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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第40回 イオニア自然学 (1) 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

神話ありきの経済

何故なら、世界が自然的なものであるのなら、神々に祈る呪術師などの存在は不要になってしまうからです。
神々という存在が超自然的な力を持っていて、それを気まぐれに振るうからこそ、神々をなだめる呪術師や祭司が必要になるわけですし、神の声を聞く預言者や、それを広める詩人が必要とされたわけですから。
その結果として、神話の中では、私達が住むこの世界は、神々の超自然的な力によって創造された事にされてしまいます。

この宇宙には、最初は混沌、カオスのみが広がっていて、そこから、大地の神でありながら全てを内包しているガイアという地母神が生み出されたとされます。
そしてガイアは、誰の手も借りること無く、一人の力で、天の神や海の神、暗黒の神、愛の神を生み出し、その中の一人、天の神ウーラノスと結婚し、ウーラノスが神々の王となったという始まりをします。
その後、数多く生み出された神々やモンスターや巨人族によって争いが起こり…といった感じで発展していき、物語としてもドンドン面白く、派手になっていくわけですが…

私達人類の歴史の始まりに近づくに連れて、神話のスケールはどんどん小さくなっていきます。
これは、当然といえば当然ですよね。 人間は、神々を想像することによって生み出しましたが、その神々を実際に目にしたことはありませんし、超自然的な能力を使った場面も目撃したわけではありません。
宇宙が誕生した当初は、超絶凄い能力を持っていた神々が沢山いて、派手な戦争を繰り広げていたのに、その神々や巨人族、モンスター的なものを目撃した人類は一人も居ないんです。

人類が存在していないような、宇宙の始まりの当初こそ、派手に自由に作れた物語も、人類の登場と共に辻褄合わせを行わなければなりませんから、神々の存在や力はスケールダウンしていきます。
結果として、人類が生まれてからの出来事は、神々の持つ超自然的な力を使わなくても、観測可能な自然的なものだけで説明が可能になってしまったんです。
これは、ギリシャ神話に限らず、現在でも信仰する人が多いキリスト教の創世記なども同じですよね。

こういった状態になると、このように暴走していった神話から距離をとって、改めて吟味してみる人達が出てきます。
それが、イオニア地方の学者たちです。

疑われる神話

何故、イオニア地方の人達だったのかというと、この当時のイオニア地方は、西洋の中でもかなり進んだ国だったようで、今で言う科学的なモノの見方というのが、学者だけでなく一般層にも広がっていたそうなんですね。
つまり、何か困ったことが有った際に、呪術師を頼るのではなく、現実的な手段で解決するという感じで、文化レベルが進んでいたために、おとぎ話の様な神話を熱心に信じる人達というのが少なかったんでしょう。

イオニアの学者たちは、人々が無邪気に神々の存在を信じて、まるで彫像で表現された神々が実際に存在しているかの様に振る舞っているけれども、本当にそんな存在はいるのかと疑いを持ち始めます。
飾られている彫像は、どれも、美しい、完璧な形をした、人の形をした彫像ですが、神々というのは、完璧な造形をした人々の様な形をしているんだろうかと疑問を持ちます。
つまり、人々が崇めている神々は、人間という種が作り上げた概念だから、人の形をしているのではないかという疑いです。

つまり、仮に、魚に意識が有って、魚の中で文化を作り上げているとした場合、魚が生み出す神は、おそらく、魚の様な形をしているでしょう。
馬が同じ様に意識を持って、パターン認識によって文化を作っているとすれば、そこで生み出された神の姿形は、馬のようになっているのではないかという疑いです。

それぞれの種族同士はコミュニケーションが取れないわけですから、他の種族が文化を築いているかどうかは分かりません。
その様な状態なら、すべての種族が自分たちの種族が世界の中心と考えるわけで、その中心の種族である自分たちの姿形に似せて、神々を創造すると考えた場合、神々の存在も、実際に存在するのではなく、想像の産物だということです。
人間という種族が想像して作ったから、神々は人間のような形をしているし、人間が考える価値観によって、美しい造形をしているということですね。

こうして、神話に対する疑念が膨らんでくることによって、学者たちは、神々に頼らない形で、宇宙の成り立ちを説明していこうと考えるようになります。
そうして生まれたのが、イオニア自然学です。

イオニア自然学

記録が残っている中で最古の哲学者と言われているタレスから始まって、ピタゴラスやヘラクレイトス・アナクシマンドロス・アナクシメネス・アナクサゴラス・エンペドクレスと様々な人達を加えつつ…
最終的にデモクリトスが原子論を生み出して、現代の科学に通じる考えにまで至ることになります。

一応、言っておきますと、ここら辺の人達の本ですが、あまり出版されていなかったり、出版されていたとしても、結構な値段がしたりする為に、今回、話す情報としてはかなり薄くなります。
参考にしたとしては、岩波文庫から出ている『ソクラテス以前以後』という本だけで、後はネットで調べた情報になるので、予め、ご了承ください。

この人達のアプローチとして共通している点としては、宇宙を構成している要素は何なのかという点を追求したところです。
最初の方でも紹介しましたが、タレスは、万物の根源は水だと主張しましたし、ピタゴラスは、数によって全てが解明できると信じていましたし、ヘラクレイトスは、万物流転を主張して、存在そのものについて考え抜きました。
その他の人達も、それぞれの方法で、世界を構成している根本的なものを突き止めようと、考えを巡らせていく事になります。

そして最終的には、デモクリトスによって原子論が誕生します。
原子論をものすごく簡単に、物体を分解していくと、最終的にはそれ以上に分解できないところにまで到達してしまう。
それを、原子と呼ぶというもので、今の科学の考え方に、近いものですよね。

原子論を始めとして、何故、根源的なものについて考えたのかというと、全てのもの、つまり、ものが存在する事そのものについての根源的な原因を解明できれば、後は、その考えを発展させていけば、演繹的にこの宇宙の事が解明できると考えたんでしょうね。
という事で次回は、このイオニア自然学の人達がどの様な考えをしていったのかについて、簡単に見ていこうと思います。