だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

呑み屋街依存から脱出した話

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ここ最近、お酒を呑む機会がめっきり減り、それに伴い、お酒が弱くなってしまった。
という事で今回は、生活習慣が変わったら、お酒を飲まなくなった話を書いていこうと思う。

特に頑張ること無くお酒を呑まない生活を手に入れたので、酒を止めたいけれども止めれないという方の参考になれば幸いです。

酒と私

私が今まで、どんな感じでお酒と付き合っていたのかというと、家で晩酌はせずに、週末だけ呑みに出かけるという生活を送ってた。
イベントドリンカーとでも言うのでしょうか。 どこかに呑みに行った時にだけ呑むというスタイルで、逆にいえば、お酒を呑むためには外に出かけなければならないという感じで呑むスタイル。
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出掛けて行って呑むと入っても、誰かから誘われたりだとか、こちらから誰かを誘って呑みに行くというわけではない。
基本的には一人で呑みに行く。 所謂お一人様というやつ。
一人呑みをした事がない人間にとっては、『一人で何しに呑みに行くのか?』と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、一人で呑みに行くと、いつ行くのも帰るのも自由。
自分の好きなペースで呑んで帰れば良いので、誰に気を使う事もない。 慣れれば、気軽にできる気分転換としてもってこいだったりする。

この様な生活は、25歳ぐらいから続けていて、最初は知っている店1軒だけに毎週通う形で、一回あたり3000円ぐらいを目安に呑んでいた。
『一人で、毎週同じ店に行って何するの?』と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、BARやPUBというところは、皆さんが思っている以上にお一人様が多い。その為、スタッフも一人客の扱いになれている場合が多く、一人で訪問しても飽きさせない接客をしてくれたりもする。
また、一人客が思っているより多いということは、一人客と一人客がカウンターで隣同士になる事もある。 この際に稀に、隣の人とも話す機会などが出来、意気投合して知り合いになる場合も出てくる。 一人で呑みに行く客は行きつけの店を持つ傾向にあるので、同じ店に通い続けていると、再び遭遇するケースも結構な割合である。そうなった場合は、近くの席に座って話すということも珍しくないので、一人だから携帯を見るぐらいしかする事がないなんて事にはならなかったりする。(携帯だけ観て帰る事もあったりするが…)

この様にして、一つの店に毎週のように通い続けると、よく喋るようになる店のスタッフや常連などが出来てきてくる。
スタッフの仕事が終わった後や、馴染客と意気投合した際などに、彼ら彼女らが知っている別の店に雪崩込み、そこで呑む機会というのも増えてくる。

連れて行ってもらう店は彼ら彼女らの馴染みの店なので、私は馴染客の知り合いという事で店の人に紹介される。
連れて行った貰った店のスタッフも、一見客できたわけではないので、いきなり距離を縮めた形で接客してくれる。
距離を縮めた接客をしてもらうと、こちらとしても、その場を楽しみやすくなるし、スタッフともコミュニケーションを取る事で仲良くなると、『せっかく知り合いになったのだから、次は1人でも…』という事にもなる。

教えてもらってお店に一人で行くと、既に馴染客と一緒に行っているという事で、スタッフの方も安心感があるのか、その日に来ていた常連さんを紹介してくれたりもする。
『この人、○○さんの知り合いで、この前一緒に来てくれたんだよ。』ってな具合にだ。
こうなってくると、その店の居心地が良くなるもので、この店も『よく行く店』の一つに入るようになる。

こんな生活を何年も続けていくと、『行きつけの店』がどんどん増えていく事になり、呑み屋の常連客の知り合いも増えてくる。
『あの客は、どの店とどの店によく顔を出し、誰と仲が良いとか、この店とこの店は客がかぶってるし、スタッフ同士も仲が良い。』といった具合に。
それだけでなく、何なら行ったことがない店も、『あそこのオーナーは、元々○○って店で働いてたから、あの系列』とか、『○○って店で働いてたスタッフが、独立して店をするらしい。』なんて情報も入ってきて、呑み屋街の事情が把握できるようになったりもする。

