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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第41回 イオニア自然学 (2) 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com


『万物流転』 存在するとはどういうことなのか

ピタゴラスの様な宗教家ではなく、現代でいうところの哲学的な考えをする人もいました。
ヘラクレイトスという人物なのですが、この人物は、万物流転という考え方を生み出したことでも有名な人物です。この放送でも、過去に一度、万物流転の話はしましたよね。

結構前なので、忘れてしまっている人のために、もう一度 簡単に説明してみましょう。
この世にある様々な理論を応用して発展していく為には、いろんな推測を行っていくことが重要になってきます。
例えば、A=Bで、B=Cである時は、A=Cになります。 これは、三段論法の説明などで、結構出てくる例ですよね。 
その他の例でいうと、ソクラテスは人間だ。 そして人間は死ぬ。 故に、ソクラテスは死ぬという例も有名ですよね。

この三段論法は説得力がありますし、これを利用して一つの考えに至った本人はもちろん、対話していた場合は聴いている人物も、この手法を使って語られたことには納得してしまいがちです。
しかし、本当に、これは正しいのだろうかと考えたのが、ヘラクレイトスのようです。

ヘラクレイトスが考えたのは、そもそも、AとB、そして、BとCは同じものなのかということです。
そもそも、全く同じものであるのならば、AとBを区別しなくても良いですよね。何らかの違いが有るからこそ、AとBは違うものと定義されているわけですよね。
更に、もっとミクロ的な考え方をするのであれば、確固たる『A』というものが、この世に存在するのかという事です。

この考え方が、万物流転で、『同じ川に二度と足をつけることは出来ない』という説明が有名だったりします。
その理由としては、『川』というのをミクロレベルまで細かく見た場合、その川を構成しているものは、常に変化し続けている為に、時間を置いて足をつけた場合は、全く別物になってしまっているからです。

もう少し具体的に考えてみましょう。
まず、川を構成しているものを考えていきます。川なので、当然、流れる『水』がないと成り立ちません。 ただ漠然と水がある状態を川とは呼ばないので、水の流れや川の幅といった境界線も必要でしょう。
この他にも、魚や、そこに生息している虫など、様々なものが要素としてありますが… それらが無くても『川』は成立するので、単純に考えて、とりあえず、流れる水と川幅を川の要素としてみましょう。

この、流れる水と川幅ですが、日によって、さらにいえば、その瞬間その瞬間によって、常に変化し続けていますよね。
水は川上から川下に流れているわけですから、最初に足をつけた時の水と、時間を置いてから足をつけに行った時の水とは別のものですよね。
川幅も、雨が降る量や太陽の照り方によって、水量そのものが変わるわけですから、変化していきますよね。

この様に、物事を細かくみていくと、そもそも同じものというのが存在しないことが分かってきます。
これは、人間でも同じです。 人間も、日々の食事によって、動くための栄養素や新陳代謝の為の材料を補給していて、それを元に古い細胞を捨てて新しい細胞に入れ替えています。
これによって、タンパク質部分は数ヶ月で、骨も2年ほどで新しいものへと入れ替わっていきますし、物質的なものだけではなく記憶も同じ様に入れ替わっていきます。
古くて不必要な情報はドンドン忘れていきますし、その一方で、日々、新しい情報が五感を通して入ってきますよね。

この様に考えていくと、Aという現在の人物と、2年後、もしくは2年前のAという人物は、厳密には同じ人物とは言えないですよね。
これと似たような考え方は、仏教の開祖とされているゴータマ・シッダールタも主張していたりしていました。
詳しくは、第15回~19回を聴いてもらいたいのですが、ブッダの考えとしては、物体とか存在というものは、その瞬間、特定の時間を切り取った部分に名前をつけているだけで、存在そのものは無というような主張をしています。

古代ギリシャに生まれた原子論

この様な感じで、神々を用いずに自然界で起こりうる現象だけで物事の根本を説明しようとし、最終的には、原子論にまで到達します。
原子とは最小単位の事で、物事を際限なく分解していくと、最終的には最小単位である原子にまで到達してしまうという理論です。
この原子論の主張の中心部分で、最も重要なことは、『それ以上に分解できない単位が存在する』という考えのようですね。

今では、この考えをすんなりと受け入れる事が出来る人も多いかもしれませんね。
ただ、この当時は、アナクサゴラスによって『物事は無限に分解が可能だ』という主張がされていたので、それに対する反論として生まれたようですね。
また、この原子論は、幅広く浸透したのかというと、そうでもなく、この後2000年ぐらいは忘れ去られてしまう理論になってしまいます。

これは、私自身も含めて、科学などの理系の知識をあまり持っていない方は、意外な事に思われるかもしれませんね。
というのも、義務教育で習った範囲だと、物体には最小単位がありそうですし、逆に、無限に分割できるという方が、想像し辛かったりしますよね。
ですが、この原子論は、様々な方面から批判を受ける事になりますし、16世紀に入って元素的な物が有ると分かってからも、多くの批判や反論を受けることになります。

そして、再び西洋科学の現場で脚光を浴びる頃には、原子よりも小さな電子が発見されたり、原子そのものも分解が可能であったりと、『物体の最小単位』という定義からは遠のいていくことになります。
また、発見された電子を調べてみると、単純な粒子ではなく確率的な波であったりと、最小単位が存在するとは断言出来ない状態になっていたりするようです。
今現在は、原子という最小単位とされていたものよりも小さな物が見つかっているので、この分野の研究は『量子力学』として研究が続けられていたりもするんですけれどもね。

イオニアの外では受け入れられない自然学

話が逸れてしまったので、もう一度、古代ギリシャに話を戻しますと、この様な感じで、神々に頼らない理論というのが生まれていって発展していくのですが、これがギリシャ全土に広がったのかというと、そうでもなかったりします。
紀元前500年とかの話なので、単純に移動が難しかったからとか、そういった話ではなくて、この様な自然学を受け入れる土壌がなかったようなんですよ。
先程も名前を出した、物質は無限に分割できると主張したアナクサゴラスですが、イオニアの地を離れて、アテナイに移り住みます。

アテナイとは、ギリシャの首都アテネの昔の名称なんですが、その地に移り住んで研究を続けて居たところ、自身の『太陽は灼熱する岩だ』という主張が、太陽神アポロンを侮辱しているとして、裁判にかけられます。
その結果として、国外追放を受けたりもしています。
イオニアという、地域全体が進んだところでは問題視されたかった理論も、神話や、その信仰を基礎として成立している地域では、受け入れられることはなかったんでしょうね。

ただ、完全に拒絶されたのかというとそうでもなく、アナクサゴラスの理論を書き写した本はアテナイでも気軽に購入できたようですし、アナクサゴラスの他にも、アルケラオスという人物が、アテナイに移り住んで自然学を広めたようです。
この人物は、今でいう物理学的なことだけではなく、『法律や美・正義』などの倫理学の分野も研究対象に加えていた為、この後に取り扱う『ソクラテス』の師匠的な存在ともいわれていたりします。

という事で、簡単な説明になってしまいましたが、ソクラテス以前の哲学者の紹介を終わろうと思います。
今回、簡単な説明に終始してしまった原因としては、資料があまり残されていないからなのですが、次回は、何故、資料が残っていないのかについて、簡単に話していこうと思います。