だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第42回 アレクサンドリア図書館 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

アレクサンダー大王の東方遠征

前回までの流れとしては、神々や、それが登場する神話、宗教などがどの様にして生まれていったのかを簡単にみていき、その後、神々を用いずに物事を説明する、イオニア自然学派の話をしていきました。
特に、イオニア自然学派の話は、ものすごく簡単な説明しかしませんでしたが、その理由としましては、そもそも記録が残っていないというのが大きいです。
全く残っていないというわけではありませんが、多くの資料が、今現在まで残っていません。

では何故、記録や本が残っていないのかという事について、今回は話していこうと思います。
私が思う一番大きな理由としては、キリスト教が原因なんじゃないかと思っています。
今現在、舞台として取り扱っているのは古代ギリシャですが、当時の古代ギリシャの力は結構凄く、次回からテーマにするソクラテスの弟子、プラトンの後輩に当たるアリストテレスが家庭教師をしていた教え子の…
アレクサンダー大王が、東方遠征をした際に、多くの国を支配下に収めるわけですが、その一つとして、エジプトも征服するんです。

アレクサンドリア図書館

アレクサンダー大王は、征服したエジプトの地に、自分の名前をつけた都市である『アレクサンドリア』を作り、アレクサンドリアには、大きな図書館が作られます。
アレクサンドリア図書館と呼ばれている図書館には、当時、収集可能であった、パピルスなどに記された哲学などの文献が、ほぼ全てといって良いほど集められていました。
その収集っぷりは徹底していて、貿易などで訪れた船は徹底的に調べられて、荷物の中に収集する価値の有る文献が見つかると、それらは一時的に取り上げられて、図書館が抱えている大量の従業員によって文献が書き写されたそうです。

ただ、この際には、適切なお金も支払われていたそうなので、ファラオの横暴によって集められたというわけではないようですけれども。
また、貿易船の検閲といった受動的な行動だけではなく、積極的に知識を集めていた為、世界中から集められた蔵書は、文学、地理学、数学、天文学、医学などジャンルを問わず集められていたようで…
この様にして集められた蔵書は、パピルスで70万巻に達する程とされていて、その大量に集められた蔵書に引き寄せられるように、多くの有名な学者なども集まってきたようです。

図書館に集う学者たち

そうして集まった学者の中には、有名な人でいうとアルキメデスという人物などもいました。この人物は、アルキメデスの原理でも有名な人物なので、名前を聴いたことが有ると言った方も多いと思います。
その他にも「アルキメデスの熱光線」という、本当に発明したのか疑ってしまうような兵器を作ったともされていたりします。
この兵器は、簡単にいうと、太陽光を複数の鏡のようなもので反射させて、光を一点に集中させる事で、木造船を燃やしてしまおうという兵器です。

使用したのは太陽光を反射させるだけのもので、レンズ状のものではなかったようなので、効果があったのかどうかは分かりませんが、当時の発想としては、かなりぶっ飛んでますよね。

その他には、エウクレイデス、この人は、ユークリッド幾何学をつくった人物で、ユークリッド幾何学は、この後19世紀に入るまで、改良が行われながら数学の前提として使われ続けることになるものです。
前提と言ったものがどういったものかというと、任意で2つの場所であるポイントを決めて、それを結ぶと直線になるとか、そうして出来た長さが有限の直線は、延長することが出来るとか…
自分で決めたポイントを中心として、半径を決めれば円が書けるとか、全ての直角は等しい。 つまり直角は90度で、図に書いた直角は全て等しく90度だということですね。

数学の前提を作ったエウクレイデス

この前提は、義務教育の範囲のなかで、算数から数学に変わる際に、学校で教えてもらったと思います。
数学で習う、図やそれに伴う計算は、全て、この前提条件を満たす中で行われるわけですが、これを、ユークリッド幾何学と呼ぶそうです。
この前提の元ではじめて、三角形の内角の合計は180度になりますし、図形の面積なども割り出せるということです。

改めて、この前提を聴いた方は、『これらの前提は当然の事で、今更何を言っているんだ?』と思われるかもしれませんが…
基本的な数学は、この前提のもとに作られている理論なので、この前提が無かったとしたら、、平行線は交わりませんし、三角形の内角の和は180になりません。

ちなみにですが、これらの前提を満たさないもののことを非ユークリッド幾何学と呼びます。
ユークリッド幾何学の世界では、2つの点を結ぶ線は直線になりませんし、三角形の内角の合計は180度になりません。
例えば、バスケットボールなど、球形の物に3つの点を書いて、それらの点を結んで三角形を作った場合、その内角の和は180度を超えるそうです。

知の集積地 アレクサンドリア

話を戻しますと、アレクサンドリア図書館は、多くの文献を世界中から集めることで、好奇心旺盛な優秀な人材を大量に集めた場所だったんです。
優秀な学者というのは、単独でもそれなりの成果は出せるんでしょうけれども、1箇所に集まることによって、相乗効果をもたらして、より研究が加速したりもするでしょう。

今でいうなら、IT業界におけるシリコンバレーのようなものですよね。
世界中から人材と情報が集まってきて、そういう人達が狭い範囲でひしめき合っているわけですから、ドンドンと新しい物が生まれてくる。
そういう環境なので、野心的な投資家も集まって、今までにない技術や理論が生まれれば、それを取り合うように出資する。こうして、シリコンバレーは最先端の地域になり、世界的に有名になっていきましたよね。

アレクサンドリアに話を戻すと、その図書館には人材だけでなく、随時、最新の書物が届けられるわけですから、当時としては最先端の研究機関と言っても良いのかもしれません。
こうして、図書館に最新の理論や優秀な人材が集まると、最先端の研究だけでなく、その人材や情報を生かして、人材育成なども行われていたようです。
つまり、勉強をしたい多くの若者を集めて、有名な哲学者が講師となって、授業を行ったりもしていたようなんですね。

こうして、アレクサンドリア図書館では、世界中から優秀な人材と情報を集める事で、最先端の研究を進めつつ、その知識を後世に伝えて更に発展させるために、人材育成などを行っていったんです。

哲学者が学問に打ち込む一方 労働者は…

ただ、この状態は現在まで続くわけではなく、キリスト教徒によって絶たれることになります。
一応、流れを簡単に説明してみようと思いますが、最初に言っておくと、私は歴史に詳しいわけではありませんし、歴史好きというわけでもありません。
その為、認識不足の点や間違った解釈をしている場合も大いに有るので、この話を聞いて興味を持った方は、是非、自分で調べてみてください。

当時のエジプトは、ギリシャによって征服されていたので、ギリシャ人の地位が高く、それ以外の人達の地位が低い状態にあったんですね。
そして、ギリシャ人というのは、生活に必要な労働は、基本的には奴隷に行わせるという生活を行っていました。

労働から開放されたギリシャ人は、哲学者になったり、国を収めるといった仕事をしたり、演劇や、それの原作となる詩を書いたりと、比較的、余裕のある生活を送っていたわけですが…
その一方で、生活に直結した労働、つまり、日用品を作ったり、ギリシャ人の身の回りの世話をしたり、食糧生産を担っていた奴隷というのは、結構、苦しい立場に追いやられていたんです。
立場の違いがはっきりとしていたので、差別のようなものもあったでしょう。

こういった状況は、ギリシャがローマに征服されても、特に大きな変化はなかったようです。
というのも、ローマもギリシャと同じ様に奴隷制社会だったので、奴隷にとって見れば、主人の属する国が変わった程度で、扱いはそれほど変わらなかったのでしょう。

貧困層を吸収して存在感を増すキリスト教

こういう、苦しい立場の人間に救いの手を差し伸べる事で勢力を伸ばしていったのが、キリスト教です。
奴隷の立場からすれば、自分たちの主人が崇めるギリシャ神話やローマ神話に登場する神々は、ギリシャ人やローマ人の生活の保証はしてくれるかもしれないけれども、奴隷の自分たちを救ってくれるわけではありません。
では、それ以外の宗教はどうなんでしょうか。

当時のエジプトには、ギリシャ神話やローマ神話の他にはユダヤ教がありました。
キリスト教旧約聖書にも、エジプトで奴隷として働かされてきたユダヤ人が、モーゼに率いられてエジプトを脱出するという、出エジプト記がありますよね。
こういった物語が有るということは、紀元前のエジプトには多くのユダヤ人が住んでいたという事で、その人達が信仰するユダヤ教も一定の比率で存在していたのですが、ユダヤ教の神様が救ってくれるのは、ユダヤ人だけです。
エジプト人は救ってくれないんです。

しかし、そのユダヤ教から派生したキリスト教は違います。
キリスト教の教えというのは、『信じる者は救われる』というものなので、人種の違いに意味はありません。 ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、エジプト人であったとしても、信じてさえいれば、救いは与えら得るんです。
この様な状況下であれば、エジプトの奴隷が救いを求める宗教は、1択になりますよね。 救いを求める為に信仰するのは、キリスト教しかありません。
支配者層よりも、奴隷として使われていた人間の方が人数的には多いでしょうから、信者の数という点で、キリスト教は他の宗派と対抗できる力を付けていくことになります。

(つづく)

呑み屋街依存から脱出した話

ここ最近、お酒を呑む機会がめっきり減り、それに伴い、お酒が弱くなってしまった。
という事で今回は、生活習慣が変わったら、お酒を飲まなくなった話を書いていこうと思う。

特に頑張ること無くお酒を呑まない生活を手に入れたので、酒を止めたいけれども止めれないという方の参考になれば幸いです。

酒と私

私が今まで、どんな感じでお酒と付き合っていたのかというと、家で晩酌はせずに、週末だけ呑みに出かけるという生活を送ってた。
イベントドリンカーとでも言うのでしょうか。 どこかに呑みに行った時にだけ呑むというスタイルで、逆にいえば、お酒を呑むためには外に出かけなければならないという感じで呑むスタイル。
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出掛けて行って呑むと入っても、誰かから誘われたりだとか、こちらから誰かを誘って呑みに行くというわけではない。
基本的には一人で呑みに行く。 所謂お一人様というやつ。
一人呑みをした事がない人間にとっては、『一人で何しに呑みに行くのか?』と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、一人で呑みに行くと、いつ行くのも帰るのも自由。
自分の好きなペースで呑んで帰れば良いので、誰に気を使う事もない。 慣れれば、気軽にできる気分転換としてもってこいだったりする。

この様な生活は、25歳ぐらいから続けていて、最初は知っている店1軒だけに毎週通う形で、一回あたり3000円ぐらいを目安に呑んでいた。
『一人で、毎週同じ店に行って何するの?』と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、BARやPUBというところは、皆さんが思っている以上にお一人様が多い。その為、スタッフも一人客の扱いになれている場合が多く、一人で訪問しても飽きさせない接客をしてくれたりもする。
また、一人客が思っているより多いということは、一人客と一人客がカウンターで隣同士になる事もある。 この際に稀に、隣の人とも話す機会などが出来、意気投合して知り合いになる場合も出てくる。 一人で呑みに行く客は行きつけの店を持つ傾向にあるので、同じ店に通い続けていると、再び遭遇するケースも結構な割合である。そうなった場合は、近くの席に座って話すということも珍しくないので、一人だから携帯を見るぐらいしかする事がないなんて事にはならなかったりする。(携帯だけ観て帰る事もあったりするが…)

この様にして、一つの店に毎週のように通い続けると、よく喋るようになる店のスタッフや常連などが出来てきてくる。
スタッフの仕事が終わった後や、馴染客と意気投合した際などに、彼ら彼女らが知っている別の店に雪崩込み、そこで呑む機会というのも増えてくる。

連れて行ってもらう店は彼ら彼女らの馴染みの店なので、私は馴染客の知り合いという事で店の人に紹介される。
連れて行った貰った店のスタッフも、一見客できたわけではないので、いきなり距離を縮めた形で接客してくれる。
距離を縮めた接客をしてもらうと、こちらとしても、その場を楽しみやすくなるし、スタッフともコミュニケーションを取る事で仲良くなると、『せっかく知り合いになったのだから、次は1人でも…』という事にもなる。

教えてもらってお店に一人で行くと、既に馴染客と一緒に行っているという事で、スタッフの方も安心感があるのか、その日に来ていた常連さんを紹介してくれたりもする。
『この人、○○さんの知り合いで、この前一緒に来てくれたんだよ。』ってな具合にだ。
こうなってくると、その店の居心地が良くなるもので、この店も『よく行く店』の一つに入るようになる。

こんな生活を何年も続けていくと、『行きつけの店』がどんどん増えていく事になり、呑み屋の常連客の知り合いも増えてくる。
『あの客は、どの店とどの店によく顔を出し、誰と仲が良いとか、この店とこの店は客がかぶってるし、スタッフ同士も仲が良い。』といった具合に。
それだけでなく、何なら行ったことがない店も、『あそこのオーナーは、元々○○って店で働いてたから、あの系列』とか、『○○って店で働いてたスタッフが、独立して店をするらしい。』なんて情報も入ってきて、呑み屋街の事情が把握できるようになったりもする。

こうなってくると、『楽しみやストレス発散の為に呑みに行く』というよりも、知ってる店に定期的に顔を出すと行った目的で、呑み屋街に出かけるようになる。

私は週末の土曜日にしか呑みに出ないと決めていたが、週に1回しか呑みに行かなくても、こんな生活を10年以上も続ければ、知っている店の数は2桁になってしまう。
こうなってくると、数ヶ月に1回ペースで知っている店に顔見せに行くだけでも、1回の呑みで3~4軒ぐらいハシゴ酒をしないとノルマがこなせなくなる。
顔見世だからと、ビール1杯で帰るというのもバツが悪いので、2~3000円は使うようにし、自分が呑めなければ、スタッフに一杯奢って、値段の帳尻を合わせるということもしていた。
そういう呑み方をしていると、1回平均で8千~1万円ぐらいを使う。 それが月に4回なので、呑み代だけで月に約4万。 年間50万ぐらい使っている計算になる。

改めて計算するとかなりの額だが、それでも毎年の様にこの金額を使い続けていたのは、結果として楽しかった… というよりも、居場所が呑み屋街にしかなかったからなのかもしれない。

携帯のメモリーは、呑み屋で知り合った人たちで埋め尽くされ、週末の予定は呑み屋街に行くことで埋め尽くされ、日曜は死んだように眠る。
このサイクルを何年も続けていると、知り合いが呑み屋街にしかいないという状態になってくる。 普通に考えると異常な事なのかもしれないが、この様な環境下では、実際に話せる人間も、自分を知ってくれている人間も多い為、自分が顔が広い人間だと思いこむ。
最後の方では勢いに乗って、知り合いが誰もいない店に一人で入って新規開拓などもしていた。 誰も知らない新規の店とはいっても、今まで知り合ってきた店員や呑み屋街の人間の誰かとは繋がりがある為、完全にアウェイというわけでもない。 こういう事を繰り返していくと、自分の中で『呑み屋街』の存在がどんどんと大きく膨らんでいき、更に依存は強くなる。
また、呑み屋街以外の知り合いと呑みに行く機会ができた時も、馴染みの店に連れていく事ができ、『この街は僕の庭だから』的な顔もする事が出来る。 当時は、年間50万の浪費も『投資』と思えたし、有意義な事とすら思えていた。

しかし、環境が変わる事で、呑み屋街依存もあっさりと終わりを告げることになる。

自分を肯定してくれる場所

この様にして、私は20年近くも呑み屋街に通うという生活を続けていたわけですが、飽きもせずに続けられたのも、自分を肯定してくれる場所が呑み屋街にしかなかったからかもしれません。
呑み屋街で顔が広くなり、色んな事情を知っていき、それを呑み屋で話すだけで顔が広い事情通を演じられたし、実際に持ち上げてくれる人間もいた。
その状態が心地よかったので、飽きること無く、進んでそんな行動をとっていたんだろう。

しかし、この行動も突き詰めれば自己承認欲求を満たすだけのもの。
他のもので承認欲求が満たされてしまえば、その依存からは簡単に脱出できてしまう。
失恋の傷は、別の恋愛なんて事もいうが、他の依存先を見つけてしまえば、前の依存先の未練はなくなってしまう。

では、私の場合の次の依存先は何だったのかというと、Podcast配信だった。

元々は、習慣の一環として行っていたブログ更新を、音声でも行ってみようという試みで始めたPodcastだが、何故か、思想や哲学史について勉強して発表するというふうに方向性が変わってしまい、哲学の勉強をしなければならなくなった。
また、勉強内容を原稿に起こして、それを読み上げて音声データにして編集するという手間も必要になり、呑みに行く時間がかなり減ってしまった。
本来なら、自分の中で、かなりの割合を占めていた呑み屋通いが行えなくなった事でストレスが溜まりそうなものだが、Podcastを実際にアップロードすると、それに対して好意的なリアクションなども貰えたりして、呑み屋通いが出来ない事で出来た隙間を、Podcastが埋めてくれる形になってしまった。

そして、今までは自己承認欲求を満たしてくれているものが呑み屋通いだけだったのに対し、Podcastが加わって二本柱になってしまった事で、呑み屋街に通う行為について冷静な目でみれるようになってしまった。
今思えば、この心境の変化が、呑み屋街から離れてしまう大きな原因になったのだろう。

さらば呑み屋街

Podcast製作の為の手間が増大したことにより物理的に時間が削られた事と、それを配信した事で得られた反応によって、触球が満たされて、呑み屋街への依存が軽減したわけですが、呑み屋街から遠のいた一番大きな原因となったのは、幻想から冷めたというのが大きかった。
先程も少し書きましたが、呑み屋街では、定期的に顔を出していなければ情報を仕入れることも出来ませんし、知り合いが増える事もない。
店にとって、お金を定期的に落とさない人間は、基本的にどうでも良い人間なので、通う頻度が少なくなると対応も変わってくる。
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その街に足が遠のくという事は、私という存在抜きでのネットワークが構築されていくという事で、それなりに通っていた店でも、それなりに行かない期間が空いてしまうとアウェイ感が漂ったりもする。
また、呑み屋街で知り合った人間は、基本的に呑み屋街で遊ぶものなので、シラフの状態で休日に昼間から遊びに行くなんて事も基本的には行わない。
結果として、足が遠のいた事で、自分が実は孤独な人間だったんだという事が嫌という程わかってくる。

店の店員は、基本的にはお金が発生するから相手をしてくれていただけだし、私を含め、そこに足を運んでいたお一人様の客達も、暇つぶしで話していただけ。
暇つぶしなので、『呑み屋街の事情』といった、お酒を呑んで頭が働かない状態で話すぐらいが丁度よい話題しか話さない。
そんな『街の事情』は、街を一歩出れば意味のない情報だが、互いに共通点のない者同士が話に花を咲かせようと思ったら、そんな話題ぐらいしか話すことがない。

『この話をする事に、何の意味があるんだろう?』『この街の事情に詳しくなって、意味があるのだろうか。』
こんな事を考えるようになってしまうと、幻想も終わり。
定期的に呑み屋に通ってお金を落とすなんて事に意義を感じなくなる。

冷静になってくると、次に始まるのが断捨離。 断捨離を始めるのではなく、勝手に断捨離が始まるのである。
つながっている事に意味を見いだせない人間関係や、その人間関係を維持する為だけに通っていた店には、自然と足が向かないようになってしまう。
結果、気が合う人たちが集う店や繋がっておきたい店だけが残るようになる。

