だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第41回 イオニア自然学 (2) 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

『万物流転』 存在するとはどういうことなのか

ピタゴラスの様な宗教家ではなく、現代でいうところの哲学的な考えをする人もいました。
ヘラクレイトスという人物なのですが、この人物は、万物流転という考え方を生み出したことでも有名な人物です。この放送でも、過去に一度、万物流転の話はしましたよね。

結構前なので、忘れてしまっている人のために、もう一度 簡単に説明してみましょう。
この世にある様々な理論を応用して発展していく為には、いろんな推測を行っていくことが重要になってきます。
例えば、A=Bで、B=Cである時は、A=Cになります。 これは、三段論法の説明などで、結構出てくる例ですよね。 
その他の例でいうと、ソクラテスは人間だ。 そして人間は死ぬ。 故に、ソクラテスは死ぬという例も有名ですよね。

この三段論法は説得力がありますし、これを利用して一つの考えに至った本人はもちろん、対話していた場合は聴いている人物も、この手法を使って語られたことには納得してしまいがちです。
しかし、本当に、これは正しいのだろうかと考えたのが、ヘラクレイトスのようです。

ヘラクレイトスが考えたのは、そもそも、AとB、そして、BとCは同じものなのかということです。
そもそも、全く同じものであるのならば、AとBを区別しなくても良いですよね。何らかの違いが有るからこそ、AとBは違うものと定義されているわけですよね。
更に、もっとミクロ的な考え方をするのであれば、確固たる『A』というものが、この世に存在するのかという事です。

この考え方が、万物流転で、『同じ川に二度と足をつけることは出来ない』という説明が有名だったりします。
その理由としては、『川』というのをミクロレベルまで細かく見た場合、その川を構成しているものは、常に変化し続けている為に、時間を置いて足をつけた場合は、全く別物になってしまっているからです。

もう少し具体的に考えてみましょう。
まず、川を構成しているものを考えていきます。川なので、当然、流れる『水』がないと成り立ちません。 ただ漠然と水がある状態を川とは呼ばないので、水の流れや川の幅といった境界線も必要でしょう。
この他にも、魚や、そこに生息している虫など、様々なものが要素としてありますが… それらが無くても『川』は成立するので、単純に考えて、とりあえず、流れる水と川幅を川の要素としてみましょう。

この、流れる水と川幅ですが、日によって、さらにいえば、その瞬間その瞬間によって、常に変化し続けていますよね。
水は川上から川下に流れているわけですから、最初に足をつけた時の水と、時間を置いてから足をつけに行った時の水とは別のものですよね。
川幅も、雨が降る量や太陽の照り方によって、水量そのものが変わるわけですから、変化していきますよね。

この様に、物事を細かくみていくと、そもそも同じものというのが存在しないことが分かってきます。
これは、人間でも同じです。 人間も、日々の食事によって、動くための栄養素や新陳代謝の為の材料を補給していて、それを元に古い細胞を捨てて新しい細胞に入れ替えています。
これによって、タンパク質部分は数ヶ月で、骨も2年ほどで新しいものへと入れ替わっていきますし、物質的なものだけではなく記憶も同じ様に入れ替わっていきます。
古くて不必要な情報はドンドン忘れていきますし、その一方で、日々、新しい情報が五感を通して入ってきますよね。

この様に考えていくと、Aという現在の人物と、2年後、もしくは2年前のAという人物は、厳密には同じ人物とは言えないですよね。
これと似たような考え方は、仏教の開祖とされているゴータマ・シッダールタも主張していたりしていました。
詳しくは、第15回~19回を聴いてもらいたいのですが、ブッダの考えとしては、物体とか存在というものは、その瞬間、特定の時間を切り取った部分に名前をつけているだけで、存在そのものは無というような主張をしています。

古代ギリシャに生まれた原子論

この様な感じで、神々を用いずに自然界で起こりうる現象だけで物事の根本を説明しようとし、最終的には、原子論にまで到達します。
原子とは最小単位の事で、物事を際限なく分解していくと、最終的には最小単位である原子にまで到達してしまうという理論です。
この原子論の主張の中心部分で、最も重要なことは、『それ以上に分解できない単位が存在する』という考えのようですね。

今では、この考えをすんなりと受け入れる事が出来る人も多いかもしれませんね。
ただ、この当時は、アナクサゴラスによって『物事は無限に分解が可能だ』という主張がされていたので、それに対する反論として生まれたようですね。
また、この原子論は、幅広く浸透したのかというと、そうでもなく、この後2000年ぐらいは忘れ去られてしまう理論になってしまいます。

これは、私自身も含めて、科学などの理系の知識をあまり持っていない方は、意外な事に思われるかもしれませんね。
というのも、義務教育で習った範囲だと、物体には最小単位がありそうですし、逆に、無限に分割できるという方が、想像し辛かったりしますよね。
ですが、この原子論は、様々な方面から批判を受ける事になりますし、16世紀に入って元素的な物が有ると分かってからも、多くの批判や反論を受けることになります。

そして、再び西洋科学の現場で脚光を浴びる頃には、原子よりも小さな電子が発見されたり、原子そのものも分解が可能であったりと、『物体の最小単位』という定義からは遠のいていくことになります。
また、発見された電子を調べてみると、単純な粒子ではなく確率的な波であったりと、最小単位が存在するとは断言出来ない状態になっていたりするようです。
今現在は、原子という最小単位とされていたものよりも小さな物が見つかっているので、この分野の研究は『量子力学』として研究が続けられていたりもするんですけれどもね。

イオニアの外では受け入れられない自然学

話が逸れてしまったので、もう一度、古代ギリシャに話を戻しますと、この様な感じで、神々に頼らない理論というのが生まれていって発展していくのですが、これがギリシャ全土に広がったのかというと、そうでもなかったりします。
紀元前500年とかの話なので、単純に移動が難しかったからとか、そういった話ではなくて、この様な自然学を受け入れる土壌がなかったようなんですよ。
先程も名前を出した、物質は無限に分割できると主張したアナクサゴラスですが、イオニアの地を離れて、アテナイに移り住みます。

アテナイとは、ギリシャの首都アテネの昔の名称なんですが、その地に移り住んで研究を続けて居たところ、自身の『太陽は灼熱する岩だ』という主張が、太陽神アポロンを侮辱しているとして、裁判にかけられます。
その結果として、国外追放を受けたりもしています。
イオニアという、地域全体が進んだところでは問題視されたかった理論も、神話や、その信仰を基礎として成立している地域では、受け入れられることはなかったんでしょうね。

ただ、完全に拒絶されたのかというとそうでもなく、アナクサゴラスの理論を書き写した本はアテナイでも気軽に購入できたようですし、アナクサゴラスの他にも、アルケラオスという人物が、アテナイに移り住んで自然学を広めたようです。
この人物は、今でいう物理学的なことだけではなく、『法律や美・正義』などの倫理学の分野も研究対象に加えていた為、この後に取り扱う『ソクラテス』の師匠的な存在ともいわれていたりします。

という事で、簡単な説明になってしまいましたが、ソクラテス以前の哲学者の紹介を終わろうと思います。
今回、簡単な説明に終始してしまった原因としては、資料があまり残されていないからなのですが、次回は、何故、資料が残っていないのかについて、簡単に話していこうと思います。

あの日観た映画のタイトルを僕はまだ知らない

私には、大したことではないのですが、数年前からずっと気になり続けていた事があります。
それは、数年前に偶然見た映画のタイトルが分からないという事です。

今でこそ、私はテレビ等は余り観ずにNetflixなどで動画を観ているのですが、数年前には、その様なサービスもなく、TV番組をレコーダーで録画してみるという生活を行っていました。
その中でも、バラエティ番組やニュース番組など、数年にわたって放映し続けているものに関しては、番組を指定してというよりも、『月~金曜日の23時~24時』といった感じで録画設定していました。
その為、正月など番組のスケジュールが変わる時には、よくわからない番組や映画が録画されていたりするんです。

その際に、偶然録画されていた映画が有ったのですが… その内容が、結構強烈。
しかし、録画設定を1時間にしていた為、当然のように、映画の終了までは取れていない状態。 先の展開が気になって、ずっとモヤモヤしている状態なので、今回は、『この映画を知っている方に、タイトルを教えてもらいたい!』という思いを込めて、その映画の内容を書いていきます。
全体を通して観たわけではなく、1部分しか観ていませんので、それだけをヒントにして、映画のタイトルを教えてもらえれば幸いです。

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映画のあらすじの一部分

先程も書きましたが、映画の一部分しか観ていませんので、覚えている範囲のことしか掛けません。 また、観たのが数年前の為、勘違いや、脳内で映像が再編成されて違った感じになっている可能性もあります。
その辺りも踏まえた上で、読んで頂けると幸いです。

冒頭部分で、砂漠の中を1台の車が走り抜けていく。
砂漠は地面が平らではないためか、車は上下に揺れながら走り抜けていきますが、その最中に、荷物を1つだけ落としてしまうが、ドライバーは落としたことに気が付かず、そのまま走り抜けていく。
カメラが落とした荷物にフォーカスしていくと、落ちていたソレは、中指を立てた女性の、手首から先。

キレイに手入れされた爪を観ると、ひと目で女性のものと分かる手首は、偶然そうなったというよりも、意図的に、力強くファッ○サインを作った直後に切断されたんだろうなということが分かる程に、しっかりと中指が立てられている。

自動車が走り去った直後、その反対方向から、地面を這うように歩いてくる老婆。
地面に手をついて這って歩いているのは、足が悪いからというよりも、目が悪いからで、普通に歩くと転んでしまうので、障害物がないかを手探りで確認しながら、歩いているという感じ。

その老婆が、偶然にも、そのファッ○サインをした女性の手首に触れた瞬間、今まで真っ暗闇の中で生きてきた老婆の目に光が戻る。
老婆は奇跡が起きたと思い、自身の目に光を取り戻してくれた手首を大事に抱え、自分が住む街まで戻る。

老婆は、自分の身に起きたことを村人にそのまま伝えますが、住民は簡単には信じません。
しかし、長年、老婆の主治医をしていた医者が、理由はわからないが、老婆の視力が確かに戻っていることを確認。
それを横で聴いていた他の患者が『女性のファッ○サイン』に触ると、またまた、怪我が治ってしまう。

街では、その手首がちょっとした騒ぎになる。 それを聞きつけた、事故か何かで下半身を失って上半身だけになってしまったオジサンが、下半身の部分にソリのようなものを付けて、手だけで移動して手首のものにやってくる。
『これを触ると、体が治るって本当か?』と、冗談半分で触ってみると… オジサンの下半身が有った場所がむず痒くなってくる。っと思った次の瞬間、あれよあれよという間に下半身が生えてくる。

わかり易すぎる奇跡を目にした村人たちは、狂喜乱舞し、祭りを開催。
ファッ○サインの手首を、『神の手』として教会に祀り、『神様って、女の人だったんだね。』『見て!この手!!まっすぐに天を指しておられる!』って感じで盛り上がる。

その祭りを、苦々しい表情で眺める、一人の老人。
街が盛り上がる中で、彼が何故、そんな表情で祭りを眺めているのかというと、その『手』が神のものではなく、彼の妻のものだから。

彼の妻は若く美しい女性だったが、性格は最悪。 街にいる警官と浮気をし、旦那が気がついていることを承知の上で、性的な関係などを隠すことなく行っていた。
浮気相手の警官も、人妻である彼女との関係を悪びれることなく、何なら旦那の方を罵り、『いつ別れるんだ?』『なんで、お前みたいな人間が、あの女をモノにできたんだ?』と挑発してくる。
しかし、体力的にも体格的にも勝てそうにない為、旦那は景観に対しては何もいえず、妻に対して文句をいう。しかし妻は、悪びれるどころか、不甲斐ない旦那を罵り、逆に挑発。ファッ○サインをキメたところで、キレた旦那に殺される。

殺した後で少し冷静になった旦那は、妻の体をバラバラにした上で、車で遠くに捨てに行くことで証拠隠滅をはかる。
この旦那の行動が、物語の冒頭部分につながる。 旦那はバラバラにした妻の遺体を輸送中に、あやまってパーツの1個を落としてしまい、それを老婆が拾ったことで奇跡が起こることになる。

証拠隠滅をして完全犯罪にしたい旦那は、なんとかして、妻の手首を取り返したいが、肝心の妻の手首は、奇跡を生む聖なる存在として、教会に厳重に祀られている。
そうこうしている間に、妻の浮気相手である警官が、不倫相手である女性が村に居ない事に気が付き、不審に思て旦那の方に居場所を聞きに来る。

旦那は、なんとか誤魔化すが、微妙に納得をしていない様子の警官。。 独自で捜査を始める素振りを見せる警官に、危機感を覚える旦那…


って感じのところまで見たところで、録画が切れてしまいました。

内容その物を勘違いして覚えている可能性もありますが、大体の内容は、こんな感じだったと思います
その他の情報としては、数年前の正月の深夜に、テレビ東京で放映されていたというだけです。

もしタイトルが分かる方がいらっしゃれば、ブックマークコメントでお知らせいただければ幸いです。

とある魔術の禁書目録Ⅲを観る前に知っておきたいこと (後編)

前回の投稿で、基本的な部分は書きましたので、今回は、ストーリーや人物、勢力などについて書いていきます。


前回の投稿はこちらから
kimniy8.hatenablog.com

イマジンブレイカー

前回の投稿でも書きましたが、復習も兼ねてもう一度、物語の起点となる部分を振り返ってみると、不幸体質の上条当麻が、自身のベランダで行き倒れになっているインデックスを発見するところから始まります。
インデックスは、魔術師に追われていると上条当麻に告げますが、魔術の存在をいまいち信じていない為に、彼女の危機的状況を理解できていなかった上条は、その後、彼女と別れて学校に行ってしまう。
そして学校から帰ると、魔術師に襲われて血まみれで倒れているインデックスを発見する。 直後、成り行きから、インデックスを捕獲するために動いていた魔術師ステイル=マグヌスと交戦する事になる。

ステイル=マグヌスの圧倒的な魔術によって一時は窮地に立たされるが、機転を利かせて何とか逆転し、インデックスを助ける為に、上条の学校の担任教師、月詠小萌の元へ行く。彼女のもとへ駆けつけた理由は、彼女が超能力を持たない一般人だから。
一般人の彼女の力を借りて、インデックスが誘導する形で治療系の魔術を発動させて、インデックスは何とか一命を取り留める。
その後、上条は、ステイル=マグヌスと行動をともにしていた神裂火織と対面。 彼女とステイルが、インデックスと同じ必要悪の教会(ネセサリウス)の所属だということを聞かされ、インデックスが絶対記憶を持つ事と、1年に一回、インデックスの記憶を消去しないと、脳がパンクしてインデックスが死んでしまう事を知らされる。
その理由に納得しきれない上条は、他の方法を模索するように神裂に進言するが、聞き入れてもらえずに戦闘になる。 神裂の圧倒的な戦闘力に、上条は手も足も出せない。

この時点で上条当麻は、学園都市で第3位でレベル5の御坂美琴は手玉に取れるのに、ネセサリウスの魔術師2人には苦戦したり圧倒されたりしているので、魔術サイドの方が強力な力を持っているように感じるかもしれないが、上条がこの時に対峙した2人の魔術師は、この物語で最強クラスの魔術師。
特に神裂は、魔術師というだけでなく、世界に十数人しか居ないとされている聖人認定された人物で、ほぼ最強クラスだったりするので、仕方がないのかもしれない。
ちなみ必要悪の教会(ネセサリウス)とは、魔術が違法で魔女狩りをしていた時代に、敵の戦力を知るために、教会側で魔術研究をする為に作った部署。

話を戻すと、上条は神裂に説得される形で、インデックスの命を救うために、一度は記憶の消去を了承する事になるが、神裂の説明の『絶対記憶によって、1年間の記憶で脳の容量の15%を使ってしまう』という部分に疑問を持ち、他の理由である『教会側の都合』の方を疑い、インデックスに対してイマジンブレイカーを発動。
その瞬間に、インデックスに掛けられていた魔術が崩壊する。 上条の読み通り、インデックスは教会側が仕掛けた一種の呪いによって脳が圧迫されていただけで、記憶云々の話は関係がなかったことがわかる。
しかし、それと同時にインデックスに仕掛けられていた攻性防壁が発動。 聖ジョージの聖域を展開し、この物語上で最強クラスの魔術、ドラゴンブレスで上条を迎撃する。

インデックスが放つ圧倒的魔術に、『インデックスは魔法が使えない』と教えられていたネセサリウスの魔術師たちもショックを受け、それと同時に、教会側に騙されていたことを悟る。
その後は、上条と協力する形でインデックスを制圧する。 この際、インデックスが放ったドラゴンブレスが、偶然にもインデックスの遥か上空にあった人工衛星『おりひめ1号』に直撃して破壊されることになる。この衛星には、樹形図(ツリーダイアグラム)と呼ばれるスーパーコンピュータが積まれていた。
このコンピューターの計算は絶対で、演算結果は予測ではなく予言とまで言われている程の性能を誇る。
話を上条に戻すと、上条当麻はドラゴンブレスの余波によって記憶喪失になるが、それを悟られないように生きていくことになる。

事件解決後、上条は病院に入院。 担当医はカエルのような顔をした医者だが、この医者は別名『冥土返し(ヘブンキャンセラー)』と呼ばれている、かなり重要なキャラクターだったりする。
超能力者なのか超絶技巧の持ち主なのかはわからないが、生存している状態で病院に運び込まれた患者を確実に治療する能力を持っている。

この事件によってネセサリウスの魔術師2人は、上条当麻に大きな借りを作ることになる。

吸血殺し(ディープブラッド)

この事件が一件落着した後、一時は上条と戦った魔術師のステイル=マグヌスと、学園都市の最高権力者であり学園都市統括理事長であるアレイスター・クロウリーとが話し合っている。
要件は、学園都市内でディープブラッドという吸血鬼をおびき寄せて殺す存在を、魔術師が利用して何やら画策しているという話。 科学サイドの人間が魔術師を倒したとすると、魔術と科学の戦争に発展する可能性がある為、魔術師であるステイル=マグヌスに処理を命じるが、単独ではなく、上条当麻と一緒に行動しろと付け加える。

このシーンにより、学園都市のトップとネセサリウスとの間に繋がりが有る事がわかる。このエピソードで知っておきたいのは、この繋がりだけなので後の話は省略。
なんやかんやあって、吸血殺し(ディープブラッド) と呼ばれる少女、姫神秋沙 (ひめがみあいさ)を命がけて救うことに成功し、上条は姫神の命の恩人となる。

量産型能力者計画(レディオノイズ計画)

アニメの方では、この後、シスターズ編に突入するのですが、時系列的にはこちらの方が先なので、こちらの説明からする事にします。
この計画はその名の通り、能力者を量産することを目的とした実験の計画です。 後に、学園都市で第3位のレベル5になる御坂美琴が子供の頃に、彼女を騙す形で入手したDNAマップを利用して、御坂美琴のクローンを量産する計画。
御坂美琴自身は、もともとレベル1で、後に努力によってレベル5になった人間なので、高レベルというよりも、電気系統の能力ということに着目されて、実験に組み込まれたのかもしれない。

しかし、実際にクローンを生産してみたところ、オリジナルの1%にも満たない能力しか引き継げなかったことが分かり、計画は頓挫するが、この計画は別の目的で再利用されることとなります。
その計画が、『絶対能力進化(レベル6シフト)』という計画。高位能力者同士の戦闘によって、レベル5の能力者をレベル6にシフトさせる計画で、その実験道具として、御坂美琴のクローンが流用されることになる。
計画の全貌は、学園都市1位の一方通行(アクセラレータ)と、御坂美琴のクローンであるシスターズとの戦闘を、場所や条件を変えつつ2万回行うことで、アクセラレータのレベルが6に上がるという計画。

