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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【映画紹介・感想】 ゲットアウト

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今回紹介する作品は、『ゲットアウト』です。



観ようと思ったキッカケ

この作品は、劇場公開が2017年の1月という事で、この記事を書いている1年半前に公開された作品なのですが、公開直後から、結構な話題となっていたので、ずっと気になっていた作品だったんですよね。
何故、気になったのかというと、ホラー作品なんだけれども、普通のホラー作品ではないといった話が漏れ聞こえてきたからです。

私は、それほど映画などを観ているわけではないのですが、ホラーと聞くと、殺人鬼が出てきたり、化物や幽霊的なものが大きな音と共に急に画面に映し出されたりといった感じの、オーソドックスなホラーか、パニックホラー。後は、最近人気のゾンビものぐらいしか観たことがなかったので、『今までにない感じ』と言われると、なんとなく興味がそそられたんですよね。
ただ、気にはなっていたんですが、劇場に足を運んでみようという気は起こらず、なんとなく時間が過ぎていき、1年半以上が経ったわけですが…
ココ最近になって、Amazonでプライム会員なら無料で見れる状態になったので『無料で、尚且、家で見れるなら!』と思い、観てみた次第であります。

ホラー? この作品のテーマ

この作品には、知ってしまうと台無しになるような致命的なネタバレが有るので、取り敢えずは、その部分だけを隠した状態での感想を書こうと思います。
ネタバレ無しとはいっても、全く無いように触れずに感想を書けるほど、私は文章を作るのは上手くない為、私が見る前から知っていた程度の、多少のネタバレは含みます。

という事で、早速、軽いネタバレから始めるわけですが、この作品は、ホラー作品といっても、ゾンビやパニック、怪物や幽霊が登場する様な、ごく普通のホラー作品ではありません。
人種差別問題を多く含んだ… というよりも、それをメインテーマに掲げているような作品です。

人種差別。 特にアメリカで酷く、今でも根強く残っている差別として、黒人差別問題があります。
この作品では、その差別問題を色んな面から捉えて可視化している感じの作品です。
その為、私の様な日本人が観ても、ほんとうの意味で理解はできないのかもしれません。一方で、これは予測に過ぎませんが、アメリカに住む黒人の方が観た場合は、かなり感情移入できる作品なのかもしれません。

簡単なあらすじ

この物語の始まりは、夜中に閑静な住宅街の道を、1人の黒人の方が歩いているところから始まります。
歩いている黒人男性自身が、『場違いなところを歩いている?』『泥棒と間違えられないかな…』なんて思いながら歩いている点を取っても、今だに根強い差別が有る事を感じさせられます。
だって、この男性は、何もやましいことはしていないんですよ? にも関わらず、自分が周りからはどのように観られているのかとか等、見ず知らずの誰かを想定して、気を使い続けなければ、道も歩けない状態に押しやられているわけですから。

そんな状態に追い込まれているので、足早に住宅街を抜けようとしていた男性ですが、後ろから、大きな音楽をかけた車が煽ってきます。
暴力事件に巻き込まれそうだと感じた男性は、面倒事に巻き込まれないようにと、やり過ごそうと、車の進行方向と逆の方向に方向転換し…
って感じの始まり方なんですが… 何度もいうようですが、このシーンだけを観ても、黒人の立場がどれほど弱いかが分かりますよね。

仮に、その場に警官がいたとしたら、その黒人男性は職務質問されていたでしょうし、車で煽ってきた人間と喧嘩になれば、黒人男性だけが逮捕されたりするのでしょう。
日本に住む私達にとっては、何かあれば警官にいえば良いと考えるでしょうし、その場にいてくれたら心強いとすら思う状態なのかもしれないですが、黒人男性にとっては、誰も信用できないので、自分の身は自分で守る意識が強い。
というか、そういう自覚がないと、生きていけない程に大変な環境なのかもしれません。

この様なシーンは、この映画のいたるところに出てきます。
冒頭のシーンが終わると、1組の黒人男性と白人女性のカップルの話に移り、白人女性の両親に彼を紹介しに実家に戻るという話になるのですが、その際のやり取りも、人種問題を連想させるようなやり取りだったりします。
『両親には、彼氏は黒人だと伝えている?』とか、『伝えていない状態で、いきなり家に行って驚かれない?』といった感じの質問が続き、人種差別の被害者である黒人男性の方が気を使っている演出がされます。