だからといって、これらの店に毎週通うのかというと、そんな事もなく、やっておきたい事が増えて遊びにいける時間が減った事と、精神的にも少し距離感を置いた感じでの付き合いに移行してしまった為、1~2ヶ月に1~2回ぐらい呑みに出るという状態で落ち着いた。

という事でまとめると、新たに承認欲求を満たしてくれる存在が出てきた事で、呑み屋街というものに冷静に向き合えるようになったという事です。
もし、呑み屋通いというのを止めたい人がいるのであれば、新たな依存先を見つけるのが、手っ取り早いかもしれません。
呑み屋街では、結婚や出産を機に卒業するというのが頻繁に起こりますが、それも、新たな依存先が見つかった事による、卒業なのかもしれません。

呑み屋街自体は楽しいものですし、たまに行く程度だとストレスも発散できて良いかもしれませんが、それに依存するようになってしまうと、問題も出てくるように思えます。
『呑みに出る』以外の趣味を持ってるぐらいの方が、冷静な付き合いができて良いかもしれない。

【映画ネタバレ感想】 スパイダーマン ホームカミング(2017) 庶民の生活がわからない大富豪

年も明け、無事に2019年を迎えたわけですが…
正月はとにかくする事がない。 どこかに出かけようとも思わなかったので、家で時間を潰す為にアマゾンプライムビデオのアプリを起動すると、前から少し気になっていた『スパイダーマン ホームカミング』が100円でレンタルできるようになっていたので、渡りに船という事で借りて観ました。
ということで今回は、 スパイダーマン ホームカミングのネタバレ感想を書いていきます。ネタバレを嫌う方は、注意してくださいね。


諸悪の根源 トニー・スターク

映像としては、シビル・ウォーに参加したスパイダーマンが、自分の記録用に自撮りで心境を語るシーンから始まるのですが、物語自体は、アベンジャーズ1の戦闘直後から始まります。
宇宙人とアベンジャーズとの戦いで、ニューヨークの街はボロボロになり、その復旧作業を行わないということで、解体業者や産廃業者が呼ばれて、後片付けをはじめます。

解体業者は、この公共事業を落札する為、新たにトラックを買ったり設備を整えたりと、かなりの投資を行ってこの事業に取り組もうとしたのですが、その矢先、スーツを着た人たちが乱入してきて、事業の停止を一方的に告げます。
これに納得がいかないのが、公共事業を落札下側の事業者。
『私たちは、この事業を落札する為に、かなりの金額を投資してる。 こんな直前になって中止とか告げられても困るんですよ。
従業員の給料支払もあるし、設備投資のローン返済もある。 それを、こんな一方的な形で中止にされたら、明日からどうすれば良いんだよ…』

彼ら労働者の意見は1から10まで尤もな事。
こんな一方的な契約破棄がまかり通るなら、誰も安心して設備投資など出来ないし、公共事業の落札なんて出来ない。
信頼関係が根本から破壊されるような行為なので、次からの契約も安心して取ることも出来ない。 軽いPTSDになりそうなスーツ集団の提案に、必死になって食い下がると、スーツの一人が『身の丈に合わない投資なんてしてんじゃねえよ!』と上から目線で半笑いでマウントをとってくる。
本来であれば、申し訳なさそうに事情を説明し、この件に関する負債は全て肩代わりした上に、違約金を払うというのが人の道だと思うのだが、その態度とは反対に、仕事を奪われた労働者を煽りまくるスーツ達。

あまりの非情な行為に労働者側は怒りを抑えることが出来ず、イカれた発言をした人物を殴ると、スーツ集団のリーダーらしき人物が事態を収めようと『そんな苦情を言われても、事業を管理している役所の管轄が変わってんでね。 文句なら上に言ってくれ』的な事を言い出す。
じゃぁ、『上って誰なんだ?』って感じでスーツ集団に詰め寄ると、こんな非人道的な事を提案したのが、トニー・スタークだということがわかる。

アベンジャーズ1の戦闘では、宇宙人が地球に攻め込んできた為、瓦礫には宇宙が持っていた武器や乗り物の破片が落ちている。
それらの超テクノロジーを一般人に触らせたくないと思ったトニー・スタークは、政府に提案して一般事業者を全て締め出し、後片付けの事業を全て、自身の会社である『スターク・インダストリーズ』の関連会社に任せることに決めてしまう。

この事実を知って、ブチギレる労働者達。
『あいつらが街をメチャメチャにしたのに、その 後片付けの事業を全て請け負って、更に儲けようってのか?』

こうして、かなりの負債を背負い、従業員にも給料が払えない状態に追い込まれた事業者は、目先の金を稼ぐために、政府に提出義務があった『宇宙人たちが残していった瓦礫』を提出せずに、それを利用して武器を開発。闇市場で売りさばく事で、ローン返済や家族や従業員を養うお金を手に入れようとする。

この様な形で、今回のヴィランは誕生するわけですが…
何故、こんな事になったのかというのは、誰が考えてもわかりますよね。
クズの資産家であるトニー・スタークが、末端労働者のことを全く考えずに自分勝手に政府を動かし、クズの部下のクズが、末端労働者を口汚く罵ったから生まれたのです。

この、マーベル・シネマティック・ユニバースの作品を見て毎回思うんですが、アイアンマンっていらないですよね。
ウルトロンも、みんなの反対を押し切ってトニー・スタークが暴走したことで生まれましたし、こいつのワガママで住民の怒りが頂点に達し、アベンジャーズが政府の管理下に入る入らないの争いになってシビル・ウォーが起こってますし…
人類にとっての災いって、トニー・スタークなんじゃないかとすら思ってしまう程で、人類は、こいつを真っ先に刑務所に入れるべきなんじゃないかと思います。

ネグレクトのトニー・スターク

物語はそこから8年後に移ります。
シビル・ウォーで、思ったよりもキャプテン・アメリカ陣営に人が集まっちゃったので、助っ人としてスパイダーマンに手を借りたトニー・スタークだが、事態が収束した途端にスパイダーマンに用が無くなったのか、『出来るだけ目立たないようにしろ』と言い、連絡も自分と直接取るのではなく、部下のハッピーという人物と取るように促します。
一緒に寝る前はあれだけ積極的だったのに、寝た後は『いつ帰るの?』とか言い出すクズ男のように、そっけない態度に急変するトニー・スタークに戸惑いを感じつつも、自分自身を認めてもらおうと空回りするスパイダーマン
少しでも、自分の活躍をトニーの耳に入れて、自分を正式なアベンジャーズに入れてもらおうと、日々の報告を欠かさないスパイダーマンだが、ハッピーは電話に出ても要件も聞かずに電話を切るし、電話に出ないことも多々…

自分が見捨てられると思い込み、焦っているところに、8年前にトニー・スタークによって廃業寸前まで追い込まれた労働者が新たに始めた武器売買の取引を観てしまう。
重大な事件だと思い、トニーや窓口になっているハッピーに連絡を入れようとするも、2人はスパイダーマンを無視。 自分の言い分だけを伝え、押し付けて聞く耳を持たない。

かなりの重大事件なのに、アイアンマンとは連絡を取れないし、窓口役は機能していないので、仕方がないから1人で頑張るスパイダーマンだが、やはり子供だからか失敗してしまう。
その失敗に対し、鬼の首を取ったように怒るトニースターク。 スパイダーマンがどれだけコミュニケーションを求めても、重要なことを伝えようと頑張っても無視し続けてきたトニーだが、スパイダーマンがミスったときだけタイミングよくやってきて、父親面して説教するトニー・スターク。本当に嫌。
その後、スパイダーマンが一番大切にしていたスーツを取り上げる。 『スーツがなければ、何も出来ないよ。』と涙ながらに訴えるスパイダーマンに対し、『スーツがなければ行動できないなら、スーツを着る資格は無い!』と言い放つトニー・スターク。 お前が言うか!!!!

その後、偶然も手伝って首謀者の素性と目的を知ったスパイダーマンは、その情報をトニー・スタークに伝えようとするが、これまた無視…
敵の目的が、アイアンマンの会社の引っ越しのタイミングを狙っての、トニーが生み出した発明品だと気がついたスパイダーマンは、アイアンマンの尻拭いをする為に再び立ち上がる。
全ての事態をスパイダーマン一人で片付けると、急に掌返しするトニーとハッピー。 引越し先の新オフィスにスパイダーマンを招き入れ、新たなスーツをプレゼントし、『これから記者会見をして、アベンジャーズの新メンバーとして紹介する。』とか宣う。

その手のひら返しに対してスパイダーマンは、『新スーツは要らないよ。 これからは、もっと地に足つけた地道な活動を行っていくよ。』と大人な対応をし、トニーの提案を蹴る。
ネグレクト親父が、子供に見捨てられた瞬間である。

真の主人公 椅子の人

…とまぁ、この物語は終始、トニー・スタークの行動にイラついてしまう物語なのですが、唯一、えびす顔で観ることが出来る場面が、スパイダーマンことピーターの親友の大柄とのシーン。
この大柄は、ピーターがスパイダーマンだとしてすぐに、『オレ、椅子の人になりたい。 椅子に座って、エージェントに司令とかナビをする、椅子の人になりたい』と言い出すのだが、この彼の物語が大変面白い。
何なら、この物語は、親友の大柄が椅子の人になるまでの物語と言っても良い。

最終的に、トニーとハッピーが使い物にならなくなる為、スパイダーマンは大柄の椅子の人をコンビを組んでラスボスと戦うわけですが、彼の演じる椅子の人が非情に楽しそう。
彼の生き生きとした椅子の人をみて、ヒーローよりも椅子の人に憧れる人が増えるんじゃないかと思ってしまう程。
スパイダーマン ホームカミングという作品は、彼を観るためだけに鑑賞しても良いのではないかと思わせる魅力がありました。

途中、何度も、『アベンジャーズにアイアンマンて必要ないよね』と思わされたりもしましたが、トータルとしてみると、作品としては楽しめました。
さすが、マーベルですね。 もし、子供をお持ちの親世代の方が鑑賞する場合、トニー・スタークを反面教師として捉えると、良い父親になれるかもしれません。

【ネタバレゲーム感想】 アサシンクリード オデッセイ ~Assassin's Creed Odyssey

今回は、2018年の秋に発売された『アサシンクリード オデッセイ』のネタバレ感想を書いていきます。


物語の始まり

オープニングは、『テルモピュライの戦い』から始まります。
テルモピュライの戦いは、ペルシャの王・クルセクルスが、領土拡大の為に西側にあるギリシャまで攻め込んでくるという出来事です。
このペルシャの進行に対し、スパルタの王・レオニダスが迎え撃とうとするのですが、この時代の王は絶対的な権力を持っているわけではなく、ギリシャ神話を中心とした宗教の下に王政がある形なので、神託官にお伺いを立てないといけない。

レオニダスが伺いを立てに行くと、ギリシャはオリンピックの真っ最中で、祭りの最中に戦いはご法度だと言う理由で、軍隊を出すことを許可されない。
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仕方がないのでレオニダスは、自分が信頼できる部下300人だけを連れて、片方が崖、もう片方が絶壁になっている地形に陣取って、ペルシャ勢の進軍をせき止めたという戦争です。

このテルモピュライの戦いを、プレイヤーはレオニダスになって戦い抜くのが、このゲームのオープニング。

そこからシーンが変わり、レオニダスの子孫の話になります。
レオニダスの子供のニコラウスが、神託官のお告げを聞いて、2人いる自身の子供の1人を崖から突き落として殺すところから始まります。
先程も書きましたが、この時代の王は神託官よりも立場が弱い為、『自分の子供を崖から突き落とせ』という聞き入れがたい命令も聞き入れなければならない。

嫌々ながらも聞き入れるニコラウスだが、それを受け入れることが出来ないもうひとりの子供が、突き落とすのを止めようと処刑人に体当りすると、勢い余って処刑人と子供2人が崖に落ちてしまう。
助けようと思った子供は行方不明になり、自身はマルコスという人物に助けられて育てられ、その後、傭兵に成る。

時代背景

この物語は、紀元前430年頃のペロポネソス戦争中の古代ギリシアが舞台になっています。
当時のギリシャは、ギリシャという大きな枠組みの中に都市国家であるポリスが乱立し、それぞれが自治を行っていました。私は歴史に疎いので間違っているかもしれませんが、今のユーロ圏や戦国時代の日本と同じ様な状況と考えても良いと思います。
ポロポネス戦争とは、そのギリシャ内のスパルタが率いるペロポネソス同盟軍と、アテナイが率いるデロス同盟軍との戦いの事。

スパルタは王政でスパルタ王が統治し対し、同盟国にも自主独立を支持していたが、それに対してアテナイは民主政を採用し、アテナイの影響力を広げていってデロス同盟の覇権を握るという考え方で、ギリシャという地域にありながら政治のあり方そのものも違う為、双方が考え方を受け入れることが出来ずに、戦争に突入したようです。

ギリシャ全土が真っ二つに割れて、常に争いが起こっている時代。
このゲームは、この戦国時代に、傭兵として生きている主人公を操作して、それぞれの土地だ巻き起こる事件や争いに首を突っ込んでいくゲームです。

今までのアサクリとの違い

今までのアサシンクリードは、このシリーズが共通して持つ設定から、ストーリーは一本道でした。
その設定とは、現代版の主人公が、遺伝子が持つ記憶情報を元に過去にダイブし、その遺伝子を持つ人物の人生を追体験するという設定です。
その為、その遺伝子を持つ人物が経験した通りの出来事しか体験することが出来ず、物語は一本道にならざるをえませんでした。

しかし、今回のアサシンクリードには複数の選択肢が登場し、その選択によって物語の行方が変わります。
一番最初で、且つ、大きな選択といえば、主人公の選択です。 今回の主人公は男か女かを最初に選べるのですが、男を選ぶとそのキャラクターが兄となり、妹が信託によって崖から落とされるようになり、女性を選ぶと、主人公が姉になって弟が…という様に、物語が変化します。
この他にも、人物を救うのか殺すのかなど、クエストに出る選択肢によって物語が変化して行くのが特徴となっています。

その他には、クエストの内容が変わっています。 今までのアサクリは、どちらかというとお使いクエが多かったイメージがあります。
『どこどこにいって、○○を手に入れろ』とか『○○を倒せ』など。 数種類の同じ様なクエストを、いろんな地域で何回も繰り返す事が多く、最初は、精密に再現された過去の世界にテンションがあがるも、単調なクエストに飽きてしまうという印象だたのですが、今回のクエストは違い、ウィッチャー3の様になっています。

ウィッチャー3の様なクエといっても、ウィッチャー3をプレイしていない人には伝わらないと思うので、もう少し解説すると、例えば最初に『○○に会いに行け』というクエが発生し、その人物に会いに行くと、その人物によって少し物語が進みます。
複数のクエストがつながっていて、そのクエストの中で多くの情報や人物と出会うことで選択肢が増えていき、最終的には自分の判断で、複数の選択肢から正解と思うものを選ぶと、その選択に応じた結果が得られるというもの。

例えば、主人公の仲間のアスリートの親戚が、倒れて動けない状態になっている場面に遭遇した際に、『厳しく当たる』『病人の彼を気遣う』といった選択肢が与えられます。 病人を気遣うと、病気になった原因を探ろうという話になり、情報を集めるクエストに発展します。
情報を集めていくと、一流の競技者を攫っている組織があるという話と、増強剤の実験が行われているという情報が手に入ります。
すべての情報を手に入れて首謀者を突き止めて親戚の元に戻ると、依頼主の家が仕返しで燃やされている現場に遭遇。 親戚が住む村の人達の怒りはピークに達し、主人公に『俺達も一緒に仕返しに行くぞ!』と訴えますが、ここでも選択肢が現れ『1人で行く』『みんなで行く』を選べます。

ここで『みんなで行く』を選ぶと、村人との一体考えられるのですが、敵は武装した勢力なので、ただの村民に太刀打ちできるはずがない。 この選択を選ぶと、敵の拠点への侵入は楽になりますが、村民は皆殺しにされてしまう・・・
この様な感じで、複数のクエストが連なって一つのクエストになっていて、それぞれのクエストに選択肢があって分岐しているので、ただのお使いクエストよりも楽しめる仕組みになっています。

ネタバレ感想

今回の作品がマルチエンディングという情報は、プレイする前から知って履いたのですが、今までの作品の設定上、どの様にマルチエンディングにするのかは分かりませんでした。
というのも、先程も書いた通り、アサクリシリーズは過去に生きた人の人生にダイブして、シンクロしながら人生を体験するという話なので、その人の歩んできた人生は決まっているし、結末も決まっている。
そこに選択肢は無いというのが今までの設定なので、マルチエンディングにしようがなかったわけですが、今回のゲームではマルチエンディング。。 どのようにして、辻褄を合わせるのかと心配したのですが、何の事はない。先駆者の残した時間操作系の技術が活躍してただけでした。
まぁ、多少、無理矢理感は有りましたが、アサクリは都市伝説などをメインに据えた作品なので、こんな感じの説明もありかなとは思いますが。

プレイしてみた感想ですが、このシリーズ全般に言えることですが、舞台になっている歴史を知っていれば、それだけ楽しめる幅が増える作りになっています。
今回の作品は、紀元前430年頃のギリシャという事で、『無知の知』で有名な哲学の祖と言われているソクラテスなども登場します。
ソクラテスは自身を無知だと主張している為、後世に伝える為の知識などは書き記してはないのですが、その弟子のプラトンが師匠であるソクラテスを主人公にした対話篇を多数書いて、底に描かれているソクラテスをキャラクターにして登場させています。

対話篇とは、ソクラテスと『誰か』が対話をしている様子を書いたもので、ストーリーを楽しむというよりも、そこで議論されている内容を楽しむものなのですが、この中に対話相手として、『ヒポクラテス』や『アルキビアデス』『プロタゴラス』『アリストファネス』といった人物が出てきたりします。
私が対話篇を読んだ範囲では、アルキビアデスがかなりぶっ飛んだ人物なのですが、そのぶっ飛び具合がゲーム内で上手く表現されていた様に思えます。
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どんな人物化を簡単に書くと、美少年のアルキビアデスは、ソクラテスの賢人だと思い込み、彼の持つ知恵を授けてもらおうと、彼のベッドに潜り込んで誘惑をする。
しかし、その誘惑に屈しなかったソクラテスは、アルキビアデスに一切手を出す事なく、夜が明けてしまう。 これに気を悪くしたアルキビアデスは拗ねて、ソクラテスの悪口を言いまくるが、心の底では信用しているので、悪口を言い過ぎると賛美して機嫌を伺うというツンデレ少年に成る。
この他にも、酒によっては粗相をして他人に迷惑をかけまくるという性格のせいで、石像が壊されるといった事件があった際には、真っ先に疑われてしまう人物なので、アテナイの中で重要な役職についているのにスパルタに亡命し、スパルタで重用な職に就くというスパイの様な事をしていたのですが、その後、再びアテナイに戻り、持ち前の口の旨さからアテナイで再就職してしまうという人物だったりします。
こんなアルキビアデスも登場し、クエストを通して主人公を翻弄してきます。

この他には、プラトンの作品で『饗宴』という対話篇があり、酒の席で知的なゲームをするという話があるのですが、その場面もゲーム内で再現されていたりします。
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その酒宴には、ソクラテスの他にプロタゴラスなども参加していて、プラトンの対話編を読んだ事がある人間は、思わず『おぉ!』っと思わせてくれる演出になっていたり。
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その他には、現在分かっている中で初めて歴史を書き残すという行為を行い、歴史書ヒストリエ)を書いたヘロドトスが、主人公の仲間になって一緒に旅をします。
ちなみに歴史というタイトルの本ですが、ヘロドトスが生きた時代よりも前の時代を考察した歴史書ではなく、彼が生きていた時代に起こった事をそのまま書き起こしているので、後世に残すための歴史書という感じですね。
これを書くために、ギリシャ全土を訪問して情報を集めたようですが、そのヘロドトスは、じつはこのゲームの主人公の船に乗って、旅をしていたという解釈になっています。
私はヘロドトスに関しては詳しくありませんが、このあたりのことを知っている人にとっては、面白い演出なんでしょうね。

肝心のメインストーリーですが…
大きく分けると3つ有り、家族が一つに再集結するクエストと、コスモスの門徒を壊滅させるクエストと、伝説のアトランティスのクエストがあるのですが、どれもカタルシスが得られない感じのエンディングだった印象です。
家族の再集結も、再集結後に力を合わせて巨悪に立ち向かうなどの演出はなく、集まった時点で終了なので、『これで終わり?』って感じでしたし、コスモスの門徒も、『コスモスの亡霊』の正体がわかったところでは『おぉ!』と思ったのですが、その人物と接触したところで、達成感は得られない。
最後のアトランティス編では、主人公に縁のある人物が登場し、その名前を見た時はびっくりしたのですが、最後はなんともやるせない感じに。
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ただ、メインクエストをクリアーしたところで、エンディングやエンドロールがあるわけでもないので、メインクエも、その他のクエストと同じ扱いって感じなのかもしれません。
skyrimなども、そんな感じですしね。

メインクエはこんな感じですが、その他のクエストの面白さが格段に上がっている為、トータルで考えると、過去最高の出来だとは思いますけれどもね。
というか、3Dで再現された古代ギリシャの世界を探索できるだけで、お値段以上の価値はある作品なんですけれども。
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ストーリーの方は、今後、DLCで強化されていくと思いますので、興味を持った方は、買ってみてはいかがでしょうか。

貧乏になってしまうのは時間が足りないから?

