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【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第21回【経営】学問と現実 

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

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目次

参入障壁は安全圏を作り出す

第18回で参入障壁のことについて話し、19回、20回ではネットワーク外部性について話していきました。
参入障壁とネットワーク外部性について簡単におさらいすると、参入障壁とは、自分たちの市場に新規参入を入れないために作る、防御壁のようなものです。
他の事業者が参入してくる際のハードルを上げて、参入自体を諦めさせることができれば、自分たちの市場を荒らされること無く確保できる様になる為、競争が激化しなくなります。

競争が激化しないということは、元からその市場にいた人たちは、特に経営努力をしなかったとしても、安定的に収益を得ることが出来るため、経営が安定的になります。
余談になりますが、高い参入障壁を築き上げ、競争しなくても安定的に収益を得られるようになった事業者は、事なかれ主義になることが多く、新しいことを嫌い、外部環境に鈍感になる傾向があります。
鉄壁の参入障壁が有るから問題ないと考えての行動だとは思いますが、参入障壁で防げるのは新規参入だけで、代替品の脅威は防ぐことが出来ないため、仮に代替品がメインストリームになった場合は、驚異に対して対抗できません。

この様な状態のことを、『茹でガエル現象』と言ったりします。居心地の良いぬるま湯に浸かり続けていたら、いつの間にか外部環境の変化でお湯の温度が上昇してきているのに、カエルは変温動物なので気が付かない…
その結果として、ぬるま湯が沸騰しても気が付かず、茹でられて死んでしまうということです。

ネットワーク外部性は市場を開放する

一方でネットワーク外部性は、自分たちの市場に新規参入を積極的に引き入れて、それによって市場にある商品や参加する人たちの多様性を上げて、利便性を高めることでネットワークを広げていき、市場を成長させていくという考え方です。
例えば、SNSで言えば、ユーザー数が増えれば増えるほど、サーバーの管理やシステムのメンテナンスなどのコストは増えていきますが、無課金の一般ユーザーをできるだけ多く確保しようと必死になります。
何故かといえば、ユーザーが書き込む近況報告や主張そのものが、コンテンツとなり、更に多くの人を引きつけることが出来るからです。 多くの人の目が1つのプラットフォームに集まれば、例えば、そこに広告市場が生まれたりします。

パソコンのパーツ市場であれば、いろんな企業が参入できるようにと、接続部分の端子の情報はブラックボックスにしていません。
これにより、新規参入者はUSBやHDMIといった端子でデバイスの出入力を出来るようにするだけで、デバイスをパソコンに取り付けることが可能となります。
何故、こんな事をしているのかというと、そうした方が様々なデバイスが新規参入によって登場し、それによってパソコンがより便利になるからです。

パソコンが便利になって普及すれば、パソコンを構成するのに最低限必要になるパーツは確実に売上を増します。
つまり、マザーボードやCPUやメモリは、パソコン市場が拡大すればするだけ、確実に売上を伸ばすということです。
具体的には、パソコンには印刷できるプリンターを簡単に取り付けられたほうが良いし、VR機器や3Dプリンターといったものも、取り付けられた方が良いわけです。

市場開放により多様性が生まれる

パソコンを使う人全員がプリンターやVRゴーグルや3Dプリンターを必要としないかもしれませんが、様々なものを取り付けられるというだけで、ベースとなるパソコンが売れます。
また、様々なパーツを組み合わせるだけでパソコンが完成するということは、誰でも簡単にパソコンメーカーになれるということです。
日本ではパソコン販売でマウスコンピュータやドスパラなどが有名ですが、彼らはパソコンを1から研究開発して作っているわけではなく、それぞれの会社が作ったパーツを取り寄せて組み立てているだけです。

もちろん、どの部品を組み合わせればコストパフォマンスが高いかや、相性問題、壊れた際の修理の体制などは必要ですが、1からパーツを製造するための大掛かりの開発施設などは必要ありません。
こういった組み立て販売業者が増えて、彼らの支店があちこちにできれば、購入や修理が簡単に出来るためユーザーの利便性は上がり、パソコンは更に便利なものとなります。
この様に、参入障壁を作るのではなく、ネットワークを作って広げていくことで、市場そのものを成長させていこうという考え方のベースになっているのが、ネットワーク外部性です。

学問て何?

この両者の概念ですが、一見すると正反対で、両者は対立した考え方のようにも思えてしまいます。
ですが、現実の世界をみると、そうでもなかったりしています。 現実の世界では、ネットワーク外部性を使って市場を拡大していきつつも、狭い範囲で参入障壁を作っていたりもします。
理論の世界では相反しているのに、現実の世界では相反する考え方が同居しているのは、何故なんでしょうか。

それは、そもそも学問というものは、現実の世界の出来事をそのまま受け入れて、その都度、観察して分析して理論を構築しているわけではないからです。
学問とは科学的に考える事全般を指しますが、科学的に考えるとは、大雑把に言えば、物事を分解して、複雑なものをシンプルにして考えていくことです。
そして、シンプルにした構造がどの様になっているのかや、それぞれの働きがどうなっているのかを、実験によって確かめていきます。

