。
余談になりますが、商品は市場を通して消費者の手に届きますが、企業が有利になるということは、逆に言えば消費者にとっては立場が不利な状況となります。

この様な状況を防ぐため、多くの国には独占禁止法というものがあり、その市場において供給業者が1社になることは出来ません。
逆に言えば、法律で規制しなければならない程、市場で圧倒的なシェアを握るというのは企業にとっては有利で望ましい状態と言うことです。

ネットワーク外部性とは

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その一方でネットワーク外部性とは、自分の市場に他社を引き込めば引き込むほどに、自社にとっては有利になるという概念です。
例えば、プレイステーションというゲーム機がありますが、このゲーム機のソフトをソニーしか制作していなければ、プレイステーションはここまで売れていないと思われます。
ソニーがゲーム機を作り、ゲームソフト制作部門もソニーにあるのですから、先程の理屈で言えば、ソニープレイステーションのソフト市場を開放せずに、自社のみでソフト制作する方が市場シェアを独占できて良いはずです。

しかし消費者目線で考えた場合、ソニー製のソフトしか発売されないゲーム機に魅力はないでしょう。
スクエアエニックスであったり、カプコンであったり、アトラスなどのサードパーティが参入してくれた方がハードの魅力が上がり、結果としてゲーム市場は拡大し、1社で独占していた状態よりも売上が上昇することが想像できます。

市場ごとに戦略が変わる

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この、ネットワーク外部性と先ほど紹介した参入障壁は、考え方としては正反対のようにも思えますが、実際にはそうではありません。
実際の経済を観てみると、この正反対と思われる2つの考え方は共に存在していますし、時には、1つの市場で共存している場合もあります。
では実際に、この相反すると思われる考え方は、どのようにして存在しているかを考えてみましょう。

まず考えられるのは、製品・サービスごとに、ネットワーク外部性が働く市場と参入障壁が働く市場があるということです。
これは、今回、例を上げて説明したゲーム機市場や、前に紹介したSNSなどの市場ではネットワーク外部性が働くけれども、他社を排除することによって儲けることが出来る市場も別に存在するという考え方です。
傾向としては、何も行動を起こさなくてもニーズが発生する様な市場では、参入障壁を設けて新規参入を警戒したほうが良いですが、ニーズを掘り起こさなければならない市場では、ネットワーク外部性が働きやすいです。

参入障壁が有利な市場

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例えば、鉄道や航空会社などの場合、人が移動したいというニーズは常にあるわけですから、その市場を独占できれば、利益の最大化を狙うことが出来ます。
人の移動といったものは、他社との関わり合いが無ければ成立しないものではなく、『特定の場所に疲れずに行きたい』という人がいれば、その人行動のみで完結します。
人の移動は、ビジネス関係に限らず、個人の旅行など様々なニーズは掘り起こさずとも存在するため、その市場を独占することが出来れば、儲けやすくなります。

ネットワーク外部性が働く市場

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一方でネットワーク外部性は、ニーズがそもそもないところから、それを掘り起こして、顧客を巻き込む形で発展させていきます。
例えば、昔はネットで動画を見るなんて習慣はそもそもありませんでした。 その状態から、ネットで動画を視聴するというニーズを掘り起こす為には、ネットワーク外部性が必要になってきます。
ネットでの動画視聴をしてもらおうと思えば、コンテンツを豊富に取り揃えないといけませんが、1社で制作しても出来上がるコンテンツ量はたかが知れているため、自発的に動画を作ってアップロードしてくれる人が必要になってきます。

そのために動画プラットフォーム側は、見やすい動画の作り方や再生数を伸ばす方法などを積極的に公開し、動画の再生数が上がれば製作者に利益が出るような仕組みを作り上げます。
つまり、動画コンテンツ市場に入りやすいように参入障壁を下げて、新規参入を促すことで、ニーズを掘り起こそうとします。
このようにして、制作される動画が増えれば増えるほど、視聴者が視聴することが出来る動画の選択肢は増えますし、番組数が増えてニッチな話題を扱う番組が充実すれば、ユーザーのニーズを満たしやすくなります。

このようにして便利になったプラットフォームでは視聴者が増加するため、その大勢の視聴者に向かって動画を提供しようという人たちも増えることになり、動画市場というのは一気に拡大していきます。
この拡大幅は、どこかのラインを超えると爆発的に拡大幅が増加すると言われていて、そのポイントのことをキャズムといったりもします。

ネットワークの外には壁を置く

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この様に説明すると、では、これらの参入障壁を築くべき市場とネットワーク外部性を利用すべき市場は、きっぱりと別れているのかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうではありません。
これは、市場の成長度合いや、市場をどの様な観点で観るのかといったことでも変わってきたりします。

例えば、先程のネットでの動画市場でみる場合、youtubeという1つのプラットフォームの中では、新規参入のための参入障壁を低くして、動画制作が行いやすい環境を作っていたとしましょう。
しかしこれが、一つ外側の視点でプラットフォーム間の話になると、事情が変わってきます。
youtubeは、今更、動画プラットフォームを作られるのは面白くないでしょうから、新たな驚異となる動画プラットフォームの新規参入を防ぐために、高い参入障壁を作るでしょう。その参入障壁は、例えば、特定の配信者の囲い込みであったりです。

これは、前に例として挙げたゲーム機市場でも同じです。 ソニープレイステーションは、ゲーム機を購入したユーザーの利便性を上げるために、数多くのソフト制作会社を引き込むことで、ネットワーク外部性を利用します。
しかしその一方で、任天堂マイクロソフトが提供するプラットフォームとはシェア争いを行っていますし、そこで使われる戦略には、特定のソフトをソニーのハード向けでしか発売させないといった囲い込みを行ったりします。
何故、この様な事をするのかというと、プラットフォーム戦争を制して、市場を独占したいからです。