久しぶりの、独断と偏見のPodcast紹介コーナーです。
今回で第123回目

今回紹介するのは、私が普段から愛聴している『ネットラジオ BS@もてもてラジ袋』の、2018年12月27日更新のエピソードです。
moteradi.com

金の価値を知っているのは 金持ちか貧乏人か

いろいろと興味深い話をされているのですが、一番興味深かった話は、『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』という本の紹介です。

貧困層と金持ちでは、一体何が違うのだろうかというのを検証しようと、アンケートや実験を繰り返した結果、貧乏になる人に共通しているのが、『時間が足りない』という点だったという話。
これだけではいまいちよくわからないと思いますが、先ほど紹介した番組内では、結構な時間をとって面白おかしく、丁寧に紹介されているので、時間がある方はそちらを聞いてもらいたいのですが…

このブログでも簡単に説明してみますと、富裕層と貧乏人の、どちらの方がお金の価値を熟知しているのかというと、貧乏人の方がよく知っていたりするんです。
これって、結構驚きですよね。 何故って、貧乏人はお金の価値を知らないから、コンビニATMでお金を下ろすし、その金で、割高なコンビニ商品を買ったりする。一方で金持ちは、金の価値が分かっているから、そんな無駄なことに金を費やさない。
結果として、貧乏人は出費が多くなって、収入の大半を使い果たしてしまうのに対し、金持ちは収入に対して出費が少ないので、お金が溜まっていく。
こういった理屈が浸透しているせいか、日本では自己責任論が行き着くところまでいって、『貧乏になったのは自己責任! 困ったときだけ国に頼るな!』なんて意見が当然のように主張されていると思うのですが…
実際には、真逆の結果がわかったそうなんです。

先程も書きましたが、実験やアンケートの結果、お金の価値をより理解しているのは、貧乏人の方であって、金持ちは金の価値を分かってなかったんです。
そういえば昔、自民党麻生太郎さんが『カップラーメンの値段はどれぐらいですか?』と質問されたとき、『400円ぐらい』と答えてましたよね。 金持ちって、基本的に物の相場を知らないそうなんです。
一方で貧乏人の方は、カップラーメンの値段はもちろん、野菜の値段などなど、生活に直結している日用雑貨の値段を熟知している。

この他にも、スポーツの観戦のチケットで、5試合分のチケット料金で6試合みれる6枚綴りのチケットの例で言うと、最後の6試合目が優勝決定戦になったりすると、チケットの価格が高騰したりします。
しかし、このチケットの高騰に気がつくは貧乏人だけで、金持ちは、6枚綴りのチケットを6等分した料金以上の価値がチケットにつくなんて事はわからず、経済学者に至っては、『5枚分のチケット料金で購入したんだから、最後の1枚は無料。つまり価値はゼロ』なんて答えるしまつ。
一方で貧乏人は、自分の購入したチケットが予想しなかった出来事で高騰した場合、その動きに敏感に反応し、優勝決定戦のチケットを売り、手に入れた金で他の事をしようとする。

普通に考えると、金持ち程、株式投資などで利ざやを抜くなんて事を思いつきそうですし、経済学者なんて株・土地・債権・商品などの資産の変動を予測するのが重要な仕事だったりする為、金持ちや経済学者の方が価格が敏感になりそうです。
しかし実際には、商品価格の値動きに敏感な転売ヤーなどは貧困層で、金持ちほど、そんな相場に興味はないということのようです。

貧乏の原因は時間の欠乏

先程も説明したとおり、金持ちほど、巷に溢れるものの価値に無頓着で、貧乏人ほど、その価値を熟知しているわけですが、では何故、物の価値をよく知る人間が貧乏になってしまうのか。
結論から言うと、貧乏人は物の価値が分かっているからこそ、真剣に消費をしてしまう。
外食にいった際、1杯600円のビールをお代わりするのか、それとも、我慢してその日は帰って、読みたかった漫画を買うのか。

貧乏人はお金がないが故に、お金の使いみちを真剣考えなくてはならない。 今の自分に1番必要なのは、何なのか。 この買物は無駄ではないのか。 コスパはどうなのか。
お金がないが故に、常に最良の選択を迫られて、その答えを考えるために、脳の容量が奪われてしまう。

人間は、そもそもがマルチタスクが苦手なので、他のことを考えながら物事を行おうとすると、作業効率が落ちてしまって、同じ作業をするのにも時間がかかってしまう。
また、消費をした際には絶対に失敗は許されない為、必要以上に物事にのめり込んでしまう。 その結果として、他に注意を向けなければならない事柄があったとしても無視してしまう為、消費した対象への失敗は減る場合もあるが、全体的に観るとマイナス面が大きくなってしまう。
これは所謂、サンク・コストと呼ばれるものに当たるんでしょう。 何かにお金を投じて失敗した場合、そこにつぎ込んだお金や労力を取り戻す為に後戻りできなくなり、今まで投じたものを取り返すまで追加投資し続けてしまう。 結果的に、損切りを行うことができずに破滅してしまう。

お金を持たない人間は、少ないお金を投資するからこそ、その投資で最大効率を得ようとして必死に考えたり、必要以上に集中し過ぎてしまう為に、ゆっくりと冷静に考える時間がなくなる。
常にいっぱい いっぱいで、選択を迫られている状態なので、正しい判断を下すことができずに、愚かな決断を下してしまう。

これが、貧乏の原因。
富裕層と貧困層を将棋の勝負で例えるなら、富裕層は考える時間を合計で1週間ぐらい貰っているのに対し、貧乏人は1手目から『10秒~ 9、8、7、6』とカウントダウンされているようなもの。
焦りから、常に悪手を打ち続けてしまう為、勝負にならないという事。

時間を増やす方法

貧乏に陥ってしまう原因がわかったのですが、対処方法はないのでしょうか。
私はこの話を聞いて、すぐに、その対処方法を思い出しました。 思いついたのではなく、『思い出した』と書いたのは、この方法は私が考えたものではなく、自己啓発本でベストセラーになり続けている本『7つの習慣』に答えが書いてあるからです。

この本は有名過ぎるので、読んだ事がある方も多いとは思います。 ベストセラーで売れまくってるので、新品で買うお金がないという人は、古本屋に行けば少し安く買えると思います。
自己啓発本と聞いてアレルギーを起こす方もいらっしゃるかもしれませんが、この本は、所謂『意識高い系』が好んで読み、読み終わったら急にテンションが上がるような代物ではありません。
生活習慣を見直すことで、人生をより効率よくしていく為のpライフハックの方法が書かれている本なので、自己啓発本が嫌いな人も、一度読んでみるべきだと思います。

この本には様々なことが書かれているのですが、先程書いた、『貧乏人ほど考えなければならないことが多く、時間が搾り取られている』状態の回避方法も書かれています。
結論から書くと、『自分が将来どうなりたいのかというヴィジョンをリアルに持つ事』

より具体的な方法としては、物事を4つのカテゴリーに分けるということです。
分割方法としては、まず、物事を時間的な尺度で2つの分野に分けます。 『後回しにしても良いもの』と『今すぐに取り掛からなければならない事』の2種類です。
次に、物事の価値的な尺度で、『重要なもの』と『重要ではないもの』に2分割します。
この分割により
『緊急性があって重要なもの』
・事故や病気
・締切のある仕事など

『緊急性があって重要ではないもの』
・無意味と思われる付き合い(飲み会など)
・突然の訪問者など

『緊急性がなく重要なもの』
・健康の維持(ジム通い、ストレッチ、食習慣など)
・新たな人間関係の構築や勉強など

『緊急性がなく重要ではないもの』
・だらだらテレビを見るなど

以上の4つに分かれることになります。

4つのカテゴリーに分けることができたら、『緊急性がなく重要ではないもの』の時間を極力削るようにします。 そもそも、この項目に当てはまる行動をしてしまうというのは、『暇な時にやることを決めていない』から無駄な行動をとってしまうわけで、順位付けが出来ていてやる事が決まっていれば、この項目に当てはまる行動は自ずと減っていくことになります。
それが出来た場合は、『緊急性があって重要ではないもの』の時間を削ります。 人間関係や事柄の重要度を理解する事により、『意味が無い』と判断した事柄に対しては、積極的にNOと主張するようにします。

残る2項目のうち、先に片付けなければならない事は、『緊急性があって重要なもの』なのですが、一番重要な項目は『緊急性がなく重要なもの』です。
というのも、例えば、健康の維持の為に体を動かしたり食事に気をつけたり、定期的な健康診断を受けるなどの行動をしていれば、『緊急性があって重要なもの』の項目に入っている『事故や病気』という状態になり難くなります。
締切がある仕事なども、それを得意分野とする友人や知り合いを事前に作っていたり、その分野の知識を本などで事前に勉強をしていれば、締め切りが来る前に早く終わらせることが出来る可能性が高まります。

『緊急性はないが重要なもの』を重要視することにより、『緊急性があって重要なもの』の項目を減らせることができ、結果として1日の時間が有効活用できるようになります。
結果として、4分割した内の3つの項目を削れることに成るので、その有効活用できる時間を利用して、『緊急性はないが重要なもの』に更に取り組むことで、自身のスキルアップに繋がり、更に時間が増えることになります。

つまり重要なのは、自分にとって何が一番重要なのかを知るということ。
それを知る為に必要なのは、自分が将来どうなりたいのかというヴィジョンをリアルに持つ事になります。

まとめ

紹介したラジオの中では、貧乏になってしまう人の特徴として、貧乏であるが故に、消費先にこだわってしまう。こだわってしまうが故に、考えなければならない事が増えてしまい、時間が奪われてしまう…
時間がないが故に、切迫感から悪手を打ち続けてしまい、最悪の方向に突き進んでしまう。

しかし、既に明確に進むべき方向が定まっていれば、目先の消費動向にイチイチ迷う必要がなくなる。
迷う必要がなくなる為、奪われる時間もなくなり、切迫感から悪手を打つ確率も低くなるという事になります。

…っとまぁ、偉そうなことを書いてみましたが、書くのは簡単ですが、実行するのはかなり難しいことだったりするんですけれどもね。
この難しい試練を乗り越えて、やっと富裕層と同じ心理状態になれるというのも、不公平感を感じますが。

【ネタバレアニメ感想】 電脳コイル

少し前になりますが、アマゾンプライムで、アニメ作品の電脳コイルを視聴しました。
今回は、そのネタバレ感想を書いていこうと思います。 ネタバレ前回で書いていきますので、ネタバレを嫌う方は観てから読まれることをオススメします。


世界観

世界観としては、少し前に話題になったgoogleグラスのようなネット接続できるメガネが普及しているような、今よりも少し未来の日本が舞台。
インターネットはもちろん、『電脳メガネ』をかける事で見ることが出来る電脳ペットなども普及していたりします。電脳ペットは、今でいうとPokemon Goポケモンのような感じですかね。スマホにアプリを入れてる人だけに、スマホ越しに見えますが、それ以外の人には見えない的な。

この眼鏡ですが、普通に使えば、情報収集や連絡手段として非常に便利というだけの代物なのですが、特殊なツールを使うことで、メガネそのものにハッキング攻撃を仕掛けることもできたりします。
ハッキング攻撃を受けてシステムが破壊された眼鏡は自動で修復モードに入るのですが、システムの修復は有料で、損害の具合によって料金が変動し、自動で料引き落とされる形になっています。
作品内では、具体的な修理費用は語られませんが、普通の攻撃を受けてシステムが破壊されると、お年玉1年分。 深刻なダメージを受けると、お年玉吹っ飛ぶようなので、3~10万ぐらいは請求されると思われます。

このメガネへの攻撃に対し、防御ツールなども存在し、『レンガの壁』や『鉄の壁』などを召喚することが可能。
これらのツールは、怪しいネット通販や駄菓子屋などで販売されていたりします。
また、メガネで出来る事を多くする為か、現実に存在するビルの壁などにも電子的なテクスチャが貼られていて、眼鏡越しで観た際には電子的なテクスチャの方を見ることができたりもします。

この様に、現実世界の方もコストを掛けてメガネ仕様に手を加えていたりします。 メンテナンスは手動ではなく、電子ペットのようにメガネを掛けているときだけ見える『サッチー』というプログラムが自動で行っています。
サッチーは、電子的な世界の秩序を守るために作られているため、ハッキングツールなどを使用する行為に対しては、使用者を攻撃してきたりもします。その為、ハッキングに興味を持つ子供達にとっては、厄介な敵であったり恐怖の対象だったりします。

ネタバレ感想

先程、簡単に世界観を文字だけで書いてみましたが、それを自分で読み返しても分かりにくいなと思うので、少しでも興味を持った方は、実際に観て世界観を体験してみてください。
おそらく1~2話を観るだけで理解が出来ると思います。

観てみた感想なのですが、昔から数多く描かれている子供中心の世界観を、SF要素を入れる事で上手く説明できている点が、非常に興味深かったです。

子供中心の世界観というのを説明すると、学校の怪談であったり、私の子供の頃の話でいうと、ビックリマンチョコにオマケでついてくるシールにレア度があって、価値が違っていたりといったものでしょうかね。
大人相手に話したとしても、真剣には聞いてもらえないし、そもそも理解もされない。
しかし、子供達の間には共通の価値観が存在し、その価値観の中で確かに生きている。 大人たちとの世界とは違う、子供たちだけの切り離された世界観のことです。

この世界観の中では、まともに話し合えるのは子供達だけなのですが、その子供たちの世界の中に入っていける大人もいる。それが、駄菓子屋のおばあちゃん。
私の子供の頃もそうですが、駄菓子屋は小学生のたまり場の様になっていて、そこにいるお婆ちゃんは、子供の話をバカにせずにそのまま受け入れてくれる。
時には、大人としての知恵を使ってアドバイスなどもしてくれる存在だったりします。

これらの『子供中心の世界観』を、 見事なまでに理由づけして意味をもたせているところに、ただただ感心してしまいました。

例えば、メタバグ・キラバグという存在。
この世界では、現実の物質世界に電子世界を被せるようにしているのですが、電子的な空間が不安定になるとバグが発生し、電子世界が崩壊したりイレギュラー(電子的なモンスター?)と呼ばれる存在が現れたりしてしまいます。
しかし、たまに宝石のような形のバグになり、それ自体に価値が生まれたりします。 中には、キラバグと呼ばれる超レアなバグなども存在するようで、かなりの価値があると子供たちの間で噂になっていたりします。

これと似たようなことが私が子供の頃にもありました。 対象はキラバグではなく、ビックリマンチョコであったりカードダスでしたが、カードに描かれている絵柄ごとに価値が変わり、背景がキラキラしているものはヘッドと呼ばれて、それを持っているだけで自慢することができました。
これを、大人の世界で自慢したとしても、『ふーん』と言われて終了なので、子供の世界観の中だけの価値観ですよね。

このメタバグですが、特殊な加工を行うことにより、メガネを攻撃する攻撃ツールや防御ツールになったりします。
大人から見ればなんの価値もない物を、攻撃に使ったり防御に使ったりしてゲームにして遊ぶというのは、子供の価値観では『あるある』ですよね。

他には、学校の怪談や都市伝説など。
怪談や都市伝説では、特定の条件が揃うと、この世とあの世がつながるといった話などもありますよね。 この物語では、あの世と呼ばれるものが、廃棄された電脳空間として登場します。
あの世とか幽霊というと、オカルト的な感じで胡散臭く感じてしまいますが… 実際に人間が認識できる電脳空間というものがあり、それを形作っている構造物がある。
電脳ペットといった、メガネを掛けると、まるで生きているように見えるペットも存在するわけですが、それらが廃棄されてしまった場合は、どこに行くのだろうか。

この物語では、廃棄された電脳世界というのが存在し、そこに人間の認識が囚われてしまうという表現で、あの世的なものを表現していたりするのですが、その表現に説得力があったりします。
例えば、電脳世界の深い階層に潜るために、現実世界での決められた道順を通らなければならなかったり…  子供の頃って、普段と違う行動を取ると、違ったことが起こるんじゃないかと漠然と信じていた人もいらっしゃると思うのですが、それを、電脳世界の階層で表現しているところに感心してしまいました。

後は… 魔法とか。
この物語には2人の主人公がいて、そのうちの一人のヤサコが暗号屋と呼ばれているのですが、彼女が使う技術が、地面に魔法陣を書くことで、様々な攻撃や防御を行うというものなんですよね。
魔法陣で魔法を使うとか、かなりオカルトな感じですが… 現実の技術を見ると、QRコードの様な模様をスマホで読み取るだけで、電子的なデータを拡張現実の世界で再現することができたりするわけで、QRコードというのはスマホを通した拡張現実の中では、魔法陣としての役目を果たしているわけです。
こんな感じで、魔法ですらもリアリティを感じさせてくれるところも凄い。

電脳世界と生物

この物語を見て一番考えさせられた事は、電脳世界に存在するプログラムとは、一体何なのかという事です。
例えば、現実世界で生物の犬をペットで飼っていて、その犬が亡くなってしまった場合、飼い主は大いに悲しむと思います。 『天国で安らかに眠ってね』なんて思う人もいるでしょう。
この様に思う人は、犬に魂が宿っていると思っているのでしょうし、亡くなった後に向かうべき世界があると、漠然と信じているのでしょう。(寂しさから逃げるための逃避行動かもしれませんが。)

ではこれが、電脳ペットだったとしたら、どうでしょうか。
この世界での電脳ペットは、メガネを掛けているときだけ見えて、メガネを外すと見えない、現実世界には存在しない、電子的なプログラムでしかありません。
しかし、そのプログラムは精巧で、生まれた時は子犬として見えていて、自分が年を取るのと同じ様に成長し、何年も連れ添った電子ペットは、単なるプログラムなのでしょうか。
その様な存在が修復不可能なほどに壊れた場合、『プログラムだから』と割り切れるものなのでしょうか。

その様な存在に、魂は宿るのでしょうか?

