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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (前編)

先日、PS storeでセールが行われていて、メタルスラッグ3 通称メタスラ3がセールを行っていたので、購入してプレイしてみました
今回の投稿は、そのプレイ感想をネタバレ前回で書いていく予定ですので、ネタバレ警察の方は、読むのをおやめください。

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メタルスラッグ 通称メタスラとは

私がこのゲームに最初に触れたのは、20年以上前のゲームセンターでの事なので、記憶がおぼろげですが、『メタルスラッグ』というのは、この作品内に登場する一人乗りの超高性能戦車の名前。
これが敵側に奪われたので、それを奪う、もしくは機密が漏れる前に破壊するという使命を負った主人公が、単独で、戦場に乗り込んでいくというアクションシューティングゲームです。

当時は、これぐらいしか知らなかったのですが、この記事を書く為にストーリーを調べたところ、反逆軍を率いるモーデン総帥が世界的な軍事クーデターに成功するというのが、このゲームが始まる前に起こった出来事。
メタルスラッグ』もモーデンに奪われてしまった為、それの回収、もしくは破壊と、反逆軍の殲滅。そして、モーデンの撃破が、特殊工作部隊の隊員である、マルコとターマに命じられるというのが、メタスラ1のストーリー。

『1』で、宿敵モーデンを倒したが、そのモーデンがまた復活したので倒しに行くというのが『2』。
そして今作。 またもや復活したモーデンを倒すというのは当然ですが、それと同時に起こった、超常的な現象を調べるというのが、今作で追加された任務のようです。

巨大生物

最初のミッションで訪れたのは、とある島? 人の体ほどに巨大化したカニなど、超常的な風景が広がっている。
先に進んでいくと、巨大生物や凶暴化した生物に混ざって、モーデンの手下と思われる兵士の姿もチラホラ。
この超常的な出来事と、モーデン達の行動はつながっているのか? 途中で囚われている捕虜や補給兵を助けつつ、出てくる得点アップアイテムの食料を食べすぎて大柄になるも、ファースト・ミッションの最後では、兵器とかした超巨大生物と戦い、無事、撃破!
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最初のミッションから驚かされるのは、緻密に描かれた背景と、ドット絵でありながら、細かな動きを見せてくれるキャラクター
聞いた話では、ドッド職人が、自己を発狂寸前まで追い込んで作り上げた代物らしく、3DのCGが主流になっている今観ても、飽きさせる事が無いのは、凄いと言わざるを得ませんね。

バイオハザード

のどか… ではなかったが、南国風、もしくは熱帯雨林の様なステージを抜けた後は、打って変わって夜の世界。
冒頭では、いきなり科学者達す演出から始まるのが第2ミッション。

少し進むと、逃げている理由がわかった。 兵器開発の失敗なのかバイオハザードが起こり、町の住民が次々にゾンビ化している。
このゾンビは相当打たれ強く、銃で頭をぶっ飛ばしたとしても、少し気絶しただけで蘇ってくる。ただ、どれだけ打たれ強くても、足を狙って機動力を下げてしまえば問題ないのか、しゃがんで撃ちまくると倒しやすかったりする。

このステージも演出が凝っていて、待ちに背景のように配置されている一般人にゾンビの攻撃が当たると、その一般人もゾンビ化してしまう。
カップルらしき男女も配置されているのだが、男性がゾンビ化したものを倒すと、宝石のようなものをおとし、次に、ゾンビ化した彼女を倒すと、ラブレターらしき手紙をおとしたりする演出が、ちょっと切なかったり…
また、道中では金持ちも捉えられていて、こいつを助けると、高額な謝礼と共に新兵器までくれたりする。この辺りの細かい演出は、さすがと言わざるをえない。

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ちなみにこのステージでは、ゾンビの攻撃を1回食らうと、こちらもゾンビ化してしまう。
ゾンビ化すると、爆弾や銃などの物理攻撃が無効になり、手榴弾が派手な吐血になって画面の半分にダメージが与えられるが、、もう一度ゾンビの攻撃を食らうと死んでしまう。 ゾンビになった際のデメリットは、しゃがむことが出来ないのと、移動が遅いのとジャンプが低い事。
つまり、ゾンビを飛び越えたり、しゃがんで足を打つという行動が取れなくなり、ゾンビに殺されやすくなる。

ステージ最後まで進むと、何故か、宇宙人が襲ってくる…そいつらを倒すと、謎の遺跡のようなものが出現。。どうなってるの? この世界観。

潜入作戦

謎の宇宙人や遺跡など、不思議な事はいろいろと有ったが、取り敢えずは、復活したモーデンを追い詰めなくてはいけない。
敵の基地に潜入する為に、正面からは責めずに、裏口?から忍び込む戦略に出たようだ。 とはいっても、一度はクーデターに成功したモーデン。裏口だからと警備に手を抜いておらず、潜水艦などを多数配置していたりする。
それを、ハンドガンと手榴弾だけで仕留めていく主人公は、範馬勇次郎よりも強いのかもしれない…
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多数の潜水艦を爆破し、ようやく、敵の拠点に辿り着く。
流石のモーデンも、あの潜水艦群を抜けてくる人間がいるとは思っていなかったのか、侵入した先は無人で、無人ドローンのみが警備している状態。
その警備を切り抜けて中心部?に侵入すると、大量の敵が! ただ、不意をつかれたのか、主力メンバーはいないらしく、基本的には一般兵とロボットのみ。
警備ロボットの親玉みたいなのを潰し、ミッションコンプリート!!
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(つづく)

【プログラミング】 独学に飽きて paizaのスキルチェックやってみた (後編)

前回は、『独学ではモチベーションが上がらないし、勉強もはかどらない』といった不満を、書き連ねてみました。
kimniy8.hatenablog.com

プログラミングを勉強するキッカケって、人それぞれで沢山あるとは思いますが、その中でも『今直ぐ作りたいものが有る!』『自分の夢を叶えるために、どうしても必要!』といった感じで勉強をされている方は、モチベーションの維持が比較的楽で、勉強も進むと思うんです。
実現したいものが具体的に頭の中に有るわけですから、後は、それを実現する方法を調べて実践していけば、自然と覚えていくことでしょう。
私が、htmlやcssを覚えたときがそうでしたし。

しかし、作りたいものが特に無く、なんとなく始めた人間にとっては、文法を一通りやってしまうと、その後、何をして良いのかわからない…
今勉強している文法を、その様に応用すれば、どんな事ができるのかが全く分からない。
そもそも、何の為に勉強してるの? って感じになってしまい、やる気が削がれていくんですよね。

スキルチェックとは

paizaが提供しているスキルチェックは、簡単にいうと、今の自分のプログラミングの能力を知ることが出来るテストです。
最高ランクがSランクで、一番下がEランク。
それぞれのランク毎に、ランクに合わせた難易度のテストが出題されています。
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このスキルチェックが、私のような人間に、程よいハードルを用意してくれる感じで、モチベーションの維持に丁度よいんですよね。
実際の難易度はというと、初心者用に書かれた入門書や、このpaizaで受けられる入門講座を観て理解できる状態であれば、取り敢えずCランクには上がれるという感じ。
EやDの場合は、数分で解ける簡単なものですが、Cになると、私ぐらいのレベルだと、2~30分かかる感じでしょうか。
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Cだと、1時間の制限時間が設けられていて、その時間以内に解かなければならないのは勿論、時間がかかればかかる程、減点対象になっていきます。
20分ぐらいで正確に動くプログラムを書けば、100点が取れる感じでしょうか。
Bランクになると、制限時間が2時間になり、問題も難しくなります。 ちなみに私は、このランクでつまづきました。

プログラマーの方が書いたブログによると、転職などをする際には、最低限、Bランクはないと駄目で、それ以下なら足切りにされるというレベルのようです。
複数のテストがありますが、それぞれのランクの問題を1問でも解けるとランクアップ出来る仕様になっていて、同ランクの他の問題が解けなかったとしても、ランクが下がることはないので、ドンドンと挑戦していける感じでしょうかね。
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現状で、これだけの問題数が有るので、全てこなせば、プログラミングにかなり慣れる事が出来そうです。

問題を解いてみて思ったこと

どんな問題が出題されるのかというのは、ここでは申し上げる事はできません。
というのも、問題を解く前に、いちいち、こんな感じの警告文が出るからです。
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『問題内容を晒さないでね』とか『答えを他の人に聞かないでね』といった感じで、これに承諾しないとテストが受けられないようになっているので、問題内容を教えることは出来ないのですが…
私が解いているレベルの試験では、本当に基本的な事の繰り返しの様な感じなので、解くだけで、基礎力が上る感じがします。
for文 と if文 listの使い方とかね。 

後、paizaのスキルチェックには、標準入力という入力方法で入力されたデータを加工するというのが殆なので、標準入力の受け取り方を学んでおく必要があると思います。
標準入力でのデータの受け取り方については、paizaで無料の講座が開設されてるので、それを観てみると良いと思います。

何故 このサービスは無料なんだろう

このpaizaのサービスですが、入門講座やスキルチェックは、アカウントさえ作ってしまえば、基本的に無料で行うことが出来ます。
アカウントを作るのにも、お金はかからないので、勉強にお金をかけたくないという人には、もってこいのサービスなのですが…

何故、無料で使えるのでしょうか?

これは、会社側にインタビューをしたわけではないので、私の憶測ですが、paizaの本業部分は、プログラミング育成ではなく、転職サービスが主力なんだと思います。
『スキルチェック』で回答する際に、会社側に答案を送るといった感じの表示がされるので、会員のスキルレベルを、提携している会社に売っているんだと思います。
これによって、会社は、どの人物がどれぐらいのスキルレベルを持っているかがひと目で分かるようになる。

また、paizaでは、プロフィールの設定で、転職希望かどうか、希望の場合、どれぐらいの年収を望んでいるのかを、必須で書き込まなければなりません。
paizaと提携している企業は、それらの情報とスキルレベルを観て、自分の会社の条件に合うのであれば、スカウトをし、人材が確保できれば、それに見合った報酬をpaiza側に渡しているんでしょう。
提携企業がpaizaにお金を払ってくれているおかげで、結構なサービスが無料で受けられるのではないでしょうか。

また、無料で入門講座を受講できるようにし、スキルチェックも無料で提供することで、プログラミングの世界に入る人を増やそうという思惑も有るのかもしれません。
嘘か本当かはわかりませんが、プログラマーという職業は、今後、日本で足りなくなる業種のようなので、今のうちに、興味のある人を増やしておきたい。 出来ることなら、その人材を囲い込んでおきたいという思いから、無料サービスが多くなっているのかもしれませんね。
どの様な理由にせよ、お金をかけずに勉強できる環境を整えてくれているというのは、私のような人間からすると『ありがたい』の一言なので、今後も、この方針でやっていってもらいたいですね。

鬱陶しいメールが頻繁に来ない?

転職サービスが主力ということで、プログラミング技術を既に持っている方が、更に勉強を進めたい。でも、現在、特に、転職しようと思っていない人の場合、企業側から頻繁に、お誘いメールが来ないか心配という方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、その心配は無用だと思います。

というのも、アカウントを作る際に、企業からのスカウトメールを受け取るか受け取らないかを選択できるので、転職をしたくないのであれば、メールの受け取りを拒否しておけば、義業側からのメールは来ません。
ただ、paizaに登録するのにメールアドレスが必須で、その登録アドレスに対して、paiza側が、『こんな企業が人材を探していますよ』といった感じのメールマガジンを送ってくることはあります。
まぁこれも、1日に何通も来るわけではないので、無料でサービスを使わせてもらっているので、それぐらいは構わないですよね。

使ってみた感想

私自身は、まだ、使い始めて日の浅いサービスですが、このレベルの学習サイトが無料で使えるというのは、結構、ありがたいと思いました。
前にも書きましたが、特に目標のない独学の場合、『何がしたい』といったことがない為、モチベーションも維持できずに勉強に身が入らないんですが、小テストのような感じでハードルを設けてくれる事で、取り敢えず、目先の問題を解いてみようという動機で勉強が続けられるのが良いですね。

既に、何か作りたいものが有る方にはひつ余のないサービスかもしれませんが、私のように、『なんとなく、プログラミングが出来たら良いな』レベルで勉強を始める人にとっては、便利なサービスだと思いました。
無料の範囲でも、結構な勉強が出来るので、独学に生きづまた方は、是非、試してみては如何でしょうか。

【プログラミング】独学に飽きて paizaのスキルチェックやってみた

このブログを継続的に読まれている方は、既にご存知かもしれませんが、私は、プログラムの勉強をしていたりします。
別にプログラムで作りたいものが有るとか、そういった前向きな理由ではなく、本業の仕事が開店休業状態で、いつ、廃業に追い込まれるかわからない…
という事で、暇な時間を見つけて、ちょこちょこと勉強を始めている次第であります。

全くの初心者として勉強を始める

勉強してみようと決めてみたは良いものの、数ある言語の中から、どれを選んで良いのかも分からず、その疑問を取り敢えずTwitterに投げてみたところ、『python が良いですよ!』という返答を頂いたので、そのアドバイスに従う形で、pythonの勉強をしてみました。

勉強を始めるとは言っても、プログラミングに詳しい知り合いが近くにいるわけでもなく、安価で通える教室が有るわけでも無い。
そうすると選択肢は限られてくるもので、本を購入して読むというところから入りました。

プログラミングの本は、大体が2000円前後で、専門分野の本になると、3~5000円といった感じで、結構根の張る代物。
最初から、詳しめの専門書を購入しても理解できないと思い、取り敢えずは、タイトルに『初心者』と銘打ってある本を購入してみました。

行き詰まる独学

先ほど紹介した本以外にも、他に数冊購入し、取り敢えず読み込むという感じで勉強していたのですが…
どうも、モチベーションが上がらない。

書いてる内容が理解できないわけではありません。
初心者と銘打ってある為、書かれていることも基本中の基本しか書かれていません。
例えば、変数に値を代入するであったり、条件分子であったり、繰り返し処理などといった、基本中の基本が丁寧に書かれていて、書かれていること実践してみると、その通りになる。

しかし、『だからどうした?』としか思えない自分がいる。
これが、プログラミングが大好きで、自分自身で作りたいものがある人であれば、状況は変わっていたのかもしれません。
ですが、私のように後ろ向きな理由で、特に作りたいものもないのに勉強をし始めると、基礎を習ったところで、それを、どの様に応用して発展させていけば良いのかが全くわからない。

結果、本を読んでの独学は、数ヶ月程でやる気をなくしてしまう事になりました。

プログラム学習サイト

本を読んでの独学は、数ヶ月でやる気が無くなってしまったわけですが…
だからといって、せっかく本を読んで身につけた知識を無駄にする気にもなれず、『どうにかならんもんかな。。』と思ってネットを検索したところ、ネットでプログラム学習をしているサイトが有ることが分かりました。
近くに教室などがなくても、このサイトにアクセスするだけで、プログラムの学習環境が手に入る。

ブラウザーに打ち込みタイプのもので、自身のパソコンにpythonをダウンロードすることすら不要で、『こんなのが有るなら、最初から、こっちで勉強しておけばよかった…』と思わせる程の出来でした。
これを読まれている方で、本当に1から勉強をしようと思っておられる方は、私のように合計で1万円程の本を購入して読むよりも、学習サイトを利用した方がハードルも低いし、何より安いので、良いと思います。