この計画は、ツリーダイアグラムによって計算された結果である為、2万回の戦闘の後には、アクセラレータのレベルは確実に上がるとされていたが、この計画をオリジナルである御坂美琴自身が知る事となり、御坂美琴は計画の妨害を行うようになる。
御坂美琴は単独で、レベルシフト計画に関係する研究所を片っ端から襲撃していく。 研究者側は、襲撃者を薄々は特定しているものの、行っている研究そのものが公に出来るものではない為、通報も出来ない状態で、残る施設は後2つというところまで追い込まれる。最終的に、警備を学園都市の暗部で活躍する組織の一つ『アイテム』に任せることにする。

『アイテム』は、学園都市4位のレベル5である『原子崩し(メルトダウナー)』の麦野が率いる集団。 メインメンバーは女性ばかりだが、場馴れしている為に、かなり強い。
特にリーダーの麦野は、何でも貫通するようなレーザーを出すことが出来、破壊に関してだけでいえば、御坂美琴を圧倒するレベル。 その上、メンバー内にターゲットの位置を完全に補足する能力追跡(AIMストーカー)の滝壺理后がいる為、タッグを組む事で、麦野はレーザー砲台として専念できるというインチキレベルの攻撃をしてくる。
しかし、なんやかんやあって、御坂美琴は施設の破壊に成功、しかし、残り1つの施設破壊は体力的にも無理ということで、その日のうちの破壊は断念することにする。 その間に研究者側は、急ピッチで引っ越しを進めて、隠れることに成功する。

レベル6シフトの情報が表から完全に消え去り、計画は中止になったのかと思いきや、シスターズは相変わらず実験を行っていることを知って、絶望する御坂美琴
しかし、それと同時に、実験の成功を予言したツリーダイアグラムが何らかの理由で破壊されたことを知り、御坂美琴は、ツリーダイアグラムの計算が間違っているという演出をする為に、アクセラレータに瞬殺される道を選ぶ。
だが、その前に立ちふさがる上条当麻。 みんなが求めるようなハッピーエンドを求めて、最弱のレベル0でありながら、学園都市最強のアクセラレータに喧嘩を売りに行く。

なんやかやあって、上条当麻アクセラレータを倒し、アクセラレータの強さに対する計算が狂ったことで、レベル6シフト計画は中止になリ、シスターズは開放されることになる。 これぐらいから、御坂美琴上条当麻に対して明確に好意を抱くこととなる。

アクセラレータ と ラストオーダー

レベル6になる為に、御坂美琴のクローンを1万体程殺したアクセラレータは、20001体目のクローンである『打ち止め(ラストオーダー)』と出会うことになる。
実験室から逃げ出してきたラストオーダーは、偶然見つけたアクセラレータに付きまとう。 アクセラレータは、ラストオーダーの姉妹とも呼べるシスターズを1万体ほど殺しているので、そのまま、憎しみの対象となる為にラストオーダーに悪態をつくが、『実は、シスターズを殺したくなく、実験を中止にさせるために、積極的にコミュニケーションを取っていた』事を、ミサカはミサカは看破してしまう。
悪ぶっていたのに、実は良い人という事を見破られた恥ずかさからか、アクセラレータはラストオーダーをその場(ファミレス)において立ち去る。

その後、一人になったラストオーダーは、レベル6シフト計画に携わっていた研究員である天井亜雄に連れ去られる。
天井は借金まみれの生活を送っていたが、研究職を続けることで何とか食いつないでいたが、アクセラレータが上条当麻に負けたことで研究が中止に。 収入源が断たれた為、学園都市を敵視する集団と取引をして、テロ事件を起こそうと考えており、その道具としてラストオーダーが必要だった。
御坂美琴のクローンであるシスターズは、電流を操作する能力の応用で、電気信号を互いに送り合い、記憶の共有や演算の分担を行うミサカネットワークを構築していたが、ラストオーダーは、このミサカネットワークに命令を出す権限を持つ個体。 ラストオーダーの脳にウイルスを打ち込み、シスターズを暴走させることで学園都市の内側からの破壊をもくろんでいた。

なんやかんやあって、事態を把握した実は良い人、アクセラレータは、天井亜雄をぶっ飛ばしてラストオーダーを救い出し、脳に打ち込まれたウイルスを排除しようとする。 タイムリミットが限られている状態で、脳内のミクロレベルのベクトル変換を高速で行うことを求められ、全ての能力をラストオーダーを救う為に使用している最中に、倒しきれていなかった天井亜雄に脳天を撃ち抜かれる。 ラストオーダーの救出を諦めて防御に徹すれば、自身の身を守ることが出来たが、実は良い人アクセラレータは、ラストオーダーの救出を優先したことで重症を負う。
この銃撃の影響で、脳に深刻なダメージを追ったアクセラレータは、ベクトル変更の為の演算能力と言語能力を失うが、ヘブンキャンセラーの手腕によってアクセラレータの脳をミカサネットワークに繋げる事で、日常生活と一時的な能力の使用が出来るまでに復活する。
そして、実は良い人アクセラレータは、この物語で2人目の主人公(ダークヒーロー)となる。

AIM拡散力場

ある日、インデックス達は風斬氷華という少女と出会い、成り行きで友だちになることになる。 地下街で遊んでいると、魔術サイドのシェリー=クロムウェルがゴーレムを使って学園都市を襲撃。
インデックスと風斬氷華は、その襲撃に巻き込まれることになるが、インデックスが危機的状況になった際に、風斬氷華が覚醒し、人ではありえないパワーを出してインデックスを守ることになる。
風斬氷華 自身も気がついて居なかった事だが、彼女はこの世の住人ではなく、虚数学区の住人だった。

では、虚数学区とは何なのか。 学園都市の超能力者たちは、唯我論的な『自分が観測する世界』の法則を現実世界に干渉させることで超能力を発言させているが、その、一人ひとりが持つパーソナルリアリティーが周りの現実世界に干渉している『場』の事を、AIM拡散力場という。
AIM拡散力場は互いに干渉し合い、この現実世界と重なり合うように、別次元に世界を生み出している。 その別次元にある学園都市が、『虚数学区・五行機関』。
風斬氷華は、虚数学区に存在する者を認識することで、役割を与える存在で、虚数学区・五行機関』そのもの。つまり、学園都市中のAIM拡散力場の集合体ともいえる存在だった。

すべてを思い出し、自身を化物と呼び、インデックスと上条当麻を拒絶する風斬氷華だが、それでも『友達』呼ぶ2人を受け入れて、風斬氷華は上条たちと本当の友達となる。
ちなみに、ゴーレムを使って襲撃してきたシェリー=クロムウェルは、上条さんに演説をキメられた後に右手で殴られ、目が覚める。

法の書

ローマ正教が所有する重要な魔導書、法の書。 読み解くことで、十字教が支配する世界が終わると言われている書物だが、これが日本の博物館に貸し出された際に、天草式十字凄教に盗まれるという事件が起こる。
それと同時に、法の書の解読方法を見つけたというローマ正教のシスター・オルソラ=アクィナスが天草式に拐われるという事があり、イギリス清教のアークビショップが、上条当麻と共に事態の収拾をするように、ステイル=マグヌスに依頼。
現地で、ローマ正教のアニェーゼ部隊と合流し、共に、天草式から人質と法の書を取り戻す為に協力するが、実は、魔導書の盗難自体がローマ正教のでっち上げで、ローマ正教は、法の書の解読方法を見つけたオルソラ=アクィナスの殺害を目論んでいた。 天草式は、オルソラに匿ってくれるように依頼されていただけだったが、土壇場になって、オルソラが天草式を信じきれずに、逃げ出そうとしていただけだった。

全てが明らかになった途端に、アニェーゼは手のひら返しをし、上条たちに襲いかかってくるが、なんやかんやあって、アニェーゼ達を返り討ちにする。
オルソラはその後、イギリス清教に改宗。 上条当麻は、オルソラの命の恩人となる。また、天草式の濡れ衣が晴れたことによって、元天草式の代表である神裂火織は、上条に返しきれない借りを作ることになる。

刻限のロザリオ

オルソラ関連でいろいろ有った後、ローマ正教が学園都市に十字架をぶっ刺して、ローマ正教の支配下に置こうとする事件が起こるが、なんやかんやあって上条さんが解決する。
その後、運が悪いことで有名な上条さんが、ふくびきでイタリア旅行を当ててしまい、観光に行くと、偶然にも、引っ越し中のオルソラと再開することになる。
天草式の人たちの手を借りて引越し準備を進めるオルソラ、上条とインデックスも引越の手伝いをするが、その最中に、ローマ正教の人間に襲われることになる。

意味もわからず逃げていると、小さな水路から何故か巨大な帆船が出てきて、オルソラと上条はその船で連れ去られる。
船の中を逃げながら探索していると、その船に乗っていたアニェーゼに見つかってしまう。 アニェーゼに、『見つかりたくなければ手を貸せ』と脅される形で、幽閉されているアニェーゼの仲間を救いに行くオルソラと上条。
何とか仲間を助け出して事情を聞くと、アドリア海の女王という戦略兵器の照準をヴェネツィアへと変える為に、『刻限のロザリオ』という装置のパーツとしてアニェーゼが生贄をして使われる事がわかる。

オルソラ関連で敵として戦った相手だが、『誰もが望むハッピーエンド』を追い求める上条さんは、アニェーゼを助け出すことを決意。なんやかんやあって、首謀者を右手で殴って倒し。アニェーゼ部隊をローマ正教から引き剥がしてイギリス清教預かりとする。
アニェーゼ部隊は、上条に返しきれない借りを作ることになる。そして、上条当麻は、ローマ正教にとって敵として認識されるようになる。

9月30日

イギリス清教やローマ正教と、科学サイドのレベル5の幾人かと知り合い、それぞれに返しきれない貸しを作っている上条当麻は、本人が気づかないままに、魔術と科学のバランスを壊しかねない程の人脈を築き上げていた。
魔術サイド、特にローマ正教にとっては見逃すことが出来ない存在となった上条当麻は、暗殺リストのトップに入ってしまい、神の右席の一人『前方のヴェント』によって学園都市内で襲撃されてしまう。

ローマ正教の中でもトップレベルの戦力が学園都市に攻め込んでくる事を知ったアレイスター・クロウリーは、ラストオーダーを使って虚数学区・五行機関の風斬氷華を人工天使として呼び起こそうとする。
しかし、ラストオーダーを守る為にアクセラレータが立ちはだかり、『アクセラレータ vs 学園都市』と『上条当麻 vs 神の右席』のバトルが学園都市内で繰り広げられる事となる。
結果としては、ラストオーダーは学園都市に回収され、風斬氷華は人工天使ヒューズ=カザキリとして無理やり呼び起こされ、人工天使のちからによって学園都市全体が、『魔術を使った時点で深刻なダメージを受けてしまう場』に変えられてしまう。

魔術師である前方のヴェントにとっては不利な戦況となるが、それでも戦闘を続け、ヴェントは上条に敗北することになる。
その後、上条当麻は天使化した風斬を救い出し、人工天使との絆を確かなものとする

9月30日以降

今までは水面下で繰り広げられていた科学サイドと魔術サイドの戦いが表面化し、学園都市が戦場となって大規模な破壊等が起こったことにより、学園都市内が混乱状態となる。
園都市は、外からの敵に備えて警戒態勢を取るが、その分、内部の警備が手薄になる。 その手薄になった警備の穴を突く形で、学園都市の在り方に疑問を持っているスキルアウトたちが蜂起する。
鎮圧に大規模な戦力を投入できない学園都市は、上条当麻の同級生で、多重スパイの土御門を中心にアクセラレータや、ムーブポイント、アステカの魔術師などを加えた『グループ』を組織して鎮圧。この時、スキルアウトのリーダーだった駒場利徳が殺される。
駒場利徳を始めとして主要幹部の大半を殺されたスキルアウトは、浜面仕上をリーダーとして再編成される。

混乱は、これだけにとどまらず、一般市民生徒の親の何割かは、子供を学園都市から避難させることを考え、親代表として御坂美琴の母親である美鈴が、学園都市に資料を探しに訪れる。
レベル5の御坂美琴を手放したくないアレイスター・クロウリーは、御坂美鈴の暗殺計画を企ててスキルアウトに依頼。 学園都市に反抗しても無駄だと悟ったスキルアウトは、学園都市に取り入る為に依頼を受けて実行するが、上条当麻アクセラレータによって目論見を阻止される。
ただ、上条当麻が御坂美鈴を命がけで守ったことにより、『娘を命がけで守ってくれる人間がいる』事を確信した御坂美鈴は、美琴を学園都市から連れ返す事を諦める。 これにより、御坂美鈴の暗殺に意味がなくなり、命令は取り消される。

そして、第3期へ・・・


というわけで、簡単にまとめを書いていきましたが、結構な文量になってしまいましたね。
実際には、レベルアッパーやポルターガイスト事件など、他にもいろいろと有るのですが、その部分は知らなかったとしても、第3期は楽しめると思います。
Netflixでは現在(2018年11月末現在)、映画も含めて全てを見ることが可能です。
この投稿は、かなり端折って書いていますので、時間が有る方は、実際に観てみる事をお勧めします。 

とある魔術の禁書目録Ⅲを観る前に知っておきたいこと (前編)

今期(2018年秋)から、『とある魔術の禁書目録 Ⅲ』がオンエアーされることになりました。
私は、原作のラノベは読んでませんが、アニメの方は全部観ていたので、さっそく『Ⅲ』を観てみたのですが… 全くと行っていいほど、内容が理解できませんでした。
というのも、前作の『Ⅱ』が放映されてからかなりの年月が経っていたので、内容の方を忘れてしまっていたのです。 そこで観るのを止めても良かったのですが、世界観などが好きだった記憶が有るので、見逃すのはもったいないということで、もう一度、最初から見直してみました。


という事で今回は、私のように前作までの話を忘れてしまっている方の為に、『とある魔術の禁書目録 Ⅲ』を観る前に知っておきたい事をまとめてみようと思います。
当然ですが、過去作の話は全てネタバレ前回で行いますので、アニメや原作で追いかけたいという方は、読まずにそちらを観ることをお勧めします。

これまでに放映されているシリーズ作品

一応、これまでに放映されている作品を書いておくと
とある魔術の禁書目録
とある科学の超電磁砲
とある魔術の禁書目録 Ⅱ』
とある科学の超電磁砲 S』
それに加えて劇場版が存在します。 放映された順は、先程書いた順番のようですが、物語の時系列としては、放映順にはなってい無かったりします。
では、時系列順に並び替えてみればよいのかというとそうでもなく、放映順に観ないと出てくる専門用語が分からなかったりします。 また、禁書目録(インデックス)と超電磁砲(レールガン)とでは、主人公そのものも違ったりします。

園都

この物語の舞台となるのは、基本的には『学園都市』と呼ばれる、最新の科学技術を詰め込んで作られた街です。
その技術力は凄まじく、学園都市の中と外では20~30年ぐらいの技術の差があるのではないかと言われている程に進んでいたりします。科学サイドの象徴的な街で、あらゆる最先端の科学情報は学園都市で生まれます。

また、普通の科学技術の開発だけでなく、人間の脳を研究・開発することによる超能力開発が活発に行われている。というかむしろ、こちらの方がメインだったりします。
超能力は、研究による利益の高さによってランク付けされており、レベル0~最高位のレベル5に分類されている。 ちなみにレベル5は7人しか居ない。
園都市では超能力の研究開発が行われ、その実験の協力という形で学生が実験に付き合うため、レベルによって都市からお金が支払われていたりする為、高レベル者は金持ちで低レベル者は貧乏だったりします。

ちなみにですが、この街での超能力は、生まれつき授かるものではなく、科学によって開発するものなので、レベル1だった人間が、努力と根性でレベル5にもなれたりする。
そんな状態であるため、低レベル者、特にレベル0に対して軽蔑する人間も少なくなく、低レベル者を遊び半分で狩る様な人間も居たりする。
その様な差別を受け入れられない人間は、群れることで自衛。中には、人数に物をいわせて反撃し、逆に能力者を狩る物もでてきたりしている。その様な人たちのことを、スキルアウトという。

この学園都市ですが、『学園』という名前が示す通り、学生がメインの街であり、人口の8割は学生だったりします。大半の仕事がオートメーション化されている為、街を回す為の人員は最低限で良いということなのかもしれません。
この街の治安ですが、警察ではなく、アンチスキルとジャッジメントと呼ばれる組織が担っているようです。
どちらも志願制のボランティアの様ですが、ジャッジメントは大人で更生されていて、銃火器などの武器や兵器の仕様も許されていたりします。
一方でジャッジメント(風紀委員)は、能力者の学生で構成されていて、街のちょっとしたトラブルを解決するお巡りさんの様な感じ。

上条当麻

この物語の主人公は、上条当麻という学園都市に住む高校生。
困っている人は絶対に見捨てることが出来ないという性格の持ち主の為、いろんなトラブルに自身から突っ込んでいく。 この考えは徹底していて、例え敵であったとしても、犯行に及ぶ理由が正当なもので、『そうせざるをえない』状況に追い込まれての犯行なら、その境遇に同情して助けようとする程のお人好し。
そんな熱い人間だからか、上条当麻に関わった人間は、色んな意味で影響を受けることになリ、行動や思考が変わったりする。
そんな性格にプラスして、元々持っている不幸体質が重なって、常にトラブルにみまわれていたりする。

トラブルに巻き込まれる、または積極的に飛び込み、自分の命をかけてトラブルを解決して人を救い出す為、事件が起こるたびに、上条当麻は誰かの命の恩人になったり、返せそうにない程の貸しを作ることになる。その為、ストーリーが進むに連れて、上条当麻の人脈はどんどん広がっていくことになる。
ちなみに、トラブルの解決方法は、犯行を起こした犯人の前で演説をして右手でぶん殴る事。 例え、相手が女子供であろうとも、解決方法は同じ。 男女平等。

上条当麻はレベル0の無能力者という事になっているが、幻想殺しイマジンブレイカー)という特殊能力を持っている。イマジンブレイカーは、異能の力であれば全てを打ち消すことが出来るという能力。
その上条当麻が、布団を干すために自身の家のベランダの扉を開けたところ、そこで行き倒れている白い修道服を着た銀髪の少女を見つけるところから、この物語は始まります。
行き倒れになっていて少女は、インデックスと呼ばれる10万3000冊の禁書目録を丸暗記した、絶対記憶を持つ少女で、悪い魔術師に追われていることを上条に告げる。

科学サイドの都市で育った上条は、魔術の存在を最初は全く信じていなかったが、実際にインデックスが襲撃され、彼女を追うステイル=マグヌスという魔術師と交戦したことで、彼女の話を信じて守ることを決意する。
しかし、敵である魔術師の話を聴いてみると、彼らとインデックスは、同じ組織である必要悪の教会(ネセサリウス)の仲間同士で、彼らはインデックスを助けるために行動していたことを知らされる。というのも、インデックスは10万3000冊を丸暗記したことで脳の容量の85%を使用しており、残りの容量の15%では1年間の記憶しか貯め込むことが出来ず、それ以上詰め込むと脳がパンクして死んでしまうから。助ける方法は、彼女から1年分の記憶を消去することしか無いと告げられる。
迷った挙げく、インデックスを助けるために、彼女を彼らに預け、記憶を消去する準備を進めるが、どうも納得がいかない上条当麻。 絶対記憶を持っているからといって、1年間の記憶だけで15%も使うのか?と疑問に持ち、教会側が魔導書を記憶しているインデックスを手放さない為に、何らかの細工をしているのではないかと思い、インデックスに対してイマジンブレイカーを使う。

上条当麻の憶測どおり、教会側が魔導書を守るためにインデックスに魔術で防壁を施しており、その魔術によってインデックスの脳が圧迫されている。もしくは、1年毎に防壁をかけ直さなければならない状態にされていただけで、記憶がパンクする云々は関係がなかったことがわかる。
上条は、イマジンブレイカーを使ってインデックスに施されていた魔術による防壁を無効化するが、それがきっかけで攻性防壁が発動。 インデックスは聖ジョージの聖域が展開し、その聖域から放たれるドラゴンブレスで上条達を迎撃する。
『インデックスは魔術が使えない』と教会側から教えられていたネセサリウスの同僚2人は、教会側に嘘を教えられていた事に気が付き、上条に協力する形で、インデックスを制圧しようとする。
その際、インデックスを仰向けに倒すことになるが、インデックスが放っていたドラゴンブレスの軌道も上方へとずれる形になリ、インデックスの遥か上空に偶然あった衛生『おりひめ1号』を破壊することになる。