こうなってくると、『楽しみやストレス発散の為に呑みに行く』というよりも、知ってる店に定期的に顔を出すと行った目的で、呑み屋街に出かけるようになる。

私は週末の土曜日にしか呑みに出ないと決めていたが、週に1回しか呑みに行かなくても、こんな生活を10年以上も続ければ、知っている店の数は2桁になってしまう。
こうなってくると、数ヶ月に1回ペースで知っている店に顔見せに行くだけでも、1回の呑みで3~4軒ぐらいハシゴ酒をしないとノルマがこなせなくなる。
顔見世だからと、ビール1杯で帰るというのもバツが悪いので、2~3000円は使うようにし、自分が呑めなければ、スタッフに一杯奢って、値段の帳尻を合わせるということもしていた。
そういう呑み方をしていると、1回平均で8千~1万円ぐらいを使う。 それが月に4回なので、呑み代だけで月に約4万。 年間50万ぐらい使っている計算になる。

改めて計算するとかなりの額だが、それでも毎年の様にこの金額を使い続けていたのは、結果として楽しかった… というよりも、居場所が呑み屋街にしかなかったからなのかもしれない。

携帯のメモリーは、呑み屋で知り合った人たちで埋め尽くされ、週末の予定は呑み屋街に行くことで埋め尽くされ、日曜は死んだように眠る。
このサイクルを何年も続けていると、知り合いが呑み屋街にしかいないという状態になってくる。 普通に考えると異常な事なのかもしれないが、この様な環境下では、実際に話せる人間も、自分を知ってくれている人間も多い為、自分が顔が広い人間だと思いこむ。
最後の方では勢いに乗って、知り合いが誰もいない店に一人で入って新規開拓などもしていた。 誰も知らない新規の店とはいっても、今まで知り合ってきた店員や呑み屋街の人間の誰かとは繋がりがある為、完全にアウェイというわけでもない。 こういう事を繰り返していくと、自分の中で『呑み屋街』の存在がどんどんと大きく膨らんでいき、更に依存は強くなる。
また、呑み屋街以外の知り合いと呑みに行く機会ができた時も、馴染みの店に連れていく事ができ、『この街は僕の庭だから』的な顔もする事が出来る。 当時は、年間50万の浪費も『投資』と思えたし、有意義な事とすら思えていた。

しかし、環境が変わる事で、呑み屋街依存もあっさりと終わりを告げることになる。

自分を肯定してくれる場所

この様にして、私は20年近くも呑み屋街に通うという生活を続けていたわけですが、飽きもせずに続けられたのも、自分を肯定してくれる場所が呑み屋街にしかなかったからかもしれません。
呑み屋街で顔が広くなり、色んな事情を知っていき、それを呑み屋で話すだけで顔が広い事情通を演じられたし、実際に持ち上げてくれる人間もいた。
その状態が心地よかったので、飽きること無く、進んでそんな行動をとっていたんだろう。

しかし、この行動も突き詰めれば自己承認欲求を満たすだけのもの。
他のもので承認欲求が満たされてしまえば、その依存からは簡単に脱出できてしまう。
失恋の傷は、別の恋愛なんて事もいうが、他の依存先を見つけてしまえば、前の依存先の未練はなくなってしまう。

では、私の場合の次の依存先は何だったのかというと、Podcast配信だった。

元々は、習慣の一環として行っていたブログ更新を、音声でも行ってみようという試みで始めたPodcastだが、何故か、思想や哲学史について勉強して発表するというふうに方向性が変わってしまい、哲学の勉強をしなければならなくなった。
また、勉強内容を原稿に起こして、それを読み上げて音声データにして編集するという手間も必要になり、呑みに行く時間がかなり減ってしまった。
本来なら、自分の中で、かなりの割合を占めていた呑み屋通いが行えなくなった事でストレスが溜まりそうなものだが、Podcastを実際にアップロードすると、それに対して好意的なリアクションなども貰えたりして、呑み屋通いが出来ない事で出来た隙間を、Podcastが埋めてくれる形になってしまった。

