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【アニメ・ネタバレ感想】ダンガンロンパ『未来編』『絶望編』 希望は絶望の中にある?

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先週末のことですが、アニメ、ダンガンロンパの未来編と絶望編を観ました。
少し前の作品ですが、何故、今頃になってみたのかというと、Twitterのタイムラインでアマゾンプライムでの配信が始まっている事を知ったからです。
1作目の『ダンガンロンパ the Animation』は地上波を録画していてみたのですが、その続編である作品は、観れていなかったんですよね。

という事で今回は、ネタバレ前回で、感想・考察などを書いていこうと思います。

特殊な作り

この作品ですが、タイトルとしては『ダンガンロンパ the Animation』『未来編』『絶望編』と3つ存在し、物語の時系列的には、『絶望編』が基準となるダンガンロンパの前日譚で、『未来編』で、ダンガンロンパのその後を描いているという作品なのですが…
これらの作品。普通の見方で観ると駄目という、ちょっと変わった作品です。

 

一番最初に放映された『ダンガンロンパ the Animation』から観るというのは当然ですが、その後の『未来編』と『絶望編』の鑑賞の仕方に注意が必要となります。
答えから書くと、『未来編』と『絶望編』のどちらか一方を観てから、もう一方を観るというのではなく、両方を交互に観るというのが、正しい鑑賞の仕方です。
交互にとはどういうことかというと、『未来編』の第1話を観終わったら、『絶望編』の第1話を観て、その次に『未来編』の2話を観て…といった感じで、『未来編』→『絶望編』と順番に交互に観ていくということです。

交互に観るなら、どちらが先でもよいのかというと、そういうことはなく、最初に『未来編』を観てから『絶望編』という順番で観なければなりません。
というのも、絶望編の第1話は未来編の第1話のネタバレから始まってしまうからです。
また、未来編の最終回は物凄く中途半端なところで終わっているわけですが、その続きが、絶望編の最終話である『希望編』に続いているという構成になっているので、この順番で観なければなりません。

何故、こんな作りになっているのかというと、この作品は同じクール内で同時に放送されていて、『未来編』→『絶望編』の状態で観るようになっていたからです。
普通にオンエアーの順番に沿ってみると良い作りになっていたのですが、それが、後から動画配信サービスなどで観る際には、注意をしなければならないという状態になってしまった様です。

ダンガンロンパ とは



この作品は、もともとはゲームとして誕生した作品です。
私自身はゲームのプレイ経験がありませんが、アニメの方を観る限り、『逆転裁判』の様な感じの推理ゲームのようです。
逆転裁判が、自分が弁護士になって、証拠や証言を集めた上で法定で検事と争うわけですが、ダンガンロンパも、同じ様に裁判で争う事になります。ただ、状況は全く違いますけれどもね。

どの様な状況なのかというと、まず最初に、主人公の『苗木くん』が希望ヶ峰学園に入学するところから始まります。
希望ヶ峰学園は、人類の希望となる人材を集めて育成する高校で、『超高校級』の日本中から集めて育成する施設です。
主人公の苗木くんは、『超高校級の幸運』を持つ人物で、見事に希望ヶ峰学園に入学。 初登校の為に学校の正門をくぐると、そこで目の前が暗転。目がさめると個室のベットで寝ている状態になっていました。

事態が分からない状態で、集合時間と場所が指定されたので、そこに赴くと、そこには既に『超高校級』の14人の生徒が集まっていました。
状況が把握できないまま、取り敢えず自己紹介を済ませると、『モノクマ』と呼ばれる半分白で半分黒の『クマのぬいぐるみ』のようなものが現れて、15人の生徒が閉じ込められているという事実を伝えてきます。
そして、『外に出たければ、ゲームの勝者にならなければならない』と、ゲームのルールを説明します。

ゲームのルールは簡単で、15人の生徒の一人を、他の生徒にバレない様に殺害する事。 他人にバレることなく殺害を実行できれば、その褒美として外に出ることが出来る。
ただ、これは単純に殺害を目撃されないということではありません。 殺人が行われた後に3人以上が死体を発見すると、アナウンスが流れて、『学級裁判』が行われます。
その『学級裁判』で、互いが自分の弁護を行いつつ、操作を行って証拠を突きつけ、犯人を見つけ出す当作業を行います。
その場で、見事に他人に罪をなすりつけて自分を無罪とできれば、自分だけが学校の外に出れて、他の人間が全員死ぬ。 しかし、見事に殺人犯を特定に成功されてしまうと、特定されて『クロ』となった人間は死刑になる。

見事に他人を出し抜いて、殺人を犯した上で無罪を勝ち取ることで勝者になれるというゲームです。
この学級裁判ですが、逆転裁判が『異議あり!』と矛盾した供述に対して突っ込むのに対し、ダンガンロンパでは、『コトダマ』という弾丸をリボルバーに込めて、矛盾した発言をした相手に対して撃ちこむことで論破していきます。
『ダンガン』を打ち込んで『ロンパ』するので、『ダンガンロンパ』という事なのでしょう。

この作品は、3まで出ているようですが、ナンバリングによってゲーム性そのものが変わったりもしているようですが、ともかく、一番最初はこんな感じの絶望のゲームによって幕開けします。

『未来編』と『絶望編』

今回紹介するのは、そのダンガンロンパ後の話が『未来編』として、そして、何故、希望ヶ峰学園に閉じ込められることになったのかというのを解き明かす『絶望編』です。
『未来編』『絶望編』ともに、初代ダンガンロンパで絶望的ゲームを開催した黒幕の名前がバンバン出てきますので、この作品を観ていない方は、絶対に初代から観ましょう。