ちなみに『おりひめ1号』には、樹形図(ツリーダイアグラム) と呼ばれる、技術的に今後25年は追い抜かれる事が無いといわれているスーパーコンピュータが積まれていた。
ツリーダイアグラムがどれ位凄いのかというと、月に1度だけ地球を観測するだけで、地上の空気の分子の全ての動きを完全に観測し、一ヶ月間の天気予報…というより予言を行う。これが壊れたことで、学園都市の計画に結構な影響が出ることになる。

話を上条当麻に戻すと、ネセサリウスの魔術師二人と協力して、教会の魔術からインデックスを救い出すことに成功した上条だが、インデックスが放ったドラゴンブレスの余波を食らって、脳細胞が物理的に破壊されてしまい、記憶喪失となってしまう。
しかし、その事実をインデックスが知って悲しい顔をしたことに耐えられず、実際には記憶喪失だが、記憶喪失のフリをしてからかったと嘘を付き、以降、記憶喪失を隠しながら生きて行くこととなる。

この事件後、インデックスが所属するイギリス清教は、全てを穏便に済ませる為に、ネセサリウスのメンバーの処分も行わず、インデックスの保護を上条当麻に一任する事になる。
以降、上条当麻は、10万3000冊の禁書を完全記憶している重要機密を預かっている状況と、イマジンブレイカーの存在をイギリス清教に知られた事で、様々なトラブルに巻き込まれていくことになる。

超能力と魔術

先程も書きましたが、この作品に出てくる超能力は、脳の開発によって科学的に起こすものなので、学校で授業を受ければ誰でも能力開発が可能な能力だったりします。
その超能力の源となっているのは、パーソナルリアリティーと呼ばれる『自分が観測する世界』の原理。 その原理を、現実の世界に割り込ませることで、他者から見ると異能に見える力を発現することが出来る。
あくまでも、他人から見れば異能なだけで、本人にとっては理屈が通っている常識だったりする。 このパーソナルリアリティーは、現実世界の法則によって強化することが出来るので、本人の努力次第でレベルアップが可能だったりする。
例えば、電流を操作するというのは、それ単体では弱い能力だが、現実世界での電気の振る舞いを勉強することによって、効果範囲が広がる事になる。 電流によって磁力が発生することを勉強によって知れば、電流操作によって磁力操作が可能になるし、機械系統の電気の流れを熟知すれば、ハッキングが可能になったりする。

一方で魔術は、神を中心として作られた世界観を信じ切ることにより、その世界観で生み出された奇跡を発動することが可能になる。
特定の世界観の中で培われてきた作法や手順に則って儀式を行う事により、どんな人間でも異能の力を発動することが出来るが、逆にいうと、魔術というのは既に作られて受け継がれてきた世界観を信じきれる人間にしか使うことが出来ない。
パーソナルリアリティーという、各個人が観測した現実をそれぞれが信じる科学サイドの超能力者は、パーソナルリアリティーと宗教の世界観との間に矛盾が生まれるからか、魔術を使おうとすると体が破壊されてしまう。

科学サイドと魔術サイドは、相容れない性質の為か、交流などはなく、互いに敵視している状態だが、物語当初は、均衡状態が保たれていたからか、表立った戦闘行為などは行われておらず、冷戦状態を維持している。

基本的なストーリー

この物語は、1本の筋の通ったストーリーが続いていくというよりも、学園都市内で起こる事件やトラブルを通して、学園都市という舞台そのものの秘密が明らかになっていくという作りになっています。
とはいっても、全くの無関係の事件やトラブルだけが起こっているわけでもなく、特定の事件が起こったので、別のトラブルが誘発されるという事も起こっている。
この様な作りになっている為、単純にストーリーだけを追うのであれば、トラブルによってトラブルが連鎖的に誘発されているものだけを追いかけていくだけで、大体の話は理解が出来たりもします。

では、どんな事件を抑えておけば良いのかを、これから書いていくわけですが… 基本的な事を抑えるだけで、既に文字数が結構な量になってしまったので、続きは次回に書いていきます。
(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第41回 イオニア自然学 (2) 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

ボロが出始める神話

前回までの話で、人間が持つパターン認識によって、カオスの中から様々な法則が見出されて、それを発展させていくことで、多くの考え方が生まれたという話をしてきました。
その中でも、この世の始まりのきっかけを神々が行ったとした神話が、より人々の関心を惹きつけた事によって膨張していき、一般人にとっての常識にまでなっていきました。
ですが、あまりに壮大に発展し膨張した神話は、それ自体や、そのシステムのあり方などについて、いろいろとボロが出始めてきました。

例えば、人類が存在しない程の遠い過去では、現代のハリウッド映画の様に派手な事件や争いを起こしていた神々や、巨人、大きな蛇であったり1つ目の化物などは、人間の歴史の出発点が近づく程に、力を弱めていきます。
そして、哲学者という世の中の仕組みを解き明かそうとする人達が現れる時代にまで時が進むと、神話に出てくるような超自然的な力を持つ神々は人間の前に姿を表さなくなり、その力も、自然的な力程度に下がってしまっています。
この他にも、物語を生み出す詩人や、神の言葉を聞く預言者や、願い事を伝える呪術師などが既得権益の様になっていたりと、神話がある事で得をする人達というのも現れてきます。

こうした現状に疑問を持ったのか、神々といった超自然的な力ではなく、自然的な力のみで世の中の仕組みを解き明かそうとする人達が登場します。
それが、前回の最後の部分で紹介した、イオニア自然学 とか、ミレトス学派と呼ばれる人達です。

記録に残っている中で最初の自然哲学者 タレス

例えば、その学者たちの中で、資料が残っている中では最古の人物と言われているタレスは、万物が生じた原因は神々の御業なんて事はいわずに、この世を構成している全てのものの根源は、自然界に普通に存在する水だと主張しました。
水は豊富にありますし、多くの物の中にも存在します。 例えば人間も、赤ん坊は90%、成人でも60%は水によって出来ていると言われていますよね。
その他の動物や植物にも、多くの水が含まれていますし、定期的に水を補給しなければ生命を維持することも出来ませんよね。

少年漫画にワンピースという作品がありますが、そこに登場するクロコダイルというキャラクターは、体が砂で出来ていて、手のひらを当てた対象から水分を抜き取ることが出来るという能力を持っているんですが…
彼はその能力を使って、岩石でもコンクリートでも、全てのものから水を吸い取る事で、物体を塵のように変えてしまいますよね。
こんな感じで、物体から水分が完全に消滅してしまうと、物体そのものが維持できないと考えたのかもしれませんね。

タレスは、存在するもの全ての根本は水から生まれて、そして、水に返っていくという様に、神々を用いずに、水という自然的なもので世界を説明しようとしました。
自然界の法則に、神々の存在を含めずに説明するというのは、現代の科学に通じるものを感じさせますよね。

ソクラテス以前の哲学者たち

その一方で、アナクシメネスという人物は、万物の根源は空気だと主張しました。人は生きている間は呼吸をし続けてますが、死ぬと呼吸を止めてしまいます。
この事から、古代ギリシャでは、息が生命そのものではないのかと考えられていたそうです。
そこから発展して、息、つまり空気が生命を創り出すのと同じ様に、空気が全てのものを作り出したのではないのかと想像します。

空気は薄くなればなる程に熱を帯びていき、逆に、濃くなればなる程、冷たくなっていき、水になる。
これが、更に冷たくなると土や石になると考えたようですね。 これは、水が冷たくなると氷という固形物になるので、それが更に冷え固まると、解けることがない個体になると考えたんでしょうかね。
そして、自分たちが立っている大地は、大きな土の円盤で、木の葉が風に舞うように、大地も空気の上を舞っていて、太陽や月や星星は、大地の土が希薄化して生まれたものだと考えたようです。

万物の根源は、水とか空気といった、現実に存在するものではなく、『無限なもの』という抽象的な概念で説明しようとする人もいました。
アナクシマンドロスという人物で、全てのものは無限のものから有限なものが生まれて、死ぬことで無限のものへと返っていくと考えたようです。

その他にも、雷はゼウスの仕業ではなく、厚い雲の中に閉じ込められた風が、突風となって、その中から抜け出す時に、雲は引き裂かれて轟音を発し、分厚く暗い雲との対比によって、ひび割れたところが輝いて見えると説明したりしています。
これらの主張が正しいのか間違っているのかは置いておいて、全てに共通している部分は、神々を用いずに現象を説明しようとしているところです。

イオニア自然学と現在の科学

ただ、ここで注意として言っておくと、イオニア自然学は現代の科学と全く同じものではありません。
自然界で起こる不思議な事に対して、神々という超自然的な存在を使用せずに、自然的な解釈で説明を行おうとしただけです。
この様な考え方は、現代の科学に通じるものがあるのは確かですが、現代の科学のように、きっちりと定義が定まっているものではありません。

例えば、現在の科学の場合、反証可能性とか、実験の再現性など、科学と認められるような条件を満たしていないものは、科学とは認められません。
つまり科学は漠然としたものではなく、定義が有るということです。 反証可能性というのは、簡単に言えば、論理的に反論する事が出来るのかどうかという事です。
山火事が起こる原因を、突風などが吹いた際に木々が擦れあって摩擦が起こるからと主張した場合は、木が擦れ合う程度の摩擦熱では発火までに至ることはないという事を証明できれば、この主張に反論できることになります。

ですが、山火事が起こる原因は、火の神が我々人類に与えた試練だといった場合、論理的に反論する事ができませんよね。
仮に、火の神なんて観たことがないし、存在自体が怪しいと反論しても、『それは、あなたが信心深くないからでしょ。』と言われてしまうと、それ以上の議論は平行線を辿って、交わる事がありませんよね。
この様な感じで、論理的な反論を許さない主張というのは、つまり、実験や観察によって反論することが出来ない、反証可能性が無い主張というのは、科学と認められないんです。

つまり、今現在の科学の理論、説というのは、全て、論理的に反論可能で、観察や検証によって、くつがえる可能性があるものだという事になります。
科学というのが、何故、この様な定義になっているのかというと、物事の根本的な事を探って行くと、最終的には『何故、そうなるのか分からない』というところまで行き着いてしまうからです。
ですから、全ての理論は、突き詰めていくと、どこかで論理の飛躍が起こったり、『何故かは分からないけれども、毎回こうなる』といった、原理はわからないけれども、同じ条件を整えて実験をすると、毎回同じ結果になるから、それで良いでしょ…
といった感じの事に突き当たったりするんです。

科学の定義

例えば、ティッシュにライターの火を近づけると燃えますが、何故、燃えるんでしょうか。
ティッシュの温度が上がるからとか、温度が上がるとティッシュを構成している物質に酸素が結合してエネルギーが生まれるから…とか、原因をドンドンとさかのぼって追求していくことは出来ますが…
原因を辿るという行動は、無限に出来てしまうので、最終的には、どこかで、『わからない、何故かは知らないけれども、そうなる』という壁にぶち当たる状態に陥ってしまいます。

その為に、とりあえず、観測可能で、条件を整えれば毎回その様になる事柄については、事実がそうだという事にして、事実をつなぐ仮説を立てていこうという様になっていったんです。
そして仮説を立てる際には、観察や実験によって裏取りが出来そうな事のみで、つまり反証可能な事だけで仮説を立てて行こうと決めようなんです。

数字を信仰するピタゴラス

ただ、今回取り扱っているイオニア自然学は、そこまでキッチリとした決め事がされているわけでは無いようです。
あくまでも、この世に存在する物事を説明する為に、神々といった超自然的なモノではなく、自然的なもので説明しようという程度の決め事だったので、宗教家等もこのグループに属していたりします。
例を挙げると、直角三角形の辺の関係性を数式で表したピタゴラス定理などで有名な、ピタゴラスとかですね。

ピタゴラスは、ギリシャの神々によって世界の創造が行われたとは考えていませんでしたが、この世の法則は数で全てが表せるとして、数を崇拝するピタゴラス教団を組織していたそうです。
数による調和によって、物事が生まれて起こっていると考えていたようですね。
kimniy8.hatenablog.com

iPhoneのバッテリー交換をしてきて『持っていくべき』だと感じたもの

先週末(2018年11月)の話ですが、iPhoneのバッテリー交換をする為にApple Storeに行ってきました。
今回は、その際に思ったことや感じたことなどを書いていきます。
せっかちな方の為に結果だけ書くと、『身分証明書』『時計』『時間が潰せるもの』です。

交換を迷ってる方は2018年中に!

今回、私がバッテリー交換をしようと思ったのは、2018年中にバッテリー交換をすると、交換費用が半額で済むからです。
何故、こんなセールを行っているのかというと、iPhoneのOSであるIOSの仕様が問題になったからです。

どんな問題だったかというと、IOSは、アップデートを定期的に行う事を推奨しているわけですが、そのアップデートを古い機種で行ってしまうと、全ての操作がモッサリとしてしまうという仕様です。
iPhoneを継続して使っている方はの中には、敢えて、アップデートを行わないという方法で回避する人も居た程なので、体感で結構、変わってくる程に動きがモッサリとしてしまう。
では何故、もっさりしてしまうのか。 IOS自体がブラックボックスの様になっているのか、問題発覚前は憶測で意見が囁かれていただけなので、『アップデートに伴って使用メモリーなどが増えて、マシンパワーが伴ってない機種は遅くなる。』的な話も聞いたことがありますが、それもあくまでも憶測。本当の理由わ分からなかったのですが…

その理由が、『IOSの仕様で、古い機種は意図的に動作を遅くしていた』ということが発覚してしまい、問題に。
アップル側の主張としては、古い機種で最新の重いアプリなどを動かそうとすると、バッテリーに負担がかかり、予期せぬシャットダウンなどが起こる可能性があるので、負担軽減のためにも、全体的な処理を遅くしていたとしていましたが、一般人の受け止め方としては、『機種変更を促進させる為に、古い機種を意図的に使いづらくしてたんでしょ?』と疑われ、信頼を落としてしまいました。
そのお詫びのような形で、2018年内であればバッテリー交換を半額になったのです。 今ご使用の機種を当分使う予定で、バッテリー交換をしようかどうかを迷ってる方は、年内に交換することをお勧めします。

バッテリー交換の流れ

バッテリー交換のために、まずは、バッテリーの状態の確認をしたほうが良いでしょう。
確認方法は、【設定】→【バッテリー】→【バッテリーの状態】で確認することが可能です。 私の場合、バッテリー交換前の状態は86%ぐらいになっていました。この状態でも最高パフォーマンスは出せるようですが、近頃はバッテリーの持ちも悪くなってきている感じがしたので、交換することを決めました。
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ちなみにですが、一つ前の【バッテリー】の部分では、バッテリーの消費が時間単位で棒グラフで表示され、『どのアプリでどれ位の割合のバッテリーを消費しているのか』が見れるようになっています。
これらを見て、もし、普段使用していないのにも関わらず、やたらと起動している上にバッテリー消費が多いアプリがあれば、そのアプリが常にバックグラウンドで起動している為にバッテリが消費されている可能性が有ります。
そのアプリが、昔にダウンロードしたけれども、今は使っていないアプリであれば、思い切って削除する事で、バッテリー消費を抑えることができるかもしれません。 この辺りは、自己判断・自己責任で行ってください。
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バッテリーの容量が減っている場合は、【バッテリーの状態】というページの一番上に、『詳しい情報…』という青い文字のリンクが有るので、それを押すと、ヘルプページに行きます。
詳しい説明を読みたい方は、そのページを熟読してもらえばよいですが、心の中で既にバッテリー交換を決意している方は、全て読み飛ばして、一番下までスクロールさせると、Appleサポートのリンクに到達します。
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そこからAppleサポートにつなぎ、問い合わせをしたい製品を選びます。 iPhoneのバッテリー交換なら、iPhoneをタッチしましょう。
すると、どんな相談内容かを選択する項目が出るので、後は、ひたすら『バッテリー交換』を選んでいきましょう。 
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すべての選択が終わると、AppleIDとパスワードを聞かれるので、入力フォームに入力すると、自分の家の住所を入れる項目が出ますので、自分が住んでいる地域を入力しましょう。
これは、『その周辺にある、修理受付施設』を検索するためのものなので、正確に町内や番地まで入れる必要はありません。

お疲れ様です。全ての入力が終わると、ここからが地獄の開始です。

上記の全ての入力を済ませると、最寄りの修理受付施設が表示され、予約が取れる場合は、その施設の下に青いリンク文字で時間が書かれています。
しかし、Appleの修理受付は、基本的に需要と供給が有っていないせいか、常に埋まっている状態で、自分の都合の良い時間帯の時間が一発で表示されることなんてありません。
というか、殆どの場合で、空きの時間が表示されることすらありません。 『じゃぁ、予約取れないじゃん。』と思われる方もいらしゃることでしょう。

ですが、先程も強調文字で『地獄の開始』と書きましたが、辛抱強く頑張ることで、予約が取れるシステムとなっています。
というのも、Appleの修理予約は、結構なキャンセルが出るんです。 しかし、どのタイミングで出るのかは分かりませんし、空きが出たことを知らせてくれるサービスもありません。
では、どうするのかというと、30分から1時間おきにサイトにアクセスをして、空きが出ていないのかを確認し続けるという作業が必要になってきます。

私の場合は、2日程、夜中も定期的に起きて予約キャンセルが出ていないかを確認するという事を行い続け、自分の都合の良い時間帯を抑えることが可能でしたが… かなり辛い作業でした。

ちなみにですが、私は1度、この不毛な作業に飽きてしまい、Apple Storeの開店直後に店に行き、持ち込み修理を頼めないかを試して見ましたが、無理でした。
厳密にいうと、当日受付分があることは有るが、待ち時間が6時間。 しかし、その間にキャンセル待ちが出るかもしれず、仮に出た場合は待ち時間が短縮されるが、店からの連絡から10分以内に駆けつけなければ当日分の受付も含めてキャンセルされてしまうため、Apple Storeに10分で行ける距離で最大6時間待たなければならないといわれて、諦めました。
じゃぁ、店では予約サイトで受け付けているよりも外の予約が取れるのかと聴くと、『無理だ』との返答。 店に行ったのは土曜でしたが、翌週の土曜の予約が一番先の日付になるので、それしか取れない。日曜の予約がしたければ、日曜まで待つ必要があると言われました。
その際に、先程の予約サイトで予約をとることを進められましたが『常に満で無理だった』という事を伝えると、『Appleでは、常に1週間分の予約しか取ってないので、日付が変わると、一週間先の予約が全部空くはずなので、そこで取って』という助言をいただきました。

しかし、日曜日へと日付が変わる0時になっても、Apple Storeが開く10時になっても、翌日曜日の予約は現れず…
Apple店員の話によると、Appleスタッフがアクセスしているサイトも客がアクセスしているサイトも同じという説明でしたが、私が何度、自分のiPhoneで確認しても、日曜日の時点でサイトで取れる一番先の予約は土曜日まで。 日曜日は表示されず、日曜が表示されるのは月曜になってから。 しかも、表示されても予約で埋まってて取れないという状態だったので、同じサイトにアクセスできているわけではないのかもしれません。
私が土曜日の10時にApple Storeに行った際は、店での土曜の予約が簡単に取れる感じだったので、地獄のような苦労をしたくないのであれば、行きたい曜日の一週間前の開店直後のApple Storeに行き、一週間先の予約を抑えるというのが一番簡単かもしれません。

修理当日に必要なもの

取り敢えず重要なものから書くと、iPhoneは当然として、身分証明書が必要です。 スマホは個人情報の塊ということで、Apple IDの名義と同じ名前の身分証明書が必要となります。
しかし、それ以外にも必要なものが有ると個人的に思いましたので、エピソードを踏まえつつ、書いていこうと思います。