市場がマイナーな場合

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では、こういった動画プラットフォームやゲーム機市場などでは、はじめから参入障壁を築いて独占を狙っているのかと言うと、そうでもありません。
そもそも知名度がなく、ニーズもない市場である場合、他のプラットフォームが立ち上がることを歓迎したり、手を組んだりすることも珍しくはありません。

私はこのコンテンツをyoutubeだけではなく、PodcastSpotifyなどでも提供しています。
これらは音声コンテンツなのですが、音声のみの配信は、ネットでの動画視聴に比べるとまだまだ市場での認知度が高くないため、プラットフォーム間でもシェア争いは激しくありません。
何なら、複数のプラットフォーム同士が手を結んで、共同で賞を作って市場を盛り上げようとすらしています。

これは、音声コンテンツのプラットフォーム市場が特殊なのではなくて、そもそも認知されていない習慣を広めようとしている段階では、排他的な行動は起こりにくいです。
何故、初期段階ではプラットフォーム戦争が起きず、独占を狙わないのかと言うと、独占して1社で広報・宣伝活動を行うよりも、同じ様な会社が多数増えたほうが認知度が増えやすいからだと思われます。
企業が持つ経営資源は限られているため、1社でとれる戦略は多くはありません。 しかし複数の会社が参入してくれば、全体として取れる戦略は多くなります。

そのウチのいくつかが成功して市場が拡大していけば、例え自社の市場シェアが下がったとしても売上は下がりにくいですし、市場拡大スピードによっては、むしろ売上が上がるということもあるでしょう。
市場が拡大している中でシェアをキープできていれば確実に業績は伸びますし、シェアを伸ばすことが出来れば加速度的に利益が増えていきます。
多くの会社がその市場に参入し、それぞれの戦略で市場にアプローチをすれば、失敗する例や市場に受け入れられる戦略の傾向なども分かってくるため、市場を独占するよりも利点が大きいです。

新規参入を受け入れるメリット

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また、多くの会社と一緒に市場に入ることで、リスクを下げるための新たな戦略を取ることも出来ます。
例えば、自社が市場に対してあるアプローチを行って、一定の成功を収めたとしましょう。ですが、経営による成功は1つではないため、その方法だけが絶対的な正解というわけではありません。
他の会社が、自分たちでは考えられなかったような奇抜なアイデアで、成功することもあるでしょう。

そういったことが繰り返し起こりながら市場がある一定レベルまで拡大した場合、成功している会社と失敗している会社がはっきりと別れてくると思います。
失敗している会社の中でも、成功している事業と不採算事業に分かれていたりするでしょう。
この様な状況になれば、成功している会社や成功している事業だけを買い取るという戦略も取ることが出来ます。

市場の中で生き残れた企業や事業というのは、既にある一定の成功を収めていることが確定しているわけです。
事業拡大や新たな事業を始める場合、1から戦略を練って、不透明な市場に対して投資するよりも、既に成功を収めている会社を購入するほうが、リスクは低いです。

成功は金で買える

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つまり、自分たちと同じ市場に100社が参入し、それぞれ別の戦略をとって、5年後に20社が生き残っていて一定レベルの利益を上げているのであれば、その中から自社の事業と相性のいいモノを買ってしまった方が良いということです。
自社で新たにサービスを開発して、それを軌道に乗せるために労力を使うぐらいなら、既に成功しているモデルを購入した方が、リスクは低くなります。

この様に、参入障壁とネットワーク外部性は、全く正反対の概念のようにも思えますが、実際には、市場の成長段階であったり、市場の範囲という観点を変えることで、入れ替わったり共存していたりします。
今回は比較的大きな会社の話になってしまったので、次回は、中小零細企業に当てはめて、このことについて考えていこうと思います。 それではまた次回。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第107回【ソクラテスの弁明】試される裁判官 前編

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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

唯一の悪人?

前回までの話を簡単に振り返ると、ソクラテスの評価が『賢者』と『愚か者』と両極端に2分されている理由と、メレトスやアニュトスを始めとした、彼を非常に恨んでいる人間が生まれた理由を話していきました。
ソクラテスの評価が両極端に分かれている理由としては、『この国で一番賢いのはソクラテスだ』という神の託宣が本当かどうかを確かめる為に、様々な賢者に対話を申し込んだ所、多くの賢者が、自分は賢いと思い込んでいるだけの人だと分かってしまいました。
無知を暴露された賢者は怒り狂い、彼を非難しますが、その一方で、『賢者を打ち負かした彼こそが、本当の賢者だ!』とうい者も現れて、結果として、評価は二分してしまったというわけです。

この解説の後、ソクラテスは自身に恨みを持つ人たちに対して反論します。
この裁判に置いては、訴えている張本人はメレトスなので、メレトスの主張に対して弁明していきます。
メレトスの主張は『ソクラテスは、青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニアを信仰している。』というものです。

ソクラテスは、この主張に反論をする為、一つ一つ、メレトスの主張を確かめていくことにします。
彼の主張によると、アテナイという国では、ソクラテスただ一人を除いて、全ての人間が青年を正しい道へと導くことが出来るけれども、ソクラテスだけは、青年を悪の道に引きずり込んでいるという主張でした。
ですが、仮にメレトスの主張が正しければ、アテナイには悪人はソクラテス1人しかいないことになります。 何故なら、人を良い道へと導く方法を知っている人間が、悪人のはずがないからです。

人の命と国の運命

しかし実際には裁判所があり、刑務所があり、法律がある。 これらは、国の秩序を保つ為に存在するものですが、わざわざこんなものを作らなければならないというのは、アテナイが善人だけで構成されていないことを意味します。
また、現実の世の中を見渡してみると、動物を上手く調教できる調教師にしても、子供を賢く育てる事が出来る教師にしても、優秀とされている人は極限られた少数の人だけです。
仕事や勉強は、分かっている事実を教えるだけなのにも関わらず、優秀な教師の数は限られているのに、人を卓越した優れた存在にするアテレーは、全国民が教える事が出来るというのは、おかしな話です。