そして、今までは自己承認欲求を満たしてくれているものが呑み屋通いだけだったのに対し、Podcastが加わって二本柱になってしまった事で、呑み屋街に通う行為について冷静な目でみれるようになってしまった。
今思えば、この心境の変化が、呑み屋街から離れてしまう大きな原因になったのだろう。

さらば呑み屋街

Podcast製作の為の手間が増大したことにより物理的に時間が削られた事と、それを配信した事で得られた反応によって、触球が満たされて、呑み屋街への依存が軽減したわけですが、呑み屋街から遠のいた一番大きな原因となったのは、幻想から冷めたというのが大きかった。
先程も少し書きましたが、呑み屋街では、定期的に顔を出していなければ情報を仕入れることも出来ませんし、知り合いが増える事もない。
店にとって、お金を定期的に落とさない人間は、基本的にどうでも良い人間なので、通う頻度が少なくなると対応も変わってくる。
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その街に足が遠のくという事は、私という存在抜きでのネットワークが構築されていくという事で、それなりに通っていた店でも、それなりに行かない期間が空いてしまうとアウェイ感が漂ったりもする。
また、呑み屋街で知り合った人間は、基本的に呑み屋街で遊ぶものなので、シラフの状態で休日に昼間から遊びに行くなんて事も基本的には行わない。
結果として、足が遠のいた事で、自分が実は孤独な人間だったんだという事が嫌という程わかってくる。

店の店員は、基本的にはお金が発生するから相手をしてくれていただけだし、私を含め、そこに足を運んでいたお一人様の客達も、暇つぶしで話していただけ。
暇つぶしなので、『呑み屋街の事情』といった、お酒を呑んで頭が働かない状態で話すぐらいが丁度よい話題しか話さない。
そんな『街の事情』は、街を一歩出れば意味のない情報だが、互いに共通点のない者同士が話に花を咲かせようと思ったら、そんな話題ぐらいしか話すことがない。

『この話をする事に、何の意味があるんだろう?』『この街の事情に詳しくなって、意味があるのだろうか。』
こんな事を考えるようになってしまうと、幻想も終わり。
定期的に呑み屋に通ってお金を落とすなんて事に意義を感じなくなる。

冷静になってくると、次に始まるのが断捨離。 断捨離を始めるのではなく、勝手に断捨離が始まるのである。
つながっている事に意味を見いだせない人間関係や、その人間関係を維持する為だけに通っていた店には、自然と足が向かないようになってしまう。
結果、気が合う人たちが集う店や繋がっておきたい店だけが残るようになる。

だからといって、これらの店に毎週通うのかというと、そんな事もなく、やっておきたい事が増えて遊びにいける時間が減った事と、精神的にも少し距離感を置いた感じでの付き合いに移行してしまった為、1~2ヶ月に1~2回ぐらい呑みに出るという状態で落ち着いた。

という事でまとめると、新たに承認欲求を満たしてくれる存在が出てきた事で、呑み屋街というものに冷静に向き合えるようになったという事です。
もし、呑み屋通いというのを止めたい人がいるのであれば、新たな依存先を見つけるのが、手っ取り早いかもしれません。
呑み屋街では、結婚や出産を機に卒業するというのが頻繁に起こりますが、それも、新たな依存先が見つかった事による、卒業なのかもしれません。

呑み屋街自体は楽しいものですし、たまに行く程度だとストレスも発散できて良いかもしれませんが、それに依存するようになってしまうと、問題も出てくるように思えます。
『呑みに出る』以外の趣味を持ってるぐらいの方が、冷静な付き合いができて良いかもしれない。