私が予約を取ったのは、土曜日の19時30分でした。 もともとの希望としては、日曜の朝に済ませたいと思っていたのですが、土曜日の夜なら、帰りに飲みに行けるという事で、その時間にしました。
ひらめいた直後に予約サイトにアクセスしたら、見事に希望の時間にキャンセルが出たので、運命的なものを感じてしまいました。

当日、Appleの予約は10分を過ぎるとキャンセル扱いになるらしいので、少し早めに家を出ると、30分も前に付いてしまいました。
取り敢えず、受付だけでも済ませておこうかなと思い、2階の受付の人にいうと、『早すぎるよ~ 30分の予約だから、25分ぐらいにここに来て!』とフランクにいわれ、25分を1階部分の売り場で待つことに。
25分になったので、受付のところに行くと、『今、ちょっと押してるから、10~15分遅れるかもしれません。』と告げられ、結局、その後40分待たされる。。。

私の担当スタッフがやってきて、バッテリー交換を申し込むと、『20時50分に、再びここに来てください。Apple Storeは21時閉店なので、絶対に遅れないようにお願いします!』と念を押されて、受付終了。
その時の時刻が20時15分。 待ち時間が1時間とか有るなら、時間の潰し方も有るだろうけれども、35分だけ時間を潰すというのが微妙な感じ。
取り敢えず、隣が大丸なので、『久しぶりにウィンドウショッピングでもしてみるか!』と思って入口に行くと、20時閉店と書いてある…

周りを観ると、ほぼシャッターが閉まっていて、空いているのはドラッグストアのみ。 ドラッグストアで30分も時間を潰す気になれないので、何か探すもなにもない…
京都の繁華街って、20時過ぎると何もなくなるのね… ふと、今の時間が気になったので、時計を見ようとポケットに手を入れるが、スマホがない。 当然といえば当然で、今さっき修理に預けたばかりなので、ポケットに入っているはずもない。
ここで、自分が時間を知るすべを持ってないことに気付かされる。 周りを見ても、時計を置いている店舗もない。 という事で、まず必要なもの、その1『時間が確認できるもの。』
Apple Storeは、やたらと時間を指定してくるので、時間を知る術がないとかなり困ります。

仕方がないので、別の方法で時間を知ろうと思い、たどり着いたのが1800秒を数えるという方法。 見て回る店もなく、音楽やPodcastも聞けないので、兎に角することがない。
やれる事といえば、時間を計算するぐらいなので、取り敢えず数えてみたが、1000秒ぐらいで馬鹿らしくなって、Apple Storeで待つことに。
商品でも観て時間を潰そうと思い、ウィンドウショッピングにふけっていると、店員がやってきて『この商品ですか!』と営業を始めたので、鬱陶しくなり、仕方なく椅子に座る…

やることがない… ここで、必要なもの、その2『時間が潰せるもの。』
これは、本でもDSでもSwitchでも携帯ラジオでも何でも良いのですが、とにかく、待ち時間が長すぎるので、待ち時間を潰せる何かが必要になります。
私が座っている席の隣では、子供を連れた家族が待っていましたが、子供の時間を潰せる絵本を持参できていて、『流石だな!』と思ってしまいました。
その後、何とか20時50分まで時間を潰し、受付を済ませると、『ちょっと押してるから、10分ぐらい待って』といわれる。 そして、その後、50分待たされる…

Apple Storeは、21時閉店だから、絶対に20時50分までに来て!』というのは何だったのか。 結局、僕が店を出たのは22時ごろになりました。

という事で、繰り返しになりますが、修理当日に必要なものは、身分証明書と、時間がわかるもの、そして、一番重要なんじゃないかと思われる、時間が潰せるものとなります。
Kindleの様に、時間が分かって、なおかつ、時間が潰せるものがあれば、一番良いのかもしれませんね。
バッテリー交換のセールは年内で終了予定ですので、迷ってる方は、時間を潰せるものを忘れずに、早めに行かれることをお勧めします。

【映画ネタバレ感想】『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明 』現在を理解する為の問題盛りだくさん

少し前に、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』のネタバレ感想を投稿しました。
実はあの作品は、ワンチャイシリーズの2作目という事で、前回の投稿を書いた際に天地大乱を見直したついでに、天地黎明の方も見直していました。
せっかくなので今回は、天地黎明の方のネタバレ感想を書いていこうと思います。



舞台となっている時代背景

時代背景や、主人公である英雄・ウォン・フェイフォンの事は、前回の天地大乱の投稿で書きましたので、基本的な部分を知りたい方は、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

この作品は、ワンチャイシリーズの1作目という事で、天地大乱よりも前の時代の話となり、まだ、中国に鉄道なども通っていない時代の話です。
当時の中国は、様々な国が中国に対してイチャモンを付けてきて、それをキッカケに戦争を仕掛けられ、領土を奪われていくという状態が続いています。
一つ例を挙げると、アヘン戦争などが有名ですよね。 アヘン戦争を簡単に説明すると、イギリスは中国からお茶を仕入れていたのですが、イギリスが輸入するように対して中国の輸入量が少なく、イギリスは慢性的な貿易赤字になっていました。
その赤字を埋める為に、中国に対して禁止されているアヘンを密輸し、その売上で赤字を埋めていました。

ちなみにですが、当時の輸送は船ですので、イギリスまではかなりの時間がかかってしまいます。 当然のように、中国から仕入れた『緑茶』は腐… もとい、発酵してしまい、イギリスに付く頃には真っ茶色の『紅茶』になってしまっていました。
イギリスの紅茶文化は、当時の輸送技術が未熟だったために生まれた文化だったんですね。

話がそれましたので、元に戻しましょう。イギリス側の禁止薬物の密輸に対して中国は怒り、当然のように密輸されたアヘンを没収したのですが、イギリスは『中国が我が国のものを盗んだ』といった感じの文句を言い出し、いきなり攻め込んで行きました。
これがアヘン戦争です。 もう、メチャクチャですよね。 兵器の格差というのもあり、中国はイギリスに負けてしまい、香港などを取られた上に多額の金まで要求されます。
この自体を外から見ていた他の国々は、イギリスを避難することなく、自分たちも中国の領土をかすめ取ろうと、イチャモンを付けては攻め込むという行為を行い始めます。
その他にも、中国の領海を荒らし回っていた外国の海賊を捕まえたら、その国から『拉致された!』とイチャモンを付けられて攻め込まれたりもしています。

これら行為は、普通に道を歩いているだけなのに、ヤクザの方から目を合わせてきて『何観てんねん!』といって殴りかかって金品を強奪する行為と同じですよね。
ちなみに我が国日本も、少し遅れて、この動きに参加します。 ヤクザ側としてですが。 遅れての参加の為、中国に攻め込んで領土を奪い取りまくった欧米側が『もう、中国に対してはこれぐらいで止めておこう』と主張したのにも関わらず、日本は『完全征服してやる!』って感じで、当時加入していた国際連盟から脱退してまで、中国に攻め込んでいます。
前回紹介した『天地大乱』の舞台となっている1895年は、日清戦争で日本が中国に勝ったことにより、下関条約で中国の領土である台湾を奪い取った年だったりもします。

こんな感じで、中国は『何もしていない』にも関わらず、欧米や日本から攻め込まれまくり、領土をどんどん奪い取られていく状態に追いやられました。
この様な状態の為、当然ですが、当時の中国政府の信頼もガタ落ち状態。 そんな時代の中国を舞台にしているのが、この作品です。

簡単なネタバレあらすじ

船の上で、獅子舞の演舞を観ながら総督と国の未来を話し合っている主人公、ウォン・フェイフォン。
演舞の演出として、爆竹を鳴らした所、他国の軍艦が『自分たちが発泡されている』と勘違いし、ウォン・フェイフォン達が乗っている船に向かって一斉射撃をしだす。
混乱の中で獅子舞の演舞もめちゃくちゃになると思いきや、ウォン・フェイフォンの機転によってなんとかその場を取り繕う。

爆竹を射撃と勘違いしての一斉射撃なので、謝罪が有ってもよいはずなのに、そんな事は一切せずに、なんなら『紛らわしいことした、彼奴等が悪い』といった感じの態度から、欧米人が中国人を見下している態度が見て取れる。
ウォン・フェイフォン側も、文句を言いにいっても無駄だと思っているのか、その場で抗議に行く様子もなく、総督と二人で中国の未来を憂いている。
そんな人格者の総督ですが、派閥争いの煽りを受けて、フランス軍と戦う為にベトナムに行かなければならない状態に追いやられています。
その状況の中でも、『ベトナム人は、私達中国人を観てどう思うんだろう…』とベトナムに同情。 中国は欧米に良いようにされていますが、一方で、中国とフランスはベトナムの領土権を主張して、互いの主張をぶつける為の戦争をベトナムで行っている。
国の高官同士が始めた戦争によって、実働部隊や一般市民が犠牲になる。 この、なんともやるせない思いが、先程のようなセリフにつながったのでしょう。 その後、自分がいないくなった後の部下の心配をし、ウォン・フェイフォンに民兵という形で面倒を見てもらうように頼む総督。
自国を心配し、自分のことよりも部下の心配をするような人格者だが、こういう人は出世が出来ないというのは、何処の世界でも同じなのかもしれない。

この総督との会談の後も、外国勢力との問題は続く。 当時は、欧米人によって中国人が奴隷のように働かされていたわけですが、その1人の中国人労働者が、乗り込む船を勘違いから間違えたというだけで、銃で打たれることになります。
先程の爆竹の勘違いの件の直後ということで、流石に腹に据えかねたウォン・フェイフォンは、政府に訴えて、提督と一緒にイギリス領事館に赴いて、イギリスの領事とアメリカの承認に対して文句をいうが、全く悪びれない欧米勢に少しずつテンションが高まっていくウォン・フェイフォン。

シーンは変わり、今回の物語の中心的な人物で、後にウォン・フェイフォンの一番弟子になるフーが登場。
当時は、ウォン・フェイフォンとも出会っておらず、武術家になりたいという思いがありつつも、劇場の雑用係として働いていたが、その劇場に、ヤクザが『みかじめ料』を求めてやってくる。
劇場の代表は、『なんとかしてくれ』とフーに押し付けて退散。 多勢に無勢という事で取り敢えずフーが逃げるが、逃すまいと追いかけるヤクザ。
その騒動で偶然にもウォン・フェイフォンの弟子と出会い、弟子と民兵ががフー側に加勢する形で、大騒動になっていく。

その戦いは場所を移しながら長時間続き、最終的には、ウォン・フェイフォンが直談判にいった領事館になだれ込む形となり、領事館で大立ち回りが始まってしまう。
これに対して大激怒する領事館とアメリカ商人。 全ての責任は、ウォン・フェイフォンにあると中国政府に抗議。ウォンと弟子たちは犯罪者となり、道場は監視対象となってしまう。

その一方で、フーと揉めて領事館まで雪崩込んだヤクザの方はお咎め無しで、一般の食堂などに押しかけて恐喝をして金を奪うなどして、普通に面白おかしく暮らしているが、偶然にも、現在進行系で恐喝をやっていたところにウォン・フェイフォンが登場し、ヤクザを1人で懲らしめる。
ウォンは警察に付き出そうと周りにいた人達に証人を頼むが、みんな、『仕返しが怖いから…』と言った感じで、誰も証人になってくれない。
善人が悪人に食い物にされている状態になっているのに、自分には自体を根本的に解決する力がない事に苛立ちを覚えていると、一人の宣教師がキリスト教の勧誘に来るが、ウォンはその宣教師に対し『神は、事件の証人になってくれるのか?』と問い、何も答えられない宣教師をおいて現場を後にする。

その後、ウォン・フェイフォンの行動に逆恨みしたヤクザは、警察の監視対象になっているウォンの家を襲撃。 監視している警官を殺して火矢で道場を焼き払う。
ウォンは完全に被害者だが、警察から目をつけられているウォンは、監視から逃れる為に騒ぎを起こしたのではないかと疑われる事になる。 しかし、先程の宣教師が事件の一部始終を目撃しており、それを警察に証言する証人になリ、ウォンは投獄を免れることになる。

しかし、まだまだ仕返しが足りないヤクザは、ウォン・フェイフォンと揉めたアメリカ証人のところに行き、協力を取り付ける。
取引内容は、自分たちが奴隷ように中国人の女を捕まえてきてやるから、そのかわり、ウォン・フェイフォンが邪魔してきたら殺してくれというもの。
ヤクザは、アメリカという強力な後ろ盾を得て、女の拉致に精を出し、ウォン・フェイフォンが好きな女性も拉致られることになる。

事態を知ったウォン・フェイフォンは、ヤクザの元へ殴り込みに行き、最終決戦。

現代へつながる問題が てんこ盛り

この作品ですが、中国の一時代を切り取った作品になっているのですが、現代につながる問題がかなり含まれていて、観終わった後に色々と考えさせられる作品です。
例えば政治問題でいえば、右寄りの思想の方がよく、『中国が攻めてくるから、その為の準備として武装しとかないと!』なんていってます。
確かに、中国はかなりの軍事費用をかけて武装しているようですが、その背景に有るのは、『何もしていないのに欧米・日本から蹂躙されて、領土を含めた様々なものを奪われたから』という過去があったからという事が分かります。

考えてもみてください。 外国から禁止薬物を持ち込んで、国中を麻薬付にしている商人がいたから、法律に則って取り締まったら、それを理由に宣戦布告されて攻め込まれるといった感じの経験を、1度ではなく何度も経験したら、自国民を守るために用心深くなるのもうなずけます。
中国は、Twitterfacebookgoogleなどを信用せずに、独自で似たようなサービスを作っているというのも、欧米・日本のサービスに頼りっきりになると、いつ裏切られてサービスを打ち切られるかも分かりませんし、その混乱に乗じて攻め込まれるかも分からない。それなら、出来るだけ独自の技術で行おうとした結果なのでしょう。
その中国の動きを見て、欧米・日本はどの様な態度をとっているのかというと『中国は信用できない。』といった態度を取っていますし、何なら、『攻め込まれる前に先制攻撃しよう!』なんて意見が囁かれる状況になってたりする。 中国側から見れば、『また、無理やり理由を探して攻め込んでくるんだろ?』って感じなのかもしれません。

歴史を振り返ると、モンゴルが覇権を握っていた時期を除けば、欧米・日本は、中国に攻め込んだことは有っても、攻め込まれた事は無いわけです。
にも関わらず、日本国内から防衛手段を構築しているだけで『あいつら武装してるから先制攻撃しても良いよね』なんて意見がわずかでも出てきている状況では、中国は頑なにならざるをえないでしょう。

その他には、従軍慰安婦問題などもありますね。 日本の従軍慰安婦問題は韓国との間の問題ですが、この映画に登場する女性の性奴隷も同じ様な構図となっています。
最初は、中国のヤクザが『女の奴隷を用意するから、それを売れば良い』と持ちかけますが、アメリカ側は、これを拒否します。拒否する理由は道徳的な問題ではなく、単純に、『子供が出来て居座られると困るから。 奴隷は、用がなくなったらさっさと国外から追放したい』という身勝手なものです。
しかしヤクザ側が、『女房を世話するわけじゃない。 性奴隷として扱って、要らなくなったらどうとでもすれば良い。』という話を聞き、ヤクザ側の提案を受け入れます。

実際問題として女性を拉致監禁して外国に売っているのはヤクザですが、何故、ヤクザの商売が成り立っているのかというと、買ってる人間がいるからです。
買う人間がいるから需要が生まれて供給体制が整ってしまう。ヤクザは人を攫って売るという商売が成り立つわけで、アメリカ側が徹底して性奴隷の購入を受け付けなければ、この様な悲劇は怒らなかったんですよね。
日本の従軍慰安婦問題も同じで、実際に女性を集めた人間が日本軍か地元の人間かはどうでもよく、最大の問題は、騙されたり拉致された女性を商品として購入したという事実なんですよね。

話を戻すと、アメリカ側は非合法な手段で集められた人間を悪びれずに購入していたわけですが、それをすんなり受け入れていたのは、自身も、中国人奴隷を非合法な手段で集めていたからです。
この映画の中では、中国人奴隷の集め方が簡単に紹介されているのですが、その方法は、『アメリカはゴールドラッシュで、歩けば金塊につまづいて転んでしまう程に金が有る。 渡航費用さえ渡せば、アメリカで金を掘り放題だぞ!』といって、人を集めます。
当然ですが、アメリカに金がゴロゴロしているはずもなく、渡航費用を持参で契約に来た労働者は、その後、アメリカに奴隷として売られます。 アメリカ側は、奴隷として売る予定の人間から渡航費用を取って、更に、奴隷を販売して売上を得るということを行っていたわけです。
アメリカ側が最初、『中国人女性の奴隷はいらない』といったのは奴隷を使い捨てる為で、女性が来て現地で子供を作られて繁殖されたら困るからという理由だったわけです。

この話は、『昔は酷かったね。』で済まされる問題ではありません。 今現在の日本は、外国人実習生という名で低賃金で肉体労働をさせる奴隷のような制度を取ってますし、『いつかれたら困るから』という理由で家族の同伴を認めていませんし、期限も限定していたりします。
『労働力は欲しいけど、社会保障はしたくないので、使い捨てにしたい。』という考えが透けて見える様ですが、この考え方というのは、この映画に出てきた奴隷売買を行っているアメリカ人商人と同じなんですよね。

主人公のウォン・フェイフォンは、一連の騒動が収まった後に中国の現状を客観的に見て、この様なセリフをつぶやきます。
『彼らは、アメリカは黄金で溢れているというが、では何故、彼らは中国に押し寄せてくるのだろう?  この国そのものが、彼らにとっての黄金なのかもしれない。』

このセリフは、現代の様々な出来事の問題点を完結に表しています。
国同士の問題も当然そうですが、個人レベルまで落とし込んだとしても同じでしょう。

例えば、情報商材詐欺や高額なセミナー、サロンを開いて金を集めている人たちがいますが、彼らは何故、何の思い入れもない他人に対して金儲けの方法を伝授しようと思ったのでしょうか。
多くの人を幸せにしたいと思うのであれば、情報を無料で共有すればよいわけですが、そのような事はせずに、金を貢いだ人間にだけ、その方法を教える。
金を稼ぐために金を貢がなければならないというのは、普通に考えればおかしな話ですが、それでも貢ぐ人がいるのは、貢いだ以上のリターンが有ると思うから貢ぐのでしょう。

しかし実際には、その情報をフル活用したとしても、貢いだ金を回収することは不可能です。 当然といえば当然で、情報商材を販売して儲けている人の収入というのは、有りもしない金の稼ぎ方を知る為に群がってくる信者からの貢物が全て。
本当に、情報商材にのっている方法で荒稼ぎできるのであれば、わざわざ、その情報を他人に教えてお金を稼ぐ必要もなく、その方法を独占すれば良いだけです。

アメリカのゴールドラッシュも同じで、本当に儲かると思うのであれば、自分たちで土地を買って採掘すれば良いわけですが、実際にはそれほど割の良いものではない。
ゴールドラッシュで一番稼いだのは、金を採掘したものではなく『つるはし』を販売した者だ…なんていわれていたりもしますが、それに付け加えて肉体労働をする奴隷もつければ、更に大儲けできそうですよね。
アメリカ人が、わざわざ中国にまで来て人をかき集めていたというのは、中国人である彼らこそが大金を生む金塊であって、アメリカに眠る、掘り当てられるかどうかもわからない金なんてどうでも良かったんでしょう。


この様な感じで、この作品は様々なことを教えてくれる作品だったりします。 20年以上前の作品ですが、中国が経済大国として台頭してきた今だからこそ、観ておきたい作品だと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第40回 イオニア自然学 (1) 後編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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前回はこちら
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神話ありきの経済