この問答によってメレトスは、青年の教育やアテレーについては一切興味がなく、今まで考えたことすら無いにも関わらず、ソクラテスを訴えたい一心で罪をでっち上げた事が推測されます。
ソクラテスは、この様に弁明をし、自分は不正を行っていない無実の存在だと訴える一方で、多くの自称賢者たちを傷つけて、恨みをかってしまった事は認めます。
そして、その上で、裁判官たちの気持ちを汲み取る形で『人々に恨みを買い、下手をすれば自分を死に追い込むような活動を続ける事を、恥とは思わないのか?と思うものがいるかもしれないが、私は恥だとは思わない!』と断言します。

人には、これを行えば自分が死ぬと分かっていてもやらなければならない事があり、それを実行したまでに過ぎないといった事を、ギリシャ神話のトロイア戦争のアキレスになぞらえて力説したのが、前回まででした。

ソクラテスに言わせるなら、自分は賢いと思い込んでいる人が無知である事が分かれば、その人自身も一からやり直せる良い機会だし、その人物は次からは知ら無い事を知った風に他人に教えることもないので、間違ったことを教えられる犠牲者も減る。
アテナイという国にとっては良い事尽くめなのに、多くの賢者は、自分の無知が暴露されることを恥ずかしいことだと思い、ソクラテスの事を馬鹿にすることで、逆説的に自分の主張が正しいと言い張っている。
しかしそれは、賢者自身にとっても、彼等の弟子にとっても良くないことなので、指摘することは恥ずかしいことだとは思わないし、それによって自分が死ぬことになったとしても、国を良くする為には、その活動は止めないということです。

死ぬことは悪いことなのか

プラトンソクラテスを主人公に据えて書いた他の対話篇を読む限り、ソクラテスが人生において最重要視することは、長生きすることではなく、良く生きることで、よく生きる事とは、秩序を重んじて生きるということでした。
その為、彼は、過去に国の命令で兵士として戦場に駆り出されたときも、国の言うことを聞いて逃げずに最期まで堂々と戦いました。
民主主義の国で決められた事を、自分の都合だけで無視するというのは、それこそが秩序を破壊する行為なので、そんな事は出来ないということです。

ソクラテスは、自分が命を落とすかもしれない過酷な戦場に3回も行った人間が、命惜しさに、神々の意思に逆らうなんて事をするはずがないと力説します。
何故なら、その行動こそが秩序の破壊であり、神への冒涜なので、そんな事をしでかしてしまう人間こそ、不敬罪で法定に引きずり出されるべきだと考えているからです。

次に彼は、『死』とういものについての考えを述べていきます。
この裁判は、ソクラテスを亡き者にしたいという者が起こしていますが、これは、訴えを起こしたメレトスをはじめとした多くの人達が、死ぬという出来事が悪いことだと考えている証拠です。
しかし冷静に考えて、『死ぬこと』とは、本当に悪いことなのでしょうか。

死の経験者

この世には、一度死んでから現世に戻ってきた人間は、一部の宗教の神話に登場する聖人などを除いては、存在していません。
つまり、死ぬという出来事が、本当に悪いものなのかを確かめた人間は存在しないということです。

この様な状態の中で、『死とは恐ろしいものだ。』と言われても、それをすんなり信用することは出来ません。
何故なら、これまでに行ってきたソクラテスの活動によって、賢者と呼ばれている人達は誰一人として、真理を得てもいないし追求しようとも思っていない事が分かったからです。
そんな者達の口から出る『死ぬのは怖いこと』という主張を、どうやって信じれば良いのでしょうか。 多くの人達は、本当に『死』というものを理解して上で、怖いものだとしているのではなく、単にその様に信じ込んでいるだけです。

誤解のないように言っておくと、ソクラテスは、『死』というものに対して、恐怖すべきではないと断言しているわけではありません。
その様に断言してしまうことは、スタンスこそ違えど、今さっき、自分自身が否定した彼等の行動と同じ行動を取ることになるからです。
そうではなく、ソクラテスが主張していることは、『死』というものが良いものか、それとも悪いものなのかを知る人間は1人もいないのだから、知らないものとして扱うべきだという事です。

無闇矢鱈と恐怖するわけでもなく、怖いものではないと信じ込むことでもなく、知らないものとして研究する必要があるのではないのか。
その為、ソクラテスは、『死』というものに対しては恐怖するわけでもなく、安易に喜んで迎え入れる事もしないと言います。
これは、分からないものは分からないものとして、ありのまま受け止める為、正体が不明な『死』という出来事を避けるために、自分の信じる道を曲げるという事はしないということです。

ですからソクラテスは、判決を下す権限を持つものには、その事を踏まえた上で、判決を下して欲しいと伝えます。
これは、死刑をチラつかせたところで、自分の発言内容は絶対に変えることが出来ないという強いメッセージといえます。

試される裁判官

『死』というものを怖がることはないので、死ぬのが嫌だという理由だけで、裁判官に媚びへつらったりしないし、この場をやり過ごすためだけに泣き叫んだり、反省をしている演技なんてこともしない。
自分は、嘘偽り無く事実のみを話していくので、判決を下す者は、様々な関係のない情報や感情に惑わされず、その事実のみを判断材料にして、判決を下して欲しいということでしょう。
彼はこれまで、裁判官に対して無礼な発言や言い回しを敢えて行っっていますが…