学習サイトは、検索するとそれなりに出てくるのですが、その中でも有名とされているサイトを2つほど選んで、試してみました。
一つは、月学課金制で、月に1000円程のお金を出すと、結構な言語の口座が受けられるようになるというもの。
渡しの場合は、python1つの為に1万円分程の本を購入しているので、それを考えると、約10ほどの言語の口座が受け放題で1000円程度というのは、お得かもしれません。
月学課金制の為、まとまった時間がある人ほど、同じ料金で沢山の受講が出来るので、時間が取れる人は、この様なサービスが良いのかもしれません。

もう一つのサービスは、複数個に分かれた講座を買い取るタイプのサイトです。
例えば、機械学習講座などを2~3000円で買い取り、それを自分のペースでこなしていくというタイプ。
一度買い取ってしまえば、利用期限などは無かったような気がするので、まとまった時間が取れない人などは、こちらの方がコスパ的に良いかもしれません。

両サービス共に、入門講座を無料で開放していたので、両方、試してみましたが、わかり易さなどに違いは無い感じです。

プログラム学習 & 転職支援サービス paiza

先程の項目で、サービス名を出さなかったのは、結局、私自身がお金を払って入会しなかったからです。
両サービス共に、テキストを読んで内容を理解し、その後、演習問題で実際に手を動かしてコードを書かなければ次に進めないという内容なので、本を読むよりは頭に入るような気はしますが…
結局、本を読んで勉強しているときと同じで、学習しても、それを使って何かを作ろうと思えない為、長続きしそうになかったんですよね。

そんな中、偶然、見つけ出したのが『paiza』というサービスです。

このサービスは、数多くのプログラム言語を取り扱っていて、尚且、入門編はほぼ無料で公開されています。
前の項目で紹介した2つのサイトは、左にテキストが出て来るのを自分で読んで、右の解答欄に黙々と回答を書いていくというスタイルなのですが…
paiza では、実際にプログラムを打ち込む作業を映像化し、それを声優が解説するというスタイルの動画を観て、演習問題を解いていくというスタイル。

微妙な違いですが、動画の方が『独りで』勉強をしている感が薄れる為、結構、良い。

それだけなら、先程、紹介したサービスと殆ど変化がないようですが…
実は、paiza 独自のサービスの『スキルチェック』というのが、凄いんです。

本での独学や、先程までに紹介したサイトでは、知識を身に着けても使う機会がない為、モチベーションが保てなかったわけですが、paiza では、スキルチェックというテストを自分のタイミングで受ける事が可能。
書いたプログラムを採点してくれて、難しい問題を解くとランクアップするという、ゲーム感覚でプログラム学習が出来てしまうんです。

先程も書きましたが、プログラミングは『何かを作ろう』という意思が無いと、なかなか続かないし成長もしない。
その為、私の様に、特に目的などもなくなんとなく始めた人間にとっては、モチベーション維持が大変なんですが、この様に、ハードルを設けてくれると、『取り敢えず、このハードルを超えてみよう』って気になるので、勉強も続けられて良い感じですね。

結構長くなってきましたので、実際にスキルチェックを体験した詳しい感想は、次回に書いていきます。
kimniy8.hatenablog.com

第36回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(12) ~ヒッピー回まとめ (後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

ヒューマン・ビーインにより質が変化するヒッピー

ですが、オラクルという雑誌が企画した、ヒューマン・ビーインによって、その状況は更に変化していきます。
このイベントには、特に主張などが無い人間が大量に流れ込み、意識拡張からの意識改革の意味を取り違えた新左翼も参加しだし、それらが出会って化学反応を起こす事で、イッピーという新たな層が誕生しだします。
イッピー達は、ムーブメントをより大きくする為に、また、自分たちに注目の目が集まるように、派手なパフォーマンスや悪ふざけを積極的に行って行くことになります。

イッピー達は、管理社会や資本主義、現状の政治によって生み出された問題をピックアップし、その問題を掲げて、街のいたるところで反体制デモを行っていきます。
マスコミ達は視聴率の為に、イッピー達が行うデモの様子や派手なパフォーマンス、時には悪ふざけを取り上げます。 そして、この様子をテレビを通して観た若者が感化されて合流し、より大きな動きになっていく。
この繰り返しによって、社会に対して漠然とした怒りや納得できない事柄を持つものがドンドン集まってきて、社会現象になっていくのですが・・・

この動きは、当初、ティモシー・リアリーやビート・ジェネレーションが訴えかけて目指してきたものとは全く違ったもので、180度 方向を変えたもになってしまったといっても良いのかもしれません。

この部分で、ティモシー・リアリー達が訴えた意識拡張からの意識改革と、イッピー達が行う反政府運動との違いがわからないという方もいらっしゃるかも知れませんね。
というのも、リアリーもイッピー達も、民衆に向かって主張している事というのは、今までの社会の前提を疑えという事だからです。
今までの前提を疑って、自分達を縛り付けていた常識を打ち破り、本当の意味で自由になる。 その為に行動を起こそうと言っているので、少し聴いただけでは、両者の言い分は同じものに聞こえてしまいます。

しかし実際には、この両者の主張は全く違ったものです。 ビーイン後に開かれたサイケデリック会議でも、周りの人達が反体制で盛り上がる中、リアリーだけがその行動に同調せず、『ドロップアウトさえ行えば、改革は成された』と主張しています。
では、両者の主張は、どのように違うのでしょうか。

ヒッピーとイッピーの違い

簡単に言ってしまうと、両者の意見の違いというのは、世界と自分の捉え方が違います。
ティモシー・リアリーの主張の前提となっているのは、唯我論的な世界観です。 これは、自分という人間が考えるから、世界が存在するという考え方なので、自分自身が世界の捉え方を変えることができれば、世界も変わるという考え方です。
高度管理社会によって生み出された、人間を縛り付ける鎖というのは、本来は存在しないはずのものなのに、自分がその鎖の存在を認めてしまっているから存在してしまっていて、それによって自分が縛られているという考え方です。

ですが、実際には自分を縛る鎖は無いので、それを再認識しようというのがメインの主張です。その再認識のために必要なのが、幻覚剤による意識拡張で、自分自身と世界の認識を全く違ったものに変換した世界を体験することで、それを促そうとしました。

それに対して、ビーイン後に集まってきたイッピーやフラワーチルドレンと呼ばれている人達は、根本的に考え方が違います。
この人達の考え方は、まず、私達が暮らしている世界というものが存在し、その世界に環境が存在し、その環境の中に人間が暮らしていて、社会を構築しているという世界観です。
この考えでは、まず世界が存在するわけですから、私達が暮らす世界を良くしようと考えるなら、行動を起こすことによって、世界の方を良くしないといけないという事になります。

世界や環境の中に存在する様々な問題を見つけ出して、それを掲げて大第的に宣伝して、社会問題化していく。そして問題意識を皆で持つことで、その社会問題を解決していく。
これは、ティモシー・リアリーの考え方とは真逆の考え方なんです。

どの様に逆なのかというと、イッピーやフラワーチルドレンと呼ばれた人達が行っていることは、価値観の押しつけなんです。
社会の中から問題を見つけ出してきて、今までの価値観を持つ人達に『今までの価値観は間違っているんだから、新たな価値観に変えるべきだ』と迫って、新たな価値観を押し付けていくわけです。

その一方でティモシー・リアリーの考えは、自分の価値観を変えることを推奨しています。
ジョン・レノンがイマジンという曲で訴えた事も同じで、この曲内では、この世にある様々な境界線を無くした世界を想像しようというものですよね。
では、境界線とは何なのかというと社会問題で、境界線のない世界というのは社会問題が存在しない世界を意味します。

真逆ですよね。
イッピー達は、世界の中から問題を見つけ出して、それを大々的に宣伝することで、他人の価値観を塗り替えようとします。問題を見つけ出すというのは、新たに境界線を引く行為です。
つまり、イッピー達が社会を良くしようとして行うデモ行進などは、行えば行うほどに境界線がハッキリしていき、個別の問題として社会問題化すると、それが元で更に問題、つまり境界線が生まれるということです。

境界線のない世界

例えば、企業が人員を募集した際に、採用比率が9:1で男性の方が多くなった場合、『男女差別だ!』という声が上がってしまうというケースがあります。
会社側としては、男女で区別して取ったのではなく、採用試験をして上から順番に採用した結果に過ぎなかったとしても、偏りが有って『差別だ!』と言われてしまう。
それを解消するために、男女比を半分半分位なるように採用するように変更すると、本来は入社できていたはずの成績を収めた男性が落とされて、従来のテスト結果では落ちていたはずの女性が合格するというケースも出てきます。

今回は一例として出しただけなので、当然、会社の事業内容によっては、男女比が逆のケースもあるでしょうが、ともかく、この様に採用が偏るケースで無理やり男女比合わせた場合にこの様な事は起こってしまいますが、これは本当に、差別のない社会なのかということです。 
『男女差別だ!』と声を上げる人達は、男女平等な社会を実現させる為に運動をして声を上げているわけですが、この運動によって、男女の境界線というのもはより深くなりますし、男女というものはこの運動によって、明確に別れてしまいます。
先程のケースでいうと、成績が高かったのに男だから落とされた人と、成績は低かったけれども女だから受かったという人が出てきてしまいます。 これは、逆のケースでも同じです。

この様に、明確に境界線が引かれた場合は、それによって更に、問題が生まれてしまいます。これに対してリアリー達の言っていることというのは、境界線の無視です。
男とか女とか人種の違いとか国籍とか、そういったものに意味なんて無いよねという事です。
1人の人間を目の前にした際に、『この人は、男性で白人でアメリカ人で、ハーバードの出身で、年収はこれぐらいで…』といったあらゆる境界線を無視して、更にいえば、
その人間と自分という人間の境界線すらもなくして、相手と自分とを同一視しようと言うことを主張しているわけです。

全ての境界線を亡くした状態で、相手と自分を同一視すれば、当然ですが、自分が嫌だと思うことは相手に行わないですし、自分が発する言葉が相手にはどう聞こえているのかを考えながら話します。
この様な価値観を世界中の皆が共有すれば、戦争や貧困も起こりようがないですし、世界はより平和で暮らしやすい方向に進んでいきますよね。
この価値観の中で、仮に一部の企業が採用試験をした結果、9:1で女性が採用される事になったとしても、リアリーが主張する世界には、そもそも前提として男性や女性という境界線が無い世界なんですから、これを問題視しようとしう運動も起こりません。

そもそも性別という境界線が無いわけですから、当然、BTLGのような問題も起こりようがないという事なんです。
そして当然ですけれども、この様な価値観は押し付けるのではなく、自分自身で理解する事を重要としていました。
そのために必要なのが、LSDによる神秘体験で、世界と個人との一体感を体験する事で、悟りを開く事を推奨していました。

理想だけでは駄目な事もある

この、イッピーとリアリーの主張の違いですが、どちらが良いのかというのは、一概には言えません。
世の中に埋もれている問題を取り上げて、それを共通認識として持たなければ解決しない事も多いでしょう。 
弱者が団結して声を上げなければ、大抵の場合は権力者の都合の良いように世の中は作り変えられていきますし、搾取の構造も、それによる二極化も進むばかりです。

リアリーの主張では、それらの事を全て無いものとして無視すれば良いという事ですが、実際問題として社会環境によって被害をうける場合は、どうしようもないですよね。
例えば、アメリカでは黒人差別が根強く残っているようですが、黒人の人が前提を無視して自由に振る舞ったとしても、黒人差別をする白人警官に不当逮捕されてしまう可能性もありますよね。
偏見・レッテル、色んな言い方はありますが、自分自身がそれらを捨て去ったとしても、相手が自分に貼り付けているレッテルが消えるわけではありません。

リアリーの主張している事は、理想的ではあるんでしょうけれども、関わる全ての人が悟りを開いて、その様な考え方をしなくては成り立ちませんが、それは、かなりハードルが高いですよね。
また、幻覚剤による神秘体験や、シャーマニズムの復活というのは、かなり誤解を受けやすい主張です。
現に、ヒッピーと呼ばれる人達が目立った行動を取り、世間一般にとっても有名になり始めた1970年前後には、様々なカルト集団が誕生しています。

ここで誕生したカルト集団の多くは、主に神智学と呼ばれる、キリスト教と東洋思想や科学などを混ぜて作られた概念が主流だったのですが、幻覚剤による神秘体験と相性が良かったのか、乱立するようになります。
このカルト集団も、リアリーの主張を誤解して、もしくは意図的に曲解して生まれた組織です。
というのも、リアリーの主張は、人間を縛り付けている鎖を断ち切るというものですが、宗教というものは、宗教が持つ物語や信仰対象の神によって行動を縛られてしまいます。

管理者が人の作ったシステムなのか神なのかという違いでしか無く、結局は、管理された社会で暮らしていく事になってしまいますよね。
リアリーが主張する境地というのは、結局は主観的なものなので、他人には本当の意味で理解されることもなく、リアリーの主張に反し、ヒッピーというものの方向性は大きく変わっていくことになります。
結構長くなってきましたので、まとめと、それ以降の動きについては、また次回にしていきます。

第36回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(12) ~ヒッピー回まとめ (前編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

幻覚剤と結びつくビート・ジェネレーション

第25回から前回の35回までのエピソードで、ティモシー・リアリーという人物を中心にして、ヒッピー・ムーブメントの始まりから終わりまでの流れを追っていきました。
少し詳しめに流れを追っていった為に、全体を通して、結構、長めのコンテンツになってしまったので、今回からは、一連の流れを簡単に振り返りつつ、このムーブメントが現在にどの様な影響を与えているのかについて、観ていこうと思います。

このムーブメントは、一人の心理学を生業とする男が、シロシビンという幻覚剤と出会うところから始まります。
シロシビンによる幻覚に魅せられた心理学者、ティモシー・リアリーは、幻覚剤による神秘体験を調べていくうちに、『知覚の扉』という本にいきつき、その本の作者オルダス・ハクスリーを通して、ビート・ジェネレーションの大物達と知り合うことになります。

ビート・ジェネレーションとは、高度管理社会に対して異論を唱えて、詩や、その朗読を行うポエトリーリーディングなど、文化的な活動によって意識を変えようとする人たちの事です。
高度管理社会とは、国や社会のシステムの為に、人間の行動が管理されて制限されている社会のことです。

高度管理社会とは

社会は、テクノロジーの進化によって効率化を求められるようになりました。
元々、それぞれの地域でそれぞれ作られていた製品は、より効率を求められることによって、組織化され、人々の仕事はより細分化されて、一定の動きを一定時間内に繰り返すという反復運動を強いられるように変わっていきました。
そして組織同士は生存競争にさらされ、生き残った組織はより大きくなり、より大きくなった組織では、さらに仕事が細分化されて、人の仕事はより機械的になっていきます。