何故なら、世界が自然的なものであるのなら、神々に祈る呪術師などの存在は不要になってしまうからです。
神々という存在が超自然的な力を持っていて、それを気まぐれに振るうからこそ、神々をなだめる呪術師や祭司が必要になるわけですし、神の声を聞く預言者や、それを広める詩人が必要とされたわけですから。
その結果として、神話の中では、私達が住むこの世界は、神々の超自然的な力によって創造された事にされてしまいます。

この宇宙には、最初は混沌、カオスのみが広がっていて、そこから、大地の神でありながら全てを内包しているガイアという地母神が生み出されたとされます。
そしてガイアは、誰の手も借りること無く、一人の力で、天の神や海の神、暗黒の神、愛の神を生み出し、その中の一人、天の神ウーラノスと結婚し、ウーラノスが神々の王となったという始まりをします。
その後、数多く生み出された神々やモンスターや巨人族によって争いが起こり…といった感じで発展していき、物語としてもドンドン面白く、派手になっていくわけですが…

私達人類の歴史の始まりに近づくに連れて、神話のスケールはどんどん小さくなっていきます。
これは、当然といえば当然ですよね。 人間は、神々を想像することによって生み出しましたが、その神々を実際に目にしたことはありませんし、超自然的な能力を使った場面も目撃したわけではありません。
宇宙が誕生した当初は、超絶凄い能力を持っていた神々が沢山いて、派手な戦争を繰り広げていたのに、その神々や巨人族、モンスター的なものを目撃した人類は一人も居ないんです。

人類が存在していないような、宇宙の始まりの当初こそ、派手に自由に作れた物語も、人類の登場と共に辻褄合わせを行わなければなりませんから、神々の存在や力はスケールダウンしていきます。
結果として、人類が生まれてからの出来事は、神々の持つ超自然的な力を使わなくても、観測可能な自然的なものだけで説明が可能になってしまったんです。
これは、ギリシャ神話に限らず、現在でも信仰する人が多いキリスト教の創世記なども同じですよね。

こういった状態になると、このように暴走していった神話から距離をとって、改めて吟味してみる人達が出てきます。
それが、イオニア地方の学者たちです。

疑われる神話

何故、イオニア地方の人達だったのかというと、この当時のイオニア地方は、西洋の中でもかなり進んだ国だったようで、今で言う科学的なモノの見方というのが、学者だけでなく一般層にも広がっていたそうなんですね。
つまり、何か困ったことが有った際に、呪術師を頼るのではなく、現実的な手段で解決するという感じで、文化レベルが進んでいたために、おとぎ話の様な神話を熱心に信じる人達というのが少なかったんでしょう。

イオニアの学者たちは、人々が無邪気に神々の存在を信じて、まるで彫像で表現された神々が実際に存在しているかの様に振る舞っているけれども、本当にそんな存在はいるのかと疑いを持ち始めます。
飾られている彫像は、どれも、美しい、完璧な形をした、人の形をした彫像ですが、神々というのは、完璧な造形をした人々の様な形をしているんだろうかと疑問を持ちます。
つまり、人々が崇めている神々は、人間という種が作り上げた概念だから、人の形をしているのではないかという疑いです。

つまり、仮に、魚に意識が有って、魚の中で文化を作り上げているとした場合、魚が生み出す神は、おそらく、魚の様な形をしているでしょう。
馬が同じ様に意識を持って、パターン認識によって文化を作っているとすれば、そこで生み出された神の姿形は、馬のようになっているのではないかという疑いです。

それぞれの種族同士はコミュニケーションが取れないわけですから、他の種族が文化を築いているかどうかは分かりません。
その様な状態なら、すべての種族が自分たちの種族が世界の中心と考えるわけで、その中心の種族である自分たちの姿形に似せて、神々を創造すると考えた場合、神々の存在も、実際に存在するのではなく、想像の産物だということです。
人間という種族が想像して作ったから、神々は人間のような形をしているし、人間が考える価値観によって、美しい造形をしているということですね。

こうして、神話に対する疑念が膨らんでくることによって、学者たちは、神々に頼らない形で、宇宙の成り立ちを説明していこうと考えるようになります。
そうして生まれたのが、イオニア自然学です。

イオニア自然学

記録が残っている中で最古の哲学者と言われているタレスから始まって、ピタゴラスヘラクレイトスアナクシマンドロスアナクシメネス・アナクサゴラス・エンペドクレスと様々な人達を加えつつ…
最終的にデモクリトスが原子論を生み出して、現代の科学に通じる考えにまで至ることになります。

一応、言っておきますと、ここら辺の人達の本ですが、あまり出版されていなかったり、出版されていたとしても、結構な値段がしたりする為に、今回、話す情報としてはかなり薄くなります。
参考にしたとしては、岩波文庫から出ている『ソクラテス以前以後』という本だけで、後はネットで調べた情報になるので、予め、ご了承ください。

この人達のアプローチとして共通している点としては、宇宙を構成している要素は何なのかという点を追求したところです。
最初の方でも紹介しましたが、タレスは、万物の根源は水だと主張しましたし、ピタゴラスは、数によって全てが解明できると信じていましたし、ヘラクレイトスは、万物流転を主張して、存在そのものについて考え抜きました。
その他の人達も、それぞれの方法で、世界を構成している根本的なものを突き止めようと、考えを巡らせていく事になります。

そして最終的には、デモクリトスによって原子論が誕生します。
原子論をものすごく簡単に、物体を分解していくと、最終的にはそれ以上に分解できないところにまで到達してしまう。
それを、原子と呼ぶというもので、今の科学の考え方に、近いものですよね。

原子論を始めとして、何故、根源的なものについて考えたのかというと、全てのもの、つまり、ものが存在する事そのものについての根源的な原因を解明できれば、後は、その考えを発展させていけば、演繹的にこの宇宙の事が解明できると考えたんでしょうね。
という事で次回は、このイオニア自然学の人達がどの様な考えをしていったのかについて、簡単に見ていこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第40回 イオニア自然学 (1) 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

カオスからパターンを認識する

前回までの2回で、人間の文化がどのように生み出されていったのかというのを、独断と偏見によって簡単に振り返ってみました。
簡単な内容としては、元々は、自分たちの目の前に広がっている自然を観察して情報を集めるという単純な所から始まりました。
数多くの情報が集まってくると、それぞれの情報を関連付けていく事で、その中に法則性を見出す様になっていく。

このパターン認識によって、単純に情報を集めるという事だけではなく、隠された法則を見出して、そこから世界の成り立ちを推測するという考え方に発展していきます。
ただ、人が自然を観察する、または、自身の経験などを通して得た情報を思いつきで結びつけていく為、生み出される法則も、現在の科学的な考えだけに限定されず、様々な考えが生み出されます。

夜空に浮かぶ星の配置から世の中の出来事を先読みするという法則は、現代の天文学も生み出しますが、同時に、占星術も生み出しますし、神話も神々も生み出します。
こうして生まれた様々な考え方は、その後に生み出された様々なアイデアや新たな法則を吸収していって、それぞれが、より大きな存在へと成長していきます。
成長した大きな思想は、それ自体が更に派生して枝分かれして、専門分野を生み出していくことになります。

この様な感じで、大木のシルエットのように枝分かれしていって、末端部分に近づけば近づくほど、それぞれの思想の個性はより強くなって行き、独自色を強めていきます。
例えば神話であったり、宗教であったり、シャーマニズムであったり占星術であったりですね。
こうして生まれた考え方の一つに、イオニア自然学派というものがあります。

イオニア地方

イオニアというのは土地の名前で、場所的には、バルカン半島の東の対岸に位置するところですね。国でいうとトルコにあたります。
ギリシャ人のポリスの一つとして誕生して、紀元前7~前6世紀に経済的に繁栄しますが、紀元前6世紀半ばにはアケメネス朝ペルシア帝国影響を強く受けるようになり、支配下に入るようになったようです。
ポリスは、共同体とか都市とかそういったものという捉え方で良いと思います。
ですが、その後、ペルシャから貿易活動の制限などの経済制裁を行われた事がきっかけとなって、ペルシャに対して反乱を起こし、それが、ペルシャ戦争へと発展する様までなったようです。

このイオニアで、神々といった神話以外の【自然】によって、この世の成り立ちを説明しようとする、タレスという人物が誕生します。
この、タレスという人物は、記録が残っている中では最古の哲学者と呼ばれている人物です。

最古の哲学者 『タレス

哲学というのは考えることの総称なので、今のように専攻といったものは無かったんでしょうけれども、簡単に調べた範囲でいうと、天文学や数学に秀でた人物のようです。
逸話としては、母親から常々、『哲学なんて金にならないものにうつつを抜かして…』と愚痴られていたそうなのですが、ある年、天文学を利用して翌年のオリーブの豊作を予知します。
そして、収穫シーズンではなく需要がない冬の間に、圧搾機械を全て借りて独占することで、収穫シーズンにそれを又貸しすることで大儲けをして、その気になれば金を稼げる事を証明したそうです。

では何故、今までは金儲けをしなかったのかというと、自分自身に金を儲けようとする気がない。 金や、それを消費することによって得られるものに関心がないからだったようですね。
金や、それを消費することによって得られる物やサービスよりも、真理の追求の方が魅力的だったんでしょうね。
その他には、特定の時刻に外に立って、自分の影の長さを測って、自分自身の実際の身長との比率を調べて、同じ時刻にピラミッドの影の長さを測って、ピラミッドの高さを計測したという話もあります。

このタレスですが、先程も書きましたが、神話や、それに登場する神々を用いること無く、この世を構成しているものを説明しようとして事で、注目を集めています。
一番有名な主張としては、万物の根源は水であるという主張です。
人間も、体中に血液が循環していますし、主成分である水を取り入れて血液をろ過しないと生きていけませんし、植物もそうです。
この世にあるモノのほぼ全てに水が含まれているので、そう考えるのも理解出来る気はしますよね。

この様な感じで、神々を用いずに自然界の物質のみで世の中の事を説明しようとする点では、現在の科学に近い考え方ともいえますね。
このタレスを中心に、自然界の物質のみで世界を説明しようという流れが起こって、イオニア自然学、または、ミレトス学派とも呼ばれる考え方が盛り上がってきます。

パターン認識によって生まれた神話

では、何故、この様な人達が出てきたのでしょうか。簡単に結論を言ってしまうと、何でも神々の存在で説明する事に、疑問が出てきたからです。
何度も繰り返しになりますが、人が文明を築き上げて行く一番最初は、自然を観察する事によってデータを集めるというところから始まっています。
そして、それらのデータの中から相関関係や因果関係を見つけ出し、人は、この世界の仕組みを読み取ろうとしてきました。

ただ、その情報量が膨大になってくると、それらの取扱に困ってきます。
全ての理論や、元となるデータを間違うこと無く覚えることは、相当な努力が必要になりますし、量によっては、その努力をしたとしても覚えることはできません。
文字が開発されていれば、書き残すことで後世に伝えていくという方法もあるでしょうけれども、今のように印刷技術が無い状態では、それらの情報に触れることが出来るのも、ものもごく一部となってしまいますし…
現代のように全ての人間が教育を受けられる状態でもないので、その情報を活かせる人間も少数ですし、そもそも文字が開発されていなければ、その手段は使えません。

では、この様な状態で、効率よく多くの人間に情報を伝えるにはどうすればよいのかというと、法則や元データを一つの物語にしてしまって、それを語り継いでいく方法が有効です。
空に無数に存在する星も、一つ一つの配置を丸暗記するよりも、何個かの星を一塊にして、それにキャラクターのイラストを重ねることで星座にしてしまう方が覚えやすいですし、
それらの配置も、夜空を一つの絵巻物のように見立てて、星座に当て嵌めたそれぞれのキャラクターが、何らかの物語を演じているとした方が覚えやすいです。

パターン認識によって、関連があると思われている出来事を、それらのキャラクターを絡める事で一つの物語にしてしまえば、子供におとぎ話を聴かせる様な感覚で、今までの知識を後世に伝えることができます。
この物語に登場するキャラクターが神々になると、物語は神話になります。
神という存在の発明がいつ行われたのかは、分かりませんが、季節の移り変わり等の、人にどうにも出来ないような事が、適当に起こっているのではなく、規則正しく起こっているという事実が、『完成された法則を創った存在がいる』と思わせたんでしょうね。

この様にして生み出された神話ですが、一度、神話という概念が生み出されてしまうと、この概念はドンドン膨張していくことになります。
ゼロから1を生み出す事は難しいですが、1が生み出されてしまうと、それを2・3と発展させていくのは、それほど難しいことではないんです。
これは、現状で生み出されたものを観ると分かりやすいですよね。

膨張 拡大する神話の世界

例えば、ガンダムをゼロから生み出すのは大変な苦労が必要ですけれども、一度出来た概念の続編を作ったり、二次創作を作るのは、全くのゼロから生み出す事よりも簡単ですよね。
神話も同じで、詩人などのよって、その物語はドンドン拡張されていきます。
元々は、自然現象の観察から始まって、それらの中に見出した法則を神々として擬人化し、その擬人化した神々に物語を演じさせていたわけですが、その擬人化は、人の持つ感情などにも適用されることになります。

人が、ふとした瞬間に生み出す感情や、美しいと言った概念的なもの等も、神々として擬人化され、物語は拡大していきます。
生み出された神々は、彫刻家によって実態を持った形で、あちこちに飾られることになりますし、最初はイメージがあやふやだった神々のイメージも、何度も何度も作られることによって、ドンドンとイメージが明確になっていきます。
そして最終的には、彫刻を観ただけで、『これはゼウスの彫刻。 これはアポロン』といった感じで、彫刻を観ただけで、その神々を見分けることが出来るまでに、細かい部分まで作り込まれていくことになります。

また、演劇や聖地巡礼などで経済にも影響を与え始めると、その物語は、最初に生み出された理由を離れて、ドンドンと暴走していくことになって、神話を語り継ぐ人々も、自然の法則ではなく神々の存在を伝えるようになっていきます。
こうして宗教化して、神話が暴走して巨大なコンテンツになってしまったことによって、それを利用して生計を立てる人達も登場します。
呪術師であったり祭司であったり、神々の声を聴く預言者であったり、そこから物語を生み出す詩人たちですね。
この人達によって、神々の声は選ばれたもののみが聞くことが出来る事にされてしまいましたし、また、世界は超自然的なものでなければならなくなりました。

(つづく)
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【アニメ・ネタバレ感想】ダンガンロンパ『未来編』『絶望編』 希望は絶望の中にある?

先週末のことですが、アニメ、ダンガンロンパの未来編と絶望編を観ました。
少し前の作品ですが、何故、今頃になってみたのかというと、Twitterのタイムラインでアマゾンプライムでの配信が始まっている事を知ったからです。
1作目の『ダンガンロンパ the Animation』は地上波を録画していてみたのですが、その続編である作品は、観れていなかったんですよね。

という事で今回は、ネタバレ前回で、感想・考察などを書いていこうと思います。

特殊な作り

この作品ですが、タイトルとしては『ダンガンロンパ the Animation』『未来編』『絶望編』と3つ存在し、物語の時系列的には、『絶望編』が基準となるダンガンロンパの前日譚で、『未来編』で、ダンガンロンパのその後を描いているという作品なのですが…
これらの作品。普通の見方で観ると駄目という、ちょっと変わった作品です。

 

一番最初に放映された『ダンガンロンパ the Animation』から観るというのは当然ですが、その後の『未来編』と『絶望編』の鑑賞の仕方に注意が必要となります。
答えから書くと、『未来編』と『絶望編』のどちらか一方を観てから、もう一方を観るというのではなく、両方を交互に観るというのが、正しい鑑賞の仕方です。
交互にとはどういうことかというと、『未来編』の第1話を観終わったら、『絶望編』の第1話を観て、その次に『未来編』の2話を観て…といった感じで、『未来編』→『絶望編』と順番に交互に観ていくということです。

交互に観るなら、どちらが先でもよいのかというと、そういうことはなく、最初に『未来編』を観てから『絶望編』という順番で観なければなりません。
というのも、絶望編の第1話は未来編の第1話のネタバレから始まってしまうからです。
また、未来編の最終回は物凄く中途半端なところで終わっているわけですが、その続きが、絶望編の最終話である『希望編』に続いているという構成になっているので、この順番で観なければなりません。

何故、こんな作りになっているのかというと、この作品は同じクール内で同時に放送されていて、『未来編』→『絶望編』の状態で観るようになっていたからです。
普通にオンエアーの順番に沿ってみると良い作りになっていたのですが、それが、後から動画配信サービスなどで観る際には、注意をしなければならないという状態になってしまった様です。

ダンガンロンパ とは



この作品は、もともとはゲームとして誕生した作品です。
私自身はゲームのプレイ経験がありませんが、アニメの方を観る限り、『逆転裁判』の様な感じの推理ゲームのようです。
逆転裁判が、自分が弁護士になって、証拠や証言を集めた上で法定で検事と争うわけですが、ダンガンロンパも、同じ様に裁判で争う事になります。ただ、状況は全く違いますけれどもね。

どの様な状況なのかというと、まず最初に、主人公の『苗木くん』が希望ヶ峰学園に入学するところから始まります。
希望ヶ峰学園は、人類の希望となる人材を集めて育成する高校で、『超高校級』の日本中から集めて育成する施設です。
主人公の苗木くんは、『超高校級の幸運』を持つ人物で、見事に希望ヶ峰学園に入学。 初登校の為に学校の正門をくぐると、そこで目の前が暗転。目がさめると個室のベットで寝ている状態になっていました。

事態が分からない状態で、集合時間と場所が指定されたので、そこに赴くと、そこには既に『超高校級』の14人の生徒が集まっていました。
状況が把握できないまま、取り敢えず自己紹介を済ませると、『モノクマ』と呼ばれる半分白で半分黒の『クマのぬいぐるみ』のようなものが現れて、15人の生徒が閉じ込められているという事実を伝えてきます。
そして、『外に出たければ、ゲームの勝者にならなければならない』と、ゲームのルールを説明します。

ゲームのルールは簡単で、15人の生徒の一人を、他の生徒にバレない様に殺害する事。 他人にバレることなく殺害を実行できれば、その褒美として外に出ることが出来る。
ただ、これは単純に殺害を目撃されないということではありません。 殺人が行われた後に3人以上が死体を発見すると、アナウンスが流れて、『学級裁判』が行われます。
その『学級裁判』で、互いが自分の弁護を行いつつ、操作を行って証拠を突きつけ、犯人を見つけ出す当作業を行います。
その場で、見事に他人に罪をなすりつけて自分を無罪とできれば、自分だけが学校の外に出れて、他の人間が全員死ぬ。 しかし、見事に殺人犯を特定に成功されてしまうと、特定されて『クロ』となった人間は死刑になる。

見事に他人を出し抜いて、殺人を犯した上で無罪を勝ち取ることで勝者になれるというゲームです。
この学級裁判ですが、逆転裁判が『異議あり!』と矛盾した供述に対して突っ込むのに対し、ダンガンロンパでは、『コトダマ』という弾丸をリボルバーに込めて、矛盾した発言をした相手に対して撃ちこむことで論破していきます。
『ダンガン』を打ち込んで『ロンパ』するので、『ダンガンロンパ』という事なのでしょう。

この作品は、3まで出ているようですが、ナンバリングによってゲーム性そのものが変わったりもしているようですが、ともかく、一番最初はこんな感じの絶望のゲームによって幕開けします。

『未来編』と『絶望編』

今回紹介するのは、そのダンガンロンパ後の話が『未来編』として、そして、何故、希望ヶ峰学園に閉じ込められることになったのかというのを解き明かす『絶望編』です。
『未来編』『絶望編』ともに、初代ダンガンロンパで絶望的ゲームを開催した黒幕の名前がバンバン出てきますので、この作品を観ていない方は、絶対に初代から観ましょう。