ネタバレ感想・考察

ネタバレ感想というタイトルで書いていますので、黒幕含めた情報をネタバレ有りで書いていきます。 まだ観てない方で興味の有る方は、この先は読まずに先に観ましょう。


初代のダンガンロンパは、個人的には雰囲気も好きで、単体でも楽しめたわけですが、結構、謎が多い作品でもありました。
主人公たちは希望ヶ峰学園に閉じ込められますが、それは拉致監禁などではなく、主人公たち自身の意志で、外の世界と断絶する為に閉鎖された空間を作った(その部分の記憶は消されて無い)わけですが、クラス揃って引きこもりになってしまった原因である、人災ではなく天災レベルと言ってよいほどの『絶望的事件』とは何なのか?といったことは、最後まで明かされることはありませんでした。
また、すべての黒幕である『江ノ島盾子』という人物も、最終話に出てきただけで、どの様な人物かがイマイチ理解が出いませんでした。
まぁ、江ノ島盾子に関しては、最後にしか登場していないにもかかわらず、物凄いインパクトを残していた為に印象は濃かったですけれどもね。

今作品では、江ノ島盾子の動機と、彼女の思想が全世界にどの様な影響を与えたのかというのをメインテーマとして取り扱っているので、江ノ島盾子が主人公ともいえる作品に仕上がっていたので、かなり興味深く観ることが出来ました。
気になる彼女の動機は、『希望は予定調和。 その一方で絶望は理解が出来ないので、面白い。』といったもの。

前回の作品では、登場する時期が遅すぎた為、情報不足で考察すら出来ませんでしたが、江ノ島盾子の肩書は『超高校級のギャル』でもなく『超高校級の絶望』でもなく、『超高校級の分析能力』を持つ人間で、凄まじすぎる分析能力によって、あらゆる出来事が先読みできてしまう能力者だった事が分かりました。
普通に考えれば、それほどの能力があれば面白おかしく生きられそうな気もしましたが、常軌を逸した分析能力の結果、全ての出来事の結果が事前に分かってしまうというのは、言い換えれば、犯人とトリックをわかった上で推理小説を読むようなもので、あらゆる出来事が茶番であり、時間の無駄としか思えないようなもの。
そんな能力を持った彼女は、人生を楽しむことなく、退屈な日々を過ごしていたが、そんな彼女すらも予測できない事態が『絶望』で、彼女は絶望の虜となり、全世界を絶望へ叩き落とす事に夢中になった…

ここで面白いのが、江ノ島盾子は平穏な日常に絶望していたわけですが、その絶望から逃れるための希望が、『全世界を絶望に叩き落とす』事だったという事です。
江ノ島盾子は、絶望の中に希望を見出していた為、前作のラストで正体が見破られて処刑される際も、常に笑顔で全力で処刑を楽しんでいました。
三者の視点から観ると、彼女の絶望と希望という価値観が入れ替わっていた為に引き起こされた事件とも読み取れるわけですが… 絶望を追い求めていたはずなのに、本人の中では絶望が希望に変換されていたというのは、いろいろと考えさせられますよね。

そんな彼女に対抗するように、この物語では3人の『超高校級の希望』が登場します。 前作の主人公である苗木くんもそうなのですが、その3人の能力が全て『超高校級の幸運』で有る事も、興味深いですね。
この作品には、様々な能力を持つ人物が登場するわけですが、絶望を前にすると、それらの能力は尽く無意味となってしまいます。
しかし、そんな『絶望』の化身である彼女に対抗できるのが『幸運』だけというのも、皮肉な感じがしてしまいます。

何らかの超絶スキルを持っていたら…とか、地力があれば…とか、『努力すれば、なんとかなる!』というのではなく、本当の絶望の中から抜け出せるのは運だけという事実を理解してしまうと、その事実が絶望になりそうだけど、実際問題として絶望から抜け出せる可能性を考えると『運』ぐらいしか無いので、妙に説得力があって面白い。
例えば、自分のことを理解してもらえない職場環境を何とかする場合、自分が努力して認めてもらうというのは成功する可能性は少ない。
しかし、転職を繰り返し、運よく、『自分のことを理解してもらえる上司や同僚』に知り合うことができれば、何のスキルの努力もなくても、事態は好転する。
結局の所、『人生は運』といっているようにも思えるが、実際問題として人生は『運』で、運の前には全てのスキルは無意味なので、この構成には妙に納得してしまった。

そして結末。 江ノ島盾子が、短期間で世界を絶望にたたき起こせた原因は、『超高校級のアニメーター』御手洗亮太が持つ演出能力で、あらゆる演出効果を重ね合わせることで、見るだけで他人を洗脳して強制的に感動させる事ができる程の映像を作り出せる能力を、江ノ島盾子が『超高校級の分析能力』で解析し、見るだけで絶望の虜になる映像を作り出せたことでした。
映像によって世界が『絶望』に染まったのなら、同じ方法で、世界から『絶望』をなくし、『希望』にする事が出来る…
そう考えた御手洗亮太は、密かに制作していた『希望のビデオ』を全世界に向かって流そうとする。 普通の作品であれば、これを皆が手助けするという展開になるのですが、この作品では、皆が協力して御手洗亮太を阻止しようとするところも面白い。

江ノ島盾子が作り出した『絶望的な世界』には、主人公を始めとした『希望』が存在しますが、絶望がまったくない『希望だけの世界』になってしまうと、それはそれで問題が有る。
絶望と希望は表裏一体の存在なので、世界から絶望だけを完全に消し去ってしまおうとする行為は、そのまま、世界から希望を消し去ってしまう行為にも繋がってしまう。
作品自体に、『この世界は、絶望があって、希望があるから良い』とするメッセージが込められていて、勧善懲悪になっていない点も面白かったですね。