この物語では電脳ペットという存在を通して、生物とは何か、感情を注ぐとはどういう事かというのを考えさせられます。

個人的な考えを言わせてもらうと、魂というのは、生物に宿るものではなく、感情を注ぎ込んだ対象に宿っておいて欲しいと願うものなんじゃないかなと思ったり。
この物語では、デンスケという電脳ペットが活躍し、最終的には別れることになってしまうのですが、主人公のヤサコの中では、デンスケは単なるプログラムではなかったと思うんですよね。

私達が住むこの世界も、もう少し時間が経てば、普通の人間と変わらないぐらいのいコミュニケーションが取れるAIなども誕生したりすると思うんです。
他の人には話せない事を、AIに相談したり、聞き手になってもらうというのは、そう遠くない世界で実現しそうですが、そうなった場合、AIに対して人はどの様な感情を持つのでしょうか。
そのAIが、何らかの事故で使えなくなった場合、なんとも言えない喪失感に襲われたりしないのでしょうか。 それとも、『ただのプログラムだから』と新たなAIをダウンロードし直すのでしょうか。

このアニメは結構前に放映されたものですが、放映された当時は、現実世界の技術が追いついていなかった為に、感情移入しにくかったかもしれませんが、Pokemon GoVTuberなどが当然のように受け入れられている今見ると、感情移入がしやすく楽しめる作品なんじゃないかなと思いました。
今(2018年末)ならアマゾンプライム会員なら無料で観れるので、興味のある方は、観てみてはいかがでしょうか。

Huawei問題を考える

ここ最近、世界的な動きとして、経済戦争が活発になってきましたね。
過去の歴史を振り返ると、経済的な戦争が武力的な戦争につながっていることが多いので、これが発展して戦争にならないことを祈りたいですね。

ただ、経済戦争といっても、あまりピン!と来ていない方もいらっしゃるかもしれないので、今回は、ここ最近で起こった事件などを取り上げて、経済戦争について考えていきます。

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米中貿易問題

ここ最近で起こった一番の問題は、Huawei問題でしょう。その前段階として、米中間の貿易摩擦問題があります。
今までのアメリカは、建前としては『世界の警察』といった感じで覇権を握っていたわけですが(本当に警察の役割ができていたかは別にして)、トランプ政権に変わってからのアメリカは『アメリカ・ファースト』を掲げて、アメリカの利益になることだけを最優先で考えるという方針に切り替えました。

その一環として経済面でも、アメリカ経済を最優先で考えるという方針に切り替えて、貿易関係などで世界中の取引相手国に圧力をかけてきました。
これは対外向けだけでなく、国内企業に対しても同様です。 海外の安い労働力を利用して利益を上げている企業に圧力をかけて、工場を海外から国内に変えさせるなんて事もしていましたよね。
具体的には、アメリカの人件費が高いからと、メキシコに工場を立てて車を製造していた自動車製造会社に圧力をかけるなどを行っていました。

対外向けには、アメリカが貿易赤字を抱えている国に対して圧力をかけて、アメリカ製品を無理やり買わせるといった事も行っています。
その流れの一環なのか、我が国の総理もものすごい量の兵器をアメリカから大量輸入してしますよね。 その買い物を正当化するように、中韓を敵視するようなコメントを行っていたりもします。
(観光客面でも貿易面でも中国は最大の相手国なので、中国と仲が悪くなった時点で日本は終わるわけですが…)

アメリカは、貿易関連で全世界的に喧嘩をふっかけているわけですが、その中でも特に重要視しているのが中国です。

アメリカは何故 中国を敵視するのか

理由として一番大きいのは、今現在、経済面で世界トップに居座っているアメリカですが、後10年程で、中国にその座を明け渡してしまう事が確定しているからです。
今の日本で、この様な中国を持ち上げるようなことを書くと、パヨク認定されて指を刺されてしまうわけですが…

これは、私が中国贔屓とかそういう事ではなく、普通に考えればわかることですよね。
経済を比べるのによく使われる有名な指標である『GDP』ですが、この計算は、人口が多ければ多いほど、上昇しやすい指標です。3~4億人しかいないアメリカに対し、中国は13~15億人いるわけですから、人口差が3~4倍あるわけです。
これを考慮して考えると、中国人はアメリカ人の経済力の半分ぐらいまで成長すれば、アメリカを抜くことが出来るわけです。 逆に、アメリカ人が世界1位を維持し続けようと思う場合、常に、中国人の3~4倍以上の経済力(1人あたり)を維持し続けなければならないということです。
中国人が、平均で月に15万円稼いで消費するところを、アメリカ人は平均で45万~60万円を稼ぎ出して消費しなければならない。 中国が成長して、平均の稼ぎが20万になれば、アメリカ人は60~80万に上げなければならない…

では、その様な成長を目指して頑張れば良いのかというと、経済はそんなに単純ではなく、その国の平均給料が高くなればなる程、企業は生産コストを下げる為に、給料が安い国に発注を変更する。
アメリカが中国の3~4倍のスピードで経済成長をすれば、平均給料もそれに比例して上昇してしまう為、アメリカ企業は中国への発注を増やすことになってしまう…

これらの事を踏まえ常識的に考えて、先進国のアメリカが中国の3~4倍のスピードで成長するのは難しい。 では、その他の方法は無いのでしょうか。
アメリカ人の稼ぎや消費額を極端に引き上げなくても、中国との差を守る方法は、無いわけではありません。 その方法とは、人口増です。
中国経済GDPの伸びが凄いのは、先程も書きましたが、人口が多いというのが大きな理由です。 その為、アメリカも移民受け入れを積極的に行い、人口を増やしてしまえば、今の順位は維持することが可能です。

しかし、今のトランプ政権の動きを見ていると、その様な動きにはなっていませんよね。トランプ政権になってから、メキシコに壁を作り、今まで以上に移民の国境超えに目を光らせていますよね。
アメリカは好景気で、株価も最高値を更新しているとは言いますが、実際には二極化が進みまくり、金持ちはより金持ちになりましたが、その一方でホームレスは増えているという状態。 この状態で、貧困層である不法移民を受け入れてしまうと、賃金が安い仕事を彼らに奪われてしまう為、貧困層にとっては更につらい状況になってしまう。
金持ちというのは少数なので、選挙のことを考えると、貧困層に不利なことは出いない。 この様な事情で、アメリカが短期間で人口を大幅に増やすことは不可能でしょう。

これらの事を考えると、近い将来、中国が経済でトップになるというのは当然の事で、この先、どれぐらいで2位のアメリカにどれ程の差をつけるのかって事を考えるべきなんだと思います。
この事を警戒し、出来るだけ、その時期を後ろに延ばしたいというのがアメリカの思惑なのでしょう。

なぜ経済が重要なのか

お金というのは、お金を生みます。 鶏が先か卵が先かといった話になりますが、より多くのお金を稼ぐ為には、より多くのお金が必要という事なのです。
書き間違えではありませんよ。 お金を生み出すにはお金が必要なんです。

企業の例でいえば、資金力のある企業は高い給料で優秀な人材を雇うことができますし、多額の研究開発費を投じることが可能です。
良い人材と環境が揃えば、より良いものやサービスが生み出される確率が高くなるので、その企業はその製品を元に、更に多くのお金を稼ぐことが可能です。

一方でお金の無い企業は、安い給料しか提示できないので、雇える人材は限られてきます。 研究開発費も投じることができないので、社員の『頑張り』に期待するしかありません。
こういった企業は、経営者に余程のカリスマ性がない限りは、ブラックな環境に耐えられずに辞めていきますし、その環境でも残る人で作れる物やサービスが大ヒットする確率は、ゼロではありませんが高いとは言えないでしょう。

これは、更に大きな枠組みである国になっても同じです。 経済力の高い国は余裕がある為、よりよい環境を提供できますし、その環境によってより良い人を集めることが可能になります。
今までは、アメリカが経済力世界一位という立場を利用して、世界中から優秀な人材を獲得し、様々なサービスを展開し、武力だけでなく経済面でも覇権を握っていたわけですが…
中国の台頭によって、この構造が崩れつつあるわけです。 そこで焦ったアメリカが、中国に対してあからさまな圧力をかけて来たわけです。

普通の国であれば、アメリカの圧力に屈して、全面降伏するのでしょうが… 今回、事情が違うのが、中国はアメリカに屈しないという事。
考えてみれば簡単で、アメリカは3億人しかいないので、世界レベルのサービスを展開しようと思うと、様々な国に圧力をかけて屈服させてマーケットを広げていかなければならない一方、中国は、自国に15億のマーケットを抱えている為、その気になれば中国国内だけの経済でも回っていける。
また、アメリカは武力を背景に様々な国に圧力をかけている為、敵も多いのですが。 中国は、アメリカの敵に対して友好的な外交をするだけで勢力を伸ばせてしまう為、屈服する必要がない。

中国は下手に出る必要がない為、普通に対抗してくるわけですが、それが気に入らないのがアメリカで、色んな事をでっち上げて、難癖をつけているというのが現在でしょう。

中国が情報を奪ってる?

冒頭で書いたHuawei問題ですが、物凄く簡単に書くと、『中国の製品によくわからない部品が使われている為、きっと、その部品を使って除法を抜いている! だから、みんな使うなよ!』とアメリカが言い出して、それを盲信した日本政府も追従しているというのが現在です。
私は別に、『中国がそんな事をするはずが無いでしょ!』と言うつもりはありません。 今現在は、中国が情報を抜いているという証拠は何もないですが、抜いている可能性はゼロではないでしょう。注意するに越したことはないと思いますので、その警告に意味は無いとは言いません。

しかし、情報を抜いているのは中国だけなのでしょうか?
googleは? Facebookは? Appleは? Microsoftは? Amazonは??

今、私達のスマホやPCには、先程あげた会社のアプリが入っていると思いますが、彼らは、個人情報を抜いていないのでしょうか?
彼らの作ったプログラムは、全てのブラックボックスを破壊して検閲し、『絶対に情報は抜いていない』と証明されたアプリなのでしょうか?
そんな事はないですよね。 Facebookは、個人情報をユーザーの許可無く販売していたとアメリカで問題になっていましたし、他のアプリも似たようなことをしている可能性がありますよね。

またアメリカは、政府がCIAというスパイ機関を持っていますよね。 CIA職員が、身分を隠してGAFAに社員として潜入し、様々なデータをぶっこ抜いてる可能性もありますよね。
アメリカは、大統領が政治家に対して盗聴器を仕掛けて事件になったような国なので、彼らが集めた情報を抜いてないと考える方が不自然です。
つまり、情報を抜いてる可能性があるのは中国だけではなく、一番抜いてるのはアメリカの可能性が高い。 『情報を抜いている』という一点のみで不買い運動をするのであれば、まず、アメリカ製品を疑うべきなのかもしません。

中国は共産党一党独裁だから駄目

中国が駄目という理由でよく聞くのが、『中国は共産党一党独裁で、全ての権限が共産党に集中してるから駄目。 中国の大きな企業には、共産党員が入り込んでるから、共産党に情報を全て吸い上げられる。』というもの。
これも、理屈がよくわからない… というのも、日本も自民党の独裁みたいなものですよね。 首相の周辺や友達が罪を犯しても見逃されてますし、政治が腐敗していないなんてことは言えない状態。

『日本は公正な選挙が行われている』とはいっても、ワイドショーやニュースで放送される国会映像は、野党がバカみたいな質問をしている部分だけを抽出して流してますし、それを信じきった多くの人々が、『自民党以外入れるやつは馬鹿w』みたいなスタンスで、マウントをとってくる状態。
毎回、同じ人か、その人に縁のある人にしか投票しないので、2世議員3世議員がかなりの割合でいる。 そのうち、政治家が同じ家系の人に固定されて身分制度になるんじゃないかって程になってます。

政府に対して異論を唱えるなんてもってのほか。 沖縄問題に疑問を持ったローラさんが行動を起こしただけで問題視して、『そんな事いって、仕事無くならない?』と心配されるレベル。 これで仮に、ローラさんの仕事がなくなったとしたら、日本も中国を笑えない独裁ってことになりますよね。
情報を抜きまくってるアメリカ。 独裁の日本。 中国だけが駄目って理由がいまいちよくわからない。。

アメリカと中国という二国の覇権争いに、日本が巻き込まれてるってだけなのですが… ついていくのは、アメリカで良いのでしょうかね?
先程も書きましたが、日本は観光面でも経済面でも、中国が咳払いしたら肺炎を起こすレベルで影響を受けるんですけどね…

2018年 PC購入!(GALLERIA ZG) 人権を手に入れました!

先週末(2018/12/16)のことですが、自宅のPCを買い替えました。
タイトルでは、『人権を手に入れた』的なことを書いていますが、元ネタを知らない方の為に説明しておくと、少し前に、日本のIT企業に務めている人が、googleに転職したというブログ投稿がありまして…
そのブログを皮切りに、他の人達もGAFAに転職したりフリーランスになった経緯をブログで発表するという事が相次いだんです。

それらのエントリーの中で共通しているのが、日本のIT企業の管理職の、エンジニアや職場環境に無知。
エンジニアにメモリ4Gのパソコンをあてがい、エンジニアが不満を漏らすと、『メモリを増やしたら生産性が上がる証拠を出せ』とか意味不明な要求をしてくるなど、現場や技術のことを知らないのに上から目線でマウント取ってくるので、退職して別の道を歩むという感じで、その流れの一環で、『メモリ8Gは人権だ!』なんて言われだしたので、その流れに乗っかったのです。
つまり、今まで私が使用していたPCのメモリは4Gで、買い替えによって8G以上になったというわけです。

具体的なスペック

早速、買い替えたPCのスペックを晒していきましょう。

CPU     Core i7-9700K
メモリ     16GB DDR4 SDRAM
グラフィックス GeForce RTX2080 8GB
ストレージ   500GB SSD / 3TB HDD
OS       windows 10 pro
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お値段 265,034円・・・ BTOなので構成はいじれますが、私はOSをPROに買えた以外はいじってません。
officeソフトも、フリーソフトのオープン・オフィスを使う予定なので、付けていません。(それでこの価格…)
金額を見ただけで吐きそうになってしまいましたが、勇気を振り絞って決済ボタンを押しました。
この他に、27インチのモニターやらスピーカーやら、コード類なども購入したので、最終的な値段は30万程といったところでしょうか。

このスペックのPCを選んだ理由

理由として一番大きかったのが、最高の設定でゲームをプレイしてみたかったというのが大きいです。
私は社会人になってからは、据え置き機等を利用したゲームをやらない生活をしていたのですが、数年前にPS3を購入してから、再び据え置きゲームにハマり、現在はps4に乗り換え、時間を見つけてはゲームをするという生活を送っていました。

ps4もproが発売されれば、それに乗り換えるなどして、とにかくグラフィック重視でゲームを体験するというのにハマっていってしまったのです。
そうすると、行き着く先は、ハイエンドモデルのゲーミングPCになりますよね。
単純に、PCでゲームをしたいというだけなら、安いグラフィックカードを積んだ10万以下で買えるモデルも選択肢に入りますが、そのレベルのPCを買うなら、4k出力できるps4proでよい。
せっかくPCを購入するなら、現状のコンシューマー機では追いつけないレベルのPCが良かったので、そうなると、グラフィックカードはRTX2070以上になってしまう。

RTX2070を買うなら、もうちょっと背伸びして2080を買えば、次のグラフィックカードの購入時期も後ろに伸ばせるんじゃないかと思い、このモデルを購入しました。
『その理屈なら、RTX2080ti買わないとおかしくない?』と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、出力先がLGの55型の4kテレビで、HDMIで接続すると60fps以上は出ない為、現状ではオーバースペックなのと、tiにするだけで値段がかなり跳ね上がるので、妥協しました。

使用しての感想

使ってみた感想としては、何をするにもとにかく早い!まず、PCの立ち上がりですが、15秒程で立ち上がります。
今まで使っていたPCは、第3世代のCore i5で、メモリも4Gだった為か、立ち上がりに2~3分かかり、そこからスタートアップのプログラムが起動するので、ブラウザを使えるようになるまで更に3分程かかる。
PCでブラウザを開くまでに、トータルで6分程度かかっていたわけですが、それが15秒にまで短縮!!

起動が15秒ということは、スタンバイ機能が必要なく、毎回シャットダウンしても支障がないわけで、かなりのストレスフリー。
立ち上がりが15秒ということは、時には何度も再起動を必要とするwindowsのアップデートなども、僅かな時間で終わってくれるし、ソフトをインストールした際に求められる再起動も、一瞬で終わる。

また、今までのPCの場合、立ち上がりが遅いだけでなく、windowsを立ち上げただけでメモリ使用量が60%近くにまでなり、ブラウザを立ち上げたら、他のアプリの起動がかなりもたつく。
ブラウザゲームなんて使用したなら、Chromeの使用メモリが2G近くになる為、たまに使用メモリがオーバーして固まってしまう。
画像処理系のアプリなどは、立ち上がるのに数分かかるし、画像を閲覧するのに使用するフォトアプリの立ち上がりだけで30秒ぐらいかかってしまう。

今年1年だけでも、累計で1週間ぐらいはPCの前でただ待つという無駄な時間を過ごした気がしますが、今回買い換えたことにより、その無駄な時間がなくなると考えると…
これだけで、買い替えた甲斐があるんじゃないかと思う程。

CPUも8コア8スレッドで、マルチタスクも何のそのって感じなので、複数のアプリを立ち上げても全く問題なし。
今までにPCは、グラフィックカードも搭載していない一体型PCでしたが、今回購入したPCはRTX2080搭載で、マルチディスプレイに対応してるため、55型のテレビにもつなげることができる。
複数のアプリを使える上に、表示できるスペースが格段に増えた為、より効率的に使用できる環境になりました。

ゲームを動かしてみた

このPCですが、購入特典として『Battle Field V』と『PUBG』がついてきました。
ドスパラの購入特典というよりかは、NVIDIAのRTXシリーズの購入者特典と、Interのキャンペーンでついてくるという感じだったので、ドスパラ以外で購入しても貰えたりするのかもしれませんが、とにかく貰えました。

ゲームをもらうには、InterやNVIDIAなどにアカウントを作って、キャンペーンに応募する必要があり、入力などが結構面倒くさいですが、それさえ乗り越えれば、合計で1万円相当の貰えるので、頑張って応募してみました。
ということで、ゲームを手に入れたのですが…
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やばいですね。 PS4を立ち上げてゲームするよりも早く、簡単にゲームが始められてしまう。。
しかも、最高の画像で!