ネタバレ感想・考察

ネタバレ感想というタイトルで書いていますので、黒幕含めた情報をネタバレ有りで書いていきます。 まだ観てない方で興味の有る方は、この先は読まずに先に観ましょう。


初代のダンガンロンパは、個人的には雰囲気も好きで、単体でも楽しめたわけですが、結構、謎が多い作品でもありました。
主人公たちは希望ヶ峰学園に閉じ込められますが、それは拉致監禁などではなく、主人公たち自身の意志で、外の世界と断絶する為に閉鎖された空間を作った(その部分の記憶は消されて無い)わけですが、クラス揃って引きこもりになってしまった原因である、人災ではなく天災レベルと言ってよいほどの『絶望的事件』とは何なのか?といったことは、最後まで明かされることはありませんでした。
また、すべての黒幕である『江ノ島盾子』という人物も、最終話に出てきただけで、どの様な人物かがイマイチ理解が出いませんでした。
まぁ、江ノ島盾子に関しては、最後にしか登場していないにもかかわらず、物凄いインパクトを残していた為に印象は濃かったですけれどもね。

今作品では、江ノ島盾子の動機と、彼女の思想が全世界にどの様な影響を与えたのかというのをメインテーマとして取り扱っているので、江ノ島盾子が主人公ともいえる作品に仕上がっていたので、かなり興味深く観ることが出来ました。
気になる彼女の動機は、『希望は予定調和。 その一方で絶望は理解が出来ないので、面白い。』といったもの。

前回の作品では、登場する時期が遅すぎた為、情報不足で考察すら出来ませんでしたが、江ノ島盾子の肩書は『超高校級のギャル』でもなく『超高校級の絶望』でもなく、『超高校級の分析能力』を持つ人間で、凄まじすぎる分析能力によって、あらゆる出来事が先読みできてしまう能力者だった事が分かりました。
普通に考えれば、それほどの能力があれば面白おかしく生きられそうな気もしましたが、常軌を逸した分析能力の結果、全ての出来事の結果が事前に分かってしまうというのは、言い換えれば、犯人とトリックをわかった上で推理小説を読むようなもので、あらゆる出来事が茶番であり、時間の無駄としか思えないようなもの。
そんな能力を持った彼女は、人生を楽しむことなく、退屈な日々を過ごしていたが、そんな彼女すらも予測できない事態が『絶望』で、彼女は絶望の虜となり、全世界を絶望へ叩き落とす事に夢中になった…

ここで面白いのが、江ノ島盾子は平穏な日常に絶望していたわけですが、その絶望から逃れるための希望が、『全世界を絶望に叩き落とす』事だったという事です。
江ノ島盾子は、絶望の中に希望を見出していた為、前作のラストで正体が見破られて処刑される際も、常に笑顔で全力で処刑を楽しんでいました。
三者の視点から観ると、彼女の絶望と希望という価値観が入れ替わっていた為に引き起こされた事件とも読み取れるわけですが… 絶望を追い求めていたはずなのに、本人の中では絶望が希望に変換されていたというのは、いろいろと考えさせられますよね。

そんな彼女に対抗するように、この物語では3人の『超高校級の希望』が登場します。 前作の主人公である苗木くんもそうなのですが、その3人の能力が全て『超高校級の幸運』で有る事も、興味深いですね。
この作品には、様々な能力を持つ人物が登場するわけですが、絶望を前にすると、それらの能力は尽く無意味となってしまいます。
しかし、そんな『絶望』の化身である彼女に対抗できるのが『幸運』だけというのも、皮肉な感じがしてしまいます。

何らかの超絶スキルを持っていたら…とか、地力があれば…とか、『努力すれば、なんとかなる!』というのではなく、本当の絶望の中から抜け出せるのは運だけという事実を理解してしまうと、その事実が絶望になりそうだけど、実際問題として絶望から抜け出せる可能性を考えると『運』ぐらいしか無いので、妙に説得力があって面白い。
例えば、自分のことを理解してもらえない職場環境を何とかする場合、自分が努力して認めてもらうというのは成功する可能性は少ない。
しかし、転職を繰り返し、運よく、『自分のことを理解してもらえる上司や同僚』に知り合うことができれば、何のスキルの努力もなくても、事態は好転する。
結局の所、『人生は運』といっているようにも思えるが、実際問題として人生は『運』で、運の前には全てのスキルは無意味なので、この構成には妙に納得してしまった。

そして結末。 江ノ島盾子が、短期間で世界を絶望にたたき起こせた原因は、『超高校級のアニメーター』御手洗亮太が持つ演出能力で、あらゆる演出効果を重ね合わせることで、見るだけで他人を洗脳して強制的に感動させる事ができる程の映像を作り出せる能力を、江ノ島盾子が『超高校級の分析能力』で解析し、見るだけで絶望の虜になる映像を作り出せたことでした。
映像によって世界が『絶望』に染まったのなら、同じ方法で、世界から『絶望』をなくし、『希望』にする事が出来る…
そう考えた御手洗亮太は、密かに制作していた『希望のビデオ』を全世界に向かって流そうとする。 普通の作品であれば、これを皆が手助けするという展開になるのですが、この作品では、皆が協力して御手洗亮太を阻止しようとするところも面白い。

江ノ島盾子が作り出した『絶望的な世界』には、主人公を始めとした『希望』が存在しますが、絶望がまったくない『希望だけの世界』になってしまうと、それはそれで問題が有る。
絶望と希望は表裏一体の存在なので、世界から絶望だけを完全に消し去ってしまおうとする行為は、そのまま、世界から希望を消し去ってしまう行為にも繋がってしまう。
作品自体に、『この世界は、絶望があって、希望があるから良い』とするメッセージが込められていて、勧善懲悪になっていない点も面白かったですね。

家事は自分たちで行わなければならないのだろうか? 家事労働放棄でまわる経済

ここ最近、特に思うようになったのですが…
家事って、各家庭で行わなければならないものなのでしょうか?
という事で今回は、家事のアウトソーシングについて考えてみようと思います。

家事をやっている暇もない現代社

私は現在40歳で、バブル期というものを社会人としては体験はしていないのですが、子供の頃や学生の時代を考えると、今よりも、専業主婦というのが当たり前だったように思えます。
『男が社会に出て稼ぎ、女性が家庭を守る』というのが当然だった社会。これは逆でも全く問題はないのですが、ともかく、家族の中で1人が外に働きに出るだけで、家計収入としては全く問題がない社会でした。
言い換えれば、それだけ安定していたという事です。初任給こそ現在とさほど変わらない様な金額かもしれませんが、年功序列で終身雇用で、毎年昇給するのがが当然の社会だった為、20代で結婚して子供を生んでも、その子供が高校・大学に行く頃には収入も順調に上昇しているので、家計的な心配もなかった時代だったように思えます。

当時でも、共働き夫婦というのは存在しましたが、生活が苦しいからというよりも、『二人して働いて、相当稼いでいるな!』なんていわれていた時代ですし、ダブルインカム・ノーキッズで『若い時代に稼いでおこう!』なんて話もされていた時代でした。
しかし時代は流れ、今現在では、初任給はそのままに、その後の昇給が殆ど無く、終身雇用も崩れ、『二人して働いて収入がっぽり!』の状態から、『二人で働かないと最低限の生活が出来ない状態』になりつつ有ります。

当然ですよね。 一昔前と比べても、中央値で見れば給料は激減しているわけで、それで昔と同じ様な生活をしようと思えば、収入を増やすためにも、共働きにならなければならない。
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総理は、『1億総活躍社会!』なんていってますが、裏を返せば、今まで家で家事労働をしていた人や、退職を迎えた老人も働かないと暮らしていけない様な状態へと、追い込まれてしまいっている状態です。

家事労働によって生まれる軋轢

家事労働をしていた人間が、『小遣いを増やしたいからパートする』という状態から、『働かないと普通の生活が出来ない状態』に変化してきているので、当然、気持ち的な余裕も無くなる。
また、パートではなくフルタイムで働く人も増えてきている為、必然的に、家にいる時間も減少している。
そんな中で今までと同じ様に家事を行おうと思うと、1人では無理という事になり、家事を分担しなければならないということになる。

結果として、外でも働いて家でも働くという状態になる。 また、家で家事労働を分担してやる場合、互いの家事労働のクオリティの方にも目がいってしまう。
例えば、女性が手を抜かずに料理を作っている一方で、旦那の掃除が荒くて隅々まで掃除が出来ていないとなれば、その部分に目がいってしまう。
『私は、ちゃんとやっているのに、旦那はサボっている』(当然ながら、逆もありうる)という状態になれば、軋轢も生じてしまうでしょう。

家事は自分たちで行わなければならないのだろうか?

ここまで考えて思うことは、『はたして、家事って自分たちで行わなければならないのか?』という事です。
東南アジアの国々、例えばタイなどでは、そもそも家では料理をつくることは無いようです。
家事労働の中でも代表格である料理をやらずに、どうやって食べていっているのかというと、外食です。

テレビ旅番組などを観ると、東南アジアの風物詩のように屋台が映し出されて、色んな種類の食材が売られている映像などが流れますが、調理されたものを購入したり外食するのが基本で、食材を購入してきて、家で作るという行為その物を行わないようです。
外食が基本で、家では調理を行わないという事は、家に『キッチン』が必要ないということにも繋がります。その為、タイでは賃貸や販売用の家でも、最初からキッチンが作られていないという家も多いようです。

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家事のアウトソーシングで省かれる無駄

先程、料理を作らないで良いから、キッチンが必要ないという話をしましたが、これは、他の事でも同じです。
例えば、疲れを取るために入る風呂ですが、風呂を清潔に保つためには、定期的に掃除をしなければならないわけですが、これがかなりの重労働です。
掃除を怠れば、そこら中に石鹸カスや垢で汚れますし、換気を怠れば、カビだらけになってしまいます。

しかし、家で風呂に入るという行為を放棄して、毎日、風呂屋に行くという選択をしたとしましょう。
すると、その選択をするだけで、風呂掃除から開放されるだけでなく、風呂そのものが家から必要なくなる為、その空間を別の用途で使用することが出来るようになります。
現代では、風呂屋というものが減少傾向ですが、その代わり、スポーツジムが大量に増殖している状態です。 スポーツジムには風呂やサウナが併設されている場合が殆どで、尚且、風呂やと違って月額料金なので、月額利用料さえ払ってしまえば、一ヶ月の間は入り放題になります。
スポーツジムで体を動かし、プールで泳ぎ、その上、サウナや風呂に入れる施設が1万円前後で利用できる時代。 家族全員で入ると、家族割引などが適応される施設も有るので、日々の風呂掃除などを考えると、十分、検討に値する施設と言えます
これは、一人暮らしの賃貸の場合、更に有効です。 賃貸で物件を借りる際に、敢えて、風呂なし物件を借りて近所のスポーツジムと契約すると、風呂有り物件と同じ様な金額で、サウナとプールとスポーツジムが付いてくる事になります。

金銭面的にはどうなんだろう

『食事は全部、外食で済ませる』『風呂は外に入りに行く』と生活習慣を変えるだけで、料理と風呂掃除から開放されるということを書いてきましたが、金銭面的にはどうなんでしょうか。
これは、今現在の環境で言えば、家で自分で料理を作って、家で風呂に入る方が、安上がりという事になるでしょう。現状のままでは、私が考えたことは、金持ちだけが出来る生活という事です。

しかし、これを全国民が行ったとしたら、どうでしょうか。
風呂屋の料金が微妙に高く、毎日はいると1万円を超える値段になってしまうのは、燃料費の高騰という事も有るでしょうが、根本的には、家風呂が定着し、風呂屋の客が減少したのを埋める為の値上げと考えるのが妥当でしょう。
今でも、湯を沸かすのに重油を使わず、解体屋から木材を譲ってもらって、それを燃やしている風呂屋も多い為、燃料費だけで、昔と比べて料金が倍近くに上昇したとは考えられません。 客の減少が大きな理由でしょう。
値上げの根本原因が客離れであるのなら、全国民が施設を利用することで需要が増えれば、値段は下がる可能性が高いでしょう。

これは、飲食店も同じだと思われます。
例えば、町内60人が住んでいる町内にに1件の飲食店が有ったとして、町内の人が毎日、同じ町内の飲食店に行くとした場合、その飲食店は最低限の売上が確保される為、効率化を行うことが出来ます。
同じ人が毎日来る事が前提であれば、月に定額を支払う事で、朝昼晩の食事を一ヶ月提供するなんてサービスも出来るかもしれません。

全員が料理を作らないと決断する事で、今現在の支出とほぼ変わりがない金額で、料理を外注する事も可能になるかもしれません。

家事のアウトソーシングは他にも波及する

家事のアウトソーシングによって効率化するのは、家庭内の手間だけではなく、社会全体も、より効率良くなる可能性が有ります。
例えば飲食店の例でいえば、今までは、各家庭が食材を購入して料理し、ゴミを各家庭で出していたわけですが、全員が飲食店に食べに行くとなると、基本的に生ゴミは家庭から出なくなります。
また、ゴミの量全般が激減するでしょうから、ゴミ収集車の巡回回数を減らすことが可能です。

その一方で、飲食店からのゴミの量は増えるわけですが、この量は、各家庭が各自で料理を作った際に出るゴミの量よりも、確実に減るでしょう。
家庭の場合は、安いからという理由で購入したけれども、存在を忘れて冷蔵庫の中で腐って発見されるなんて事は結構よく有ることですが、プロが事業として行う場合は、その様な事は激減します。

また、料理を飲食店が一手に引き受ける事で、食材の流通の仕方も変わるでしょう。
今現在は、スーパーが不特定多数の人に向けて販売する為に商品を仕入れているわけですが、誰がどれ位購入するか分からない状態で、販売機会を減らさないような仕入れを行う為、基本的は余るように仕入れます。
余った部分は廃棄されるわけですが、一般人が料理をしないと決断すれば、販売ロスの様なムダはなくなります。 ここで誤解しないで欲しいのは、食品ゴミがゼロになるといっているわけではありません。 各家庭が各自で食材を購入し、料理をした際に出るゴミの総量よりも、飲食店が家庭の代わりに料理を作った際に出るゴミの総量の方が少なくなるという話です。

人手不足問題の解消

ここで、『今話題の人手不足問題は大丈夫か?』と思う人も出てくるでしょう。 日本の飲食店はブラックが多く、なかなか人が集まらないという話は、結構聞きますからね。
この問題を考えるには、『何故、飲食店はブラックなのか』を考える必要があると思います。結果からいえば、飲食店は供給過多だからです。

料理をつくって提供する店の場合、余程、工夫しない限りは、店をまわすのに最低限の人数のスタッフが必要になりますが、そのスタッフに十分な給料を払えない程に売上が低いから、低い時給しか提示できない。
時給は低いけれども拘束時間は長いので、当然のように応募が少なく人手不足にはなるが、そもそも売上がない為、時給をあげることが出来ないというのが、根本的な問題でしょう

しかし、国民全員が毎日外食するとなれば、需要が激増します。
そうすると、供給過多の飲食店は一気に供給不足の状態になる為、業績が回復する店も続出するでしょう。
業績が回復すれば、労働に見合った給料を提示できるようになる為、人手不足も解消しますし、雇う人数を増やせば、シフトを細かく区切ることが可能になる為、長時間の拘束もなくなります。
また、この分野での人手不足が解消し、最低賃金の水準が徐々に上がれば、それは他の業態にも派生するでしょうから、一気に、様々な問題が解決する可能性も秘めています。

まとめ

この様に、家事のアウトソーシングをする事で、家庭内では、単純に家事労働から開放されて時間敵余裕が出来るだけでなく、家からキッチンやお風呂場といったスペースが排除でき、スペースを有効活用できるという利点が有ります。
また、食品の流通やゴミ問題なども効率化され、地球環境にとっても好ましい状態になるかもしれません。
それに加えて、大量の需要を生み出すことが可能になり、その需要によって、経済を再浮上させる可能性も有ります。

こうして考えると、家事は各自で行わなければならないという価値観そのものを、変える時期に来ているのかもしれませんね。

ジュリー騒動を受けて アーティストのライブについて考えてみる

ここ数日(2018年10月末)、ジュリーのコンサートドタキャン問題で結構騒がれていますね。
騒動を簡単にまとめると、70歳記念ツアーの一つが『さいたまスーパーアリーナ』で行われる予定だったのですが、それが当日になって中止になったという騒動。
中止になった理由も、体調不良などの理由ではなく、観客が9000人の予定だったのに、7000人しか集まらなかったという理由で中止を決定したという話。

この話を受けて、『せっかく客が来てくれているんだから、その客のためにもやるべき!』という多くの意見がネットなどで発信され、『ワガママ』とか『老害』などの誹謗中傷で盛り上がる状態になってしまいました。

私がこの話を初めて聞いた時の第一印象も、『このツアーの為に、地方から来ている人もいるのにな…』といったものだったのですが、理由を聴いて、中止の決定に納得してしまいました。
という事で今回は、その納得した理由を書いていこうと思います。

ライブとは何なのか

まず、『せっかく客が来てくれているんだから、その客の為にも開演すべきだ!』という方は、ライブというものを、どの様に捉えているのでしょうか。
ライブとは、歌手が歌を歌い、それを客が聴きに行くというだけのイベントなのでしょうか。

ライブが単純に、お金と引き換えに歌手の歌声だけを提供する為のサービスであるのなら、歌手はそのサービス業に従事する労働者という事になります。
既に、ライブ観覧の引換券であるチケットは販売済なのですから、その消費者のために、サービスを提供するというのは当然のことでしょう。

しかしライブとは、そもそも、その様なものなのでしょうか?
この騒動の問題を考えるために、まずは、ライブとは何なのかという根本的な部分から考えていきます

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ライブ中止の知らせを受けて怒った人は、アーティストのライブというのを商品として捉えていて、商品の代金を先払いしているにも関わらず、商品の提供がキャンセルされたという感じの理屈で怒っているのでしょう。
もし仮に、アーティストであるジュリー側もこの様に考えていたのであれば、コンサートの中止には至っていなかったと思います。
では何故、中止になったのかというと、アーティストとしてのジュリーは、ライブを歌声を提供するだけのサービス商品とは捉えていなかったからでしょう。

では、どの様に捉えていたのかというと、一種の空間演出と捉えていて、その空間演出に必要なのが、大半の客席が埋まっているという状態だったのでしょう。
ほぼ、全ての席が観客で埋まり、その熱気の中で歌うという、ライブ会場全体の空間そのものの演出、その演出を体験してもらうことがライブだと捉えていたが、観客の入りが少なかった為、演出に不可欠な材料が欠けた状態で当日になってしまった。
このままでは、お客さんに体験してもらいたいと思っていた空間そのものが作れないので、中止にしたのでしょう。

今回の件では、『プロとしてありえない!』といった批判もありますが、ライブというのが空間そのものの演出と考えるのであれば、不完全なものを提供して料金を取るほうがプロとしてどうかしているとも考えられます。

例えば、開店前から行列ができるような人気のラーメン屋が有ったとして、そこの店主がスープ作りを失敗してしまった場合を考えてみましょう。
開店時間が迫り、スープを1から作り直す時間も無い場合に、勇気を持って臨時休業にするのか、それとも、不味いと分かっていながら、出来損ないのスープを使った不完全なラーメンを提供するのか。どちらが、プロなのでしょうか。
店主が臨時休業を選んだとして、『せっかく来てくれて開店前から並んでいるお客さんが可愛そう! 私なら、ラーメン提供するのに! ラーメン屋って、そんなに偉いものなの?』なんて批判が出来るでしょうか?