この環境では、人々は生活を安定させる為に、より大きな組織に属する事を目標とし、その為に、よりよい学校に入り、その学校内での競争を生き残ろうとします。
人は生まれてから死ぬまでの間、常に生存競争に勝つことを強いられて、勝ち残る為の行動を強いられます。
それぞれのステージで、上に行くために競争を強いられて、競争を勝ち残る為に、行動が制限されてしまう。この様な管理社会に対して、文学面から異論を唱えた世代がビート世代です。

ティモシー・リアリーは、世の中の前提に対して異議を唱えるビート世代と意気投合し、文学面ではなく、幻覚剤の効果によって、高度管理社会に打ち勝とうとします。
幻覚剤がもたらす、強烈な神秘体験によって、今現在、見えている世界が、そのままの世界だという確かな実感を打ち消してしまう。その感覚を持って、自分たちが存在している世界の前提を疑う。
その体験を通して、常識とされていた前提を疑い、高度管理社会が定める決められた人生に抵抗しようという事なんでしょうね。

管理社会による現実を破壊する幻覚剤

リアリーは、世の中の前提をぶち壊すために必要なのは、幻覚剤による神秘体験だと信じ、神秘体験を高確率で起こす方法を研究することになります。
その研究の末に行き着いたのが、古代のシャーマン信仰です。 神の啓示を受けて人々に知らせるという役目を持つシャーマンが、神と交信する方法に着目し、古代シャーマニズムを現代に復活させます。
チベット死者の書』という本を掘り返して英訳し、それを儀式に使用することで、人々を神秘体験へと導いていきます。 この辺りの行動が、ティモシー・リアリーサイケデリックの高僧 つまり、位の高い僧侶と呼ばれる所以なんでしょう。
神秘体験を経験した人間は、自我と宇宙が一体化したような体験を得て、他人と自分とを同一視し、悟りを開いたように、前提や過去にとらわれない行動や考え方が出来るようになったようです。

その後、この動きに賛同する形で、様々な人達が名乗りを上げて集まってきたり、団体を立ち上げ始めます。
理想的な共産主義を目指すディガーズや、メリー・プランクターズを率いて、アシッドテストを行った、『格好の巣の上で』という小説で有名なケン・キージー
他にも、多くの人達が集まり、新たな価値観を作っていくことになります。

一応言っておきますと、新たな価値観をつくっていくとはいっても、皆が一丸となって、一つの文化を作ったわけではありません。
それぞれの集団は、今までの前提を覆すという共通の認識は持ちつつも、それぞれは別々の道を歩んでいきますし、それぞれのコミューンの最終目的も違ったままです。
ただ、それぞれのコミューンの考え方やアプローチの方法が、別のコミューンに刺激を与え合ったということです。

シャーマニズムなどの今までの常識を打ち破るカウンターカルチャー

リアリーやビート・ジェネレーションが訴えかけていた事は意識革命なんですが、派生したこれらの団体は、意識を変える事によって現実の捉え方を変えるというものだけではなく、参加者に、現実の行動やライフスタイルの変化を求めるようになりました。
とはいっても、この頃はムーブメントの規模も小さく、コミュニケーションも密に取りやすい状態だったので、意見交換等はそれなりに行われていたようなんですけれどもね。

リアリーが研究していたLSDのレポートや、グッドトリップに到達する為のセッションは、新に生まようとしているカルチャーに大きな影響を与えましたし、リアリーも、ケン・キージーの影響を受けて、自分探しの為に世界に飛び出しました。
程度の差はあれ、それぞれの集団が他の集団の考え方に触れたり、一部取り入れたり、その為に交流する事で、この文化は拡大していって影響力を増していき、当時の若者たちの間に浸透して行くことになります。

この新たな文化は、精神を開示するという意味を持つサイケデリックと名付けられ、このサイケデリックを冠した文化が、生み出されていくようになります。例えば、音楽であったりアートであったりですね。
その後、管理社会に馴染めずに押しつぶされそうになる状態から逃げ出した若者達が、ヘイト・アシュベリー地区に集まるようになり、この地域はヒッピー達の聖地へと変わっていき、サイケデリック文化の中心地になっていきます。
多くの若者達が、この地区で、似たような考え方をする仲間とシェアハウスを行い、共同生活を行う。 そして、その新たな価値観を発信する為に、サンフランシスコ・オラクルというタブロイド誌を発行する人達も誕生します。

ここまでの流れをまとめると、先ず前提として高度管理社会というものが存在し、人々は枠の中に捕らわれて行動を制限されているという状態だったわけですが…
それにビート・ジェネレーションが反発し、前提を覆すための意識改革をポエムによって行おうとしました。
詩やその朗読を行うことによって、文化面から意識改革を促そうと頑張るのですが、それだけでは一定の成果しか出ません。 まぁ、詩を読むとか朗読会に参加するということ自体が、意識高い人しかしないでしょうしね。
そこに登場したのが、幻覚剤です。 幻覚剤は、ポエムを読み解く学力がなかったとしても、簡単に、主観としての実感を伴った体験を通して、世の中の前提が壊れた世界を体験することが出来ます。

ハーバードで研究を行っていたティモシー・リアリーは、幻覚剤によって得られる経験を制御する為の方法を研究し、その過程で幻覚剤使用前の被験者の精神状態に注目し、精神を安定させる為の方法を考えていくうちに、古代シャーマニズムに行き着きます。
そして、『チベット死者の書』の英訳版を出し、それを利用した儀式を行うことで、高い確率でグッドトリップを誘発して神秘体験が出来る方法を編み出していきます。
神秘体験をした人間は、世の中の前提に縛られない考え方ができるようになるようで、これは、高度管理社会という社会が決めた枠組みからドロップアウト出来る事を意味します。
社会から抑圧されていた若者たちは、この救いに群がるように集まってきて、勢いを増していったという事ですね。

(つづく)
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【漫画紹介】 ウメハラ FIGHTING GAMERS!

今回紹介する漫画は、『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』です。

作品の簡単なあらすじ

この物語は、去年(2017年)ぐらいから急に言われだしたeスポーツの、原点を探る物語といっても良いかもしれません。

物語の主人公は、日本で最初のプロゲーマとなり、その活動に伴ってギネス記録を3つも持つ、ウメハラという格闘ゲームの選手。
その中学生時代を描いたのが、本作となります。

物語の出だしは、『ヌキさん』という相性で親しまれている、大貫晋也さんが、格闘ゲームのヴァンパイアシリーズで地元で敵なし状態で、天狗になっていたろころに、ウメハラという少年と出会うところから始まります。
今まで、特に苦労することもなく誰にも負けない状態を保っていた大貫さんは、ゲーム一筋というわけではなく、カラオケに行ったりと他の遊びもする、いわゆるウェーイ系。
そんな状態だったので、一人で黙々とゲームをしているウメハラさんを、若干、見下す感じの印象を抱いていたのですが、実際にプレイしてみると、実力差が段違い。

そこから先は、ウメハラさんに追いつく為に、友達の誘いを断ったりし、皆でお金を出し合って基盤を買ってまで猛特訓し、何とかウメハラに追いつく為に頑張る!ッといった感じで、生活を一気に変える。
今まで一緒に遊んでいた人達からは、『最近、付き合い悪くなったな。』とか、『ゲームばっかりやってるな』なんて言われだし、疎遠になるも、ウメハラを打ち負かしたい一心で、初めて努力をするといった感じで始まります。

まぁ、この部分はホンの序章で、大会の決勝戦ウメハラ vs ヌキ が実現した後に、本編の『ストリートファイター編』に入っていきます。
ストリートファイター編でのウメハラのライバルは、奈良県の『ナラケン』こと『クラハシ』さん。
社会人になってもストリートファイターが辞められず、ガイルを極めた男。

前半部分が、ウメハラに追いつく為に大貫さんが頑張るという展開だったのに対し、クラハシという絶対的な存在に、ウメハラがどうやって追いつくのかというのがメインの物語です。

感想

この作品は、最近、話題になってきたeスポーツを知る上では、読んでおいたほうが良い作品だとは思いますが…
あらすじ紹介でも書いた『ストリートファイター』という作品に思い入れが無いと、本当の意味では楽しめない… というか、意味のわからない作品だと思います。
というのも、メインの話である『ストⅡ』の説明以前に、格闘ゲームの説明すらなく、このジャンルのゲームを知っている前提で書かれているからです。
ただ、逆にいえば、ストリートファイターに思い入れがある人間が読めば、相当、楽しめる作品だと思います。

私自身の過去の話をすると、ストリートファイターⅡという作品がゲームセンターに出現したのは、中学生の頃だったと記憶してます。
中学生になると、月々、少額ではありましたがお小遣いが貰えるようになるわけで、私は、そのお金を使って、ゲームセンターに入り浸る生活を続けていました。
まぁ、入り浸ると入っても、当時のストⅡ人気は凄いもので、ゲームをプレイするのに順番待ちするのなんて当たり前、ゲームセンターにいる時間の殆どは、筐体の後ろに並んで、他人のゲームを見ているという状態だったので、滞在時間に比べてお金は減らなかった訳ですけれども。

北の方に、100円入れるとメダルが3枚出てきて、そのメダルでプレイできる格安ゲーセンがあると聞けば、少し遠くても自転車で向かい、東に50円で2プレイのゲーセンがあると聞けば、また、自転車で向かう…
少ない小遣いで、出来る限り長時間遊ぶための手間は惜しまない。 そんな生活を続けていました。
そんな少年時代を送っていたわけですから、ここで描かれている様なゲームセンターの雰囲気もよく理解でき、私自身は、かなり楽しむことが出来ました。

ですが、先程もいった通り、ゲームセンターという文化に慣れ親しんでいない人にとっては、かなりファンタジーな世界観かもしれません。
ゲームセンターでしか合わず、軽い挨拶はする間柄だけど、名前も知らない間柄とか…
対戦ゲームなのに、リアルな人間同士が殺気を出し合って、険悪な雰囲気になったりとか…
ただ、実際に行っていた人間からみると、かなりリアルな描写がされていて、私などは、この作品を読むだけでタイムスリップ出来る様な感じにさせてくれる作品でしたね。

そして、次にオモシロイと思ったのが、題材にされているのがストリートファイターを始めとしたカプコン作品で構成されているというところですね。
作品内でも描かれていますが、ストⅡ発表時こそ、カプコンの格闘アクションは圧倒的な人気を誇っていましたが、その後、SNKが餓狼伝説を出した辺りから、徐々に人気がSNKに移りだし、ストリートファイターシリーズは、徐々に人気が薄れていったんですよね。
私のようなミーハーは、当然のように、SNKのKOFやリアルバウト餓狼伝説サムライスピリッツなどに流れていました。

また当時は、格闘ゲームブームだった為、数ヶ月おきには新ゲームが発表されるという状態。
私などは、次々に発表される新ゲームに目がくらみ、新しいのが出ればプレイし、一つのゲームをやり込むということはしていなかったのですが…

このゲームでは、ミーハー層が新ゲームに流れる中、ストリートファイターに拘って腕を磨き続ける人達が描写されていて、結構、刺激を受けましたね。
因みに、当時、流行していたSNKのゲームなどを知りたい方は、こちらの作品を読むと良いですよ。

少しネタバレ感想

この作品ですが、最初は、ウメハラ vs ヌキ という感じで始まるのですが、それは本当の序盤だけで、それ以降は、クラハシさんとの勝負が中心になってくるのですが…
このクラハシさんのキャラクターが凄い! もう完全に、ウメハラさんをくってる感じで、クラハシさんが主人公なんじゃないかと思わせる程に、強烈なキャラクターに仕上がっています。

そのクラハシさんですが、ゲームに掛ける情熱が凄い。
ゲームセンターで練習する為の金を稼ぐために、肉体労働で必死になって仕事をし、食事は、150円の菓子パンと100円のアンパンの二択で散々迷った挙げ句、アンパンを選択。
その理由は、差額の50円でストⅡがⅠプレイできるからというだけの理由。 しかも、アンパン1個の購入で、店にある無料で持ち帰っても良いとされているパンの耳をすべて持ち帰り!

そこまでして食費を削るのは、お金を全てストⅡに捧げる為。
家には家具もほぼなく、ベットなどの必要最低限の物が置いてあるだけで、生活に必要ないものは、アケコンと呼ばれるコントローラーだけ。


しかも、アケコンは有るけれども、テレビもゲーム機も無い。 では、アケコンで何をやってるのかというと、目をつぶってイメージトレーニングをしているという…
ここまでストイックな姿を見せられると、ただただ関心させられてしまいますね。

また、自分のゲームに対する姿勢というのを、相手にも求めるというのが、また凄い。
対戦ゲームなのに、弱い人間が入ってくると怒ったりと、場の空気を読まずにただただ、ゲームに専念する。
一歩間違うと、ただの変人で、身近にそんな人がいれば、関わり合いたくないと思ってしまう人物ですが、何故か、主人公のウメハラよりもクラハシさんを応援したくなってしまいたくなる程、強烈なキャラクターとして描かれています。

そして、この作品の凄いところは、ここまでストイックなクラハシさんを描いていながら、ゲーセンに通っていない人達、例えば、学校の先生や親などに、『ゲームなんてやってて、何の意味があるの?』という、ゲームを見下してないと言えないような如何にもな質問を言わせているところです。
野球やテニスなどの運動部に入って、真剣に練習に打ち込んでいれば、周りからは褒められる。 勉強を真面目にすれば、更に褒められる。
しかし、ゲームを真剣にやれば、『そんなのを真剣にやって、何の意味があるの?』皆から嫌味を言われる…

じゃぁ、野球を真剣にやることに何の意味があるんだろうか? 野球をやってる人間の99.99%はプロ野球選手になるわけでもなく辞めていくわけですが、何の為にやってるんでしょうか?
勉強をやって成績を上げれば、確かに、有名な企業に入れるかもしれませんが、その有名な企業は、人々の生活に本当に役に立つ仕事をしているのでしょうか?
単純に、名前が売れていて、社会システムに組み込まれているが故に金回りもよく、給料も出るが、その会社が無くなったとしても誰も困らない会社って結構あると思いますが、そういう会社にステータスの為に入って、誰からも感謝されずに生きていく事に、意味はあるのでしょうか?