これは、裁判官が本当に優秀で、その資格があるとするのならば、こういった行動に惑わされること無く、真実だけを観て判断できるだろうという、一種の挑発とも取れます。
メレトスは、ソクラテスを有罪にしようと、様々な嘘や演出を行う一方で、ソクラテスは、自分が助かる為の小細工は一切しない、それどころか、ここにいる裁判官に、その資質があるかどうかを疑うという態度で裁判に臨みます。

裁判官に事実を見抜く能力がない場合、ソクラテスが行った無礼な振る舞いによって、感情に流されて有罪にしてしまうでしょうが、もし、ここにいるのが真の裁判官であれば、事実だけを観て判断できる為に、その結論は変わるでしょう。
それを見極めるためにも、有罪か無罪か、どちらかはっきりして欲しいと、ソクラテスは裁判官たちに要望します。
決して、『メレトスの主張には無理があるが、ソクラテスの方も、他人の気分を害することを行ったんだから、これからはそんな事はしないように。』とした、中途半端な判決は下すなということです。

何故ならソクラテスは、神の導きによって活動をすると決意し、その行動を、今まで続けてきたからです。
彼は、同じ国に住むアテナイ人に対して敬意を払ってはいますが、彼等と神々を比べた場合に、優先すべきは神々だと思っています。
その為、当然ですが、今回のように人間と神々の意見が対立したときには、神々の意見を尊重すると主張します。

先程のような、メレトスの主張は認めないけれども、ソクラテスも人を不愉快にする活動は止めるべきだという玉虫色の判決が出たとしても、彼は、神を信じているが故に、その命令は無視するでしょう。
どうせ守れない約束を課すぐらいなら、今ここで殺されたほうがマシだという事です。 何故なら、その行動こそが秩序を守るということだからです。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第22回【経営】戦略は必要なのか

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前回はこちら
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学問と現実にはギャップが有る

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前回は、経営学の理論と現実の社会との間にはギャップが有り、学問で構築された理論は、そのままでは現実社会に当てはめることは出来ないといったことを話していきました。
今まで、様々なフレームワークや分析法を取り上げてきましたが、それらは全て理論上の話しなので、現実の現場にピッタリと当てはまるわけではありません。
当然、それらを使って作られた戦略は、理論的に正しのだから、現実世界でも確実に通用するし、成功をもたらしてくれるものではありません。

では、経営学なんて机上の理論は、勉強する価値がないのかというと、そうではありません。
古代の哲学者ソクラテスは、人間は、感情に任せて行動するのではなく、自分の外側に確固たる基準を持つべきだと主張しました。
これを事業経営に例えるなら、感情で意思決定せずに、理論によって構築された基準に則って、今後取る行動を決めるべきだと言うことです。

例えば、事業というのは、上手くいくか行かないかは予測ができないものなので、ギャンブルと同じようなものと捉えて考えると…
競馬にしてもパチンコにしても株式投資にしても、どの馬券や株券を買えば当たるかや、どの台を選べば大当たりするかというのは、予測したところで確実に当てることは出来ません。
予測法や見極め方というのは有るでしょうし、その分野の研究というのも有るんでしょうけれども、それを極めたとしても、確実に儲けることは不可能です。

マネーマネジメント

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では、戦略もなく、自分の思うがままにギャンブルに金を突っ込み続けることが正解なのかというと、それも違います。戦略もなくギャンブルをやったところで、身ぐるみ剥がされて終わりです。
当たらないからといっても、戦略は必要になります。では、どの様な戦略が必要なのか。ギャンブルに置いて必要な戦略は、マネーマネジメントです。
つまり、BETの仕方。賭け方です。

例えば、ルーレットで有名な戦略として、『マーチンゲール法』というのがあります。これは、カジノ側がイカサマを行わない限り、そして自分の資金が底をつかないという前提条件のもとで、確実に儲けることが出来る賭け方です。
やり方ですが、その前にまずルーレットのルールを説明すると、ルーレットは、数字が書かれた円盤にディーラーが玉を転がして、その玉がルーレットのどの数字に止まるのかを予測するゲームです。
特定の数字にピンポイントでかけることも出来ますが、ルーレットでは範囲に賭けることも出来たりします。

マーチンゲール法

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例えば、数字が1~36まである場合は、それを3分割し、1~12・13~24・25~36といった範囲にも賭けることが出来ますし、1~18。19~36といった範囲にも賭けることが出来ます。
その他にも、数字には赤か黒かの2種類の色がついているのですが、玉が赤か黒のどちらに入るのかを予測して賭けることも出来ます。
当然ですが、範囲が広くなれば広くなるほど当たる確率は上がるわけですから、当たった際の倍率は下がっていきます。

赤か黒のどちらに入るのかを予測する場合は、当たる確率が約2分の1のため、予想があたった際には2倍になって返ってきます。つまり、約2分の1の確率で倍になる賭けだということです。
当たる確率が約2分の1と書いたのは、ルーレットの数字は先程は1~36までと言いましたが、実際には0と00があって、その数字の色は緑になっていて、赤と黒のどちらにかけていたとしても負けてしまうからです。
つまり、実際の確率は2分の1よりも小さく、その僅かな確率の差が、カジノの収益となります。 つまり、カジノのゲームは確率的にカジノに有利にできているということです。

話を戻すと、マーチンゲール法では、約2分の1の確率で2倍になる、赤か黒のどちらに玉が入るのかだけを予想し、赤か黒のどちらかにBETします。
1回当たりの掛け金は、何回まで連続で外れてしまうのかに依存してしまいます。つまり、完全に確立依存というわけです。

何回までの『ハズレ』を想定するか

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約50%の確率だから3回しか連続では外れないと予想する場合と、10回連続で外れてしまうかもしれない可能性を考えて賭ける場合とで、全資産の何%を賭けるのかで賭け金は変わります。