誰に責任がるのか問題

今回の件では、ジュリーが矢面に立って批判され続けているのですが、本当に問題が有るのは、イベント企画運営会社や沢田さんの事務所の社員の方だと思います。
そもそも今回のライブですが、沢田さん自身が『さいたまスーパーアリーナでやりたい!』って言ったのでしょうか?
もし自分が会場を選んで、その会場を埋められなかったからと言ってキャンセルしたのならワガママかも知れません。しかし、本人以外の人達が、より多くのお金を儲ける為に、本人の要望を無視する形で大きな会場を予約したとしたらどうでしょう。

1万人が収容できる会場と、4万人近い人間が収容できる会場のレンタル費用が、それほど変わらないのであれば、イベント企画会社は、より多くの人数を収容できる会場を押さえた方が、チケット販売の伸びしろがある為、大きく儲けられる可能性が出てきます。
自分たちの利益を優先して、アーティスト本人の『客席が埋まった状態にして欲しい』という要望を軽視したのであれば、イベンターが悪いのであって、本人は悪くないですよね。

また、沢田さんが所属する事務所も、ライブを入れすぎのような気がします。
スケジュールを観てみると、だいたい3日に一回のペースでライブの予定が入っている状況で、年間で100近い公演を行っています。
http://www.co-colo.com/live/2018tour/2018tour.html
こんなペースでやっていて、4万人近い会場を借りる方がどうかしていると思いますし、アーティストを酷使しすぎだとも思います。
このペースについては、事務所の方針なのか、沢田さんの希望で行われているかがわからないので、余り責めることは出来ませんけれどもね。

誰が批判しているのか

この事は、当事者である現地に観に行ったファンには、ある程度伝わっている為か、ファンからの苦情というのはそれほど耳にしません。
これは、メディアがジュリー支持だから、その様なインタビューだけ取っているという可能性もありますが、Twitterなどでも、私が観ている範囲では、ファンからの苦情というものは目にしませんでした。

まぁ、50年近くに渡ってファンをやっている人にとっては、沢田研二さんという方は、こだわりが強い事も当然の様に承知しているでしょうし、ドタキャンは今回が初めての出来事ではなく、同じ理由で前にも一回ドタキャンしているので、ドタキャンで文句を言って離れる人は、とっくの昔に離れていっているのでしょう。
批判をする人は『ファンの為にもやるべきだろう!』といって怒ってるわけですが、その迷惑を被ったはずの当事者のファンは、納得している人が大半という状態になっている。

では、誰が文句を言ったり批判をしたりしているのかというと、沢田研二さんを特に追いかけていなかった人や、今回の件で初めて知ったような人や、思い出した人達が、ライブのチケットを購入したわけでもないのに、よくわからない正義感から怒りを露わにしているだけなんですよね。
その正義感も、身近にいる人が被害にあったからと言ったことではなく、正義感あふれる意見をTwitterに書く事で良い人アピールしたいといっただけなのでしょう。

この騒動を改めて振り返ってみると、そもそもファンでもなく、自分達に対して興味がなかった人達が、自身の善人アピールの為だけに、この出来事を利用されているという状態にしか感じないんですよね。

アートと資本主義

少し前のことですが、バンクシーというアーティストが、自分の作品がオークションで競り落とされた直後に、事前に作品内に仕込んでいたシュレッダーで作品を裁断するという事がありました。
その事を受けて、私自身が思った事をブログに書いてみたのですが…
kimniy8.hatenablog.com

私自身の文章を書く能力が低いということも有ってか、誤解をされて受け止められている方も少なからずおられるようなので、もう一度、この事について書いていこうと思います。

伝えたかったことはアーティスト批判ではないという事

前に書いた投稿では、主語を明確にしていなかった為か、アーティストを含む美術界全般を批判しているような受け止め方をされた方も、少なくない人数でおられる事でしょうが…
私が批判したかったのは、自分の気持などを作品に込めて発表しているアーティスト・クリエイターの方々ではなく、出来上がった商品を、金を生み出す道具のように扱っている人達の事です。

例えば、前回、デュシャンの名前を出して、『便器に名前をつけただけで美術品になった』という形で紹介しましたが、これは、デュシャンという人物を批判する為に出したわけではありません。
この作品を通して、問題提起をしたかったというのは批判しませんし、この作品を通して、物事を考える切っ掛けになったという人も多いでしょう。その事について批判はしませんし、やったことに対しては、『凄いな』とも思います。

このデュシャンが市販の便器にサインをしたことで出来た『泉』という作品は、本人が伝えたかったメッセージというのも有るでしょうし、評論家による解釈というのも有るでしょうが、単純に、その行動そのものが考えさせられるものです。
私が『泉』というアートの存在を知った際に感じたことは、『アートとは何なのか?』という素朴な問題提議です。
名の通ったアーティストが、既成品として作られた便器を指さして、『私が、これをアートと認めたからアートだ』と言いだし、便器にサインをして、アートとして主張し、そのプレゼンが通って、実際に賞をとる。
そして、美術館には『既成品として作られた便器』が飾れれる。

では、『既成品として作られた便器』そのものは、サインが付けられた以外に変化したのかというと、そうではない。
便器が置かれる場所が、美術館の展示室かトイレかといった変化は有ったでしょうが、『既成品として作られた便器』そのものの存在が変化したわけではない。
しかし、実際にプレゼンをして賞を取ったことで、その便器の価値は確実に変わっているわけで、それによって、それを見る人達の目も変わる。
では、『何が変わったのか?』といった、哲学的な問いを感じました。

また、その他にも、『プレゼンがしっかりしていて、アートの中にメッセージが込められていれば、お前たちは便器ですらも美術品として扱うんだろう?』といった、ちょっとした嫌味も感じ取れましたし、美術館という『美しいもの』や『技工が素晴らしいもの』などを飾る場に、糞尿を受け止めるだけの目的で作られた『既成品の便器』を敢えて選んだのも、皮肉が効いていて良いと思いました。

この解釈が正しいのかどうかは分かりませんが、とにかく、一つの作品を通して、これだけの問いを投げかけられたのだから、その『泉』と名付けられたアートは、意味のあるものだと思いますし、価値も有るものだと思います。

バンクシーの絵の裁断問題も、根本的な部分は、この『泉』と同じで、単純ないたずらではなく、現状の美術界に対するアンチテーゼとしての行動だったんだと思います。
資本家は、美術に興味があるフリをして、自身の財産の保全の為に安全資産として、また、長期的に儲けるために、オークションを通して美術品という名の資産を購入するわけですが、その資産家に対して、『このアートは、オークションで競り落とされた瞬間に裁断される事で完成する。資産家が多額の資産を投じて購入した「モノ」が無くなる感情も含めて作品だ。』とした際に、その資産家は、また、美術をお金に変えてしまうシステムは、どの様な反応をするのだろう? といった皮肉が込められていたのだと思います。
私のように資産を持たず、美術をお金を増やすシステムとしか観ていないような人に対して『モヤッ』とした感情を持つ人間は、絵が裁断されていくあの映像を観て、スカッと&爽やかな笑いがこみ上げてきましたが、あのパフォーマンスそのものがメッセージであり、アートだと主張されれば、それはそれで納得しますし、その行動には価値があると思います。

では、前回書いた投稿で、私が何を批判したかったのかというと、それらのメッセージをお金に変換してしまうシステムに対してです。

美術と資本主義

上記で紹介した投稿では、冒頭部分で、
『今回の件では、誰も損をしていない。
むしろ、絵がシュレッダーで破壊されたことによって、1点ものになった事で、むしろ価値が上昇した。
関わった全員がハッピーになる演出で、流石、バンクシーって感じですね。』
と笑顔でインタビューに答えた、美術評論家の映像を観て、『モヤッ』としたと書きましたが、私が批判しているのは、こんな発言を笑顔でしてしまう、事象美術評論家の人たちの事です。
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バンクシーのあの裁断事件は、オークションであったり、そのオークションを成立させる為に、必要以上にアートを価値有るものと祭り上げて、金額を釣り上げているシステムや、それに関わる人達に対する批判のメッセージも含まれていたと思います。
自分たちが批判されている、もっと言えば、喧嘩を売られているにも関わらず、笑顔で『更に価値が上がってラッキー!』なんて言えるのは、そこに込められているメッセージが理解できていないか、そもそもメッセージなんてどうでも良くて、そのアートが生み出す金額にしか興味が無いかのどちらかとしか思えないんです。

仮に、あの絵の購入者であったりオークション主催者が、バンクシーに対して怒りを露わにするといった行動を取っていれば、少なくとも私は、この様な『モヤッ』とした気持ちは沸き起こって来なかったのかもしれません。
しかし、美術関係者の多くの人が『裁断されたことで、むしろ価値が上がった!』といってしまった。
これは、オークションという場を利用した新たな表現方法が生まれたから、価値が上昇したのか。 それとも、オークションで落札されたものが『無価値』になってしまうと、今後のオークション運営に支障をきたすから、逆に価値が上がったことにして、購入者の資産を守ったのか。

笑顔で『裁断されて逆に価値が上がって、誰も損してない!』と言い切る美術評論家の映像を見た私の目には、アートに込められたメッセージが凄いからというよりも、オークションという制度を守りたいから、そう答えざるを得なかたようにしか見えず、『モヤッ』とした感情を抱いてしまったのです。
少なくとも、バンクシーは資本家を、より、肥え太らせる耐えにパフォーマンスを行ったわけではなく、現状のシステムに疑問を呈する為に行動を起こしたのだと思うのですが、それすらも、資産の価値を保証する為の物語に利用されている点が、何か、納得がいかないのです。

1500万メリット

この私の『モヤッ』とした気持ちを代弁してくれているような映像作品が有るので、私の気持ちを、より具体的に分かってもらう為に紹介します。その作品とは、海外ドラマ『ブラックミラー』の『1500万メリット』というエピソードです。以後、ネタバレを含みますので、まだ見ていない方で、これから見る予定が有る方は注意してください。
ブラックミラーは、SF版の世にも奇妙な物語のようなドラマで、1話完結で独自の世界を観せてくれるのですが、『1500万メリット』は、完全管理社会の話です。

『1500万メリット』の世界では、殆どの人々は、電力を発生させるために行きています。 電力を作る方法は、自転車型の発電機で、1日で決まった量以上の電力を作ることを強制されます。
ただ、この義務にはリターンもあり、生み出した電力をポイントにして、通貨のように使用することが出来ます。 自転車型の発電機にはモニターが付いている為、見たい動画チャンネルやゲームなどをポイントを消費して購入する事が出来ます。
そして、そのポイントを数千万レベルで貯めると、動画チャンネルの出演者に成る事ができるかもしれないオーディションの挑戦権を購入することが出来ます。
動画チャンネルを持てれば、視聴者数に応じてポイントが貰える為、もう、自転車を漕ぐ必要もなく、自由な暮らしをする事ができるという世界。

そんな世界で主人公の青年は、ポイントを特に使うこともなく、ただ貯めていたのですが、同じ様に発電作業をしている女性に好意をもつようになり、その女性の夢である、歌手になって自分のチャンネルを持ちたいという夢を応援する為に、自分のポイントを託します。
その女性は、オーディションで得意の歌を披露し、高評価を得たのですが、オーディションの主催者側から、『君の歌は素晴らしいが、歌手は十分過ぎるほど足りている。ポルノ女優であれば、空きがあるよ。』と言われ、周りの観客の空気感が生み出す圧力に押され、ポルノ女優になってしまいます。

主人公の青年は、それを機に、このシステムに疑問を持つようになり、今度は自分でオーディションを受ける為に、再び数千万のポイントを貯めます。
そして、ダンスを披露すると嘘をついてオーディション会場に行き、その会場で、自身の首筋に武器であるガラスの破片を当てて、少しでも邪魔が入りそうになると自殺できるような状態にで、システムに対する不満をぶち撒けます。
オーディションを否定し、完全管理システムを否定し、命をかけて、『現状はおかしい!』と訴えます。

すると、オーディションの主催者側が、こう言います。
『君のメッセージは良くわかった。 君の言葉は、心に突き刺さる!人を動かす! どうだ? 君のそのメッセージを伝える動画チャンネルを持たないか?』

命をかけたメッセージでさえも、お金を得る為のパフォーマンスにされてしまう。システムを否定しているのに、そのシステムに取り込まれてしまう…
この『モヤッ』とした感じ、分かってもらえるでしょうか。

他の分野でも同じ様な事が

これは、美術界に限ったことでは無く、似たようなケースは他のジャンルでも起こっている事です。例えば最近で言えば、ウィスキー市場がそう。
お酒の中でも、ビールやワインは、なんとなく消費者との距離が近いからか、消費量もそれなりにある一方で、ウィスキーというのは、それらと比べると、少し敬遠されがちのお酒です。
このままではシェアも増やせないし、このまま衰退していくと、ウィスキーという文化そのものが無くなってしまうかもしれない。

何とか、ウィスキーというお酒を身近にする為に、メーカーは、ビールと似た感じで呑みやすいハイボールを押し、それをCMで流す。 CMの内容も、若い人に訴求するような感じの作りにし、できるだけ多くの人に楽しんでもらえるように工夫しています。
またCMだけでなく、飲食店などと協力しキャンペーンなどを行ったり、できるだけ多くの人に楽しんでもらえるように、値段を安価に抑えたりと、様々な工夫をしています。

しかし、そんな最中、ウィスキーブームが来てしまいました。 このブームによって、ウィスキーの価格は暴投し、その暴投を見て、転売ヤーが市場のお酒を買い占め、更なる供給不足に陥ってしまいました。
そうなってくると困るのは、メーカーと飲食店です。
今まで、より多くの人に楽しんでもらう為に、努力してきたのに、資産家が自身の資産を増やす為に買い占めを行ったことにより、本当に呑んで欲しい消費者の元へ届くことはなく、転売ヤーの倉庫の中で眠っているという状況になりました。
市場に出ている量そのものも減少し、市場価格も上がっている為、店で出す場合の単価も上昇し、結果的にウィスキーは、庶民の手には届かない呑み物へと変わっていってしまいました。

こうなると、メーカーとタッグを組んで、ウィスキーをメインで出していた飲食店は、ウリとなる商品をウィスキーから他のものに変えざるをえず、結果として、ウィスキーを楽しむ文化というのは衰退していく事になります。

これは、アートも同じだと思います。
アーティストの多くは、例え庶民であっても、アートと触れ合う機会が増えたほうが良いと思っているでしょうし、例え資産家でなくとも、家に絵画やオブジェなどのアートが2~3個ぐらいあるのが普通といった状態になっていった方が、アートの裾野も広がって、良いと考えているのではないでしょうか。
しかし、資産家が一部のアートを数十億という値段で落札し続ける状況をテレビ画面を通して見せられ続けると、『アートって、庶民には関係が無いものなんだね。 金持ちの道楽だ。』と思う人が増えてしまうように思えます。

そもそもアートは、資産家の資産を増やす為の錬金素材ではなく、生活や心を豊かにしてくれるもののはずで、もっと身近であるべきものだと思います。
しかし、オークションを始めとした何にでも金額を付けてお金に変えてしまうシステムによって、価格は釣り上げられ、価格が上昇するという状況を資本家に利用され、庶民からはどんどんと遠い存在へとかけ離れて行ってしまっているように思います。

この様な現状を、表現を発信する側のアーティストは、求めているのでしょうか?

資本主義である以上、アーティストの作品は売れないと、作家の生活は成り立ちませんので、値段が付くことそのものに全面的に反対をしているわけではないのです。
ただ、一部の資産家の資産保全の為だけに、アーティストのメッセージや作品が利用され、錬金素材になってしまい、結果として、アートが庶民からどんどんと離れてしまっている現状に、『モヤッ』としてしまったのです。

もし、前回の投稿を読まれた方の中に、アーティストの方がいて、気分を害されたのであれば、謝ります。
前回の投稿は主語が大きすぎるために、美術界全般を批判しているように思えるので、その様に誤解されてしまったとしても仕方のない事だと思います。
ただ、前回、私が本当に批判したかった事は、何でもお金に変えてしまうシステムと、それを利用して資産を効率よく増やそうと考えている一部の資産家であって、作品を制作しているアーティストそのものではないという事を理解していただけたらなと思います。

【アニメ・ネタバレ感想】『天元突破グレンラガン』 重いテーマをノリと勢いで走り抜くようなスポ根ロボットモノ 

この間、映画系のネットラジオにゲスト出演する事になりました。
wataradi.seesaa.net
今回は、その際に取り扱った2007年に放映されたアニメ、『天元突破グレンラガン』の紹介をしようと思います

『ネタバレあり』の簡単なあらすじ

一番最初は宇宙大戦のような雰囲気で始まるが、その直後にシーンが変わり、モグラのように地中の中で暮らす人類が映し出される。
穴を横に掘り進めることで町の拡大を目指す村長は、村人に指示を出して穴を掘らせる毎日。 穴掘り名人である主人公のシモンも、そんな一人で、毎日、穴掘りに精を出すが、そんな作業中に大きな顔型のロボットと小さくキレイなドリルを発見する。

一方、地中の生活に嫌気が差していた、シモンの兄貴分のカミナは、天井の岩盤の向こう側に有るといわれている地上を目指し、穴掘り名人である弟分のシモンを連れて地上を目指すが、村長に阻止されるという日々を過ごしていた。
そんなある日、いつものようにカミナ達が騒ぎを起こしていると、天井の岩盤をぶち破って、大きな顔の形をしたロボット『ガンメン』と、それと戦う少女が落ちてくる。
事情が分からないなりに、空から落ちてきたヨーコと共闘。シモンが見つけた小型の『ガンメン』を駆使して、何とか勝利し、その勢いで地上に飛び出す2人。

今まで見たことがないような風景にテンションが上がる2人だが、すぐに、地上がユートピアでは無く、ガンメンに乗る獣人が支配する殺伐とした場所だということがわかる。
獣人達は、地上に上がってきた人間を始末する役割を負って迫ってくる。 技術力や単純な身体能力で圧倒される人類だが、『気合』で対抗するカミナ達人類。
その気合に呼応するように、他の人類も気合で頑張り、獣人たちを押しのけて、ついに、ガンメン達を送り出している基地まで辿り着く。

基地までたどり着いてみると、ガンメン達を送り出していた基地は、獣人の四天王が支配する巨大ガンメンだったことが判明。
カミナとシモンは、巨大ガンメンの乗っ取り計画を実行し、7日かけてようやく、基地の奪取に成功する。 カミナという大きすぎる犠牲を払って…

巨大ガンメン『大グレン』を手に入れ、生活は今までと比べて飛躍的に改善したが、カミナという存在が大きすぎるリーダーを失って、意気消沈するグレン団。
そこに、容赦なく襲いかかる四天王達。 この戦いの最中、シモンは『ニア』という一人の少女と出会う。
獣人の対象である螺旋王の娘『ニア』は、父親によって捨てられ、それをシモンが助ける形になったのだが、このニアが、カミナを失って心に大きな穴を開けたシモンの心の隙間を埋めていく。

そして、四天王の全てを打ち破る頃には、カミナの死を受けいれて乗り越え、グレン団のリーダーとなったシモンの姿があった。
リーダーとなったシモンは、グレン団を率いて螺旋王の元へと行き、7日かけて王都を陥落させ、螺旋王を打ち取る。
討ち取られた螺旋王は、『地上が100万匹の猿で埋め尽くされた時、月は地獄の使者となって襲ってくる』という予言を残し。壮絶な最後を迎える。

螺旋王を退けた人類は、王都に人類の町を作り、7年かけて発展させ、地上での生活を謳歌している。
しかし、順風満帆家といえばそうではなく、グレン団の中枢部分の人間は、軍人としては優れていたが、政治家としては優れておらず、革命後に建国された政府の中で軋轢が。
知略派のロシウは、武闘派の革命軍幹部を聖剣の中心から外し、その代表であるシモンを裁判にかけて死刑判決を下し、ロシウが新政府代表に就く。

そんな状態の時に、地上の人類の数が100万人を超えてしまい、ヒロインのニアがアンチスパイラルのメッセンジャーとして覚醒する。
アンチスパイラルとは、進化の果にある破滅を避けようとする思想を持つ者。 たった7年で、穴ぐら生活から宇宙を目指せるほどの科学力を身に着けた螺旋族を監視し、必要とあらば、滅ぼそうとしていた者。
穴ぐら生活では螺旋力が発揮されず進化もしなかった人類が、進化の可能性がある地上に100万人出てきた事がトリガーとなり、人類に襲いかかる。

こんな事もあろうかと、意味深な予言を残したロージェノムの肉体を回収し、遺伝子情報を解析して生体コンピューター化していたロシウは、対抗策を探り、人類を救う方法を必死に探る中で、数十万人の人間と食料を積み込むことができる巨大戦艦が存在することが判明。
そしてロシウは、この巨大戦艦『アークグレン』を地球からの脱出艇とし、『可能な限りの人類を救済する』という確固たる意思の元、例え少数の犠牲を出したとしても、常に最大人数の命を助ける決断を瞬時に下してゆく。