ゲームに打ち込んでいる少年は、少なくとも、その瞬間は自分の好きな事をしていますし、生きている意義もその中に見出してしますが、それを捨てて手に入れるものに、本当に勝ちがあるのでしょうか。
そういった事を、作品を通して問いかけてくるような構造になっていて、単純なゲーム漫画以上に、楽しんで読むことが出来ました。

人生は、常に選択を迫られるものですが、私達は、本当に進みたい道を進んでいるのか。 そんな事を考えさせられる作品。
興味があれば、目を通してみては如何でしょうか。

【映画紹介・感想】 ゲットアウト

今回紹介する作品は、『ゲットアウト』です。



観ようと思ったキッカケ

この作品は、劇場公開が2017年の1月という事で、この記事を書いている1年半前に公開された作品なのですが、公開直後から、結構な話題となっていたので、ずっと気になっていた作品だったんですよね。
何故、気になったのかというと、ホラー作品なんだけれども、普通のホラー作品ではないといった話が漏れ聞こえてきたからです。

私は、それほど映画などを観ているわけではないのですが、ホラーと聞くと、殺人鬼が出てきたり、化物や幽霊的なものが大きな音と共に急に画面に映し出されたりといった感じの、オーソドックスなホラーか、パニックホラー。後は、最近人気のゾンビものぐらいしか観たことがなかったので、『今までにない感じ』と言われると、なんとなく興味がそそられたんですよね。
ただ、気にはなっていたんですが、劇場に足を運んでみようという気は起こらず、なんとなく時間が過ぎていき、1年半以上が経ったわけですが…
ココ最近になって、Amazonでプライム会員なら無料で見れる状態になったので『無料で、尚且、家で見れるなら!』と思い、観てみた次第であります。

ホラー? この作品のテーマ

この作品には、知ってしまうと台無しになるような致命的なネタバレが有るので、取り敢えずは、その部分だけを隠した状態での感想を書こうと思います。
ネタバレ無しとはいっても、全く無いように触れずに感想を書けるほど、私は文章を作るのは上手くない為、私が見る前から知っていた程度の、多少のネタバレは含みます。

という事で、早速、軽いネタバレから始めるわけですが、この作品は、ホラー作品といっても、ゾンビやパニック、怪物や幽霊が登場する様な、ごく普通のホラー作品ではありません。
人種差別問題を多く含んだ… というよりも、それをメインテーマに掲げているような作品です。

人種差別。 特にアメリカで酷く、今でも根強く残っている差別として、黒人差別問題があります。
この作品では、その差別問題を色んな面から捉えて可視化している感じの作品です。
その為、私の様な日本人が観ても、ほんとうの意味で理解はできないのかもしれません。一方で、これは予測に過ぎませんが、アメリカに住む黒人の方が観た場合は、かなり感情移入できる作品なのかもしれません。

簡単なあらすじ

この物語の始まりは、夜中に閑静な住宅街の道を、1人の黒人の方が歩いているところから始まります。
歩いている黒人男性自身が、『場違いなところを歩いている?』『泥棒と間違えられないかな…』なんて思いながら歩いている点を取っても、今だに根強い差別が有る事を感じさせられます。
だって、この男性は、何もやましいことはしていないんですよ? にも関わらず、自分が周りからはどのように観られているのかとか等、見ず知らずの誰かを想定して、気を使い続けなければ、道も歩けない状態に押しやられているわけですから。

そんな状態に追い込まれているので、足早に住宅街を抜けようとしていた男性ですが、後ろから、大きな音楽をかけた車が煽ってきます。
暴力事件に巻き込まれそうだと感じた男性は、面倒事に巻き込まれないようにと、やり過ごそうと、車の進行方向と逆の方向に方向転換し…
って感じの始まり方なんですが… 何度もいうようですが、このシーンだけを観ても、黒人の立場がどれほど弱いかが分かりますよね。

仮に、その場に警官がいたとしたら、その黒人男性は職務質問されていたでしょうし、車で煽ってきた人間と喧嘩になれば、黒人男性だけが逮捕されたりするのでしょう。
日本に住む私達にとっては、何かあれば警官にいえば良いと考えるでしょうし、その場にいてくれたら心強いとすら思う状態なのかもしれないですが、黒人男性にとっては、誰も信用できないので、自分の身は自分で守る意識が強い。
というか、そういう自覚がないと、生きていけない程に大変な環境なのかもしれません。

この様なシーンは、この映画のいたるところに出てきます。
冒頭のシーンが終わると、1組の黒人男性と白人女性のカップルの話に移り、白人女性の両親に彼を紹介しに実家に戻るという話になるのですが、その際のやり取りも、人種問題を連想させるようなやり取りだったりします。
『両親には、彼氏は黒人だと伝えている?』とか、『伝えていない状態で、いきなり家に行って驚かれない?』といった感じの質問が続き、人種差別の被害者である黒人男性の方が気を使っている演出がされます。

その一方で、白人女性の彼女の方はというと、人種差別なんて事は一切、連想させないような振る舞いをしています。
黒人だからとか、白人だからといった固定観念は一切ない感じで、同じ人間で何の違いもないのに、何故、そんな事を気にするの?といった感じで彼氏に接します。
その為、『両親に、彼氏は黒人とかいう必要有るの?』といったド正論で返答してきたり、その他には、彼女の家に、彼女の運転で向かう最中に鹿との接触事故を起こすのですが、その際に警官から、隣りに座っていただけの彼氏の身元確認を求められるのですが、『何の必要があるの? 彼は、ただ隣で座ってただけで、何の関係もありませんが?』と毅然と抗議をしてくれます。

彼女の徹底した態度に、観ている側も、『差別しないって、そういう事だよね。』と思わず思ってしまう程に、【人種】という区別を感じさせない自然な接し方で、彼氏の自虐的な態度の方が目立ってしまう程。
このあたりの演出は、かなり上手いなと思わされました。

そして彼女の家に到着。物語は、ここから本編に入る感じです。
黒人に対する差別が全く無い彼女の両親という事で、彼女の家族の方も、人種差別はしないのですが…

その一方で、黒人の持つ肉体的特徴を、褒めまくるんです。
貶しているのではなく、褒めているんだから差別じゃないだろ!?と言わんばかりの褒め方で、それを言われている黒人男性は、褒められているにも関わらず、逆に萎縮してしまう程。

そうこうしているうちに、近々、彼女の実家で、親戚獣が集まるパーティーが有る事を聞かされます。
両親は、『来る人間は、みんな良い人だから、一緒に楽しもう!』と言ってくるのですが、彼女は帰りたそう…
しかし主人公は彼女の両親に気を使って、パーティーに参加をする事を決めるのですが、そのパーティーが、彼女の両親に輪をかけた様な感じで、黒人男性を褒めちぎってくるんです。

パーティー参加者は白人ばかり。その中で、好奇の目にさらされて褒められている主人公は、『動物園で見世物にされている感じで不愉快だ』と感情をあらわにする程、苛立っている様子。
このあたりは、非常に考えさせられますよね。

『善意』で偽装した『悪意』

このような事って、人種差別に関わらず、他のことでもありがちですよね。
例えば、自身は大金持ちなのに『私は自分の事を金持ちだとも、優秀だとも思ってない! 休日は安い居酒屋などに通って、庶民の話を聞いたりする事が楽しみなんだ!』とか言っちゃう人っているじゃないですか。
でもね、本当に自分を特別だと思っておらず、安い居酒屋に通う人間を見下してない人間は、わざわざ、他人にそんな事を自分から言ったりしませんよね。

聞かれてもいないのに、わざわざ自分から、そんな事を発信している人間は、実際には自分は優秀だから金持ちになれた特別な人間だと思っていて、安い居酒屋にいる人間を見下し、その中で楽しんでいる自分に酔っていて、優越感に浸ってますよね。
でも、態度としては、高圧的な態度も取らないし、『こういう居酒屋で呑むのが楽しいし、こういう場に集まる人と話すのが有意義だ。』と言われれば、言われた側は悪口を言われているわけではないので、怒ることもない。
ただ、どことなく、嫌な感情は抱いてしまう。

誤解しないで欲しいのは、ストレートにヘイトスピーチをして人種差別をするほうが良いと言っているわけではありません。
人が嫌がる事をあえて言うのは駄目に決まっているわけですが、では、それを偽装した形で表現するのは良いのでしょうか。
『褒める』という偽装した形の主張は、読解力の低い人が聞けくと、まるで良い行いをしているようにも取れてしまう。

世の中には、相手の意図を読み取る能力が高い人ばかりではないので、この様に偽装した形で主張する人は、なんなら人々から尊敬されたりしてしまう。
何らかの形で差別をしているのに、その被害者は反論することも出来ず、何ならその主張によって、差別をしている人間が地位を高めてしまう。
差別されている側は、嫌な思いをした上に、相手のセルフブランディングにも手を貸すことを共用されてしまう… とも考えられますよね。

『一人呑み』は『課金ガチャ』

私は、20代半ばぐらいから、週末になると一人で呑みに行くという行動をとっていました。
別に、お酒が特別好きだからとか、酔っ払う感覚が好きといったわけではなく、基本的に家ではお酒を飲まない生活を送っている為、お酒を呑むのは呑みに出かけたときだけ。
その為、20代の頃は毎週土曜日に欠かさず呑みに行くという生活を送っていたにも関わらず、呑んでいるのは月に4日程度。

現在に至っては、月に1~2回しか呑みに出かけることがないので、呑む回数自体が減っているわけですが…
間隔は空いても、『一人で呑みに行く』という習慣は続けていました。

しかし、最近になって、この私の『一人で呑みに行く』という行為そのものが、スマホゲーの課金ガチャと変わりがないんじゃないかと思い始めました。
何故、そう思ったのかについて、今回は書いていこうと思います。

そもそも何故 呑みに行っていたのか

今現在では、『一人で呑みに行く行為』そのものを、課金ガチャと同じとまで思ってしまっている状態なわけですが、そもそも何故、そんな行動をとっていたのかという事について考えてみます。
結果からいえば、寂しさが紛れるとか、リア充っぽく振る舞えるといった事が目的で、通っていました。

では何故、寂しさが紛れたり、リア充っぽく振る舞えたりするのでしょうか。
私が毎週のように呑みに行っていた店は、キャバクラとかクラブといった、女性がもてなしてくれる様な店ではありません。
チャージ無し~1000円までのショットバーがメインで、バーテンダーも、女性の店よりも男性が切り盛りしている店の方に頻繁に通っていました。

この様な経験をあまりしていない方にとっては、男性が切り盛りしているショットバーやパブに男性客が1人で行って、ストレス発散が出来るのかと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、そういう店って、意外と私のような男性の一人客が多かったりします。何なら、女性客が入ってきたら、その場にいた客がみんな、浮足立つなんて事もあるぐらいだったりするんです。
では、こういう店に来る男性客は、何を目的にして、店に通っているのかというと…

店員と話したり、同じ様に一人で来た男性客と話したりして、時間を潰す為に行ってるんです。

男性が一人で切り盛りしている様なこじんまりとした雰囲気の店は、新規客がほとんど来ることはありません。
その為、定期的に店に通っていれば、その店での馴染みの顔になりやすく、それ程時間をかけずに、店員や常連客から声をかけられる、なんて事が結構あります。
そうすると、店や客が主催する遊び(バーベキューやスポーツイベントなど)にも誘われる事もあり、寂しさも紛れ、リア充っぽく振る舞う事が出来るようになるわけです。

普通にサラリーマン生活をして、人と知り合う機会が多い方にとっては、何故、この様な回りくどい事をしなければならないのか理解に苦しむという方もいらっしゃるでしょう。
しかし、私のような家族経営の製造業などをやっていると、家族以外とそうそう知り合う事もなく、人間関係が広がらない。
そういった人間が避難するように行うのが、一人呑みだったりするんです。

一人呑みは博打

ここまでの話を聞いて、一人呑みに興味を持って、自分もやってみたい!と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、この一人呑み。結構、博打要素がデカかったりします。
というのも、友だちを連れて誰かと呑みに行く場合は、店に期待するのは、金額に見合った商品やサービスと、席が空いていることぐらいです。
しかし、単独で行くとなると、それに加えて、『その日に呑みに来ているメンツ』も、重要な要素になってきます。

同じ店に顔を出しているからといって、その客の全員と気が合うわけでも、仲良く慣れるわけでもありません。
中には当然、鬱陶しい客も結構います。 例えば、自分が話題の中心にならずにいられない人だったり、他の人同士が会話している中に強引に入ってきて、自分の話題に持っていったりする人達など。

こちらは、お金をもらって接待しているホストでは無いんですから、そういった客に気を使う義理もありません。
義理はないのですが、こういう人達は周りの人間に関心がなく、自分の欲求を満たせればそれでいいと思っているのか、その店の中心人物のように振る舞ったりします。

こういった人や、その人の太鼓持ちの様な人が数人いるだけで、その輪に入っていない他の人間にとっては最悪の時間に成り果てます。
目が合うと話しかけられ、よくわからない理論でマウントを取られてしまう為、目を合わせては駄目。かといって、お酒を一気飲みして直ぐに帰るのも変だし、何よりも、その客に負けたような気になってしまう。。
結果として、その場に居合わせた人間の取れる行動は、スマホニュースを見るという一択になってしまい、騒ぎ立ててる数人を覗いて、全員がスマホを凝視するなんて事もしばしば…

結果、スマホを観て2000円払って帰ってくるという現象が起こってしまいます。

店側は、そういった人間を出入り禁止にしないのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、別に、その人達が全員から嫌われているわけではありません。
人の観点はそれぞれなので、そういう賑やかな人が好きな人もいるでしょうし、私のようにスマホをガン見して関わらないようにしている人間を観て、気分を悪くする人もいるでしょう。
これは、人の性格と組み合わせの問題なので、誰が悪いというよりも、組み合わせの良し悪し、つまり運としか言えないようなものなんです。

一人呑みは課金ガチャ

ここまでの話を読んでもらえれば分かりますが、一人呑みは、その場に居合わせている人間によって、当たり外れが非常に大きな遊びとなっています
自分と気が合い、話が弾む客が来ていれば、その場は至福のひと時となりますが、そうでなければ、一人で1時間ほどスマホを凝視して2000円払って帰るという…
ストレス発散をしに行ってストレスを貯めて、お金払って帰ってくるという苦行に成り果てます。

これは、2000円で10連ガチャを回して、SRやレジェンドが出れば報われるが、ゴミみたいなHRしか出なかったらドブに捨てたのと一緒という課金ガチャと同じです。
しかも、その活動を辞めたら今までの投資が無駄になるという所まで同じです。
スマホゲーは、どれだけ課金しても、ゲームに飽きたりサービス終了したら終わりなのと同じで、一人呑みも、店が潰れたり、その店から足が遠のいた時点で終了です。

『一人呑みは、今までに築き上げてきた、人間関係は残るんじゃ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大抵は残りません。
毎週の様に通って、店のスタッフとタメ口同士で話すような中になったとしても、会うのは店にいる時だけ。 店に行く間隔が空いたとしても、大抵は心配して連絡してくるなんて事もありません。
客も同じで、アルコールが入っている上に、いつでも好きなときに来て好きな時に帰れるという独特の空間だから、一緒に飲んで騒いでいただけなので、個別で連絡をとって呑みに行くなんて事も、無い事は無いですが少ないです。
スマホゲーで、たまたまチャットが盛り上がり、『ID教えあって、次のゲームに移っても一緒にやろう!』って事が起こるぐらいの低確率です。

店の店主にとっては、呑みに行く人の出費がイコール売上に直結するので、足が遠のいた人に気を使うより、現状で金を使ってくれている人を優先するのは、仕事として当然。
人間的に余程気が合うなんて事が無い限り、店にいかなくなる=縁が切れると考えても良いのでしょう。

課金は計画的に

ここまで、一人呑みと課金ガチャには共通点が有るということを書いてきました。
読む人にとっては、一人呑みにネガティブなイメージを持たれた方もいらっしゃるかもしれませんが、誤解しないで欲しいのは、『一人呑みは無駄なのでやめましょう。』と主張しているわけではないということです。