さて、まず1回目、賭け金を赤か黒のどちらかにBETします。当たれば勝ちですが、負ければ当然ですが、賭け金は没収されます。
負けた場合は、賭け金を倍にして、もう一度BETします。当たれば、1回戦で負けた賭け金と今回のBET分を上回る額が返ってきます。負ければ当然ですが、賭け金は没収されます。
2回連続で負けてしまった場合、1回戦での負けと2回戦の負けを合わせると、結構な額の負けとなっているわけですが…

3回戦の賭け金を更に倍額にすることで、1回戦と2回戦の負けを全て取り返した上で、更に儲けを出すことが出来ます。
既にお気づきの方も多いと思いますが、このマーチンゲール法というのは、負けた際には、直前に賭けた額の倍額を次回に賭けることで、これまでの負けを全て取り戻した上で、利益を上げようという戦略です。
では実際に、この戦略で本当に儲けが出るのかを観ていきましょう。

実際に計算してみる

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まず、1回目でチップを1枚掛けて負けたとしましょう。 この時点で負けはチップ1枚です。 2回戦ですが、次はチップを2枚賭けます。
これで、1回戦で負けたチップと2回戦の賭け金で、合わせてチップが3枚となりますが、賭けたチップが2枚で当たった場合の倍率が2倍なので、当たればチップは4枚になって返ってくることとなり、儲けが出ます。
もし、2回戦も負けた場合も考えてみましょう。 1回戦で1枚負けて2回戦で2枚負けて、3回戦目の賭け金がチップ4枚ですから、コストは7枚です。

ですが、3回戦の賭け金はチップ4枚なので、2倍の倍率だと8枚返ってくるため、負けをすべて取り戻して上で、チップ1枚の儲けが出ます。
この様に、仮に負けが続いたとしても、賭け金を倍にして賭け続ければ、1回の勝ちで負け分を全て取り戻した上で、儲けが出るというのが、マーチンゲール法です。
このマーチンゲール法で誤解して欲しくないのは、この方法は、賭け金を倍にして賭け続けて諦めなければ、最期には全て取り戻せるという話ではないということです。

賭け金を倍ずつ増やしていくということは、負けが続けば続くほど、賭け金は指数関数的に増えて行くこととなります。
指数関数的に増える賭け金をコントロールしながら勝ちを拾う為には、一番最初の1戦目の賭け金の設定が重要になってきます。
つまり、最初に賭け金の設定の仕方を説明した際にも話しましたが、何回連続で負けるのかを予め想定した上で、逆算して賭け金を設定しなければならないということです。

もし仮に、10回戦連続で負けてしまうことを想定すれば、10戦目の賭け金はチップ1024枚となります。
これまでの傾向から、この勝負に勝ったとしても、総トータルでの利益はチップ1枚だけです。
つまり、10回戦までの総コストとしては2047枚を費やしているということです。もしこれに負けた場合は、11戦目の賭け金は2048枚となり、トータルのコストは4095枚となります。

マネーマネジメントとは

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マーチンゲール法の場合、当たるまで賭け続けなければならないという縛りがありますから、一度も当たりを引く前に資金が尽きてしまえば、全ての資産を失ってしまうことになります。
すべての資産を失うのを回避しようとする場合、当然、何回まで賭け続ければあたりが出るのかを、正確に予測する必要があります。 その予測に保険をかけるためにも、更に数回分負けるということも織り込む必要があるかもしれません。
つまり、マーチンゲール法の最も重要な部分というのは、『負けたら2倍賭け続ける』という分かりやすい法則の方ではなく、何回連続で負けるのかを適切に予測し、最初の賭け金を逆算して決めるという部分です。

これを、企業の戦略に当てはめるのなら、赤か黒のどちらにかけて、その際のコストはどれぐらいで、リターンはどれぐらいかを考えるのかは、これまでに紹介してきた分析やフレームワークの部分です。
実際の社会では、ルーレットのルールのように当たる確率と配当の倍率が明確に決まっていません。 つまり、その事業を始めたとして、成功する確率も得られるリターンも明確にはわからないということです。
それを少しでも明確にするために、内部環境や外部環境の分析を行うことで、リスクを減らしていきます。

そして、その事業が仮に失敗したとしても会社が破産しないように、事業に対する初期投資額を決めていく必要があります。
つまり、自社の内部やそれを取り囲む環境の分析を行って、おおよそのリスクやリターンを計測した上で、初期投資額を決める。その事業がうまく行かない場合は、撤退ラインを決めるというのが、事業戦略となるわけです。
撤退ラインを決めるためには、当然、成功する場合はどの様な筋道を辿るのかをシミュレーションし、それと現実がどれほどかけ離れているのかを比べて決める必要があります。

モデルを使って戦略を考える

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その元になる筋道を考えるためには、どの様なケースにでも当てはまりやすい、抽象的なモデルケースや、それを利用して作られたフレームワークを使って考えていくしかありません。
つまり、これまで紹介してきたフレームワークや分析方法を使って出来た事業計画に一定確率の失敗があったとしても、それを利用した方が、結果としてはリスクが下げられるということです。
まとめると、理論を使って建てた戦略が確実に成功するわけではないですが、そもそも戦略というのは失敗することも考慮して建てるものなので、経営理論を使った方が、結果としてリスクは下げられることになります。

ということで今回は、勉強や戦略の必要性について話しましたが、次回は、話を少し戻して、参入障壁とネットワーク外部性について、現実寄りで話していきたいと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第106回【ソクラテスの弁明】神と神霊 後編

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前回はこちら
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目次

神と神霊

例えば、人間という存在を全く信じていないのに、人間の所業を信じている人間は存在するのだろうか。
人間がこの世に存在しているなんて全く思っていないが、人間が作った街など文明の存在は信じて疑わないといったものは、いるのでしょうか。
その他の例でいうなら、どこかから笛の音が聞こえてきたとして、笛の音色という存在は信じて疑わないのに、その笛を吹く人間の存在を全く信じない者はいるでしょうか。