FPSを初めてキーボードで操作する感覚に慣れず、まだ少ししか体験できていませんが、これで憧れのsteamのゲームが出来ると思うと、少し嬉しい。
PC関連の出費がエグいので、ゲームを直ぐに購入して遊ぶってのは先になりそうですが、PCの購入でsteamポイントに変換できるドスパラポイントが8000Pぐらい付与される予定(まだ付与されてない)なので、それが入ったら、購入してみることにします。

買ってみた感想

まだ、PCで重い作業をしているわけではないので、PCのスペックを十分に活かしきれているとは言えませんが、日々のちょっとした作業でストレスが無くなったのは、非常に満足です。
せっかくハイスペックモデルを購入したので、これを機会にいろんな事に挑戦できれば、支払った金額も先行投資ということになるでしょうから、そうなるように頑張ろうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第41回 イオニア自然学 (2) 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com


『万物流転』 存在するとはどういうことなのか

ピタゴラスの様な宗教家ではなく、現代でいうところの哲学的な考えをする人もいました。
ヘラクレイトスという人物なのですが、この人物は、万物流転という考え方を生み出したことでも有名な人物です。この放送でも、過去に一度、万物流転の話はしましたよね。

結構前なので、忘れてしまっている人のために、もう一度 簡単に説明してみましょう。
この世にある様々な理論を応用して発展していく為には、いろんな推測を行っていくことが重要になってきます。
例えば、A=Bで、B=Cである時は、A=Cになります。 これは、三段論法の説明などで、結構出てくる例ですよね。 
その他の例でいうと、ソクラテスは人間だ。 そして人間は死ぬ。 故に、ソクラテスは死ぬという例も有名ですよね。

この三段論法は説得力がありますし、これを利用して一つの考えに至った本人はもちろん、対話していた場合は聴いている人物も、この手法を使って語られたことには納得してしまいがちです。
しかし、本当に、これは正しいのだろうかと考えたのが、ヘラクレイトスのようです。

ヘラクレイトスが考えたのは、そもそも、AとB、そして、BとCは同じものなのかということです。
そもそも、全く同じものであるのならば、AとBを区別しなくても良いですよね。何らかの違いが有るからこそ、AとBは違うものと定義されているわけですよね。
更に、もっとミクロ的な考え方をするのであれば、確固たる『A』というものが、この世に存在するのかという事です。

この考え方が、万物流転で、『同じ川に二度と足をつけることは出来ない』という説明が有名だったりします。
その理由としては、『川』というのをミクロレベルまで細かく見た場合、その川を構成しているものは、常に変化し続けている為に、時間を置いて足をつけた場合は、全く別物になってしまっているからです。

もう少し具体的に考えてみましょう。
まず、川を構成しているものを考えていきます。川なので、当然、流れる『水』がないと成り立ちません。 ただ漠然と水がある状態を川とは呼ばないので、水の流れや川の幅といった境界線も必要でしょう。
この他にも、魚や、そこに生息している虫など、様々なものが要素としてありますが… それらが無くても『川』は成立するので、単純に考えて、とりあえず、流れる水と川幅を川の要素としてみましょう。

この、流れる水と川幅ですが、日によって、さらにいえば、その瞬間その瞬間によって、常に変化し続けていますよね。
水は川上から川下に流れているわけですから、最初に足をつけた時の水と、時間を置いてから足をつけに行った時の水とは別のものですよね。
川幅も、雨が降る量や太陽の照り方によって、水量そのものが変わるわけですから、変化していきますよね。

この様に、物事を細かくみていくと、そもそも同じものというのが存在しないことが分かってきます。
これは、人間でも同じです。 人間も、日々の食事によって、動くための栄養素や新陳代謝の為の材料を補給していて、それを元に古い細胞を捨てて新しい細胞に入れ替えています。
これによって、タンパク質部分は数ヶ月で、骨も2年ほどで新しいものへと入れ替わっていきますし、物質的なものだけではなく記憶も同じ様に入れ替わっていきます。
古くて不必要な情報はドンドン忘れていきますし、その一方で、日々、新しい情報が五感を通して入ってきますよね。

この様に考えていくと、Aという現在の人物と、2年後、もしくは2年前のAという人物は、厳密には同じ人物とは言えないですよね。
これと似たような考え方は、仏教の開祖とされているゴータマ・シッダールタも主張していたりしていました。
詳しくは、第15回~19回を聴いてもらいたいのですが、ブッダの考えとしては、物体とか存在というものは、その瞬間、特定の時間を切り取った部分に名前をつけているだけで、存在そのものは無というような主張をしています。

古代ギリシャに生まれた原子論

この様な感じで、神々を用いずに自然界で起こりうる現象だけで物事の根本を説明しようとし、最終的には、原子論にまで到達します。
原子とは最小単位の事で、物事を際限なく分解していくと、最終的には最小単位である原子にまで到達してしまうという理論です。
この原子論の主張の中心部分で、最も重要なことは、『それ以上に分解できない単位が存在する』という考えのようですね。

今では、この考えをすんなりと受け入れる事が出来る人も多いかもしれませんね。
ただ、この当時は、アナクサゴラスによって『物事は無限に分解が可能だ』という主張がされていたので、それに対する反論として生まれたようですね。
また、この原子論は、幅広く浸透したのかというと、そうでもなく、この後2000年ぐらいは忘れ去られてしまう理論になってしまいます。

これは、私自身も含めて、科学などの理系の知識をあまり持っていない方は、意外な事に思われるかもしれませんね。
というのも、義務教育で習った範囲だと、物体には最小単位がありそうですし、逆に、無限に分割できるという方が、想像し辛かったりしますよね。
ですが、この原子論は、様々な方面から批判を受ける事になりますし、16世紀に入って元素的な物が有ると分かってからも、多くの批判や反論を受けることになります。

そして、再び西洋科学の現場で脚光を浴びる頃には、原子よりも小さな電子が発見されたり、原子そのものも分解が可能であったりと、『物体の最小単位』という定義からは遠のいていくことになります。
また、発見された電子を調べてみると、単純な粒子ではなく確率的な波であったりと、最小単位が存在するとは断言出来ない状態になっていたりするようです。
今現在は、原子という最小単位とされていたものよりも小さな物が見つかっているので、この分野の研究は『量子力学』として研究が続けられていたりもするんですけれどもね。

イオニアの外では受け入れられない自然学

話が逸れてしまったので、もう一度、古代ギリシャに話を戻しますと、この様な感じで、神々に頼らない理論というのが生まれていって発展していくのですが、これがギリシャ全土に広がったのかというと、そうでもなかったりします。
紀元前500年とかの話なので、単純に移動が難しかったからとか、そういった話ではなくて、この様な自然学を受け入れる土壌がなかったようなんですよ。
先程も名前を出した、物質は無限に分割できると主張したアナクサゴラスですが、イオニアの地を離れて、アテナイに移り住みます。

アテナイとは、ギリシャの首都アテネの昔の名称なんですが、その地に移り住んで研究を続けて居たところ、自身の『太陽は灼熱する岩だ』という主張が、太陽神アポロンを侮辱しているとして、裁判にかけられます。
その結果として、国外追放を受けたりもしています。
イオニアという、地域全体が進んだところでは問題視されたかった理論も、神話や、その信仰を基礎として成立している地域では、受け入れられることはなかったんでしょうね。

ただ、完全に拒絶されたのかというとそうでもなく、アナクサゴラスの理論を書き写した本はアテナイでも気軽に購入できたようですし、アナクサゴラスの他にも、アルケラオスという人物が、アテナイに移り住んで自然学を広めたようです。
この人物は、今でいう物理学的なことだけではなく、『法律や美・正義』などの倫理学の分野も研究対象に加えていた為、この後に取り扱う『ソクラテス』の師匠的な存在ともいわれていたりします。

という事で、簡単な説明になってしまいましたが、ソクラテス以前の哲学者の紹介を終わろうと思います。
今回、簡単な説明に終始してしまった原因としては、資料があまり残されていないからなのですが、次回は、何故、資料が残っていないのかについて、簡単に話していこうと思います。

【映画ネタバレ感想】 アサシンクリード

先日(2018/12/14)の事ですが、前から気になっていた映画『アサシンクリード』がNetflixで配信されていることを知ったので、早速観てみました。
今回は、その感想をネタバレ全開で書いていきます。 ネタバレを気にする方は、先に観てから読まれることをお薦めします。


簡単なあらすじ

主人公が少年時代に、外でアクロバティックな遊びをしたあとに家に帰ると、父親が母親を殺害した現場に遭遇してしまう。
父親はゆっくりと少年の方に近づいていくが、それと同時にその親子の家に、車に乗った何者かが大勢押しかけてくる。
それを知った父親は、少年に向かって『逃げろ!』と叫び、少年だけがその家から脱出する。

時は流れて、少年は中年に。 父親の母殺しが当時の少年に大きなショックを与えたからか、少年は道を踏み外し、堕落した人生を歩み、ポン引きを殺した罪でに警察に捕まり、死刑判決を受けてしまう。
薬剤を投与されて意識朦朧の中、主人公も死を覚悟したが、その後、別の病院のような施設で普通に目覚めることになる。
不思議に思っていると、女医が『あなたは死刑が執行されて死んだ事になったが、実際に記録が抹消された形でここに運ばれてきた。私はあなたを助ける。』といった感じのことを告げ、彼女の実験につきあわされることになる。

その彼女の実験とは、500年前のスペインに実在したアサシンの人生を追体験し、その記録を持ち帰る事。
主人公の祖先は、秘宝と言われる『エデンの果実』に最後に接触した人物で、その祖先の記憶にダイブすることで、秘宝を手に入れようとしているのが、女医が所属するアブスターゴ社の目的。
その目的を果たす為に、主人公の身柄はアブスターゴに押さえられた。 (ここから分かることは、アブスターゴは死刑囚を秘密裏に入手出来る程の力を持っているという事。)

最初は、半ば無理やり実験に協力されられる主人公だが、女医の父親でありアブスターゴの代表に、『アサシンは信用できない』といった感じのことを吹き込まれる。
施設内にいた自分の父と対面させられたり、施設に収容されている他のアサシンたちから襲われたりした事もあり、主人公は自発的にアブスターゴの実験に参加することになる。
その後、主人公は自らの意思による先祖の記憶のダイブで、『エデンの果実』の隠し場所を発見する。

しかし、実験を通して先祖の記憶を完全に体験したことにより、先祖のアサシンとしての意思などが流入現象によって主人公に流れ込み、主人公はアサシン教団の信者として覚醒。
アブスターゴがテンプル騎士団の一部ということも分かり、今度はアブスターゴから『エデンの果実』を取り戻す為に、施設内のアサシン達と共闘。
だが、一歩及ばず、女医の親子を逃してしまう。

その後、女医と父親はスペインに渡り、コロンブスの埋葬品の中から『エデンの果実』を得て、研究の成果としてテンプル騎士団の会合に持っていく。
女医と父の目的が達成されたように思えたが、ここで女医は、父親の本心を聴いてしまう。
女医は、この世からの暴力の根絶を目指し、それを実現する可能性がある『エデンの果実』を求めたが、父親の目的は違っていて、秘宝の力を利用することにより、人類から自由意志を奪うことだった。

女医は自分が利用されていた事に気が付き、放心状態になリ、会場の入口付近までフラフラと歩いていくと、そこには、自分が実験体として利用していた主人公が。
女医は、彼が秘宝を取り戻しに来た事を悟るが、直前に父親に裏切られていた為に、アサシンを見逃す。
その後、主人公は女医の父親を暗殺し、『エデンの果実』を取り戻す。

女医は、父親の死体を見て、アサシンにて期待して秘宝を取り戻す決意を固める。

作品を見て感じたこと

真っ先に感じたことは、説明不足だということ。

この作品は、同名タイトルのゲームを映画にしたものなのですが、その作品の少なくとも1作目をプレイしていないと、意味がわからないと思います。 というか、観ている前提で作っているとしか思えない作りになっています。
例えば、先程も書きましたが、この作品で主人公はアブスターゴによって身柄を押さえられてしまうわけですが、何故、主人公の身柄が必要だったのかという説明がありません。
ゲームをやっている人にとっては、『昔のアニムスは、3重螺旋構造のDNAから記憶遺伝子を読み解いて記憶を再現するから、重要人物の子孫を生きた状態で確保する必要があるんだな。』ということが分かりますが、ゲームをやってない人には意味がわからないでしょう。

こういった事は一つではなく、ゲーム未プレイの方には、アサシン教団とは何なのか。テンプル騎士団とは何なのか。エデンの果実って?という疑問が次から次へと出てきますが、それらが丁寧に解説されることはありません。
逆にいえば、これらの解説を端折っている為、ゲームをプレイ済みで、アサシンクリードの世界観をある程度把握している人間にとっては、バトルシーンやパルクールなど、アサクリらしい映像をふんだんに見ることが出来たりするんですけれどもね。

アサクリの世界観

もしかすると、この投稿を読んだ事で、この映画に興味を持つ人もいらっしゃるかもしれないので、アサクリの世界観を簡単に紹介してみようと思います。

アサクリシリーズでは、2千年以上続く『秩序』と『混沌』の戦いが描かれています。
主人公サイドであるアサシンは『混沌』を象徴するもので、敵であるテンプル騎士団やアブスターゴは、『秩序』を象徴するものとなっていて、世界に秩序をもたらそうとするテンプル騎士団にアサシンが抵抗するというのが、大本のストーリーです。

ここで、『世の中には秩序が有ったほうが良いんじゃないの?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、秩序と混沌はバランスが重要で、秩序による完全支配というのは、それはそれで問題があったりするんです。
どの様な問題があるのかというのは、完全に秩序が支配した世の中を想像してみると分かりやすいかもしれません。
一度作られた秩序が崩壊するというのは、ルールを守らない人間がいるからです。 ルールに疑問を感じ、それを破る。 この様な行為が増え続ければ、ルールは無意味なものとなリ、秩序は崩壊してしまいます。
では、秩序の崩壊を起こさない為には、どのようにすればよいのでしょうか。 みんなが疑問視しないような、全ての人に配慮したルールを設ければよいのでしょうか。 それができれば理想的なのかもしれませんが、世の中の人の価値観はバラバラなので、全ての人に配慮したルールなんてのは作れません。
ならどうすべきか。 答えは、全ての人類が、ルールに疑問を感じずに盲信するようにすれば良い。 定められてルールに従うことが最大幸福となるようにしてしまえば良い。 これは、いってみれば自由意志の根絶で、人間が自分自身の考えで行動するというのを出来なくしてしまえば良いわけです。

人間から意思を奪い、ロボットのようにしてしまうことが可能になれば、秩序は永遠のものとなります。

ここで疑問が出てくるのが、『人間から自由意志なんて奪うことが出来るのか?』といった疑問ですが、当然のことながら、普通の方法では無理です。 しかし、それを可能にするものが存在するんです。
それが、先駆者が作った『エデンの果実』です。

アサクリの世界では、人間というのは先駆者によって創造された実験動物でしかありません。 では、先駆者とは何なのかというと、人間の認識でいえば、神々という事になりますし、科学的な言い方をすれば、人類が生まれる以前に存在した知的生命体ともいえる存在です。
先駆者達は、今現在の人間の科学力を遥かに凌ぐ超文明を持っていて、現代の人間が便利に生きていく為の労働を押し付ける為にロボットやAIを生み出したように、労働職として人類を生み出しました。
その人類を自分達が都合の良いように操れるように、エデンの果実といった道具も作り出し、実験が進められたわけですが、その人類の中の一組のつがいであるアダムとイブがエデンの果実を盗んで施設から逃走してしまいます。

アダムとイブによって、人類をコントロールする道具を盗み出されてしまった事で人類は自由意志を手に入れてしまい、自分たちを奴隷扱いする創造主である先駆者に反旗を翻します。
先駆者 vs 人類の争いが起こりますが、その戦いの最中、文明を滅ぼすレベルの太陽フレアの兆候が現れます。 しかし、先駆者の注意が対人類に注がれたせいか、先駆者達は太陽に起こった異変を見逃してしまい、太陽フレアの対策を取ることが出来ず、先駆者の文明は太陽の暴走によって崩壊してしまいます。
その後、先駆者たちが残した先進的な技術は、世界各地に『謎の遺跡』『オーパーツ』として残る事になリます。

太陽フレアからしぶとく生き残った人類の一部が、この先駆者達が残した技術の存在を知り、人類を支配する為に秘宝を追い求めるようになる。これをルーツとするのが、テンプル騎士団といわれる組織で、敵対しているのがアサシン教団。
テンプル騎士団自体は、十字軍遠征に参加した騎士団の一つらしいが、その前身となる組織も存在している(オリジンで登場)。 十字軍遠征で秘宝を守るイスラム勢力(アサシン)と戦いが繰り広げられ、この戦闘がきっかけで、アサシン教団(『1』の主人公アルタイル)とテンプル騎士団は組織を世界各地に広げ、世界中で秘宝を巡る戦いが起こることになる。

この前提を踏まえた上で作品を観なければ、理解が出来ないと思います。


感想のまとめ

アサクリシリーズ全般にいえることですが、舞台となっている歴史的な背景か、アサシン教団とアブスターゴという現代版の戦いのどちらかに興味が無いと、楽しめない作品となっています。
特に今回は映画ということで、過去にダイブしている時間がかなり短い為、スペイン異端審問の詳しい説明はほぼない状態でストーリーが展開されています。ゲームを未プレイの人は、十字軍遠征やレコンギスなどのヨーロッパとイスラムの戦いの大まかな流れを知らないと楽しめないと思います。
そういった意味では、かなり観る人を選ぶ作品かもしれません。

これがゲームであれば、過去にダイブして歴史を体験する時間が40~60時間ぐらいある為、私のように歴史に疎い人間であったとしても、ゲームプレイを通じてある程度は楽しむことが出来るのですが…
今回は映画ということで、全部を合わせても2時間ない状態。その時間で、アサシン教団とアブスターゴの関係やらアニムスの説明やらスペイン異端審問の演出を行わなければならない為、かなりの情報を詰め込めるだけ詰め込んだ作りになっている為に、過去パートがかなり短い時になってしまっていて、この作品単体で過去パートを理解するのは不可能だと思います。
また、短い時間に大量の情報を詰め込んでいる為に、僅かなセリフに大量の情報をのせなければならず、よくわからない言い回しや演出になっている上に、それでも説明不足な為、ゲーム未プレイの人にはかなり観るのが厳しい作品に仕上がっているかもしれません。

では、ゲームをプレイ済みの人にとってはどうなのかというと、現代版の作りがしっかりしていて、それなりに楽しめたりします。
今作品に登場するアニムスが、かなり大掛かりな装置だったり、アブスターゴ社も、テンプル騎士団から多額の予算を受け取って何とか研究が続行できている組織だったりと、アブスターゴがまだ自立できていない、ゲーム1作目よりも昔の時代を匂わせますし、『ここから、1~3のデズモンドが出てきたりするのか・・・』と思いを馳せることも出来たり。