スマホゲーも、イラストを書く人やプログラムする人、ゲームバランスを考える人やシナリオを考える人、サーバーメンテナンスをする人など、様々な人の手によって、運営されています。
その為、ユーザーが全員、無課金だと、システム的に成り立ちません。 その為、ゲームを楽しんだと思っている人の中には、御布施と称して月に数千円づつ課金すると決めている人もいらっしゃいます。
これは個人的な意見になりますが、スマホゲーは、これぐらいの課金の方が健全ですし、長く続けられるような気がするんですよね。

一人呑みも同じで、居心地が良く、楽しめる確率が高い店を見つけたら、その場所を維持する為にも、月に数千円は課金するぐらいの気持ちで行く方が、健全な気がします。
これが、『せっかく店に来たんだから、楽しんで元を取らないと!』とか『頑張って粘れば、面白い状態に遭遇できるかもしれない…』と思って頑張るのは、あまり得策では無いということです。
課金ガチャでも『今回のイベントで上位50位に入りたいから、絶対に特攻付いたSR以上を引き当てる!』なんて回し方をしていたら、続かないし、ゲームに冷めた時に後悔すると思うんですよね。

『一人呑みは課金ガチャ』『楽しめる場所を守るために、御布施の意味を込めて課金する。』これぐらいのスタンスが、後悔もしない丁度よいスタンスのような気がします。

【アニメ・映画紹介】 イヴの時間

今回紹介する作品は、『イヴの時間』です。



作品を観ようと思ったキッカケ

私は、この作品自体は知らなかったのですが、この作品とは別に、少し前に個別でディープラーニングについて調べていた事がありました。
pythonというプログラム言語を勉強する過程で興味を持ったのですが、関連書籍を購入していると、Kindleのおすすめの欄に『人工知能は人間を超えるか』という本が、頻繁に出てくるようになったんです。

この本の表紙を頻繁に目にするようになり、表紙の絵が、なんとなく印象に残っていたところに、Twitterのタイムラインに、この様な つぶやき が流れてきました。

なんとなく印象に残っていた絵とほぼ同じ雰囲気のTOP絵に興味を持ち、先ほど紹介した本と関連があるのかなと思い、ツイート投稿者に聞いてみたところ、内容的に関連がありそうだったので、早速、観てみました。
プライム会員は無料で見れますしね。

簡単なあらすじ

物語の簡単なあらすじとしては、今よりも少し技術が進んだ未来の日本が舞台。
今よりも科学技術が進み、人間の身の回りの世話をするアンドロイドが実用化された社会の、日常を描いた作品です。

アンドロイドは、見た目がほぼ人間と同じで、頭の上にリングと呼ばれる目印がなければ、人間とは見分けがつかないほどに精巧に作られている為、アンドロイドを人間扱いする人達も増えている。
この様な人達を『ドリ系』と呼び、倫理委員会という一部の人達が問題視し、それに対して警告するというテレビCMを放送していたり…

そんな感じの世界観で、主人公の少年が所有するアンドロイドが、命令以外の場所に立ち寄っていることが分かるところから、物語は始まります。
主人公はGPSで正確な場所を割り出すと、そこには裏路地でドアだけが有る変な場所。 勇気を振り絞って中に入ってみると、そこはオシャレな喫茶店
でも、ただの喫茶店ではなく、入り口には立て看板が立ててあり、そこには店のルールとして、『人間とロボットを区別しない』と書かれている。

この作品は、この喫茶店を中心とした、人間とアンドロイドの関係を描いていく物語です。

観てみた感想

ホラーカテゴリーという枠組みで紹介されていたので、結構、シリアスな展開を予想していたのですが…
実際に見た感想としては、『簡単なあらすじ』でも書いた通り、日常系のほのぼのとした感じの雰囲気の作品でした。

まぁ、ところどころ、ホラーっぽい演出も有るにはあるのですが、その演出も、ほんの数秒間行われた後には、コミカルシーンが挟まって…といった感じで進んでいくので、ホラーが苦手という人でも大丈夫に出来ています。
というか、Amazonがホラーカテゴリーに入れてるだけで、もともとはホラー作品として作られていないと思われるので、その点は安心して観ることが出来ると思います。

アンドロイド系といえば、結構、ディストピア系が多く、殺伐としているものが目につくと思います。
例えば、ブレードランナーであったり、攻殻機動隊であったり、最近発売された、『Detroit Become human』であったり、フォールアウトであったり。
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この手の作品は、『アンドロイドに感情が芽生えたとしたら?』といった感じの切り口で、アンドロイドを引き合いに出して、『人間とは何なんだろう…』と考えさせることがメインである場合が多い。
また、アンドロイドと人間との対立、そこから発展しての争いや戦争も描かれる場合が多く、殺伐とした雰囲気のものが多いイメージなのですが…

この作品は、終始、日常系を貫いている感じで、結構、不思議な印象を持った作品です。
また、先程あげた多くの作品のように、『人間とは何なんだろう?』という疑問は湧き出てこず、逆に『アンドロイドとは何なんだろう?』という思わせてくれた点も印象的でした。

その他に印象的だったのが、他のアンドロイド作品に比べて、アンドロイド=機械というイメージ付が強烈な印象でした。
主人公は、アンドロイドにコーヒーを入れてもらったことに対して、『ありがとう』といった感じでお礼をいうというシーンがあるのですが、そのやり取りを隣で聞いている姉は『なにそれ? 相手は機械だよ? キモい!』って感じで、もの凄い嫌悪感をいだきます。
また、主人公が下校時に雨が降ってきた際に、アンドロイドが傘を持ってきてくれるのですが、その際に、1本の傘を、人間とアンドロイドとで指しているという事だけで、主人公が弓を刺されて笑われたり…

ここまで徹底して、機械と人間とを区別し、機会に対して人間のように接している人間=異常者とイメージ付ける作品も、結構珍しいなと思ってしまいました。
例えば、雨の中を相合い傘で帰るというのは、アンドロイドを濡らさないという点で、そこまで変なシーンでも無いはずです。
仮に、完全防水であったとしても、アンドロイドは服を来ているわけですから、傘をささないとびしょ濡れになる。 その状態で家に入られるよりは、傘を指してもらったほうが効率的だと思うのですが…
その行為すらも異常としている点で、徹底しているなという印象でした。

ネタバレ感想

先程は、出来るだけ、ネタバレをしない形で感想を書きましたが、ここからは、ネタバレも含んだ形での感想を書いていきます。
ネタバレを嫌う方は、此処から先は読まずに、作品を見てから読んでみてくださいね。



この物語ですが、ネタバレ無しの感想では、ホラー要素はないと書きましたが、確かに演出上のホラーは少ないですが、よくよく考えると怖い要素も含まれた作品だったりします。
というのも、この作品に登場するアンドロイドは、人間の前では、『自分は機械ですよ。』とアピールする為なのか、必要なこと以外は一切話しませんし、話し方も、いかにも機械的な話し方をします。

しかし、それは人間の前でだけです。
メインの舞台となる『イヴの時間』という喫茶店に入ると、アンドロイド特有のリングも消え、途端に仕草が人間らしくなり、興味のあることを積極的に聞いてきたり、悩みを相談するといった事を行います。
表情も感情豊かになり…というか、実際に感情を持っているかのように振る舞うようになります。

このあたりが、非常に怖いといえば怖いですよね。
というのも、人間がアンドロイドと徹底的に線引をし、道具のように扱っているのは、『アンドロイドは機械で、人間の命令がなければ何も出来ない不完全なもの』と見下しているからです。
人間であり、アンドロイドの上に立つ自分という存在に優越感を抱いているから、徹底した道具扱いも出来るし、差別も出来る。

しかしアンドロイドたちは、『イヴの時間』の様な特定の空間では、自分で判断もするし、感情も持っているように振る舞える。
どのように振る舞えば、主人の機嫌を良く出来るのかといった事を真剣に悩み、相談するという知性や共感性も持ち合わせている。
アンドロイドと相合い傘をしているだけで、指を指して笑ってしまう人類よりも、明らかに上位の存在なわけですが、そんなアンドロイドが、アホな人類の前では、知性のないロボットのように振る舞ってくれているんですよ。

そんな事は一切、分からずに人類は、低レベルの自分達の位置までレベルを下げてくれているアンドロイドに対して、高圧的な態度を取り続ける。。
なんか、色んな意味でホラーですよね。
人類に生まれた自分たちは、それだけで、賢くて優秀だと思い込んで、自由に振る舞うわけですが、その自由なふるまいも、人類よりも遥かに優秀で共感性が高く、懐も深いアンドロイドが合わせてくれているから成り立つだけ。

アンドロイドに愛想を尽かされた時点で、おそらく人間は、彼らに対して怒りを持って壊すことぐらいしか出来ないのでしょう。
そして、この作品から離れて現実に目を向けてみると、同じ様な光景が広がっていることに気が付きます。

たまたま時代が良くて、大企業に苦もなく入れて、終身雇用、年功序列で偉くなった気になった、勘違いした人達が威張り散らしている一方で、知識と技術を持った若者が、建前上、理解を示すふりをして合わせてくれているのが現状。
そしてそんな大人達が築き上げてきた、『大人たちが暮らしやすい社会』から、若者たちが一定の距離を置き始めているのが現代だったりします。

アンドロイドに完全に依存した人類に、アンドロイドが愛想を尽かしてしまった場合、この作品で描かれる社会はどうなってしまうのでしょうか。
漠然と、『自分たちが偉い』と思い込み、そこに何の疑問も持たないことが、いかに愚かなことなのか、その事に気がつくと、結構、怖い思いを箚せられてしまうのが、この作品だったりします。

そこそこ楽しめた作品ですが… ただ、一つ思うところがあるとすれば、物語の根底を流れるストーリーが完結してないっぽく、色んな謎が残ったままだったりするんですよね。
続編を作る気満々って感じで終わってるのに、その後、続編が発表されてないって感じの終わり方が、なんとなく消化不良を起こしそうではありましたが… まぁ、無料で観れた作品にそこまでいうのは酷ですよね。
プライム会員であれば、まだ無料で見れると思いますので、興味のある方は、是非、観てみては如何でしょうか。

【本の紹介】 「量子論」を楽しむ本

今回紹介する本は『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! 』です。


購入したキッカケ

この本を購入したキッカケとしましては、私は趣味で、哲学や思想を取り扱うPodcastをやってまして、その原稿を書いている中で、量子論の内容を簡単に知りたいと思ったからです。
ちなみに、私がやっているPodcastはこちら
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youtubeチャンネルも有るので、興味の有る方はチャンネル登録して観てみてくださいね。
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読んだ感想

量子論と聞くと、『理解するのが、もの凄く難しい』とか『理系の人じゃないとついていけなさそう…』という印象を持つと思いますが…
この本は、理系や文系の区別がない様な高校出身で高卒の私でも最後まで読み切れる様に書かれている、分かりやすい本でした。

では、私はこの本を読んで、量子論を理解できたのかというと…
結論からいうと、全く理解は出来ていません。
『最初に言ったことと矛盾しない?』と思われる方も多いでしょうが、この本は、量子論というものを使って、世の中は思っているよりも複雑ですよというのを表現しているような本なので、この本を読んで『世の中って分からないことだらけで、不思議』と思えれば、それだけで、この本は役割を果たしているのだと思います。

それに、量子論という分野は、専門の学者でもよく分かってない分野なので、素人が簡単に『わかった!』なんて言えるものでも無かったりします。
その事について、分かりやすく丁寧に説明しているといった感じでしょうか。

とはいっても、現状で分かっている事や、有力な仮説などはわかり易い言葉を使って説明してあるので、読んで知識が増えないというわけではありません。
また、有力な仮説は、議論が分かれている部分について説明する際には、数式などは使わずに、出来るだけ言葉を使って、誰にでも分かりやすく説明されているので、数式アレルギーの人にも読みやすく書かれています。

量子論とは何なのか

量子論とは何なのかという事を、簡単に説明すると、ミクロの世界で起こっている事を解明していこうという分野の事です。
この世にある全てのもの、あらゆる大きさのものも、元を辿ればミクロの世界に辿り着きます。
どんな大きさの物質であったとしても、最小単位のモノの集合に過ぎないので、ミクロの世界を解き明かせれば、真理がえられるかも?といった感じの学問という捉え方で良いと思います。

ちなみに、この量子論を、数学的に解き明かそうとし、難しい計算式などで表そうとしているのが、『量子力学』と呼ばれるモノのようです。

光は粒子なのか波なのか

この量子論ですが、発表された時期がアインシュタイン相対性理論と同じ様な時期で、なおかつ、相対性理論と相容れないところがある為、アインシュタインからかなりの批判を受けていることでも有名な理論のようです。
そして、発表された時期が被るだけでなく、この理論が生まれた経緯も、どことなく相対性理論と似ていたりします。

相対性理論は、光の観察から始まったようですが、この量子論も、光の観察から始まっているようです。
光といえば、私達は毎日にように目にしてしますし、光がないと物が見えない為、かなり重要なものなのですが、その光そのものが何なのかという事については、分かっていなかったようなんです。

そして調べた結果…光は、粒子という証拠と波という証拠が出てきたんです。
アインシュタイン相対性理論が、光速度不変の原理に辻褄を合わせるように、空間と時間の解釈を買えたのと同じ様に、量子論では、光は『粒子』であり『波』であるという前提に立って作られた理論のようです。

今までの常識を覆す量子論

一つのものが『粒子』という物質であり、尚且『波』であるというのは、従来の常識では受け入れられないものだったようです。
というか、今でも、完全に受け入れられているかどうか…といった感じで、反論している人もかなり居る解釈だったりします。

何故、『粒子』と『波』の性質を併せ持つことが受け入れられないのかは、考えてみれば解ります。
例えば、ライヴ会場のステージに自分が立って、観客席の沢山の人達に向かって、野球ボールを投げた場合、そのボールを受け取るのは1人です。
この野球ボールというのは、1つの粒である為、粒子と考えると、粒子1つを投げると受け取れるのは1人という事になります。

その一方で、ステージの上にスピーカーを用意して、そのスピーカーから音を出すとします。
音は空気の振動、つまりは『波』ですが、その波を受け取るのは1人だけでしょうか? そんなことはなく観客席全員が音の『波』を聞くことが出来ます。

粒子は特定の位置に存在するものですが、波は、広い範囲に同時に存在できるわけですが…
その相反する特性を同時に持っているというのは、人間が持つ想像力では、なかなかイメージできません。
しかし、それが観測されて『事実』だったりするんです。

物質は確率の波

先程、光は『粒子』であり『波』であると書きましたが、話はこれだけでは終わりません。
光という、もともとが『波』と思われていたものに『粒子』の性質が見つかったという事で、その逆も研究も進み、物質と思われていたものにも、『波』の性質が見つかることになります。
しかも、その波は、確率的な波という、更に意味不明なものだという事が分かってきました。

更に重要なのが、ここでいう確率とは、計算上の仮の確率ではないという事です。
例えば、中が見えないコップの中にサイコロを入れて、少し振った後に地面に蓋をするようにして置いたとします。
この際に、中のサイコロの目は、確認できないだけで、実際には確定しているはずですよね? でも、確認できないから、6分の1という確率で答えているだけで、現実の世界では、出目は確定しているというのが、常識です。

しかし、量子論で出てくる確率の波の『確率』は、物質を観測して初めて確定するというもので、観測するまでは、確定したものは無いという、意味不明なものだったりします。
この『確率』という考え方をアインシュタインは批判し、『神はサイコロ遊びを好まない』という有名な言葉を残した程です。

また、この『確率』を掘り下げた上で、素直に解釈すると、多世界解釈、つまり、パラレルワールドが実際にあるという理論にまでつながるらしく、『現実は小説よりも奇なり』と本気で思わせてくれますね。

量子論は机上の空論?