科学の実験でいえば、複数回の実験を行って統計を取る場合、前提条件を毎回整えて同じにしなければ、そのデータの信用力は担保できません。
そのために科学者たちは、実験環境を同じ様に整えます。仮に、毎回のように実験環境が変わってしまえば、その実験結果は再現性が無いため、価値のないものになります。
前提条件を整えて、物事の構造や働きについての法則性が分かれば、それを論文にして知識として積み上げていくのが、科学的なアプローチです。

学問は物事をシンプルにして考える

では、今取り扱っている経営学や経済学などはどうかというと、毎回同じ様な環境を整えることは出来ません。何故なら、全く同じ様な経済状態になることはありませんし、その様な状態を作ることも不可能だからです。
ではどのようにして、学問として発展させていっているかというと、経済学や経営学では、物事を分解していって、それと同時に単純化していき、シンプルなモデルケースを作ります。
そして、そのモデルケースの中で、特定の数値がこの様に上昇すれば、この数値に影響がでる…といった具合に、思考実験を行っていきます。

このことは、経済学の方を勉強すれば分かりやすいのです。経済学で学ぶモデルケースは、現実に有る様々な要素を排除していき、かなり限定的な環境を作り出してシンプルにした上で、物事を考えていきます。
例えば、海外取引が無い鎖国状態であるとか、経済成長率は一定であるとか、現実世界では起こりにくい状態をモデルケースとしておいて、そこに数式などを当てはめて、理論を構築したりします。
しかし、現実の世界ではその様な環境はなく、人々の行動もシンプルで分かりやすくはないため、理論の世界のことをそのまま現実に当てはめると、理論と現実でギャップが生まれたりします。

これは経営学にもあてはまります。 私が勉強した企業経営理論では、経済学ほど数式も出てきませんし、経済学に比べれば現実に落とし込みやすいですが、それでもギャップは生まれます。
企業経営理論も他の学問と同じ様に、経営というあやふやなものを分解し、シンプルにして構造を解析していくわけですが、現実の経営はそんなにシンプルではなく、様々な要因が重なり合って複雑になっています。
その複雑なものに、シンプルなものを無理やり当てはめても、上手く当てはまらなかったりします。

ノーベル経済学賞受賞者が運用失敗

このコンテンツでは、一貫して、経営学を学んだとしても、確実に成功できるわけではないと言い続けていますが、それには、この構造が絡んでいます。
テキストで理論だけを勉強したとしても、それを複雑な現実社会に当てはめるためには、理論と現実を融合させていくという経験を積み重ねていく必要があります。
そして、理論と現実を上手く融合させることに成功したとしても、結果が出るかどうかは、また別の話です。何故なら、当たり前のことですが、現実は理論通りには進んでいかないからです。

その昔、ロングタームキャピタルマネジメントというヘッジファンドがありました。ヘッジファンドというのは、大雑把に説明すれば、自分の代わりにお金を運用してくれる会社のことです。
このロングタームキャピタルマネジメント、略してLTCMというヘッジファンドですが、ノーベル経済学賞を受賞した教授を始めとして経済界の大物を集めて、完璧な理論で運用するといった感じの触れ込みで、世界中から金を集めて運用をはじめました。
結果、どうなったのかというと、はじめの4年間こそプラスの収益でしたが、その後のアジア通貨危機を受けて破産しています。

アジア通貨危機のような歴史的な出来事が起こって、全体的に相場が下がったんだから、仕方がないのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ヘッジファンドとは、普通の投資信託のように特定の銘柄を買うだけのファンドではありません。
ヘッジファンドのヘッジは、保険的な意味合いがあり、相場が下がったとしても上昇するような商品を組み込むことで、安全性も追求しつつ利益を狙っていくものです。
その為、相場が下がったから損したというのは言い訳にはなりません。 下がると分かっていたのなら、空売りをするなり、相場が下落した際に上昇する商品を買っておけばよかっただけです。

しかし実際には、LTCMは実際の経済の動きに対応できず、様々な要因が重なったことで、破綻しています。では、理論を勉強することは意味がないのかというと、そうでもありません。

学問は必要ないのか

古代の哲学者ソクラテスは、物事を判断する際には、自分の感情から切り離された基準を持つべきだと主張しています。
経営というのは意思決定の連続ですが、その決定を感情に任せて行っていては、意思決定に一貫性がなくなりますし、失敗した場合は次に活かせませんし、成功しても再現性がなくなります。

論理建てて物事を考えて、それを意思決定に反映させるというのは経営の基本となります。その為には、世の中に出回っている理論を勉強しておくというのは良いことです。
ただ、理論を盲信してしまうのは問題だといっているわけです。 机上の空論としては正しい理論でも、それを現実に当てはめた場合は、上手く噛み合わないケースも多々出てきます。
その際に、自分が選んで当てはめた1つ理論を盲信せずに、別のアプローチも考えていく姿勢が大切だと思います。

今回は、理論を現実に当てはめた場合に不具合が出る可能性について話してきましたが、次回は、戦略の重要性について、もう少し突っ込んで考えていこうと思います。