演出面でも、アサクリシリーズでは代名詞になってるパルクールシーンも沢山出てきますし、煙幕を使った目くらましからの暗殺シーンもあったりと、ゲームをプレイしていると『これこれ!』と思わせる演出盛りだくさんで、その確認作業だけでも楽しかったりします。
ワシの目線から見る500年前のスペインの街もいい感じですし、原作に対するリスペクトを感じさせます。 原作好きな人であれば、観ておいて損はないのではないでしょうか。

まとめると、原作を知ってる人は観たほうが良いけれども、原作未プレイの人は意味がわからない映画ともいえますね。

【ネタバレ映画感想】 帰ってきたヒトラー

先日のことですが、amazonプライムビデオで、『帰ってきたヒトラー』が観られるようになったという話を聴いたので、以前から気になっていたということもあって、早速観てみました。


これ以降、ネタバレ全開で感想を書いていきますので、まだ観ていない方は、観てから読むことをお薦めします。

簡単なあらすじ

戦争を指揮していたヒトラーが、何故か、現代にタイムスリップしてしまったところから、物語は始まります。
先程まで、戦争の真っ只中にいたのにも関わらず、いきなり現代のドイツに飛ばされてしまった総統は、状況が飲み込めないままに街をさまよいます。
その最中に、なんとか小さな売店を見つけ、そこで新聞を立ち読みしようとして売店の店主とトラブルを起こし、総統は見事にノックアウト。

少し罪悪感を感じた店主は、総統が行く場所がないことをしり、少しの間、売店で面倒を見ることにする。

総統は、売店においてある新聞などの情報媒体を読み漁り、今が戦時中でないことを悟る。
それと同時に、現代の社会問題などを積極的に調べて、現代で生き抜くための情報を蓄えます。

そうこうしている間に、売れない映像作家が総統と出会う。
この映像作家は、総統がタイムスリップした瞬間を偶然にも撮影していたようだが、総統がタイムスリップしてきたとは夢にも思わず、ヒトラーのそっくりさん芸人だと思い込んで、この芸人を使って映像作家として成功しようと目論む。
容姿が似ているだけでは使いものにならないので、呼び水として映像作家が総統の演説を真似してみると、それを聴いたヒトラーは格好良すぎる演説を決めてみせる。

その演説に手応えを得た映像作家は、ドイツ全土を渡り歩いて、市民たちの声を聴いていき、その声に対して総統が答えるというネット動画を作成する。
ヨーロッパではタブー視されているヒトラーの完コピ芸はインパクトが有ったのか、動画はあっという間に100万再生となり、その動画を引っさげて、映像作家は自分と契約を切ったテレビ局に売り込みに行く。

映像作家をクビにした上司は無能だったので、この動画の凄さが理解できなかったが、有能な女性社長が乗り気になり、ヒトラーをバラエティ番組に出すことを決断する。

女性社長の睨んだ通り、ヒトラーインパクトは抜群で、それだけでなく、ヒトラーの演説は人々の心をつかんで話さずに、ヒトラーは一躍トップスターとなる。
しかし、それが面白くない、無能な映像作家の上司。 ヒトラーが犬に噛まれた際に、仕返しとして撃ち殺した動画をテレビで独断で流し、世間を煽ってヒトラーと女性社長を会社から追い出してしまう。

だが、それでも挫けない総統は、自身の体験を小説として発表


同時に小説を追い出された女性社長に渡して映画化をさせる。

小説は大ヒットし、映画化も順調に進むが、常に一緒に行動していた映像作家は、総統がユダヤ人を前にした態度に疑問を持ち、一番最初に総統を捉えた映像を見直すことで、総統がそっくりさん芸人ではなく、本物のヒトラーだと気がついてしまう。
総統に詰め寄るが、総統は最初から一切嘘はついておらず、自分はヒトラーだと常に名乗り続けていた。 信じていなかったのは、それを取り巻く自分たちだけで、総統は常に真剣だったことに気がついてしまう。

このままでは、再びヒトラーが政治家になって戦争が起こってしまうと感じた映像作家は、周りに事態を説明して、ヒトラーを捕まえようと思うが…

真面目なコメディ?

この作品は全体として、コメディ色の強いものとなっています。 戦争やヒトラーや政治といった重いテーマを扱っているにも関わらず、所々に笑いの要素が入り、観客を笑わそうとしてきます。
笑いどころの大半は、ヒトラーが真面目に行う行う演説なのですが、単にくだらない事を言ったり顔芸で笑わそうというものではなく、今の社会情勢を踏まえた上での演説を真面目に行う事が笑いにつながるという感じ。

総統自身は常に真面目に、一切嘘をつかずに、今の社会情勢を踏まえた上で自分の主張を演説するわけですが、真面目な話ばかりではなくユーモアを交えて演説を行う。
それを傍から見ている人間は、ヒトラーのコピーとして面白半分で観ているので、そのユーモアをギャグだと思って楽しんでしまう。

ただ、演説の内容は、ただ単に笑い飛ばせるものではなく、社会情勢を足を使って取材した結果を元にして制作しているので、観客の興味をそそるし、考えさせられる内容にもなっている。
単に興味を持って面白く聞けるだけでなく、演説内容にかなりの説得力がある為、映画の中では当然の様に、ヒトラー人気は高まるわけですが、それを傍から見ている私自身も『この人が、日本の政治家になってくれたらなぁ…』とか『ヒトラーって、実は良い人なんじゃないの?』なんて思ってしまうところに、ちょっとした恐怖を感じる作りにもなっている。

ヒトラーといえば、格好良いものに惹かれるという人間心理を理解し、親衛隊の制服を格好良いものにしたことでも有名なようですが、それだけではなく、演説など、自分やその周りを格好良く見せる空気感を作るのが非常に上手かったようですが、それを見事に再現できているところが凄いと感じました。

ヒトラーを支持する民衆

映画の中の民衆はもちろん、この映画を見た私自身も、一時はヒトラーを支持してしまうという様な心理状態になってしまったわけですが、何故、そんな状態になってしまったのかというと、ヒトラーの言っている事がもっともらしく聞こえるからです。
私達は、ヒトラーは悪い人だと教えられてきましたし、それを支持した当時の民衆は『どうかしていた』と思い込むように教育されてきましたが、実際にどの様な状態で、どんな主張が行われていたのかという事は、余り教えられてこなかったように思います。

この映画では、現代の社会情勢と当時のヒトラーの主張をリンクさせる形で、ヒトラーの主張を丁寧に説明しているのですが、ヒトラーを悪だと決めつけ、彼を中心としたナチスにすべての責任を押し付けたヨーロッパの人達が、ヒトラーと同じ様な主張をしている事に気付かされます。
これは、ヨーロッパの人たちだけに限らず、現代の日本の人たちも同じです。

具体的な例を挙げると、移民問題などです。

IT革命後にグローバル化に拍車がかかってから、世界経済は『安い労働力の獲得競争』に突入しました。
資本家は、より多くの金を自分の懐に入れる為に、高い人件費がかかる自国民の採用をやめ、後進国の安い労働力を迎え入れるように働きかけてきました。
日本の場合はまだマシな状況ですが、ヨーロッパでは若者の失業率が40~50%にまで高まっている状況で、この様な状況では当然の様に、自分たちから職を奪った移民労働者に不満の矛先が向かいます。

『彼らが文化を破壊する。』『人種というものが無くなってしまう。』様々な理由を挙げて、庶民は移民労働者を国から追い出すように、そして、新たに迎え入れないように行動します。
しかし、その行動そのものが人種差別につながる行動ですし、純血主義の様な、ナショナリズムを煽る行動だったりします。
ナショナリズムを煽るという点では、日本のネトウヨなども同じですよね。 今の日本の経済や生活は、中韓がなくては立ち行かない状態にまで追い込まれているのに、彼らを貶めることを積極的に発言しますし、行動も起こしています。

彼らが、本当に怒りの矛先を向けなければならないのは、利益を全て自分たちの懐にしまい、再分配のシステムを壊してしまった資本家のはずなのに、労働移民を『自分たちよりも劣っている』と思い込んで差別することで、ガス抜きをする。
支配者層から見れば、経費削減の為に受け入れた移民が、リストラされた貧困層のガス抜きまで引き受けてくれるわけですから、願ったり叶ったりな状況なのですが、民衆たちはそれに気が付かない。
ヒトラーが放つ、『世の中を悪くしているのは移民たちだ』『自分たちの文化を守ろう!』といった言葉に惑わされ、彼を熱烈に支持してしまう…

この他の例を上げれば、ココ最近の日本で叫ばれている自己責任論も、ヒトラー的な考えそのものですよね。
ヒトラーは、難病の病人や障害者は生産性が低いとして、自国民であっても積極的に殺していましたが、自己責任論を展開する人たちの思考も、突き詰めれば同じようなものですよね。
そもそも国とは、人々が弱者に追い込まれてしまった際に、それでも最低限の生活をおくる為に作る共同体のことですが、全てが自己責任なのであれば、国なんてものは必要が無くなってしまいます。

しかし、自己責任論を主張する人たちは、国が行わなければならない役割を個人の責任に転嫁する。
割合的にみて、金額ベースで0.5%にも満たない生活保護の不正受給を大きく取り上げて、生活保護は甘えだという。 『貧困対策を…』という願いも、何故か政府目線で語る人たちに、『財源はどうするの?』と一蹴されてしまう。
結局の所、政治や経済の中心に位置する人達の取り巻きだけが良い目を見て、一般市民が犠牲になる。

しかし一般市民は、政府の無能や資本家の強欲くを攻めることなく、むしろ褒め称える事で、ご相伴に与ろうとする。

こんな時代に、もし、ヒトラーがタイムスリップしてきたら、あっという間に民衆の指示を集めて、ナチス政権が復活することでしょう。

私達は、ヒトラーという人物やナチスという組織をアイコン化してしまい、アイコンを叩くことに満足し、その内容そのものからは目を反らせてしまった。
その為に、ヒトラーを批判しつつも、行動そのものは支持するような状態になってしまっているということなのでしょう。
この映画は、それをコメディという形でわかりやすく説明できている点が、大変面白かったです。

プラトン著『饗宴』(4) エロスの奥義

備忘録のつもりで簡単にメモするはずだったのに、かなり長くなってしまった為、今回で無理やり最後にします。
この投稿は前回の続きですので、まだの方はそちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

エロスの師匠 ディオティマ

ソクラテスは、以前にディオティマという女性からエロスについて教えてもらい、その主張に納得をしたことが有るので、ディオティマの主張を借りて演説を行う。
ソクラテスは先程、アガトンが主張する『エロスは美を備えているだけではなく、美しいものを求める』という主張に対し、『既に有しているものが同じものを欲するということは行わない。エロスが美を既に持っているのであれば、美を求めるといった事は行わないはず。なら、エロスは醜い存在なのではないか?』と反論し、アガトンを黙らせてしまいました。
しかしソクラテスは、自身もアガトンと同じ疑問をかつて持っていた事を告白し、その疑問をディオティマにぶつけた際に得られた回答だったと告げる。 そしてここから、ディオティマの主張が始まる。

ディオティマの主張

エロスは人の特定の感情(愛情にまつわる全ての欲望)を神格化させたものなので、その言動は人の感情が基準になる。 その為、人が抱かない感情はエロスの性質とは言えない。
では、その基準となる人間が物を欲するときというのは、どの様なときなのかというと、欲する対象を自身が保有していないときに限定されていて、既に保有している際には欲するという欲望を抱かない。
例えば、既にテレビを持っている人間が、同じスペックのテレビを更に欲するのかという事。 新たにテレビが欲しいと思う人間は、『更に大きい』だとか『画質がキレイ』とか『まだ持ってない』というように、今の状態に欠損の様な感情を抱いている為、それを埋め合わせる為に欲望が生まれる。
その為、自分が満足するテレビを既に保有している場合、同じものを欲しいという欲望は抱かない。

これをエロスの性質に当てはめると、エロスが美を求めているという事は、エロスには美が欠けている証拠ということになリ、結果、エロスは美しい存在ではない。つまり、醜い存在ということになってしまう。
ソクラテスがこの疑問をディオティマにぶつけたところ、『美しくないから醜いと考えるのは、短絡的過ぎではないか? 美しくないものは全て、醜い存在なのか?』と反論される。
美しいものを求めるから醜いという考えの場合、この世の価値判断は美しいと醜いの2種類しかないことになってしまう。この理屈を知恵に当てはめると、この世には賢いものと愚か者の二種類しか存在しないことになる。
しかしそんなことはない。ディオティマは、『エロスは、美しさと醜さの中間に位置するものだ。』と主張する。

では、中間の存在とはどの様な存在なのか。 これは、賢いものと愚か者の中間の存在を思い描くと分かりやすいかもしれない。
知恵についての中間の存在とは、どの様な物が正しい事なのかを知ってはいるが、それを言葉を使って正確に言い表すことが出来ないもののことを言う。
正しいことと悪い事の判断をすることは出来るが、それを言葉を使って正確に言い表すことが出来ない人間は、中間の存在といえる。というのも、賢い人間であれば、誰もが納得できる形で正確に正義について語ることが出来るが、賢い存在ではない為に、そのようなことは行えない。
では、その事をもって愚者となるのかといえば、そんなこともない。 何故なら、具体的なケースを目の当たりにした際に、それが正しいことなのか悪いことなのかの判断はつくから。その様な人間を愚か者とは呼べない。

このようなものは中間の存在で、賢者でも愚者でもない。

この主張を聴いて、ソクラテスは反論する。『ですが、ディオティマ。 エロスは、全ての人から称賛されている神なのですよ? 中間の存在なんてことが有るのでしょうか?』
しかしディオティマは、この意見に対して疑問で返す。『お前の言う「すべての人から」というのは、全ての愚かな者たちのことか?それとも、全ての賢い者のことか?』ソクラテスは、『それは、両方を含む全ての者のことです。』
それを聴いたディオティマは、『全ての人というが、エロスを神と認めていない人間がいるではないか。 その者達についてはどうなのだ?』と切り返すが、ソクラテスは、エロスを神として信じていない人間などいるはずがないと思っていたので、『その様な人はいるのですか?』と詰め寄ると、ディオティマはこう答える。

『ここに2人いるではないか。この私と、ソクラテス、お前だ。』

ソクラテスは、自分はエロスが神だと信じている確信が有ったのに、実は信じていないと言われてしまった為に、困惑してしまい、その理由を尋ねる。
するとディオティマは、ソクラテスに問いかける『神という存在は、どういったものなのだろうか。 お前は、全ての神々は幸福で美しい存在だとは思わないのか。 それとも神々の中には、美しくもなく幸福でもなく、欠陥を抱えた存在がいるのだろうか。』
この問いに対してソクラテスは、『全ての神々は美しく、幸福を手にしている存在だ。』と主張しますが、ディオティマは、ソクラテスが一番最初に持ちかけてきた疑問を、再度確認する。
その疑問とは、『エロスが真に美しい存在であるならば、エロスは美を求めない。美を求めるということは、自身が美を持っていないから、つまりは醜いからだ。』という疑問。美が欠損しているが故に美を求める行動を取る。欠けた部分を補う為に行動している状態は、幸福とは言えない状態ともいえる為、まとめると『エロスは美しくなく、幸せでもない状態となってしまう。』

先程、ソクラテスは『全ての神々は美しく、幸福を手にしている存在。』という定義に同意しているが、一番最初の質問によって、『エロスは美しくなく、幸福ではない状態。』という意味をもつ疑問をいだいている為、ソクラテスは『エロスは神に含まない』といってしまっている状態となる。
ディオティマは、ソクラテスの主張に反対していたわけではない為、少なくとも、その場で討論している2人は、エロスを神だと認定していないことになる。
自分自身がエロスを神だと思っていなかったことを思い知らされたソクラテスは、エロスの正体を尋ねる事にする。

エロスの正体

それに対しディオティマは、『エロスは、神と人間の間にある存在。偉大なる精霊(ダイモン)だ』と答える。
人間と神は直接の対話が出来ないが、その橋渡しをする存在が精霊(ダイモン)で、精霊とは、人と神の両者の間に立って溝を埋め、全宇宙を一体化させるもの。

神の声を聴く占い師や司祭、預言者といった類は、精霊の声に耳を傾けることで、その力を発揮するのであって、神々が直接、人間と関わる事はない。
この様な分野における賢者とは、精霊のような声質を持った人間のことだが、その他の技術に関わる賢者というのは、全て、卑しい職人に過ぎない。(古代ギリシャでは、労働を行うのは奴隷として見下されていた。)
エロスは精霊の1人であり、エロスに限らず、多くの精霊が存在する。

その後、ディオティマは、エロスの出生について、神話になぞらえて話聞かせる。

エロス誕生のきっかけとなったのは、アフロディーテの誕生祭。 叡智の女神メーティスとその息子である充足の神ポロスも、この宴に出席して誕生を祝った。
しかし、祭りの終わり際になって、呼ばれてもいないペニアという貧乏神がこの宴会に現れる。 これは日本でいうと、他人の葬式に勝手に出席して、飲み食いして帰る様な輩と同じ様な存在と言えるかもしれない。
ペニアが宴会に忍び込むと、酔いつぶれたポロスが寝込んでいたので、ペニアは一発逆転を狙ってポロスを襲い、二人との間に子を作る事に成功する。 こうして誕生したのが、エロスという神。

エロスはアフロディーテの誕生祭が縁で生まれたという事で、アフロディーテの従者にして下僕となる。 アフロディーテは美の化身である為、この従者にして下僕になるということは、エロスは常に美を追い求める性質であるということになる。
しかし、エロスが持つ性質はそれだけではなく、母親から受け継いだ貧乏神の性質も併せ持つ。 エロスが手に入れたものは全て、指の間からすり抜けて最終的には無くなってしまう。それ故に、常に何かを求めて彷徨い続けている。
では、エロスは何も持たない存在なのかというと、そんなこともない。 エロスの父親は充足の神であるポロスであり、その母親は知略の神メーティスである為、エロスは美しいものや良いものに狙いを定めて、それらを知恵を使って手に入れる能力を持っている。
ただ手に入れたとしても、母親から受け継いた性質の為に、手に入れたものは失ってしまう。

エロスは、父が持つ充足の力によって貧乏ではない存在ではあるが、母親の持つ性質によって満ち足りてもいない。 中間の存在といえる。

神々は誰一人として、知恵を追い求めたりはしない。 何故なら、神々は完璧な知恵を既に持っている為、既に持っているものを更に欲するということはしない。
では、その正反対に位置する愚か者はどうなのかというと、愚か者も知恵を欲したりはしない。 何故なら、知恵がどういうものなのか、存在しているのかどうかすら知らないから。
愚か者は、自分自身は賢くもなく美しくもなく、何も満たされていないのに、欠けているものが何かを知らないために、このままで良いという現状維持を選んでしまう

では、賢者も愚者も追い求めることをしない知恵を、一体誰が追い求めるのかというと、知恵という存在を知っていて、自分には知恵が欠けているという自覚を持っている人間が、知恵を追い求める。
この者は、知恵を持っていないために賢者とは言えないが、知恵が足りないことを知っている為に、無知でもない。 中間の存在といえる。
この、『知恵』を『美』に変えれば、エロスの性質は理解しやすい。 エロスは美を求める『愛するもの』であり、既に美を持っている『愛されるもの』では無い。

エロスとは何の化身?