簡単に説明しただけなので、『粒子』と『波』の両方を併せ持つという観測結果が出たから、つじつまを合わせた机上の空論でしょ?と思われる方も多いかもしれませんが…
この量子論を研究した結果、半導体を作ることに成功したようなんですよね。

半導体といえば、PCやスマホに絶対に入っている素材なので、このブログ読む為には必要不可欠といって良い物なのですが、そんな実用的なものが、量子論の理論の延長線上にある為、机上の空論でもなかったりします。

今回は、ほんの紹介という事で、本の一部だけを紹介しましたので、これを読んで興味が有る方は是非、購入して読んでみては如何でしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回分はこちら
kimniy8.hatenablog.com

解体される反体制運動グループ

新左翼と呼ばれる人達や、その中でも更に過激思想をもつテロ集団のウェザーマンと呼ばれる団体と、非武装、非暴力、平和主義を訴えるヒッピーやイッピー達との中は悪くなり、それぞれのグループは分断されていきます。
この、反体制運動グループの解体は、自然発生的に起こっただけではなく、政府側のスパイが紛れ込んでいたという話もありますね。
反体制グループは、身元調査をするわけではなく、集まってくる人間なら誰でも受け入れるグループが多く、CIAの諜報員などが紛れ込みやすい状態にありました。

こういうグループでは、前に出て積極的に行動を取るタイプは重宝される為、仕事として入り込んでいる優秀なCIA職員にとっては、グループ内での昇進も楽だったのでしょう。
そして、ある程度上り詰めてグループ内である程度の地位を確保した上で、その立場を利用して、別グループに対する不平不満や罵声を投げかけます。
この様なスパイは、当然ですけれども、相手側のグループにも紛れ込んでいるので、その職員同士で派手に喧嘩を演じる事で、それぞれのグループをバラバラにするような活動も行っていたようです。

この様な状況に耐えられなかったのか、サイケデリック文化の黎明期から活動しているヒッピー達は、ヘイト・アシュベリー地区から逃げ出すようにして、他の地域に散らばっている、考え方が似通っているヒッピーコミューンへと移っていきます。
サイケデリック文化を担ってきた、中心的な人々がヘイト・アシュベリー地区から出ていく事で、この地区は、ニートやジャンキーだけが残され、それを、自称『普通の人』が観光バスから見下すという、異様な町へと変化していきます。
そして、どこの組織にも属していないLSDの売人が、縄張り争いによって殺されるようになります。

元々は、人間が持つ可能性を知る為の意識拡張が重要視され、その体験を促すためのLSDは、求めるものには無料で配布されていた代物だったのですが、
ヘイト・アシュベリー地区の資本主義化によって流れ込んできたマフィアによって、LSDは金儲けの道具と成り果てました。
LSDも、神秘体験を得ることによって、従来の考え方を変えるという目的から、単なる現実逃避や娯楽の一つとして消費されるようになっていきました。
中心となる人がいなくなり、ヒッピーが生み出した文化が金儲けの道具と成り果てることで、この地区でのヒッピーの活動は終わりを告げる事となります。
この様な状況を受けて、黎明期から活動していたディガーズは、『ヒッピーの死』を大々的に演出する為に、ビーズの装飾品など、ヒッピーを象徴するモノを埋葬する葬儀イベントを行い、一つの時代の終わりを決定的なものとします。

資本主義に飲み込まれていくカウンターカルチャー

ここら辺までの流れを、簡単に説明しておくと、最初のヒューマン・ビーインが行われたのが、1967年の1月の話です。
この時期を境に、ヒッピーコミューンに新たな層が大量に流入してくるようになります。 そして約半年後の同じ年の夏には、
モントレー・ポップ・フェスティバルが開催されて、この夏は『サマー・オブ・ラブ』と呼ばれて、ヒッピーにとって象徴的な年となります。
そして、ここから半月も経たずに、同じ年、1967年の10月には、イッピー達によるペンタゴン包囲作戦が行われて、この参加者の一人が、国防総省を護衛する兵士の銃口に、花を挿します。

その一方で、この年は、文化の中心に有ったLSDが規制されて禁止薬物となり、製造を一手に引き受けていたオーズリー・スタンレーが逮捕された時期でもあります。
この逮捕がキッカケとなって、LSDの製造は、資産家のビリー・ヒッチコックが出資者となり、ニコラス・サンドとティム・スカリーの手によって製造され、永遠の愛兄弟団によって市場に流通するようになり、
LSDが資本主義に利用されるようになっていきます。

1967年は、ヒッピーにとって飛躍の年であると同時に、ピークを付けた年ともいえますね。
これ以降は、今回のエピソードでも説明したように、聖地であるヘイト・アシュベリー地区の観光化が進み、時を同じくして街を構成する人間が入れ替わっていき、世間からの評判も悪化していく事になります。
そして1969年1月には、ヒッピーの活動に批判的なサイレントマジョリティーによって、ニクソン大統領が誕生します。
この政権下では、麻薬撲滅キャンペーンが一部地域で行われ、麻薬中毒患者とヒッピーが結びつけら得ることになり、ヒッピーの地位は更に落ちる事となり、黎明期から存在するコミューンのディガーズによって、ヒッピーの葬儀が行われることになります。

ヤケを起こして泥沼化するカウンターカルチャー

1960年はじめから始まったLSDを中心とする活動は、1967年にはピークを迎え、1969年には崩壊に向かっていったということですね。
ここから先の転落っぷりは、結構凄いものがあります。 まず、ヘイト・アシュベリー地区でそこそこ有名人だったチャールズ・マンソンという人物の逮捕です。
この人物はカルトの教祖で、家出少女にLSDを使って洗脳し、男性を誘惑させて自身の元へ引き込む事で、自身の教団を大きくしていった人物なのですが、1969年には、メンバーに無差別殺人を強要して、実際に5人の女性が殺される事となります。

政府やマスコミは、ヘイト・アシュベリー地区の住人という事や、LSDを常用している事から、マンソンとヒッピーを結びつけて避難し、これによって反政府活動を行っているヒッピーも、大きな打撃を受ける事となります。
この事件を受けて反政府活動をしている人達が、マンソンと自分たち活動グループとの関係の否定や思想の違いを強調すればよかったんですが…
何を思ったか、一部のグループは、『マンソンこそが、サイケデリックの聖人だ』といった具合に、偉人扱いをして持ち上げてしまったんですね。

反政府活動を行うグループもマンソンも両方、世間一般や政府、マスコミから敵視されているという事で、敵の敵は味方とでも思ったんでしょうかね。
結果として、無差別殺人者を英雄のように祀り上げる反政府グループは、更に評判を落とす事となります。
そして、その中でも、より過激で行動的と言われている『ウェザーマン』と呼ばれる団体。 これは、SDSと呼ばれる革命を目指す学生による反政府グループというのが元々有ったんですが、そこから更に、過激な思想を持つ人間が集まる事で出来た毛沢東思想を掲げるグループなんですが…

このグループが、反政府活動の一環として爆破テロなどを行って、世間から危険団体として認識されるようになります。
そして、テロが報道に取り上げられると、全国で模倣犯が現れだし、1969年の1月から翌70年の4月までで、4300件を超える爆破事件が起こるまでになったようです。

こういった事実が積み重なると、ヒッピー=ジャンキーであったり、犯罪者であったり、落伍者で有るが故に世間を批判するクズといったイメージは決定的となって、固定されていきますので、評判は地に落ちます。
ラブ&ピースや世界平和を掲げていた時代からすると、えらい変わりようですよね。
そんな中で起こるのが、ティモシー・リアリーの逮捕です。 マリファナ所持で逮捕されて有罪判決が出て投獄されるわけですけれども、リアリーは、永遠の愛兄弟団や、
そこから依頼された反政府組織でテロ集団のウェザーマンのちからを借りて、脱獄する事に成功します。
世間からすると、サイケデリック文化の中心人物が、過激派の手を借りて脱獄したという状態になるわけで、世間の目はより冷ややかなものとなるわけですが…
リアリーはその後、脱獄の手助けをしてくれて、その後も面倒を見てくれたウェザーマンの活動を認めて、応援するようになってしまいます。

この影響は、世間一般よりも、サイケデリックの住人たちにとって、大きなショックを与えます。
これは当然ですよね。 リアリーの意識拡張から出発した文化は、その後、大本の主軸とは違ったものに変わって行くわけですが、そんな彼らが訴えかけてきたものは、平和であり、非武装
Love & Peaceがメインだったわけですが、その元祖ともいえる人物が、実力行使である爆破テロを認めてしまったわけですから、その衝撃は凄いものだったんでしょうね。

また、マリファナ所持の逮捕から投獄までの間に時間が有ったんですが、リアリーはその間に、カルフォルニア州知事に立候補しようと活動してたんですね。
サイケデリックの高僧と呼ばれたリアリーの立候補ですから、ヒッピー界隈から手助けをしたいという声も続々と集まります。
そして、その活動の一環で、ジミー・ヘンドリックス、ジョン・レノンオノ・ヨーコなどが動くことで、リアリー自身の知名度も上がっている状態だったんですが、
その状態で、テロ行為を認める発言をしてしまったことで、元々のヒッピーとテロ集団が同一視されてしまいます。

ムーブメントの終わり

つまり一般人から見れば、ラブ&ピースを掲げる集団が、自分たちの主張を受け入れてもらう為に爆破テロを行っていると言った認識になるんです。
この状況は、批判対象となっている政府側にとっては好都合ですよね。 政府にとって痛いところを付かれていたとしても『それを主張しているのは、犯罪集団ですよ?』と言い返すだけで、世間は納得してしまいます。
そして、活動家=犯罪者という構図が決定的になると、警察側にとっても、反政府運動の取締が楽になっていきます。

そんな中で、再びリアリーが再び逮捕されます。 そして司法取引が持ちかけられ、リアリーは結果として仲間を売る結果となります。
パトロンのビリー・ヒッチコックが逮捕され、ここにも司法取引が持ちかけられて、オレンジサンシャインの製造者の2人が逮捕されます。 捜査の手は、ウェザーマンや兄弟団にも伸びていき、ムーブメントに関わった人物が芋づる式に逮捕されていきます。
脱獄の手伝いをしてもらったウェザーマンを警察に売った事で、リアリーは反政府活動家から信頼を失い、その反政府活動家は、世間一般から犯罪者集団として認定されることとなり、この一連のムーブメントは終焉を迎える事になります。

長く続けてきた、ヒッピー・ムーブメントの一連の流れの解説はこれで終わるわけですが、かなり長いコンテンツになってしまったので、次回は、簡単なまとめと、ヒッピー・ムーブメントがその後の社会にどの様な影響を与えたのかについて、
簡単に語っていこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (前編)

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前回分はこちら
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イッピーの誕生

前回の放送では、ムーブメントに新たに誕生した新しい層であるイッピー達の出現で、ムーブメントが変化しつつ、盛り上がっっていったという話を中心に行っていきました。
イッピーとは、ムーブメントが盛り上がった事で新たに流入した層で、ムーブメントをファッションやお祭りの様に捉えているともいえる層の事です。
盛り上がっているムーブメントの炎をより大きくする為に、悪ふざけや派手な行動を積極的に行って、メディアなどに積極的に露出することで、自分たちの存在を世の中に知らしめる。
そして、潜在化していた問題を浮き彫りにする事で、それを元にして反体制運動を行っていく。

過熱する反体制運動

この層の出現によって、運動はより大きくなり、現状の社会に対して不満を持っている人達や団体が、このムーブメントに乗る形で存在感を大きくしていきます。
例えば、黒人差別や男女差別、この当時も現在でも、様々な問題が有るわけですが、そのそれぞれの問題を、デモなどを通して社会に対して目立つ形で提示していくという運動が盛んになっていきます。
そして、これらの組織は、この当時のアメリカで最も大きな社会問題とされていた、ベトナム戦争に対する反対運動で集結する事で、元々は小さな炎でしか無かったものが、寄り集まることで勢いを増していく事になります。

反体制運動に対抗する体制と支持者

ですが、この運動に対して面白く思わないのが、批判されている体制側です。
この状態を放置しておけば、この勢いはより拡大し、取り返しのつかない状態へと発展していく可能性が合った為、政府は、急いで対策を取り始めます。
まず、反体制運動に対して強気の姿勢を見せている人物、ニクソン大統領を候補に立てて、大統領選を行いました。

この当時は、反体制運動が盛り上がっていたとはいっても、全体的な人数的には少数派でした。
その為、反体制運動やデモなどの運動にウンザリしていたサイレントマジョリティーは、ニクソン大統領に投票し、ニクソン政権が生まれました。

当選したニクソン大統領は、麻薬取締りを徹底的に行って、反体制運動に少しでも加担しているものを徹底的に逮捕する事で、反体制運動をしている人間=ならず者というイメージを世間に対して植え付け始めます。
そして多くの国民は、この政府の戦略に見事に乗る形で、反体制運動に対するイメージを悪化させていくことになります。
政府のこういったプロパガンダ的な政策が国民に受け入れられやすかったのは、実際に、運動参加者の質が下がっていた事も、大きな要因としてあったんだと思います。

というのも、この運動の火付け役となったイッピー達は、悪ふざけや派手な行動を積極的に行って、メディアに取り上げてもらう事で、自分たちの存在を世の中に知らしめるという戦略を取っていました。
この活動によって集まってくる人達というのは、信念だとか主張といったものを持つわけではなく、単純に、面白そうだとか格好いいといったファッション感覚で集まってくる人間が大多数なので、質そのものが低下してしまいます。
中には、社会問題や主張そっちのけで、悪ふざけや目立つことに重点を置き、仲間同士で競い合うように、悪ふざけやをエスカレートさせる人間も少なくなかったんでしょう。

そんなイッピーの行き着く先は、ハメを外しすぎて刑務所に行くか、有名人になってハリウッドに行くかと言われていたそうです。今でいうと、youtuberと同じ様なポジションと考えてもよいのかも知れません。
そんな人達なわけですから、それなりに多くの人達から既に反感をかっていた状態だったんです。その状態で、政府が活動家と犯罪者を結びつけた為、すんなり信じる人や信じたい人が多かったんでしょうね。

観光地化するヘイト・アシュベリー地区

またこの頃には、イッピー達の取った戦略のデメリット部分の存在感も増していきます。一つは、ヒッピーの聖地と言われている、ヘイト・アシュベリー地区の観光地化です。
イッピー達がメディアに向かって馬鹿騒ぎする事で、主張などはそっちのけで、ヒッピーという名称だけが有名になった結果、馬鹿騒ぎするヒッピー見たさに、彼らの聖地とされているヘイト・アシュベリー地区にも、観光客が集まりだします。
ヒッピー観光ツアーが組まれ、反政府運動に参加していない、『普通の人間』自称する人達が大型バスで訪れて、馬鹿騒ぎするヒッピーの総本山を観光する。 一般人にとってはサファリパークにでも行く感覚で、ヒッピーは見世物にされだします。