笛吹という存在を信じないのであれば、聞こえてきた音色は笛の音ではなく、風によって起こった別の音としなければ辻褄が合いません。
笛を吹いているものはいないと主張しながら、聞こえてきた音が『誰かが吹いた笛の音だ』と確信するのは、かなり矛盾した行為だといえます。

現代風の別の例えをするのであれば、ウーバーイーツという出前サービスがありますが、ウーバーイーツの存在を信じていて、サービスを頻繁に利用しているのに、飲食店の存在を否定している人がいたとすれば、その人の考えはおかしいと言えます。
ウーバーイーツの仕事は、飲食店と客の橋渡しなのに、ウーバーイーツという仕事だけ認めて、飲食店なんてサービスはこの世にないと主張する人がいたとすれば、その考えは否定されるでしょう。

これを、神々とダイモニアに当てはめて考えるのであれば、ダイモニアの働きとは、人と神々との橋渡しをすることなのに、神々は存在しないとすると、ダイモニアとは何なのかという話になってきます。
メレトスの主張によると、ソクラテスは、神々の存在は否定しているけれども、ダイモニアは信仰しているそうですが、この主張そのものが矛盾していて、到底受け入れることが出来ないものといえます。

これらのことを踏まえて考えると、メレトスが主張する『ソクラテスは、青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニア(半神)を信仰している。』という罪状は、全て嘘だった事がわかります。
メレトスは、ソクラテスに刑罰を与えたい一心で罪を考え、でっち上げたけれども、普段から、青年を良い方向へと導く方法や神々について考えていなかった為に、その主張は矛盾し、破綻していることが明らかになりました。
しかしソクラテスは、この対話を聴いた聴衆の中には、『他人から、そこまで恨みを買い、下手をすれば自分が死罪になってしまうような活動を続けることを恥ずかしいとは思わないのか?』と思う者も少なからずいる事に、理解を示します。

ソクラテス自身が法を破らずに、不正にも手を染めていなかったとしても、彼の活動によって面目を潰された人や営業妨害された人は確かに存在していて、彼等から恨みをかってしまうというのは、それはそれで恥ずべき行為なのではないのかということです。
ですが、ソクラテスはそうは思いません。
何故なら、彼は、単純に知識のある人から教えを授かりたかっただけですし、その結果として、賢者が、モノを知らないのに知っていると思い込んで、人々に適当なことを吹聴していたと暴かれたとしたら、それはそれで、良いことだからです。

トロイア戦争

ソクラテスは、神々の声によって、使命感から突き動かされて、結果として、多くの人たちから恨みを買うことになりましたが、恨まれるのが怖いからと行動を起こさない方が悪い行為だと考えていたので、起こした行動は恥ではないということです。
彼は自身の行動を、ギリシャ神話に登場するアキレスの最期と同じだと言います。

ギリシャ神話のアキレスとは、トロイア戦争に登場する英雄の一人です。
簡単に説明をすると、トロイアという国があるのですが、その王族が、『次に産み落とす子供は禍の元凶となる』という予言を受けることになります。
その予言を受けた王族は、生まれたばかりの男の子の処分を部下に命令するのですが、その部下は子供を殺すことが出来ずに、事情を全て伏せた上で、羊飼いの子として育てます。

パリスと名付けられた男の子は、その後、青年になるまで羊飼いとして暮らすのですが、ある日、森に迷い込んだ際に、4人の神と出会います。
その神とは、ゼウス・ヘラ・アテナ・アフロディーテなのですが、神たちは結構、険悪な雰囲気を漂わせていました。
事情を聴くと、元ゼウスの妻のティティスと人間のペレウスが結婚式を開いた際に、ほとんどの神々が式に招待されたにも関わらず、争いの神であるエリスだけが招待されないという出来事がありました。

めでたい席なので、不和と争いの象徴である彼女を呼びたくなかったんでしょう。 すると彼女は、『一番美しいものに、この黄金のリンゴをあげる。』と書き置きと共に黄金のリンゴを神々のもとへ送りました。
すると、女神の中でも力を持っているヘラとアテナとアフロディーテの3人が、私こそが一番美しいのだから、リンゴを貰う資格があると主張し、一歩も譲る事無く、争いに発展してしまいました。
ゼウスは、リンゴを誰にあげるのかが決められずにいたところに、偶然、パリスが現れたというわけです。

パリスの審判

ゼウスは、誰にリンゴを渡すのかをパリスの判断に委ねるとしました。
それを聴いた3人の女神は、口々に、自分を選べば、素晴らしいものを与えると交渉してきます。
ヘラは、アジア全土を支配する能力を、アテナは、戦いにおける勝利と、それに伴う知識を、そしてアフロディーテは、この世で一番美しい女性との結婚を約束したところ、パリスは迷うこと無くアフロディーテにリンゴを手渡します。

その後、パリスはトロイアの王子ということがトロイアの王族にバレて、王族は過去にパリスを殺そうとした負い目から、彼を国に受け入れることになります。
羊飼いとして暮らしてきた為、内政などの知識がないからか、パリスはスパルタに大使として派遣されることになるのですが、そこで、この世で一番美しいとされる女性と知り合うことになります。
その女性は、スパルタの王妃ヘレネです。 パリスは、アフロディーテの祝福によって彼女を射止め、王の許可も得ずにトロイアに連れ帰ります。