ここまでの説明に納得をしたソクラテスは、ディオティマに『エロスがその様な存在だとして、その存在は、人間にどのようなことをしてくれるのでしょうか?』と尋ねる。
この様な感情の化身が人間に宿った時に、人間は、どの様な行動を取ろうとするのか、とってしまうのかという質問に対し、ディオティマは、エロスの追い求めているものを別のものに変えることで、理解を促す。
別のものとは、『良い』という価値観。 エロスが、『美しい』ものを追い求めているというのを、『何故、エロスは良いものを求めるのだろう。』と言いかえ、逆にソクラテスに質問する。

これに対してソクラテスは、『良いものを追い求めて手に入れようとするのは、「幸福」になる為でしょう。』と答える。 つまり、人の心にエロスが宿った場合、人は『幸福になろう』として行動を起こす。
その為に、『美しいもの』で有ったり『良い』ものを追い求めるが、その最終目的は、様々なものを手に入れることではなく、幸福な状態になることであり、それを維持する事にある。
この感情は、全ての者が持つ感情となる。 全ての行動は幸せを求める過程で行われる事で、行動の原因はエロス。つまりは愛によって行われる。
人は、幸福になる為に愛を手に入れようとし、その為に、蓄財をしたり体を鍛えたりする。 愛を手に入れる為の方法は1つではなく、多く存在するため、それぞれの人の考えによって様々な方法で試されるが、根本原因となるのはエロスによる『幸福になりたいという感情』となる。

しかし、私達は普段、何をする場合においても『愛しているから』などと言って行動を起こすことはしない。 何かしらの別の言葉を使ったりする。
これは、愛というのは行動の起点となるもの全ての原因ではあるが、それぞれの細かい行動に別々の名前がついている為に、別の言い回しによって言われている事が原因。
例えばクリエイターは、ものを作る人全般を指す言葉だが、彫刻を専門としている人間はクリエイターとは呼ばれずに彫刻家と呼ばれる。 絵画を中心としている人は画家と呼ばれ、こと恋愛に関してだけ、『愛している』という言葉が使われる。

まとめると、人間の行動の起点となるのは、愛の化身である(エロス)の性質である『幸せになりたい』という願望であり、その感情を抱いた人間は、『美しいもの』や『良いもの』を永遠に自分のものにしたいと追い求めて行動を起こす。
噂では、人間は古代の人間の力を取り戻すために、神によって分割された自分の半身を探しているという説もあるが、その半身が『美しいもの』や『良いもの』でなければ、その半身を愛し求めるなんてことは行わない。
仮に、糖尿病や凍傷にかかって、体の一部が壊死し始めた場合、『元々は自分の体だったから』と切り離さずに放置するような人間がいるだろうか。 例え、自分自身の体であったとしても、悪い部分は切り離したいと思うのが人間なので、一つのものが分割されたという理由だけで追い求める理由にはならない。

では、エロスの最終目的である『幸せになりたい』『美しいものや良いものを永遠に自分のものにしたい』という欲求は、どのようにして叶えられるのだろうか。
結論から書くと、『子をなすこと』によって達成される。 これは、形のあるもの無いもの、両方に当てはまる。

簡単に解説すると、エロスというのは良いものや美しいものを『永遠』に自分のものにするという欲求を持っているが、人間には『死』という終わりが存在する為に、『永遠』に手に入れることは出来ない。
しかし、それを可能にするのが、『子をなすこと』となる。
愛する人と惹かれ合い、愛し合って子を作れば、自分の血を引くものを後の時代に残すことが出来る。 自分という個人は死ぬが、その意志は受け継がれ、この連鎖が途切れなければ、『永遠』にこの流れは続くこととなる。

これは、物質的なものだけでなく、人間の精神が生み出したものも同じで、自身の思想や知恵は、語り継ぐことで不死性を宿すことが出来る。この様なマクロな視点だけではなく、ミクロの視点で観ても同じ。
人間というのは、分かりやすい部位でいえば、髪や爪が伸びて生え変わるように、全ての体の部分は新陳代謝によって常に入れ替わっている。
古くなった体の部分は捨てられて、食事によって補給された材料で体は再度作られる。

これは、人の体という物質的な物に限らず、人の記憶でも同じことがいえる。 人間は、一度、目にしたものを完全に記憶することが出来ず、記憶したとしても忘れてしまうことがある。
記憶に定着させるためには、繰り返し復習が必要となるが、この、一度得たものを失ってしまい、再度求めるという行為は、求めて獲得しても指からする抜けてしまうエロスの性質と同じといえる。
では、復習の先には何が待っているのかというと、記憶の不死性。 この様に人間は、知恵の場合も肉体の場合も、不死性を求めて行動をしていることになる。

例えば人間は、名誉を求める。 名誉は、自分の分身である子ではなく、自分自身の名前が未来永劫、語り継がれることなので、不死性を帯びている。
仮に、自分の成した偉業が語り継がれずに断絶してしまうのであれば、誰が名誉を求めるだろう。

社会を構築する人間にとっていちばん重要な知恵は、その社会(国・家)を収める為の知恵である『節度』と『正義』で、これを心に宿した人間が成人して適齢期になると、その者は子をつくろうとする。
美しい者(良い者・優れた者)を探し、話をする。 自分が思う正義とはどのようなものなのか、節制とは… 自分の持つ価値観をさらけ出し、相手を良い方向へと導こうとする。
やがて、二人は愛し合って子をつくるが、彼らが作った子は自分たちよりも美しく不死に近い為、彼らは子を優先して守ろうとする。 (これは、実際の子供であっても、2人の人間の意見によって生まれた新たな思想や知恵でも同じこと。)

このようにして多くの知恵・徳を生み出した者は尊敬され、未来永劫、祀られる。

エロスの階段

まず最初は、若い時に美しい体に興味をもつところからスタートする。 若く経験も少ない人間は、外見の美しさにとらわれがちだが、若者を正しく導く者がそばにいれば、その若者は浮気をせずに、一つの体を真剣に愛するようになる。
しかし、いずれ若者は、身体的な美しさに共通の部分を見出す事となる。 美しい脚は、誰のものであろうと美しい脚であり、特定の個人だから美しいというわけではない。
外見の美しさには共通の部分がある為、いずれ若者は、特定の誰かだけに執着する事をやめて、共通の部分を持つ肉体全てを愛す事となる。

しかしその後、若者が正しく成長するのであれば、若者は外見の美しさよりも内面の美しさのほうが重要だと考えるようにな、心が美しく優れた知恵を持つ方が尊いと考えるようになる。
そして若者の目は、『自分たち』だけでなく外側にも向くようになり、人間が生み出す社会の中の美しさに目が向くようになる。

こうなると、この人間は人一人の外見的な美しさといった、くだらないものには興味を示さず、一人の人間から愛されることを望んで奴隷のようになることもない。視野が広がり、あらゆる美しさに目が向くようになる。
あらゆる美を観察し、多くの知恵や思想を生み出し、最終的には『美』そのものに到達することになる。

『美そのもの』というのは、プラトンイデア論の原型のようなものと考えるほうが良いのだろう。
この『美』そのものは、何かに宿るといったものでも、いずれ消滅してしまうような性質のものでもない。 地域が変わればとか、人によって… ある一面は美しいが、別の面から観ると醜いといった相対的なものでもない、絶対的な『美』

この様に、階段を登るようにして、最初は一人の外見的な美しさから出発し、その外見に共通する部分を持つすべてのものを愛するようになり、やがて社会に目が向き、最終的には美のイデアに到達する。


アルキビアデスの乱入

ソクラテスの話が一段落した後で、泥酔状態のアルキビアデスが乱入。
アルキビアデスは、ソクラテスが賢者だと思い込み、自分の体と引き換えにソクラテスの持つ知恵を授けてもらおうと、ソクラテスの眠るベッドに忍び込んで誘惑するも、相手にしてもらえずにすねている美少年。
拗ねている為にソクラテスを罵倒するも、本心ではソクラテスが好きな為、言い過ぎると褒めるというツンデレキャラとして登場する。

そして、アルキビアデスもゲームに加わると言い出し、エロスではなくソクラテスを賛美するとか言い出す。
ソクラテスは、戦争でみんなが縮み上がっていた時に、一人だけ堂々としていたとか、シンガリを務めて敵の行方を阻んだ後に悠然と帰ってきたと言った感じのことを話すが… 長くなりすぎたので、この部分は割愛する事にする。


プラトン著『饗宴』(3) エロスの正体

今回の投稿は前回の続きで、饗宴の内容をメモ代わりに書いていきます。
饗宴とは、プラトン著の対話篇のことです。



前回の投稿はこちら
kimniy8.hatenablog.com

『アガトンの主張』

これまでに話をしてきた者たちは、『神そのもの』を褒め称えたのではなく、神が与える祝福を受けた人間について話してきたのであって、神その物を賛美した者は居なかったので、アガトンは神を直接、賛美しようとする。
どのようなものをどの様に褒める場合でも、『何故、称える対象であるのか』の根本原因を知らなければならない。 神、そのものの素晴らしさを知った上で、神がもたらす力の素晴らしさを考えるべき。

前までの主張で、エロスは最も古い神といわれ、それ故に偉い、尊いといった主張が行われてきた、それは間違いで、エロスは神々の中で最もわかく、故に美しい。
エロスは老年を嫌い、意図的に距離を取っているため、年を取ることもなく、永遠に若い。
 
神々が争ったのは、エロスがいなかったからで、争いが起こった原因はエロスにはなく、アナンケ(必然の神)の仕業。
もし仮に、争いが起こっている中にエロスがいれば、エロスが象徴する愛情と平和によって、争いは解決していたはず。その平和が実現したのは、エロスが神々の王になってからの話。

またエロスは、若いだけではなく、繊細な女神でも有る。 ホメロスは、アーテという女神を称賛する際に、その女神の足が繊細で美しいと詩によって表現しているが、その表現方法は、その女神が硬いものの上を歩かずに、軟かい物の上だけを歩くことで表現している。
しかし、この表現はそのままエロスの繊細さを表現するのにも応用できる。 というのも、エロスはそもそも『何処か』を歩くといったことはしない上、その神が宿るのは、柔軟な柔らかい心を持った人間の心の中だけだから。
エロスは、足だけではなく全身が柔らかく繊細なので、好む住処も、柔らかい心の持ち主の中だけと決めている。
以上を持って、エロスは最も若く、繊細で美しいことが理解できると思う。

次に、エロスの性質ですが、エロスは神に対しても人に対しても不正を行うことがなく、また、される事もない。
また様々な同意は、暴力を伴って行われるものでもない。何故ならエロスとは、愛するものに対する慈しみの心を象徴。 愛する人からの願いに対して聞く耳を持たない人間はおらず、愛する人に対して無理難題を押し付けようとする人間もいない。
エロスが介在する同意は、両者が納得をした上での同意にしかならない。 この同意を拡大し、全ての国民が同意したルールが法律となると、その法律は正義となる。

またエロスは、節制も備えている。 節制とは、欲望などを抑え込むものだが、この世で最大の欲望はエロスである為、全ての欲望はエロスよりも下ということになリ、支配下に有るともいえる。
あらゆる欲望を支配するということは、言い換えれば最高の節制を持っているという事にもなる。
さらにエロスは、欲望だけではなく、勇気すらも支配下に置いている。 勇気の象徴とされるアレスは、アフロディーテに恋をして虜になるが、この恋という感情こそがエロスである為、勇気の象徴であるアレスはエロスの虜になったともいえる。
これにより、エロスは勇気も支配下に収めている事が分かる。

この様に、エロスは徳性の中の『正義』『節度』『勇気』を支配下においているが、残る知恵はどうなのかというと、知恵もエロスの支配下にある。

知恵の象徴ともいえる職業が詩人だが、これまで詩に興味がなかった者がいたとしても、エロスに触れて恋心を抱けば、意中の人に気持ちを伝えるために詩に興味を持ち、詩人となる。
自分にないものを他人に伝えることも教えることも出来ない為、何も持たない人間が詩人になれるということは、エロスに知恵があるともいえる。
エロスの知恵によって、何者でもなかったものが知恵を授かって詩人になることが出来る。

これは詩人に限らず、他の物事や職業についてもいえる。 彫刻家の様な芸術家であれ、医者であれ、全ての知恵や技術は、まず、最初に欲望というエロスが存在し、それに導かれる形で技術や知恵を発見したり発展させる。
エロスは全ての物事の先導者であり、教師である為、エロスに出会うことが出来た人間は傑出した著名な人間になることが出来るが、エロスに出会うことが出来なかったもの。 つまり、欲望を抱くことが出来ない人間が生み出したものは、夜に知れ渡る前に終わってしまう。
つまり、アポロンの様な弓矢や医術や占いに秀でたものも、ヘパイストスの様な鍛冶職人も、ゼウスのような統治者ですら、その技術を磨くという点においてはエロスの弟子のような存在であるため、全ての神(感情や技術を象徴する存在)はエロスの配下にあるといえる。

その『全ての上に立つエロス』は、当然のように美しいものを好む。
その為に、エロスが関わった知恵や技術は美しく、エロスが美しいものを求めるために、この世の中は美しくなろうとする。

(この様な内容を、韻を踏んで音楽のように演説をした。ラップ?)

ソクラテスの主張

ソクラテスはまず、このゲームの前提をもう一度考え直す。
このゲームのルールは、『エロスを賛美すること』なので、まず、やるべきことは、エロスについての真実を語った後に、出来るだけ美しいものを並べていけば良いと思っていた。
しかし、先程からの主張を聴いたところ、その考えは間違いだっただ。

このゲームでやるべき事は、知識を持っていない聞き手(知識のある人間には通用しない)に対して、内容が真実であれ、嘘であれ、より、もっともらしく聞こえるような話を出来た方が勝ちというルールだった。
話し手は、聞き手の印象に残るように、出来るだけ話を大きくし、飾り付け、聞き手の関心を引ければ、それで勝ちとなる。 話されている内容が真実か嘘かなどは、どうでも良かったと分析する。
その例として、アガトンの主張の問題点を指摘する。

ソクラテスは、まず最初に、アガトンの主張の良い点について触れて、称賛する。 その部分とは、他の参加者が行わなかった、称賛する対象となる『エロスそのものの本質』を見極めようとした点について。
この議論の始め方は、ソクラテスの考えと同じだった為、素晴らしい行為だと触れた上で、エロスの本質が正しく見抜けていない点について、苦言を呈する。

エロスというのは、その概念が抽象化されすぎていて、性欲であったり欲望であったり慈しみであったりと、カバーする範囲が広すぎるので、ソクラテスは、その広すぎる概念を限定させるところ方始める。
いきなりエロスに触れるのではなく、親や父親、兄といった概念から定義をする。 親というのは、そもそも何なのだろうか。
ソクラテスの一応の回答としては、親とは『子を持つもの』であり、親は全て、『何者かの親』で有るべき存在。兄も同じで、弟という存在なくして兄は存在しない。

では、エロスとは何なのだろうか。 エロスというものが独立して存在するのだろうか。 それとも、『何者かのエロス』なのだろうか。
エロスという神は人間の精神の一部分を神格化したものなので、その出生から考えると、人間なくしてエロスは存在しない事となる。 その為、エロスは『何者かのエロス』という事になる。

エロスの大本を辿ると、人間の感情に行き当たるわけだが、では、人間は、何かを所有している状態で、小揖しているものその物を追い求めることは有るのだろうか。
例えば、テレビを既に所有している人間が、それでも尚、テレビが欲しいという欲望によって突き動かされることは有るのだろうか。
こう考えてみると、人は何かを所有している時には、それを更に追い求めようとはしない。 もしする場合は、未来にわたって所有している状態を維持し続けたいという欲望であって、所有することで満たされている状態になれば、更に所有したいとは思わない。

この考え方を、エロスにも適用してみることにする。 アガトンの主張では、エロスは『美しいものを求めている』という事だったが、エロスが真に美しい存在であるのであれば、エロスは美を更に追い求めるようなことはしないだろう。
エロスが美を追求し、常に追い求めているというのであれば、エロスは醜い存在であるといえるのではないか。
アガトンは、この理論に納得して受け入れてしまうが、個人的にはどうかと思う。というのも、現在の社会を見れば、この理論はおかしいことに気がついてしまう。

(現状の社会では、金をより求めるのは金持ちで、金持ちは大量の金を受け取っても使用することなく、更に多くの金を求めて溜め込んでいる。 その一方で、それほど裕福ではない人間は、お金を手にすれば、それをすぐに使用してしまう。
ソクラテスの理屈では、金持ちは『既に金を持っているのだから、金を欲することはない』はずなのに、現状の社会では逆の減少が起こっている。)

この様な感じで、アガトンが主張するエロスの前提に対して批判した後に、ソクラテスは自身の主張を行っていくことになる。
ソクラテスの主張は、これまで繰り広げられていたゲームの様に、自分の主張をみんなに向けて語りかけるのではなく、一人ひとりの主張を吟味していくという方法で行われる。
また、ソクラテス自身は自分のことを無知者と主張している為、他人の意見に対して反論を言う場合は、自分の知恵を見せつけるというよりも、巫女であるディオティマの言葉を代弁する形で行う。

(つづく)
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プラトン著『饗宴』(2) 古代の人類

今回の投稿は前回の続きで、饗宴の内容をメモ代わりに書いていきます。
饗宴とは、プラトン著の対話篇のことです。



前回の投稿はこちら
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エリュクシマコスの主張

パウサニアスが主張した二種類のエロスを認めた上で、医者であるエリュクシマコスは、医学を絡めた形で二種類のエロスの解説を行う。
人間の体を2種類に分類すると、健康な部分と病気の部分に分けることが出来る。 この二種類は当然のように違った性質を持つが、それぞれが同じ様に『欲求(エロス)』をしてくる。
ここでいうエロスは、性的欲求というよりも、『水が欲しい』とか『食事を取りたくない』といった、体が体調を通して求めてくるものだという認識で良いと思う。

体の健康な部分と病気の部分は、それぞれが、体調を通して欲求を突きつけてくるが、耳を傾けるべきなのは健康な部分が欲求している部分だけで、それこそが『治療』と呼ばれるもの。
決して、病気の部分から生まれる欲求(エロス)に耳を傾けてはいけないし、言いなりになってもいけない。
つまり、医者にとって最も重要なことは、体が体調を通して訴えかけてくる欲求が、健康な部分から発せられているのか、それとも、病気の部分から発せられているのかを見極める事となる。それを、どれだけ間違いなく出来るかで、医者が優秀かどうかが決まる。

さらに優れた医師は、患者の体に働きかけて、欲求を別の方向に変えたり、取り除いたり。また、無いところに欲求を発生させたりする事が出来る。(食欲が無い状態を変化させて、食欲を出させるなど?)
体の中に存在する敵対する部分。例えば、温かいところと冷たいところ、硬い部分と柔らかい部分、乾いた部分と湿った部分など、正反対の性質を持つ部分にはたらきかけて、互いが互いを求め合うようにエロスを操作し、体内に調和をもたらす事が出来る。

これらの事は、医術に限定されず、運動や農業、音楽といった他分野のことについても当てはまるとし、ヘラクレイトス(万物流転の)の言葉を引用する。
『一なるものは、自分自身と合致していないのに、自分自身と調和している。ソレはまるで、弓や竪琴が生み出す調和のようなものだ。』