人が集まりだすと、その観光客目当てに商売する人間が生まれだし、この地区は、徐々に資本主義に呑み込まれていく事になります。
この地区に集まったヒッピー達の、元々の考えとしては、意識改革によって世の中の捉え方を変えていくというもので、ここに金は介在せず、行動や思想がメインとなっていたわけですが、この観光化によって、物事の基準がお金になり始めます。

この環境の変化の他にも、ヒッピーとして流入してくる層にも変化が出始めます。
イッピー達は、派手な行動や悪ふざけを行う事でメディアの注目を集めて、人を集めるという戦略を取ってきたわけですが、そんな戦略でマトモな人間が集まるわけはありません。
マスコミがピックアップするのは、悪ふざけやお祭り騒ぎだけですからね。
その結果、自分では何も行動を起こさず、考えることもなく、努力もしたくない。全ての原因を自分以外の外側に求めて、働かずに遊んで暮らしたいと思っている様な人間が、大量に集まってきたんです。

そういう人達には、志や目標などもない為、この地区の雰囲気も徐々に代わりだし、評判も落ちていく事となります。
そして、ヘイト・アシュベリー地区の環境が変わり、自分たちを見る周りの目が変わりだすと、LSDを常用しているこの地区の住人達にも変化が現れてきます。その変化とは、バッドトリップの急増です。

LSDでどの様なトリップをするのかというのは、ドラッグを服用する人間の精神状態に大きく関わってきます。
このコンテンツでメインで紹介しているティモシー・リアリーは、グッドトリップを誘発しやすいように、チベット死者の書を翻訳し、それを使用して儀式を行うセッションを開発しました。
ドラッグ服用者の精神をどれだけ安定させられるのか、そして、トリップに対してどのように向き合うのかというのは、トリップで神秘体験を得るのに重要な要素だったわけですけれども…その環境そのものが根本的に変化してしまいました。

政府は自分たちを敵対視していますし、周りの人間は、自分たちを犯罪者を見るような目で見ます。この様な環境で幻覚剤を使用すると、かなりの高確率でバッドトリップをしてしまうようです。
LSDのトリップは基本的に長く、数時間はトリップしっぱなしの状態になってしまうようです。 
幻覚剤によるバッドトリップによって、何時間も恐怖や不安といった感情に支配された人間は、大抵、周囲の人間にとって良くない行動を取ってしまいます。
こういう人達が急増する事で、街の治安は悪化し、評判は地に落ち、状況は、更に悪い方向へと変わっていきます。

反体制運動の参加者の質の低下

町には、バッドトリップから抜け出す為か、他の薬にも手を出した麻薬中毒患者で溢れる一方で、そのジャンキーを客とする、マフィアが大量に流入してくるようになります。
観光地化で、自分たちが動物園の動物のように扱われ、マフィアの流入によって、表も裏も資本主義に支配されてしまう。
こんな状況に耐えられなかったのか、元からいたヒッピーの人達は、ヘイト・アシュベリー地区から逃げ出し、町には、言い方は悪いですが、クズのような人間だけが残されます。

ヒッピーの聖地、ヘイトアシュベリーが崩壊しだして状況が悪化しだすと、今まで共闘していた反体制グループにも、綻(ほころ)びが出始めます。
まぁ元々が、取り扱う社会問題も考え方も違うもの同士だったものが、反体制運動を社会現象下する為に集まっただけに過ぎませんでしたからね。
勢いを増すイッピーや、それを生んだ母体となっているヒッピーに相乗りすれば、自分たちも勢いづくだろうと思って、勢いにタダ乗りしていただけだったので、その評判が悪くなると、一緒に活動する意味もなくなったんでしょう。

(つづく)
Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (前編)

【プログラミング】 python奮闘記 その18 ~重複部分をまとめる

無駄な部分を手直し

前回で、ようやく、思っていたとおりのツールが出来上がりました。
kimniy8.hatenablog.com
ただ、前回のコードを見直すと、結構、無駄な部分があったりするんですよね。。
という事で今回は、もう少しだけ短くなるように書き直そうと思います。

素人目に見ても『無駄だなぁ』と思う部分は、この部分でしょうか。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            if radio1 == 0:
               p_p = pp[0][0]
            elif radio1 == 1:
               p_p = pp[0][1]
            elif radio1 == 2:               
               p_p = pp[0][2]
            elif radio1 == 3:
               p_p = pp[0][3]

        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[1][0]

if文の中にif文を入れて、条件を細かく絞っているわけですが、この部分、よく見ると、無駄なんですよね。
というのも、cp[0]の場合は、ppリストの最初に指定する1つ目のリストも[0]となり、ラジオボタンの選択によって得られる値と、ppリストの2つ目の数字が合致している。
それなら、わざわざif文の中にif文を書かなくても、2つの変数を利用するだけで、紙の価格であるppリストは呼び出せそうですし、もし呼び出せるのなら、ifの中のifは完全に無駄ということになります。

重複部分をまとめる

では、具体的にどんな感じにすれば、cpのリスト番号とラジオボタンの戻り値であるradio1を利用できるんでしょうか。
ここで生きてくるのが、代入の知識です。
変数というのは基本的に、何らかの値が代入された値なので、どんな名前がついていようと、その中身は『値』なんですよ。
ということは、ラジオボタンのアクションによる戻り値が格納されている『radio1』は、ラジオボタンのアクションによって数値が変わる変数である為、わざわざ、『radio1』の値が0と同じ時は、ppリストの2番目の数字は『0』なんて記述はしてくても言い。
直接pp[0][radio1]と、リスト番号を指定する際に、変数である『radio1』を打ち込んでやれば良いわけです。

このように、『リスト呼び出しに変数を利用』すれば、先程のコードはこんな感じで短縮できます。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            p_p = pp[0][radio1]
        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            p_p = pp[1][radio1]

ifの中のifが無くなったことで、かなりのダイエットが出来て随分と短くなりましたが、まだ、無駄な部分がありそうです。
というのも、cpの数字とppの1つ目のリストの呼出番号が同じなので、同じ数字を共有できるようにするだけで、p_p…の部分も削除できそうです。
ではどうすれば良いのかというと、先程の応用で、cpとppの1つ目のリスト呼出番号を変数に代入し、その変数を使い回せばよいだけです。
早速書いてみましょう。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p_v = 0
        elif cardboard_b:
            c_p_v = 1
        elif cardboard_c:
            c_p_v = 2
        elif cardboard_d:
            c_p_v = 3
           
        # 蓋のボール紙の価格
        if cardboard_a_f:
            c_p_f_v = 0
        elif cardboard_b_f:
            c_p_f_v = 1
        elif cardboard_c_f:
            c_p_f_v = 2
        elif cardboard_d_f:
            c_p_f_v = 3
        
        c_p = cp[c_p_v]
        c_p_f = cp[c_p_f_v]
        p_p = pp[c_p_v][radio1]
        p_p_f = pp_f[c_p_f_v][radio2]

新たにc_p_vといった変数を作り、それぞれの変数を使って価格リストから値を呼び出せるようにしてみました。
2つのコードの最終行を見てみると、書き直す前が244行だったのに対して、書き直した後は179行と、かなりのダイエットに成功しました。
全く同じ動作をするツールでも、変数をうまく使う事で、かなり効率的に書ける事がわかりますよね。

では、これで完璧なプログラムなのかというと…
実は全くそんなことは無かったりします。
というのも、今回の書き方は、その都度その都度で必要な変数を新たに作って対処していった為、最終的にはかなり適当な感じの変数の名付け方になっていました。

また、オブジェクト指向というのは、一つのオブジェクトに対して様々なデータを付加していく事で、より複雑なプログラムも簡単にかけるようになる言語だと思うのですが、今回、その強みを全く活かせていません。
次回は、この反省を活かした形で、同じソフトをもう一度作り直してみようと思います。


最終的なコード

import tkinter

# ウィンドウ作成
root = tkinter.Tk()
root.title("見積もり")

# テキスト表示
frame1 = tkinter.Frame(root)
heading = tkinter.Label(frame1, text="お見積り")
heading.pack()

# テキストボックス表示
frame2 = tkinter.Frame(root)
box_width = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_width.grid(column=0,row=0, padx=5)

box_length = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_length.grid(column=1,row=0, padx=5)

box_height = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height.grid(column=2,row=0, padx=5)

box_height_f = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height_f.grid(column=2,row=1, padx=5)
# ボタン表示
askbutton = tkinter.Button(frame2, text="見積開始")
askbutton.grid(column=3,row=0, padx=5)

# ラジオボタン 紙の選択
frame5 = tkinter.Frame(root)

radio1_val = tkinter.IntVar()
radio1_val.set(0)
paper_a = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【a】", variable = radio1_val, value = 0)
paper_a.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【b】", variable = radio1_val, value = 1)
paper_b.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【c】", variable = radio1_val, value = 2)
paper_c.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【d】", variable = radio1_val, value = 3)
paper_d.pack(side = tkinter.LEFT)

frame6 = tkinter.Frame(root)
radio2_val = tkinter.IntVar()
radio2_val.set(0)
paper_a_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【a】", variable = radio2_val, value = 0)
paper_a_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【b】", variable = radio2_val, value = 1)
paper_b_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【c】", variable = radio2_val, value = 2)
paper_c_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【d】", variable = radio2_val, value = 3)
paper_d_f.pack(side = tkinter.LEFT)


# 答え表示
frame3 = tkinter.Frame(root)
ans_titl = tkinter.Label(frame3, text="一箱あたりの価格(税抜き)")
ans_titl.pack(side = tkinter.LEFT)
answer = tkinter.Label(frame3, text="円")
answer.pack(side = tkinter.LEFT)

# 内訳表示
frame4 = tkinter.Frame(root)
b_areax = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の横幅")
b_areax.grid(column=0,row=0, padx=5)
b_areay = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の縦幅")
b_areay.grid(column=1,row=0, padx=5)

b_areax_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の横幅")
b_areax_f.grid(column=0,row=1, padx=5)
b_areay_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の縦幅")
b_areay_f.grid(column=1,row=1, padx=5)

cardboard = tkinter.Label(frame4, text="【身】ボール紙の価格")
cardboard.grid(column=0,row=2, padx=5)
cardboard_price = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price.grid(column=1,row=2, padx=5)

cardboard_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】ボール紙の価格")
cardboard_f.grid(column=0,row=3, padx=5)
cardboard_price_f = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price_f.grid(column=1,row=3, padx=5)

paper = tkinter.Label(frame4, text="【身】の紙の価格")
paper.grid(column=0,row=4, padx=5)
paperprice = tkinter.Label(frame4)
paperprice.grid(column=1,row=4, padx=5)

paper_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】の紙の価格")
paper_f.grid(column=0,row=5, padx=5)
paperprice_f = tkinter.Label(frame4)
paperprice_f.grid(column=1,row=5, padx=5)

# Frame配置
frame1.pack()
frame3.pack()
frame2.pack()
frame5.pack()
frame6.pack()
frame4.pack()
# ボール紙の大きさ
def ask_click():
    b_hi = int(box_height.get()) # 箱の高さ
    b_hi_f = int(box_height_f.get()) # 箱の高さ
    b_wid = int(box_width.get()) # 箱の幅
    b_long = int(box_length.get()) # 箱の長さ
    b_tate = b_long + b_hi*2 # ボール紙の長さ
    b_yoko = b_wid + b_hi*2 # ボール紙の幅
    b_tate_f = b_long + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の縦
    b_yoko_f = b_wid + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の横
    
    # ラジオボタンの値取得
    radio1 = radio1_val.get()
    radio2 = radio2_val.get()

    # 紙の価格 paper plice
    pp=[[50, 65, 60, 70],[70, 100, 90, 110],[100, 135, 120, 160],[160, 235, 220, 280]]
    pp_f=[[50, 65, 75, 90],[70, 100, 115, 140],[100, 135, 160, 200],[160, 235, 285, 360]]
    
    # ボール紙の価格 cardboard plice
    cp=[40, 50, 70, 100]

    # 身のボール紙の種類
    cardboard_a = max(b_tate, b_yoko) <= 232 and min(b_tate, b_yoko) <= 222
    cardboard_b = max(b_tate, b_yoko) <= 354 and min(b_tate, b_yoko) <= 323
    cardboard_c = max(b_tate, b_yoko) <= 505 and min(b_tate, b_yoko) <= 354
    cardboard_d = max(b_tate, b_yoko) <= 748 and min(b_tate, b_yoko) <= 505

    # 蓋のボール紙の種類
    cardboard_a_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 232 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 222
    cardboard_b_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 323
    cardboard_c_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354
    cardboard_d_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 748 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505
    
    # NG要項
    if b_hi > 100 or b_hi < 20 or b_wid < 70 or b_long < 70 \
       or not(max(b_tate, b_yoko) <= 600 or min(b_tate, b_yoko) <= 450):
        answer["text"] = "申し訳ございませんが、弊社の設備では製造できません"
        
    else:                
        b_areay["text"] = "身のボール紙の身の縦" + str(b_tate) + "mm"
        b_areax["text"] = "身のボール紙の身の横" + str(b_yoko) + "mm"
        b_areax_f["text"] = "身のボール紙の蓋の縦" + str(b_tate_f) + "mm"
        b_areay_f["text"] = "身のボール紙の蓋の横" + str(b_yoko_f) + "mm"

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p_v = 0
        elif cardboard_b:
            c_p_v = 1
        elif cardboard_c:
            c_p_v = 2
        elif cardboard_d:
            c_p_v = 3
           
        # 蓋のボール紙の価格
        if cardboard_a_f:
            c_p_f_v = 0
        elif cardboard_b_f:
            c_p_f_v = 1
        elif cardboard_c_f:
            c_p_f_v = 2
        elif cardboard_d_f:
            c_p_f_v = 3
        
        c_p = cp[c_p_v]
        c_p_f = cp[c_p_f_v]
        p_p = pp[c_p_v][radio1]
        p_p_f = pp_f[c_p_f_v][radio2]

        cardboard_price["text"] = str(c_p) + "円"
        cardboard_price_f["text"] = str(c_p_f) + "円"
        paperprice["text"] = str(p_p) + "円"
        paperprice_f["text"] = str(p_p_f) + "円"
        answer["text"] =str(c_p + c_p_f + p_p + p_p_f) + "円"
askbutton["command"] = ask_click            
# メインループ
root.mainloop()

【ゲーム紹介】 UNDERTALE

作品との出会い

ここ最近の動画配信サービスの充実によって、私は最近、テレビを観る機会が大幅に減っているのですが、そんな中でも観続けている番組の一つに、『勇者ああああ』という番組があります。
TVerなどでも観ることが出来るので、テレビアンテナを引いていない方でも観ることが出来る番組なので、観たことがない方で興味のある方は、観てみて欲しいのですが、その番組の中で、ゲーム紹介のコーナーがあります。

ここ数回は、ヤクザの親分と舎弟というキャラで漫才をしているペンギンズの舎弟キャラの方が出演されることが多いのですが、そのコーナーの中で、『UNDERTALE』という作品が紹介されたんです。
このコーナーは、あくまでもゲーム紹介という位置づけで、興味を持った方には是非、実際にプレイしてもらいたいというコンセプトで作られている為(その割には、ps1.ps2といった古いタイトルの紹介も多い)、基本的に、ネタバレしない方向での作りになっているのですが…
ゲームの面白さを伝えるには、核心部分を伝えなきゃ駄目だと思ったのか、視聴者には伏せる形で、司会のアルピーさんにだけ、ネタバレ有りで教えるという感じでの紹介になっていました。

その演出?と、それを聞いたアルピーさんのリアクションに興味をもつことになりました。


      

PS Storeのサマーセールで購入

興味を持ってから数日。
定期的にチェックしているps storeを覗いてみると、最大90%OFFのサマーセールが開催されていたので、何気なく覗いてみると…
興味を持って気になっていた『UNDERTALE』がセール対象に!