その一方で、白人女性の彼女の方はというと、人種差別なんて事は一切、連想させないような振る舞いをしています。
黒人だからとか、白人だからといった固定観念は一切ない感じで、同じ人間で何の違いもないのに、何故、そんな事を気にするの?といった感じで彼氏に接します。
その為、『両親に、彼氏は黒人とかいう必要有るの?』といったド正論で返答してきたり、その他には、彼女の家に、彼女の運転で向かう最中に鹿との接触事故を起こすのですが、その際に警官から、隣りに座っていただけの彼氏の身元確認を求められるのですが、『何の必要があるの? 彼は、ただ隣で座ってただけで、何の関係もありませんが?』と毅然と抗議をしてくれます。

彼女の徹底した態度に、観ている側も、『差別しないって、そういう事だよね。』と思わず思ってしまう程に、【人種】という区別を感じさせない自然な接し方で、彼氏の自虐的な態度の方が目立ってしまう程。
このあたりの演出は、かなり上手いなと思わされました。

そして彼女の家に到着。物語は、ここから本編に入る感じです。
黒人に対する差別が全く無い彼女の両親という事で、彼女の家族の方も、人種差別はしないのですが…

その一方で、黒人の持つ肉体的特徴を、褒めまくるんです。
貶しているのではなく、褒めているんだから差別じゃないだろ!?と言わんばかりの褒め方で、それを言われている黒人男性は、褒められているにも関わらず、逆に萎縮してしまう程。

そうこうしているうちに、近々、彼女の実家で、親戚獣が集まるパーティーが有る事を聞かされます。
両親は、『来る人間は、みんな良い人だから、一緒に楽しもう!』と言ってくるのですが、彼女は帰りたそう…
しかし主人公は彼女の両親に気を使って、パーティーに参加をする事を決めるのですが、そのパーティーが、彼女の両親に輪をかけた様な感じで、黒人男性を褒めちぎってくるんです。

パーティー参加者は白人ばかり。その中で、好奇の目にさらされて褒められている主人公は、『動物園で見世物にされている感じで不愉快だ』と感情をあらわにする程、苛立っている様子。
このあたりは、非常に考えさせられますよね。

『善意』で偽装した『悪意』

このような事って、人種差別に関わらず、他のことでもありがちですよね。
例えば、自身は大金持ちなのに『私は自分の事を金持ちだとも、優秀だとも思ってない! 休日は安い居酒屋などに通って、庶民の話を聞いたりする事が楽しみなんだ!』とか言っちゃう人っているじゃないですか。
でもね、本当に自分を特別だと思っておらず、安い居酒屋に通う人間を見下してない人間は、わざわざ、他人にそんな事を自分から言ったりしませんよね。

聞かれてもいないのに、わざわざ自分から、そんな事を発信している人間は、実際には自分は優秀だから金持ちになれた特別な人間だと思っていて、安い居酒屋にいる人間を見下し、その中で楽しんでいる自分に酔っていて、優越感に浸ってますよね。
でも、態度としては、高圧的な態度も取らないし、『こういう居酒屋で呑むのが楽しいし、こういう場に集まる人と話すのが有意義だ。』と言われれば、言われた側は悪口を言われているわけではないので、怒ることもない。
ただ、どことなく、嫌な感情は抱いてしまう。

誤解しないで欲しいのは、ストレートにヘイトスピーチをして人種差別をするほうが良いと言っているわけではありません。
人が嫌がる事をあえて言うのは駄目に決まっているわけですが、では、それを偽装した形で表現するのは良いのでしょうか。
『褒める』という偽装した形の主張は、読解力の低い人が聞けくと、まるで良い行いをしているようにも取れてしまう。

世の中には、相手の意図を読み取る能力が高い人ばかりではないので、この様に偽装した形で主張する人は、なんなら人々から尊敬されたりしてしまう。
何らかの形で差別をしているのに、その被害者は反論することも出来ず、何ならその主張によって、差別をしている人間が地位を高めてしまう。
差別されている側は、嫌な思いをした上に、相手のセルフブランディングにも手を貸すことを共用されてしまう… とも考えられますよね。