エリュクシマコスの解釈としては、竪琴が放つ高音や低音は正反対の性質を持っていて、一つに合致しているとは言えないが、その正反対の性質を持つ音を、技術によって調和させて和音を作ることは出来る。
技術が伴っていない状態で2つの音を合わせたとしても、それは不協和音にしかならないが、技術によって2つの音を一致させることができれば、そこに調和が生まれる。
これは、テンポの早い遅いも同じで、正反対のものを一致させることによって調和が生まれる。 これいよって生み出された調和にはエロスが宿っている為、当然、美しいものとなる。

しかし、この音楽に宿るエロスには、俗とか天といった二種類のエロスは存在していない。それが姿を表すのは、音楽が使われる現場においてである。
パウサニアスの主張では、例えば恋愛という現象そのものにはエロスは宿らず、その行為がどの様に行われたのかによって、二種類のエロスのどちらかが宿る。
この識別は難しく、専門家による知恵が必要となるが、先程の医術の例が応用できる。

医術の例では、健康な部分と病気の部分のそれぞれから発せられる欲求を見極めて、どちらの欲求を聴くかを判断する技術が必要だったが、音楽の場合は、音楽を使用するイベントの参加者そのものが、調和が取れているものと取れていないものの二つに分かれる。
例えば宴会が開かれて音楽を流した際に、耳を傾けるべきは調和の取れている人間の意見で、その人達の欲求を聞き入れることにより、調和が取れていなかった人たちも、徐々に調和が取れてくる。
ここで、調和が取れていない人間の欲求に耳を傾けて馬鹿騒ぎしてしまうと、音楽を流している場の調和は崩れてしまう。

医術や音楽に限らず、これは料理などでも同じで、料理の技術が生み出す食欲を適切に誘導せずに、食べる人間に任せっきりであれば、その人間が調和の取れていない人間であれば、料理を食べすぎて病気になってしまうということも有る。
しかし、調和の取れた人間がエロスの適切な誘導を行い、食べる量や物を調整すれば、体は健康になるし、食そのものがもたらす快楽も楽しむことが出来る。

二種類のエロスと調和の話は、人間が生み出した文化だけに限らない。
例えば、自然には四季の移り変わりというものが有るが、これも調和が取れていなければならない。 寒い時期と暖かい時期。そして、それらが混じり合う季節が調和の取れた形で巡っているから自然というものは成り立っている。
これが、ずっと寒い状態や、反対に熱い状態が続くと、調和は崩れて、生態系に大きな被害が出てしまう。 天体の動きや四季に関するエロスを研究する学問が、『天文学』と呼ばれている。

またこれは、神と人間との関係や、占いに関することに置いても同様。
あらゆる宗教的儀式は、神と人間がお互いの意思を伝え合う為の行為だが、その行為そのものが、エロスを誘導させて調和を取ろうとする行為にほかならない。
神の意にそぐわない行為を平然と行う事は、調和を欠く行為で、調和が取れていない人間が行うことなので、俗のエロスの行為と言える。

自分自身の欲求だけを満たす為に起こす行為は、調和が取れていない為に醜く、長続きするものではない。
占いとは、第三者的な視点に置いて、その人間が俗のエロスに取り憑かれてないかどうかを判断するもので、傲慢な人間に節制を正義を与え、正しく美しい行為に導いてくれるもの。
この、調和の取れた正しいエロスこそ、私達を幸福へと導いてくれるエロスで、これが有ってこそ、私達人間は互いにゆう愛の絆を結ぶことが出来る。

アリストファネスの主張

太古の昔、人間は今のような形をしておらず、手と足はそれぞれ4本あり、頭も2つ。 2人の人間が背中合わせ(実際には腹合わせ)に繋がっているような感じの容姿をしていて、早く走る場合には、それぞれ4本有る両手足を真っ直ぐに伸ばし、ウニが転がるような感じで移動していた。
この様な太鼓の人間には、3つの性別が有った。『男女』の性質を併せ持つ(アンドロギュヌス)ものと、『男と男』の性質を持つものと『女と女』の性質を持つもの。
3つの性別には起源があり、男性同士が繋がった者は太陽。女性同士が繋がったものは地球。そして、男女で繋がったものは月を起源として生まれてきた。
太鼓の人間が球体のような容姿で動き回るのは、彼らの生みの親である天体の姿を模倣していてのこと。

ここから分かるのは、古代ギリシャのこの時点で、地球が丸く回転していることが分かっていたということ。

太鼓の人間は力が強く、その力で持って神に挑戦しようとした。 この挑戦に対し、神は人間を滅ぼすことで対応することも出来たが、神々はそうはしなかった。
何故なら、神々は人間たちから信仰心という供物を受け取っていた為、人間を滅ぼしてしまうと、この供物ごと消えてしまう。
かましい人間を懲らしめたい気持ちと、彼らからの供物を失いたくない思いとに板挟みになったゼウスは、人間の力を弱めることで対処しようとする。

どの様にして力を弱めたのかというと、人間を真っ二つにした。 今現在の人間が背中同士で繋がっているような容姿をしていた人間は、ゼウスによって真っ二つにされ、今と同じ様な日本の手足の姿となった。
これによって力わ弱まったが、その一方で人工が倍になったので、神への供物である信仰心も倍になる。
この様な感じで、ゼウスはゆで卵を髪の毛を使って真っ二つに分断するように、人間の体を分断していった。(2500年前からゆで卵を切るのに糸を使っていた事が分かる。)

真っ二つに分断されたそれぞれの人間は、元の力を取り戻すために、互いに互いの半身を求め始めた。 これにより、男同士、女同士、男女のカップリングが誕生する。
しかし、一方の片割れが死んでしまうと、残された一人は、別の半身を探しにく。 この際、相手の性別を気にすることなく、手当たり次第に求めたために、人類は滅亡に向かっていった。

不憫に思ったゼウスは、人間の性器を反対方向に付け替えて、子孫を残す方法を変えた。 古代の人類の生殖方法は、地面に種を植え付けて育てるというものだったのを、性行為を通して子供を作るという、今の人間と同じ様な形に作り変えた。
このとき以来、人間には『互いに求め合う』という感情がエロスが生まれる事になる。 これは、人の本来の姿を回復させて、2つのものを一つにして人間の本来の姿を取り戻そうという感情。
ヒラメやカレイの様に、人間は1つのものが2つに分割した割符の様な存在なので、符合するもう一つの存在を探し続けている。(ちなみに、旧約聖書が信仰対象になっている地域では、ヒラメやカレイには十戒のモーゼが由来の名前がついている)

この様な期限で生まれた現在の人類だが、男と女が繋がっていたアンドロギュヌスは、浮気症で節操がない。
男同士、女同士で繋がっていたものは共に同性愛者だが、その中でも一番優れているのが、男同士で繋がっていた人たちとなる。何故なら、彼らはいつも、自分と同じ性質のものに喜びを感じるから。

元々は3つの性別で、そこから別れた人間たちは、常に片割れを探し彷徨い、もし半身を見つけることができれば、驚くほどの愛情と親密さを含んだ感情を感じ取ることになる。その感情がエロス。
出会った二人は決っして離れようとせず、生涯をともにするわけだが、この理由は、単純に性行為をしたいからというだけで求め合うわけではない。
では、何を求めて互いに求め合うのかというと、それを現代の人間が具体的に言うことは出来ない。 曖昧ではあるが、確かに存在する感情によって惹かれ合う。(イデア論の原型?)

その感情の大本は、人間の本来の姿である、半身と合体して2人が1人になること。 2つに分けられて力を失った人間は、本来の姿を取り戻そうとして半身を探し、半身を見つけた際にはそれを手放そうとはせず、1つになろうとする。
また人間は、自分たちを2つに分断した神々を恐れ、それと同時に、それを可能にした力を持つ存在を敬わなければならない。
神々を常に尊敬するという態度を絶やし、再び神に挑戦を使用などと思えば、神は再び人間の体を分断し、一本足、一本腕にされてしまうだろう。

もし、人間の幸福が、太古の人間性の回復であり、その為に必要になるのが己の半身である者との愛情を通じた結合であるなら、その行為こそが人々を幸福に導く行動であり、その行動の象徴として存在する神であるエロスは、称賛しなければならない。
エロスが、人々を幸福に導いてくれるのだから。

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プラトン著『饗宴』(1) ショタ愛の談義

今回は、備忘録といいますか…
読んだ本の内容と簡単な感想などを、メモ代わりに書き残していこうと思います。
読んだ本は、プラトン(著)・中澤 務(訳)の『饗宴 (光文社古典新訳文庫)』です。

こういった哲学書では、光文社古典新訳文庫岩波書店が有名でたくさん出てたりするのですが、個人的に読みやすいと思っているのは、こちらの『光文社古典新訳文庫』から出ているものです。
岩波書店がら出ているものは、時代がかった書き方や、哲学書以外で何処で使うのか意味不明の言い回しなどが頻繁に出てきて、2~3P読むだけで眠くなるのに対し、こちらの訳は現代の言葉に近く、比較的理解しやすい上に、後半部分では解説がついていたりするので、私のような哲学初心者にはこちらの本の方が読みやすかったりします。

簡単な内容

この対話篇は、アポロドロスがアリストデモスから聴いたエピソードを、別の人に伝えるという感じで始まる。
アリストデモスは、映画300のテーマになったテルモピュライの戦いにも参加していたが、病気になって戦場を離れたことで生き残り、その後、ソクラテスの弟子となった人物。

エピソードの内容としては、悲劇詩人のアガトンが作品を認められてコンテストで優勝したので、饗宴を開く事にして、参加者を募る。その中の一人がソクラテス
ソクラテスが饗宴に行く準備をしていると、アリストデモスが偶然にもソクラテスの元を訪れたので、『アリストデモスも一緒に行こう!』と、招待状をもらっても居ないアリストデモスを強引に誘う形で、饗宴に参加するところから始まります。

この当時の宴会は、お酒を呑んで『ウェーィ!』って言ってるだけでは駄目で、知的な遊びが行われていたようで、今回の舞台となる饗宴では、エロスを賛美する演説を順番に行っていって、一番関心を得られた人が優勝という感じの催しが行われ、その演説が対話篇の主な内容になっている。
エロスを称え合う話から始まり、エロスとは何かという話になっていく。ここで言うエロスは性的なものを含む感情のことですが、基本的には、成人男性がショタに対して注ぐ愛情を指している。

パイドロスの主張

この世界は、まずカオスが生まれ、その次に母なる大地であるガイアが生まれ、エロスはその次に生まれた。つまり、神として最初に生まれたのがエロスであり、最も尊い存在であるという出だしで始まる。
何故、『一番最初に生まれた』という順序が重要なのかというと、古代人は、人間にとって重要な役割を持つものだと思うものから順番に、神として具現化していったのではないかという考えからかもしれない。
まず、何かを生み出す混沌がなければ、この宇宙は生まれず、大地がなければ人間どころか動物が生まれることもなかった。 しかし、その次に来るのがエロス(愛)というのは、生物にとって一番重要なものがエロスだと考えたからだという主張でしょう。

では何故、エロスが一番重要なのかというと、人生に対して目的を与えてくれるものは、常にエロスだから。
人間は目的がなければ進むべき方向がわからず、進むべき方向がわからなければ、一歩を踏み出す方向も分からない。 しかし、エロスはその方向を指し示してくれる為、人間が人生を歩む事において一番重要な存在。

例えば、自分の臆病が原因でミスをして恥をかくという経験をする場合、その現場を見られた際に一番恥ずかしいのは、父親でも上司でもなく、恋人に目撃された時。
(…これは、DQNが女性の前で恥をかかされた際に、烈火のごとく怒り出すのを考えてみると分かりやすいかもしれない。)
逆にいえば、男同士の同性愛者の恋人同士を集めて軍隊を作れば、互いに『恥をかきたくない』『格好良いところを見せたい』という意識が働き、最強の軍隊が作れる可能性も有る。
どれほどの臆病者であったとしても、そこにエロスが宿れば、恋人を見捨てて自分だけ逃げるなんてことはしないのだから。

また、自分の命を捨ててでも救いたいと思えるのは、愛する人の為だけで、命をかけて愛する人の為に行動を起こすのは、神々ですら感動する。
古代ギリシャでは知らない人はいないとされる程に有名なギリシャ悲劇の主人公、アルケスティスは、死期が迫った夫に対してアポロンが『身代わりを差し出せば命を助ける』というアポロンの条件をのみ、自らの命を捧げるが、その行為に心を打たれたヘラクレスが彼女を救い出すという話が有る。

一方で、同じ神話の話であっても、エロスに対して対価を払わないものは神々から軽蔑されてしまう。 例えば、オルフェウスの物語。 美しい容姿をもった吟遊詩人のオルフェウスは最愛の妻を失ってしまうが、その現実を受け入れることが出来ずに、ハデスに頼み込んで行きたまま冥府に入り、妻を現世に連れ返そうとする。
その際に、ハデスから『決して後ろを振り返るな』という条件を出されたが、オルフェウスはそれを守り通すことが出来ず、出口直前で振り返ってしまい、妻は再び冥府に連れ戻される。
妻を再び失ったオルフェウスは打ちのめされて放心状態になっていると、そこへ、オルフェウスの美貌に惹かれた女たちがよってきて誘惑する。しかし、その誘いに乗らなかったオルフェウスは、彼女たちによって八つ裂きにされてしまうという話。

同じ様な愛する人を救おうとする話だが、オルフェイスは、自身の身を危険に晒すことなく救おうと考えた。この行為に神々は気分を害し、オルフェイスに対して罪を与える。
神々が称賛するのは、単純に愛の為に起こす行動ではなく、自身の命を顧みず、『勇気を出して』行動をする者。
また神々は、愛する者がその対象に起こす行動よりも、愛される者が愛する者に対して行う行動を、より重視する。

例えば、トロイア戦争の出来事でいうと、アキレウスパトロクロスの関係では、アキレウスの方が、まだ髭も生えていないほどに若く、誰よりも美しい少年で、そのアキレウスパトロクロスが愛していた。
しかし、パトロクロスはトロイのヘクトルによって殺されてしまう。 この事を、予め知っていたアキレウスの母親は、『ヘクトルを殺しに行けば、お前(アキレウス)も死ぬことになってしまう』と忠告していたが、アキレウスはこの忠告を無視し、敵討ちを実行する。
結果としてアキレウスは死ぬことになるが、神々は『愛される者が愛する者の為に、命をかけて行動する』という事実に驚嘆し、敵討ちに行くアキレウスに対して神がかり的な力を授けている。
実際、愛する者の為に戦う者は、神の如き力を発揮し、神に近い存在となる。 そして、亡くなったその者を特別視し、祝福された地へと送り出している。

まとめると、エロスは神々の中で最も古く、それ故に尊い存在。
人間が、幸福を手に入れようと勇気を振り絞って行動するとき、その者が生きている間であれ、死んだ後であれ、エロスはその者を祝福する。

『パウサニアスの主張』

エロスに対して議論するのであれば、まずは、前提をしっかりと定義しなければならない。というのも、エロスは一人ではなく、二人いるからだ。
ギリシャ神話の美の化身であるアフロディーテとエロスは同じものだが、そのアフロディーテが二人存在する為、エロスも二人存在することになる。
二人のエロスは性質が同じではなく違うものなので、賛美すべきなのはどちらのエロスであるのかを、最初にハッキリと定義しなければならない。

第一のエロスは、パイドロスが称賛した、天の神ウラノスから生まれた天のアフロディーテ
そして第二のエロスは、ゼウスとディオネの間に生まれた娘で、俗のアフロディーテで、称賛されるべきは天のアフロディーテ(エロス)である。

エロス・愛に限らず、行いそのものが美しいとか醜いといった事は無い。 ここで行われている酒宴も、飲む事や行う事や議論する事そのものに美しいとか醜いといったことはなく、重要なのは行い方。
行為が正しく行われるのであれば美しいものとなリ、不正に行われれば醜いものとなる。エロスについても同様で、エロスに関する行為そものもが美しいわけではなく、行い方が重要となってくる。

では、称賛するに値しない俗のアフロディーテとはどういうものなのか。
俗のアフロディーテと共にあるエロスに魅入られた人が起こす行動は、第一に、ショタだけでなく女性まで愛してしまう。
第二に、彼らが愛するのはその人に精神や人間性といった『心』よりも、体を愛す。 そして最後に、彼らは出来るだけ愚かな人間を愛してしまう。

つまりは、『肉欲』に支配された人間ともいえる。 何故、俗のエロスがこの様な性質を持つのかというと、ゼウスという男性神とディオネという女性神の間に生まれた子なので、男性と女性の両方の性質を持って生まれてしまった。
その一方で天のエロスは、ウラノスという男性神一人から産み落とされた為、男性の性質しか持っていない。 また、最古の神で年長である為に性格も丸い為、自分より劣るものをそばに置いてプライドを満足させるということもしない。
この様な神に魅入られた人間は、優れた男性に興味を惹かれる。

もう少し具体的に書くと、人を愛し、その愛を宣言して相手を射止めようという行為そのものは、周りからも祝福される行為となる。この点に置いて、エロスが誘発させた行為は正当なものだと、周りの人間も思っている。
その為、愛する人の前に跪いたり媚びを売るような、奴隷のような振る舞いをしたとしても、周りの人間は応援してくれる。
しかし、それと同じ様な態度で、富や権力を手に入れる目的で、権力者や資産家に媚びへつらう人間を観た際に、周りの人間はどの様に思うのだろうか。 その人物を、軽蔑するのではないだろうか。

この様に、一見すると同じ様な行動を取っていたとしても、求める対象が変わるだけで、人々の反応は180度変わったものとなってしまう。

これは、エロスに触発された行動も同じで、単に相手の体や容姿のみを求めたり、相手に分別がないことを利用して手篭めにしようとする人間は、軽蔑されてしまう。
この様な人間のターゲットにされたショタの親も、追い求めてくる人間を軽蔑し、相手に賞賛を送ったりなどしない。
しかし、相手に求めるものが知性であったり徳性であれば、その行為は美しいものとなリ正当化される。 

両者の違いは、容姿や体が変化する一時的なものに対し、知性や徳性は永続的なものであるから。
一時的なものを愛する人間が抱く愛情は、俗のエロスに支配された愛情である為、その者が少年を手に入れて欲望を果たした場合、その者は少年を捨てて次のターゲットを探す。
一方で、知性や徳を備えた人間が少年を求め、その少年が知性や徳といった永続的なものを求めて体を許した場合、その関係は永続的に続くことになリ、行為は美しいものとされて正当化される。

しかし、少年が年長者の持つ金や権力に目がくらんで体を許した場合、この行為は美しくないとされ、軽蔑の対象となる。 仮に年長者が、『実は金も権力も持っておらず』少年の体で欲望を満たす為に少年を騙していたとしても、その少年は同情されることはない。
逆に、少年が年長者に知恵や徳を見出し、それを手に入れる為に体を許したが、それが見込み違いで、年長者は知恵を持っていなかったとしても、その少年は軽蔑されることはない。 少年は永続的なものを求めて取った行動なので、その行為は正当化される。

(つづく)
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