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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

ジュリー騒動を受けて アーティストのライブについて考えてみる

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ここ数日(2018年10月末)、ジュリーのコンサートドタキャン問題で結構騒がれていますね。
騒動を簡単にまとめると、70歳記念ツアーの一つが『さいたまスーパーアリーナ』で行われる予定だったのですが、それが当日になって中止になったという騒動。
中止になった理由も、体調不良などの理由ではなく、観客が9000人の予定だったのに、7000人しか集まらなかったという理由で中止を決定したという話。

この話を受けて、『せっかく客が来てくれているんだから、その客のためにもやるべき!』という多くの意見がネットなどで発信され、『ワガママ』とか『老害』などの誹謗中傷で盛り上がる状態になってしまいました。

私がこの話を初めて聞いた時の第一印象も、『このツアーの為に、地方から来ている人もいるのにな…』といったものだったのですが、理由を聴いて、中止の決定に納得してしまいました。
という事で今回は、その納得した理由を書いていこうと思います。

ライブとは何なのか

まず、『せっかく客が来てくれているんだから、その客の為にも開演すべきだ!』という方は、ライブというものを、どの様に捉えているのでしょうか。
ライブとは、歌手が歌を歌い、それを客が聴きに行くというだけのイベントなのでしょうか。

ライブが単純に、お金と引き換えに歌手の歌声だけを提供する為のサービスであるのなら、歌手はそのサービス業に従事する労働者という事になります。
既に、ライブ観覧の引換券であるチケットは販売済なのですから、その消費者のために、サービスを提供するというのは当然のことでしょう。

しかしライブとは、そもそも、その様なものなのでしょうか?
この騒動の問題を考えるために、まずは、ライブとは何なのかという根本的な部分から考えていきます

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ライブ中止の知らせを受けて怒った人は、アーティストのライブというのを商品として捉えていて、商品の代金を先払いしているにも関わらず、商品の提供がキャンセルされたという感じの理屈で怒っているのでしょう。
もし仮に、アーティストであるジュリー側もこの様に考えていたのであれば、コンサートの中止には至っていなかったと思います。
では何故、中止になったのかというと、アーティストとしてのジュリーは、ライブを歌声を提供するだけのサービス商品とは捉えていなかったからでしょう。

では、どの様に捉えていたのかというと、一種の空間演出と捉えていて、その空間演出に必要なのが、大半の客席が埋まっているという状態だったのでしょう。
ほぼ、全ての席が観客で埋まり、その熱気の中で歌うという、ライブ会場全体の空間そのものの演出、その演出を体験してもらうことがライブだと捉えていたが、観客の入りが少なかった為、演出に不可欠な材料が欠けた状態で当日になってしまった。
このままでは、お客さんに体験してもらいたいと思っていた空間そのものが作れないので、中止にしたのでしょう。

今回の件では、『プロとしてありえない!』といった批判もありますが、ライブというのが空間そのものの演出と考えるのであれば、不完全なものを提供して料金を取るほうがプロとしてどうかしているとも考えられます。

例えば、開店前から行列ができるような人気のラーメン屋が有ったとして、そこの店主がスープ作りを失敗してしまった場合を考えてみましょう。
開店時間が迫り、スープを1から作り直す時間も無い場合に、勇気を持って臨時休業にするのか、それとも、不味いと分かっていながら、出来損ないのスープを使った不完全なラーメンを提供するのか。どちらが、プロなのでしょうか。
店主が臨時休業を選んだとして、『せっかく来てくれて開店前から並んでいるお客さんが可愛そう! 私なら、ラーメン提供するのに! ラーメン屋って、そんなに偉いものなの?』なんて批判が出来るでしょうか?

誰に責任がるのか問題

今回の件では、ジュリーが矢面に立って批判され続けているのですが、本当に問題が有るのは、イベント企画運営会社や沢田さんの事務所の社員の方だと思います。
そもそも今回のライブですが、沢田さん自身が『さいたまスーパーアリーナでやりたい!』って言ったのでしょうか?
もし自分が会場を選んで、その会場を埋められなかったからと言ってキャンセルしたのならワガママかも知れません。しかし、本人以外の人達が、より多くのお金を儲ける為に、本人の要望を無視する形で大きな会場を予約したとしたらどうでしょう。

1万人が収容できる会場と、4万人近い人間が収容できる会場のレンタル費用が、それほど変わらないのであれば、イベント企画会社は、より多くの人数を収容できる会場を押さえた方が、チケット販売の伸びしろがある為、大きく儲けられる可能性が出てきます。
自分たちの利益を優先して、アーティスト本人の『客席が埋まった状態にして欲しい』という要望を軽視したのであれば、イベンターが悪いのであって、本人は悪くないですよね。

また、沢田さんが所属する事務所も、ライブを入れすぎのような気がします。
スケジュールを観てみると、だいたい3日に一回のペースでライブの予定が入っている状況で、年間で100近い公演を行っています。
http://www.co-colo.com/live/2018tour/2018tour.html
こんなペースでやっていて、4万人近い会場を借りる方がどうかしていると思いますし、アーティストを酷使しすぎだとも思います。
このペースについては、事務所の方針なのか、沢田さんの希望で行われているかがわからないので、余り責めることは出来ませんけれどもね。

誰が批判しているのか

この事は、当事者である現地に観に行ったファンには、ある程度伝わっている為か、ファンからの苦情というのはそれほど耳にしません。
これは、メディアがジュリー支持だから、その様なインタビューだけ取っているという可能性もありますが、Twitterなどでも、私が観ている範囲では、ファンからの苦情というものは目にしませんでした。

まぁ、50年近くに渡ってファンをやっている人にとっては、沢田研二さんという方は、こだわりが強い事も当然の様に承知しているでしょうし、ドタキャンは今回が初めての出来事ではなく、同じ理由で前にも一回ドタキャンしているので、ドタキャンで文句を言って離れる人は、とっくの昔に離れていっているのでしょう。
批判をする人は『ファンの為にもやるべきだろう!』といって怒ってるわけですが、その迷惑を被ったはずの当事者のファンは、納得している人が大半という状態になっている。

では、誰が文句を言ったり批判をしたりしているのかというと、沢田研二さんを特に追いかけていなかった人や、今回の件で初めて知ったような人や、思い出した人達が、ライブのチケットを購入したわけでもないのに、よくわからない正義感から怒りを露わにしているだけなんですよね。
その正義感も、身近にいる人が被害にあったからと言ったことではなく、正義感あふれる意見をTwitterに書く事で良い人アピールしたいといっただけなのでしょう。

この騒動を改めて振り返ってみると、そもそもファンでもなく、自分達に対して興味がなかった人達が、自身の善人アピールの為だけに、この出来事を利用されているという状態にしか感じないんですよね。