この行為に激怒したスパルタ王は、ギリシアで権力を持っていた兄のアガメムノンに相談に行き、結果、ギリシアトロイアの戦争になります。
この戦争で、ギリシア側には2人の英雄が参加していたとされ、一人がオデュッセウスで、もう一人がアキレスです。
アキレスは、親友のパトロクロスと共に戦争に参加し、かなりの成果を上げて、報酬や奴隷を獲得するのですが、その奴隷を、アガメムノンに奪われてしまいます。

英雄アキレス

戦利品を奪われたということで、完全にやる気を無くしたアキレスは、出陣せずに引きこもり、アキレスが率いる軍の士気も下がっていきます。
そこでオデュッセウスが、親友のパトロクロスにアキレスの防具をつけてアキレスに成りすますというアイデアを伝え、パトロクロスが実践します。
士気を取り戻したアキレスの軍ですが、トロイア側はパトロクロスの事をアキレスだと思い込んでいるので、必死になって彼の首を狙い、結果としてそれに成功します。

大親友のパトロクロスが自分の身代わりになって殺されてしまったことで、アキレスは激しい憎悪をトロイア軍に向けることになるのですが、子供思いのアキレウスの母親は、事前に予言を残していました。
それが、『親友のパトロクロスの仇討ちを行えば、お前自身も、その時に死んでしまう。』というものでした。 アキレスはそれを思い出すのですが、大親友の仇をとらずに生きながらえる事の方が恥だと考え、仇討に向かって死んでしまうという話です。

ソクラテスは自身の行動を、このアキレスの行動に重ね合わせることで、正当化しようといます。
自分はあくまでも神々の意思で動いただけで、その結果として、自称賢者が無知だと判明して恨んでいるが、彼等から恨まれるのが怖いからと言って、彼等を賢者扱いして崇めるなんてことは出来ないし、その方が恥だという事でしょう。

せっかくなので、トロイア戦争についての話を最後まですると、トロイア軍はギリシアと真っ向から戦う兵力がなくなり、籠城戦を決め込みます。
それに対してギリシア軍は、補給路をすべて経って、兵糧攻めを行うのですが、アキレスという英雄の1人を失ったという事で、責の一手を欠いてしまい、ギリシアへ撤退していきます。
この際に、海が荒れないようにと巨大な木馬を作り、そこにありったけの食料を詰めて『神への貢物』として置いていきます。

何故、こんな事をするのかというと、ギリシアは進軍する際に、海が荒れすぎていて渡れないという状態に追い込まれ、仕方なく、アガメムノンは自分の娘を神々への生贄として捧げて、海を渡ってきたからです。
娘は1人しかいない為、帰るときにはその代わりとなる食料を木馬に詰めて、神々の献上品にしたというわけです。

トロイの木馬

兵糧攻めをされていたトロイアは、その木馬を自分たちの場内に引き入れて、勝利の宴を開くのですが、実はこれはギリシア側の罠で、その木馬には数人の兵士が紛れ込んでいて、宴で盛り上がっているときを見計らって門まで行き、開門してしまいます。
すると、逃げたと見せかけてトロイアに潜伏していた大量のギリシア兵がなだれ込んできて、トロイアは滅亡してしまいます。

アキレスについてもう少し掘り下げると、アキレスは、この物語の発端となった、ティティスとペレウスの間に生まれた子供です。
この夫妻の結婚式にエリスが呼ばれなかったとして、黄金のリンゴを1つだけ送りつけてパリスの審判が開かれる事になったので、彼の誕生のキッカケが死ぬキッカケと作ってしまったともいえます。

このアキレスの母親のティティスですが、息子の死の予言をして忠告するほどに子供を愛していたので、出来ることは全て行っていました。
その1つが、アキレスの体の無敵化です。 あの世に流れているステュクス川というのがあり、そこに生きている赤ん坊を付けると、水が触れた部分が傷つかなくなるという話があり、ティティスは子供の為を思ってその川に赤子のアキレスを浸します。
その際に、息ができるように仰向けにして、出来るだけ体全身をつけようとした為、両足首の裏側の部分を流されないように必死に握りしめて水に浸した為、その部分だけが水に濡れずに、アキレスの唯一の弱点となります。
それが、アキレス腱です。

その他のうんちくとしては、ギリシアが籠城を破るために作った木馬に因んだ名前がつけられたコンピューターウイルスに、トロイの木馬なんてのもあります。
かなり脱線してしまいましたが、次回は、改めてソクラテスの弁明の続きについて語っていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第106回【ソクラテスの弁明】神と神霊 前編

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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

憎まれて好かれるソクラテス

前回の内容を簡単に振り返ると、ソクラテスは、裁判を起こすことになったメレトスや、その後ろ盾となっているアニュトスやリュコンから恨まれていたわけですが、彼等だけが、ソクラテスに悪い印象を持っているわけではありませんでした。
その理由としては、アニュトスが積極的にソクラテスの不正を訴えていたということもありますが、ソクラテスの活動によって、恥をかかされた賢者や職人たちもアニュトス達に賛同したからです。
それなりに発言力の高い人達がソクラテスの不正を訴えたので、少なくない割合の市民たちも、同じ様な認識を共有することになりました。

しかしその一方で、『ソクラテスこそが、真の賢者だ。』という認識も広がります。
何故かというと、ソクラテスは賢者と討論を行って、打ち負かし続けた事で賢者からは嫌われたのですが、その際の討論は、誰でも見物できる場所で行われていました。
ソクラテスが賢者に対して対話で打ち勝つところを目撃した人達の一部は、『賢者に勝った彼こそが、賢者なのでは?』と思い、ソクラテスのもとで学ぶことを求めました。

彼らから言い寄られたソクラテスには、教えるものなど何もなかったわけですが、共に真理を追求する仲間として、行動をともにすることを拒否しませんでした。
こうして、賢者と対話を重ねる度に、ソクラテスの周りには人が集まりだし、その仲間の一部は、幾度となく見物したソクラテスの会話術を模倣して、自らも賢者に挑んでいきます。
しかし、ソクラテスの弟子に討論で負けた賢者たちの方は、師匠に当たるソクラテスを恨むようになり、アニュトスの活動に参加していくという流れで、双方の陣営の人数が増えていく。