一方、死刑判決を受けたシモンは、刑が執行されないままに、ライバルであるヴィラルと共に地下牢獄に放置されていた。それを助け出す、元革命軍幹部たち。
地球のピンチが迫るという事で、元は敵対していた好敵手のヴィラルと手を結び、グレンラガンに乗り込む2人。

時を同じくして、地球を脱出した大勢の市民が乗り込んでいるアークグレンだが、そこに、宇宙空間で待ち伏せしていたアンチスパイラル襲いかかる。
アンチスパイラル側の圧倒的な戦力に、アークグレンに乗る市民を絶望が襲うが、そこに駆けつけた、グレンラガンを始めとした革命軍幹部が、それを払拭する。
しかし、敵も最大戦力を投入して、これに対抗。 追い詰められたシモンは、グレンラガンをドリル型に変形し、アークグレンと合体。 アークグレンラガンとなって、アンチスパイラルを殲滅する。

地球に一時的な平穏が戻るが、アンチスパイラルの本体を倒したわけではなく、脅威が去ったとは言い切れないので、地球をロシウに任せ、敵の本陣に攻め込むことを決意する、シモン達。
天も次元も突破して、多次元世界迷宮をも超え、ついに、アンチスパイラルのテリトリーにまで到達し。両者はついに、激突する。

ギャップの面白さ

この作品の面白さは、なんといっても、そのギャップだと思います。
突き抜けて明るく勢いのある部分と、暗く悲しい部分が交互に繰り返される構造になっていて、繰り返されることで、両者がより強調されています。
反対のものをぶつけるというのは他の部分でも行われていて、例えば、挿入される音楽が、ラップとオペラを融合させたような音楽であったり、敵の雑兵を3Dで表現し、一方で味方のロボットを2Dで表現したりしている。

グレンラガンの攻撃や防御方法、移動方法も、一見するとメチャクチャに見えるが、実際には、量子論などで理論の補強がしてあり、大雑把な演出に細かい気配りと、ギャップのある演出となっている。

もっと大きなところで言えば、物語全体を通して『おふざけ感』が漂っていたりするのですが、メインとなっているテーマそのものは、かなり重いものだったりします。
ここ最近の映画で言えば、インフィニティウォーであったり、少し昔なら、ウォッチメンに通ずるテーマを、子供でも楽しんで観られるアニメにまで落とし込んでいたりするところに、凄さを感じます。

メインテーマ

この作品に登場する敵は、単純な『悪』ではなく、その行動の全てに理由があったりします。その理由というのが、歯向かってくる主人公たちを守る為。
最初に敵の大将として登場する螺旋王は、アンチスパイラルから人類を守るために、全ての人類を地下に押し込めてアンチスパイラルの索敵に引っかからないようにしていますし、アンチスパイラルは、進化のはてに訪れるスパイラルネメシスを防ぐ為に、進化の可能性を閉じ込めます。

では、科学力・武力共に最強のアンチスパイラルが恐れる、『スパイラルネメシス』とは何なのかというと、進化の果に訪れる宇宙の崩壊です。
人類を含め、体の中に螺旋構造を持つ種族である螺旋族は、その性質上、無限の進化を続けて無限のものを生み出すことが可能になるのですが、1人の螺旋族が生み出す質量は最終的には銀河に匹敵するようになり、それらの質量が結合してしまうことで、宇宙は巨大なブラックホールとなってしまい、結果的には全てがブラックホールに飲み込まれて宇宙自体がなくなってしまうというもの。
螺旋族は、1回転すれば前に進むドリルのように進化する構造のため、その衝動は抑えられない。 その為、アンチスパイラルは外側からの圧力で、螺旋族の進化を阻害することで、宇宙を延命しようとする。

螺旋王やアンチスパイラルの行動は、人類の全滅を避ける為に行った大人な判断と保護だったわけですが、それは、主人公である子どもたちによって打ち壊されます。
親から子へ、子から孫へと、代を重ねる毎に螺旋のように前に進む螺旋族は、大人世代の古い価値観をぶち破り、新たな価値観によって解決法を考えるという決断を下す。
悲しいことに、具体的な解決方法は提示されず、それを全宇宙で考えるという結末でしたが、エヴァの様に答えが出ないままにずっと続くよりは、未来に続く道を模索しながら進んでいくというラストは、これはこれで良かったのかもしれない。

変わってゆくリーダー

この物語は4部構成なのですが、それぞれで人類を率いるリーダーが変わります。
一番最初の、人類が何を目指せばよいのかがわからない状態のときには、理想を語って人々に希望を与える『カミナ』という兄貴分がリーダーとなり、明確な目的が出来た2部では、着実に行動を起こして結果を残していく『シモン』がリーダーに。

そして、一難去って平和が訪れて、現状の維持を最優先にしなければならない3部では、冷酷な判断も含めた決断ができる『ロシウ』がリーダーに。
その後、さらなる脅威を打倒するという目標が明確になった際には、再び、行動して実現させる『シモン』がリーダーとなる。
この中でも、一番、不遇なのはロシウのようにも思えました。
ロシウは、人類ができるだけ多く生き残る決断を下し続けるキャラクターとして登場し、6割の人間を助けるために4割の人間を見殺しにするという様な決断を次々に下していきます。
事情がわかっている人間にとっては、苦しい立場にいる人物だということが分かりますが、そうでない人間にとっては冷血漢として扱われます。
しかも、決断を行わなければならないリーダーは、その決断が間違っていたときには、その責任を自らとらなければならない・・・
一見、コミカルに映るこの作品で、この様なキャラを物語の半ばでメインに持って来る辺りが、かなり考えさせられます。

『ぼくのかんがえたさいきょうロボット』

いろいろと書いてきましたが、この作品の一番の魅力は、突き抜けたインフレです。
少年漫画やアニメのバトルモノでは、強敵を倒すと更なる強敵が出てきて…といった感じで、パワーインフレを起こしがちですが、この作品ではそのインフレを意図的に起こした結果、『ぼくのかんがえたさいきょうロボット』である、天元突破グレンラガンへと変化します。
そのデカさは銀河の3倍といわれ、打ち出す弾は『相手が躱す確率』をゼロにして、既に当たった弾を打ち出す確率変動弾。 それを、タイムレンジを広げて、現在・過去・未来に向かって同時に打つことができるという無茶な機体。

ちなみにですが、総集編的な位置づけの映画版では、それをも超える『超天元突破グレンラガン』というものも出てきます。
天元突破グレンラガンが、最強の武器であるギガドリルを展開した際の全長は、1兆五千億光年。現在確認されている宇宙の大きさが150億光年らしいので、その100倍の大きさ。
あまりに巨大すぎて、普通に動くだけで光速を超えてしまうため、物理法則を書き換えながら移動しているという凄まじさ。 おそらく、ロボットアニメ史上最強最大なので、一見の価値ありだと思います。

感想

根底にある部分のテーマそのものは、かなり深い作品にも関わらず、説教臭くならずに、子供でもノリと勢いで楽しんで見られるような作品になっていて、かなり楽しめました。
作品の流れに勢いをつけるためなのか、登場キャラクターが事ある毎にリズム良く啖呵を切るシーンは、観ていてかなり気持ちが良い。
また、30話に満たない話数で、宗教や革命、内乱といった、人類の歴史の重要な要素をすべて入れた上で、文明がない状態から未来の科学技術までを、自然な形で入れている点も、凄いと思いました。

かなり沢山の要素を入れているにも関わらず、ゴチャゴチャしすぎずに混乱しないような作りになっている。それでいて、観る度に新たな発見があるのも凄い。
一番最初に観た際には、無くポイントは3つぐらいだったのに、何度も見直すことで、泣けるポイントがどんどん増えていき、今では主題歌の『空色デイズ』を聞くだけで泣けてしまうほどにまでなってしまいました…

ロボットもので、深いテーマを扱いつつも、ギャグ要素を入れたスポ根ものといえば、『トップをねらえ!』というものがありますが、その流れを汲む作品何でしょうね。


ここまで、ネタバレ前回で書いておいてなんですが、アマゾンプライムで無料で観ることができる作品なので、まだ観ていない方は、これを機会に見てみてはいかがでしょうか。。
もう観たことが有る方は、見返してみてはどうでしょうか。

【映画 ネタバレ感想】『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』 今だからこそ知りたい中国の歴史

この間、映画系のネットラジオにゲスト出演する事になりました。
wataradi.seesaa.net

今回は、その際に取り扱った1992年に公開された映画、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』のネタバレ感想を書いていきます。

当時の時代背景

この映画ですが、清朝末期が舞台になっていて、その当時の時代背景を知っているかどうかによって、面白さが随分と変わってしまうので、まずは、時代背景の説明を簡単にしていこうと思います。
先程も書きましたが、清朝末期で、ラストエンペラーとして有名な最後の皇帝が即位する数年前の話となります。


今当時の中国は、アヘン戦争を始めとして、何も悪いことをしていないにも関わらず、欧米や日本から、一方的に攻め込まれて領土や資源を奪われるという状態に置かれてしました。
例えばアヘン戦争では、イギリスが中国が輸出するお茶の金額が凄い事になり、その赤字を補填するために、中国に向けてアヘンを密輸するという方法で、帳尻を合わし、中国政府がそれに対して没収などのアクションを起こすと、逆ギレして攻め込んで、香港を奪い取るとかですね。

これを筆頭に、フランスや日本も攻め込んでいって、中国は最終的に8カ国からいい様に弄ばれることになります。
欧米が持ち込んだ、工場の自動化技術や鉄道によって、中国の失業者は増えて暮らしは悪くなる一方。 しかし、政府が補填してくれるわけでもない。
こういった状況に長く置かれると、中国国民は外国に対して悪い印象を持つことになり、また、救いの手を差し伸べてくれる宗教団体を頼るようになります。

支持を集めた宗教団体は、民衆からの支持を、より確固たるものにする為に、外国の施設に攻め込むなどのテロ行為をするようになります。
この映画は、そんな時代が舞台になっています。

ウォン・フェイフォン

主演のリー・リンチェイが演じる主人公のウォン・フェイフォンは、中国に実在した有名な人物です。
武術の達人で、あまりの蹴り技の鋭さから、付いたアダ名が『無影脚』。 本業は医者で、活かすことも殺すことも出来る完璧超人だったりします。

ちなみにですが、酔拳2でジャッキー・チェンが演じているのも、このウォン・フェイフォンです。
シリーズ6作品。 外伝として8作品。 中国ではTVシリーズも存在していたようで、今でいう、アメコミ映画のような立ち位置として扱われていたのかもしれませんね。
中国の方にとっては、ウォン・フェイフォンという方は、それ程までに影響力があるということなんでしょうかね。

白蓮教

この映画の冒頭部分は、白蓮教の儀式から始まります。
火の上を歩くとか、剣で切りつけても銃撃でも傷つかかない、最強の戦士が、白蓮教を信仰することで生み出されるというパフォーマンスが行われ、信者たちは、それを夢中になって見届けます。
ここに参加している信者の多くが、欧米や日本の中国進出によって職を奪われた貧困層という事を考えると、このパフォーマンスに騙されるのも、頷けるような気がします。

白蓮教は、支持を確固たるものにする為に、貧困層を苦しめている海外を象徴するような商品などを焼いて、信者たちを高揚させます。
映像を通して観ていると、誰にでも見破れるようなインチキ儀式ですが、貧困層の彼らにとっては、白蓮教ぐらいしか手を差し伸べてくれる組織がないという、悲しい環境が、伝わってくるようでした。

中華に雪崩込んでくる欧米文化

シーンが変わり、ウォン・フェイフォンが登場。医学学会で公演する為に、初めての電車に乗って遠征です。
電車の中には、ブルジョア階級と思われる外国人が多数で、ウォン・フェイフォンと弟子のフーは、完全にアウェイの状態。
初めての経験で、分からないことだらけだけれども、師匠が弟子の前で恥ずかしい振る舞いは出来ないという事で、ウォン・フェイフォンは余裕のあるフリをするわけですが、この辺りの演出がかなり可愛い。

はじめての欧米式のコース料理で、食べ方がわからないけれども、格好をつけなきゃ駄目だと一生懸命頑張るけれども、色々粗相をしてしまう師匠。
その行動が、間違ってるのかどうかも分からず、師匠の真似をする弟子のフー。それを、温かい目で見守る、ヨーロッパ帰りの叔母さんイー。
ほのぼのとした雰囲気の映像ですが、当時の中国人が、どの程度、欧米文化の事を知っていたのかというのが分かるシーンで、興味深いですね。

白蓮教との初接触

最寄り駅に着き、宿に向かう途中で、ウォン一行は電信所の破壊活動に向かう白蓮教に接触します。
白蓮教徒の目的は、外国由来のものや外国人そのものの排除なので、中国人のウォン達には関係がないのですが…
能天気な帰国子女の叔母さんが、洋服を着た状態で、白蓮教徒たちを写真で撮ろうとフラッシュを焚きます。

当時のフラッシュは、マグネシウムを燃やしていたんでしょう。その猛烈な光で叔母さんに気がついた白蓮教徒は、矛先を叔母さんの方に向け、それをウォン達が守ろうとして、戦闘が始まります。
周りの観客達は、外国組織と戦う白蓮教徒を好意的に観ているのですが、助けに入った人物が英雄のウォン・フェイフォンだと知り、ウォン達を応援。
英雄のウォンが無双して勝つわけですが、最後っ屁のように放った眠り薬が叔母さんに命中し、叔母さんが一時的に寝たきりになります。

孫文との出会い

本来、通訳してくれるはずの叔母さんが眠り薬で眠ってしまったので、仕方なく、フーと2人で学会に行くウォン。西洋医学の学会なので全て英語で進行し、全く意味がわかな無い2人がかなり可愛い。
自分の名前を呼ばれても気が付かず、3回程呼ばれて初めて気が付き、壇上に上がって経絡秘孔の図的なものを出して説明するが、誰も中国語がわからずにザワザワしだす会場。 そこへ、地震もい者として出席していた孫文が、通訳を申しです。
この孫文は、興中会という革命組織を作り、後に、民主革命を起こして中華民国の初の臨時大統領になる男だったりする。 そして、その革命でウォンの弟子たちが活躍したことで、師匠のウォンが更に有名になったという話もあるらしい。 ある意味、歴史的な出会いともいえますね。

孫文の助けによって、公演は大成功し、東洋医学が欧米に認められたのだけれど、その直後に、白蓮教に襲撃されて医師の多くは死んでしまう。
先程の仕返しかと思い、叔母のイーさんを心配して、急いで宿に戻ると、叔母さんは無事で着替えの最中。 この辺りの、シリアスとコメディーのバランスが、丁度良い感じで好きです。

提督

シーンが変わり、本作品のラスボスである提督にカメラが向けられます。
あちこちでテロ活動を行う白蓮教の対処に迫られている提督ですが、その最中に、革命の動きがある事が、香港からの通信によって分かります。首謀者は孫文で、支援者はトンという人物。
早速、上司である総督に知らせに行くが、総督は、あちこちで起こる問題の対処で人手が足りないとして、放置を決め込む。『いざとなったら、イギリスが助けてくれるよ。』とかいう、頭がお花畑の状態。
埒が明かないので、提督が自体を鎮圧させようと、自らの支持で部下を動かす。この辺りでは、提督に少し同情。 上司が無能だと、部下は大変だなという印象でした。

その後、学会から帰ったウォン一行が、白蓮教に外国語学校が襲われていることを耳にし、生徒の子供達を保護しに行く。
無事に助け出し、安全な場所で子供達の保護を頼もうとウォンが単独で、提督の元を訪れるが… 提督は丁度、武術の特訓中。ウォン・フェイフォンという高名な武術家の名前を聴いて、いきなり襲いかかる。
ドニー・イェン vs リー・リンチェイ の一戦目。 エグい体術を持つ者同士で、かなり凄いアクションを魅せてくれます。 特に、ドニー・イェンの布を棒のように変化させる技は、これだけのためにお金払っても良いんじゃないかと思えるほど凄い。

クライマックス

人手不足を理由に子供の保護を拒否されたウォンは、子供達を隠していた場所に戻るが、子どもたちが居ない。 必死に探すと弟子のフーが現れて、『子供を領事館に保護してもらっている』と伝えて、一緒に領事館へ。
だが、フーとウォンは領事館の入口で門前払いされる。 英語がしゃべれない2人が為す術ない状態で門番と揉めていると、そこに、孫文の支援者のトンが現れて、通訳してくれて領事館の中へ。
そこへ、タイミングよく攻めてくる白蓮教。 火矢を放ってくるのに対し、バリケードで対抗して時間を稼いでいると、提督が現れて、白蓮教を追っ払ってくれて、『自体把握の為に中に入れろ!』という。
目的は、革命を企てている孫文一味の確保。 孫文は、白蓮教の襲撃の混乱で一足先に領事館を出ていたが、トンは居残っていた為に、提督に発見される。

英国領事館にトンがいた事で、提督はイギリスと興中会のつながりを疑い、法も無視してなりふり構わずに孫文たちを捕まえようとする。
そして、クライマックス。 リー・リンチェイ扮するウォン・フェイフォンと、ドニー・イェン扮する提督との2戦目。今度は、本当の殺し合い。
先程の戦いでは封印していた、『布』を凶器に変える技を駆使して、ウォン・フェイフォンを追い詰める提督、だが、最後の最後で、ウォンの渾身の反撃に倒れる。

観終えた感想

この映画は、なんの予備知識もない状態で観たとしても、コミカルな部分と本気のアクションが楽しめる良い作品だとは思うのですが…
本当の意味で楽しもうと思うと、当時の中国の歴史を、大まかな流れだけでも知っていた方が、良いと思う作品でした。
何も知らない状態で見ると、何故、テロを起こす白蓮教に信者が集まるのかというのも理解できないですし、提督の動きも理解できない。

しかし、アヘン戦争から始まった中国の状態を知っていると、提督は提督で、ホンキで中国のことを考えた上で動いていたんだなという事がわかり、色々と考えさせられるんですよね。
この作品を見ても分かりますが、欧米人は全て、ブルジョア階級の金持ちで、高価な衣装を身につける一方で、登場する有国人は皆、みすぼらしい格好しか出来ない。
これは単純に、欧米人が中国人から搾取したことによって、貧富の差が広がった結果なんですよね。

では、政府が対策を打てるのかといえば、そんな事も出来ない。 映画の中では、下関条約によって、日本に台湾が取られたことに対するデモ行進などが行われていましたが、当時の政府は、難癖つけられて一方的に攻め込んできた相手に対して、領土を割譲することしか出来なかった。
難癖をつけられれば付けられる程、領土はどんどん縮小していき、植民地となった土地の同士は、貧困層へと追いやられていく…
この様な現状では、提督が市民に向かって『外交は私達に任せて欲しい!』と訴えたところで、『外交とは、領土を割譲することか?』と言われて終わり。
提督は、自分たちの国を守るためには、法を無視するしか無かったのかもしれません。

広大な領土と資源を持っているために、他国から難癖をつけられては領土をかすめ取られていく中国。
領土が減っていく一方で、町にはどんどんと外国人が流入し、自分たちの居場所が更に奪われていくわけですが、その変わりにといってはなんですが、西洋由来の最新技術が流入してきて、劇的に生活が変わってゆく。
最新技術のおかげで、暮らしが便利になる一方で、その最新技術によって、職人の技術が機械に置き換わり、失業者が増えてゆく…
一概に、何が良くて悪いのかということは言えませんが、良くも悪くも劇的に環境が変わってゆく中国。

結構、暗くて重いテーマなんですが、先程からも書いている通り、コメディー要素を加えて、かなり見やすい状態にして作られています。
当時の風景や雰囲気が再現されていますので、歴史的な資料としても見れるんじゃないかなと思わせてくれる作品なので、興味があれば、是非、観てみては如何でしょうか。