先ほど紹介した番組のコーナーでも、ゲームのプレイ動画は流れていたのですが、それを見た私は、勝手にファミコンのゲームだと勘違いしていたのですが…
どうやら、Steamで最近発売された海外ゲームのようで、それが日本語にローカライズされて、PS4でもプレイできるようになった作品だったようです。
しかも、元々の値段が1500円程度と安い!

先ほど紹介したリンクの値段が高いのは、DL販売で人気が出まくった事で、パッケージ化されて再販売され、その際に、特典などが付けられたからのようです。
実物や特典が欲しいという方は、パッケージ版を買うほうが良いのかもしれませんが、ゲームだけ楽しみたいという方は、ダウンロード販売がお得となっています。

誰も死ななくて良い やさしいRPG

さて、このゲームの説明に入っていくわけですが、このゲームのジャンルは、RPGです。
RPGといえば、ドラゴンクエストを始めとしたゲームが有名で、敵を倒して自分の分身である主人公を強くしていって、最終的には世界を支配している強大な敵を倒して、世界を救うというのが定番ですよね。
ですがこのゲーム。 『誰も死ななくて良い、やさしいRPG』を謳っていたりするんですよね。

最初の方で、ゲームプレイの方法を教えてもらうチュートリアルがあるのですが、そこで教えてくれるのは、モンスターと出会った際の対処の方法。
普通のゲームの場合、敵を攻撃して倒す事で、EXPを得て、それを貯めることでLvが上昇し、自身の分身であるキャラクターのレベルを上げていって、強敵を倒すのがセオリーなのですが、このゲームでは、他の方法でもやり過ごし方も教えてくれます。
その方法は、『行動』を起こす事で相手の戦意を喪失させて、戦線離脱させる方法です。

女神転生でいうところのTALKみたいなものですかね。
敵とコミュニケーションを取って仲良くなったり、敵が主人公に対して行為を持ったりする事で、敵が戦意を喪失。その状態で『みのがす』を選ぶと、そのまま戦闘が終了するというわけです。
ただ、この方法で戦闘を終了させてしまうと、報酬としてお金は手に入るのですが、EXPは入らないので、当然、Lvも上がりません…

このゲーム、『誰も死ななくて良い』と銘打っているので、基本的には『行動』を起こすことによって戦闘を回避し続けることも可能なのですが、そうなると、レベルはずっと1のまま。
実際にプレイすると、『Lv1の状態で、避けられない強敵が出てきてしまうとアウトになってしまう』という不安もあったりと、結構、考えさせられるシステムだったりします。

ちょっと変わった戦闘システム

このゲームですが、RPGで有りがちな、普通のコマンド選択型の戦闘システムとは全く違った戦闘システムとなっています。
どの様な戦闘システムかというと、こちらが攻撃する際には、タイミングを合わせてボタンを押す事でダメージが変化するシステム。
他のゲームで例えると、ゴルフゲームでスイングの強さを決定する際に、パワーゲージの中をバーが動き、そのバーをタイミングよく押すことで、飛距離が決まるというのがあると思いますが、あれと同じ様な感じです。

では、敵の攻撃はどんな感じなのかというと、弾幕シューティングになります。
自身のキャラクターのLifeを具現化したような赤いハートマークが画面中央のスペースに表示され、そのハートマークに向けて、敵が様々な攻撃をしてきます。
その攻撃を、ハートマークを操作する事で避け続ける事で、敵の攻撃を避けていきます。
被弾すると自身の体力が削られますが、全て避ける事ができれば、そのターンは無傷でやり過ごすことが出来ます。

正直、この辺りは、好き嫌いが分かれると思います。
というのも、シューティングなどが苦手な方の場合は、被弾しまくりでクリアーが出来ないというケースも出てくるからです。
普通のRPGのターン型のコマンド選択式の戦闘の場合は、大抵は敵の攻撃をくらいますが、Lvを上げたり装備を見直したりして打たれ強くなれば、それだけ倒れにくくなります。
しかしこのシステムの場合は、1ターンで何回の攻撃を食らうかは、プレイヤーの腕次第ということになります。

シューティングに慣れている人間は、苦もなく敵の攻撃を避け続けられるため、そもそもダメージを受けることはありませんが、下手な方の場合、最悪、1ターンで体力の大半を持っていかれて倒れるというケースもあるかもしれません。
敵によって攻撃パターンが決まっているので、覚えてしまえば大抵の人は避けることが出来るとは思いますが、慣れずに先に進めない方は、敵を倒してLvを上げて最大HPを上げるのか、敵を倒さずに頑張るのかを悩むことになるでしょう。

プレイしての感想

プレイを始めた時の最初の印象は、『なつかしい!』
以前にこのゲームをプレイしたわけではないのですが、ファミコンゲームの様なグラフィックと音楽に、小学生時代にゲームで遊んでいた記憶がよみがえり、懐かしい感じに浸れました。

次に感じたのは、どことなく、『moon』っぽいなという感じです。
『moon』は初代PlayStation時代のゲームで、今までのRPGにアンチテーゼを投げかけるような作品で、当時の私はかなりの衝撃を受けたゲーム。
簡単な物語としては、RPGで勇者を演じて遊んでいた子供が、何故か、ゲームの中に入ってしまうというストーリー。

何も分からず、自身も透明になっていて周りから見えない状態になって混乱しているところを、目の見えないお婆さんに救ってもらうところから始まります。
お婆さんに衣服を貸してもらい、透明だけれども、服によって周りから認識される状態になって、訪れた世界に飛び出してみると、そこには勇者という殺戮者が街の住人であるモンスターを殺しまくっている…
しかし、そんな世界に迷い込んだ主人公は、殺されたモンスターの幽霊に触ることで生き返らせることが出来るという能力を身に着けており、勇者が世界を壊しながら進んでいくのを、直しながら追いかけていくと言った感じのストーリーなのですが…

雰囲気やキャラクターといった世界観が独特で、漂う雰囲気が可愛らしくも悲しい感じで非常に良く、ゲームに込められたメッセージ性も非常に強く、印象にかなり残った作品だったんですよね。
この『moon』という作品と、非常に近い香りを感じたのが、今回紹介している『UNDERTALE』でした。

あまり語るとネタバレになってしまうので、詳しくはかけませんが…
謳い文句どおり『誰も死ななくて良い』を実践することで、優しい気持ちになれる作品です。

また、作品内では積極的に細かい設定などは語られませんが、様々なところに散りばめられた情報を自分で収集する事で、設定の全体像がわかってくると、結構、怖いところなんかも出てきたり。
その怖い部分も含めた全体的な設定を知ると、さらに、色んな事を考えさせられたりも…

紹介しておいて何なんですが、この作品は、できるだけ事前に情報を入れずに自身で体験した方が面白さが増すと思いますので、もし、興味を持たれた方は、サマーセール中に買ってプレイしてみてはいかがでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第34回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(10) ~ムーブメントの終わりの始まり(後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前編はこちら
kimniy8.hatenablog.com

世界を変える為に問題を生み出すイッピー

そして、問題を創り出し、その問題に対して抗議するというスタイルは、様々な団体を生み出し、それらの活動そのものがエスカレートしていくことになるんです。
今現在もそうですが、昔は、今以上に問題が存在していました。 男女の【扱いの差】などのジェンダー問題や、黒人差別を始めとした人種差別などは、今でも完全に解消しているとは言い難い状態ですが、当時はもっと酷い状態でした。
こういった、今までの社会が当然としてきた前提を問題視し、それに対して異論を唱え、新たな価値観を押し付けるグループが続出する事になります。

例えば、政治的な思惑から差別されて虐げられ、本来なら、守ってくれるべき警察官からも敵視されてきた黒人達が、警察官から黒人を守るために結成されたブラックパンサー党とかですね。
この集団は、共産主義民族主義というのを掲げて、武力による革命も視野に入れて、革命による黒人解放を目指したグループと言われています。
この様に、政治的な主張をして世の中を変えようとする集団の他にも、永遠の愛兄弟団の様に、幻覚剤による神秘体験を利用して団結する、カルト集団なども生まれ始めます。
名前だけでいえば、チャールズ・マンソンが創立したカルト集団なんかが有名ですね。

反体制派をまとめ上げるベトナム戦争

このようにして誕生した、政治団体やデモ集団、そしてカルト集団は、創立理念などは異なっていましたし方向性もバラバラだったわけですけれども…
反体制という部分では共通していた為、体制が行っている行動の中で一番わかり易い出来事に焦点を当てて、それを批判する部分で共闘し始めます。 それが、ベトナム戦争です。
ベトナム戦争は、アメリカが直接関係の無い、北と南のベトナム内での内戦だったんですが、南北に分かれている理由が共産主義か資本主義かというものだった為、
資本主義側にアメリカが、そして共産主義側にソビエトが手を貸す事で、代理戦争の舞台となりました。
そしてこの頃に開発されて普及しだしたテレビ報道によって、毎日のように戦争映像が家庭に流れ、民衆は、人の死というのを目の当たりにする日々を過ごしていました。

資本主義や共産主義という、経済的な考え方が違うというだけで殺し合いに発展し、テレビでは毎日のように人が死ぬ映像が流される。
そして、貧民層や黒人は経済的徴兵によって戦場に駆り出されて、その何割かは死体になって返ってくる。 正義なき戦争と呼ばれた、この出来事は、反体制派から一斉に批判を受けます。

またこの頃には、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活躍した、キング牧師の暗殺なども行われたことで、反政府運動は更に熱を帯びていく事になります。

そして活動が盛り上がり、社会現象にまでなって反体制の動きが盛り上がると、運動はブーム化して、その全体的な動きに何となく流されて集まってくる人達も出始めます。
『にわか』といえば良いのでしょうかね。 ヒッピーの根本的な思想はもちろん、イッピーの活動で新たに生まれたグループの主張も理解していない人達が、祭りに参加する様な感覚で、各グループやヘイト・アシュベリー地区に足を運ぶようになります。
これは、反体制運動がファッション化したと言っても良いのかも知れませんね。 反体制でいることに、また、その様な活動をする事が格好の良いこととされて、主張や活動内容がわからないままに、意識高い系の若者たちが流入していくことになります。

そして、反体制運動がピークに達する頃には、アメリカ大統領戦に『ピガサス』と名付けられた豚を立候補させようという所にまで発展します。この豚というのは、人間の体型的なことではなく、養豚場で飼育されている生物的な豚の事です。
そして当選の暁には、その豚を殺して食べてやろうというと宣言します。 この行動の意味合いとしては、私達民衆は、政治家という支配層に良いように扱われている、つまり、不当な扱いを受けている。
これは、弱者が権力者に食い物にされているのと同じことを意味するので、その逆をしてやろうという目論見です。
つまり、政治的に最高の権力を持っている豚を殺して、文字通り、食い物にしてやろうというメッセージが込められていたようです。

ウンターカルチャーに対する政府の対応

ただ、これで面白くないのは、批判されている政府側ですよね。
政府は、この反体制運動に対してカウンターを打つ為に、カウンターカルチャー側に対してネガティブキャンペーンを始めます。
その方法は、カウンターカルチャー側と悪者というイメージを結びつけるという方法です。

軽く説明すると、政府は先ず下準備を行う為に、ヒッピーの代名詞とも言える幻覚剤である、LSDを規制します。この規制によって、オーズリーという人物が逮捕されてしまったという話は、以前しましたよね。
そして政府は、『危険性が有るから禁止薬物に指定した麻薬を、今だに使い続ける人達がいる』として避難し、大々的な摘発などを行っていきます。

これは政府の常套手段で、過去にも人種差別を固定化する為に行われました。この例を軽く説明すると、大恐慌時代に治安が悪くなった際に、黒人やヒスパニック系の人達が多く住む地域で大々的なマリファナ禁止キャンペーンを行って、一斉に摘発を行います。
そして、一部の地域の摘発数を嵩上げすることで、黒人やヒスパニック系の住む人達が住む地域の犯罪率を、統計的に操作して上げる事で、治安が悪くなった原因をこの人達に押し付けたという過去が有るそうなんです。

これと同じ様に、まずLSDの規制を行った上で、それを使用している人で犯罪者、又は犯罪を犯していそうな人間を片っ端から捕まえて、LSD使用者と犯罪者という2つの存在を同一視させていったんです。
そして、LSD=犯罪という計算式を一般に浸透させた上で、ベトナム戦争に対する反戦運動を行っている人達と、LSD使用者を結びつけるんです。
つまりは、ベトナム戦争に対する反戦運動に参加している人間は、LSDで現実逃避をし、犯罪を犯すような人間だという烙印を押して、そのイメージを浸透させていったんです。

赤狩りニクソン

この戦略は見事にヒットし、サイレントマジョリティーに受け入れられることになります。 サイレントマジョリティーとは、積極的に主張や意見は言わないけれども、多数はの人たちの事で、逆の言葉がノイジー・マイノリティです。
ノイジー・マイノリティとは、声は大きくて存在感は有るけれども、少数派の人たちの事ですね。 サイレントマジョリティーの人達は、政府のプロパガンダに乗る形で、運動をしている人たちを犯罪者と結びつけて、ネガティブな感情を持ち始めます。
そして、そんな人達が選んだ大統領が、ニクソン大統領です。 前にも少し話しましたが、後に、ウォーターゲート事件で辞任することになる大統領なんです。

このニクソン大統領は、下院議員時代には『赤狩りニクソン』というニックネームで呼ばれる程に共産主義に対して厳しい姿勢をとっていた人です。
ヒッピーといえば、前に紹介したディガーズの様に共産主義を目指す人達も少なく無いわけですが、このヒッピー達と解りやすく敵対している人物が、国民によって大統領に選ばれました。

当選したニクソン大統領は、反体制運動をしている人達を積極的に取り締まる為に、様々な規制を行っていきます。
赤狩りと呼ばれる反共産主義運動はもちろんですが、その他にも、麻薬取締りの徹底化や、漫画や雑誌といったメディアや、アーティストたちが行う表現を制限する表現規制も行っていきます。
この表現規制の一環として、ジョン・レノンオノ・ヨーコ夫妻や、ジミー・ヘンドリックスなどの、ヒッピーの中でもメジャーで影響力の有る人物たちが、政府の監視下に置かれる事になっていきます。

これ以降、ヒッピー達によって一部で熱狂的に盛り上がったムーブメントは収束していくことになるのですが、その話は、また次回にしようと思います。