このようにして、ソクラテスは多くの人達に慕われる一方で、多くの人たちから嫌われることになりました。
この環境を背景にして、メレトス達がソクラテスが不正を働いているとして裁判で訴えます。

身近なものを悪人に変えるメリット

では、そのメレトスは、どの様な罪状で訴えたのかというと『ソクラテスは、青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ、国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニア(半神)を信仰している。』として裁判を起こしました。
ソクラテスは、この主張に対して、一つ一つ反論していくことにします。
まず最初は、『青年に良からぬことを吹き込んで堕落させ』という部分について反論を行ないます。

ソクラテスは裁判に出席していたメレトスに、『善人に囲まれて暮らすのと、悪人に囲まれて暮らす人生と、どちらが良いのか』という質問を投げかけ、『善人と暮らす人生だ。』という答えを得ます。
その上で、『君は私が、青年を悪人になるように教育しているというが、それは、私がワザとやっているというのか、それとも、私が意図せずに、青年が悪人となってしまったのか。』と尋ね、『わざとだ』という返答を得ます。
この返答を聴いたソクラテスは『身近にいるものを悪人に変えるという活動をして、何の得があるのか?』と聞き返します。

この一連のやり取りによって、メレトスが、この部分については何も考えずに、ソクラテスを罪人にしたい一心で訴えたことが分かったというのが、前回でした。

神を信じないソクラテス

次にソクラテスは、『国家で定めた神々を信仰せずに、独自のダイモニア(半神)を信仰している。』という部分について追求します。
メレトスは、ソクラテスが神々を信仰しない一方で、ダイモニア、これは半分神様の半神や神霊といった訳がされるものですが、そのダイモニアを信仰していると主張しますが…
ソクラテスは神を信じていないとして責め立てているのか、それとも、神の存在は信じているけれども、国が定めたものとは違う神を信じていると主張しているのか、どちらなのかとメレトスに確かめます。

ソクラテスは過去に『空に浮かぶ太陽や月は神々ではなく、別の何かだ。』と高らかに宣言したとでも言うのでしょうか。
これを受けてメレトスは、聴衆にアピールするように『ソクラテスは神々を信じてはいない。 太陽はアポロンではなく、灼熱する岩だというし、月はアルテミスではなく、ただの土だと主張している!』と返答します。
ですがこの理論というのは、ソクラテスが活動するより前にあったアナクサゴラスの主張です。

アナクサゴラスは、太陽はアポロンの化身ではなく灼熱する岩で、月はアルテミスではなく土の塊だと主張し、神々を信仰していないとして国外追放された人物です。
この人物はソクラテスの師匠に当たる人物だった為、ソクラテスも同じ様に考えているのだろうとメレトスは推測し、その様に主張したのでしょう。
ですが、ソクラテスは、師匠の説を盲信して、その様な主張を皆の前で主張したわけではないので、これに対しては堂々と、この様に反論します。

引っ込みがつかないメレトス

『君は、ここにいるアテナイ人たちを馬鹿にしているのか? 太陽が灼熱する岩だと答えたのは私ではなく、アナクサゴラスではないか。
アナクサゴラスが唱えた説は有名で、どこの店に行っても、僅かな金で彼の書いた本が買える。 一般常識と言って良いレベルの有名な話だが、君はその説を、アナクサゴラスではなく私が考え出したと、本当にそう思っているのか?
そんな話をでっち上げてまで、君は私が神々を信じていないことにしたいのか?』

これに対して、引っ込みのつかなくなったメレトスは『その通りだ。 君は神を信じていない。』と肯定します。
この反論も前と同じ様に、ソクラテスが神々を信じていない不敬な輩としておかなければ、罪に問えない可能性が有る為、無理矢理にでもそうしておきたいという思いが、この様な返答をさせたのでしょう。

これを聴いたソクラテスは、『メレトス、君は、自らの言葉の演出によって、裁判官が馬鹿げた冗談を信じるかどうかを試すといった遊びでもしているのか?』と指摘します。
というのも、メレトスの訴えには、明らかな矛盾があり、それは誰の目から見ても明らかなようにみえるのに、彼はその事を隠して、自分の主張が正しい事の様に言いふらしているからです。
では、その矛盾点はどこかというと、『ソクラテスは神の存在を信じていない一方で、ダイモニアの存在は信じている』という点です。

ダイモニア

ダイモニアとはどの様な存在か、プラトンが書いた饗宴という作品の説明によると、人間と神との間の存在のようです。
人間と神は、生きている次元が違うので、直接コンタクトをとる事は出来無いとされています。 ソクラテスの親友のカイレフォンが神の声を聴くために、わざわざデルフォイまで足を運んだのも、自分には神の声を聴く能力がないためです。
この時代のギリシアの人々は、大半が神々を信仰していたようですが、その人々は、信仰心があったとしても、直接は神の声を聴くことは出来ませんでした。

その為、神の声を聴く特別な能力が有るものが巫女となり、人々の代わりに神託を受け取って伝えるという役割を負っていました。
しかし、この巫女も、直接、神々の言葉を聞いているわけではなく、神と人間との間を橋渡しするメッセンジャー的な役割を持つものを介してやり取りをしていました。
その間を取り持つものが、ダイモニアと呼ばれる存在で、半分神の半神や、神霊と訳されるものです。

つまりダイモニアとは、次元の違う神々と人間とを繋ぐ為に存在しているものなので、神々という存在なくしては語れない存在です。
ソクラテスは、この矛盾を、様々な例え話をすることで聴衆に説明します。